本日は
ロボットの日なんだそうでございます。
ロボットみたいな人の話をいたしましょうか。
PATRICK WOLFというシンガーソングライターが新曲"HARD TIMES"のPVでプレスリーとクラウス・ノミへのトリビュートをしてらっしゃるのだそうです。
PATRICK WOLF - "HARD TIMES"
おおっ
確かにちょっとノミっぽい!
でもって、いますよ、いますよ、何かカクカク動いている逆三角形のものが!
ああして両側にずらりと並んでいる様はなかなかに壮観でございますね。
ロボット風にカクカク動いているけれどもどう見ても人間がやってます的な動きの荒さというか不揃いさですとか、オブジェのように静止していてもゆらゆら動いてしまう「うそっこオブジェ」感もよろしうございます。蛍光色ともども微妙に安っぽく、とてもノミ的でございます。
CGで何でもできる昨今でございますから、完璧にロボットのような動きを再現することもやろうと思えばできたはず。それはそれで面白いものになったかもしれませんが、あまりノミ的とは言えないような気がいたします。
そう、あんな人間離れした恰好でカクカク動いてはいるものの、ノミはちっ とも本物のロボットには見えません。ロボットダンスが下手っぴいだからでございます。ヤツをこよなく愛するワタクシとて、「あれはわざと下手に躍っているのだ」などと言うつもりはございません。あれが精一杯だったのでございましょう。
そして、それでよかったと思います。当のろやで再三申しておりますように、あのみえみえな作り物感、まがいもの感はヤツの魅力のひとつだからでございます。
”COLD SONG”を始めとしたオペラナンバーは別として、ヤツのパフォーマンスはどれもこれも、昔のB級SF映画のようにわざとらしく、うきうきするほど馬鹿馬鹿しく、滑稽で、突拍子もなく、そしてほんの少し、もの哀しい。
本日のノミ話はヤツがうそっこロボットであることと絡めて、この「ほんの少しのもの哀しさ」にフォーカスしてみようかと。
ノミのことを知った当初は、のろがヤツの歌にもの哀しさを感じるのは、何を聴いてもその早すぎる死を思ってしまうからかしらん、と考えておりました。しかしノミが元気で歌っていた当時のプレスですでに「哀しき道化師」という言葉が一度ならず使われていることから考えても、ヤツのパフォーマンス、ひいては「歌う変異体クラウス・ノミ」という存在そのものが、演者の運命とは関わりなくそれ自体のもの哀しさを宿していると見てもよろしいのではないでしょうか。
そのもの哀しさは、ひとつには周りの世界とあまりにも馴染まないがゆえの孤立感の哀しみと見ることができましょう。
またひとつには、フランスのリベラシオン紙などが正しく表現しているように、道化師の哀しみであると申せましょう。
演者自身は決して哀しみを意図しておらず、それどころか観客を楽しませることに全力を傾けているにもかかわらず、観客の心に、いわば勝手に湧いてしまう哀しみ。
その哀しみとは一体何でございましょうか。
笑いを誘う挙動は、本当は観客を喜ばせるための真剣な演技であるということ。
そして観客の反応がどうであろうと、人目にさらされている限り、道化師の役を降りることは許されないということ。
いずれにしても、道化の顔の裏側にある、道化ならぬ人間の存在が哀しみと結びつくのでございます。
ノミのロボットと言うにはあまりに人間らしい動き、あまりに人間臭い歌声は、白塗りの顔とプラスチックのタキシードの向こうで一生懸命、大真面目にロボットを演じるひとの存在を示さずにはおきません。
だからこそヤツの歌もPVも、しばしば爆笑に値するくらい可笑しいにもかかわらず、一抹のもの哀しさをたたえているのではないでしょうか。
TH(トーキングヘッズ)叢書編集長の沙月樹京(鈴木孝)氏はヤツのロボット姿についてこうおっしゃっています。
なら彼は、人間性を捨てて機械になろうとしていたのか-----おそらくそれは正しくないだろう。彼は「シンプル・マン」なのだ。「シンプル・マン」は自分ができる範囲内のシンプルなことをするんだ、と彼は歌う。複雑で回りくどいことを目論んだりせず、歌を歌いたいならただ歌を歌っていようという単純な考えであり、その愚直さがロボット的な容姿に託されているのではないだろうか。 TH叢書No.18 p.99
ロボットが愚直さの象徴であるなら、それを更に愚直に、一生懸命に、それでもなおちょっと下手っぴいに演じざるをえなかったひと、そしてそんなナイーヴな姿でもって人々に大きなインパクトを与え、今もって与え続けているひとを何と呼んだらいいのでございましょう。
ヤツはその姿恰好のみならず、そのありよう自体が道化的であり、破壊的な可笑しさと、ほんの少しのもの哀しさを兼ね備えた存在であった/あるのであろうと思います。
ノミ自身がこうしたもの哀しさを意識していたかどうかは不明でございます。
しかし”SIMPLE MAN”の終盤あたりを見ますと、ああこのひと分かってやってたのかな、とも思うのでございます。
Klaus Nomi - Simple Man
ロボットの日なんだそうでございます。
ロボットみたいな人の話をいたしましょうか。
PATRICK WOLFというシンガーソングライターが新曲"HARD TIMES"のPVでプレスリーとクラウス・ノミへのトリビュートをしてらっしゃるのだそうです。
PATRICK WOLF - "HARD TIMES"
おおっ
確かにちょっとノミっぽい!
でもって、いますよ、いますよ、何かカクカク動いている逆三角形のものが!
ああして両側にずらりと並んでいる様はなかなかに壮観でございますね。
ロボット風にカクカク動いているけれどもどう見ても人間がやってます的な動きの荒さというか不揃いさですとか、オブジェのように静止していてもゆらゆら動いてしまう「うそっこオブジェ」感もよろしうございます。蛍光色ともども微妙に安っぽく、とてもノミ的でございます。
CGで何でもできる昨今でございますから、完璧にロボットのような動きを再現することもやろうと思えばできたはず。それはそれで面白いものになったかもしれませんが、あまりノミ的とは言えないような気がいたします。
そう、あんな人間離れした恰好でカクカク動いてはいるものの、ノミはちっ とも本物のロボットには見えません。ロボットダンスが下手っぴいだからでございます。ヤツをこよなく愛するワタクシとて、「あれはわざと下手に躍っているのだ」などと言うつもりはございません。あれが精一杯だったのでございましょう。
そして、それでよかったと思います。当のろやで再三申しておりますように、あのみえみえな作り物感、まがいもの感はヤツの魅力のひとつだからでございます。
”COLD SONG”を始めとしたオペラナンバーは別として、ヤツのパフォーマンスはどれもこれも、昔のB級SF映画のようにわざとらしく、うきうきするほど馬鹿馬鹿しく、滑稽で、突拍子もなく、そしてほんの少し、もの哀しい。
本日のノミ話はヤツがうそっこロボットであることと絡めて、この「ほんの少しのもの哀しさ」にフォーカスしてみようかと。
ノミのことを知った当初は、のろがヤツの歌にもの哀しさを感じるのは、何を聴いてもその早すぎる死を思ってしまうからかしらん、と考えておりました。しかしノミが元気で歌っていた当時のプレスですでに「哀しき道化師」という言葉が一度ならず使われていることから考えても、ヤツのパフォーマンス、ひいては「歌う変異体クラウス・ノミ」という存在そのものが、演者の運命とは関わりなくそれ自体のもの哀しさを宿していると見てもよろしいのではないでしょうか。
そのもの哀しさは、ひとつには周りの世界とあまりにも馴染まないがゆえの孤立感の哀しみと見ることができましょう。
またひとつには、フランスのリベラシオン紙などが正しく表現しているように、道化師の哀しみであると申せましょう。
演者自身は決して哀しみを意図しておらず、それどころか観客を楽しませることに全力を傾けているにもかかわらず、観客の心に、いわば勝手に湧いてしまう哀しみ。
その哀しみとは一体何でございましょうか。
笑いを誘う挙動は、本当は観客を喜ばせるための真剣な演技であるということ。
そして観客の反応がどうであろうと、人目にさらされている限り、道化師の役を降りることは許されないということ。
いずれにしても、道化の顔の裏側にある、道化ならぬ人間の存在が哀しみと結びつくのでございます。
ノミのロボットと言うにはあまりに人間らしい動き、あまりに人間臭い歌声は、白塗りの顔とプラスチックのタキシードの向こうで一生懸命、大真面目にロボットを演じるひとの存在を示さずにはおきません。
だからこそヤツの歌もPVも、しばしば爆笑に値するくらい可笑しいにもかかわらず、一抹のもの哀しさをたたえているのではないでしょうか。
TH(トーキングヘッズ)叢書編集長の沙月樹京(鈴木孝)氏はヤツのロボット姿についてこうおっしゃっています。
なら彼は、人間性を捨てて機械になろうとしていたのか-----おそらくそれは正しくないだろう。彼は「シンプル・マン」なのだ。「シンプル・マン」は自分ができる範囲内のシンプルなことをするんだ、と彼は歌う。複雑で回りくどいことを目論んだりせず、歌を歌いたいならただ歌を歌っていようという単純な考えであり、その愚直さがロボット的な容姿に託されているのではないだろうか。 TH叢書No.18 p.99
ロボットが愚直さの象徴であるなら、それを更に愚直に、一生懸命に、それでもなおちょっと下手っぴいに演じざるをえなかったひと、そしてそんなナイーヴな姿でもって人々に大きなインパクトを与え、今もって与え続けているひとを何と呼んだらいいのでございましょう。
ヤツはその姿恰好のみならず、そのありよう自体が道化的であり、破壊的な可笑しさと、ほんの少しのもの哀しさを兼ね備えた存在であった/あるのであろうと思います。
ノミ自身がこうしたもの哀しさを意識していたかどうかは不明でございます。
しかし”SIMPLE MAN”の終盤あたりを見ますと、ああこのひと分かってやってたのかな、とも思うのでございます。
Klaus Nomi - Simple Man
3月くらいに一度だけちっちゃくコメントした事がある者です
しょうもないことなのですが、
のろやさんの他に私が知っているノミファンがいないもので
思わず書き込みしちゃいました!
昨日、「スッキリ」というワイドショー番組を見ておりましたら、レディー・ガガという米セレブ歌手が生出演してファッションについて語っていたのです。
わたしは英語が1ミクロも分からないのですが
たしかにレディー・ガガさんは
「~~~~(聞き取れない)~~Klaus Nomi~David Bowie~」
とおっしゃったんです(¨!)
なのに極楽とんぼの加藤めが
レディー・ガガのレオタードに食いついたせいで
通訳さんが
レディー・ガガが少しだけ触れたクラウス・ノミについて、まったく訳してくれなかったのです…
せっかくKlaus Nomiというフレーズ飛び出したのに!
いや、まあ、それだけの話なんですけど!笑
ただ、メディアにKlaus Nomiの名前が(ましてやお昼のワイドショーで)出るなんて、にわかファンの私にはものすごい感動だったのです、はい。
ではでは、失礼いたしましたm(_ _)m
レディ・ガガさんというのは当のろや5/15記事のコメントで
HannaH様が教えてくだすった方ですね。
この時はノミみたいな恰好の画像も映像も見つけられなかったのですが、今回改めてあさってみた所、黒クチビル&黒ネイル姿の映像を発見できました。
第一印象は「うわスゲー恰好」
しかし考えてみると全身タイツにプラスチックタキシードにスリーポイントヘアといういでたちの方がよっぽどスゲー恰好ですね。免疫がついてしまっている自分に気付かされました。
動いているお姿はあまりにもセクシーなのでノミよりむしろマドンナを連想しましたが、ノミの名前を出してくだすったというのは、やはり影響を受けてらっしゃるということなのでしょうね。
今をときめくポップアイコンがヤツに言及してくれるなんて、実に喜ばしい。
なのに通訳さんの口には上らなかったとは...おお、おお、何と無念な。
口から火を噴いて怒らねばなりますまい。
が お ー
しかし英語は分からないとおっしゃりながらKlaus Nomiという単語をばっちり聞き取られたしおり様、やりますね。ファンの鑑と呼ばせていただきましょう。
自分と同じ位のテンションで(苦笑)ノミを好きな
お方とお見受けしますので、とても嬉しくニヤつきながらいつも拝読させて頂いております。
さてレディーガガ嬢ですがこの映像↓
http://www.youtube.com/watch?v=SyhIK6vx8MQ
の2:00位の所で、明らかにノミな衣装イラストが
出て来ますね。彼女自身ノミの影響を受けて
いらっしゃるのかどうか定かではありませんが、
今期のゴルチェがノミにインスパイアされた
コレクションを展開していますので↓
http://www.youtube.com/watch?v=j5y10n0L-c8
ゴルチェ経由でファッション的に影響を受けて
いるのかもしれませんねー。
しかし何年か前のアンダーカバーのコレクションでも
ノミがフューチャーされてましたし、デザイナーの
感性を奮い立たせるツボを突くのでしょうかね!?
ワタクシのノミ話を引かずにお読みくださるとは、
貴方様もなかなかに危篤なお方とお見受けいたしました。
お目にかかれて至極光栄でございます。
お目にかかってはいないって。5
まあまあ細かいことはおっしゃらずに。
LADY GAGAの映像、ありがとうございました。
こっ こりゃあノミですね!ノミですとも!
冒頭の"Lade Gaga has been sent to the Earth云々"というのもちょっとノミぽいですね。
口調はクラフトワークの”RADIOACTIVITY”を思い出しましたけれども。
ゴルチエの方は全く存じませんでした。
こちらもかなりノミぽいですね。
ああ、こんなのヤツが着たらたいそう可愛かっただろうに。
美脚は言わずもがな、あのポキンと折って食べたいような
細い二の腕と細い首の持ち主ですもの。
アンダーカバーというのは恥ずかしながらブランド自体を存じませんでした。
一瞬これのことかしらん?と思ったのですが、全然関係なかったですね。
http://plusjoe.blogspot.com/2009/01/gareth-pugh-loves-klaus-nomi.html
>デザイナーの感性を奮い立たせるツボ
そうですねえ、ここ数年なぜか80’sの音楽やファッションが
リバイバルしておりますから、その関係もあるとは思いますが
これについてはもっとよく考えてみたい所です。
と言うのも、ワタクシはヤツがしばしば言われるような
単なる「ニューウェーヴのあだ花」では、ないと思っておりますので。
それにしてもいろいろ情報をありがとうございました。
ノミファンを自称しながら至らぬことの多いのろ、
ノミ情報あさりにますますもって精進したいと思います。
ノミの事については全く触れられていませんが(泣)
使用された曲だけはわかります。しかしこの選曲、ゴブリン以外は全部ドイツ人ですねー。
のろさんの上げられてるリンク先、全然知りませんでした。写真が可愛いすぎてひきつけおこしそうです!
全然関係ありませんが、本日某コミュニティーサイト徘徊中、昔イーストヴィレッジに住んでた方の書き込みを偶然発見。コインランドリーで良くノミと一緒になってお話されてたそうです。元々細かったけど、随分痩せたのでドラッグか?と思ってたら亡くなったとの事。当時のNYでノミと話されたなんて、自分から見たらまるで夢の中のおとぎ話の様です!
そんな訳で今日はちょっとコーフン中です。
嗚呼、病気ですね...。
さらなるノミ情報、ありがとうございます。
NOMI CHANT→DEATHという流れはちと恐いですね笑
>写真がかわいすぎて
上の方は映画『ノミ・ソング』の英語版HPのトップ画像ですね。
下の方は、ZA BAKDAZを買ったらポスター貰えましたよ。やっほう!
色あせるのは嫌なので貼っておりませんが。
http://zabakdaz.com/
>元々細かったけど、随分痩せたのでドラッグか?と思ってたら亡くなった
これは...ずんと来ました。
いや、ズ ウ ゥ ゥゥン ン
ヤツが活動休止しているのでもなく、宇宙を旅しているのでもなく
単に死んでしまったのだと言う事実に、こう具体的に直面すると
やっぱりこたえます。今さらではありますが。
しかし日常的にノミとお話なさっていたというその方は
まあ~、も~、うらやましいかぎりですね。
顔を合わせる場所がコインランドリーというのがまた
生活感ありありでいい感じです。
やっぱり他の「アーティストの卵」たちと同様
安いフラットでビンボー生活をしていたんでしょうね。