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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

音楽のネット配信はワールドミュージック爆発の夢を見るか?(見ない)

2006-01-22 05:53:53 | 音楽論など

 前回、前々回に続きます。このところ、話が意外な方向に行っていますが、えーと、何でこういうことになったのかな?

 ある方の掲示板で「なぜ、ワールドミュージックなんて聞くの?」みたいな話が出たわけです。で、私としては以前よりの持論、「ポップスはそのままワールドミュージックなのが本来であって、むしろアメリカとイギリスの音楽しか聴かない状態のほうが異常なのである」ってのを披露した。そしたら、「いや、現在の若者たちはもはや、”英語の歌”にさえ耳を貸さず、自国の音楽しか聴いていないようだ。しかもそれは全世界的傾向のようだ」なんて教えられた、そんな話の流れに、このブログの記事も乗っているわけですが。

 そんな話をしているうちに、どうも、急速に進む技術革新と変転する人々の意識の狭間で死滅に向かうポップス、みたいな構造が見えてきてしまって暗澹たる気分になっている次第です。
 そんなおりもおり。本日届いたラテン音楽の雑誌、「ラティーナ」の今月号の終わりの方、読者の投稿ページに、まあなんとも天真爛漫な音楽のネット配信賛歌を書いておられる方がいるのを発見。
 いわく・・・

 「早く皆がネット配信に移行しないかなあ!私なんか昨年はCD、まるで買わなかった。もう、ネット配信専門!
 ネット配信ならCDが手に入りにくいマイナーなミュージシャンのものも結構見つかる。廃盤で普通には復刻できないようなものも、どんどん入れて欲しいなあ。ワールド系の貧乏レーベルにとってもネット配信は便利だろうし、配信なら収録時間の制限もなくなるから、リオのカーニバル完全録音なんかも可能だなあ」

 そしてこの人はこう結ぶのであった。「ひょっとするとCDの時以上のワールドミュージックの爆発が起こる可能性もあります」

 うう・・・まあ、盛り上がっているところに水を差すのも気が引けますが(というか、”ワールドミュージックの爆発”なんて起こりましたっけ、過去に?まあ、その話はこっちに置いておいて)全世界的に若者たちが他国の音楽などに興味を失っているという今日、ワールドミュージックの爆発が起こる可能性って、どれほどあるんでしょう?たとえば、あなたの周囲にワールドミュージックのファンて、どれほどいますか?

 いくら便利なネット配信をしても、受け手がいなければ意味ないです。そんな具合に世界が劇的に変化する、その真っ只中に、マイナーなミュージシャンやマニアックな廃盤に興味を示す、そんな昔ながらの音楽ファンは変わらず存在し続けると信じられる、その根拠は何なんでしょう?
 若者の生活に携帯電話が密着する形で定着した結果、音楽の最大の消費層である若者たちは携帯で連絡を取り合い、その通話料を払うのに汲々として、音楽に金や時間を使うことがなくなってしまった。カラオケの定着によって歌は、単なる馴れ合いのためのツールになってしまった。
 技術革新に伴う生活の変化って、たとえばそんな具合ですよ。

 「みんなが聞いているから」が最大の聴取音楽選択理由であるような若者たちが、せっかくのネット配信を、得体の知れない地球の裏側の音楽を聴くために使うと思いますか?リスナーをドメスティックな市場に囲い込んで刹那的銭儲けに走る音楽業界が、そんな若者たちを貧乏レーベルなんかにさらわれる手抜かりを犯すとお思いですか?
 そして、ああ、リオのカーニバル全編中継を聞く暇があるでしょうか、彼女を誘うデートの下調べに忙しい今日の若者たちに?

 「ワールドミュージックを取り巻く状況論」を述べるにあたってのサカナに使った結果、まるで八つ当たりのような文章になってしまい、申し訳ありませんでした、K市のTさん。

 (みなさまへ・komtaさんとまーさんが昨日分にもコメントをくだすっているので、そちらの方もお読みになってください)





4 コメント(10/1 コメント投稿終了)

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Unknown (massh@まー)
2006-01-22 22:07:28
ネット配信って、本当にレアな音楽がみつかるのかなぁ。

ワールドミュージックを広める以前に素朴な疑問を持ちました。



ワールドミュージックの爆発はあり得ないと私も思います。



う~ん、こうなると彼は生粋のオタクです。

ややオタク程度の人なら話しやすいんですけどね。
Unknown (マリーナ号)
2006-01-23 04:06:34
まあ、なんと申しましょうか、世の中の動きを、自分に都合の良い部分だけ見てつなぎ合わせると、あのような予測になるということなんでしょうねえ。

暗い明日ばかりが浮かんできて、すっかり沈んでいるときに読んだんで、ますます違和感を感じてしまったのでした。
カバーポップスの復権を! (シン@本)
2006-01-24 23:22:45
こんばんは、おじゃまします。

今、日本の音楽が閉鎖的になっているのかどうかは、私には分かりません。

でも、もしそうだとしたら、それはカバーポップスがすたれたからだと思います。



私は「人形の家」以前の弘田三枝子が好きですが、当時のミコちゃんの「ヴァケーション」や「子供ぢゃないの」は何度聞いても感動します。私はこれらのカバーポップスによってコニー・フランシスやミーナを知りました。今はそうした「洋楽への入り口」としてのカバーポップスがあまり流行らなくなっているように思えてなりません。

需要はあるはずです。最近でも「恋のマイアヒ」は日本語にもじったら面白いということでヒットしましたし、あまり興味はないけどゴリエや「NANA」の片方もカバーソングを歌っていました。



マニアからは「本物じゃない」と言われるでしょうが、カバーポップスが「洋楽への入り口」としての機能を果たしてきたのは確かです。入り口から先には行かない普通の人でも「愛の賛歌」や「テネシーワルツ」について話せたんですから。

そういう翻訳の楽しさを、今の歌手やレコード会社はもっと積極的に作っていってほしいと思います。
カバーも遠くなりにけり (マリーナ号)
2006-01-25 13:59:59
シン@本さんへ

カバーものは現在、新曲を出さなけりゃならないけどアイディアを思いつけない連中が、安易に飛びつく出来合いの流行りもの、といった形でしか行われていないですね。かっての、”憧れのゆえに”みたいな形は、もうない。今のありようは、"翻訳の楽しさ”とは遠いものを感じてしまいます。

それにしても、マイアヒ(笑)いや、笑い事じゃなく、これとかマカレナとかランバダとか、突発的に世界的に流行るアホ曲というもの、これも一章立てて考えてみなければならないでしょうね。