それまで興味は惹かれていたがどこから食いついていいやら情報も少なく、また、気になる音楽があっても、その盤をどうやって手に入れたらいいのかも見当が付かずだったアフリカのポップスが、どうにか手の届く位置にまで近付いたのは、やはりサニー・アデが西欧の大レーベルから、レゲのボブ・マリーに続く国際的スター(候補)として売り出された、あの頃からだったろう。
情報も徐々に入ってくるようになったし、それまではまるで見かけることもなかったアフリカ関係の輸入盤も、それなりに入手が叶うようになっていったものだった。
あちこちの輸入盤店にナイジェリア盤が溢れるなんて、今思えば夢のような事態も、瞬間最大風速的に起こったのだなあ。あんなことがまたあればなあ(遠い目)
そして当時私はもちろん、大喜びでその波を追いかけていたのだった。あのままの勢いで「アフリカを聴く」事が普通の行為として日本の音楽ファンに定着してくれたら素晴らしかっただろうなあ。当然ながらそうは行かなかった訳であるが。
あの頃。レコード店の店頭で偶然かかっていて、一発で気に入ってしまったアフリカのミュージシャン、など挙げて行ったらきりが無いが、その一人がハルナ・イショラだった。ボーカルとパーカッションのみの音楽。その時点で、それがナイジェリアのアパラと呼ばれる音楽であること、私もレコード店主も、まだ知ったばかりだった。知ったと言っても、その詳細は知らず。いや、今だってよく分かっていないのは同じことだが。
ゴンゴンと響く低音親指ピアノとスクィーズ機能のあるトーキング・ドラムが中心になって織り成すリズムがなんともファンキーで、それに乗って悠然たる調子の野太いボーカルが鳴り渡る。イスラム文化の影響が覗える、といえばその通りなのだが、まるで日本の民謡みたいに聞える瞬間もなくは無い、そのこぶしを利かせたメロディには、不思議な懐かしさがあった。ナイジェリアの、この種の音楽の通例としてアナログ盤の片面が切れ目なしに演奏される延々たるメドレー形式なのだが、ハルナ・イショラの音楽の大河の流れの如き感触には似合いの間合いと感じられた。
こいつは良いや!と、すっかり気に入ってしまい、その場で購入。その後もハルナ・イショラの盤は、見かけるたびに必ず買っていたものだ。どれを聴いても同じようなものという気もしたが、よく聞いてみると微妙な色合いの変化が一枚一枚にあった。
ハルナ・イショラについて詳しい事を知りたかったのだが、ナイジェリア独立前からアパラの主要歌手として歌い続けてきた事くらいしか知りえなかったし、これに関してはいまだ、あまり変わることは無い。
ともかくその年は、レコード収集に関してはアフリカアフリカ!ことにナイジェリア!で過ぎて行ったのだった。そしてそれは、その年の暮れも押し詰まった頃だったと記憶しているのだが。
私は深夜のテレビの臨時ニュースで、ナイジェリアにおいて軍事クーデターが起こった事を知る。ナイジェリアの国内情勢がなにやら厳しいとは聞いていたが、詳しいことは知らず(こればっかりだな、今回・・・)ほほう、そこまで状況は差し迫っていたのかと、なんとなく「襟を正す」みたいな気分になったのだった。これは、音楽どころじゃないのかなあ。困ったな、と。
私の記憶では、それと同時に知らせがもたらされたとなっているが、そんな筈はなく、あとから記憶の再構成がなされてしまっているのだろうが、まあ、同じ年末の出来事ではあったのだろう、私はハルナ・イショラの逝去の報を受け取るのだった。
遠くの国の音楽に興味を持って追いかけたその年の暮れ、その国が政変に見舞われた事を知り、気に入っていたミュージシャンの死去の知らせを受け取る。
なんというか、世界が、地球が、そして人類の歴史が、一個の生き物としてビリビリ共鳴しながら廻っている、その最前線に触れたみたいな気分になった。こう書いてみると実にオーバーな話だが。
今、私の手元に、この数年中にリリースされたハルナ・イショラの回顧盤CDが2種ある。実を言えば、手に入れただけでまだ封さえ切らず、中身は聞いていない。ハルナ・イショラの盤は何枚も持っているから、ベスト盤的ものであろうそれらの内容は聴くまでもなく分かる。ゆえにわざわざ聴くまでも無い、というのが論理的なほうの”聴かない理由”である。論理的でないほうの理由は。そうだな、まだまだナイジェリア音楽に血を騒がせた頃の記憶を記念碑の中に封じ込められたくないから、その意思表示のために、とでも言おうか。いや、ほんとに論理もクソもない理由だな、これは。自分以外の誰にも理解不能だ。
イショラの息子、ムシリウ・ハルナ・イショラもアパラ歌手として活躍中で、なかなか聞き応えのある盤を何枚もリリースしているとのことである。その盤、聴いてみたいものだなあと思うのだが、実現するのはいつの日やら。ナイジェリア盤をコンスタントに手に入れる方法なんてないものなあ、現地にでも行かなければ。ああ、ハルナ・イショラを知った日よりも、状況は後退しているのだなあと改めて思い知らされるのだ。つまんねーよー、こんな日々。