某所で、私がここに以前記した、映画”ラウンド・ミッドナイト”批判に対する反論とも思える文章を見つけた。いやいや、これは私の狭い心がそんな風に被害妄想を感じさせるのであって、その文章を書いた人は、その人なりの感想をそれとは関係なく書かれたに違いないのですが、「もし反論だったら」との、まあ、シュミレーションとしての再反論を行ってみたくなった次第。
その方は、なんかミュージシャンでおられるらしいのですが、下のように書かれております。
>なにか、クラシックVSジャズという単純な図式で、単純に考えて
>いる方も居るようだが、ジャズと言われる音楽はもともと、クラ
>シック、ミュージカル、ポップス、それに黒人のもともと持って
>いた、黒人霊歌、ブルースなどがルーツであり、色々な人の手に
>よってだんだん混じりながら発達してきたもので、そんな単純な
>ものではないはず。
もしこれが私の、あの映画に対する批判への反論だったとしたら、いや、反論では無いでしょうけどね、もしそうだったらとの空想の上での話ですが、この人は私の文意をまるで読めていない。ジャズがさまざまな音楽を吸収しつつ発展してきた事など、よーく分かっております、あなたに言われなくとも。私はそんな話をしているのではない。私をそんなに単純な人間とお考えですか?(それに黒人霊歌やブルースも、あなたが言われるように”黒人のもともと持っていた”ものと一概に言いきれるかどうか?あれらもまた、西欧文明とのせめぎ合いの中から発生してきたものではないのですか?)
私はあの映画のあの場面で、「クラシックも聴くよ」と黒人ミュージシャンに発言させる事の人種的政治的意味はどうなのだ?と問うているのですよ。他民族の文化を政治的に利用する事の罪を問うているのですよ。
もう一度、私の文章を、その点に注意しつつお読みいただければ、お分かりいただけると思います(そしてそもそも、あの映画のあの部分は、”ジャズの成立と発展の経緯を問う”なんて会話の流れになっていたかどうか?)
そしてこの人は続けます。
>黒人の世界だけで発展させたらどうなるかは
>アフリカの音楽をいろいろ聴いてみたらいい。
この文脈から解釈すると、この人は、ジャズはさまざまな音楽の混合物であり、その結果、素晴らしいものになっているが、黒人の世界だけで発展させた音楽などというものは”単純なもの”であり、ろくに聞く価値も無いものにしかならない、と考えておられるようだ。そう読めますよね、その前段で「混合物としてのジャズ」を賞揚し、「そんなに単純なものではない」と断じた後、上の発言、「黒人の世界だけで発展させたら」に繋がるのだから。
この部分、どのくらいひどいかはアフリカの音楽を聴いてみれば分かるけどね、なんて意味を含めているとするならば、まさにワールドミュージック・ファンに喧嘩を売る行為であります。
それ以前に、この人に伺いたい。あなたはきちんとアフリカ音楽を聴いた事があるのか?と。あれが、「黒人の世界だけで発展させた」と言えるものであるかどうか。
アフリカの大衆音楽こそまさに、さまざまな音楽文化の混合物ではありませんか。そんな事も聞き取れない耳をお持ちですか?まさか、あの広大無辺で分厚い文化の層を誇るアフリカの音楽を、「民俗音楽のアルバムを”参考のために”若干聴いたのみ、今日に生きるアフリカのポピュラー音楽は無視」、なんて程度の知識を持って上のような語り方をする、そんな無責任は、なされませんよね?
まあ、実はこの最後の部分に非常に義憤を感じまして、以上の文章を一気に書き上げた次第です。非常にやりきれない気分です。