お正月飾りの講師のお宅に訪問
お飾りができた後に、友と菊の花を頂きに伺いました。
ななんと、私の憧れの茅葺き屋根
感動~~
慶応2年に作られたと伺いました。
篤姫のころでしょうか。
写真を・・・
難しい・・・
下がっても全部入らない・・・
>赤城山の南面に広がる養蚕地帯に多く見られた典型的な養蚕農家の建物様式です。
母屋の茅葺き屋根の2階正面一部を切り落とした独特の屋根型をした民家は、
赤城山の周辺に多いことから「赤城型民家」と言われています< ネットより
家のトタンは、講師である家主の手作りと、
もうびっくりです。
注 茅葺き屋根をふき替える人材と茅も手に入らないので、
茅の上にトタンを張り屋根を守ってるのです。

軒下から

前から

左 蔵の正面 出荷用の箱が見えます。
右 カギなんですね。

井戸

今年 雷が落ちた後だそうです。
怖かったでしょうね。

菊を頂いて二重の喜びの日でした。
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お飾りができた後に、友と菊の花を頂きに伺いました。
ななんと、私の憧れの茅葺き屋根
感動~~
慶応2年に作られたと伺いました。
篤姫のころでしょうか。
写真を・・・
難しい・・・
下がっても全部入らない・・・
>赤城山の南面に広がる養蚕地帯に多く見られた典型的な養蚕農家の建物様式です。
母屋の茅葺き屋根の2階正面一部を切り落とした独特の屋根型をした民家は、
赤城山の周辺に多いことから「赤城型民家」と言われています< ネットより
家のトタンは、講師である家主の手作りと、
もうびっくりです。
注 茅葺き屋根をふき替える人材と茅も手に入らないので、
茅の上にトタンを張り屋根を守ってるのです。
軒下から
前から
左 蔵の正面 出荷用の箱が見えます。
右 カギなんですね。
井戸
今年 雷が落ちた後だそうです。
怖かったでしょうね。
菊を頂いて二重の喜びの日でした。
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桑畑さん感動の篤姫時代の茅葺屋根・・・
すごいですね!
トタン・・・自分で作れるんですか?
これまたスゴイわぁ~
お宝が沢山でてきそうな蔵や、井戸・・・どれも本当に歴史を感じます
屋根裏がお蚕さんの棚があったのかなぁ~
我が家でも昔、物置の2階ににお蚕さんいた気がします。
懐かしい井戸ポンプはもう使ってないんでしょうかね~
どんどんお知り合いが広がりたくさんの情報が集りますね。
慶応2年に出来た茅葺屋根のお家がまだ健在なのですね。きっと土台、柱がしっかりしているからこんなに長持ちするのでしょう。
見ている身には良いけれども維持するにはご苦労もあることでしょう。そちらでは色々な過去のことに出会えますね。
わらぶき屋根はこちらでもたま~に見かけることはありますが、人が住んでいるとは! サッシやタイルの部分もあるところを見ると、修理したり改造したりしながら大切に使っているんですね。
家の形がめずらしいです。群馬は昔から製糸の盛んなところですね。
お友達がたくさん増えてよかったですね。
まだまだお友達の輪が広がりますね。
すごいことですね~
立派な古民家、
大事に住まわれているんでしょうね
桑畑さんの感動が伝わってきます
こんばんは
トタンが張られてない家を見つけてるのですが、なかなかないです。
すごい歴史ですね。
篤姫様にはビックリでした。
奥さんがもう苦労の連続ですと話されていたのが印象的でした。
茅葺をふきかえることが難しく今はトタンを張っています。
まだまだ沢山このあたりには、たくさんあります。
2階は養蚕をたくさんしていたのでしょうね。
井戸もここまで残ってるのは珍しいと思います。
村でも有名な方らしいです。
歴史がありそうですね。
このまま住むのも大変なことらしいです。
お正月様もたくさんの飾りと、
まゆ玉など行事はすべて昔のまま行ってるようです。
とっても良い勉強になりました。
このあたりは昔養蚕の盛んなところでした。
外国産の絹に負けて、ほとんど野菜農家や花栽培農家にまた会社勤めに変わってきました。
その名残の家ですね。
まだまだ沢山この形をした家はあり住んでます。
住む方は大変と思います。だんだん取り壊され見えなくなる前に、記録写真をと思って、家を少し撮ってます。
井戸もこのまま残ってるのは珍しいと思います。