クリスマス当日。
ディナーを島の中心部のレストランにて。
食事どころ、土産物やが両脇に立ち並ぶ街のメインストリートは
たくさんの人が集いとてもにぎやか。
生演奏も行われていたりして、お祭モード満載。
道にまでせりだした屋外席でmojitoとpinacoladaで乾杯。
新鮮な魚介のグリルはとっても美味しく、
活気あふれる南国のクリスマスはまた別の趣で
シアワセな気分で食事を終える。
とそのとき、ダンナが一言。
あの子たちからミサンガを買いたい、と。
聖なる日にレストランで食事を楽しんでいるのは当然旅行者たち。
その合間を土産物を売って歩く子供たちがいる。
クリスマスに1本1ドルのミサンガを売ってあるく彼ら。
強者の理論と言われてしまえばそれまでだが、
私はこうした子供をウリに商売をする方法はどうも賛同できなくて、
だけれどそれが彼らの助けになるという現実も否めなく、
メキシコに来てからというものこうした子供たちの目線をそらして日々を送っていた。
今宵はクリスマス。
白人の女の子が両親に連れられて南の島でクリスマスディナーを食べている。
その横で、女の子の母親に同じ年頃の現地の男の子が土産物を売ろうと
必死で呼びかける。
けれど母親は目をそらす。
胸が押しつぶされそうな、けれど現実、である。
最初私は夫にダメだといった。
この悪循環に加担することになるのだからと。
心の中では揺れながら、だから強く言った。
だけれど食後のコーヒーを飲んで、夫がもう一度提案してくれたとき、
私の心はやっと溶けた。
夫が売り子を呼び止める。
「二つ頂戴。
一つは僕に、一つは彼女に」
女の子の持つたくさんの束のなかから私は一生懸命選んだ。
可哀想だからではなく、本当に素敵だと思うから買うのだと。
貴女が作った作品に対して払う1ドルなのだと。
そう彼女に分かって欲しかった。
そして私自身もそう思いたかった。
2本選び出して差し出すと、はにかむような、けれど満面の笑みが広がった。
帰り道、私は泣いた。
現実に対して、自分に対して、夫に対して、
いろいろな気持ちが混ざって上手くは説明できない。
でもきっと嬉しい涙だった。