
“一人読書会”の次なる課題本として、
トルストイの『戦争と平和』を読み始めているのだが、
これが(登場人物が559人という)なんとも厄介な代物で、(笑)
なかなか読み進めないでいる。
箸休めのような感じで、図書館で借りた本などを合間に読んでいるのだが、
先日、小川洋子の『続 遠慮深いうたた寝』(河出書房新社、2025年10月刊)というエッセイ集を借りてきて読んだ。

その中の、
「本の世界は誰も見捨てない」というエッセイを読んでいたとき、
次のような文章に出合った。
例えば、政治家の不祥事や芸能人の不倫が雑談の話題に上る。するとある一人が、文学史上最大の“ダメ男”は誰でしょう、言いはじめる。『赤と黒』のジュリアン・ソレル、『おはん』の夫、『椿姫』のアルマン、武者小路実篤の『お目出たき人』……等々、さまざまな人物が登場してくる。
「でもやはり、田山花袋の『蒲団』の主人公には誰も勝てませんよ」
皆が一斉にうなずく。結局、結論はそこに落ち着く。
私たちは、蒲団に顔を埋め、去っていった女のにおいをクンクンかいでいる男を思い浮かべる。一生懸命であればあるほどピント外れになり、間違いを犯し、滑稽になってしまう人間の哀れさを思い、『蒲団』という一冊でつながり合う。(84頁)
田山花袋の『蒲団』は、日本の自然主義文学を代表する作品の一つで、
また私小説の出発点に位置する作品とされる。
私は高校1年生(15歳)のときに初めて読んだ。
野球少年として中学まで過ごし、
間違って進学校に合格した為に、(同級生の教養レベルに追いつく為に)
必死に名作といわれる文学作品を読んでいた頃に出合った小説であった。
それまで小説などほとんど読んでいなかったので、
田山花袋の『蒲団』は私に驚きと衝撃をもたらした。

【あらすじ】
30代半ばで、妻と3人の子供のある作家の竹中時雄のもとに、横山芳子という女学生が弟子入りを志願してくる。始めは気の進まなかった時雄であったが、芳子と手紙をやりとりするうちにその将来性を見込み、師弟関係を結び、芳子は上京してくる。

時雄と芳子の関係は、はたから見ると仲のよい男女であったが、芳子の恋人である田中秀夫も芳子を追って上京してくる。時雄は監視するために芳子を自らの家の2階に住まわせることにする。だが芳子と秀夫の仲は時雄の想像以上に進んでいて、怒った時雄は芳子を破門し父親と共に帰らせる。時雄は芳子の居間であった2階の部屋に上がり、机の引出しをあけ、古い油の染みたリボンを取って匂いを嗅ぎ、蒲団の匂いを嗅ぐ。

最後のところだけ書き出してみる。
時雄は雪の深い十五里の山道と雪に埋れた山中の田舎町とを思い遣った。別れた後そのままにして置いた二階に上った。懐かしさ、恋しさの余り、微かすかに残ったその人の面影を偲のぼうと思ったのである。武蔵野の寒い風の盛に吹く日で、裏の古樹には潮の鳴るような音が凄すさまじく聞えた。別れた日のように東の窓の雨戸を一枚明けると、光線は流るるように射し込んだ。机、本箱、罎、紅皿、依然として元のままで、恋しい人はいつもの様に学校に行っているのではないかと思われる。時雄は机の抽斗を明けてみた。古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。暫くして立上って襖を明けてみた。大きな柳行李が三箇細引で送るばかりに絡げてあって、その向うに、芳子が常に用いていた蒲団――萌黄唐草の敷蒲団と、綿の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。
性慾と悲哀と絶望とが忽ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。
薄暗い一室、戸外には風が吹暴れていた。

「古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。」
「夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。」
「時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。」
「心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。」という言葉は、
当時、野球しか知らずに育った15歳の私にとって衝撃であった。
なんという赤裸々な告白であることか。
後から調べてみると、
田山花袋は、喝采を博していた島崎藤村の『破戒』を強く意識しつつ、
ハウプトマンの『寂しき人々』も参照し、
自身に師事していた女弟子とのかかわりをもとに『蒲団』を執筆している。
つまり、登場人物にはモデルがいたのだ。
そして、芳子のモデルは、岡田美知代という花袋の弟子であった。
【岡田(永代)美知代】
1885年(明治18年)4月15日~1968年(昭和43年)1月19日。
明治期から昭和期の小説家、雑誌記者。
田山花袋の小説『蒲団』のヒロイン、横山芳子のモデルとして知られる。

1905年(明治38年)9月に『蒲団』が発表され、
スキャンダルの渦中に巻き込まれ美知代は、
「新潮」に横山よし子の名義で「『蒲団』について」を発表したりして、
その後、小説家になっている。

昭和33年には、
「手記 花袋の『蒲団』と私」
「手記 私は『蒲団』のモデルだった」
という手記も発表している。(コチラから読めます)

大人になってからは、
『蒲団』よりインパクトの強い小説もたくさん読み、知ってもいるが、
15歳で読んだ『蒲団』の衝撃は、
(同じく15歳で読んだ)谷崎潤一郎の「悪魔」(衝撃度は『蒲団』以上かもしれない)と共に、未だ薄れることはない。

小川洋子は、FMラジオのパーソナリティを務めていたこともあり、
それは、『パナソニック・メロディアス・ライブラリー』という番組だった。
2007年から2023年まで放送されていたラジオ番組で、
小川洋子が未来に残したい文学遺産を毎週1つずつ紹介するものであった。
小川洋子は、この番組でも田山花袋の『蒲団』を採り上げており、
それは2011年4月3日に放送されている。
【ダイジェスト】
心の本棚にある、たくさんの名作の中から、今週はこちらをご紹介します。
自然主義文学を代表する作家として学校でも習う「田山花袋」。しかし代表作のひとつ「蒲団」を読んだことがある人は意外と少ないのでは。明治40年に発表された短編小説。物語の主人公は、妻子ある30代の文学者です。彼はある日、ひとりの女学生から「門下生になって一生文学に従事したい」という手紙を受け取ります。その熱意から、彼は女学生を受け入れることにするのですが、そこからはじまる苦悩の日々。恋の妄想にとりつかれ、結局、弟子である彼女をふるさとに帰してしまうことになるのです。部屋に残された彼女の蒲団。なつかしい匂いを嗅ぐ主人公。この小説を読んだことがない人でも知っている有名なラストシーンです。
田山花袋の「蒲団」は、国語の授業でも名前があがるほど、日本文学史にとって重要な作品。自然主義を代表する小説として、近代文学の第一歩を記す作品だからです。では自然主義文学とはいったいどんなものなのでしょうか?「夢を追う浪漫主義に対して、あるがままの真実の姿を追求するのが自然主義」。なるほど確かに小説「蒲団」には、恥ずかしいまでに人間の弱さが赤裸々に描かれています。「蒲団は日本の私小説の原点」と小川洋子さん。「蒲団」の発表から100年以上たってもその文学の流れはすたれることなく続いていて、その一番先にあるのが、先日、芥川賞を受賞した西村賢太さんの「苦役列車」かもしれません。
文学史では重要キーワードとしてその名が挙がる『蒲団』。しかし内容を知っている人は意外に少ないのではないでしょうか。私もそのうちの一人で、興味津々ページをめくっていったのですが・・・これはこれはなんとまぁ!番組史上最強のダメ男の出現です。主人公は「妻が死んだら好みの女性を後妻にできるのになぁ・・・」というろくでもない妄想にふける文学者の男。弟子入りをしてきた女学生に片思いするのですが、他の男性にとられたくない一心で親元に帰し、遂には彼女の将来を潰してしまうのです。これまで文学の中の様々なダメ男に出会ってきましたが、自分の欲望のためには愛している相手の破滅もいとわないという「攻撃的ダメ男」、ダントツで最強最悪でした。
いやはや、やはり『蒲団』の主人公はダメ男なのか。(笑)
まあ、女性の立場からすると、
主人公は単なるキモイ中年男ということになろうが、
この哀れなダメ男の恋愛心理をこれだけ緻密に描写されると、
文学作品になりうるのだということを教えられ、
15歳の少年は感動させられた。
現代では『蒲団』の「匂いを嗅ぐ」という程度の内容では、
誰も驚かないと思うが、
私にとっては、(70代になった今でも)十分に衝撃作なのである。
(2024年の映画『蒲団』より↓)
