R6年9月7日(土) 晴れ
今日は日帰りながら、親子三人で高知旅行です。
本当は先週、一泊二日で旅行する予定でしたが、台風10号の進路と旅行日が、偶然過ぎる程一致してしまって中止。
子供の夏休みが終わった関係もあり、日帰り旅行に短縮となりました。
でも、内容を濃いくして、充実した旅行を楽しみたいと思います。
愛媛県松山市から高知市内に行くには、主に2ルートあり、一つ目は高速道路を使う方法。こちらだと2時間くらいで行く事ができます。二つ目は、昔からある国道33号線を使う方法。時間は3時間くらいかかりますが、山奥に広がる景色や、昔からある民家を眺めながら、四国の自然を楽しむ事ができます。
今日は二つ目のルートを選択しました。
その為、早朝5時には全員が起床。出発はAM6:00です。(高知市内着を9:00予定)
国道33号線を高知に向かって下ると、まずは砥部町の「三坂峠」を越えて、久万高原町→美川村と進んでいきます。
この三坂峠、1980年~1990年代にかけて、改造車が集結しては夜な夜な暴走を繰り返す「走り屋の聖地」として、全国的にも有名な場所となっていました。
直線とヘアピンが程よくある為、加速と減速のテクニックが求められ、失敗=大破=廃車・・時には死亡 なんて事も多く発生。
その為、今は走れないように中央ポールが設置されたりしているみたいで、ごく限られた走り屋しかいないようです。
私が大阪の大学生の頃、松山市在住の高校仲間に誘われて、度々三坂峠に通っていましたが、その賑わいは下手なイベントよりも凄まじく、走り屋を見ようと多くのギャラリーも集まり、デートスポットとして利用する者もいました。
まだ携帯電話が普及する前の時代ですので、事故が発生しても情報が入ってきません。
走り屋さんたちがギャラリーに「下で大破して車が燃えている。救援頼む!」とか言ってくると、仲間意識の強い者たちは警察に連絡する為、公衆電話に走ったり、飛び散った部品を集めをしたり、峠の下と頂上に行き、事故が発生している事を通行車両に伝えたりと大忙し。
「同じムジナどおし。気持ちは団結。仲間だろ?」といったところでしょか?(苦笑)
それがバブル時代であり、若者なりの青春でもありました。
「三坂峠」も現在は新しい道ができた事もあって、廃墟のようになっています。
私も娘連れて、12月~翌2月初旬まで、久万スキー場に行く時に通るだけ。
それも雪を避けて、新しい道を通るので、頂上(標高700m)まで行く事はなくなっています。
晩秋、行楽地として親子三人で、三坂峠旧道を訪れたいと思います。
松山市内から砥部町を走ると三坂峠に着きます。
山手にそって久万高原町に向かうのですが、標高700mだけあって見晴らし抜群。
砥部町の町が見下ろせるスポットには、写真を撮る者、ドライブやデートの者が見受けられます。
こういった道が頂上まで続くのですから、1990年頃・・いわゆるバブル時代には多くの若者が改造車に乗り集結。
猛スピードで上ったり下ったり。
それを見たいとギャラリーも集まり、ちょっとしたお祭り状態となっていました。
当時、まだ大学生。大阪の大学に進学していたので、週末になると松山市の友人たちから「明日、三坂行くから帰ってこないか?」と電話あり。
なんと!その度に飛行機で松山入り。翌日には飛行機で大阪帰り。
とにかく学生でも金がある時代ですので、こんな無茶をした事があります。
今考えてもバブル時代は凄かったですね。何をしても派手やかで楽しかった時代。古き良きバブル時代です。