人間の本能的感情に「怒り」があるが、通常、怒りの感情が起きるのは、他人等から肉体的、精神的危害を加えられたとき、不当に搾取、あるいは損害を与えられたときなど、限定的な体験をきっかけに生じるものであり、怒りの感情を感じ放出すればたいていは時間の経過とともに収束していく。
しかしこのような限定的な体験によるものではなく、日常、絶え間なく怒りの感情が発生し、それによる不快感に苦しんでいる人がいる。
収束することの無い怒りの感情が日々蓄積されていくと、その堪えがたい不快感を解消するために人は様々な手段を採る。
例えば次のようなものだ。
①怒りの感情を意識から排除し、無意識に追いやる。
これはよくある解決方法だ。怒りを感じているにもかかわらず、怒りを感じていないように自分にウソをついてしまうということだ。
しかしこの解決方法の代償は大きい。早晩、抑うつ状態から鬱病などに進展し、怒りの感情が無意識の深いところまでしまわれてしまうと、怒りの感情を取り戻すこと自体が非常に困難な状態にまでなってしまう。自殺するのはこのタイプである。
②安全な標的に怒りの感情を吐き出し、一時的な解決を試みようとする。
これもよく見かける解決方法だ。代表的なのは、幼児、児童虐待、配偶者や交際者に対するDV(ドメスティックバイオレンス)、いじめ、ハラスメントなどだ。
この場合の特徴は怒りを向ける対象が、無抵抗な存在であること。反撃してくるような存在には決して向けない。自分が傷つくリスクがあるからだ。対象が無抵抗なので怒りの感情が一時的に放出されつくすまで実行される。
あとはなかなか見抜けない手段であるが、正義、正論でもって特定の人を過度に批判、中傷、誹謗するやり方である。
これも最も安全な標的(例えば自国の首相、不正やミスを犯した人、共通の不快感を感じる人など)に対し、また自分を最も安全な状況(匿名)下において実行されることが多い。新聞の読者投稿欄やネットの書き込みなどで散見される。
ターゲットが多くの人々の共通の敵だという認識があると、実行されやすい。
また商品に対するクレーマーや学校の先生に対するモンスター・ペアレントと言われる人もこの類だと思われる。
③ある偶然の出来事をきっかけに蓄積された怒りが爆発して長時間にわたり攻撃を行う。
例えば、電車内で体がぶつかったことに腹をたて、ぶつかった相手に長時間に渡って暴言を浴びせかけるような場合、車で追い越し等をされて逆切れされる場合などである。
④無差別の人を対象に怒りを放出する。
近年世間を騒がせたいくつかの凶悪な事件などに例をみることができる。
蓄積された怒りの感情がもはや制御できなくなり、また弱いものいじめで解消することに否定的な価値観を持つような人が、反社会的動機、被害妄想的な動機で無関係な人を攻撃する場合である。
凶悪までいかなくても、騒音などの嫌がらせもこの類に属する。
マイナス感情の中でもこの怒りはとくに強い感情であり、この感情を感じ続けることは大変な不快感とエネルギーを消費するものであるから、人間は本能的に回避または外に吐き出そうとする。
では何故この辛い怒りの感情は外に吐き出しても吐き出しても絶えず再生産されてくるのだろうか。
まずこの怒りの感情が起きる元の原因が何であったかを探る必要がある。
人間は本来、生まれながらにして自尊心を持ち感情を安定にさせて生きていけるようプログラミングされているものである。
しかし生育過程で、親など重要な人間からの虐待、学校でのいじめ、パワハラなど強い心的外傷を受け、なおかつその外傷を与えた人物に対し怒りの感情を向ける、あるいは怒りを意識することが出来なかった場合、その人の心の中でどのような変化が生じるであろうか。
向けるべき怒りを外傷を与えた人間ではなく、自分自身に向けてしまうのではないか。
外傷を与える人間は、自分のどうすることも出来ない怒りを一時的にでも解消させようと、怒りの矛先である人間が跳ね返すことなく、逆にその人が自分自身に怒りを向けたことでダメージを被ることを本能的に求めて遂行するからである。
だから弱い立場の人間や、真面目で心が純粋な人間は怒りを向けられたのは自分のせいだ、と受け止めてしまう。
つまり「相手が怒るのは自分のせいだ、自分が悪いからだ、自分に原因があるからだ」と受け止めてしまう。
そしてなんら問題、落ち度の無い自分を悪い人間と認識し、そのような自分を憎み、自分自分に対し怒りを向けてしまう。
そして人から二度と責められないように、自分を駆り立て、追い込む行動パターンを自ら課し、そのパターンを潜在意識に定着させていく。
このような人は幼い頃からの生育過程で、同様の体験の繰り返しでますますこのパターンを強化していったと考えられる。
24時間、絶えず、本来の実際の自分を憎み、嫌い、罵倒するとともに、人から攻撃されないような人間になるべく自分自身を駆り立てる衝動を感じ続けているとしたら、その人の心の中ではどのようなことが起きていると想像出来るだろう。
そのことで絶えず、怒りの感情が生産されていると思われないだろうか。
これが怒りを吐き出しても吐き出しても解消されない原因である。
この怒りを絶えず発生させるパターンが自分の意識外の潜在意識において発動していることに気付かない限り、冒頭に述べた虐待やDVは永遠に続くであろう。
ではこの状態から抜け出すにはどうしたら良いのだろうか。
それはまず自分が無意識に自分自身に対し行っていることに気付くしかない。
目の前にいるもう一人の自分、それは本来の実際の自分であるが、そのもう一人の自分を絶えず24時間、サンドバックのように殴ったり蹴ったりしているということに気が付くことである。
このような人は苦しくて苦しくて人から容易に理解出来ない程の状態にいるのに、自分自身がやっていることや自分の心の状態がどうなっているかに向き合おうとしていないことが多い。
そのため最も安易な解決方法である、何ら落ち度のない無関係の人を犠牲にして苦しみから逃れようとしているし、その現実に全く気付いていない。
虐待やDV、誹謗、中傷が麻薬のようになってしまってやめられないのである。
このような人を立ち直らせることは非常に難しいと言われている。
本人に気付きが得られないからである。
だからこのようなタイプの人(上記②~④のような人)とは極力関わらないようにした方が良い。
このようなタイプの人と関わると自責タイプの人は餌食にされて死ぬまで攻撃され続けるであろう。
しかし、このようなタイプの人でも自分の現実に向き合う覚悟が出て来たのであれば、再生の可能性は十分にある。
再生するためには、今までサンドバックの如く殴り蹴ってきた本来の自分を発見し、意識するしかない。
しかしそのことに気付くことが出来れば、良心が少しでも消えないで残っているのならば、今まで罵倒し続けてきた本来の自分に対する見方、接し方を変えることは出来るのではないか。
「心底、かわいそうなことをしてしまった。それも長い間、絶えず」と感じることが出来るのではないか。
これが出来るかどうか分岐点と言える。
しかしこのことに気付いても、長年、潜在意識に刷り込まれ定着したパターンを壊していくことは容易ではない。
意識で簡単に制御できるものではないからである。長い時間を覚悟しなければならない。
しかし分岐点を超えれば時間はかかるが後もどりすることはないであろう。
強い意志と忍耐力が必要ではあるが。
自分自らが傷つけてきた本来の自分と和解し、暖かい眼差しを向けることが出来るようになれれば、一歩一歩長い石段をゆっくりと昇っていくように解決に向かっていけると確信している。
そして、本来の自分を罵倒し続けた自分に対しても、最終的には自分自身で受け入れて許してあげることも回復の為には重要であることも言っておきたい。
しかしこのような限定的な体験によるものではなく、日常、絶え間なく怒りの感情が発生し、それによる不快感に苦しんでいる人がいる。
収束することの無い怒りの感情が日々蓄積されていくと、その堪えがたい不快感を解消するために人は様々な手段を採る。
例えば次のようなものだ。
①怒りの感情を意識から排除し、無意識に追いやる。
これはよくある解決方法だ。怒りを感じているにもかかわらず、怒りを感じていないように自分にウソをついてしまうということだ。
しかしこの解決方法の代償は大きい。早晩、抑うつ状態から鬱病などに進展し、怒りの感情が無意識の深いところまでしまわれてしまうと、怒りの感情を取り戻すこと自体が非常に困難な状態にまでなってしまう。自殺するのはこのタイプである。
②安全な標的に怒りの感情を吐き出し、一時的な解決を試みようとする。
これもよく見かける解決方法だ。代表的なのは、幼児、児童虐待、配偶者や交際者に対するDV(ドメスティックバイオレンス)、いじめ、ハラスメントなどだ。
この場合の特徴は怒りを向ける対象が、無抵抗な存在であること。反撃してくるような存在には決して向けない。自分が傷つくリスクがあるからだ。対象が無抵抗なので怒りの感情が一時的に放出されつくすまで実行される。
あとはなかなか見抜けない手段であるが、正義、正論でもって特定の人を過度に批判、中傷、誹謗するやり方である。
これも最も安全な標的(例えば自国の首相、不正やミスを犯した人、共通の不快感を感じる人など)に対し、また自分を最も安全な状況(匿名)下において実行されることが多い。新聞の読者投稿欄やネットの書き込みなどで散見される。
ターゲットが多くの人々の共通の敵だという認識があると、実行されやすい。
また商品に対するクレーマーや学校の先生に対するモンスター・ペアレントと言われる人もこの類だと思われる。
③ある偶然の出来事をきっかけに蓄積された怒りが爆発して長時間にわたり攻撃を行う。
例えば、電車内で体がぶつかったことに腹をたて、ぶつかった相手に長時間に渡って暴言を浴びせかけるような場合、車で追い越し等をされて逆切れされる場合などである。
④無差別の人を対象に怒りを放出する。
近年世間を騒がせたいくつかの凶悪な事件などに例をみることができる。
蓄積された怒りの感情がもはや制御できなくなり、また弱いものいじめで解消することに否定的な価値観を持つような人が、反社会的動機、被害妄想的な動機で無関係な人を攻撃する場合である。
凶悪までいかなくても、騒音などの嫌がらせもこの類に属する。
マイナス感情の中でもこの怒りはとくに強い感情であり、この感情を感じ続けることは大変な不快感とエネルギーを消費するものであるから、人間は本能的に回避または外に吐き出そうとする。
では何故この辛い怒りの感情は外に吐き出しても吐き出しても絶えず再生産されてくるのだろうか。
まずこの怒りの感情が起きる元の原因が何であったかを探る必要がある。
人間は本来、生まれながらにして自尊心を持ち感情を安定にさせて生きていけるようプログラミングされているものである。
しかし生育過程で、親など重要な人間からの虐待、学校でのいじめ、パワハラなど強い心的外傷を受け、なおかつその外傷を与えた人物に対し怒りの感情を向ける、あるいは怒りを意識することが出来なかった場合、その人の心の中でどのような変化が生じるであろうか。
向けるべき怒りを外傷を与えた人間ではなく、自分自身に向けてしまうのではないか。
外傷を与える人間は、自分のどうすることも出来ない怒りを一時的にでも解消させようと、怒りの矛先である人間が跳ね返すことなく、逆にその人が自分自身に怒りを向けたことでダメージを被ることを本能的に求めて遂行するからである。
だから弱い立場の人間や、真面目で心が純粋な人間は怒りを向けられたのは自分のせいだ、と受け止めてしまう。
つまり「相手が怒るのは自分のせいだ、自分が悪いからだ、自分に原因があるからだ」と受け止めてしまう。
そしてなんら問題、落ち度の無い自分を悪い人間と認識し、そのような自分を憎み、自分自分に対し怒りを向けてしまう。
そして人から二度と責められないように、自分を駆り立て、追い込む行動パターンを自ら課し、そのパターンを潜在意識に定着させていく。
このような人は幼い頃からの生育過程で、同様の体験の繰り返しでますますこのパターンを強化していったと考えられる。
24時間、絶えず、本来の実際の自分を憎み、嫌い、罵倒するとともに、人から攻撃されないような人間になるべく自分自身を駆り立てる衝動を感じ続けているとしたら、その人の心の中ではどのようなことが起きていると想像出来るだろう。
そのことで絶えず、怒りの感情が生産されていると思われないだろうか。
これが怒りを吐き出しても吐き出しても解消されない原因である。
この怒りを絶えず発生させるパターンが自分の意識外の潜在意識において発動していることに気付かない限り、冒頭に述べた虐待やDVは永遠に続くであろう。
ではこの状態から抜け出すにはどうしたら良いのだろうか。
それはまず自分が無意識に自分自身に対し行っていることに気付くしかない。
目の前にいるもう一人の自分、それは本来の実際の自分であるが、そのもう一人の自分を絶えず24時間、サンドバックのように殴ったり蹴ったりしているということに気が付くことである。
このような人は苦しくて苦しくて人から容易に理解出来ない程の状態にいるのに、自分自身がやっていることや自分の心の状態がどうなっているかに向き合おうとしていないことが多い。
そのため最も安易な解決方法である、何ら落ち度のない無関係の人を犠牲にして苦しみから逃れようとしているし、その現実に全く気付いていない。
虐待やDV、誹謗、中傷が麻薬のようになってしまってやめられないのである。
このような人を立ち直らせることは非常に難しいと言われている。
本人に気付きが得られないからである。
だからこのようなタイプの人(上記②~④のような人)とは極力関わらないようにした方が良い。
このようなタイプの人と関わると自責タイプの人は餌食にされて死ぬまで攻撃され続けるであろう。
しかし、このようなタイプの人でも自分の現実に向き合う覚悟が出て来たのであれば、再生の可能性は十分にある。
再生するためには、今までサンドバックの如く殴り蹴ってきた本来の自分を発見し、意識するしかない。
しかしそのことに気付くことが出来れば、良心が少しでも消えないで残っているのならば、今まで罵倒し続けてきた本来の自分に対する見方、接し方を変えることは出来るのではないか。
「心底、かわいそうなことをしてしまった。それも長い間、絶えず」と感じることが出来るのではないか。
これが出来るかどうか分岐点と言える。
しかしこのことに気付いても、長年、潜在意識に刷り込まれ定着したパターンを壊していくことは容易ではない。
意識で簡単に制御できるものではないからである。長い時間を覚悟しなければならない。
しかし分岐点を超えれば時間はかかるが後もどりすることはないであろう。
強い意志と忍耐力が必要ではあるが。
自分自らが傷つけてきた本来の自分と和解し、暖かい眼差しを向けることが出来るようになれれば、一歩一歩長い石段をゆっくりと昇っていくように解決に向かっていけると確信している。
そして、本来の自分を罵倒し続けた自分に対しても、最終的には自分自身で受け入れて許してあげることも回復の為には重要であることも言っておきたい。