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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

愚歌大進撃

2006-01-17 04:46:17 | その他の日本の音楽


 ちょっと前の日本のポップスというのか、その辺のものの歌詞というのは、「とにかく頑張れ!」みたいなものがやたら幅を利かせていたものだ。”負けないで~泣かないで~明日はきっと来るわ~あなたのために~君は一人じゃない~♪”なんてタグイですな。

 情けないのは”俺たちはロックバンドだ”みたいな顔をして悪ぶっている連中まで、結構その種の歌詞を歌っていたことで、「おいおい若者よ。あんな歌詞なんてものは、ワシの若い頃には流行から一歩半遅れた服を着た、人畜無害なトッチャン坊や顔のフォークソングの連中が歌ったもんじゃよ。モーリスのギターを持ってのう。まったく、不良の音楽のプライドはどこへ行ってしもうた?」なんぞと、なんとも情けなくなってしまったものだが。

 あの流行はいったいなんだったのだろうか?どこから始まって、何の需要を満たしていた?私は凄く不思議だったのだが、ああやって”頑張れソング”をありがたがって聞いている連中って、歌で「頑張れ」といわれると素直に頑張る気になるのだろうか?だったら、「頑張るな」という歌を聞かせたら頑張るのをやめるのだろうか?・・・閑話休題。と書いて、もうこの話題はやめたくなるのだが、話はまだ導入部だ。

 ともかく先日もある人が、その”頑張れソング”の流行を嘆いていたのだが、その発言に対して反応あり、「いや、あなたの認識は遅れている。今のその方面の流行最先端は、いかにも頼りない感じの男の子が、”頼りない僕だけど、ずっと君を守ってあげる~”と歌うパターンなのだ」と。ははあ。いつの間にかそんな歌がナウイってことになっている。日本のポップス状況はそうなっていますか。なんだか知らないが。

 そういえば。車の、”スズキ・アルト”のCMソングなんてのは、我々無関係者が日常的に接しているその流行の典型例なんでしょうな。「ずっと守ってあげたいから 君のためのアルト~♪」なんて、いかにも頼りなげに、ときどき声がひっくり返ったりしながら歌われる、あの歌。私は一度でいいから、あの歌を歌っている歌手を思い切りぶん殴ってやりたいと思っているのだが。

 などというとさらに声あり。「ところがあの歌が、今日の若奥様連中に好評で、中には感動で涙を流して聞いている者もあり」と。う~~~む。そこまで行ってますか。もう、なんにも言えまへんわ。

 若い頃には「泣かないで~頑張って~明日は来るわ~♪」なんて歌を聴いて育ち、長じて人の妻となり子をもうけ、”やさしいフォルム”の軽自動車とかに乗り、「君のためのアルト~♪」なんてヘロヘロ声で歌われて感動し涙する・・・君らの頭の中には、いったい何が詰まっているのだろう?
 ああ、年寄りめいたことを書いてしまっているのは分かっているのだがね、とはいえ私は、今、この時勢に青春時代などを過ごさずに済んだことを神に感謝したい気分なのだ。




地中海の伝説

2006-01-16 04:31:08 | ヨーロッパ

 イタリアのプログレ・ロックバンド、PFMのメンバーだったマウロ・パガーニのバンド脱退直後に出されたソロ・アルバム「地中海の伝説」は、ヨーロッパ音楽の古層を一皮向けば、その下には分厚いアラブ音楽の世界が広がっている、という事実を感性の部分で実感させる、非常に興味深い作品だった。
 パガーニ自身も「古代におけるヨーロッパとアラブの文化の激突を描こうと意図した作品だが、製作しようとした音楽のバックグラウンドを探求して行くうちに、演奏される音楽はアラブの要素ばかりになってしまった」とコメントしていたものだ。

 イスラミックなメロディーがアップテンポの変則リズムで強烈にスイングする中に、パガーニのアグレッシヴなバイオリン・ソロが強烈に切り込むオープニングの曲から、いきなりこちらの心は音楽に鷲掴みにされ、古代の東地中海へ拉致されてしまう。
 続いて始まるは、南イタリアの著名なトラッドバンドNCCP出身の女性歌手、テレーザ・デ・シオの、地中海の眩しい太陽の光をいっぱいに含んだ豊穣なナポリ方言の歌声。
 そして、故・ディメトリオ・ストラトスの、古代ギリシャ声楽に影響を受けたといわれる玄妙なボーカリゼイションも、バックのサウンドと一体になって独特の声の迷宮を編み上げ、飛び切りの地中海幻想を歌い上げていた。

 思えばこのアルバムは、私にとって地中海音楽への扉を開けてくれたと言って良い作品なのだが、この素晴らしさに比して、その後のパガーニがこの分野でこれといった実績を挙げていないのが寂しい。
 ダンスのための音楽をリリースしたり、ボーカリストとしての彼自身をアピールしたりのアルバムは世に問うているのだが、どれも、あまりパッとしない出来上がりだ。創造的ミュージシャンとしてのパガーニは、このアルバムで燃え尽きてしまったのか?・・・かも知れないなあ。

 さて、ここで私は、

1)あまり素晴らしすぎる作品を世に問うのも考えものだ。その後の創作活動が厳しいものになりかねない。

2)あれだけのアルバムを作り出したのだから、たとえこのまま終わっても、優れたミュージシャンとしての彼のことを私は忘れることはないだろう。

 上の二つの、どちらによってこの文章を締めくくったら良いのか、いまだに決められずにいるのであるが・・・いや、そうじゃないよ。ほんとはパガーニに「地中海の伝説」を超える作品を今からでも作って欲しいのさ。ファンだったら当たり前だろ。いつまでも待ってるからパガーニ、なんとかしてくれよ。もう20年以上も待ったんだ、これから後、もう20年待つくらい、なんでもないからさ。





焼き芋コーナーの怪異

2006-01-14 04:11:48 | いわゆる日記

 スーパーの売り場の片隅に小さな焼き芋のコーナーがあって、そこに置かれたラジカセが、テープに録音された間抜けなオヤジの声を「や~きいも~~い~し~や~きいも~~おいしい焼き芋が焼きあがりましたよ~~」などとエンドレスで流している。まあ、普通にある光景だが、先日、変なことに気がついた。

 オヤジの声のバックに、時おりビシッ、バシッ、あるいはカタ、カチ、というような音が聞こえているのだ。これがリズムに乗って休みなくカチカチカタカタタタタタッタなどと聞こえているのなら、「ああ、トランス系の焼き芋屋なのだな」と納得するのだが。あんまり納得しないが。まあ、そういうものなのだろうととりあえず収まるところなのだが、そこまでタイトなものではない。そもそもビッシリ音楽として入っているわけではないし。たまに聞こえる、といったレベルのもの。

 といって、オヤジがテープへの吹き込みの際にうっかり入れてしまったノイズという感じでもない。なんと言うか自然音ではなく、物をたたいたり電子楽器を発振させたりして「あえて発生させている音」の感触があるのだ、あくまでも。

 もしかしてリズムを取っているのではないかと思える瞬間もある。なんとなく「スイング」していると感じられる瞬間もあるのだ。
 とはいえ、それを通常使われている普通のリズムと同一視するにはあまりに間が取られ過ぎていて、かなり特殊だ。意識下のリズム、とでも言うのか。

 もしそんなリズムの取り方をする者がいたら、間の芸術、能とか雅楽とか、そのあたりに通暁していると考えざるを得ない。いやまあ、雅楽に詳しい焼き芋屋のオヤジがいたっていいんだけどさ。でも、あのようなテープを吹き込む際に、いちいち、そんな小細工する奴はいないと思う。

 で、結局何なのだ?というと、さまざまな可能性のすべてに、どれも微妙に当てはまらず。いまだにその正体、分からないままである。そんなわけで、そのスーパーに買い物に行くたびに焼き芋コーナーに立ち寄り、テープの再生音に耳傾ける私なのである。はた目にはどう映っているのかしら?いつか問題の「い~しやきいも~」のテープを奪って出奔しかねない自分が怖い。

 まこと、世界は音の驚異に満ちている。





書評・「失われた歌謡曲」

2006-01-13 05:20:59 | その他の評論


 「失われた歌謡曲」金子修介・著、小学館

 我々世代の秘密をバラしましょう。「俺たちってビートルズ世代」とか言ってるけど、ほんとにリアルタイムで聞いてたのは舟木一夫や西郷輝彦だったんだぞ。せいぜい頑張ったって、エレキギターを抱えて「夕日赤く」を歌う加山雄三だ。

 映画「ゴジラ」の監督であり、”テレビっ子第1世代”の著者が、自らの青春を彩った”歌謡曲”とその時代を、ミもフタも無しに検証しまくった書。

 ”不健全歌謡の伝統””陰気ビート”といったキイワードを駆使して著者は、日本庶民の現代史の裏側をくすぐりまくり、ついには我々の眼前に「日本は戦争に負けた、東南アジアの国なんだ」との、著者が独特の見識の元に探り当てた、素っ裸の原野が広がる。

 正視するより仕方が無い。我々の歩いてきた道の、掛け値の無い姿が、これなのだから。





フィンランド幻視曲

2006-01-12 04:01:02 | ヨーロッパ

 寒いなあ。おかげで話がさっぱり北欧から抜け出せません。それどころか、フィンランド一国から出る事ができていないじゃないか。
 というわけで、そんな具合にフィンランドという国に妙に注目する羽目になった、そのきっかけのアルバムの話など。

 洞窟の壁かなんかに描かれていた古代人によるプリミティヴな壁画などをモチーフにしたと思われる、不思議なジャケ絵に魅入られて購入したのが、Ohilyontiなる、なんと発音するのかも分からない名のフィンランドのトラッドバンドのアルバム、”Himmeneva Q”(1990年作品)だった。

 冒頭、飛び出してくるのはマイナー・キイの哀愁に満ちた旋律を早弾きのギターのアドリブで聞かせる、ジプシー・スイング風の一曲。そのロシアっぽい響きから、フィンランドの西方に広がる凍土の広がりと、その先に寄せた旅愁などが伝わってくる、
 続いて次々に飛び出してくるのは、バルカン半島風のイスラミックな旋律と凝ったリズムを持つ不思議な構造の曲の数々。生ギター、生ベースにバイオリンあたりが表に出た、ほぼすべてアコースティック楽器使用の地味な作りながらも、かなり挑戦的な音楽志向のバンドと知れる。

 どうやらこれは、このバンドが祖国フィンランドとそれを取り巻く地方の伝統音楽を探求するうちに幻視することとなった幻の国、”Q”を表現したアルバムのようだ。その国の、架空の”民謡”でも演じて見せているのではあるまいか。
 そもそもがすぐ隣のロシアの音楽はともかく、どのような構想を持って遠隔地といってよいバルカン半島の音の響きを自国のトラッドに忍び込ませたのか、なにしろフィンランド語の解説以外に出会えないので、勝手な想像を巡らすくらいしかできる事もないのが残念だ。

 想像上の国をテーマのアルバム、などと言われるとイタリアのプログレバンド、オザンナの傑作、”パレポリ”なんて作品を想起せずにはいられないのだが、実際、あのレベルの深い幻想をもたらしてくれる一作と言っていいだろう。
 このような音楽(つまりトラッド系)を好んで聞く人々は、その種の”冒険”を、地に足が着いていないといって好まない傾向があるのがこれも残念。というか、バンドのメンバーが可哀想だなあ。豊かなイマジネイションにあふれた、好盤なんだけれども。といって、プログレッシヴ・ロックのファンなんかは、こんな地味な音を聞かないだろうし。

 それにしても、ここで聞けるフィンランド人のパワフルなリズム感は凄い。いずれも生のギターとベースだけで繰り出しているだけなのに、このリズムのドスドスと力強く地面に突き刺さる感触はどうだ。
 ・・・と、我が視線はやっぱり不思議の国、フィンランドに釘付け。





世界の果てに吹く風は

2006-01-11 04:10:55 | ヨーロッパ

 世界の果てる場所に行って、そこに吹いている風に吹かれてみたい。そんな願望がある。たとえばオーストラリアとかニュージーランドの南端にある岬か何かに立ち、吹き寄せる風の音に耳を澄ませ、足元に打ち寄せる波をいつまでも見ていたい。南アフリカの南端だって南米の先っぽだっていいのだが。ともかくこっから先、何もありません、みたいな場所に立ちたい。

 いや、別にそんな形の”果て”でなくっても。
 ハワイ諸島の東の端、自然科学の研究者以外は立ち入れない島などというものをテレビで見たことがある。世界の動きからは隔絶され、時の流れも止まっている。
 そこの支配者は海鳥たちのようで、かってそこにあった米軍基地の残骸が波に洗われつつ朽ち果てている。そこもまた、充分に世界の果てであると思う。そんな島の静粛を生で感じてみたいと思う。

 イタリア半島が、その長靴の先をグイと海に向かって突き出した、まさにその先あたりを同じ調子で”世界の果て”と呼ぶのはしかし、かなりの失礼があるかも知れない。偉大な古き地中海世界のど真ん中ではないか。
 が、このアルバムに吹き抜けて行く名付けようもない寂寥感は確かに、世界の果てたる資格を充分に持っていそうな気がする。イタリア最南端、カラブリア地方のトラッドバンド、”Re Niliu”が80年代の終わりに出した、忘れ難い印象を残すアルバム、”CARAVI”である。

 場所柄、当然の如くその音はキリスト教社会の文化とイスラム世界の文化の激突の場となっている。が、その激突は、たとえば同じ南イタリアのトラッドでもナポリあたりの音とはかなり様相が異なる。
 ナポリにおいては。ご当地名物の巨大タンバリンによって情熱的に打ち鳴らされるタランテッラのリズム。頭の血管をブチ切りそうな迫力で歌い上げられる”太陽の賜物”みたいな雄大なテノールの歌声。掻き鳴らされるマンドリン。西の文化と東の文化は陽気な激突劇を演ずる。

 ここ、長靴の先端たるカラブリアには、あのような”血の祝祭”とでも呼びたい高揚感は無く、かわりに乾いた風が静かに吹き抜けている。
 たとえば。羊の体から剥いだ皮を丸ごと一頭分、そのまま使った独特のバグパイプ(羊の姿をしている。切り取られた頭の代わりに吸い口が差し込まれていて、奏者はその先端にあるリードを咥え、メロディを吹き上げる)が西欧文明を代表し、緩やかなコブシのかかった歌声は海を越えて伝わってきたイスラムの文化を匂わせる。が、どちらも強烈な自己主張よりはむしろ、侘び寂びの世界とでも表現したくなる、内省的な表現に終始する。
 曲によってはシンセまで動員され、最後の曲は地中海を越えてアフリカまで視野に入れたスケールの大きな作品となっているのに、聞き終えたあとに残るのは、やはり強烈な寂寥感。

 やっぱりカラブリアはイタリアの辺境なんですな。文明が抱えたそれぞれの都合によって”世界の中心”は勝手にあちこちに成立し、相対的に”田舎”は出来上がってしまう。経済の繁栄は遠く北イタリアの諸都市が握り、政治の実権はローマにある現実の前に、単なる地理は、何ほどの意味はない。
 栄光に満ちた歴史の地中海の真ん中で、カラブリアはただ、海からの風に吹かれている。痩せた土地を耕し、貧しさを握り締めて。
 そんな世界の果ての寂寥に触れたくて、また”CARAVI”に針を落としてしまう私である。

 


冬の昏睡

2006-01-10 14:29:57 | ものがたり


  ごたぶんに漏れず、いわゆるダイニング・キッチンで食事をしている訳だが、年々、畳の上に置かれたチャブ台の上の食事が恋しくなってくるのはトシのせいだろうか?

 夕食を終え、当然、酒も入っている訳だから、その場にゴロ、と寝ころがれたらずいぶん心地よいのではないか。食べ終えたその場に、即、ゴロ寝。に意義がある。二つ折りにした座布団を枕になどして。
 この失われた、だらしない食後の昏睡のいとおしさよ。

 と言っていても仕方ないので、その代理行為として、ダイニング・キッチンの床にマットを敷き、食後、そのまま寝てしまっている。
 たぶん他人には異様な光景だろうから、あまり見られたくはないが、まあ、わざわざ見にやって来る人もいないから、特に気にしていない。

 その状態で、やって来るまどろみの中で夢想するのは、山深くにある合掌作りの古い日本家屋のなかでこれが出来たらなあ、といった事だ。
 畳の部屋の中央にあるのは、この場合は当然、囲炉裏だろう。自在鉤でその上に吊るされた鍋の中には、食った事はないが、狸汁などが湯気を立てている。
 その地方の芳醇な地酒でその暖かい物をたらふく腹に収め、満足してその場に寝ころがり、やって来る眠気にすべてをまかせる。

 家の外には、激しい吹雪が音を立てて吹き荒れているだろう。窓の外に大量の白い雪が舞うが、囲炉裏の火は、その寒さを寄せつけない。
 長い長い時代を刻んだ合掌作りの日本家屋は、しん、と静まり返っている。家具の一つ一つが、古く、使い込まれた色をしている。

 窓の外に見えるもの・・・遠くから近ずいて来るのは、氷の息で旅人を凍らせて命を奪うという、伝説の雪女だろうか。そうに違いあるまい。吹雪吹き荒れる外界は、あのように薄物をまとっただけの女が歩ける状態にはないのだ。

 女はやがて、私の合掌作りの家にたどり着き、青白い顔と恨めしそうな目で、窓ごしに、惰眠をむさぼる私を覗き込む。が、何らかの結界が張りめぐらされているのであろう、雪女は、それ以上の家への干渉は不可能のようだ。いつの間にか雪女は姿を消し、私の眠りは妨げられる事はない。

 ふと気がつくと、囲炉裏の部屋の隅に和服を着た男がひっそりと佇んでいる。顔は、なぜか影になっていてよく分からない。おそらくは、この歴史のありそうな家の過去において、何らかの不幸な事情で不遇な死を迎えた人物の怨霊なのであろう、と察せられる。
 だが彼もまた、私の周囲に張りめぐらされた、玄妙な結界に邪魔されたのであろう、私にその不幸な人生の詳細を物語りも出来ぬまま、やがて姿を消す。

 私の惰眠は続く。雪は降り続いている。合掌作りの山間の家々は、分厚く白いものに覆われた。時は流れを止め、もうとうに夜明けの時間は来ているはずなのに、空が白みはじめる気配さえ、無い・・・



惰性で今年もニューイヤー・ロックフェスのテレビ中継を見てしまったの記

2006-01-09 04:43:06 | いわゆる日記

 内田裕也氏が毎年主催している、年越しのニューイヤー・ロック・フェスティバル。タイトルに”33”とあるところからすると、今年が33回目なのだろうか?
 今、今年の分の放映をテレビで見終えたところである。もしかしてこの中継、私は毎年欠かさず見ているのではあるまいか。
 といっても、このライブに何か思い入れがあるわけでもない。いや、もしかしたら最初の頃は熱い思い(笑)で見ていたのかもしれないが、いまやまったくの惰性と言っていいだろう。そもそも、”ロック”なる音楽に興味を失ってからもう20年以上の歳月が過ぎているのだ。
 
 ここのところの毎年の一番の楽しみは、もう十数年前から女3人組の”NEWS”なるバンドにあるのだが、そこのベースが巨乳であること。今年はどんな衣装を着てくるかなあ?ってなものであって、一杯機嫌のオッサンの正月の過ごし方丸出しで申し訳ない。

 が、いや、他に熱くなるものも無いのだから仕方が無いのさ。シーナ&ロケッツは今年も変わらず「ミルクティー」を歌っていたし、飽きろよ、いかげん。
 その他の出演者の演奏もずいぶん前から、昔ながらの”ロック”のイメージをなぞったような伝統芸能の世界に陥ってしまって、新しい発見も無し、スリルもなし。昔の作業の巻き返し繰り返しで悲しいな。ああ、おじさんには今歌う歌が無い~♪・・・と、かって小沢昭一は歌っていたな。

 今年は韓国と中国との3ヶ国を結んだフェスとのことだったが、日本勢、先輩ズラしていたけど、おい、韓国勢のほうが切実なものを感じさせる音楽をやっていると聞えたぞ、こちらには。(まるで”千葉のジャガー”みたいな外見の韓国のロッカーには笑わされたが)
 ともかく、滅びの色は覆うべくも無い。日本においてロックなんてものは、もうとうに無効となってしまったんだなあと、改めて思い知らされる。元々音楽ファンになったのはロック経由だったんだからね、これは悲しいよ。といいながら、まるでなんとも思わず、煎餅食いながらテレビを見ている自分なのだが。

 などとブツクサ言いつつ、自分がこの番組をわざわざ毎年見ている理由。これを見ていると、今の自分と青春時代の自分をつなぐ糸みたいなものがまだつながっているみたいな錯覚があるから、じゃないだろうか。まあ、この辺は私自身も情けない部分がありますが。

 てな訳で、ロックとは思い出ならずや。
 




フィンランド・熊狩りの冬

2006-01-08 04:25:45 | ヨーロッパ

 ”Karhujuhla The Bear Feast”

 ジャケに描かれた古代の壁画が、何故か見る者の血を騒がせる。描かれているのは、どうやら石器時代あたりの狩猟用具などであろうか。
 まるでSFじたての秘境もの冒険小説でも読むような、知的興奮を与えてくれるアルバムだ。
 1986年、PrimoとKoihat Ritaritの実力派トラッドバンド二つが合体して挑んだ、フィンランドの古代の音楽の再発掘と再現作業の成果である。

 アルバム一枚を費やして再現されるのは、歌によって示される、遠い昔の雪に閉ざされたフィンランドの山奥で行われた熊狩りの一幕。いや、狩と言ってはデリカシーの無さ過ぎかも知れない。冒頭、山奥で生まれた小熊に寄せた歌に込められた新しい生命の誕生への畏敬の念を思えば、ここで描写される狩の如きもの、むしろ熊という生き物に対する頌歌とでも理解すべきかと思われて来る。

 通して聞いても、今日の我々が親しんで口ずさめるようなメロディは数少ない。呪文のような、あるいは叫びのような歌声が続くばかり。それを伴奏する楽器も、非常にシンプルな打楽器ばかりで、音階のあるものといえば、お馴染み、フィンランド人の魂、カンテレの響きくらいである。
 それとて、今日の沢山の弦を持ったコンサート型などではなく、おそらく5~6本の弦しか持たない竪琴状のものであろう、使われているのは。単純なフレーズが繰り返し奏でられるばかりである。

 といって、退屈などはする事もなし。なぜなら、強大な大自然の只中で頼りない生命の明かりを灯して雪原を歩いていった古代の人々の、それは魂を伝える響きなのであって、むしろ音楽の単調さは、彼らの生活や心情に寄せる、こちらの想像力が作動する余地を与えてくれるのだ。

 ”楽器”の中でひときわ印象に残るのは、”The Hunter Brags”で使用されるもの。長い紐の先に石ころを結んで、ただひたすら振り回す。紐は空気の中で微妙な振動を得て、玄妙なメロディを奏でる。ただそれだけ。いや、そのようにダイレクトに自然のありように結びついた”楽器”であるからこそ、古代人の魂を大宇宙に直結して、神との対話を容易にしていたのではないのか。そんな気がしてくる。

 そのような”音楽”の積み重ねのうちに熊との儀式は進行して行き、大団円を迎える。それは収穫の喜びであり、神への感謝であり、熊への畏怖を込めた鎮魂の想いだ。
 これをトラッドのアルバムと言ってしまうことが出来るのかよく分からないが、太古の人々の送った日々への、敬意をこめた捧げものとして、とりあえず私にとっては愛さずにいられないアルバムである。




最軽薄なるワールドミュージック・バンド

2006-01-07 04:26:34 | ヨーロッパ

 北欧ネタばかり続けるのもなんですんで、今回はインターミッションと言うことで、箸休めにバカ話題などかまします(笑)

 デイブ・ディー・グループ。正確には”デイブ・ディー・ドジー・ビキー・ミック&ティック”である。
 1960年代にデビューした、イギリスのユニークなロックバンド。66年、シングル「ベンド・イット」が全英チャートの2位になり、人気者となる。日本でも彼等の「オーケイ!」や「キサナドゥの伝説」といった曲がグループサウンズにカバーされるなどしてヒットし、かなり親しまれたバンドと言っていいだろう。
 このバンド、そのバンド名からも容易に予想が付くようにコミカルな持ち味を売りにしていた。なにしろステージ用のコスチュームが、チェックのシャツにチェックのネクタイを締め、チェックのスーツを羽織る。ついでに言えば、パンツ、というかズボンは右左色違いである。

 連発したヒット曲も、悪乗りしたワールドミュージック・ネタとでも言いたいカラフルな楽しさに満ちたものだった。先に述べた「キサナドゥの伝説」はメキシコ音楽、初期のヒット曲である「ホールド・タイト」はサッカー応援の際の手拍子のリズムをモチーフにしたもの、などなど、世界中のあちこちの音楽の要素をあくまでも軽薄な楽しさを基調に織り込んだ作品を彼等は売り物にしていたのである。軽薄とは言ったものの、今思っても、一体裏でアイディアを出していたのは誰だったのだろうと興味をそそられるほどの奥深さもまた、ないわけではないデイブ・ディー・グループだった。

 たとえば最初の大ヒット「ベンド・イット」は、演奏が進むうち、次第にリズムが早くなってゆき、演奏しきれないほど高速化した瞬間にブレイク、それからまたスローなリズムで始まり・・・といった奇怪な構造を持った曲で、これもどこかの民俗音楽をネタにしていそうな気配を感じたが、その正体を長い間、私は知らずにいた。やっと分かったのは、その後30年も経ってから、在英ウクライナ人のロックバンド、”ウクレイニアンズ”のアルバムに似た構造の曲を発見してからだった。そうか、あれはウクライナのコサック音楽のパロディだったのか。
 また、アフリカ音楽をネタにした「セイブ・ミー」は、打ち鳴らされるパーカッション群とワイルドなディブ・ディーのボーカルに絡むアフリカ風裏声コーラスで、よくある”何となくアフリカ風”ではない、きちんと地域限定された(?)南アフリカ音楽のニュアンスをうまく生かしたパワフルなアフリカ風ロックを創造していた。

 そんな、いい加減なようで奥深くもあるワールドミュージック・ロックを演じていた彼等を私はかなり敬愛していたので、その後、20年くらい時が過ぎ、3ムスタファズ3なんてバンドが話題になり、「世界最初のワールドミュージック・バンド」などと称賛される事となった際、一人でヘソを曲げたものだ。「ディブ・ディ・グループを忘れちゃいないか」と。
 まあねえ、ワールドミュージックを語ろうとする人は、やっぱり生真面目な人が多そうな気がするし、ディブ・デイを称賛ってわけにも行かないんだろうけど。でもねえ、ほんと、面白いバンドだったんだから、そろそろ再評価されてもいいと思うぞ。