「45回転の夏」鶴岡雄二著 (インターネット図書館「青空文庫」所収)
1960年代なかば、新規に開校された寄宿制の中学に、第一期生として入学してきた少年たちの青春の日々を、当時のロックのヒット曲漬けで描いている。
そして定番の大人たちとのあれこれ、女の子たちとのあれこれ。ケンカと友情のあれこれ。
まあ、お定まりといえばお定まりなのだが、なにしろ自分と同時期に、同じようにロックびたりの青春を過ごした連中の物語なので、良い気持ちで読み始めたのだ、最初のうちは。
なんかヤバイな、と感じ始めたのは、主人公がローリングストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツのドラミングに関して批判めいた事を口走るあたりから。
当時の中学生のレベルで、ストーンズのドラマーの、それもハイハットの開け閉め、なんて細かい部分にウンチク垂れる奴なんかいたかぁ?なんか嘘臭い設定ではないか。
そして、そのあたりを契機に始まってしまうのだ。ロック、とりわけビートルズに関するウンチクウンチクウンチクのてんこ盛り。その、帰国子女の学生が多かったりする事なども自慢らしいが、なにやら非常にありがたいものらしい全寮制校の、一員であることの選良意識。あるいは”横浜方言を話す育ち”であったりする部分も、加えるべきかもしれない。とにかくそのあたりからあからさまになる著者の一流指向、つまりは権威指向には、なんとも不愉快な気分にならざるを得ない。
以上が第1章、第2章。やがて物語りは終幕、第3章に至り、舞台は1960年代末から突然に90年代、中年期を迎えた主人公たちの同窓会の描写へと至るのだが、それにしても登場人物の言動、60年代末の中学時代も、90年代、オトナになってからも、何の変化もないのは異様である。
昔の仲間は変わらないなあ、なんてレベルではなく、登場人物のというより書き手の内面の、描かれる”時の流れ”に対応することへの無自覚ゆえの”変わらなさ”なのだから、救いはない。
ことのほか醜いのは第3章の冒頭、中年に至った主人公が若者相手に、過去においてロックが、ビートルズがなんであったのか説教を始める辺りだ。なーにを偉そうにと、同世代である私が嫌悪を覚えるのだから、若い世代においておや・・・
「俺が若い頃にはようっ!」か。そんなものが、あんたがロックから受け取ったメッセージだったのか。
むざむざとなすすべも無くブザマに年を重ねてしまった”ビートルズおやじ”たちの、そんな自分たちの現実にまったく無反省である事の醜悪さ。ただただネチネチと説教を垂れ、ウンチクを垂れ流し、おのれの権力志向を満たすすべをおぼえる、それがロックを愛しつつ年を重ねた後の収穫なのか。
見方を変えれば、”ロック世代の敗北”の有様を見事に描ききった作品と評価する事も可能だろう。
本作品は下のURLで読むことが出来ます。
↓
http://attic.neophilia.co.jp/aozora/htmlban/45RPMchap1.htm