一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

私は14年前に富士山山頂で押切もえに逢っているのだ

 

「だから、何?」

って言われそうなタイトルなのだが、(笑)

今日(2025年11月17日)、

お昼のバラエティ番組「ぽかぽか」(フジ系)に、

 

ゲストとして押切もえ(&西山茉希)が出演していた。

 

私は(「ぽかぽか」は)普段は観ない番組なのだが、

私の配偶者が好きな番組で、

(特に「牛肉ぴったんこチャレンジ」がお気に入りのようだ)

私が家にいるときは、(お昼ご飯時なので)つい一緒に観てしまう。

テレビの押切もえを観ながら、

「俺、富士山山頂で押切もえに逢ったことがあるんだ」と私。

「えっ、そうなの?」と配偶者。

 

あれは14年前(2011年)にさかのぼる。

「海抜0メートルから登る富士山」にチャレンジしたときのことだ。

 

1日目(7月31日)は、田子の浦から村山浅間神社まで。

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2日目(8月1日)は、村山浅間神社から新六合目まで。

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3日目(8月2日)は、新六合目から富士山山頂を経て御殿場まで。

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4日目(8月3日)は、御殿場から沼津・千本浜まで。

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というスケジュールだった。

2日目は新六合目にある宝永山荘に宿泊し、

3日目は、寝た日と同じ8月1日(月)の23時に起床し、

23時半に宝永山荘を出発した。

 

0:20 新七合目・御来光山荘を通過。(標高2780m)

1:03 元祖七合目・山口山荘を通過。(標高3010m)

1:48 八合目・池田館を通過。(標高3250m)

2:31 九合目・萬年雪山荘を通過。(標高3460m)

3:02 九合五勺・胸突山荘を通過。(標高3590m)

3:40 富士宮口頂上に到着。(標高3720m)

 

新六合目から4時間ほどで着いた。

 

富士宮口頂上に着いたとき、

美しい女性がライトに照らし出され、インタビューを受けていた。

どうやらTV番組の撮影らしかった。

女性は、大きな明るい声で、富士山頂に登頂した感激を語っていた。

〈誰だろう?〉

どこかで見た顔であるが、思い出せなかった。

 

富士山から帰ってしばらくした(2011年の)8月某日、

テレビで、押切もえが富士山に登るという番組をやっていた。

その女性を見たとき、私の脳にビビッとくるものがあった。(笑)

「ああ、あのときの……」

普段、それほどテレビを見ないので、

私はそれまで押切もえの顔をよく知らなかったのだ。

「彼女だったのか……」

そうひとりごちた私は、あの「海抜0メートルから登る富士山」を思い出していた。

私は富士宮口山頂で、押切もえと逢っていたのだった。

 

彼女は前日の8月1日に5合目付近から登り始めたらしかった。

ガイドは、かの有名な三浦雄一郎の次男・三浦豪太。

 

その日は、高度順応の為もあってか9合目の小屋に宿泊し、

翌朝、御来光を見るために、朝早く登ってきたようなのだ。

 

彼女が登頂の喜びを語っているこのとき、私はTVカメラマンの横にいたのだ。(笑)

 

この後、私は剣ヶ峰に行ったので、押切もえとは違う場所で御来光を拝んだのだが、

見た御来光は同じものだったのだ。

 

「登ってよかった」


「あのてっぺんにいたって想像できるし」


「今後もいろんなことを乗り越えられる気がします」

 

今日、あらためて、押切もえが見た御来光と、

私が見た御来光の写真を比べてみた。

富士宮口山頂(押切もえ)と、(写真は押切もえのブログより)

 

剣ヶ峰(私)という場所の違いはあるが、

 

太陽の上にある雲の形が同じで、

同じ御来光を見ていたことが判る。

 

私が「お鉢巡り」をしていたときに見た影富士と、

 

押切もえが9合目で見た影富士。(写真は押切もえのブログより)

これも二人が同じ日に見た同じ影富士である。

 

今日、テレビで偶然、押切もえを見たことで、

瞬時に14年前のことが思い出され、

ブログに書くために、いろいろなことを更に思い出した。

こうして記事をまとめていると、

あの「海抜0メートルから登る富士山」の4日間が鮮明に蘇ってきて、

しばし幸せな時間を過ごすことができた。

「何を見ても何かを思い出す」

幸せな思い出をたくさん持っていると、

70代は楽しいのだ。

 

作礼山 ……誰もいない紅葉の森で錦繍に溺れる……

 

作礼山には11月6日に行っているが、

そのときはまだ紅葉が十分ではなかった。

10日後の今日、もうそろそろ紅葉のピークを迎える頃ではないかと思い、

作礼山の「私だけの紅葉の森」へ行ってみることにした。

 

今日は、山頂は目指さず、

いきなり「私だけの紅葉の森」へ向かう。

 

黄葉の森を抜けて行く。

 

到着。

 

ここまではヤマップ族もやって来はしないだろう。

 

「私だけの紅葉の森」だ。

 

作礼山の中腹には人工的に造られた有料の「環境芸術の森」もあるが、

「私だけの紅葉の森」は天然で、無料だ。

 

しかも、誰にも会わず、

 

すべて独り占めなのだ。

 

あまりに紅葉が眩しくて、

 

下を向いて目を休める。(笑)

 

遠くへ行かずとも、これだけの紅葉を見ることができるのだ。

 

素晴らしい紅葉を、家から近い山で見ることのできる歓び。

 

何ものにも代え難い。

 

都会の近くだったら、人で溢れ返っているかもしれない。

 

だが、この森では私ひとり。

 

誰もいない。

 

なんという贅沢。

幸福感に満たされる。

 

青空に紅葉が映える。

 

再び目を休める。(笑)

 

その後も、紅葉の森を彷徨し、

 

錦繍に溺れ、存分に楽しんだ。

 

今日も「一日の王」になれました~

 

映画『平場の月』 ……塩見三省、中村ゆりがイイぞ!……

 

久しぶりに映画を見たいと思った。

見たいと思った作品は『平場の月』(2025年11月14日公開)

 

原作の朝倉かすみ『平場の月』(光文社、2018年12月刊)は、

 

すでに読んでいて、2019年7月10日に、このブログで、

……大人の恋愛小説の白眉……

とのタイトルでレビューを書いている。

そのときの好印象が、映画を見たいと思わせたのだ。

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原作となった小説は2~3年前に読了したような気持ちでいたのだが、

もう6年以上も経過していたことに驚く。

原作を読んだとき、

〈すぐにでも映画化、TVドラマ化されるだろう……〉

と思ったが、案外時間がかかったような……

間に、コロナ禍を挟んだからかもしれない。

主演は、堺雅人

ヒロインは、井川遥

中村ゆり、でんでん、安藤玉恵椿鬼奴、栁俊太郎、倉悠貴、吉瀬美智子宇野祥平、吉岡睦雄、黒田大輔、松岡依都美、前野朋哉成田凌塩見三省大森南朋などが脇を固める。

監督は、『花束みたいな恋をした』『罪の声』の土井裕泰

脚本は、『愚行録』『ある男』の向井康介

主題歌は、星野源「いきどまり」。

 

私の好きな小説が、どのように映像化されたのか、

期待多めで映画館(イオンシネマ佐賀大和)に向かったのだった。

 

あらすじ

妻と別れ、地元に戻った青砥健将(堺雅人)は、

印刷会社に再就職し平穏な毎日を送っていた。

 

そんな青砥が中学生時代に思いを寄せていた須藤葉子(井川遥)は、

夫と死別し、現在はパートで生計を立てている。

ともに独り身となり、さまざまな人生経験を積んできた2人は意気投合し、

中学生以来の空白の時間を静かに埋めていく。

 

再び自然にひかれ合うようになった2人は、

やがて互いの未来についても話すようになるのだが……

 

『平場の月』が映画化されると聞いたとき、

〈青砥健将と須藤葉子を誰が演じるのだろう……〉

と思った。

それが、堺雅人井川遥であることを知り、

私がイメージしていた俳優とはちょっと違うような気がした。

堺雅人には、恋愛ドラマのイメージがなく、

井川遥は、華があり過ぎるような気がしたからだ。

極私的には、

青砥健将役は、加瀬亮大森南朋安田顕安藤政信大泉洋……

須藤葉子役は、永作博美深津絵里松雪泰子西田尚美、吉田羊……

などの俳優を勝手にイメージしていた。

それでも、実際に映像で見た青砥健将と須藤葉子は、

堺雅人井川遥のラブシーンには少し違和感があったものの)

それほど悪くはなかったように思う。

50歳になった男と女が、

病と闘い、不安の中で、つき合い、しがみつき、年老いていく。

若くはない二人には、年老いた家族や、しがらみや、それぞれの過去もあり、

若い男女の燃えるような恋はない。

35年という長い時間のすき間を埋めるように求めあう熱情や、感情のうねり、

そして、生きる哀しみまでをも、しみじみと描き出していた。

堺雅人は(例の顔芸のような)オーバーアクションを封印し、

地味で素朴な中年男を好演していたし、

井川遥も、暗い過去のある中年女に成り切っていたように思う。

 

原作では、

それぞれの章の中で使われた言葉が、各章の題になっていた。

一「夢みたいなことをね。ちょっと」

二「ちょうどよくしあわせなんだ」

三「話しておきたい相手として、青砥はもってこいだ」

四「青砥はさ、なんでわたしを『おまえ』って言うの?」

五「痛恨だなぁ」

六「日本一気の毒なヤツを見るような目で見るなよ」

七「それ言っちゃあかんやつ」

八「青砥、意外としつこいな」

九「合わせる顔がないんだよ」

 

しかも、その章題は、すべて須藤葉子の言葉であった。

そして、各章で最も重要な言葉であった。

映画でも、この言葉を有功に使用し、

重要な場面で須藤葉子にこれらの言葉を吐かせていた。

特に、「それ言っちゃあかんやつ」は哀切であった。

青砥が言ったある言葉に反応してこの言葉を発し、

須藤は青砥との別れを決意するのだ。

 

堺雅人井川遥の好演もさることながら、

今回は、脇役の演技に唸らされた。

 

特に、青砥と須藤が通う焼鳥屋の大将・児玉太一役の塩見三省の演技は秀逸。

2014年3月に脳出血により倒れて、5カ月間入院。

退院後も左手足などに後遺症が残り体重も10 kg減少したが、

懸命なリハビリを経て、復帰した。

その模様は、

塩見三省著『歌うように伝えたい 人生を中断した私の再生と希望』

という本のレビューをこのブログに書いたときに詳しく述べたが、

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復帰後の演技の方が、より凄みを増しているような気がした。

声も小さく、つぶやくように語るのだが、

他の誰よりも存在感があり、感動させられた。

本作は塩見三省の演技を見るだけでも十分に元が取れると思った。

 

須藤葉子の妹・前田道子を演じた中村ゆりも良かった。

もともと私の好きな女優ではあるのだが、(コラコラ)

姉を支える健気な姿に心を動かされた。

 

(幼少期、中学時代の)須藤葉子の母を演じた松岡依都美も素晴らしかった。

松岡依都美も私の好きな女優で、

出演した作品では、いつもしっかりとした爪痕を残す。

本作でも彼女の出演シーンは忘れ難い。

 

須藤葉子のかつての恋人・鎌田雄一を演じた成田凌も良かった。

甘え上手で人の懐に自然と入り込み、放っておけないと思わせる男を好演。

出演シーンの少ないこんな役に主役級の俳優を配しているのも、

本作の隠れた魅力のひとつであろう。

 

その他、大森南朋、でんでん、安藤玉恵宇野祥平など、

私が高く評価する俳優たちも好い演技をしていて嬉しかった。

 

忘れてならないのは、

青砥健将と須藤葉子の中学時代を演じた、坂元愛登と一色香澄。

 

堺雅人井川遥が魅力的に見えたのは、

坂元愛登と一色香澄の演技があったればこそ……とも言え、

二人の好演がなかったならば、

本作自体の評価もそれほどでもなかったかもしれない。

 

それほどの責任を担っていたし、

二人は見事にその期待に応えていたように思う。

 

中学時代の初恋の相手同士が時を経て再会し、惹かれ合っていく。

大人の男女の心の機微を繊細に描いた本作は、

原作のブックレビューでも述べたが、

大人のセカチュー(『世界の中心で、愛をさけぶ』)であった。

特別な階級や家系や血族の物語ではなく、

平場で生きている普通の人々の小さな物語であるからこそ、

私の心を捉えたと言える。

ロケ地である、埼玉県朝霞市志木市の町の雰囲気も良かった。

 

映画を見ている間、町の住人になったような気持ちで鑑賞できたし、

いっとき心の旅をさせてもらった。感謝。

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15歳で初めて読んで衝撃を受けた小説『蒲団』(田山花袋)

 

 “一人読書会”の次なる課題本として、

トルストイの『戦争と平和』を読み始めているのだが、

これが(登場人物が559人という)なんとも厄介な代物で、(笑)

なかなか読み進めないでいる。

箸休めのような感じで、図書館で借りた本などを合間に読んでいるのだが、

先日、小川洋子の『続 遠慮深いうたた寝』(河出書房新社、2025年10月刊)というエッセイ集を借りてきて読んだ。

 

その中の、

「本の世界は誰も見捨てない」というエッセイを読んでいたとき、

次のような文章に出合った。

 

例えば、政治家の不祥事や芸能人の不倫が雑談の話題に上る。するとある一人が、文学史上最大の“ダメ男”は誰でしょう、言いはじめる。『赤と黒』のジュリアン・ソレル、『おはん』の夫、『椿姫』のアルマン、武者小路実篤の『お目出たき人』……等々、さまざまな人物が登場してくる。

「でもやはり、田山花袋の『蒲団』の主人公には誰も勝てませんよ」

皆が一斉にうなずく。結局、結論はそこに落ち着く。

私たちは、蒲団に顔を埋め、去っていった女のにおいをクンクンかいでいる男を思い浮かべる。一生懸命であればあるほどピント外れになり、間違いを犯し、滑稽になってしまう人間の哀れさを思い、『蒲団』という一冊でつながり合う。(84頁)

 

田山花袋の『蒲団』は、日本の自然主義文学を代表する作品の一つで、

また私小説の出発点に位置する作品とされる。

私は高校1年生(15歳)のときに初めて読んだ。

野球少年として中学まで過ごし、

間違って進学校に合格した為に、(同級生の教養レベルに追いつく為に)

必死に名作といわれる文学作品を読んでいた頃に出合った小説であった。

それまで小説などほとんど読んでいなかったので、

田山花袋の『蒲団』は私に驚きと衝撃をもたらした。

 

【あらすじ】

30代半ばで、妻と3人の子供のある作家の竹中時雄のもとに、横山芳子という女学生が弟子入りを志願してくる。始めは気の進まなかった時雄であったが、芳子と手紙をやりとりするうちにその将来性を見込み、師弟関係を結び、芳子は上京してくる。

 

時雄と芳子の関係は、はたから見ると仲のよい男女であったが、芳子の恋人である田中秀夫も芳子を追って上京してくる。時雄は監視するために芳子を自らの家の2階に住まわせることにする。だが芳子と秀夫の仲は時雄の想像以上に進んでいて、怒った時雄は芳子を破門し父親と共に帰らせる。時雄は芳子の居間であった2階の部屋に上がり、机の引出しをあけ、古い油の染みたリボンを取って匂いを嗅ぎ、蒲団の匂いを嗅ぐ。

 

最後のところだけ書き出してみる。

 

時雄は雪の深い十五里の山道と雪に埋れた山中の田舎町とを思い遣った。別れた後そのままにして置いた二階に上った。懐かしさ、恋しさの余り、微かすかに残ったその人の面影を偲のぼうと思ったのである。武蔵野の寒い風の盛に吹く日で、裏の古樹には潮の鳴るような音が凄すさまじく聞えた。別れた日のように東の窓の雨戸を一枚明けると、光線は流るるように射し込んだ。机、本箱、罎、紅皿、依然として元のままで、恋しい人はいつもの様に学校に行っているのではないかと思われる。時雄は机の抽斗を明けてみた。古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。暫くして立上って襖を明けてみた。大きな柳行李が三箇細引で送るばかりに絡げてあって、その向うに、芳子が常に用いていた蒲団――萌黄唐草の敷蒲団と、綿の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。

性慾と悲哀と絶望とが忽ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。

薄暗い一室、戸外には風が吹暴れていた。

 

「古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。」

 

夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。」

 

「時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。」

 

「心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。」という言葉は、

当時、野球しか知らずに育った15歳の私にとって衝撃であった。

なんという赤裸々な告白であることか。

後から調べてみると、

田山花袋は、喝采を博していた島崎藤村の『破戒』を強く意識しつつ、

ハウプトマンの『寂しき人々』も参照し、

自身に師事していた女弟子とのかかわりをもとに『蒲団』を執筆している。

つまり、登場人物にはモデルがいたのだ。

そして、芳子のモデルは、岡田美知代という花袋の弟子であった。

 

【岡田(永代)美知代】

1885年(明治18年)4月15日~1968年(昭和43年)1月19日。

明治期から昭和期の小説家、雑誌記者。

田山花袋の小説『蒲団』のヒロイン、横山芳子のモデルとして知られる。

 

1905年(明治38年)9月に『蒲団』が発表され、

スキャンダルの渦中に巻き込まれ美知代は、

「新潮」に横山よし子の名義で「『蒲団』について」を発表したりして、

その後、小説家になっている。

 

昭和33年には、

「手記 花袋の『蒲団』と私」

「手記 私は『蒲団』のモデルだった」

という手記も発表している。(コチラから読めます)

 

大人になってからは、

『蒲団』よりインパクトの強い小説もたくさん読み、知ってもいるが、

15歳で読んだ『蒲団』の衝撃は、

(同じく15歳で読んだ)谷崎潤一郎の「悪魔」(衝撃度は『蒲団』以上かもしれない)と共に、未だ薄れることはない。

 

小川洋子は、FMラジオのパーソナリティを務めていたこともあり、

それは、『パナソニック・メロディアス・ライブラリー』という番組だった。

2007年から2023年まで放送されていたラジオ番組で、

小川洋子が未来に残したい文学遺産を毎週1つずつ紹介するものであった。

小川洋子は、この番組でも田山花袋の『蒲団』を採り上げており、

それは2011年4月3日に放送されている。

 

【ダイジェスト】

心の本棚にある、たくさんの名作の中から、今週はこちらをご紹介します。

自然主義文学を代表する作家として学校でも習う「田山花袋」。しかし代表作のひとつ「蒲団」を読んだことがある人は意外と少ないのでは。明治40年に発表された短編小説。物語の主人公は、妻子ある30代の文学者です。彼はある日、ひとりの女学生から「門下生になって一生文学に従事したい」という手紙を受け取ります。その熱意から、彼は女学生を受け入れることにするのですが、そこからはじまる苦悩の日々。恋の妄想にとりつかれ、結局、弟子である彼女をふるさとに帰してしまうことになるのです。部屋に残された彼女の蒲団。なつかしい匂いを嗅ぐ主人公。この小説を読んだことがない人でも知っている有名なラストシーンです。

田山花袋の「蒲団」は、国語の授業でも名前があがるほど、日本文学史にとって重要な作品。自然主義を代表する小説として、近代文学の第一歩を記す作品だからです。では自然主義文学とはいったいどんなものなのでしょうか?「夢を追う浪漫主義に対して、あるがままの真実の姿を追求するのが自然主義」。なるほど確かに小説「蒲団」には、恥ずかしいまでに人間の弱さが赤裸々に描かれています。「蒲団は日本の私小説の原点」と小川洋子さん。「蒲団」の発表から100年以上たってもその文学の流れはすたれることなく続いていて、その一番先にあるのが、先日、芥川賞を受賞した西村賢太さんの「苦役列車」かもしれません。

 

文学史では重要キーワードとしてその名が挙がる『蒲団』。しかし内容を知っている人は意外に少ないのではないでしょうか。私もそのうちの一人で、興味津々ページをめくっていったのですが・・・これはこれはなんとまぁ!番組史上最強のダメ男の出現です。主人公は「妻が死んだら好みの女性を後妻にできるのになぁ・・・」というろくでもない妄想にふける文学者の男。弟子入りをしてきた女学生に片思いするのですが、他の男性にとられたくない一心で親元に帰し、遂には彼女の将来を潰してしまうのです。これまで文学の中の様々なダメ男に出会ってきましたが、自分の欲望のためには愛している相手の破滅もいとわないという「攻撃的ダメ男」、ダントツで最強最悪でした。

 

いやはや、やはり『蒲団』の主人公はダメ男なのか。(笑)

まあ、女性の立場からすると、

主人公は単なるキモイ中年男ということになろうが、

この哀れなダメ男の恋愛心理をこれだけ緻密に描写されると、

文学作品になりうるのだということを教えられ、

15歳の少年は感動させられた。

現代では『蒲団』の「匂いを嗅ぐ」という程度の内容では、

誰も驚かないと思うが、

私にとっては、(70代になった今でも)十分に衝撃作なのである。

(2024年の映画『蒲団』より↓)

 

深秋の天山 ……紅葉と、秋のなごりの花を愛でる……

 

11月10日(月)

 

天山の秋の花たちも次々と姿を消し、

登山者も次第に少なくなってきて、

「私だけの天山」が戻って来つつある。

今日は、上宮登山口から登り、

紅葉と、残り少ない秋の花々を楽しむことにしよう。

 

出発。

 

上宮の色づいた木々をパチリ。

 

ゆっくり登って行く。

 

アケボノソウがまだ咲いていた。

 

嬉しい。

 

アキチョウジ、

 

ノダケ、

 

サイヨウシャジンもまだ咲いている。

 

紅葉のトンネルをくぐる。

 

樹林帯を抜けると、青空。

 

紅葉が青空に映える。

 

あめ山分岐を通過。

 

アキノキリンソウや、

 

サルトリイバラの赤い実を見ながら、

 

高度を上げていく。

 

振り返ると、あめ山が美しい。

 

天山山頂に到着。

 

眺めは良かったが、遠望はきかず、雲仙は見えなかった。

 

ちょっとだけ稜線散歩へ。

 

ムラサキセンブリも、

 

白花のムラサキセンブリも、終盤を迎えていた。

 

あんなに群れ咲いていたリンドウも随分と数を減らしていた。

 

深まりゆく秋。

 

冬はもうそこまで来ている。

 

山頂へ戻り、“私の山歩道”へ。

 

“私の山歩道”でも美しい紅葉が見られた。

 

ナガバノコウヤボウキは、箒になっていた。

 

スズコウジュも花期を終えていた。

 

いちばん遅く咲くレイジンソウの群生地へ行ってみると、

まだ花があった。

 

嬉しい。

 

オタカラコウの花もまだ見ることができた。

 

ヤマラッキョウは咲き始め。

 

小さくて可愛い。

 

キッコウハグマの群生地へ行ってみると、

まだ花がたくさん残っていた。

 

作礼山のキッコウハグマは終盤を迎えていたので、

天山にまだこんなに咲いているのが嬉しい。

 

天山のキッコウハグマは格別だ。

 

最後に、ナギナタコウジュの花にも逢えた。

 

(私にとっては)逢えそうでなかなか逢えない花。

 

今日も「一日の王」になれました~