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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

旅するアフリカン・バンド

2005-10-05 03:37:13 | アフリカ

 楽器とメンバー全員をトラックの荷台に押し込み、気ままに国境を越えて行く”越境するリンガラ・バンド”の物語は、気楽な野次馬のロマンティックな妄想をなかなかにかき立てるものではあったが、さて、実情はいかがなものだったか。

 ヨーロッパでは”コンゴ・ルンバ”、我が国では”リンガラポップス”なる名で呼ばれる音楽がある。発祥はアフリカへ里帰りしたアフロ・キューバン系のラテン音楽だったのだが、その後、アフリカ伝統音楽の再流入や、ロック・ニュージックからの影響による演奏楽器の変化(ホーンセクション主体のラテン系楽団からエレキギター中心のバンド編成へ)などを経て、独自の洗練を行い、いまやブラックアフリカ全域で愛好されるに至った、アフリカ独自のポップミュージックである。
 その音楽の本家というべきがアフリカ大陸中央部に位置する大国コンゴ、かってザイールと名乗っていた場所である。とりわけその首都キンシャサは”音楽の都”と呼ばれ、リンガラ・ミュージックの聖地だ。おっと、”リンガラ”というのは、コンゴを横切って流れる大河の流域で話されている共通語の名称。歌唱にその言語が使われる割合が多いので、日本ではこの音楽をそう呼ぶようになっている。

 なにしろ黒人の住むアフリカ全域で愛好される音楽であるから、本家コンゴから周辺諸国へ出稼ぎに出るバンドも少なくはなく、今回取り上げるファースト・モジャ・ワンも、その一つ。ちなみに”モジャ”とは出稼ぎ先のケニアで使われる共通語のスワヒリ語で”一番”を意味するのだそうで、「最初の、一番の一のバンド”とは、なんともおめでたいネーミングといえよう。このバンド名にもすでに出稼ぎ先の言葉が流入しているが、この種のバンドの音楽はそれに象徴されるように様々な出稼ぎ先の文化が混入し、ある種のデフォルメが起こってしまっているのが、スリリングなのである。
 まず、本来はリンガラ語にコンゴの元宗主国ベルギーが持ち込んだ準共通語(?)のフランス語がときに混じる形で歌われていた歌詞に、現地の言葉やケニヤで広く使われている英語が混じる。と同時に、ケニヤの伝統音楽の要素流入も、「ともかくその場で受けねばならない」との、出稼ぎバンドの最重要課題に即して行われる。

 とか何とか知ったようなことを言っているが、そもそもが様々な音楽要素の混交して出来上がっているリンガラ・ポップスであり、また、現地ケニヤの文化に通暁しているわけでもなく、たいしたことは論じえない。のであるが、雑な印象として、概してまろやかな耳触りを持つリンガラポップスが鋭いエッジを持って迫ってきているとは感ずる。フットワークがより軽くなり、濃厚な密林の音楽然としていたリンガラポップスに、都会の喧騒が忍び寄っている。現地ポップスとの影響のし合いもあろうし、異郷に生きる厳しさが音楽を尖らせる事もあったろう。
 ファースト・モジャ・ワンの音楽は、そんなケニア・リンガラの、いわば2流のスリリングさを濃厚に伝えるものだった。ボーカルのモレーノのしわがれた低音の響きと、スカスカのバンドのサウンドがいやにファンキーで、なんとも好ましく思えた。もっとも、ケニヤ盤などというものがそもそも入手困難でもあり、モジャ・ワンの盤もなかなか手に入らず、もどかしい思いもせねばならなかったのだが。

 当時、というのは、もう20年も前になってしまうのだが、そんなモジャ・ワンが日本の写真雑誌に突然登場し、驚かされたことがある。”写楽”なる雑誌がどのような気まぐれでか行ったアフリカンポップス紹介のページで、モジャ・ワンが取り上げられていたのだった。日本のアイドルたちの水着写真に混じって、モジャ・ワンのメンバーがカメラ目線で微笑んでいるのには、喜ばしいというよりむしろ「こりゃ無茶だ」と感じた。アフリカ音楽が我が国で注目を集める日が来るとも思えなかったし、リンガラ音楽に興味を持つ者たちの中でも、モジャ・ワンなんてバンドは知られていなかったのだし。

 私がそんな具合にケニアにおけるリンガラミュージックの動きに注目し始めて程なく、ケニア政府は、自国の産業を守るための一連の政策を発表した。その中には、外国からの流入ミュージシャン規制法も含まれていた。詳細は忘れた、というより、あまり詳しい情報がそもそも入って来なかったのだが、ミュージシャンが演奏をしてギャラを受け取るにはしかるべき資格取得が必要で、その取得のための書類提出費用自体が、出稼ぎミュージシャンには払い切れないものだった、そんな形で規制は行われたようだ。 
 私にその情報を伝えてくれた、アフリカ音楽に力を入れていたレコード店店主は、「ひどいものですよ」と嘆息し、私も「このままではケニア・リンガラ滅亡かなあ」などと頷いたものだった。世の東西を問わず、浮き草稼業のバンドマン人生である。

 その後、ケニア・リンガラがどうのと言う以前に、アフリカンポップスの日本における極小ブームも終焉し、一部の人気ミュージシャン以外、レコードも情報もまるで入って来なくなってしまったのであるが。いや、在ケニアの出稼ぎバンドの運命を嘆じたレコード店主のあの店も、とうの昔に商売をやめてしまっている。諸行無常。

(写真はケニア・ナイロビ市街)




9 コメント(10/1 コメント投稿終了)

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読ませる (レオ)
2005-10-06 00:17:56
知らない事ばかりですので、

興味深く読んでます。



音楽で食べて行けるのなら、

それは「幸運」でしょうね、

色んな事が山ほどあるだろうが・・・。
旅のつばくろ寂しかないか俺も寂しやサーカス暮らし (マリーナ号)
2005-10-06 03:01:23
上海バンスキングの昔から、と言いましょうか。バンドマン、しかも「旅する」と付けば、それなりのロマンを抱いてしまいますね。壮絶な生き方と思いますけど、生涯をお祭りでやりきるのは。
Unknown (komta)
2005-10-07 03:18:52
lunaluniさん。。



どうも、はじめまして。komtaと申します。宜しくお願いします。



Moja One & Morenoの名前に、まさかこちらで再会するなんて。。。ちょっと、驚いています。



私、当時のMorenoのこと良く知っておりまして。。。一時は日本でこのオケ、デビューさせてみようかな等と夢想していろいろ動いたりしたんですが。。。



いやぁー、突然な事で頭が回りません。Morenoはキサンガニ出身で、キンシャサに出たんだったけ。。覚えていませんが、流れ流れてナイロビへ。。。普段はSamba Mapangara & Orch.Virungaの歌手として、ナイロビ郊外に在った、Starlight Clubで歌っていました。自身のMoja Oneでのライブもたまにはやっていたようですが、こちらの方は、見たこと無かったんですが、そんなにうまく活動出来ていなかった筈です。



うーん、この辺の話、今から20年くらい前の話になるかな、Morenoまだ元気なら、40代半ば過ぎと言う事になるでしょう。。。どうしているんだろう。。。



Unknown (komta)
2005-10-07 03:22:10
スミマセン、お名前間違っちゃいました。

マリーナ号さんですね。

大変失礼しました。
読むだけですが (toty)
2005-10-07 17:07:49
マリーナ号さんの話を

楽しみながら読んでいますが、



このように、話題に関係する方が現れると

このブログランキングのシステムが

楽しいなと思います。



マリーナ号さん、

始める頃、

どうせ、読者は10人位といってましたっけ。

今日は、なんか、嬉しいです。

ありがとうございます、komtaさん! (マリーナ号)
2005-10-08 18:06:29
komtaさま



どうも、はじめまして。まさかこの記事に反応があるとは思っていなかったので返事が遅れてしまい、失礼いたしました。書き込みいただき、私も驚いています。モジャ・ワンに想いのある方がいらしてくださるなんて。

モジャ・ワンの日本でビューを画策されていた由、凄いことを考えておられましたね!オルケストル・ヴィルンガの名も懐かしいです。「リンガラの熱かった頃」とか言いたくなりますけど、我々が片隅で騒いでいただけでしょうか(笑)

あの頃の仲間もバラバラ、行きつけだったレコード店もとうになく、なかなか寂しいものもありますが、どうかこれからもよろしくお願いいたします。(と言うか、どこかでお会いしているのかも知れませんねえ、狭いマニアの世界ですから)
いや、まったく! (マリーナ号)
2005-10-08 18:10:58
totyさん、ありがとうございます。

そうですよ、「どうせ誰も興味を持ってはくれないだろうけど、好きなことを書いてしまえ」と半ばヤケクソで始めたこのブログですからねえ。今回のように、その話題に、多分、私より詳しいであろう方が反応してくだすった、メチャクチャ嬉しいですね。
モレーノの想い出。。 (komta/bitec)
2005-10-08 21:26:25
マリーナ号さん。。



ちょっと長文になりますが、失礼します。。。



そもそも、とある行きつけのBlogが突然消えていて(goo blogだったんですが。。)gooのTopページから検索したら、3ページ目に“旅するアフリカン・バンド ”なるものを見て、ムッ!?となり飛んできたらいきなりモレーノの名前が目に入ってビ・ツ・ク・リ!した訳です。なんで?どういうこと?ってな感じでした。モレーノの事に関する記述が、ネット上に存在する事自体、オカシイ?いえいえ、凄いことです!



モレーノの想い出は沢山ありますが、資料的なモノは今手元に無いので、記憶に頼らざるを得ません。そもそも、Starlight Clubでヴィルンガのアコムパ・ギターを担当していたシアマという男と懇意になったんですが、彼から『もっといいオケがあるよ。。』とモレーノの事紹介されたんですね。(モレーノ本人もヴィルンガに居たんですが。。)で、当時自分が泊まっていた安ホテルにシアマと2人で来たのが最初でした。実に、精悍な、荒削りな、逞しいザイール人でした。当時、ナイロビで入手出来る、モレーノ関連のディスクは全部手に入れたり、そして録音済みなんだけど、未発表というテープもモレーノ本人から買ったりして、それを日本で売り出そうか!と画策したわけです。それは結局オクライリという形で終わってしまったんですが。。。



モレーノも良かったんですが、一緒に歌っていた(レコーディング上だけ。。)xxx(あー、名前思い出せない)という歌手がこれまた天才的な歌手で、(且つもうどうしようもない位の不良でして。。)この2人の噛み合わせがMoja-Oneの魅力にもなっていたと思います。



ディスクは殆どシングル盤でしたが、LPも1枚ありましたよね。そのどれもが、今は手元には無いんですが、今でもモレーノの歌声、頭の中に戻って来ます。

その位、良く聞いたし、モレーノの歌声が強烈だった証でしょう。あー、懐かしい!



私の人生も流れ流れて、今、タイのバンコクに居ます。好きなものはやはり辞められないのでしょうか、タイのポップス/ルークトゥン(演歌)にはまっておりまして、こういうご時世にもれずBlogをやっております。一応メインは『バンコク音楽日記』/komta名義なるものでURLは以下です。http://star.ap.teacup.com/krungthep/

そして、そんな毎日の中からRoseという歌手にほれ込んでしまい、更に彼女のファン・サイト/bitec名義、もやっております。上のURLのところです。

宜しかったら覗きに来て下さい。



長文、お許し下さい。今後とも、宜しくお願いします。



ところで、マリーナ号さんの行きつけだったレコード店って、高円寺のお店ですか?『A』という名の。。店主はYさん?
再訪問、感謝です! (マリーナ号)
2005-10-09 03:20:34
 komtaさま



 再びご訪問、ありがとうございます。そりゃ、たいていの人は驚きますよね、リンガラの記事ならまあ、ありうるだろうけどモジャ・ワンなんて日本中で何人も知らないようなバンドを話題にする奴がいるなんて(笑)



 モジャ・ワンは好きでしたね。まあケニア・リンガラ全般を、なんか妙なザラツキ感が好きで贔屓してたんです。今でも私の手元には、モジャ・ワンの1枚だけのLPはあります。シングルは散逸してしまいましたが。日本での彼らのアルバム発売までこぎつけられていたら。しかも、オリジナルの内容。実現していたら、素晴らしかったでしょうねえ。今思ってもなんかワクワクして来ます。と言うか、今からでも出たら買いますよ、私はその盤を。



 現在、タイ在住とは、こちらも驚かせていただきました。ほんと、やめられませんよねえ、この道は。お作りになられたファンサイトやブログを拝見するに、これは確かに濃厚な世界ですんで、これからゆっくりと楽しませていただきます。私もタイものではモーラムやサーコンなど若干、聞いてはいるんですが、とてもkomtaさんの足元にも及べません。そちらのサイトになにごとかコメントを書き込める日が来るかどうかも、はなはだ心もとない気がします。



 今回、あえて恥をかくのは承知の上でブログもタイ関係の記事を書いてみました。タイの音楽中、私がもっとも気になっているレーなるものについて。ともかく、今回アップした以上の事は何も分かっておりません、私には。多くの間違い、勘違いもあるかと思います。ご指導、ご鞭撻のほど、どうかよろしくお願いいたします。



 あっと、私がかって行き付けだった店は、西荻のティアホァナでした。