北欧はスエーデンに”Lena Willemark”という女性トラッド歌手がおりまして、まあ、我々は”レナ・ウィレマーク”とか読んでおりましたが、そのうち「それは正しくない。本当は”レナ・ヴィレマルック”と読むのである!」とか言い出す者が出てきまして。まあ、そういうものですなあ。
私なんぞは「どのみち、こちらの発音では正しい呼び方になんかなってないだろうし、いいじゃないか大体で」といった考えですんで、誰の話しをしているのか分かればいいと思うんですが、そんな奴ってなんか、その呼び方にオノレの全存在がかかっている、みたいな入れ込みようでうっとうしくてならなかったりします。いや、そいつの話をしたいのではなくて。
あれは90年代の半ば頃でしたかねえ、私が彼女に入れ込んでいたのは。当時、彼女、Lenaの繰り出すアルバムはどれもきわめて質の高い作品ばかりで、新譜が発表されるたびに息を飲む思いで私はそれを迎えたものでした。
ただ美しいだけではない、高貴な猛々しさとでも呼びたい響きに彼女の歌声は満ちておりまして、また、彼女の相棒、Ale Mollerが作り出すそのサウンドも北欧の伝承音楽のエッセンスのような美しさに満ちていました。
が・・・ある日私は、彼女のアルバムすべてに興味を失ってしまいます。なんだかねえ、彼女のアルバム、どれもあまりにも厳格な芸術っぽい出来上がり過ぎるんで、なんか聞いていると息が詰まってくるんですよ。疲れてしょうがない。しまいには彼女のアルバムを持っていると意識するだけで重苦しい気分になるようになってきたんで、かっては夢中になって集めたそれらアルバム群をことごとく売り払うことになってしまいました。トラッドってねえ、なんかそんな”大芸術”であって欲しくないと思うんですよ、要するに、ね。
こんな話をしていると、「トラッドが高貴な芸術ではいけないんですか。私はアイルランドの田舎のお婆さんが歌うトラッドを、至高の響きを持っている芸術と感じ入って聞いていますっ!」とかいきり立つ人が出てきます。あんまり頭が悪いんで嫌になってきますが。なーんも分かっとらんのよね。
私は、そんな”至高”とか”究極”とか””超絶”みたいな権威主義的価値観で大衆音楽を受け取りたくないの。”芸術”なんてうっとうしいものを、その現場に持ち込んで欲しくないの。大衆音楽は人間サイズの音楽であって欲しくて、”人を高める至高の芸術”なんてものであって欲しくないの。人間は人間以上のものにはなれない。決まっているでしょ。
私は、間違いだらけの”たかが人間”のくだらない人生にそっと寄り添って歩いてくれる、”くだらない、たかが音楽”としての大衆音楽を愛したいの。分かるかなあ。分かんねえかなあ。「自分はこんなにレベルの高い音楽を聴いている、偉大なる存在なのである」なんて見栄張るために音楽ファンをやっている奴には永遠に分からないだろうね。
Lenaのアルバムのうち、私の手元には結局、一枚のアルバムだけが残りました。彼女の初期のアルバム、もしかしたらデビュー・アルバムの、”Nar Som Graset Det Vajar”です。クリーム色の地に赤い花のイラストが描きこまれたそれには、ただ素朴にスエーデンのトラッド曲を歌う、シンプルに一人の歌手であるLenaがいます。また、こんな歌をLenaに聞かせて欲しいものだと思うのですが、なかなかそうも行かないんでしょうねえ。