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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

インドの奉献歌

2005-10-18 04:21:50 | アジア

  SHRI ANANDI MA というインド人女性の歌う、バジャンなる音楽のアルバム、”DIVIN BLISS ”である。奉献歌と言うそうな。ヒンズ-教の神様へ奉納するために歌われるものなのだろうか。

 ひたすら穏やかで安らぎに満ちた歌声が素朴すぎる伴奏を伴い、この世に生きるもののすべての懊悩を包み込むように、しっとりと流れてゆく。

 あの官能的なインド音楽のメロディが、ここではまるで別の、静謐さ溢れる表情を見せている。安易に使われる「癒し」なる言葉であるが、それがここまで誠意を持って溢れ、伝わってくる音楽も珍しいだろう。

 無宗教もいいところの私であるが、自らのタマシイを、「神」などという、なにやら巨大(らしき)なものにゆだねる事の安楽がどのようなものか、その輪郭が見えてくる思いがする。




海辺のクラリネット

2005-10-17 04:33:11 | アフリカ


 大西洋の北、アフリカ西海岸の沖合いに浮かぶ小島、カーボベルデ。かって大航海時代に、ポルトガルの航海者がそこに降り立ち、その地の領有を宣言した。その後、ヨーロッパとアメリカ大陸とアフリカの三角地帯を結んで行われた、陰惨な奴隷貿易の中継基地として賑わいもした、ほの暗い過去を持つ島国。今は世界史の裏通りで静かに午睡のときを過ごしているように見える。

 ポルトガルが足跡を残した多くの国々の例に洩れず、この島国にも独特の大衆音楽の発展があった。その音楽の名を”モルナ”という。大西洋を挟んで、同じポルトガル語文化圏に属する大国、ブラジルの音楽と多くの共通点をモルナは持つ。あの、”サウダージ”と呼ばれる哀愁味を、モルナもまた、濃厚に含んでいる。
 だが、ブラジル音楽がその身内に抱え込んだ広大な大地の豊穣の代わりに、モルナには、いかにも島国の音楽らしく、海の気配がある。吹きぬける潮風の香りがある。その、ウエットでありながら外海に向かって開けている感性のありようが、カーボベルデの音楽の大きな特徴であり魅力である。

 今回取上げる”ルイス・モライス”は、カーボベルデで広く愛されていたクラリネット奏者とか。一昨年亡くなり、このCD、”Boas Festas”(”素敵な祭り”とでも訳すのだろうか)は、その追悼の意を込めてリリースされた作品のようだ(内容は67年度作品のボーナストラック付き再発とのこと)
 そんな予備知識がなければ、彼が吹いているのがクラリネットとは分からなかったろう。非常に図太く硬質な音色であり、私には最初、ソプラノ・サックスに聞えた。

 そんな音色で吹き鳴らされる、ラテンの香り豊かな哀愁味の濃いメロディ。おそらく現地では庶民の気のおけない場において、ダンス・ミュージックとして機能していたのだろう。
 彼の音楽からは、西欧風のドラマティックな構成美を、あまり感じない。どちらかといえば露骨な起伏を持たない、ある種アジア的な、殷々と鳴り渡り続ける”音曲”のありように近い。それは始まり、川の流れのように穏やかにただ流れ過ぎ、やがて時が来たれば消えて行く・・・

 ジャケに水彩画で描かれたモライスは、茶色に枯れ果てた大地の隅っこに開けた小さな漁村の、ちょっと寂しい風景の中、一人佇んで愛用のクラリネットを奏でている。風に吹かれて砂粒とともに、漁村の人々の生の孤独が舞うような、そんな風景の中で。



ウクレレ楽園

2005-10-16 02:47:15 | 太平洋地域


 今年の夏の最ヘヴィー・ローテーションだったアルバム、ひと夏、もっとも頻繁に聞いたであろうアルバムを報告します。ハーブ・オオタの「ウクレレ楽園」ってヤツであります。

 ハワイの日系ウクレレ奏者、ハーブ・オオタの隠れた名作と言っていいのではあるまいか、この作品。いや、隠れたもなにも普通に聴いているファンも多いのかも知れないが。
 ただ、なにしろ収められている曲目が「真珠貝の歌」「カイマナヒラ」「ハワイの結婚の歌」「アロハ・オエ」などなど、非常にコマーシャルな曲ばかりが並んだベタなセレクトとなっているので、そもそもがアルバム数も多いハーブ・オオタのこと、安易なコマーシャル作と見くびられて、ハワイ音楽のコアなファンには意外に聴かれていないのではないか、結果として隠れた名作となってしまっているのではないかと勘ぐってみた次第である。
 まあ、正直に言えば私も、そのような理由でこの作品の存在を知りながら、長いこと聴かずにいたのだった。が、今回、あまり期待せずに聞いてみて、自らの不明を恥じ入った次第。このアルバムは、音の隅々にまで豊穣なハワイ音楽の情感が漲っているアルバムだった。

 ここでハーブ・オオタは何も肩肘張らずに、ただ空気のようにハワイの風土に馴染み、人々に愛されて来たメロディを拾い上げ、奏でる。それだけ。何も凄くないことを気負わず普通にやって見せ、人を楽しませる。自らも楽しみつつ。そのなんでもないことの幸せが、このアルバムのテーマなのではあるまいか。

 ハーブ・オオタは、普通、”ロー・G”と呼ばれる弦の張り方を採用している。ギターなどと違い、4弦が1オクターブ上がっているウクレレであり、それゆえの明るい和音の響きが特徴なのだが、その結果、楽器の音域は狭くなる。そこで、ハーブ・オオタのようにウクレレでメロディを爪弾くのをもっぱらとする奏者は、4弦に太い弦を張って楽器の音域を下に広げ、ウクレレ特有のきらびやかな和音の響きを捨てて、広い音域を手に入れる。
 それが”ロー・G”に調弦されたウクレレであるのだが、その深い響きが、ここではアルバムの音世界を下から支え、包み込むように作用している。地母神的響きとでも言うべきか。

 人によっては、最近のハーブ・オオタをムードミュージック的で面白くない、若い頃の山っ気に溢れた、ハイ・テクニック展覧会のような録音こそが素晴らしいと称賛したりする。確かにその才気走った若き日の彼のプレイにも大いに魅力があり、楽しめるのだが、このアルバムに見られるような”凄くない凄さ”みたいなものも捨て難い良さがある、まあ、老境に達した私などは、そう思ってしまうわけさ(笑)

 


地球の歌声

2005-10-15 03:18:21 | アンビエント、その他
 以前、ある掲示板の書き込みに、「地球上の各物質はCメジャ-の音階で振動している」とあり、それを読んだ時は「へぇ、地球はCメジャ-で歌っているんだ」などと感心したものだったが、もう一つ、「もし地球が歌ったら」なんて仮定を楽しめるCDがある。Roger Winfield の制作になる、WINDSONGSなるアルバム。The Sound of Aeolian Harpsという副題が付いている。

 これは、集音マイクを取り付けた、様々な形のハ-プを野原に放置し、その弦が風に吹かれて鳴る様を録音したアルバムなのだ。つまり、奏者は風。演奏に人間は関与していない。

 音を聞いてみると、まず想像されるようなキラキラした音のきらめきではなく、低音弦の響きが目立つ重々しくもあるサウンドだ。午睡の夢の中にある地球が、地の底で響かせる寝言、みたいにも聞こえる。深夜、一人で耳を傾けていると、漆黒の宇宙を一人旅する地球という星と、生きる孤独を分け合えるような不思議な幻想が浮かんでくるのだ。

 収録曲の曲名が「北の風」「南の風」「東の風」「西の風」などとなっているのも素敵だ。


(写真は、”レコーディング”途中の Aeolian Harps 群)

 


パラグアイとグアラニの魂に祝福を!

2005-10-14 02:54:26 | 南アメリカ

 南米諸国の中にあり、アルゼンチン、ブラジルといった音楽大国に囲まれて、なんとなく宙に浮いたようなと言うか、あまり特有の音楽のイメージがはっきりしないのがパラグアイという国ではないだろうか。少し音楽に詳しい人なら、南米独特の小型ハープである”アルパ”の優秀な演奏家を多く排出している国である、なんてあたりを知ってはいようが。
 実際、今回のこの小文のための映像を求めてパラグアイ音楽に関して検索をしてみたが、引っかかってきたのはアルパやその演奏風景ばかりだったのだ。

 実はこの国の音楽で興味深いのが、アメリカ大陸先住民であるグアラニ人の文化が、色濃く影を落としている点である。たとえば、パラグアイ国民の人種を検めると先住民とヨーロッパよりのスペイン系移民の混血であるメスティーソが多数を占めるのだが、同じような状況にある他の南米諸国でも、パラグアイのように先住民の言葉がここまで”公共のもの”として生き残っている国も珍しいのではないか。
 ブラジル以外の南米圏では、大衆音楽もほぼスペイン語で歌われているわけだが、ここパラグアイにおいては先住民の言葉、グアラニ語で歌われるものも数多いのだ。それゆえ、つまり聞きなれたスペイン語で歌われていないがゆえにパラグアイ音楽を苦手とするラテン音楽ファンもいると以前聞き、それはいかがなものかと首をかしげながらも、半分くらい気持ちは分かるようにも思えた記憶がある。実際、聞きなれない者の耳には面妖な響きを残すグアラニ語である。
 パラグアイにおいてなぜ、先住民文化がそのような生き残り方をしているのか、浅学にして詳細を知らず、このあたりは勉強の余地ありと自戒しておく。

 ここにあるのはパラグアイの大歌手である、Rafael Acosta Vallovera が1998年に発表した、その名も”パラグアイ”という真正面のタイトルのアルバム。パラグアイの愛国歌とでもいうべきレパートリーを中心に歌われているそうな。もちろん、グアラニ語の歌も収められている。
 聴いてみると、なんとも清々しい美声が朗々と響き渡る。いかにも”国民的歌手”という貫禄。ふと三波春夫先生のことなど思い出したりする。歌われるメロディも、素朴で美しい民謡調が多く、国威発揚歌とはいえ、ヒステリックな絶叫調とは対極にあるのどかさである。
 もちろん、国民的楽器であるアルパも大活躍。それをメインに、ギターやアコーディオンが活躍する、サウンド作りもまた実にのどかな愛国歌集である。

 ヨーロッパから持ち込まれたポルカのリズムが八分の六拍子と四分の三拍子の混合リズムに変化した、そんな歴史があるという、ウルグアイ音楽独特の流れるようなリズムに乗り、歌声は高く高く舞い上がる。こせこせした日常を送る我が国とは、まるで別の時間が流れているのがパラグアイなのだと思い知らせてくれる。
 なんだか静かな田舎の街で日向ぼっこをしているみたいな気分になってくる、などと言ったらパラグアイの人に叱られてしまうかも知れないが、いや、これは誉めているつもりなのだが、実際、このゆったりとした時の流れに乾杯をしたい気分だ。パラグアイとて、今日の過酷な国際政治の気流と無縁でいられる筈もないのだが、ともかくこのような音楽が存在できる現状を祝福しておきたい。


(写真は、パラグアイの街角でアルパを弾く男。Rafael Acosta Vallovera の写真は、WEB上では見つけられませんでした)


サウダージ、のち上天気

2005-10-13 04:29:51 | アフリカ


 雑でいいなら世界地図はフリー・ハンドで描ける私だが、ギニア・ビサウという国が正確にはどこにあるかを示せといわれても、困ってしまったりする。西アフリカのガーナやトーゴといった国々がある海岸線あたり、までは見当はつくのだが。
 今回ご紹介するアルバムは、そのギニア・ビサウに伝わる、GUMBEなる大衆音楽の現代化ものとか。アルバムタイトルも”Renascimento do Gumbe”である。
 過去、ポルトガルの植民地であった歴史も長いとかで、冒頭、飛び出してくる曲も同じくポルトガル文化を被った国、ブラジルとかなり通じるところがある。タイトルも”Mata Saudade”とブラジル色濃厚、若干の哀愁を帯びつつリズムに乗って跳ね回る曲調など、なんだかブラジル音楽を素朴にしたような感触がある。

 これはしかし、ポルトガルの置き土産を共に持つ国同志の共通点と解釈するべきなのか、ブラジル音楽そのものに普通に接した結果なのか、何の資料もない状態では判断が付け難い。ともかく2曲目3曲目と聞き進むにつれ、アルバムの主人公、ラミロ・ナカの音楽はブラジルとどんどん離れて行くのだ。
 ”サウダージ”の斜に構えた翳りは薄れて行き、複数のパーカッションが絡み合う中をラミロの歌声は汎アフリカ的昼寝音楽とも言うべきか、かなり緩めのハイ・ライフ・ミュージックの世界にドヨンと浸かり込んで行く。
 さては”外向きの営業上、あるいは遠くのかっこよい世界の響きとしてブラジルっぽさを演じはするが、本音は別のところにあるのか?”なんて思ったりするが、まあそれも勝手な想像でしかないな。

 アルバム中盤、アフリカ色が支配的になるが、ともかく緩めの手触りが良い。やや能天気なラミロの歌声に絡むパーカッションやバックコーラスは、緊迫感とは逆のベクトルを徹底して維持し続け、スカスカに間の空いた陽気さ、実に心和む。一般的なアフリカのポップスならキンキンした音色で絡んでくるだろうギターの代わりに、きちんとしたフレーズを吹く気もあまりなさそうなハーモニカがブカブカと鳴り渡るのも、ほどよい脱力感を演出してくれる。
 この緩い浮遊感が、実に”アフリカど真ん中”な気分であり、うんまあ、まとまっていないけど、この文章もここで終ってかまわないやあ、なんて気分になってしまうのである。

 (写真は、ギニア・ビサウの市場の女性たち)
 
 

世界初のワールドミュージック・バンド?

2005-10-12 02:42:31 | ヨーロッパ

 カーン・アラクニッド蘭とは、どことも知れない、何か一本ネジの狂ったような世界で起こる不思議な出来事を描いた、SF作家のJ.G.バラードの連作、バーミリオン・サンズ・シリーズの第1作、”プリマ・ベラドンナ”の中に出てくる、「置かれた環境に対応して歌を歌う花」の名です。
 魅力的なSF的ガジェットであるこの花の歌声を具現化したとすればこんなたたずまいになるのでは、と私がにらんでいるのが、60年代から70年代にかけて活躍した、イギリスのワールドミュージック・バンドの先駆け?Incredible String Band の音楽なんであります。

 このバンドの歴史は60年代に、バンドの中心メンバーとなるロビンとマイク、二人の英国人ヒッピーがマリファナ欲しさに訪れたモロッコで出会った現地の民俗音楽に心惹かれ、ここに”世界発のワールド・ミュージック・バンド(英国フォークルーツ誌より)が誕生、そんな筋書きがあるようです。まあ、どこまで本当か、知れたものではないって気もします。
 いかにも”60年代風サイケ”な掴み所のないユラユラとしたメロディを持つ歌や、おもちゃ箱をひっくり返したような各国の民族楽器の響きが渾然とバラ撒かれているそのサウンドは、なるほど、そんな物語を納得させる雰囲気を持っています。

 しかし、彼らを今日のワールドミュージックを志向するバンドと同列に考えると、妙な事になってしまう。今日のその手のバンドは、本質に迫ろうとする、あるいは表面的に手法を流用しようとするにかかわらず、”異郷の音楽”がはっきり視野に入っていると見えるのに、Incredible String Bandの姿勢たるや・・・通奏低音を奏でるためのインドの民俗楽器で、ドーミーソー♪なんて西欧風の和音を奏でてみたり、同じくインドのシタールを、まるでギターみたいに奏でてみたりと、彼等の”異郷の音楽”に対する姿勢は実にイーカゲンなものであります。
 彼らの演奏するジグなんてものは、正統派のトラッド・ファンには、とても聞かせられない代物。当時としては、こんなものがいいところなんじゃない?との受け取り方もありますが、私は彼らの異種ゴタマゼ音楽は、今日のワールドミュージック指向とはベクトルが違うと思うのです。Incredible String Band にとって、音楽の真実など、どうでもいい事であった。

 彼らの音楽を根底まで掘り進むと、彼らの少年時代の思い出の子供部屋に置き忘れられている児童向け冒険小説に行き当たるのではないか。
 まだ”大英帝国の栄光”が無垢に信じられていた頃、”第三世界の人々の人権”などというやっかいなものに頭を悩ませる必要にも迫られなかった著者によって描かれたその物語の中では、アフリカはあっさりと”暗黒大陸”であり、アジアやアフリカの人々は”未開の土人”でしかなかった。 ロビンとマイクがヒッピーとなって旅に出た1960年代、そんな物語に象徴される”西欧文明の優越性”は、とうに異議申し立てを受けていたはずです。あるいは破産宣告を。
 そんな時代に彼等は、彼らが見い出した西欧文明への対立概念たる異郷の民俗楽器を古き西欧人の誤解だらけの異国趣味のままに奏で、その一方で奇妙に歪んだ西欧自体の音楽の”思い出”を歌った・・・

 人は自らの死の瞬間に、それまで送った人生の様々な光景が走馬灯のように目の前を通り過ぎるのを見ると言います。
 Incredible String Band の音楽とは、瀕死の西欧文明が、いまわの際に見た走馬灯幻想を、ロビンとマイクの口を借りて語り出したものではないだろうか?
 死の床で西欧文明は、過ぎし日の夢を見ます。世界にはためいていた”帝国”の旗と、”分をわきまえていた”頃の、愚劣な奴隷たる”土人ども”の。
 クリスマスのプレゼントに異国の珍奇な文物。暖炉の日を前に聞いた妖精物語。そして、女王陛下に栄光あれ、と・・・

 西欧文明に、ヒッピーと化して見せて異議申し立てはしたものの、その”息子たち”である事もまた間違いのないロビンとマイクの行き場のない心が奏でる、時の止まった世界の音楽。それは、本物かニセモノかと問われればニセモノと答えるほかはない。正しいか間違っているかと言えば、おそらく正しくはないでしょう。 が、その”虚数の音楽”は、私を魅了してやまない。人間の罪深さと言う苦き果実。その苦さを甘美なスパイスとして味わってしまう事の、更なる罪。そんな合わせ鏡の地獄の愉悦が、Incredible String Band の隠された魅力と。言った途端に共犯となる、そのまた甘美さよ。やはり罪深き・・・


 (添付したのは、彼らの代表アルバム、The Hangman's Beautiful Daughter (1968 )のジャケ写真です)



イラクのアフラーバンド、最高です!

2005-10-11 02:59:23 | イスラム世界

 ”Afrah Band”なるバンドである。イラクのバンドとの事。何の資料もなし。ジャケはアラブ文字だらけで曲名の発音さえも分からず。
 初めてこのCD、”Live”のジャケを見たとき、ああこれは「お笑い」として受け取るしかない盤なのだろうなと即決したものだった。
 何しろこのバンド、見た目がダサい。結構歳の行ったオヤジ5人が、時代遅れのムードコーラスグループ風スーツに身を包み、いかにも「ポーズを取ってます」みたいな笑顔でこちらを見ている。あるものはギターを抱え、あるものはコンガを、あるものはキーボードを前に。何のビジュアル上の工夫もない。しかも写真は白黒である。
 これはおそらく70年代、いやもしかしたら60年代にイラクの地において欧米のロックに啓発された若者たちによって結成され、そしてかの地のロックバンドとしてそこそこの人気を誇ったバンドが、当時と何も変わらぬ音楽を披露している化石盤なのであろう。まあ、「ロックが熱かった時代のイラク」を知るよすがとなるだろうと外角低めに見下ろす気持ちで聞いてみた私なのだが。

 おお、全然違う音楽だった。飛び出してきたのは地に足のピッタリと着いた、かなり民俗音楽よりのタフなダンスバンドの音だったのだ。しかもこれ、かなり良いよ。
 彼らの音の芯になっているのは、複数のメンバーによるパーカッションの叩き出すアラブの民俗音楽色濃い、相当に腰のある重い複合リズムである。それに絡むシンセの響きはかなり妙だが、本来、ここにある筈の民族楽器が奏でるべきメロディをなぞっているのではないか。演じられている音楽の骨格は、アラブの民俗音楽そのままと言っていいのだから。
 これまで私が聞いた若干のイラクの土着ポップスの男性ボーカルと言えば、かなりの質実剛健を誇っていたのだが、このバンドのボーカルは、やや線が細く、哀愁味が漂う。が、これはこれで現地ではかっこいいものと認識されているやも知れず、まだ評価は避けたい。なにより、バンド・サウンドの中に問題なく溶け込んでいるわけだから。

 結局彼らの音楽は、イラクの民俗音楽をコンパクトに今日化したものと要約できるだろう。
 ともかく彼らの、パーカッション群が休むことなく繰り出すタフなリズムの拍動は相当に魅力的で、パキスタンのカッワーリーなどを引き合いに出して語りたくなるほどの瞬間もたびたび訪れる。
 こうなってくると話は逆になり、モノクロの地味きわまるジャケ写真やメンバーのダサい外見はあのザ・バンドあたりをイメージしたのか、なんて深読みしたくなってくるのだが、いや、そこまでの演出はないだろうな。が、ともかくその中途半端なヴィジュアルと、やっている音楽の重みの間にある微妙なズレが、なんか気になるバンドである。まあ、この辺のもどかしさやムズ痒さに耐えつつ、異文化のトリコとなって行くのもワールド・ミュージック愛好の楽しみの一つなんだけどね。



インディオのセレナーデ

2005-10-10 04:38:06 | 南アメリカ


 毎年、夏の終わりには「今年こそは海辺のビア・ガーデンで沈み行く夕日など見ながらのんびりロス・インディオス・タバハラスを聞いてみたかったが、やっぱりダメだったなあ」とか思うのだった。まあ、いまどき、BGMにロス・インディオス・タバハラスをかけているビア・ガーデンもないだろうから、仕方ないのだが。まさかラジカセとか持って行って強引にかけるわけにも行かないじゃないか。

 昭和30年代、日本ではラテン音楽のブームがあったようで、それは日本の洋楽よりもむしろ歌謡曲の世界に多くその残滓を刻んだようだ。ラテン風演歌というものは歴然と存在しているし、ムード・コーラスグループにも、その原型をラテン・バンドに持つと推察されるものも珍しくない。
 あの頃、町にも普通にラテンのヒット曲が流れていたと、私の子供のころの記憶に残っている。買い物に行く母親についていった、その帰り道。母が友人との無駄話のために立ち寄った喫茶店でBGMとして流れていたのが、決まってロス・インディオス・タバハラスだったような気がする。

 ガットギターにより、装飾音を多く使った、まるで零れ落ちんばかりの甘美さで演奏されるラテンの名曲の数々。テ・キエロ・ディヒステ。ソラメンテ・ウナベス。アモール。ジャズ曲だが名演だった、スターダスト。そして出世作の、マリア・エレナ。

 ロス・インディオス・タバハラスはアメリカ大陸先住民の兄弟二人によって構成されたギター・デュオのチームであり、その出身は。
 と、ここで彼等のベストアルバムを取り出してその出身地を検めた私は、彼等がブラジル東北部の出身であることを今頃知って唖然としたのであった。南米は南米でもスペイン語圏に出自を持つ曲をレパートリーの中心においていたタバハラスであり、私はてっきり彼等をメキシコあたりの出身であるとこの歳まで信じ込んでいたのだ。それを頭において聞き直してみても、ブラジル曲の”イパネマの娘”などは、それほど”決まった”演奏とも思えず、やはり彼等の音楽上のホームグラウンドはスペイン語圏の南米のどこかと信じたくなる。

 というか、そもそも彼等は”血”で考えればそのどちらとも縁はないアメリカ大陸先住民、”インディオ”であって。そうなのだ、彼等の体内に流れていた”血”が歌っていた歌は、どんなものだったのだろう。ラテン・メロディの甘やかな機微を奏でることを天職としていたかのようなインディオスであるが。
 ブラジル曲ばかりではない、先住民文化の色濃い”鐘つき鳥”などというレパートリーもまた、達者ではあるが、彼等のずっと後に国際的認知を受けることとなるフォルクローレのミュージシャンたちの演奏と比べると、やはり何か違う、という思いにとらわれてしまう。やはりタバハラスはラテンの曲を甘く華麗に聞かせる時が一番だなあ、と。ラテンの曲。ヨーロッパからある日突然やってきて彼等の土地を奪い、居座った異邦人たちの音楽だ。本来は。

 今年も、海辺のビアガーデンという理想のコンディション(?)でロス・インディオス・タバハラスを堪能する、そんな願望は満たされぬまま夏は行ってしまった。
 ”時代”もあったろう。また、彼等自身のショー・ビジネスへ向けての考えもあったかもしれない。先住民の民族意識と、それを反映した音楽。なんてややこしい概念を持ち出し、押し付けるのもまた、そもそもがよそ者の勝手で余計なお世話のセンチメンタリズムじゃないのか。

 私の部屋に置かれたラジカセから小さな音で、インディオスの”ラモーナ”が流れている。ロス・インディオス・タバハラスの最初のヒット曲、”マリア・エレナ”がアメリカ合衆国においてヒットし、彼等が国際的成功を手中にしたのは1963年の夏のことだという。やがて思い出は歴史へと呼び名が変わってしまうだろう。どんな事を思いながら彼等は”ラテン音楽のスター”をやっていたのだろうな、その頃。


仏教ポップス”レー”の探求

2005-10-09 03:25:50 | アジア

 知らなかったんだけど、ワイポット・ペットスパンって、とっくに出家して仏門の人になっていたんですね。だから、仏教系ポップスの”レー”ばかりを取上げたアルバムなんか出したんだな。けどねえ、あの物凄い重量級のダミ声で御仏の教えとか説かれてもピント来ないでしょ?あの声はやっぱり、喧騒の町バンコックのダークサイドで、恐喝とかした方が。なんていったら叱られるか。
 そんな話を突然初めて、一体何人が理解できると言うのですかね、私も。そもそもタイ・ポップス愛好家が集うてぃんさんの掲示板においてさえ、ワイポットやレーの話題を出しても誰も食いついてこなかったんだものな。いわんや、この場においておや。

 ワイポット・ペットスパンというのは、タイ東北部、イサーン出身の大物男性歌手であります。といっても、歌うジャンルが民族色濃厚なタイのポップス、ルークトゥンだったりするんで、まあ、華やかな存在ってわけには行かないでしょう、現地でも。と言うか、思い切り泥臭い世界の住人である。
 で、私はこの、体形も人相も歌声自体も、まるで重戦車みたいな、この歌手が大好きでしてね、タイの歌手中、一番すきかもしれない。すでに何本かのカセットやCDを所持しているのですが、その岩石みたいな音楽世界、正面から浴びると、ガシンと爽快。
 で、そんな人が突然、出家しちゃったなんて情報が伝わって来たんで、意外だなあ、どんな事情があったのだろう?かの仏教国においては、仏門に入るなんて結構普通のことなのかしら?などと首をかしげている最中なのです。まあ、その後、新譜も出た事は出たけど、そのまま歌手活動を停止されたら、ファンとしては困るわけでして。
 
 で、ここでワイポットのアルバムについて話を始めるかと思いきや、ポーン・ピロムなる人のCDが、今、私の目の前にあったりするんですな。いや、先日、手に入れたばかり。先にワイポットが仏教系ポップスを取上げたアルバムを出した、なんて書きましたが、そのアルバムはすなわち、このポーン・ピロムのかってのヒット曲のカヴァー集でもあるのでして。ひょっとしてワイポット、この人の生き方に憧れて出家をしたのかも知れず。
 ピロムは60年代、先にちょっと名を出しました”レー”なる音楽の人気者であったんですが、70年代に歌手稼業を引退して仏門に入ってしまったって人なんです。で、”レー”なる音楽、まだまだ詳細が分からないんですが、どうやら僧侶がお経を上げる際の節回しから発生した大衆音楽、とのこと。

 音楽の構造としては、土着ポップスのルークトゥンと近いものがあるんですが、やはり歌手の独特の節回しに不思議な魅力があります。ある種、ヨーデルみたいに声を裏返しつつ、織り成されて行くメロディラインは独特のものがあり、なるほど、お経より発した歌声なんだなあ、と納得させられるものがある。
 サウンドのほうも、ギターやアコーディオンといった”普通の”楽器に混じって、これは我々にも近しい仏具である仏壇の鐘、さらには錫丈の如きものをスタジオに持ち込んで鳴らしているのでは?とも思える仏教系?パーカッションが取り入れられた曲もあり。
 それらが織り成す複合リズムと、ピロムの地味ながらも妖気を秘めた歌声が絡み合う様子は、仏教国タイの真ん中でひそやかに咲き誇る蓮の花の上の音楽、なんて呼びたくなる至福感を伝えてきてなかなかに心地よく、ワシも一つ仏門に入っちゃおうか、なんて気もおこしかねない今日この頃なのであります。

(ポーン・ピロムの画像が見つからなかったんで、タイの寺院のものでご容赦。というか、タイ文字も分からないし、かの国の文物をどうやって検索したらいいのやら、それが分かりません)