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私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

マリア・レッサ(Maria Ressa)さん

2025-09-30 12:37:45 | 日記・エッセイ・コラム

マリア・レッサというフィリピン人女性の極めて重要な発言で、ブログ『闇の奥の奥』を閉じ、新しいブログ『闇から光へ』への移行を飾ることが出来ることを、私はとても嬉しく思います。八〇周年を迎えた国連総会での彼女の発言は日本語に翻訳された形で、次の場所で視聴することができます:

https://www.youtube.com/watch?v=cll7gqE3Tlg

彼女が語る英語でのスピーチは次の場所で初めの場面に現れる指示に従えば視聴することができます:

https://www.youtube.com/watch?v=d4kizE2LgUU

上の日本語版には、マリア・レッサさんの発言に続いて、ナイゼリアの黒人女性アリハニスラムさんの、これまた素晴らしい発言が含まれています。この女性は詩人として著名な人のようです。

マリア・レッサさんの発言は、AIの今の形での蔓延がもたらす恐るべき世界情勢の提示と、AIに対する反抗の戦いの呼びかけです。私なりの言葉で言えば「くたばれAI」となります。しかし、マリア・レッサさんとアリハニスラムさんの国連総会での発言は、人間の人間にふさわしい本当の価値を歌い上げる美しい内容です。

藤永茂(2025年9月30日)


アフリカが国連を救う

2025-09-28 14:42:30 | 日記・エッセイ・コラム

 国連は存亡の危機にあるとされています。今、開催されている国連総会での多数の発言を傾聴しながら、私は、そうでないと考えます。常任理事会の拒否権が問題の中心ではありません。

 ナミビアというアフリカの小さな国があります。この国の大統領の発言を聞いてください。

https://www.youtube.com/watch?v=_WqRP3wobaA

https://www.youtube.com/watch?v=-Yycip0JRkQ&t=82s

https://www.youtube.com/watch?v=lGvcdIhMaMc

特にこの最後のYouTube動画でのナビミア大統領の発言は、最初から最後まで、しっかりと耳を傾ける必要があります。取り上げられているすべての事項についての正しい考え方が力強く明確に語られています。

今回の国連総会での多数の発言に日本語の翻訳がついていないのは残念ですが、YouTubeの動画には日本語で聴けるものも、気を入れて探せば結構たくさんありますのでできるだけ多くのアフリカと南半球の国々の発言を聞いてください。例えば、キューバの外相の講演には日本語がついています。

 私は、シエラレオネというアフリカの一小国の大統領の発言を、感無量の思いで聞きました。アフリカは本当に大きく変わったのです。

https://www.youtube.com/watch?v=W9F2DWrOOsI

アフリカは国連を救い、世界を救うでしょう。

藤永茂(2025年9月28日)


アブドウラ・オジャランのこと

2025-09-23 19:54:29 | 日記・エッセイ・コラム

 アブドウラ・オジャラン(Abdullah Öcalan)は多くの日本人にとって親しみの少ない名前でしょう。最近(9月4日)のブログ記事『私のフェミニズム』で

「とても興味ぶかい日本語の記事に遭遇しましたので、ここで紹介させていただきます:

https://wired.jp/2021/02/10/jin-jiyan-azadi/

女性、人生、自由──クルド女性防衛隊をめぐるフォトエッセイ

ぜひご覧ください。」

と書きました。上記のエッセイの中に、女性戦闘員たちがオジャランについて熱く語っていますので、その部分を取り出して、以下にコピーさせて貰います:

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女性のため、自由のため、クルド人のため

女の子たちに話を聞くと、「女性のため、自由のため、クルド人のため」とみんな言う。彼女たちが同じ目的を共有できるのは、なぜだろうか。それは、シリアでもイラクでも、クルド人が住む地域であれば必ず見かける写真の人物が物語る。

口ひげを蓄えた愛嬌のある笑顔が印象的なその男は、敬愛と親しみをもってクルドの人々から「アポ(叔父の意味)」と呼ばれている。アポは1980年代初頭に、クルド独立を目指して始まった運動のリーダーであり、本名をアブドゥッラー・オジャランと言う。

「クルド人と呼ばれる民族は存在しない。彼らは山に住む山岳トルコ人である」

そう言ってクルド人を弾圧するトルコ政府に、オジャランとその仲間は武器を持って立ち上がった。彼はその結果「テロリスト」と呼ばれて追われる身となり、1999年からトルコのマルマラ海に浮かぶイムラル島に収監されている。

「男性と女性の平等。女性の解放がクルド人の解放、独立のためには必要不可欠なのだ。何世紀にもわたって築き上げられてきた性別の壁を壊すには、女性が立ち上がらなければならない」

オジャランはクルドの人々に呼びかけた。クルドの土地では、伝統的に名誉を重んじる宗教、部族社会のバックグラウンドが地域社会の女性たちを抑圧してきた。

「女性たちが自由になれない限り、その国もまた自由になれない。女性がどれだけ社会において自由であるか、という度合いが、その社会全体の自由度を表している。したがって女性の解放は、一国の独立よりも大事なのだ」

クルドの人々はオジャランの思想を愛し、理想としている。クルドが独立し、国家をもつためには、女性たちの権利と自由が実現し、男女が平等にならなければならないのだ。だからこそ、クルドの女性たちは自ら立ち上がり戦っている。

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 私は二年前にクルド問題について『YPJインターナショナル』(2023年4月27日)、『クルド革命は生き残るだろう』(2023年8月2日)の二つの記事を書きました。ところが、バッシャール・アル=アサド大統領が統治するシリアの政権が2024年8月初頭に崩壊してしまいました。その後のシリアの地をめぐる状況は悲劇的な混乱状態にありますが、ここに来て、オジャランは、二十六年間閉じ込められていた獄中から、武力闘争の終結、平和への希求の宣言を行いました。産経新聞に、オジャランの声明の全文が掲載されましたので、ここにコピーさせて貰います:

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https://www.sankei.com/article/20250228-C4AB4JZKTRF5DIXFJ4XT4FCA4Y/

「和平と民主的な社会を求める呼びかけ」

PKKは、20世紀という歴史上最も暴力が激しい時代に生まれた。この時代は、二度の世界大戦、現実社会主義、そして世界的な冷戦の環境の中で形成された。また、クルド人の存在が否定され、特に表現の自由をはじめとする基本的人権の抑圧が強まる状況が、PKKの誕生を促した。

PKKの理論や計画、戦略、戦術は、20世紀の現実社会主義の影響を強く受けてきた。しかし、1990年代に現実社会主義が内的要因から崩壊し、また国内でクルド人のアイデンティティーの否定が解消され、表現の自由が改善されたことで、PKKは創設の意義が弱まって、同様な行動の繰り返しに陥っている。したがって、PKKは他の類似組織と同様に、その役割を終え、解散が必要となっている。

トルコ人とクルド人は1千年の歴史

トルコ人とクルド人の関係は1千年以上の歴史を持つ。両民族は生存を維持し、覇権を目指す勢力に対抗するため、互いに自主的な同盟関係を築いてきた。しかし、近代資本主義の200年間、この同盟は分断を目的とする勢力に狙われ、階級構造とともにその崩壊が進められた。

トルコ共和国の単一民族国家を志向する政策とともに、この過程は加速した。現在、この歴史的関係は非常に脆弱になっている。そのため、信仰も尊重しながら、兄弟愛の精神で関係を再構築することが重要だ。

民主的な社会の必要性は避けられない。共和国史上、最も長く続いた大規模な暴動と武力闘争であるPKKが力を持った背景には、民主的な政治の道が閉ざされていたことがある。しかし、極端な民族主義的な立場を取ることで、独立国家や連邦制、自治権、文化主義的な解決策を求めることは、歴史的な社会学の観点から適切な回答とはなり得ない。

武装解除の呼びかけ、歴史的責任を負う

アイデンティティーの尊重や自由な表現、民主的な組織化は、すべての人々が自身の社会経済的・政治的構造を形成するために不可欠だ。それは、民主的な社会と政治の場が存在することで初めて可能になる。トルコ共和国の第2世紀は、民主主義によって完成されるときにのみ、永続的で友好的な共存が実現できる。システムの模索と構築にとって民主主義以外の道は存在せず、あってはならない。民主的合意が基本的な方法だ。平和と民主的社会の時代には、それにふさわしい言語が必要だ。

デブレト・バフチェリ氏(トルコの極右「民族主義者行動党」党首)の呼びかけ、エルドアン大統領の意志、他の政党の前向きな姿勢によって生まれたこの環境の中で、私は武装解除を呼びかけ、その歴史的責任を負う。現代のすべての団体や政党が自発的に行うように、国家や社会と統合するために、PKKは大会を開催し、解散を決定すべきだ。

すべてのグループは武装を放棄し、PKKはその活動を終了すべきだ。共存を信じ、この呼びかけに耳を傾けるすべての人々に敬意を表する。

2025年2月25日

アブドラ・オジャラン

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老齢の故に、私は間も無くブログ記事が書けなくなると思いますが、今のうちに、皆さんにオジャランという稀有の人物と彼が生涯を捧げた“人間をかえせ”の革命的運動について、出来るだけお伝えしたいと思います。もし、ネタニヤフがイランに対して核兵器を使用するという言語道断の暴挙に出なければ、人間には未来があります。

藤永茂(2025年9月23日)


イグナシオ(イニャシオ)・ラモネの言葉

2025-09-14 15:55:22 | 日記・エッセイ・コラム

今から四半世紀も前の1998年にイグナシオ・ラモネは「Another World is Possible(もうひとつの(別の、新しい)世界は可能だ)」と発言しました。その発言の最初の所には

「 新自由主義が政治的、社会的、文化的に構築してきた枠組みを作り変えることはできるだろうか。市民は巻き返しの道もなく、現在の恐るべき経済の圏内に閉じ込められているほかないのだろうか。人類が別の道を探り、公共の利益というものの意味を再び見出すことはできるのか。」

「南でも北でもますます多くの人々が、もうたくさんだ、いいかげんにしろ、と思うようになっている。非人間的になった経済によって築かれた今の世界は生きづらくてかなわない、エゴイズムの氾濫が倫理を足元から崩している、というふうに。国民国家と福祉国家に続けて、いまや市民権そのものが、市場の要請を大義名分とした解体の瀬戸際にある。この破壊の企てが襲いかかっているのは、19世紀と20世紀を通じて打ち立てられてきた福祉志向の文明の総体なのである。人々がこぞって立ち上がることはいまや不可欠だ。」

とあります。今でも全く新鮮な響きを保っています。

 最近(9月初め)、イグナシオ・ラモネは、今その時が来ているという発言をしました。この発言はスペインの何処かで、スペイン語で行われたようですが、私が興奮して読んだのは英語版で、その終わりの部分を紹介します。読んだウェブサイトは前回のアレクサンドラ・バリエンテと同じで、全体の日本語版も見ることが出来ます。

Ignacio Ramonet: “Venezuela Remains the Great Political Latory of Our Time.

https://libya360.wordpress.com/2025/09/09/ignacio-ramonet-venezuela-remains-the-great-political-laboratory-of-our-time/

以下に訳出するのは、その終わりの部分です。

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ベネズエラは今なお、現代における偉大な政治実験場であり続けている。そこでは、参加型民主主義と国家主権、社会再分配を社会主義の展望のもとで融合させるという、今の世界を支配しているグローバルなシステムにとって許容できない試みがなされている。だからこそベネズエラに対する攻撃は続いている:封鎖、制裁、経済的窒息、今のベネズエラ政府の正当性を否定するキャンペーンだ。しかし、そこには、また、最も創造的な民衆抵抗の形態も現れている:コミューン、自主管理、下からの権力という思想である。最も創造的なマルクス主義の歴史において、ボリバル主義的体験はその更新の試みを表している。元の教条を繰り返すのではなく、解放の伝統をボリバル、チャベス、先住民族、そして大陸の反乱の記憶と共にラテンアメリカの現実に接木する試みである。それは緊張に満ちた未完のプロセスであると同時に、マルクス主義が死んでいないことの証明でもある。それは変異し、転生し、新たな統合を求めているのだ。

我々は、支配がもはや武器や軍隊のみを通じてではなく、物語やマインドコントロール装置を通じて行使される時代に生きている。第四世代・第五世代戦争、いわゆる「認知戦争」とは、認知されるものを形成し、合意をでっち上げ、不正を正常なものとすることである。

イデオロギー的支配装置はますます洗練されている。第四・第五世代戦争には認知戦争が伴う。パレスチナにおけるジェノサイド(最もテレビ放映されながら同時に最も隠蔽されたジェノサイド)やベネズエラへの侵略がそれを示している。しかし同時に、トランプ政権の登場により、大衆層への攻撃と、前世紀に大衆を代表しようとした思想(社会主義と共産主義)への攻撃が直接的かつ正面から行われていることも明らかだ。これら全てをどう解釈すべきか?

我々は、支配がもはや武器や軍隊のみを通じてではなく、物語やマインドコントロール装置を通じて行使される時代に生きている。第四世代・第五世代戦争、いわゆる「認知戦争」とは、認識を形作り、合意を捏造し、不正を正常なものとすることである。パレスチナは最も残忍な事例だ:生中継されるジェノサイドであり、同時にメディア操作の層の下に隠蔽されている。ベネズエラや帝国秩序に挑むあらゆるプロセスも同様である。トランプ主義や世界の他の地域で見られる類似現象は、この論理を露呈させるに過ぎない。すなわち、大衆層と解放の記憶(社会主義、共産主義、労働者運動、フェミニズム、反植民地闘争)への正面攻撃である。その目的は、代替案という概念そのものを根絶することだ。我々の任務は正反対である。記憶を守り、抵抗を持続させ、別の世界が可能だという政治的想像力を生き続けさせることだ。

ファノン、マルコムX、ルムンバの生誕から百年を経た今、グローバル・サウス、パレスチナ、特にアフリカ(とりわけサヘル地域を念頭に置く)は、彼らのメッセージを今なお必要としているのか?ボリバル社会主義は、それを阻むものを破壊せずに新たな人間を築く可能性に賭けることが正しいのか?それとも我々は再びマチェテ(鉈)に帰らねばならないのか?<藤永私注:マチェテは中南米で使用される山刀で、ここでは、現地人の暴力行使を意味する>

ファノンは、植民地化が領土だけでなく精神をも占領するものであり、それからの解放は物質的かつ心理的の両方でなければならないと我々に教えた。マルコムは構造的人種差別に対する、ラディカルナな尊厳の体現者そのものであった。ルムンバはブロックに分断されたこの世界で、アフリカの主権を象徴する人物であった。今日、パレスチナ、アフリカ、グローバル・サウスにおいて、これらの教訓は不可欠である:文化的解放なくして政治的解放はありえない。

フランツ・ファノン、マルコムX、ルムンバの誕生から一世紀を経た今も、彼らのメッセージは本質的なものである。ファノンは植民地化が領土だけでなく精神をも占領し、解放は物質的かつ心理的両面で行われねばならないと教えた。マルコムは構造的人種差別に対し、徹底的な尊厳を体現した。ルムンバはブロックに分断された世界でアフリカの主権を象徴した。今日、パレスチナ、アフリカ、そしてグローバル・サウスにおいて、これらの教訓は極めて重要である:文化的解放なくして、政治的解放はありえない。

ボリバル社会主義が「新しい男と女」を語る時、この伝統を継承しているのである。すなわち、闘争のプロセスそのものにおいて人間を変革する伝統だ。闘争の結果、人間が変わったと言うのではない。それは単なる暴力としての「マチェテへの回帰」ではなく、抑圧のメカニズムを解体しなければ、いかなる解放プロジェクトも繁栄し得ないという認識である。課題は今も変わらない。人間をその全体性において解放することだ。

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最後の部分の英語原文を参考までに掲げておきます。結びの一行(The challenge remains the same: to liberate human beings in their entirety.)が最も重要なメッセージです。

A century after the birth of Franz Fanon, Malcolm X, and Lumumba, their message remains essential. Fanon taught us that colonization occupies not only territories but also minds, and that liberation must be both material and psychological. Malcolm embodied radical dignity in the face of structural racism. Lumumba symbolized African sovereignty in a world divided into blocs. Today, in Palestine, Africa, and the global South, these lessons are vital: without cultural emancipation, there can be no political emancipation.

Bolivarian socialism, in speaking of the “new man and woman,” takes up this tradition: that of transforming human beings in the very process of struggle, not afterwards. It is not a question of “returning to the machete” as pure violence, but of recognizing that no emancipatory project can flourish without dismantling the mechanisms of oppression that suffocate it. The challenge remains the same: to liberate human beings in their entirety.

藤永茂(2025年9月14日)


カーゴ・カルト

2025-09-09 21:18:22 | 日記・エッセイ・コラム

Internationalist 360 という、私にとって、極めて重要なサイトがあります。最近、USA政府を破壊してしまわなければならないという激烈な主張がなされました。この激烈な主張をしているのはアレクサンドラ・バリエンテ(Arexandra Variente)という女性です。この人について、私は、過去に何度も言及しています。

https://libya360.wordpress.com/2025/09/02/internationalist-360/

このサイトには翻訳の便宜がサイトの記事の最後に付いていて、日本語に訳してくれます。記事の中にあるフォトもちゃんと入っていますので、ぜひ利用して下さい。私は、これとは別に、原文からの翻訳を試みましたので、以下に掲載しておきます。

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<ここにフォトあり>

パレスチナは人類の幻想がその上で打ち砕かれた岩である。

悲惨な出来事が増え続ける今、有意義な抵抗が恥辱的に欠如したままだ。恥辱にまみれた世界の指導者たちは麻痺し、したがって、共謀犯であるのみならず、世界の民間社会全体が途方に暮れ、決定的で効果的な行動を取ることができなくなっている。

眼前にある最も恐るべき事態は、国家、組織、個人の実際の現在の心理状態と意識を明らかにする集団的な現実の否定だ。世界的な新型コロナウイルス感染症の流行中に起きたように、集団精神疾患が再び蔓延しており、この精神疾患に対する免疫の欠如(カーゴ・カルトで目撃された現象と多くの興味深い類似点がある)により、腐敗と根深い植民地化が暴露されている。 今日生存している本物の革命家の数が悲劇的に少ないことは明らかである。 

このことは、このメディアプラットフォームの目的そのものと、過去13年間に反帝国主義的抵抗を支援するために行われた努力に疑問を抱かる。 これは、乳児性障害と臆病という二重の致命的な病気に苦しむブルジョワ左翼に奉仕することを目的としたプロジェクトでは決してなかった。真の革命運動に奉仕し、急進的なイデオロギーを促進するために設立されたのだ。 したがって、私は現在の状況の中で、その存続が本来の使命を果たすことができるかどうか、あるいは、人類によりよく役立つプロジェクトにエネルギーを振り向ける時期が来たかどうかをこのウェブサイトを再評価しているところである。これまでに共有されたすべての情報は、人類、特に人類の良心を目覚めさせる試みであった。 

良心が活動しているところには、恐れではなく、大胆さ、無謀ではなく、明晰さ、混乱ではなく、正義を追求する燃え立つ情熱があり、抑圧の終焉だけでなく、それを許すすべての条件と制度の終焉、そして最終的には、何千年も抑圧者を守ってきた制度の解体による抑圧者の永久的な破壊を要求する。 

以前、私はこう言った。 

大量虐殺的な抑圧者との関係を正常化できる、あるいは、大量虐殺を行う抑圧者を阻止できない政府、組織、運動には、世界の希望はあり得ない。 

道徳的原則よりも利益を優先する指導者を信頼することは出来ない。

凶悪な犯罪行為に直面して行動できない卑怯な人々と共にあっては魂の救済はない。

人類の希望は、目覚めた各個人の肩と、現実との接触を決して失わず、どんな犠牲を払ってでも命を守ろうとする草の根運動にのみかかっている。

『何をすべきかパート II: レッドライン』の著者は、私たちのジレンマを明確に説明している。

「米国政府は破壊されなければならない。これが我々の最優先目標であるべきだ。この国と交渉することは不可能だ。この国を改革すること不可能、作り直すことも出来ない。この国は存在する権利はなく、存在すべきでもない。この国は、その根も幹も壊されなければならず、その下の大地は、この木が二度と生き帰らないように塩漬けにしなければならない。この政府、そしてそれを地球上に永続させているシステムは、殺し、毒を盛るために存在する機械なのだ。それは我々の血と苦しみを、ごく少数の人間達に奉仕する無限の利益に変えているのだ。」

アメリカ帝国は自国民によって内部から解体されなければならない。その崩壊とともに、その存続をアメリカの支援に依存している他のファシスト政権も崩壊するだろう。

一極世界は終わりを迎え、道義心に満ちた世界への選択肢が遂に現れ、生命と全人類(エリートの利益ではない)に奉仕するすべての力が、下から台頭することになる。現在存在している、継続的な資本主義的搾取に基づく無制限の貿易による寡頭政治的利益のためだけに存在する、魂のない不道徳な多極国家ではなく、すべての人々が平和で安全に暮らす権利を尊重し、積極的に擁護する公正で勇敢な同盟だ。どこの不正もすべての人にとっての脅威であることを理解する革命意識に基づいた多極性だ。「あらゆる不正に対して憤りを感じて身震いするなら、あなたは私の同志だ」というチェ・ゲバラの言葉の美しさと深みを体現する良心。弱者を積極的に守り、抑圧者を打ち砕く多極国家。生命が消耗品として認識されない多極化。そこでは、物質的な所有物や利益ではなく、命が人類の最も貴重な資産として評価されるのだ。

今は幻想を楽しんでいる場合ではない。我々は戦っているのだ。一方の側だけが勝利する。この真実を理解している人は殆どいない。目覚めている人が少なすぎる。このため、我々の危険はかつてないほど大きくなっている。

この大量虐殺の背後にある犯罪政府を打倒することができなければ、我々はパレスチナの人々と同じ運命をたどることになるだろう。

壁は閉まりつつある。我々の首のまわりの縄が締められている。もう時間が無い。

すべての法的選択肢は失敗した。パレスチナを解放するには、私たち自身を解放しなければならない。私たちの国家から抑圧者を権力の座から排除することが、大量虐殺を終わらせ、すべての加害者を裁くことができる唯一の方法だ。

アレクサンドラ・バリエンテ

著者の補遺:

私の専門は人類学と心理学なので、ミレナリアン運動は興味深い研究分野であることを見出した。千年王国主義は植民地社会で見られる現象である。ウィキペディアには次のように記されている:

「ミレナリアン運動とは、社会の差し迫った根本的で、しばしば暴力的な変革を予期し、集団的な救いやより新しく純粋な世界につながる宗教運動または社会宗教運動である。」 

千年主義(ミレニアリズム)の顕著な点は、その信念が現実に基づいていないことである。それらは完全に空想的なものであり、それらに魅了された人々は、それらを物理的現実に発現させるような行動をとらない。彼らはリスクを負わないのだ。彼らは革命を起こさない。この反動的で不合理な信念体系は、抑圧勢力にうまく奉仕する。  しかし、それは抑圧されている人々には壊滅的な結果をもたらす代償の高い妄想である。

千年主義の表現であるカーゴ・カルトは、社会が植民地化や戦争などの劇的な変化を経験し、その結果、かつて均衡を保っていた大切な信仰や生活様式が失われた状況でしばしば現れる。無意味で効果のない儀式的な行動(例:不正選挙での投票、平和的な抗議活動)、魅惑的な思考(例:BRICS、ロシア、中国などが我々を救ってくれると言った考え)、認知の歪み(例:事実を完全に無視し空想を補強する浅薄な分析)がそれに応じて現れる、これらはカーゴ・カルト現象の一般的な特徴である。

カーゴ・カルト的思考は、植民地化された国家を超えて、植民地化者の打倒を実際に構想することは、ましてや、実行することは、とても出来はしない。カーゴ・カルト的思考はある種の魅惑の下で働き、征服下での繁栄と利益を約束する抑圧者のプロパガンダによって目をくらまされるのだ。 植民地化された人々は、侵略者の文化的工芸品(カーゴ)に多くの価値を置く程度まで植民地化者を内面化し、それらを自己欺瞞的な物語や儀式に組み込むことさえある。これらはすべて、主権、尊厳、自由へのあらゆる欲求を超えた、抑圧者に対する倒錯した愛着の表現である。 

<ここにフォトあり>

 ミンバヌアツのカーゴ・カルト 伝説の救世主ジョン・フラムの信奉者たちは、1995年に米軍の訓練に似た儀式を行った。

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1974年、私は、著作『アメリカインディアン悲史』で「アメリカは可能か」という設問を提出しました。私が見つけた、生き残りの先住民の答えは「悠久の時の流れに比べれば、400年など取るに足らぬ。やがて、我々が必ず勝つ」というものでした。今や、その時が到来しつつあると私は思います。アレクサンドラ・バリエンテが言う通り、今、我々の目の前にあるアメリカ合衆国というシステムは破壊し葬り去らなければなりません。

 

藤永茂(2025年9月9日)