goo blog サービス終了のお知らせ 

ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

芸術グッドバイ

2006-01-29 02:01:40 | ヨーロッパ

 北欧はスエーデンに”Lena Willemark”という女性トラッド歌手がおりまして、まあ、我々は”レナ・ウィレマーク”とか読んでおりましたが、そのうち「それは正しくない。本当は”レナ・ヴィレマルック”と読むのである!」とか言い出す者が出てきまして。まあ、そういうものですなあ。

 私なんぞは「どのみち、こちらの発音では正しい呼び方になんかなってないだろうし、いいじゃないか大体で」といった考えですんで、誰の話しをしているのか分かればいいと思うんですが、そんな奴ってなんか、その呼び方にオノレの全存在がかかっている、みたいな入れ込みようでうっとうしくてならなかったりします。いや、そいつの話をしたいのではなくて。

 あれは90年代の半ば頃でしたかねえ、私が彼女に入れ込んでいたのは。当時、彼女、Lenaの繰り出すアルバムはどれもきわめて質の高い作品ばかりで、新譜が発表されるたびに息を飲む思いで私はそれを迎えたものでした。
 ただ美しいだけではない、高貴な猛々しさとでも呼びたい響きに彼女の歌声は満ちておりまして、また、彼女の相棒、Ale Mollerが作り出すそのサウンドも北欧の伝承音楽のエッセンスのような美しさに満ちていました。

 が・・・ある日私は、彼女のアルバムすべてに興味を失ってしまいます。なんだかねえ、彼女のアルバム、どれもあまりにも厳格な芸術っぽい出来上がり過ぎるんで、なんか聞いていると息が詰まってくるんですよ。疲れてしょうがない。しまいには彼女のアルバムを持っていると意識するだけで重苦しい気分になるようになってきたんで、かっては夢中になって集めたそれらアルバム群をことごとく売り払うことになってしまいました。トラッドってねえ、なんかそんな”大芸術”であって欲しくないと思うんですよ、要するに、ね。

 こんな話をしていると、「トラッドが高貴な芸術ではいけないんですか。私はアイルランドの田舎のお婆さんが歌うトラッドを、至高の響きを持っている芸術と感じ入って聞いていますっ!」とかいきり立つ人が出てきます。あんまり頭が悪いんで嫌になってきますが。なーんも分かっとらんのよね。

 私は、そんな”至高”とか”究極”とか””超絶”みたいな権威主義的価値観で大衆音楽を受け取りたくないの。”芸術”なんてうっとうしいものを、その現場に持ち込んで欲しくないの。大衆音楽は人間サイズの音楽であって欲しくて、”人を高める至高の芸術”なんてものであって欲しくないの。人間は人間以上のものにはなれない。決まっているでしょ。

 私は、間違いだらけの”たかが人間”のくだらない人生にそっと寄り添って歩いてくれる、”くだらない、たかが音楽”としての大衆音楽を愛したいの。分かるかなあ。分かんねえかなあ。「自分はこんなにレベルの高い音楽を聴いている、偉大なる存在なのである」なんて見栄張るために音楽ファンをやっている奴には永遠に分からないだろうね。

 Lenaのアルバムのうち、私の手元には結局、一枚のアルバムだけが残りました。彼女の初期のアルバム、もしかしたらデビュー・アルバムの、”Nar Som Graset Det Vajar”です。クリーム色の地に赤い花のイラストが描きこまれたそれには、ただ素朴にスエーデンのトラッド曲を歌う、シンプルに一人の歌手であるLenaがいます。また、こんな歌をLenaに聞かせて欲しいものだと思うのですが、なかなかそうも行かないんでしょうねえ。

 



アイスランドの凍土に

2006-01-28 04:15:22 | ヨーロッパ

 ” Funi” by Bára Grímsdóttir (With Chris Foster & John Kirkpatrick)

 いつまでも寒いですね。ということで極北の地、アイスランドのトラディショナル・ミュージックのアルバムの話だ。
 大西洋を縦断する地球の裂け目の要あたりに位置する島であり、島中火山だらけの趣もあり。”氷河の下に温泉が湧き出る土地からやってきた"とかいうレッド・ツェッペリンの”移民の歌”の歌詞は、この島あたりを念頭に作られたものと思えるが、どうか?

 フィンランドより移入されたのであろう弦楽器、カンテレを奏でながら、素朴きわまる歌声を聞かせるアルバムの主人公、Bara Grimsdottirは、どうやら私の同世代くらいに思える女性である。CDに添付された彼女の一家の歴史に関わる何枚もの写真は、ここ北の小島における、ある種過酷な生活の日々を物語っている。たとえ羊の群れが大地を埋めていようとも、地平線の彼方まで続く凍土の広がりは、ここで暮らすのは大変な事だろうなと思わざるを得ず。

 ギターのクリス・フォスターとボタン式アコーディオンのジョン・カークパトリック、二人の英国から来たベテラン・トラディショナル・ミュージシャンが彼女の歌を支えている。非常にシンプルな音つくりである。
 奏でられる音楽は、地勢上、やはり北欧トラッドに形の上では似ている。が、北欧の豊かな音楽文化圏に深々と抱かれているという感触は無い。むしろ、北の島に置き忘れられた孤児のようにも聞こえる、独特の響きを帯びている。感触としては英国トラッド的なものを感じたりする。音楽的に似ているというよりも、感触として。

 もともとは無人島であり、その後、デンマークなどの支配下に置かれたりした歴史を持つアイスランドであるが、たとえば北の海における漁業などにおいて英国庶民との文化上のかかわりが多かったのではあるまいか?
 そのあたりの音楽の特性に共鳴して二人の英国人ミュージシャンもこのアルバムに参加したのかな、などと、まあ、このあたりは私の勝手な想像に過ぎないが。

 このような地味な歌声を捕まえて「壮絶な歌声だ」とか言い出す人がいるが、いかがなものか。過酷な自然に耐えて耐えて生きていった人々の心に降り積もり、大地にしみこんだ孤独が、このように可憐な花びらのような、素朴な美しさを帯びた音楽を花開かせているのだから、変に”芸術”なんか振り回すより、普通の音楽としてただ楽しんだら良いと思うのだがなあ。

 それにしてもアイスランドも寒いんだろうなあ。早く春が来ないかなあ。

 



国辱映画「SAYURI」を粉砕せよ!

2006-01-26 03:21:45 | その他の評論


 昨日(25日)の「笑っていいとも」に女優の桃井かおりが出ていて、スピルバーグ製作のアメリカ映画、「SAYURI」に出た際の思い出話をしていた。日本ではベテラン女優ながらも、今回の映画ではオーディションを受けねばならず、撮影の間も無名の新人扱いだったエピソードなどをなにやらうれしそうに話していた。

 おいこら、桃井。何が嬉しいのだ。お前は相手が日本人だったらどれほど傲慢に振舞うのか、相当な評判を聞いているぞ。それが、外人の権威者相手では一挙に屈辱的扱いであることを、そんなにも誇らしげに語るのか。「あんなに偉いご主人様にお目をかけていただいて、ハア、嬉しいこんだよう、オラは」と?情けない話だよなあ。ブーたれて見せるべきじゃないのか、いつものように。

 そもそもなぜ日本の芸者の物語を、中国人主演で撮らねばならないのか。主演者ばかりではない、なんであんなに何人も中国人俳優が日本人役で出てくるのだ。
 改めて問うまでもない、アメリカ人製作者の「妄想の中の日本」を実現するには日本人ではなく中国人のほうが効率的だったからだ。つまり彼ら製作者側はキャスティングの段階ですでに、「これから欧米人の日本に対する偏見をベースにした映画を撮るぞ」と宣言したも同じではないか。

 そんなものに大喜びで協力したのか、お前らは。日本人俳優全員が、そんな映画に出るのは拒絶するのが筋というものではなかったのか。そもそも悔しくはなかったのか、非合理とは思わなかったのか、日本を舞台にした日本人をテーマの映画の主演者が中国人であることを。
 そんな状況を異常とも思わず、侮辱ともとらずに、映画に「使っていただいた」のを光栄と顔をほころばせていた日本の俳優連中の名前は”国の恥"として覚えておくとする。

 それにしても。わが日本人は、まだこんな事をやられ放題なのかね、西洋人に。これではいまだ、ペリーが浦賀にやってきた当時のレベルと何も変わっていないじゃないか、日本と西洋の関係。何のために長い長い年月が流れたのだ。あきれたよ、俺は。




エンリコ・マシアスの裏事情

2006-01-24 04:34:29 | イスラム世界

 ”恋は不思議ね 消えたはずの 灰の中から なぜに燃える~♪”・・・などとエンリコ・マシアスの”恋心”のメロディをたどっていくと、いつも似たような曲、”思い出のソレンツゥアラ”とゴタマゼになってしまう。いや、そもそも両曲ともマシアスの作曲なんだっけか?

 エンリコ・マシアスの歌が日本でもヒットしていた頃、などというのは1960年代、それこそロックもシャンソンもカンツォーネも同格で町に流れていた時代であり、そして私がワールドミュージックなんて概念に出会うのは遥か先の話だった。そりゃそうだが。
 でもマシアスの顔立ちには、どこかエキゾチックなものを感じ、彼はシャンソン歌手ということだが、どこか国境の微妙な場所の出身なのだろうな、とは思っていた。彼の歌の、どことなく歌謡曲っぽいニュアンスも、もしかしたらそれと関係があるのではないかとも、なんとなく想像はしていた。が、それ以上の興味を持つ事も無かった。今言った、その”歌謡曲っぽさ”がダサくて嫌で、それゆえ特に彼のファンでもなかったからである。

 それにしても微妙も微妙、彼はかってフランス領だった北アフリカはアルジェリアの、しかもユダヤ系なんて立場だったとはね。
 アルジェリアがフランスから独立する際、かの国はユダヤ系住人抜きでの国作りを選んだ。なぜというに、独立の際、ユダヤ人の多くが宗主国・フランスの側に付き、独立を阻もうとしたから。なぜアルジェリアのユダヤ系住人は、そのような動きをしたかといえば、フランスによりフランスの市民権という”毒入りの贈り物”を彼らだけ与えられていたから。なぜ、そのような”特権”を与えられたかといえば。これの真相は藪の中みたいだが、つまりはフランスの分断政策なんでしょ、おそらく。

 ・・・。このあたりはなかなかややこしい歴史の展開があり、本当はさらに裏事情をさかのぼって語って行くべきなのだが、これ以上、”なぜかといえば”の連発で文章をつなげるのは格好が悪いのでやめておく(そんな・・・)
 ともかくそのような出自の”有名歌手”であるゆえマシアスは、故郷のアルジェリアで、いまだ公式にステージに立てない立場だそうな。彼の存在がアルジェリアにおけるユダヤ民族問題に再び火をつけてしまうのを、アルジェリア政府は恐れている。

 そのような複雑な事情が、彼の風貌や音楽における”エキゾチック”の影に隠されていたと知ったのは、まあ、つい最近、彼がそんな自らの出自を明らかにした、つまり故郷アルジェリアのユダヤ音楽を演じたアルバムを聴く機会があったからなのだけれど。
 そしてその内容は。実は、まるでミもフタもなく”アラブ音楽”としか聞こえなくて、唖然としてしまったのだった、私は。例の”歌謡曲っぽさ”のルーツとの対決を、今でもやっぱり”ダサいなあ”としか自分には感じられないかを試すことをしてみたかったのだが、これ、シャンソンとも歌謡曲とも、遠く隔たった世界だよ。

 と、間が抜けたままこの文章は閉じねばならないのだが。いや、そんな謎を自ら解き明かしてくれるアルバムでも、いずれマシアスが出してくれることなど期待しながら。

 



「グッドヴァイブレーション」の頃

2006-01-23 05:32:11 | 音楽論など

 あれは70年代の中頃だったと思うが、若者向けの軽薄な雑誌に「片岡義男になりたくて仕方がない」みたいな文体で、こんな事が書かれていた。

 「あの頃。僕らはあの湘南の浜でサーフボードを抱え、その年最高の波を待っていた。いつも聞こえていたビーチボーイズのサーファーガール、サーフィンUSA・・・」

 嘘つけ、と思った。「あの頃」というのは60年代の終わりを指すらしいが、その時期、ビーチボーイズが、湘南であろうとどこであろうとこの日本国内で、そう簡単に聞こえていた筈がない。

 たとえ現実にラジオか何かから、あるいはどこかのマニアがレコードをかけるかしていて、物理的に聞こえていたとしても、総体としては聞こえていなかったはずだ。そいつはオノレの都合で作り上げた、勝手に理想化された過去だ。
 当時、現実の日本の海岸で流れていたのは、安いラジオから漏れ出る村田英雄先生の歌声とかだったはずだ。最高にかっこ良くて加山雄三。それが精一杯だった。それが平均的な現実だった。
 たとえ湘南であろうと、この日本がそんなに昔からカリフォルニアであったもんかよ。

 などと思ってむかついてしまったのは、その「あの頃」にロックについて語り合う友人が欲しかったのに、周りにはそんなものに興味を持つ者など誰もいない田舎町のチューボーでいなければならなかったオノレのかっこ悪いローティーンの日々があったからだろう。
 いなかったよ、誰も。聞いてなんかいなかったさ、ビーチボーイズなんて。俺の周りじゃ、な。

 私はビーチボーイズの「グッドバイブレイション」を聞いていた。高校1年の夏・・・だったと思う。
 サーフボードを抱えて砂浜で、ではない。エアコンもまだ出現していない自分の部屋の安いステレオで。小遣いを貯めて買ったドーナツ盤で。あるいは、ラジオのリクエスト番組で。
 思えば、様々な要素がパッチワークのように組み合わさった曲で、あんなものを「ポップス」として受け留め、熱狂出来た自分が不思議だ。しかし、そうなるのに何も不自然なものはなかった。自然な感動だった。
 そして、その感動を語り合う仲間は、やはりまだ見つける事が出来ずにいた。

 神話は、その後に生まれた。「グッドバイブレイション」の成功の後、さらなる音楽的な高みに昇ろうとしてビーチボーイズは、というかリーダーのブライアン・ウィルソンは、その行為の重圧に破れた。
 「傑作」として世に出るはずだった新作アルバム、「スマイル」は制作中断されたまま封印され、ブライアンは現実への扉を閉ざし、ドラッグの海に溺れる日を送った。

 時は流れ・・・ビーチボーイズは再発見され再評価され、ブライアンが現実世界を去る前に世に問うた作品、あの幻の「スマイル」の先駆となる作品、発表当時は芳しからぬ評価しかえられず、売り上げ的にもパッとしなかった筈の作品、「ペット・サウンズ」は、いつの間にか「ロック史に残る傑作」と呼ばれるようになってしまった。

 そいつも嘘だろう、と思う。お前ら、あの頃、あんなアルバム、聞いていなかっただろう。「評価」するのは勝手だが、「懐かしい」なんていう権利はないぞ、お前らには。

 そして、完成される事のなかったアルバム、「スマイル」は、人々がいつも好む、美しき挫折の記念碑として非在のまま神殿の王座に飾られる事となった。「あのアルバムが出来ていたらどんなに素晴らしかっただろう」

 でも、存在しなかったアルバムは、やはり存在はしなかったんだよ。

 今にしてもう一度、「グッドバイブレイション」を思う。あれこそが、我が芳しからぬ「学校の先輩」である鈴木いずみが言った、ただ一言の名言、「60年代の終わり、あれがすべての始まりかと信じ込んでいたのだが、あの時、世界は実は終わっていたのだ」を体現する音楽だった。

 「世界の破滅」を目前にして、それを予兆し、壊れてしまったポップス。だからそれは、あんなに異様な形をしていて、なおかつ、それを聞く側にはリアルに感じられたのだ。
 だからこそ・・・「その次」の「スマイル」は完成される事はなかったのだ。世界が崩壊し去ってしまったのに奏でられる音楽など、存在しようもないのだから。

 そして世界は滅亡し・・・その世界で我々はいまだ、生のうちにいる。ガラクタと化した世界のうちに、明日を求め、あてもなくさ迷っている。

 ビーチボーイズのメンバー中、ただ一人バンドのパブリック・イメージ、「太陽の下の陽気な若者」を実践していたドラマーのデニス。バンドの良心を体現していた誠実なギタリストのカール。
 まるで「世界の崩壊」を証明するかのように若くして死んでいった、この二人の弟を送った後、一人生き残った長兄であるブライアンは、ドラッグの海の中から起き上がり、まさか!との思いに迎えられつつステージに帰ってきた。

 ノスタルジイとして受け止める人がいる。あるいは名作は永遠と。私は単にそこに一人のミュージシャンがいる、それだけの事、そう受け取っているのだが。

 


音楽のネット配信はワールドミュージック爆発の夢を見るか?(見ない)

2006-01-22 05:53:53 | 音楽論など

 前回、前々回に続きます。このところ、話が意外な方向に行っていますが、えーと、何でこういうことになったのかな?

 ある方の掲示板で「なぜ、ワールドミュージックなんて聞くの?」みたいな話が出たわけです。で、私としては以前よりの持論、「ポップスはそのままワールドミュージックなのが本来であって、むしろアメリカとイギリスの音楽しか聴かない状態のほうが異常なのである」ってのを披露した。そしたら、「いや、現在の若者たちはもはや、”英語の歌”にさえ耳を貸さず、自国の音楽しか聴いていないようだ。しかもそれは全世界的傾向のようだ」なんて教えられた、そんな話の流れに、このブログの記事も乗っているわけですが。

 そんな話をしているうちに、どうも、急速に進む技術革新と変転する人々の意識の狭間で死滅に向かうポップス、みたいな構造が見えてきてしまって暗澹たる気分になっている次第です。
 そんなおりもおり。本日届いたラテン音楽の雑誌、「ラティーナ」の今月号の終わりの方、読者の投稿ページに、まあなんとも天真爛漫な音楽のネット配信賛歌を書いておられる方がいるのを発見。
 いわく・・・

 「早く皆がネット配信に移行しないかなあ!私なんか昨年はCD、まるで買わなかった。もう、ネット配信専門!
 ネット配信ならCDが手に入りにくいマイナーなミュージシャンのものも結構見つかる。廃盤で普通には復刻できないようなものも、どんどん入れて欲しいなあ。ワールド系の貧乏レーベルにとってもネット配信は便利だろうし、配信なら収録時間の制限もなくなるから、リオのカーニバル完全録音なんかも可能だなあ」

 そしてこの人はこう結ぶのであった。「ひょっとするとCDの時以上のワールドミュージックの爆発が起こる可能性もあります」

 うう・・・まあ、盛り上がっているところに水を差すのも気が引けますが(というか、”ワールドミュージックの爆発”なんて起こりましたっけ、過去に?まあ、その話はこっちに置いておいて)全世界的に若者たちが他国の音楽などに興味を失っているという今日、ワールドミュージックの爆発が起こる可能性って、どれほどあるんでしょう?たとえば、あなたの周囲にワールドミュージックのファンて、どれほどいますか?

 いくら便利なネット配信をしても、受け手がいなければ意味ないです。そんな具合に世界が劇的に変化する、その真っ只中に、マイナーなミュージシャンやマニアックな廃盤に興味を示す、そんな昔ながらの音楽ファンは変わらず存在し続けると信じられる、その根拠は何なんでしょう?
 若者の生活に携帯電話が密着する形で定着した結果、音楽の最大の消費層である若者たちは携帯で連絡を取り合い、その通話料を払うのに汲々として、音楽に金や時間を使うことがなくなってしまった。カラオケの定着によって歌は、単なる馴れ合いのためのツールになってしまった。
 技術革新に伴う生活の変化って、たとえばそんな具合ですよ。

 「みんなが聞いているから」が最大の聴取音楽選択理由であるような若者たちが、せっかくのネット配信を、得体の知れない地球の裏側の音楽を聴くために使うと思いますか?リスナーをドメスティックな市場に囲い込んで刹那的銭儲けに走る音楽業界が、そんな若者たちを貧乏レーベルなんかにさらわれる手抜かりを犯すとお思いですか?
 そして、ああ、リオのカーニバル全編中継を聞く暇があるでしょうか、彼女を誘うデートの下調べに忙しい今日の若者たちに?

 「ワールドミュージックを取り巻く状況論」を述べるにあたってのサカナに使った結果、まるで八つ当たりのような文章になってしまい、申し訳ありませんでした、K市のTさん。

 (みなさまへ・komtaさんとまーさんが昨日分にもコメントをくだすっているので、そちらの方もお読みになってください)




音楽を殺したのは誰?

2006-01-21 03:25:03 | 音楽論など

 昨日の続きです。昨日の記事に対していただいたコメントへのレス含みで進行します。変則ですみません。

 komtaさんへ
 貴重な情報、ありがとうございました。なるほど。タイでは今、そのような愛国キャンペーン体制にあったのですか。それは、そのような必要に何か迫られているのか、それとも、普段からそんなことばっかり言っている体制なのか。かの南国の人々は、そんなお達しとは無関係にマイペースで生きているのであろうと想像するんですが。

 タイの音楽に関しては”土俗系を時々聞きます”レベルのこちらとしては、ポコポコとんでもない音楽の飛び出してくる世界で、猥雑な庶民パワーが活き活きと息付いているみたいな印象を持ってるんですが、やはりそちらにも閉鎖傾向が進行中ですか。まあ、外国の音楽を聴けばいい、というものでもないですが、聴ければ聴いたほうが良いようにも思えます。かってタイの大衆音楽に大きな影響を与えた”サンタナ”みたいなものを見逃す結果になるかも知れないじゃないか、ってのは余計なお世話か?

 タイでは、大衆音楽がどのような理由でドメスティックに傾くことになったのでしょうね?音楽産業側の都合が大きいのか、民衆の好みがそちらに傾いているのか?その複合技なのか?
 日本の若者たちの”内向き傾向”の理由として、昨日の繰り返しになってしまいますが、私は以下のように考えています。

 i-potなりなんなりの新製品を「買え!消費せよ!」と企業の側に押し付けられた若者たちが「うわあ、これは便利だなあ。こんなのが欲しかったんだ」と、よく躾けられた消費者を演じてはみたのだが、それが音響機器ゆえ、なんらかの音楽を聞かねばならない。音楽なんてほんとは興味ないのに。で、あれこれ探し回るのも面倒だから手近かにある安普請の音楽を手に入れ、聞いている。より楽しめる音を求めて海外に目を向ける、なんてのは考えも及ばず。

 あるいは「音楽をダウンロードで手に入れる」という事をやってみたい。で、やってみたら音楽が手に入っちゃったけど、これ、どうすんの?鳴らしておけばいいの?みたいな。カーステレオをでかい音で鳴らして走りたいが、そのためには音楽が必要だ。なに聞いてるんスか、センパイ?教えてくださいよ。とか、そんな本末転倒具合。
 あくまでもハードというかシステムというか、まずそれが先行し、与えられたそれらアイテムを消化する過程で、たまたま音楽が必要な場合があるだけではないのか?
 つまり、彼らの内部において音楽はすでに死に絶えているのだ、みたいな結論になってしまいます。

 そうなった理由としては、まあ、企業側が若者たちをそのような個性を持った消費者として教育して来た、その成果が出ているんでしょうね。余計なことは考えずに、企業が売ろうとした商品をそのまま自分の欲望として認証するような、そんな消費者として。
 ”自分の欲望”は外からやってくる。「お前はこんなものを欲しがるべきなんだよ」という形で。また、そうやって教えてもらわないと自分が何が欲しいのかを見分ける能力さえ、すでに失われている。そんな状況。

 massh@まーさんへ
 メディアの姿勢ってのは、ありますねえ。以前、パラパラとか、あの辺に絡む音楽をプロモートするためにテレビに出てきた、いかにも頭の悪そうなレコード会社の宣伝マンが、「日本の音楽界の無内容化を目指します!」なんて事を得意げに言っていたけど、それが韜晦ではなくすべてになってしまっているのが、メディアを含む音楽業界の姿勢なんだと感じています。

 売れると都合の良い、中身の薄いジャンクフードみたいな音楽を売り込むことはするが、本当に良い音楽を広めようなんて情熱はもう、業界のどこを探しても無い。そんな事を考えるのはダサいことだし、そもそも金にならないんだからやったってしょうがないじゃないか。
 だけど、”音楽を愛する心”がなくなったら、そりゃいつか、誰もCD買わなくなるよ。それをダウンロードのなんのと目先のシステムだけ変えても同じことだ。意味無いものを欲しがることの無意味に、いつか人は気がつくはずだから。


 なんか荒涼たる気分ですねえ、しかし・・・





”洋楽の消滅”の彼方にあるものは

2006-01-20 03:00:04 | 音楽論など

 以下は昨日、ある人のサイトへ書き込んだ文章です。

 そもそもは、「かってはあんなに豊かにいろいろな国から入って来ていた”洋楽”が、どうしてアメリカやイギリスといった”英語の国”からの音楽のみになってしまったのか?」といった話題から始まったのでした。
 その後、「いや、現在の若者たちは、その”英語の歌”にさえ耳を貸さず、自国の音楽しか聴いていないようだ。しかもそれは全世界的傾向のようだ」といった方向に話は流れていったんですが。

 ~~~

 日本の若者たちが外国の音楽を聞かなくなっている現状。そこからは、どうしようもなく感性の劣化というか矮小化みたいなものを感じてしまいます。ナショナリズムなんて景気のいい話(?)には発展しそうにないというか、むしろその先に音楽の死滅の風景が見えてくる。
 産業の基幹として限りなく研ぎ澄まされて行く”ハード部門”から、例のi-podなどのタグイを与えられ、それを消費せねばならないから、あてがわれた安易な”売れ線”の音楽を、これもダウンロードなりなんなりの最新のテクニックで手に入れる、そんな本末転倒の風景。
 日本の若者たちは目の前にいて、その日常の生活と意見も知ることが出来ますが、外国の若者たちの間でも同様の現象が起こっているとして、その内実はどうなんでしょうね。日本と似たようなものなのか、あちらには別の事情があるのか。”いわゆる先進国”と、”いわゆる途上国”では。違いがあるのかどうか。公式見解ではない、生活の中の生の声を聞いてみたいですね。

 ~~~~~

 それにしても・・・世界中が”洋楽といえば英語”である状態も怪しい感じだけど、自国の音楽しか聴かない、興味を持たない若者たちってのも、なんだか気持ちが悪い気がします。

 この件に関してご意見、ご感想、情報などお持ちのかた、このブログのコメント欄にでも書き込んでいただけませんでしょうか?よろしくお願いいたします。





ガルデルの帰郷

2006-01-19 00:36:06 | 南アメリカ

 それまではダンスのために奉仕する伴奏音楽として存在していたタンゴに、ボーカル・ミュージックとしての道を切り開いた、最初の歌謡タンゴの大スター、カルロス・ガルデルは1935年6月、飛行機事故により45年(これには諸説あり)の生涯を閉じた。

 アルゼンチンのドメスティックな人気者の殻を破り、アメリカにおいても活躍、何本もの主演映画さえ公開され、まさにこれから本格的な国際スターへの階段を登らんとしていた矢先のことだった。当然ながら故国アルゼンチンの国民はその事件を深い悲しみを持って受け止め、ガルデルの誕生日は”タンゴの日”として国民の祝日に定められている。

 このガルデルにはさまざまな伝説があり、それを検証して行けば、アルゼンチン国民独特の精神風土探求の一助ともなろうが、とりあえずこんなに偉い人に関してあれこれいうのはもう少し先に延ばしておきたい。

 で、ここにあるのは、アルゼンチンのギターの名手、ファンホ・ドミンゲスが2004年に発表した、ガルデルへのトリビュート・アルバム、”Corazon Guitarrero”である。
 伝説の大スター歌手への捧げ物としてはかなり異色の内容となっている。取り上げられているのは、ほとんどがガルデルがまだ新人歌手だった頃のレパートリーであり、しかもそれを歌でカヴァーするのではなく、ギターの4重奏で行っている。

 その結果、出来上がった音楽は。これから歌手としての成功に向けて歩き出さんとしていた若きガルデルの初々しい心のときめき、そんなものの面影だけがうつろう、不思議なアルバムとなった。描き出されるのは、若きガルデルが愛した街角や行き付けの店、愛用の品々、彼の友人たちが集い笑いさざめいた、その声のエコー、そのようなものである。ガルデルを取り巻いていた空気が、まだガルデルその人のぬくもりを残したままそこにあり、だがガルデル本人は不在である。そんな音楽。

 そしてアルバムは、ファンホの深い思い入れをこめたギターの音が鳴り渡る、”ボルベール(帰郷)”の美しいメロディで幕を閉じる。ここでアルバムを聞く者は、この作品の意図を知るのである。ここではガルデルは無名の、一人の歌を愛する青年に帰り、懐かしい故郷に迎え入れられている。もう、大スターのプレッシャーなど肩から降ろして、ゆっくりくつろいで良いんだよ、ほら、懐かしい昔の友達皆が君の帰りを待っていたんだ、と。

 アルバムの製作者ファンホ・ドミンゲスの、伝説の大スターに向けた視線が、泣けてくるほど優しいアルバムである。それにしても「想いの届く日」ってのは美しい曲だなあ。





ポピュラー音楽の世紀

2006-01-18 04:40:42 | 音楽論など

「ポピュラー音楽の世紀」中村とうよう・著、岩波新書

 私が子供の頃、”外国の音楽”は、もっと色とりどりのありようを示していた記憶がある。

 街にはラテン音楽が当たり前のように流れ、テレビではジャズ・コンサートが家族団欒の時間帯に中継され、シャンソンやカンツォーネは、ロックと同等の存在感を持って人々に聞かれていた。突然、タヒチの民謡が”洋楽”としてヒットした事もあったし、あんまり面白くは無かったとはいえ、ロシアから来た赤軍合唱団の来日公演だって、普通に行われていたんだ。

 にもかかわらず、いつの間にかこの国では、”外国の流行り歌”といえば、すべてアメリカ製やイギリス製の”英語の歌”で当たり前、そんな状況になってしまった。これ、よーく考えてみると、なんか怪しくないか?

 これは、世界の”ポピュラー音楽”の、複雑に絡み合った形成と変転の歴史を探索し、上に述べた我が疑問解消への糸口を示してくれた書である。
 なんか、どっかでだまされちゃいないか?と、この本を読んで、自らの立ち位置を検証し直そうよ!