さて、前回の続きでバリ島話です。
そういえば、かの島の音楽(+舞踏か?)としてもうひとつ有名なのがケチャという奴です。なんか大勢の人々が集まって車座になって座り、斜め上に手を差し出し、口々にケチャケチャと発する言葉が重層的なリズムをなして、やがて参加者たちの中にはトランス状態に陥る者さえ出てくる、なんて集団芸能?ですね。
これが私はどうも苦手でしてねえ。それなりの迫力は感ずるものの、音楽的に何が面白いのかさっぱり分からないし、その手を差し上げる姿も、どこかわざとらしく感じられる。全体の、妙なテンションの高さにもなじめず。なんか違和感ばかりが伝わってきて、アジアの芸能としては、なんか違うんではないかと首を傾げたくなってしまっていた。
その後、ケチャの真相(?)を知るにいたって、「ああ、やっぱり」と。
ケチャは、もともとは土地の神様に捧げる素朴な舞踊だったのを、かってバリ島に滞在していた、あるドイツ人の入れ知恵(?)によって、古代インドの叙事詩「ラーマヤーナ」のストーリーを取り入れた音楽劇仕立てとして複雑化していった、なんて裏面史があるそうな。
そのドイツ人あたりがつまり、私が前回書いた、”ヨーロッパ人の要請に応じて変化して行ったバリの芸能”の歴史において重要な役割を演じた西欧側の登場人物の一人、ということになるんでしょうね。
よその土地の芸能に口出ししようというほどの”芸術好き”のドイツ人だったら、もしかしたらワーグナーあたりの壮大な音楽劇をバリの民俗芸能に重ね合わせる事など夢見たのかも知れない。
そんな具合に余計なアドバイス(?)を行う西洋人がいて、それを”ユーザーのニーズ”と認識して積極的に取り入れて行くバリの人々がいる。そんな事が普遍的に行われて行くうちにバリ島独自の、アジアの地にありながら、西欧風価値観を無批判に信じ込んでいる人ほど受け入れやすいなんて妙な芸能の形が確立されていったってわけですね。
つまりバリのケチャに流れているのはむしろ、”ベルリン交響楽団を振る指揮者カラヤン”みたいな高圧的な”芸術家”の佇まいである。そのような志向の音楽、そりゃあ苦手です。
マリーナ号さん
「パパラギ」という本ご存知ですか?
あれも、なんかこんな様な、きな臭さを
感じさせますよねえ。
むかし、「芸能山城組」がやったケチャまがいの
LPをもってました。
あれはパワーがありました。
「パパラギ」は、はい、本の存在は知っていますが、読んではいないです。でも、こんなことを書いた流れで、批判的な視点で試しに読んでみたくなりました、ちょっと。
「芸能山城組」も、知ってはいるが聞いていないものの一つです。変な話ですが、「山城組」って名じゃなく、「××バンド」みたいな名だったら聞く気になったかも。
この辺、微妙過ぎる話なんで、いずれ一章立てて書いてみたく思ってますが。
なるほど、ね。
ケチャのこのいやらしさって、日本各地の祭に似ていませんか?
戦後、特に高度経済成長以降、祭って妙に意味を持たせられちゃったような感じがするんですよね。
日本の伝統がどうとか、神へ捧げるなんとかかんとかとか。
そんでそういう意味づけをTVや雑誌が喜んで取り上げて、商業的に祭り上げちゃう。
やっている方も、「そうか、そんな高尚なものだったのか」と変な自意識を持っちゃう。
坂東眞砂子『道祖土家の猿嫁』の戦後篇にもそんな笑い話がありましたけど、あれはおかしかったな。
まあ、そうでもしないとあの、なにもかもが恐ろしいほど変ってしまった(それ自体には良いも悪いもない)高度成長期に祭は生き残れなかったのかもしれない。
でも、でも、もっと「なんとなく」やった方が、絶対楽しいと思うぞ。
なんかわざとらしいし、ああいう空気にはとてもなじめそうにありません。
そうですねえ、一方で商業主義に、もう一方で権威主義と結びつき、日本の祭りというのも、もはや祭りであって祭りでない、みたいな状況にあるんでしょうね。そいつはもう、一つの産業となってしまっている。
私の町の祭りなんかも、「こなさねばならないノルマ」として人々の上にのしかかっているし、そんなものが楽しくなんかないですね。というか、そんなシステムの中で、もうタマシイとしては祭りは死んでしまっている。そいつをむりやり躍らせるんですからねえ・・・