他の方の日記の話題への便乗で申し訳ないのだが、島倉千代子の「愛のさざなみ」問題の思い出話など書いてみようと思う。
そうか、あれは1968年の出来事だったのかと頷いてしまったのだ。その方が、ふと目を通された当時の芸能誌に載っていたその時点での最新の話題として、”島倉千代子の新曲・愛のさざなみ=アメリカ録音のR&Bである”話に論及されていたので。
”リアルタイマー”として求められてもいないのに証言してしまえば、それは68年の発売時点で、それなりに話題になっていた事だったと記憶している。
島倉千代子、例のあの人だが、彼女がGS人気減衰期とされる68年に、なんだか唐突に”アメリカ・レコーディングのリズム&ブルースである”との触れ込みで、新曲、「愛のさざなみ」を発表しているのである。
私が当時読んだ芸能誌の記事では、「本来、”洋楽志向”である筈のGSだが、たいした実力もないバンドも多い。そこに今回、ついに大物が本物志向のレコーディングを行った」みたいな論調で、「愛のさざなみ」は紹介されていた。まだそこらのガキだった私は、その頃、一緒にバンドを作ったり壊したりしていた友人と「なぜ、島倉千代子がR&Bにトライしなければならないんだ?」と首をかしげたものであった。
その曲における島倉千代子の唄いっぷりは、今日、日本の全国民が知っているあの通りのもので、曲自体も、いかにも島倉千代子が歌いそうな典型的な歌謡曲であったのだし。
が。そのバックトラックは。今の耳で聞けばどうだか分からないが、との前提でいえば、当時の”国産の音楽”とは、まるでレベルの違うものだった。と聞こえた。アメリカ直送の空気が感じられる、と私は思ったものだ。
曲の現物に関してはレコードは買わず、ラジオで聞いただけだったのだが、同時期にラジオから流れていた日本の”洋楽志向の音”とは、確かにまったく手触りが異なっていた。もっと具体的に言えば、リズムギターのカッティング、提示されている音空間の広がりの感覚、などなど、なぜこんなに日本の音と違うのだろう?その点に関しては”本場”にはまったく敵わないと舌を巻いたのだった。とにかくその時点ではそう感じたのだった、私は。
この辺は、過去に起こった事のすべてを俯瞰した上で音そのものの絶対評価を行える今の視点で、とは違い、同時点での”他の日本の音”と自然に並行に聞き比べる事が可能だったというか、そうするしかなかったリアルタイマーなりの”一次資料”としての証言として受け取っていただきたいが。それが68年頃、ロック少年をやっていた私からの、正直な、むき出しの感想である。
そういえばそうだな、アメリカ録音が本当だったのかどうか、だとすれば”R&B”などに興味などもっていそうにないファン層に支えられて歌謡界に大御所として君臨していた島倉千代子が、なぜ、そのような試みを行ったのか、どのような裏話があるのか、その結果はどうだったのか、などなど、いまだに分からないままだ。
まあ、相手が島倉千代子でもあるし、その試みがその後も続行されたならともかく、その一発きりだったりもしたから、私も濃厚な興味を持続させずに、そのまま忘れてしまっていたのだが。世間的にも、そんなものだったろう。
それにしても島倉千代子、なんでアメリカ録音なんてしたのだろうな。しかもR&B専門のスタジオで。彼女のファンであるジーサンバーサンたちが、「ほう、メンフィスでレコーディングしたのか!こりゃ、良い塩梅だ」とか喜ぶとも思えず。
まだまだアメリカは海のかなたの夢の国であり、わが国のレコードの売り上げのほとんどは”邦楽・演歌”であった、遠い遠い時代のことである。レコード・ジャケットを見ると、”ボビー・サマーズと彼のグループ”なる外人のバンドの写真が片隅に写っているが、このバンドの詳細を知りたいものだなあ。