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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

フランスの”暴動”に捧ぐ

2005-11-08 02:25:44 | 時事

 下は、この夏に書いた文章なんですが、今現在、パリに発し、フランス各地に飛び火する勢いを見せている移民たちの”暴動”のニュースに接するうち、この場でも皆さんに読んでいただきたくなり、ここに公開する次第です。

 ~~~

 もう10数年も前になりますか、あの”ウィー・アー・ザ・ワールド”ブームの際、発売された”飢えたアフリカ”救済を訴えるビデオに、「彼等劣ったアフリカ人でも、我々ヨーロッパ人の助けがあれば、うまく国を運営して行くことが出来るのだ。どうか彼等への援助に協力を!」なる呆れたコメントが差し挟まれていて、それが音楽雑のレヴューなどでも問題になったのは、忘れられない事件でした。”証拠物件”としてそのビデオを購入しておけば良かったと後悔していますが。

 ヨーロッパの人間がアジア・アフリカの人々を見る視線、多くがこんな具合で、それらの地を植民地支配していた当時と何も変っていないと思い知らされます。
 「何が正しく何が間違っているかは我々ヨーロッパ人が決める。お前ら”現地人”は小ざかしいことを考える必要はないし、そうする権利もない。お前たちはただ、我々の決定に従い、施される慈悲をありがたく受け取っておればいいのだ」そんな上から見下ろす視線が、アジア・アフリカ諸国と対峙する際のヨーロッパ人の意識内には露骨に屹立している。それは、微妙な存在ながらも”アジア人””有色人種”の一員たる自分には相当に不愉快でもあり、また空恐ろしくもある。

 先日私はある掲示板で、イラクにおける取材中に現地の反政府武装勢力に捕虜となったフランス人女性記者が解放されたことを、まさに有頂天で語る、ある書き込みを見て、大いに違和感を感じたのでした。
 その人物は書いていました。「彼女の素晴らしい笑顔がフランスのほとんどの週刊誌の表紙になっていた」「さながらスター誕生の態」と。あるいは、「今,フランスで最も愛されている人物は彼女」「私も私の家族も完全にこの女性に魅了されました。しばらくこの熱は続くでしょう」と。まるで英雄扱い。読んでいると、まるで彼女の解放によってイラクにおける戦火は終息したかのようにさえ思えてくる。

 この人物は、何をこんなに彼女を持ち上げ、有頂天になっているのだろう?と私は不思議でならなかった。彼が彼女に対して行っている”神格化”はとても不自然で、グロテスクにさえ思えました。

 それは、彼女が無事、解放されるに越したことはないけれども、肝心のイラクは今だ内戦同然の状況にある。その地における拘禁から、たった一人の人物が自由になったのを、そこまで手放しで喜べる感性とはなんだろう?もし我々がイラクに関してそのように手放しで喝采を叫ぶ事が出来るとしたら、それはかの地に完璧な自由と平和が訪れた、その暁だけではないのか。

 結局、その書き込み人は、あるいはフランス人すべては、テロ相次ぐイラクの地を、そこで展開されている悲劇を、フランス人の自己満足を完遂させる舞台としかとらえていないのではないか?そのように思えてならなかったのですね。
 そこに関わる彼女の振る舞いを過大に評価し称賛することにより、彼女が代表するフランスなる国が、いかに偉大なる存在であるかのイメージ作りが可能になると考えている節がある(解放された人質たる我等が国民は、かくの如き高潔なる人格の持ち主だった。すなわち、我が国の文化的勝利である、と・・・まあ勝利ったって自分たちで勝手に決めたルールに則って、の話なんですがね)

 ちなみに、その書き込み人は日本人です。フランスとなにやら縁の深い人物であるらしいが、日本人です。ここで私は、かって南太平洋はニューカレドニアにおいてフランスが世界中の心ある人々からの反対を押し切り核実験を行った、その際の出来事を思い出します。

 フランス大使館に押しかけた日本人の反核団体に対し警備の日本人警官が、フランス政府が行った”反論”の、まるで引き写しを語っていたのです。「核実験を行っている国はフランスだけではない。どうしてそちらにも抗議に行かないのだ」と。
 警官よ。あなたは、フランス大使館を警護するうち、頭の中までフランス色に染まってしまったのか?はたしてフランスの日本大使館を警護するフランス人警官は、日本政府の政治姿勢を、あなたがフランスを贔屓する、それと同じ情熱を持って贔屓するだろうか?考えてみて欲しい。

 まさに、かの書き込み人やあの警護の警官のするような考えを異人種の脳内に発生させ、蔓延させること、それこそがフランスが第三世界の人民相手に行ってきた植民地主義の真髄です。フランス人がするように考え、感じること、それを何の異議も差し挟まずに受け入れ、自らのものにすること。それをマスターすれば、我々はお前たちを”人間の一種”と認めてやる用意がある。もちろん、我々が一流であり、お前らは二流の人間として、そんな認知だがな、とフランス人はメッセージを送り、そしてそれに大喜びではまる人々も存在するというわけです。そしてもちろん、それに納得しない人々も。



中華パンクバンドのドラゴンズって?

2005-11-07 04:50:11 | アジア

 振り返り話が続いて申し訳ないが、中華パンク・バンドとして一部で注目を浴びたドラゴンズって、どうなったんだろう?そもそもあれは、なんだったんだろう?
 私の記憶する限りでは”パンク”なんてコトバがまだまだ新鮮だった頃だから、70年代の後半くらいの時代の出来事なんだろうが、あの中国大陸で突然変異的にパンクバンドがデビューした、なんて触れ込みだった。それがドラゴンズだ。

 ギターとドラムと胡弓の三人編成で、アルバムはオリジナル曲中心に、ローリング・ストーンズとセックスピストルズ、各々一曲ずつのカバーが含まれていた。なんて書いているが、なんかショボイ音だったなあ、くらいの記憶しかない。パンク、しかも中国、という話題性というか言い訳があったからどうにか世に出る事が出来た連中のような。盤そのものは、とうにどこかへ行ってしまって、現物の確認のしようがない。おそらく、2~3度聞いてつまらないから売り飛ばしたのだろう。

 そもそも本当に大陸、つまり共産党政権下の中国でパンクバンドなんか生まれ得たのか。それ自体が怪しかった。カバー曲の選択の仕方も妙に出来過ぎだ。ストーンズとピストルズだってさ。ジャケに写ったメンバーの写真も、いかにもダサい中国人民、みたいなビジュアルを演出していて、逆に作り物臭さ紛々たるものがあった。なんか、人民服にサンダル、なんて姿だったんだよな。実は香港あたりのバンドにやらせた「作りネタ」じゃないのか、なんて話も出て、そちらの方が頷ける気がした。

 その後、80年代に入ってから中国大陸では、北京を中心に起こった”西北風”とかいう本格的ロックの動きが出てきて、その中からあの崔建なんかも飛び出し、そうなってはもう、ドラゴンズのようなキワモノの噂は吹き飛ばされてしまい、誰も振り返る者はいない今日である。ワールドミュージックなんて言葉自体がまだない頃の話だが、本当のところなんだったのかなあ、あの連中。

 冒頭に掲げた写真は、「ドラゴンズ」で画像検索にかけて出てきた写真の中から適当に選んだものです。ひょっこり、あのドラゴンズのメンバー3人の写真が出てきたら面白いと思ったんだが、そうは行かなかった。というかあの連中、本当に存在していたのか?




さよなら、スウィング・ガールズ

2005-11-06 04:06:13 | その他の評論


 数時間前にテレビで、「スウィング・ガールズ」なる映画を見た。なんかこれ、評判になった映画なんでしょ?賞かなんかも取ったんでしょ?
 でも私は公開時、どのような運びの作品か大体の予想はついたので見にも行かなかったのだった。だってさあ・・・よし、どのような映画か、見る前の私の想像を書いてみせるぞ。

 ひょんなことからフルバンドを結成し、ジャズをやる羽目になった女子高校生たち。初めは嫌々だったのだが、いつしか音楽する面白さと、皆と力をあわせて一つのものを作り上げて行く楽しさに目覚め、次第に練習にも力が入って行くのであった。その後、さまざまな泣き笑いがあって、エンディングは感動の演奏シーン。

 さあどうだ、そういう映画だろう。

 まあ今回、テレビならタダ見であるわけだし、もしかしたら私の予想を超える見どころがあるのかもと思い、試しに見てみたのだ。が、やっぱり完全に私の予想の範囲内で終始するドラマだったな。
 形通りの一見無気力な子供たち。形通りに音楽と友情に目覚め。形通りのクライマックス。想像をある意味超えたのは、出てくる高校生たちがあまりにも”素朴な良い子”揃いだった事。物事を歪んだ方向に受け取る者は皆無、皆が皆、素直で無垢なガキばっかり。ありえなくないか、あれは?

 舞台が東北地方に設定されている理由も、それに関係するかと思われる。予想される「いまどき、そんなガキはいねえよ」という突っ込みに対する「でも、この子等はイナカのコですから」という防御のための東北弁なんでしょ、あれは。

 そして作品全体は制作者の、「世界はこんな風に素朴に良い世界であるはずなのだ。そうあるべきなのだ」という祈りというか、そう祈る彼の、自分自身への感動によって成立している。おそらくこの作品に感動できる人々は、彼のそんな自己陶酔に付き合ってあげられるお人好しなのだろう。物語の”予想を裏切らなさ”も、そんな人々にはちょうど良い湯加減なのだ。変に頭を使わずに済むから。

 クライマックスの、「さあ、ここが感動のしどころだぞ」と言わんばかりの”大演奏”も、その押し付けがましい”立派さ”に、我が心はしらけるばかりだったのだが、もしかしてそういう反応は顰蹙を買う世の趨勢となっているのかも知れないな、もうすでに。この間の選挙でも自民党が大勝利したしさあ。関係ねーか。それとも、あるのか。

 いつぞや、映画監督のイズツは「シャル・ウィ・ダンス」を評する際に、「なぜここで社交ダンスが出てこなければならんのや?」と疑問を呈したのだったが、今また私もなぜここでジャズだ?と問わねばならない。なーんか胡散臭いぞ。
 結局、ジャズもクラシックなみの、権力者側の御用音楽の座にのし上がったって事なのね。権力者側の期待する”民衆のありよう”をアナウンスするためのツールとして。しかも竹中直人に戯画化されたジャズ・マニアを演じてみさせて、そんなジャズの成り上りように対する反発を封じておこうとする周到さ。で、ちゃんとその”上位”に谷啓扮する”人格者のジャズファン”を置いて、戯画化が本格的に効力を発揮しないよう、安全弁を設けてある。うまく出来てますな。

 この間の「ラウンド・ミッドナイト」の件と言い、ジャズと映画が組むとろくな結果が残らないって趨勢となって来ている。なぜだか知りませんが。
 昔はその組み合わせで良い映画もあったのにねえ。まあ、仕方がないでしょ、世界はとうに壊れてしまった。すべては元に戻らないのだから。さあ、ワシらの明日はどっちだ。
 



「アフリカのビートルズ」の痕跡を追って

2005-11-05 03:52:35 | アフリカ

 「ハートにグッと来ちゃう音楽に敏感なのは、世界中のどこの若者も同じなのかもしれない。ここに紹介しますはビートルズにいかれちゃったアフリカの若者たち」とかなんとか、当時の空気を再現出来ていましたか、この文章?なんてことはどうでもいいんだが、まあともかく、そんな文章がその写真には添えられていた筈なんだ。
 ビートルズが世界的人気を拡大させ始めた頃、昔々のお話だが、私は新聞の片隅にその写真を見つけて、「へえ、こりゃ面白いや」とか多分、思ったんだろう。こうしていまだに、その記事を見たときの記憶が残っているのだから。

 そこには、アフリカのどこかの種族の民族衣装を着た黒人の若者4人がギターやベースを手に、カメラに向かってポーズをとっている写真が載っていた。そして、世界中の若者の心をトリコにしたビートルズ人気はアフリカにまで飛び火し、ついにはアフリカ人の青年たちによるビートルズのコピー・バンドまで現れた、との報告が面白おかしい筆致でなされていた。と、私は記憶している。

 今の感性で取れば、特におかしくもなんともない写真であり出来事なのだ。アフリカ人がビートルズのコピーくらい、そりゃするかもしれないだろ、普通に。
 が、当時の新聞記者の感性からすれば、相当に滑稽な出来事だったのだろう。「こりゃおかしいや!アフリカの土人がエレキギターを持ってやがる」と。そしてその写真は三面のお座興的埋め草記事となり、ワールドミュージック的視点もクソもない、まだ音楽ファンでさえなかったガキの頃の私もそれを見て、その記者と同じような”時代の感性”でそれを滑稽な現象と感じ、その写真に束の間、見入ったのだった。

 まあね、今だってそりゃ、似たような世界理解をしている人は残ってますよ。ここの記事の数回前を読んでもらえれば、

>黒人の世界だけで発展させたらどうなるかは
>アフリカの音楽をいろいろ聴いてみたらいい。

 なんて、アフリカ音楽に関する無知丸出しの文章を平気で公にしている人物に私もつい最近、出会ったばかりってのがお分かりいただけるだろう。
 アフリカの音楽って、”黒人の世界だけで発展させた”ものなのかね?この御仁、「アフリカの音楽?土人が太鼓叩いて歌って踊ってるんだろ。音楽的には貧し過ぎてお話にならないよ」とか考えていかねないよなあ、この文言からすると。しかもこの人物、アフロ=アメリカンが大きな役割を演じつつ生み、発展させていったジャズって音楽を今、演奏する立場にあるってんだから悲しいです、情けないです、呆れ果てます、まったくの話が。

 いやまあいいです、この人の事は。そういう話をしたかったのではない。

 たとえばルンバ・コンゴリーズ、我が国で言う所のリンガラ・ミュージックの歴史で言えば、その写真が撮られた頃が、アフリカに先祖がえりをしたアフロ=キューバン・ミュージックがアフリカ風に装いを変じ、そこにラテンバンド編成からロックの影響下でエレクトリック・ギターをメインとした今日あるような演奏スタイルに方向転換する兆しが出始めた頃と考えられるだろう。

 一体、あの写真でギターを抱えて得意になっていた若者たちはその後、どうしたのか?もしかして彼らのうちの一人がその後、アフリカ音楽を大きく変える重要な役割を果たすミュージシャンとなっていたりはしなかったか?今、私のレコード・コレクションの内に重大な位置を占めるアフリカン・ポップスのミュージシャンが実は、あの時の新聞の写真のあの若者だったりはしないのか?そんな風に考えると、あの時とはまるで反対の意味でなんだか楽しくなって来たりもするのである。分からないかなあ、彼らの消息・・・




幻想の大樹、シナトラ

2005-11-04 03:52:05 | 北アメリカ

 まあとりあえず、ワールドミュージックを語ることを標榜している場所で、フランク・シナトラを話題にするバカがどこにいる?ってなものだが、その方向で言いたいことが出て来てしまったのだからしかたがない。

 そもそもは、ひょんなことからフランク・シナトラのアルバムを本当に久しぶりに聞いてみたあたりから始まる。何しろいつもはアジア=アフリカ方面の貧乏臭い。もとい。素朴なローカル・ポップスばかりを聞いている私なのであって、そこへ何の準備運動もなしに、バックに豪華フルバンドを配して朗々と歌い上げる事を常とする、アメリカ合衆国の金が余っている側を象徴するようなシナトラの歌を聴いたものだからその落差に唖然としてしまい、そしていろいろ余計なことを考える羽目となったのだ。

 ともかく、シナトラのでかいツラした歌と比べると、まあこういうくくり方でいいのか?とも思うが、いつも聞いている有色人種たちの音楽は、なんと慎ましやかな芸能のありようだろうかと思わされた。それはまさに、道路の隅っこを申し訳なさなさそうに歩いて行く、寄る辺ない遊芸者の姿である。
 それに対しシナトラの歌は、堂々たる支配者の側の歌だった。それは、道路の道幅すべてを使ってパレードしながら歩いて行く誰も文句のつけようのない”勝ち組”の歌声だった。

 だけどちょっと待てよ?シナトラって、貧しいイタリア移民の子ではなかったのか。なんかいろいろヤバイ事をしては過酷なアメリカのショー・ビジネスの世界をよじ登って来たのではないか。タイのモーラムの歌い手やギリシャのレベーティカの、あるいはアフリカの路上のバンド、そんな連中と基本は何も変わらないはずではないか。歌舞音曲を売りものとする、後ろめたい歌手稼業を生きている者ではないのか。
 なのに、なんでそんなに彼だけ”デカい顔の歌”が可能なのか。

 ここで私はふと、シカゴ・ブルースの最初の顔役、マディ・ウォータースのマッチョ・ソングになど思いをはせるのである。ハードなバンド・サウンドに乗せて「俺は男だ」と威張り散らし、ギトギトと脂ぎった男の性を誇示する、裏通りの顔役の歌声。それは、黒人ゆえに社会から一段下った存在として扱われる、そこから受けたプレッシャーを、性や暴力という方向に発散させて精神の均衡を図る社会的被疎外者の、歪んだ虚勢の発露である。

 シナトラの豪華さも、本質はそれと変わらない筈なのだ。虚業である歌手稼業で世を渡る不安があり、それはその裏返しゆえの華やかな外見を持った。そいつがいつかどこかで、どのような成り行きでやら、全盛期を迎えんとするアメリカという万能幻想を一方で支える虚構として迎えられた。
 いったんそうなってしまえば隠し持った危うさはむしろ、同じように寄る辺ない心根の砂の如き大衆にとって、幻想を共有するよすがたる聖痕として作用したのではないか。

 晩年に至っても、”世界の覇者、アメリカ合衆国”の位置付けが国際情勢の激変によって危うく思われるたびに”奇跡のカムバック”を行っては、アメリカのタフさを変わらぬ豪華なフルバンドをバックに全世界に向かって誇示してみせた、シナトラのあの歌声。国家の、国民の、巨大で不定形な妄想を吸い上げて、国民歌手という妄想の大樹が、その枝葉を広げて行く。
 そういえばランディ・ニューマンは、そんな国民歌手の内面を思って”ロンリー・アト・ザ・トップ”なる歌を送ったのだった。




古いメントやカリプソのカセットがあるんですが・・・

2005-11-03 03:23:18 | 南アメリカ

 えーと、まずは添付の映像をご覧ください。このカセットの素性、どなたかご存知ありますまいか?

 これは知人が引越しに際して放出して行った音楽ソフトの中に入っていたカセットなんです。全部で6本あります。どれもこんな風に簡単な椰子の木のイラストとタイトルが記されているのみです。発売元の会社名とか商品のコード番号とかも記されておらず、おそらくは研究家が自分のコレクションしたSP盤を勝手にカセットにダビングして、原版を作り、若干を複製して同好の者相手に放出したのでしょう。
 ジャケの紙質等から考えて、外国、おそらくは英国製ではないかと想像するのですが。なかにはレコードに針を落とす音が録音されてしまっている曲もあり、制作者のアバウトな性格がしのばれます。

 タイトルは、”KAISO! Calypsoes Recorded in Trinidad and New York”というのが4巻、そのうち3本が(1935-1945)と、残り1本が(1934-1941)となっております。あと2本のタイトルは”MENTO Jamaican Calypsoes 1950s”とあります。

 ”KAISO!”の中身はまさにタイトル通り、アッティラ、ライオン、フーディーニといった初期のカリプソ歌手たちの歌が入っています。聞いてみると、まあ、のどかなものですね。カリブ海はトリニダッド島で、当時のジャズの圧倒的影響下で生まれ、やがて独自の表現を確立して行った、まさにその黎明期のカリプソの数々です。
 初期のジャズ・マナーのバッキングによりまして、”i Sent My Wife To The Maket”とか”Monkey Swing”とかいった、ピコンというのはこういうのを言うんですかね、いかにもすっとぼけて皮肉の効いた歌詞を、歌手たちはコミカルに歌い飛ばしています。なんか、良い湯加減ですねえ。この辺の素朴な時代のカリプソが、私なんかは一番好きですね。

 MENTOというのは、同じようにレゲ誕生のずっと前のジャマイカで歌われていたカリプソを、この場合は指すみたいですね。ジャマイカ産のもうちょっと違ったタイプの、まさに前段階のレゲって雰囲気を伝える、やはりMENTOと呼ばれる音楽を聴いたこともあるのですが、それとここに収められた音楽とどのような関係にあるのか私には分かりません。そもそもその辺、あんまり詳しくないんで、よろしく突っ込んでいただけると助かります。ともかくこちらも、古き良きカリブの空気横溢のカリプソが満載です。

 まあこれ、海賊版なんて気の効いたものでもないですね、こんな音楽をいまどき求める者が世界中に何人いるか考えても、まったく商売になりそうにないし。マニアからマニアへのプレゼント、か。著作権上、どうなるのか知りません。
 それにしても何者なんでしょうね、このカセットの制作者は。そもそもの入手者の知人もいつどこで買ったのか覚えていない、多分、20年位前で、おそらくは日本でではないだろう、なんて記憶の霞みようでお話になりませんし。ひょっとして、名のある研究家から流れてきたのではないかなあ、とか勝手な期待を込めて、このお尋ね文を書いているんですが。
 うむ、なんか「お宝鑑定団」に出ている気分だ(笑)どうか、このカセットに関する情報をお持ちの方、よろしくお願いいたします。

 

アルバニア憧憬

2005-11-02 04:06:42 | ヨーロッパ

 バルカンの小国、アルバニアには、なんとはない憧れのような感情を持っていた。それは80年代末、東欧各国の一党独裁体制が将棋倒しのように崩壊し去る前の話だが。
 と言っても、特に政治的意味のある話ではなく、とうのアルバニア国民が聞いたら「人ごとと思って!」と怒るであろうような、雰囲気だけのあてのない感情だった。
 例えば、ニュ-ス番組に映し出された首都ティラナのメインストリ-ト。農産物を載せた古ぼけた馬車が、のんびりと横切ってゆく。とりあえずはヨ-ロッパの一角の国の首都に馬車!いいなあ、のどかで。

 まあ、断片的に伝えられてくるそんな情報から、私は勝手にアルバニアという国に、時の流れから置き忘れられた、浮き世離れした童話の中の国のような幻想を作り上げていたのだ。町を行く人々の風貌を眺めながら、東西文化の交差点に位置するその国土と民族の上を流れ去っていったであろう、数々の数奇な歴史上のエピソ-ドを空想してみるのも楽しかった。

 もちろん、強力な独裁政権に統べられた国であるとの知識は、一応は持っていたが、抑圧的意味を持って建てられたのであろう、その政治体制の創始者であるホッジャ労働党書記の立像でさえも、その非現実的とも言える巨大さゆえに、私のうちにある「童話の国」的イメ-ジを補強する方向に働いた。いやまったく、「人の事だと思って勝手な妄想を」もいいところ、の話なのだが。
 そんな自分の、アルバニアに寄せる隠れ里の楽園イメ-ジにぴたりはまりこむ音楽に、私は出会っている。

THERE WHERE THE AVALANCHE STOPS
(Music from the Gjirokastra Fork Festival Albania 1988)

 まさに、東欧各国の独裁政権が将棋倒しに倒れはじめた頃に入手した盤で、タイトルもなかなか意味ありげに感じられたものだ。内容は副題の示すとおり、アルバニアの伝統音楽祭のライブ・レコ-ディング。

 そして・・・ここで聞かれる音楽が、実に味わい深いものだったのだ。なにしろバルカンの地であるから、当然、東と西、キリスト教文化とイスラム教文化の激突する様が聞かれるのだが、他のバルカン諸国のような鋭角的な表情はアルバニア音楽には希薄だった。
 表情の丸い音楽とでも言えばいいのか、東と西の音楽の要素が実にまろやかに溶け合っていて、本当に、時の流れの外にある桃源郷から響いてくる音楽のように感じられた。あるいは、精巧に作られた箱庭に住む、小指の先ぐらいの大きさの妖精たちが奏でる不思議の国の音楽のように。ことに、その独特の、穏やかな表情を持つポリフォニ-・コ-ラスは、まるで渓谷で鳴き交わす山鳥たちの鳴き声のように響いた。

 そして・・・このアルバムが世に出てからあまり時を置くことなく、アルバニアの独裁政権は、他の東欧各国の後を追うように崩れ去った。
 その後のアルバニアに関して伝えられるニュ-スは芳しいものではない。あの「国民総ネズミ講被害者事件」を始めとして・・・開放後の国作りは、悪い目ばかりが出ているように見受けられる。最近では、その、国家としての荒廃ぶりを「見物」するための観光ツァ-さえも組まれているという。

 私の頭のなかの能天気な「アルバニア楽園幻想」も、当然ながら崩れ去って久しい。山間の楽園を空想させる音楽を奏でていた音楽家たちは、今、どうしているのだろう?
 アルバニアには、あそこで聞かれた民俗音楽ばかりでなく、もっと俗っぽいポピュラ-音楽も、小規模ながら存在しているそうだ。聞きたい、と思う。非常に大きな幻滅の予感もあるが、それでも聞いてみたいと切望している。

 (添付したのは、THERE WHERE THE AVALANCHE STOPS のジャケ写真です。モザイク画の中央に描かれているのは、イルカでしょうか?)

 


芸人ファッツに乾杯!

2005-11-01 04:04:26 | 北アメリカ

 さらに話は「ジャズとアンクル・サム問題」の周辺をうろつきますが。あ、アンクル・サムってのはこの場合、「白人に頭を撫でられて”ワンランク上の土人”として扱われる事に無上の喜びを感ずる黒人」を意味します。映画「ラウンドミッドナイト」には、この問題の今日的ありようが暗示され、先日から話題にしている我が日本の某ジャズ・ミュージシャン氏が、そのへんのエサに簡単に引っかかる非白人の心根をはしなくも吐露してくだすった訳ですが。

 いや、そもそもジャズの発生時からこのような心情は存在していたとも言えるのでして、事はジャズの存在の根幹にも関わるのであります。ご存知のようにアメリカ合衆国形成時にフランスはアメリカに、現在のルイジアナ州として知られる土地を売り払いました。これは確か、人類史上最大規模の不動産売買とか言われてるんじゃないのかな?
 で、土地の所有者がフランスから合衆国に変わり、その統治方針も変わった結果、その土地在住のフランス系白人と黒人の混血、いわゆる”クレオール”の人々は、社会的地位の急変を味わされる事となります。それまで白人に準ずる、あるいは”ほぼ白人”として扱われていたのが一転、黒人として扱われる事となるのです。これはたまりませんね。差別する側からされる側に転落させられるのですから。

 そこで、音楽を生業としていたクレオールの人々の中には、それはジャズの形成にも大いに寄与した人々なのですが、「我々は無知な黒人なんかじゃない、これこのように芸術の才さえ持ち合わせる高度な文化人なのだ」なんてあたりに心のよりどころを求めるようになるパターンも現れる。そんな歪んだコンプレックスと自負のないまぜになった心情が、ジャズなる音楽の根底には発生以来、潜んでいるのであります。
 だから、魂の上でその血を引く今日のジャズ・ミュージシャンが、フランスのお大尽に芸術家扱いをエサにちょっとアタマを撫でられると手もなくゴロニャンとお腹を見せて寝転がってしまうというシステムは、ある意味、ジャズの伝統に極めて忠実とも言えるのであります。

 そこで今回取上げますは、「浮気はやめたよ」「独り者のラブレター」などの切ない”ジャズソング”の小品の作曲でも名を残す米国のピアニスト&シンガー&作曲家のファッツ・ウォーラー(1904-43)であります。(黒人)とでも付け加えておきましょうか。

 この人の、ある種芸人臭いジャズ感覚、ちょっと聞いただけでも曲者だなあと思わされますね。華麗なタッチで鳴り響くピアノ、やや露悪的な、セクシャルなものをかくさない、えげつない歌いっぷり、などなど。色川武大氏なども、ファッツ・ウォーラーのクセモノ的魅力については再三言及しておられました。
 その、いかにも芸人な笑顔の裏に隠し呑んだ刃物の鋭さ。「自分のやっている”ジャズ”を”お芸術”として白人のダンナに認めてもらいたい。仲間の無知な黒人共などと同じ扱いはごめんだ」なんて軟弱なスケベ根性を一発で切り裂くような鋭さを感じますね。

 その見た目はいかにも”芸人”っぽい。女を何人も回りにはべらせてピアノを弾き、脂ぎった笑顔を浮かべ、意味ありげな流し目で観衆を見返す。「白人のダンナがたの差し出す、薄汚い芸術家の勲章なんていらねえよ。それよりアタシはお金が欲しいね。それからうまい酒ときれいな女が」
 その時代の悪役の一典型であった、”色悪な黒人”を演じきる事によって、白人優先社会の偽善を斜め下から抉り出し嘲笑していた。そのありよう、実に痛快に思えます。

 時代が時代ですからね、正面切っての抗議なんて出来る時代じゃないし、ファッツ・ウォーラー自身、明確な人種意識なんて持っていた訳ではないでしょう。他の黒人たちと同じく、「なんか納得できねえなあ・・・」程度のものであったのでしょう。でも、”芸能の論理”は、革命思想なんか持ち合せなくとも、物事の本質には迫りうる。
 芸術ぶりっこなんてぶっ飛ばせ!芸能野郎バンザイ!とファッツ・ウォーラーに拍手を送っておきましょう。



永遠のリズム

2005-10-31 04:20:11 | アンビエント、その他

 と言うわけで。前回、前々回と、すっかりジャズ・ミュージシャンにがっかりさせられちゃったなあ、なんて流れになってきたんで、ジャズ・ミュージシャンがワールドミュージックの視点で見て凄く素敵な仕事をしている盤でも挙げておく。といっても、その仕事をしたのはジャズ・ミュージシャンと一言で言いきれるとも思えない人だけど。

 そんな訳で、ドン・チェリーの「永遠のリズム」など。なんか、上のテーマで語る盤としては、あまりにど真ん中過ぎて恥ずかしくなって来る、我ながら。もう少しひねりってものはないのか、おい。と私は言いたい、自分に。

 この音楽を語るにあたって、ガムラン音楽を取り入れたフリージャズのサウンド、という概要をまず言っておかねばならないが、ここでドン・チェリーはそれほど真面目にガムランに取り組んでいる訳ではない。なんとなく雰囲気的には、ってレベルのものである。

 で、この場合はそれで良いのだろう。フリー・ジャズの演奏者としてチェリーがいつも目指して来たのは・・・これもベタなフレーズで書くのも恥ずかしいが、こだわりを捨てた身軽な感性で奏でられる音楽によって、魂の自由へ到達するって事だから。たとえばここでは「ガムランなる、異国インドネシア独特の音楽を、あえて演奏する者」なるフィクションに自らのミュージシャンとしての立場を仮託することによって得られる自由が、チェリーの欲したものだ。チェリーはここで、”ガムランごっこ”によって架空の楽園の扉を開こうと試みる。

 このアルバムにリアルタイムで出会った学生時代は、ずいぶん難解なサウンドと感じられた。まだまだ「音楽とはこんなもの」との固定観念の塊だったからね。民族楽器によって繰り返し提示される不思議な音階と、唐突に暴れまわるソニー・シャーロックの凶悪ギター・ソロ。チェリーが吹く、なんとも捉えようのない二連笛のメロディ。どれも初めて耳にするものばかりで、理解しようとすればするほど、音楽は遠くに行ってしまった。

 でも今、それなりの年齢に達して虚心坦懐に耳を傾ける「永遠のリズム」は、何も難しい音楽なんかじゃない。ドン・チェリーは”ガムラン音楽のようなもの”なるオモチャを手に、嬉々として、この地上と天上界を行ったり来たりして遊んでいる。それだけの音楽に難しいも何もあるものか。変に理解したり分析したりしようとするから音楽が遠くに行ってしまうだけの話でね。

 そして聴衆たる我々は、ドン・チェリーの手にした幸せに、どこまで”感染”できるかが勝負だろう。鍵は、こちらがつまらないこだわりや定めごとから、どれだけ自由になれるかである。
 だから、心の持ちようによっては音楽への開かれた門戸は広くもあり狭くもある。自分のやっている事を”アート”として認知されたいとか、くだらないスケベ根性を懐に呑んでいる奴にはとびきり狭い門戸だろう、少なくとも。うん。ああ、いい気味だ。

 この音楽の所属カテゴリー、ドン・チェリーの出自がアメリカ合衆国であるのだから”北アメリカ”にすべきだろうか、いや、ガムランを取上げているから、いっそアジアにしてしまえ、などと迷ったのだが、やはり”その他の地域”が妥当でしょうね。国籍不明とするのが、もっと良いんだろうけれども。




ジャズ・ミュージシャンの限界

2005-10-30 03:47:17 | 書評、映画等の批評

 という訳で、昨日からの流れで、ワールドミュージックにおけるジャズ・ミュージシャンの限界なんてものに思い至ってしまった私なのであります。いやなに、昨日、取上げた文章の書き手がジャズ・ミュージシャンだそうなので。

 思い出すのは。もう10数年前に遡ってしまって恐縮なのだが。ジャズ・ミュージシャンの渡辺貞夫が歌手の久保田利信と一緒に、いつか聴いた独特のメロディが含まれたどこかの民族のコーラスを求めてアフリカに旅立つ、といった趣向のテレビのドキュメンタリー番組があった。つまりはジャズの源流を求めて、と言うことか。アフリカのさまざまな風物を見る事が出来るのでは、と言う期待でチャンネルを合わせたのだが、なんだかなあ?と首をかしげる瞬間もないではなかったのである。そのひとつ。

 ナベサダとクボタは、ケニアだったかタンザニアだったか、ともかく東アフリカのある港町で、街頭のミュージシャンが演奏するある音楽を、なにやら浮かない顔をして聴いていた。クボタは「どうもこれじゃありませんね」とナベサダの顔を覗い、ナベサダも、そうだなあと首をかしげた。
 そこで奏でられていたのはターラブという、東アフリカ特有のアラブからの影響を色濃く残す音楽で、古くから東アフリカ沿岸地域とアラブ諸国とが交易などを通して深く結ばれていた証左とも言える、大変興味深いものなのであった。それは確かに、番組冒頭で提示された”ナベサダが探しているコーラス”とは別種の音楽ではあったのだが、それにしても、まるで通りすがりの犬でも眺めるような、あの姿勢はどうだろう。
 初めて接する音楽に、ミュージシャンとしての素朴な好奇心さえかき立てられた様子の無い姿が、非常に悲しかったのである。

 もう一つ。山下洋輔の著書に、ドイツにおけるトルコ移民との接触を描いたものがあったのだが、そこで現地のドイツ人と山下が交わした会話。「彼らは、このジャズクラブに音楽を聴きに来たりしないのか」「いや。おそらく家でトルコの音楽でも聴いているのだろう」それで終わりだったのは、山下の日頃の”乱入活動”を楽しみにしているファンとしては、肩透かしを食った思いだった。私だったら、その場に座ったままドイツの片田舎のジャズ・ミュージシャンによる特に珍しくも無い演奏を聴き続けるより、そのトルコの音楽を聴きに行きたいと思うのだが。

 結局、聴き慣れた、奏で慣れた音楽に身を浸している方が楽って事か。なるほどジャズマンって人種は、昔ながらのジャズの様式美の中で充足している”お芸術家”でしかないんだな、と大いに脱力した次第。

 そういえば昨日のミュージシャン氏が映画”ラウンドミッドナイト”を擁護する発言の中に、アメリカの一般大衆のジャズに対する無理解が語られた後の、このような部分があった。

>素晴らしいアートが本国ではあまり認められていなく
>て、他の文化を理解する力のある国で、認められてい
>たり、その文化を長く保持したりしているというのは
>良くあることです。

 要するにこの人物にとって”素晴らしいアート”は、自らが容認する範囲内のものでなくてはならず、アメリカの一般大衆の現実はそのとき、”無意味な現象”として退けられるだけのものでしかない。
 つまりこのヒト、「崇高なジャズ芸術家」として尊敬されたくて仕方が無いヒトだったのですね。それなら分かるなあ、アフリカ音楽への無理解も、フランス人の”芸術帝国主義”への共鳴も。”野蛮な土人”に共感などしてやるよりは、”アートをやるヒト”としてヨーロッパのお大尽のパーティに呼ばれたい、と。なるほどね、なるほどね。

 結論。かの人物の私への反論(かも知れないもの)は、大衆芸術家としてのジャズ・ミュージシャンが、すでに存在として破綻している事を図らずも証明してしまっている。以上。


 添付した写真は、”リトル・レミ・スペシャル”という1950年代に活躍した南アフリカの少年ミュージシャンのものです。当時、南アフリカではクウェラという、4ビートの、ジャズの影響色濃い音楽が大衆の支持を受けていました。レミは、写真のようにオモチャの笛を用いまして、非常にスイングするアフリカン・ジャズを奏で、人々に愛されていました。
 かの人物が、

>黒人の世界だけで発展させたらどうなるかは
>アフリカの音楽をいろいろ聴いてみたらいい。

 と論述した、アフリカでのエピソードです。