映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

30時間旅行 ~推し活で初九州◇福岡・太宰府~ ①

 九州、行ったことなかったんです。本州から初めて出たのが、2019年四国の旅。北海道もちょこっとだけ函館に上陸。今回、九州にも上陸し、とりあえず日本列島主要4島を踏破したことになります。残るは沖縄……!

 どうして九州だったかというと、推し活でございます(後日推し活レポート書く予定)。

 というわけで、初九州の慌ただしい30時間の旅の記録です。


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 今回の推し活は、金川さんが協演する九州交響楽団(九響)の定期演奏会に。同一プログラムで2日連続公演。初日(11月7日金曜夜)は福岡、2日目(11月8日土曜日昼)は熊本で、土日で旅程を組んでも良かったのだけど、8日土曜日の昼に銀座でのリサイタル(金川さんのではありません)のチケ取りしてしまっていたし、日曜日も用事が、、、。なので、金曜日の朝出発、土曜日の昼帰京、という無謀なスケジュールに挑むことに、、、。

 で、7月、九響のチケットが無事に取れたのと同時に、JALの往復早割を予約。なんと往復25,364円(税込み)。早割スゴっ!! 実は、宿はチケット発売日1か月前からAgodaでゲットしておいたのだった。割と直前まで(確か1週間前まで)キャンセルできるとあったので。

 タイトな旅なので、なるべく福岡で時間をたくさんとろうと、自宅最寄り駅の始発電車に乗れば間に合いそうな時間のフライトを探したら、コレだった。

 羽田に着いたのが6時過ぎ。保安検査場に直行して搭乗ゲートに着いたのが6:25。搭乗開始まで、福岡についてからの電車の乗り換えとか確認しつつ、ボケ~ッと外を眺めて過ごす。

 座席は事前に通路側を取っておいた。この後、続々人がやって来て、最終的にはほぼ満席だったような。この時間から満席、、、。

 エアバスA350でキレイ。帰りも同じ機種だった。お隣は女性2人連れでホッとする(ちなみに帰りもだった。ラッキー)。悪いけど、やはりお隣は女性の方がホッとする。

 機内サービスはドリンクのみ。眠いし、1時間20分くらいだから、エンタメもフライト情報のみで全く見なかった。多分、半分くらい寝ていたと思う。

 で、ほぼ定刻に福岡空港到着。初めて九州の地に降り立つ!!

福岡空港。到着フロアから降りて見上げたところ

 ……といっても、特に感慨もなく、地下鉄空港線へ直行。

地下鉄空港線。始発&終点の福岡空港駅。駅ごとにシンボルマークがあって可愛い

 

左:この「姪浜」行に乗る/右:ガラガラ(この後の駅で割と人が乗って来ました)

 さすが、中心部からアクセスが良いと噂の福岡空港。地下鉄で目的の中洲川端まで4駅、10分弱。この中洲川端駅から歩いて3分の所に宿を予約しているので、そちらに荷物を預けに、、、。

 フロントで愛想のよいお姉さんが荷物を預かってくれた。Agodaは予約が取れていないことがあるとか噂を聞いたこともあるので、もし予約入ってなかったらどーしよ、、、と思っていたけど、杞憂であった。この日は朝から気温高めだったので、ついでに上着も預けて、太宰府へ。

 再び中洲川端駅に戻り、一駅乗って天神駅で、西鉄天神大牟田線に乗り換える。

 金曜の朝10時前でラッシュ時間を過ぎていたからか、地下通路もあまり人は多くない。

左:人気のあまりない通路を通って西鉄へ/右:西鉄のりば

 出発時刻を見ると、10:00ちょうど発の特急がある!  

西鉄天神駅の構内。始発&終点駅

 大牟田行きのこちらの電車で二日市まで行き、乗り換えだ。

 福岡空港から大宰府までは、実は直行バスもあるのだけれど、国際線ターミナルへ移動しないといけないのと、やはり知らない所へ行ったら、そこの電車に乗ってみたい、、、というのがあるので、迷わず電車で行くことを選択した次第。

 車窓からの風景は、こう言っては失礼だけど、意外に都会だな、、、という印象だった。私の育った愛知県のド田舎なんて、そもそも無人駅がいっぱいあったし、2両編成で走っているのが普通だったし(朝夕はせいぜい4両)、車窓から見えるのは田んぼと工場ばかり、向こうは山、、、なんて感じだったので、そりゃ福岡の中心部から走っている電車なんだからそんなド田舎と比べること自体が間違っているんだよな、、、などと思いながら車窓を楽しく眺めておりました。

 で、15分くらいしたら二日市駅に到着。

左:太宰府行きに乗り換えるためホームを移動する/右:こちらの太宰府行きに乗る

 10分弱で、太宰府に到着~。

 駅前から参道の方へ行くと、、、あら、あんまし人いないのかしら? ……と思いきや、、、甘かった。

人、人、人、、、

 平日の10時半からこの人出。休日はさぞや、、、。修学旅行生も結構いたが、やはり一番多いと感じたのは旅行客と思しき韓国人。近いもんね、、、。

 両脇の土産物屋や梅ヶ枝餅のお店を眺めつつ、どのお店の梅ヶ枝餅を食べようかなぁ、、、と考えていたのだが、とにかくお腹が空いていることに気付いたのだった。何しろ、朝、4時半に軽く食べてから何も食べていなかったので、、、。これから動くのに燃料補給せねば! とこちらへ。

ふくや 太宰府店(画像お借りしました)

 お腹が空き過ぎていたせいか、お店の写真を撮るのをすっかり忘れてしまった、、、。この時間ではまだ食事は早いかな、と思ったけれど、店員さんが食券の買い方を教えてくれて、食べられるのね、と安心。

 明太茶漬け膳という、アフタヌーンティーみたいな見た目のセット。

 上段に3種の明太子(生明太子、炙り明太子、明太子のゴマ油ねぎ和え)、下段にいか明醤、梅高菜、とろろ。右の白い容器の蓋を開けるとお上品な量のご飯が。これをお茶碗に入れて、「明太子を食べ比べてください!」とのこと。だしもついているので、お茶漬けにもできる。

 食べ比べたけど、私はたらこは生が一番好きで、明太子もやっぱり生が好きだけど、炙ったのももちろん美味しかった。ゴマ油和えってのは初めてたべたけど、めっちゃご飯に合う!! ご飯お代わり!!!と行きたいところだったが、自重した。

 とろろもおだしも薄味でお上品。空きっ腹には八分目に足りないくらいだったけれど、美味しくいただきました! こちら、1,700円。

 空腹が落ち着いたところで、いざ! 大宰府天満宮目指して再び参道へ。

どこにでもあるスタバ、、、だが、この異様な見た目はクマさんの設計だとか(ノーコメント)

 そうだ、梅ヶ枝餅を食べなくちゃ! というわけで、たくさんあるお店から何となく選んだのはこちら。

 一応、行く前にお店は調べたけど、何となく良さげな感じのお店という印象で選んだのであった。お店によって個性があるらしいのだが、食べ比べしたいほどでもなかったし、こういうのは出会いだからね。

 ……うん、お餅の表面は香ばしくて、餡子アツアツで、甘さもあっさりで美味しい。

 ちなみに、このお店の前にあった別の梅ヶ枝餅のお店の建物がステキだった。

 美味しい梅ヶ枝餅を食べて、腹八分になったところで、今度こそ、天満宮へと向かう。

②につづく 

 

  • フキン

    すねこすりさん🎵
    お忙しそうなうえに何やら大変そうだった感じもしてた中、九州へとは!!笑
    全然、お元気じゃないですか!!良き良き🎵

    しかも、九州が未踏の地だったなんて、意外!
    あと、沖縄も!!??
    アフタヌーンティ式、明太子御膳美味しそう!(^^)!
    私も明太子大好き🎵
    こんなに推し生活楽しまれてるの見ると、ほんと羨ましいっす。

  • Lunta (id:Lunta_november)

    九州がお初とは、意外ですね。
    九州大好き、移住するなら福岡がいいな、と常々思ってます。
    適度に都会で便利でおいしいもの一杯あって、何より人が排他的でなくてあたたかい気がする。
    明太子茶漬けセット、食べたい!

  • すねこすり (id:sune-kosuri676)

    フキンさん、こんばんは☆
    はい、元気です♪
    推し活が、今の私の生命維持装置です(^^)
    明太子、美味しいですよねー!
    食べ比べするにはお上品過ぎるご飯の量だったので、またチャレンジする機会があったら、迷わずご飯お代わりしたいと思います!!

    Luntaさん、こんばんは!
    本州から長らく出たことがなかったのですが、ようやく九州に行くことができました。
    福岡、そんなにお気に入りだったんですね!
    今回はディープな体験はできなかったので、今度じっくり旅してみたいです。
    日本もまだまだ知らない所だらけ(^^)
    あと、先日教えていただいた「グッド・シスター」読みました。
    面白かったです!
    サラ・ウォーターズの「荊の城」思い出しました。
    姉妹+母親って闇物語になりがちですね。
    原書を読めるLuntaさんが羨ましいです♪

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ベルサイユの子(2008年)

作品情報⇒https://press.moviewalker.jp/mv38004/

★★★★★★★


以下、amazonからあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 観光客で賑わうパリ郊外の世界遺産、ベルサイユ宮殿。その宮殿を取り囲む森には、多くのホームレスたちが棲んでいた。仮小屋を建てて世間から離れ、ひっそりと暮らす男ダミアン(ギョーム・ドパルデュー)もそんな一人。

 ある日、幼い息子エンゾを連れた若い母親ニーナが森で道に迷い、ダミアンに出会う。はみだし者同士で意気投合した二人は一夜の関係を持つものの、翌朝ニーナはメモ1枚を残し、エンゾを置き去りにして姿を消してしまう。

 予期せぬ事態に憤るダミアンだったが、寒さと飢えをしのぎながら残されたエンゾと生活を共にするうちに親子のような情愛が芽生え、心を通わせ合うようになるのだが…。

=====ここまで。

 ギョーム・ドパルデューの遺作。


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 早いものでもう11月! 今年はマジで色々シンドイです(まだあと2か月近くあるけど)。生きるってタイヘン、、、。

 ……というわけで(?)、本作はギョーム・ドパルデュー主演作ということで見てみることに。お父さんの方は苦手だけど、ギョームはまあまあ好きなのです。


◆本当は優しいダミアン

 典型的な“巻き込まれ型”ストーリーである。幼い子供を問答無用で託されたら、大抵の人間は放ってはおけないわけで、ダミアンも仕方なくエンゾの面倒を見る。

 ダミアンが暮らしているのはベルサイユ宮殿のそばにある森で、そこはホームレスの“住処”として有名らしい。本作が公開された頃は、当然、社会問題にもなっていたとのこと。今はどうなのか、、、、フランスのホームレスの多さは時々耳にするのであまり事態は変わっていないのだろう。

 母親ニーナがエンゾを置き去りにしたことを知ったときのダミアンは怒り狂い、ニーナが置いて行った荷物をぶちまける。エンゾに「名前は?」と聞くと「エンゾ」、、、「苗字は?」とダミアンが畳みかけると「エンゾ」、、、頭を抱えるダミアン。

 そんなダミアンだが、エンゾの世話をなかなか手際良くする。ドラム缶の風呂に入れたり、ホームレス仲間と歌ったり。そこそこ楽しそうである。が、一方では、そのホームレス仲間が死んでしまい、ささやかな葬式をしたり。何だかんだ言いながらエンゾを可愛がるダミアンが人間臭くて微笑ましい。

 けれども、そんな刹那的な生活が幼いエンゾにとって良いはずはない。ダミアンの掘っ立て小屋も失火(?)で燃えてしまい、別の場所に仮小屋を建てるが、ダミアンは体調を崩し起き上がれなくなる。苦しむダミアンに「人を呼んで来い」と言われたエンゾは、小さい身体で全速力で走る。ベルサイユ宮殿を目指して、、、。

 扮装した守衛の裾を引っ張るエンゾの身なりは汚れており、観光客が行き交う宮殿では異様。けれど、エンゾは必死だ。その必死さに胸が痛む。……おかげで、ダミアンは病院で治療を受け回復する。

 この一件を経て、ダミアンは確執のある父親を頼り、エンゾに真っ当な生活を送らせようと決意する。父親は若い女性と再婚しているが、この妻がダミアンとエンゾに暖かく接し、父親とダミアンの関係も刺々しさが減って行く。ダミアンは解体現場で働き、父親はそんなダミアンにエンゾと書類上きちんと親子になるよう、親権申請を勧め、ダミアンも素直に応じる。

 こうして、エンゾは学校に通うようになるのだが、ダミアンはほどなくしてエンゾの前から姿を消してしまう。

 エンゾは、母親からも、父親と信じて慕っていたダミアンからも捨てられるのだ。去って行くダミアンを見送るエンゾの大きな瞳が哀しい、、、。


◆世捨て人でリアリストなダミアン

 ダミアンがホームレスになったいきさつの詳細は分からないが、エンゾを連れて父親の家に行った際の会話から、服役もしていた(?)ようで、ドロップアウトしたには違いないが、恐らく、自ら世捨て人になるべく、森に引きこもったと思われる。

 ……何か分かるなぁ、、、と、見ていて思ってしまった。私もときどき「何もかも捨てて山に籠りたい、仙人みたいに暮らしたい」と妄想することがある。口に出して言ってしまうこともあるんだけど、そうするとウチの人は「んじゃあ、ウチの実家の裏山で一晩過ごしてみ(ニヤニヤ)」と言われて、塩かけられたナメクジみたいになるのであった、、、ごーん。

 それはともかく、世捨て人ダミアンが俗世に戻る気にさえなったエンゾへの愛情ってのが、すごく画面から伝わってくるのよ。だからこそ、ダミアンがエンゾを置き去りにしてしまうのが衝撃的だった。

 立ち去る時に「(解体現場での)扱いが酷過ぎる」とダミアンは父親に漏らしていたが、恐らくそれだけではないのだろう。社会のシステムに順応して生きていることに、どうしても違和感を覚えてしまうのではないか。人間社会のリアルが、ダミアンにとっては、ものすごく生き辛いのだと思う。

 私はホームレスになる勇気はないが、ダミアンの気持ちも少し分かる気がするのだ。何もかも息苦しい、、、という感じ。しがらみが辛い、安心して呼吸していられない、、、みたいな感覚。頭が痛くなったり、胃腸の具合が悪くなったり、身体に鉛の棒を吞んだような重さを感じたり、、、。泥沼に沈んでいくような感じ、、、とでも言おうか。

 エンゾ可愛さのあまり、ガラにもなく真っ当な生活をしようとしてみたけど、やはりダメだった、、、。自分よりも、父親とその若い妻の方がよほどエンゾの親代わりとしては適任だと悟ったんだよね。無責任には違いないが、ある意味、先を見通すリアリストでもあったのだ、ダミアンは。

 ダミアンが去ってから、時間は7年飛んで、実母からエンゾ宛に手紙が来る。自立を果たした母親はようやくエンゾを探し当て、迎えに来たわけだ。

 ラストは、迎えに来たニーナとエンゾのぎこちないハグのシーン。7年間愛情を注いだダミアンの実父とその妻の心中を思うと、この展開は残酷な様にも思える。エンゾにとって、ダミアンのいないその家はどこか空虚だったのかも知れない。ニーナにハグされるエンゾの眼差しは虚ろで、ハッピーエンディングとは言い難い。

 エンゾは12歳(?)で多感な時期だから、前途多難だろうが、バッドエンディングでもないだろう。 

 不器用にしか生きられないダミアンをギョーム・ドパルデューが好演していて、現実の父子確執がオーバーラップして泣けてしまった。エンゾを演じたマックス・ベセット・ド・マルグレーヴが、とにかく素晴らしい。2人で幸せになって欲しい、、、と願いながら見ていたけれど、あっさり裏切られてしまいました。

 素敵な画像を見付けたので貼っておきます(画像はお借りしました)。 

 





 

 

ギョーム・ドパルデューには長生きしていろんな顔を見せてほしかった、、、。 

 

 

 

★★ランキング参加中★★

ふつうの子ども(2025年)

作品情報⇒https://press.moviewalker.jp/mv89147/

★★★★★★


以下、上記リンクからあらすじのコピペです。

=====ここから。

 両親と3人で暮らしている10才で小学4年生の上田唯士は、おなかが空いたらごはんを食べるふつうの男の子。

 唯士は、同じクラスで環境問題に高い意識を持ち、大人にも臆せず声を挙げる三宅心愛が気になり近づこうと頑張るが、心愛はクラスの問題児の橋本陽斗に惹かれている。

 そんななか、3人が始めた環境活動は、思わぬ方向へ向かっていく。

=====ここまで。


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 仕事の合間にぽっかり時間が空いたので、ちょうどハマる上映時間の映画を探したらこちらになりました。チラシは見ていたので、シネスイッチ銀座のサービスデーに見に行ってまいりました。


◆子ども映画=大人映画

 タイトルから言って、本作の主役は確かに「子ども」なのだが、結果的になのか、当初の狙い通りなのか、本作がフォーカスしているのは子どもではなく、その周りにいる大人たちである。正確に言うと、大人たちの子どもとの向き合い方、だろう。

 私は、本作に出て来る大人、全員あんまし好きじゃない。

 親たちの中でノーマルに見えるのは、恐らく主人公・唯士の母親(蒼井優)かな。どうやら専業主婦の様で、割と教育熱心ぽい。リアルでもよく居そうな母親像である。

 逆に、一番「あり得ねえ」キャラは、後半に出て来る心愛の母親(瀧内公美)か。問題を起こした我が子に対し、大勢の人の前で罵倒するとか、、、こういう親も居そうだけど感じは悪い。

 唯士の担任教師(風間俊介)は、声を荒げたり、ヘンに厳し過ぎたりすることもなく、まあ普通の先生である。

 ……という各々のキャラが好きじゃない、と言っているのではないのです。

 親も、教師も、どうも子どもたちにちゃんと向き合っていない感があって、それがどうもなぁ、、、と。

 一番気になったのは、環境問題について意見を述べる心愛に対し、担任教師が「三宅さん、よく勉強してるねー」みたいな感じで、実質的にはスルーしていること。SDGsの授業もあるが、その内容も動画を見て感想を述べ合っているだけで、正直言って現実には「そんなもん」だと思う。が、心愛みたいに熱心に自分の考えを主張している生徒がいる場合「すごいね~」だけでは、却って「意識高い系だね~」みたいに揶揄しているだけに見えてしまうし、心愛の問題意識は宙ぶらりんのままである。果たして、これで本当に心愛と同じクラスの生徒たちにとって良いのだろうか。

 まず、こういう対応を担任教師がすることで、ただでさえ生徒たちは心愛を「ウザい」と感じている可能性があるのに、それをクラス全体で共有することになってしまうのではないか。担任の対応には明らかに「心愛の発言を止めさせたい」感がにじみ出ており、子どもはそういう大人の本音に驚くほど敏感だ。そして、心愛の問題意識は無視され、心愛は幼いながらにもプライドを傷つけられたと感じるだろう。

 自身の小学生時代を思い起こすと、教室の雰囲気は、担任の表情とか物言いとかにもの凄く左右される。担任がニコニコしていれば、生徒たちも笑顔だし、担任が眉間に皺をよせていれば、生徒たちは上目遣いになる。昔、天海祐希主演の「女王の教室」というドラマがあったが、まさに、担任教師による独裁空間が小学校の教室である。

 心愛が、あそこまで環境問題について熱心に取り組むのは、端的に言って愛情不足だからであり、承認欲求の表れなのである。そんな心愛の言動を変えたければ、親も教師も、彼女との向き合い方を変えることが第一のはず。でも、大人たちは自分のことで精一杯で心愛の心を顧みる余裕がない。

 結局、子どもの問題行動=大人の問題、なのである。


◆環境問題、、、

 某noteで「環境問題に関心を持った心愛は、結局、無責任な環境テロを起こして迷惑をかけただけで、やりっ放しなのはいかがなものか。環境問題の扱いとして不適切」みたいな感想を書いている人がいたが、それは、大人がやりっ放し(もっと言うと無視)だからであって、子どもたちにそれを言うのは筋違いである。「三宅さん、スゴいねー」でスルーしている担任の態度が、全ての大人の態度なのである。現に私自身、エコな生活していないし、SDGs? 知らん、、、である。

 恐らくは、担任が、心愛の問題意識を思いっ切り発表させる時間を取って、それについて話し合いをさせ、実行できることを考えさせる、、、みたいなことまですれば、心愛の承認欲求は一定程度満たされ、あのような環境テロや事件を起こすこともなかったんではないか。だからと言って、環境問題についてやりっ放しなのには違いないのだ。もっと言っちゃうと、環境問題については、人間が経済活動をする動物である限り、本質的にはやりっ放しだし、根本的な解決策はないというのが、私の見解である。

 ごみを減らす、分別する、、、もちろん実行していますよ。でも、だから? 温暖化止められるんですか? プラごみ分別する際、汚れていてはダメなので洗うわけだが、洗う=水を余計に使う、、、これエコなのか? となる。温暖化止めるのが最優先で、本当にイイわけ??とかね。

 工場排水や排ガスなどを規制することで、むやみに自然を汚すことは減ったけれども、温暖化まではねぇ、、、。再生エネルギーの推奨ったって、ソーラーパネル設置で自然破壊しているとか。

 空しいのよ、とにかく。


◆その他もろもろ

 主に活躍する子ども3人の演技が素晴らしい、、、というか、これは演出が巧いということだろう。

 特に、唯士を演じた嶋田鉄太クン、芝居をしている感がないのがスゴい。所々、セリフが聞き取れないシーンもあったが、まあ、大勢に影響はない。

 子ども3人が環境テロを実行するところなど、微笑ましい。まあ、ハッキリ言って迷惑千万ではあるが。

 私が唯士だったらどうするのかなー、、、などと妄想。いくら心愛を好きだからって、私は多分、ああいうハメの外し方は出来ないタイプだから、むしろ「そんなこと止めた方がいいよ」と言って、心愛の興味を別の方向へ逸らそうと空しい挑戦をするのがオチかな、と。

 それにしても、こういう“学校モノ”の映画を見るといつも思うが、子どもにとって学校って、まさにサバイバル空間なんだなー、、、ということ。不登校が増えているのも分かる気がするよ。

 学校でもサバイブし、放課後は習い事や塾に通い、家では親を適当にあしらい、、、大人顔負けのタスクの多さ。私の子ども時代もそうだったんかなぁ。なんかこう、、、もうちょっと余裕があった気がするんだが、、、。大人になって大人都合の思考回路にどっぷりで忘れちゃったのかな。

 

 

 


グレタ・トゥーンベリと思しき外国人少女の描き方が気になったなぁ、、、。 

 

 

 

★★ランキング参加中★★

リグレット(2009年)

作品情報⇒https://press.moviewalker.jp/mv89726/

★★★★★★


以下、新文芸坐のチラシからあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 パリで暮らす建築家のマチューイヴァン・アタルは、入院した母親を見舞うため故郷の小さな街を訪れる。

 そこで彼は、15年前に別れた幼馴染の恋人マヤ(ヴァレリア・ブルーニ・デデスキ)と再会する。それぞれ既に結婚して家庭を築いていた二人だったが、あっという間にかつての情熱を再び燃え上がらせる。

 フランソワ・トリュフォーの「隣の女」にインスパイアされた、活劇精神溢れる異色の不倫劇。

=====ここまで。


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 新文芸坐シネマテークセドリック・カーン特集で一度っきりの上映、、、。DVDや配信では見られないので、劇場まで見に行ってまいりました。

~~ネタバレしておりますので、よろしくお願いします。~~


◆「隣の女」よりも、、、

 セドリック・カーンは知らなかったのだけど、検索したら、「COLD WAR あの歌、2つの心」(2018)に俳優として出演していると分かり、また、あの「隣の女」にインスパイアされた作品と知れば、何となく興味を引かれるではないか、、、。

 というわけで、見に行った次第だけれど、確かに内容は「隣の女」であった。“隣に引っ越して来た”わけじゃないけどね。

 本作も当然ながら不倫モノで、やけぼっくいに火がつくパターン。ただ、こちらの不倫カップルは、「隣の女」のアルダン&ドパルデューほど悲壮感がなく、ドタバタコメディに近い。ラストも悲劇じゃないしね。

 冒頭、は? と思ったのが、余命数日と宣告された母親を病院に見舞って親の家に戻ったマチューは、チーズか何かを台の上で切ろうとしてナイフを持つ手に力を入れたら、台ごと床に落っこちた(台を固定していたブラケットが外れた)のだけど、そこでマチューがわざわざ街中まで車運転して行って、新しい棚板とブラケットを買ったシーン。私なら、母親しか住んでいない家だし(父親は鬼籍)、その母親も死を目前にしているわけで、台が外れてもそれを作り直そうなんて発想が湧かないと思うのよね。なんというか、ヘンな人だなぁ、、、と感じたのだった。

 で、その棚やらを車に放り込んで、運転席に乗り込もうとしたところで、夫と子供といるマヤと再会しちゃう、、、という。

 そもそも、この母親の死ってのが、あんまし物語全体に影響がないというか。マヤに再会させるためにマチューを故郷に戻って来させる口実として、母親が危篤ってことにしたんじゃないの?? まあ、母親が死んだ後は、その家をどうするかで弟(典型的だめんず)とちょっと揉めるシーンもあるんだが、、、。この揉めるエピソードも、別にあっても無くてもいいもんね、物語的に。

 一方のマヤの方もヘンな女で、再会した場面では言葉を交わさないままでガックシ来ていたマチューが親に家に戻ったらそこへ電話してきて「家の電話番号覚えていたから、、、」とか何とか言って、自宅のディナーに招待しちゃう。当然、そこから不倫が始まる。その後「何で(あの時)黙って去ったの?」とマチューに問い詰めてその答えに納得がいかずにマチューを置いて立ち去ったかと思うと、その後「やっぱり会いたい」と電話して来るとか、、、。自らずんずん不倫の道に踏み入って行くのである。

 不倫が始まるってのはこういうもんなのかも知らんが、とにかく、夫も子供もいるマヤのあの積極性にはドン引きである。最初は、マチューは自制心からか腰が引けていた。マヤから連絡しなければ、ドロ沼不倫にならなかったかも知れない。不倫するなということではなく、始まりの時点で自制心の全くないってのが不思議だなぁ、、、と。

 「隣の女」の2人も、イロイロと“はぁ??”ではあったと思う(記憶が曖昧)が、ここまで自制心のない感じじゃなかった気がする。一応、既婚者である自身の立場に対する葛藤を見せていたんじゃなかったか、、、。でも、それでもどうしようもなく会いたくなってしまって、、、じゃなかったっけ?

 こちらの2人は、だから、最初から大した枷もなく暴走しているのでドタバタな感じで、見ている方が小っ恥ずかしい。


◆恋愛と性欲、とか、その他もろもろ。

 自制心のなさが解せない、、と書いたけど、それがまあ、この映画における不倫の特徴である。

 不倫というと、後ろめたさからくる何とも言えない淫靡な雰囲気や、未来のなさからくる悲愴感がまとわりつくものだが、それがない。開けっぴろげというか、、、。「隣の女」をコミカルかつアグレッシブ(?)にした感じかな。

 「隣の女」の“一緒にいると苦しい、しかし一人では生きて行けない”というような“運命の人”というより、マチューとマヤはただの“腐れ縁”。一緒にいる時だけは楽しい、だから一人でも生きて行ける、、、ある意味、正反対な二人だよね。

 これ、不倫抜きで考えると、後者の関係の方がよほど健全だろ、、、と思うよね。

 でも、マチューとマヤの“一緒にいる時だけは楽しい”はつまり“セックスだけが楽しい”なので、それ以上の関係構築は難しい。

 「隣の女」みたいに“この人がいないと生きて行けない”は、恋愛においては、やはり不健全。ある種の依存症かも。一方、マチューとマヤみたいに、会うとセックスせずにいられない関係もまた依存症で、全然「愛」ではなく、パブロフの犬よろしく相手の顔を見て条件反射で発情しているだけである。

 ただまあ、、、恋愛で盛り上がっているときは、「この人がいない人生なんて考えられない!!」ってなるのも分かるし、恋愛が始まったばっかりの頃は、顔を合わせればセックス、、、ってなるのも分かるので、この2つの映画はどちらも、ある意味では恋愛の本質をよく描けているとも思う。

 とはいえ、「隣の女」のベルナールとマチルドも、マチューとマヤも年齢的には多分40代だろうが、自身の40代を振り返ると、マチルドもマヤも正直「ようやるわ、、、」という感覚にしかならない。40代なんて、私は、男という生き物に失望しまくっていた時期だからなぁ、、、。彼女たちは、男にまだある程度は希望を持っているんだよねぇ、、、スゴいよ。

 マヤを演じたデデスキの色気と美しさがヤバい。イヴァン・アタルは、どうもあんまし生理的に好きじゃないタイプなんだけど、シャルロット・ゲンズブールの夫と知ってビックリ。正式な夫婦ではないらしいけど。小柄みたいで、妻役のアーリー・ジョヴァーと並んで歩くと、彼女の方が大分背が高いと分かる。

 ちなみに、悲劇のラストだった「隣の女」と違って、本作は、意味深なエンディングで“腐れ縁確定”と見た。

 

 

 

 

 


不倫モノなのに、ドバルデューにもイヴァン・アタルにも魅力を感じない。

 

 

 

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  • 松たけ子 (id:matutake1003)

    すねこすりさん、こんばんは!
    この作品、存じ上げませんでした!トリュフォー監督の「隣の女」は大好きな映画!不倫ものといえば真っ先に頭に浮かびます。恋に狂ったり破滅したり、私にはこれまでもこれからも無縁なので(涙)ちょっと憧れたりもします。
    こちらの新版は、ちょっとコメディ調なんですね。それはそれで面白そう。ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ファッションがいつも素敵で好き。
    そうそう、ドパルデューもイヴァン・アタルも個性的な俳優だけど、やっぱ恋に狂ったり溺れたりするのは、いい男のほうがいいですね~。日本でやるなら、竹野内豊とか内野聖陽とか加瀬亮とかがいいな(^^♪それだと本家とは逆に、女優を厳しい目で見そう(笑)。

  • すねこすり (id:sune-kosuri676)

    たけ子さん、こんばんは☆
    私も知らなかったんです。たまたまチラシを見かけて、、、。
    「隣の女」と違って、こちらは、アグレッシブな不倫です(*_*)
    ネット上で男性が書いたと思われる感想をいくつか目にしたんですけど、もれなく「(再会時に)マヤと目が合った時点で篭絡された」みたいな受け止めで、男の妄想全開でした(-_-;)
    ああいう女に人生狂わされたい願望があるんでしょうね、男性って。
    日本でやるなら、、、そうですねぇ、思い浮かばない(^^;
    竹野内豊は明る過ぎるかなー。内野さんは昔フライデーされているからシャレにならん。加瀬亮は個人的にイマイチ、、、。
    ケチつけてスミマセンm(__)m
    女優も思い浮かばないっす(;_; デデスキに比肩する色気と美しさを兼ね備える大人な女優さん、、、誰かいます?

  • amore

    この作品は未見ですが、あけっぴろげの不倫物語って感じでしょうか?ヴァレリア・ブルーニ・テデスキは、夫を振り回す精神的に病んだ妻や、女友だちと同性愛的な関係になったり、年下の男の子から慕われたり、様々な役に挑戦していますね。潤んだ青い目にややかすれた声、それからちょっぴり寂し気な笑顔がいいわぁ。

    若い頃は薄幸な女役が多かったけれど、最近はオープンで健康的な?不倫や、自由奔放に生きるパワフルな女性役が多く、パッと見はふつうのおばちゃんだけど、彼女から滲み出る母性愛や色気や哀しみが、男の妄想スイッチを全開にさせてしまうんでしょうねー(⸝⸝๑ ̫๑⸝⸝)

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最近見た映画あれこれ⑫

 このところ、どうもアンテナの感度が鈍っているのか、映画を見ても感想を書く気になれない作品が多いのです。この記事に書いた2作品についても、良くも悪くも書きたいことが浮かばない。ちょっとイロイロあって(仕事)疲れている、、、というのはありますけど。気持ち的にネガティブなのかも知れません。

 ……というわけで、今回もまとめ記事ですが、自身の備忘録のために書いておきますので、内容は薄~~~いですが悪しからず。

~~以下、ネタバレしておりますので、よろしくお願いします。~~


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◆人生フルーツ(2016年)

作品情報⇒https://press.moviewalker.jp/mv61530/

 《概要》 90歳の建築家・津端修一とその妻・英子は1960年代、かつて修一が日本住宅公団のメンバーとして“自然と共生できるニュータウン”を目指し基本設計を手がけたものの、実際に完成したのは無機質な大規模団地の愛知県春日井市高蔵寺ニュータウンに暮らしている。彼らの家屋は修一が尊敬する建築家アントニン・レーモンドの自邸を模した平屋の丸太小屋だ。敷地内にある畑では多くの野菜や果実を育て、英子はそれらを収穫し修一のために手料理を振舞い、木々に囲まれて自然溢れる豊かな暮らしを送っている。ある日、修一のところに佐賀県伊万里市の医療福祉施設から設計の依頼が舞い込み、彼はこれを無償で引き受けるが、2015年6月のある昼下がり、昼寝をしていた修一はそのまま帰らぬ人となる。涙を流す英子は微笑みながら、彼のもとへすぐ行くと伝える。

wikiよりコピペ(要約しました)~

 早稲田松竹で特集上映をしていたので、9月12日に見た。

 初公開時に話題になっていたし、その後も度々あちこちでリバイバル上映されていたのも知っていたが、な~んとなく見る気がしなかった。今回見たのは、時間がポッカリ出来て、ちょうどその時間にハマる上映中の映画が本作だったので、じゃあ、見てみようかな、、、と思ったわけ。

 何で長らく見る気がしなかったかというと、この津端夫婦の住んでいた高蔵寺ニュータウンってのは、元愛知県民だった私にとってはよく知っている新興住宅地で、ちょっと身近過ぎたというのが大きい。私が小学生の頃、ご近所さんでこのニュータウンに引っ越して行った人たちは多かった。親類もその一人で(今は分からないけど)、しかも、修一さんとは恐らく仕事で近しい存在だったろうと思われ、何となく気が向かなかったのである。

 で、実際に見てみたら、別に高蔵寺ニュータウンそのものは冒頭で空撮映像が出てくるくらいで、ほとんど気にならなかったし、だったら、もっと早く見ておいても良かったじゃんね、、、と思った。

 ……のだけど、違う意味で、私はこの映画を肯定的に受け止められなかったのだ。

 確かに、この夫婦は仲良く穏やかに暮らしていて、きっと充実した日々を送っていたんだろう。でも、私の目には、妻が気ままな夫のケアを100%引き受けて成り立っている生活にしか見えなかった。

 妻はもちろん積極的にケアの役割を担っている。朝食は夫のもの(本作内では全て和食。焼き魚などのメインに複数の小皿と汁物)を用意して上げ膳据え膳、自身は別の簡単なメニュー(パン食だった)を落ち着かない様子でとる。食べている途中に夫が「このスプーン嫌だ、木のがイイ」と言うと、「ああ、そうだったね、お父さん金属のダメだったね、ごめんなさい」と言って食べるのを中断して気のスプーンを取りに行って夫に差し出す、、、なんて映像を見ていると、「スプーンくらい自分で出せや(怒)」と私は心の中で毒づいてしまうのだ。

 妻の英子さんは造り酒屋の娘として「女は物事がうまく回る様に気配りするもの、のんびり座っていてはいけない」というような環境で育ってきているせいか、夫に対しても「修一さんが過ごしやすく、元気で仕事ができるように支えることが私も務め」みたいなことを何の抵抗もなくサラリと言えてしまう人である。だから、自分が食事を中断してでも夫のスプーンを取ってやることに、何の疑問もないのだろう。

 これが、夫婦の幸せ、か。

 後半、夫が亡くなるが、その後、英子さんは毎朝夫の遺影の前に朝食を供え、「私これからどうしようかしら」みたいなことを何度も口にする。うぅむ、、、、これは見ていて気持ちの良いものではなかった。

 こういう夫婦が世の中に居たってもちろん良いのだが、何というか、「理想の暮らし」「理想の老後」「理想の夫婦」みたいな本作の位置付けはちょっと私には気持ち悪い。でも、本作は多くの人に支持されているようだし、きっと私がもの凄く捻くれているだけなんでしょう。

 
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◆ファンファーレ!ふたつの音(2024年)

作品情報⇒https://press.moviewalker.jp/mv88861/

 《あらすじ》 世界を飛び回るスター指揮者のティボ(バンジャマン・ラヴェルネ)は、ある日突然、白血病と診断される。ドナーを探す中で、自分が養子であること、そして生き別れた弟ジミー(ピエール・ロタン)の存在を知る。かつては炭鉱で栄えた町は今は寂れ、仲間との吹奏楽団が唯一の楽しみであるジミー。すべてが正反対の二人だが、ティボはジミーに類まれな音楽の才能を見出す。これまでの運命の不公平を正そうと、ティボはジミーを何がなんでも応援することを決意する。やがてその決意は、二人の未来、楽団、そして町の人々の運命をも思いがけない方向へ動かしていく──。

公式HPよりコピペ~

 白血病モノは嫌いなんだけど、チラシや予告編を見て、本作は何となく大丈夫そうな予感があったし、音楽メインの映画は劇場で見た方が楽しめることが多いので見に行ってみた、、、ら、やはり大丈夫だった。生き別れた兄弟と出会う理由としての白血病は在りがちだけど。

 予告編を見た限りでは、弟ジミーの才能が兄ティボによって発掘されて開花する、夢物語系か? と思わされたけれど、ゼンゼン違っていた。しかも、ラストは感動的なシーンなのに、悲劇を予感させるものでもあり、アンビバレントな心持にさせられて帰路につくことに、、、。

 というのも、一旦は、ジミーの骨髄提供を受けて元気になったティボが、終盤になって結局再発し、余命僅かと宣告されるのだ。また、ジミーの所属するブラスバンド部も、炭鉱閉鎖とともに存続の危機に瀕するという、シビアな展開が続く。

 スクリーンに映る明るくコメディタッチな雰囲気とは裏腹に、ストーリーは概ねシリアスなのである。ちょっとずつ想像の斜め上を行く感じで、ありきたりではないのだが、ややとっ散らかっている感が否めなかった。

 例えば、中盤、ジミーがプロオケのオーディションを受けるシーンがある。もちろん、名前も性別も分からないようにしたオーディションで、ジミーは途中でミスってしまい「もう一度やらせてください、緊張してしまって……」などと食い下がるものの、やり直しなど認められるわけはなく敢え無く退場となる。が、審査員だったティボはその声を聴いてジミーだと悟り、オーディション会場を去るジミーを追いかけて来る、、、という展開だった。

 オーディションは普通、募集段階で書類審査があるはずで、ジミーがオーディションを受けるレベルの実績がないのは書類で明らかなので門前払いになると思われる。映画だから別にイイといえばイイけれど、でも、このオーディションを受けるってのが、かなり唐突感がある。ティボも「(オーディションに来るなんて)場違いだ」とジミーに言っているけれど、、、。多分、ジミーが一念発起して、自身を変えようとしたってことだろう。でも、それはイマイチ伝わってこないよね、このシナリオでは。

 また、ジミーが楽団の指揮者に挑戦したのは良いのだが、それがジミーの人生にどう作用したのか、、、分からない。ティボとの兄弟の絆固めになったかも知らんが、どうも中途半端な展開に見える。

 いっそのこと、非現実路線で、ジミーがラストのボレロで、あの超絶難しいトロンボーンのソロをバッチリ決めて、マイナーだけどプロオケからお誘いがかかる、、、みたいな筋書きの方が面白かったのではないか、とすら思う。ジミーがトロンボーンを一生懸命練習していて、中盤で「ボレロ」がセリフに出て来た時は、そりゃもう、ジミーにあのソロを吹かせるための伏線かと勝手に思ってしまったよ。大ハズレだったけど。
 
 悪くはないけど、何となく消化不良な感じのする作品だった。

 指揮者のティボを演じたバンジャマン・ラヴェルネは、その指揮っぷりが実にリアルで素晴らしい。指揮を指導したのはアントワーヌ・デュタイイという若い指揮者だとか。アントワーヌ・デュタイイを検索したけど、ヒットしなかった。

 ジミーを演じたピエール・ロタンもトロンボーンを上手く吹いていた。オーディションの課題曲のマーラー3番のソロを練習しているシーンなんか、多分本当に吹いていて(音も吹替えじゃないと思う)、本物っぽく見えるように吹けるのはスゴいことだ。

 フランスでは大ヒットだったらしいが、どうも私はフランスのコメディのセンスが分からない。

 

 

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