おみやげ袋の中身 カラー冊子2ページ目と座席券
今日から3月 外の陽差しも風も春らしくなりました。
TVではお昼前頃横浜タイヤの初織田くんが見られました。
額を出し気味でさわやか大人カッコイイ!
でいて 知性と包容力を漂わせた表情はなんとも素敵ですわ~。
さて、いつまで講座レポってんだってお叱りを受けそうですが
やっと最終回に突入・・・かな。そのつもりでガンバリマス。
明日は日曜出勤だし(びえ~ん)
今更ですが、キーワードだけのメモとあまり恵まれない席なので
聞き違い、記憶違い、見間違いなど多々あるかもしれないませんが。
お許しください。ご指摘があればよろしくお願いいたします。
【 いかりやさんとの思い出 】
バックには いかりやさんと2ショット写真。
「これどこかわかる?」と会場に問いかける織田くん。
「大阪城」と答える会場。Shake!スペシャルライブの写真だ。
いかりやさんが来てくれてとても嬉しかったと
懐かしそうに話す織田くんでした。
(ここに来てる人みんな織田ファンなのかな?
朝日カルチャー会員の方でこれぐらい有名な芸能人(織田裕二)なら
ちょっと申し込んでみようって人も結構いらしたのかもしれませんね。
なら、この状況に違和感あったかもね。>ごめんね一般の方。
それから岩田さんの振りで「ダメだこりゃ」エピソードに。
踊るの何話目かの時にいかりやさんに監督がそのギャグを
言って下さいとなって「それは違うんじゃないか」と提言した話。
和久と青島のコンビがいかりやさんと青島のコンビに
なるのか?と思った。
「踊る」は楽しいコメディドラマだけどパロディではない。
ましてやのちに映画にしようと思ってたので
こういうことをやるとナメなれると思ったと。
何よりもいかりやさんの表情が曇ったことに気付いた。
役者としてノリ始め、いかりやを捨て、和久として頑張ってるのに
エネルギーが失せるんじゃないかって心配だった。
(織田くんの口から和久、和久と何度も出てくるのでハンドルネーム
に使わせて貰ってる私は何度もグッと来てました。実は)
岩田さんは、いかりやさんが織田くんを役者の師匠と仰ぐのは
そのへんからですねみたいなこと言って
織田くんは、無理に謙遜めいたことも言わず素直に
「そのように本(いかりやさんの)に書いてくれました」と返した。
ここでいかりやさんとの秘話が語られました。
いかりやさんは「うぃーっす」って入ってきていろんなお話を
されるんですが長いんですよ。みんな「へぇ~」って聞いてるけど
撮影がおしてるときでも誰もとめられなくて
それで「はい、そこまで」って止めるのが僕の役目でした。(笑)
岩田さん 「いかりやさんから学んだことは何ですか」
織田くん しばらく空(くう)を見渡し言葉をさがしている様子。
ややあって「あれだけの年齢できつい撮影をよくやってくれた。」
私だけの感じ方かもしれないけど感極まったようでした。
そしてわざとつっぱねるように「さびしいけど仕方がない」と。
【 これからの10年 】
この本は40の区切りで書いたがこっからの10年が大事。
やっと骨のあるのができると。
岩田さん 「アフリカに住みたいって?」
織田くん 「あれは子どもが小学生くらいになったらアフリカの
自然をみせたいってことです。いろいろ検索すると格安チケット
も手に入るでしょ?国内のは高いから」と言ったあと
これ言ったらまずかった?みたいなリアクションでした。
岩田さん 「次の脱線は何をしたい?」
織田くん 「わざわざ脱線したいわけじゃないけど・・・」
(このあとメモ不明。かつ思い出せない。ごめんなさい。
でも次のような感じの話に広がってます)
「自分を変える。スイッチを切り替える作業で
つらいこともつらく思えない。切り替えられる。
有意義にするかしないかは僕ら次第・・・」と語ってる途中、
岩田さん 「はい、あと1分です」(え゛ーーーーー)
2人が椅子から立ち上がってステージ前の方に立つ。(キャー)
岩田さんにシメのメッセージと言われ
織田くん 「どうせまた来るでしょ お墓の話って」
岩田さん 「お墓に入りたくない人」(←織田くんのこと)(笑)
それで本に書いたことの説明にはいりますが、
この日の特ダネは
「お墓のある所はチカンにあうような暗くていやな場所でしょ」(笑)
子孫がお参りに行って楽しく明るい場所であってほしい。
石の中じゃなくて樹木葬のように自然にかえりたい。
土にかえりたい。そしてその土地を汚さないでほしい。
と本に書いてあることの説明を詳しくされました。
(だって一般の朝日カルチャー会員の方だって
いらっしゃるでしょうから。てか、いてほしい。)
お墓の話で盛り上がってる最中
岩田さん 「いかりやさんじゃないけど はい、今日はこのへんで」
(織田くんの話を止めるのが岩田さんの役目?)
拍手と歓声と手振りの中、お二人は袖にはけていかれました。
本当に楽しいトークショーでした。
織田くんはあの年輩のおじ様方とのお話がお好きなようで。
またおじ様方も織田くんの生き方を好ましく思っておられるようで。
これからの10年、20年を見据えた新しい形のライフワークとして
定着してほしいなあと思いました。
(今回の会場リサイタルホール)
今回の大阪行きにはジャパ○ットさんでTVショッピングゥ~
したデジカメを持参した。しかもあのテンション高い社長が
声を裏返らせながら紹介するファインピクス!
撮るのはいいけど加工に一苦労した。
今までの携帯画像ならそのまんまUPできたけど
サイズがバカでかくてここまでちょっとずつちょっとずつ
縮小するのに忍耐が要った。ふ~。
ホールに通じる赤絨毯ならぬ赤マットです。(思い出・思い出)
【 決まったレールはもういやだ 】
なんか尾崎っぽいですね>思春期の織田くんの心の叫び。
「何になりたい」はなかった。
とにかくもういやだった。小中高と一貫校に通い、
いい大学・いい会社に入るレールに乗せられるのはいやだった。
入りたい大学ではなく「ABCが言えたらハイOK」の
入れてくれる大学に入れて貰ったと大いなる謙遜をする織田くん。
ここで大学入学当時、湘南爆走族オーディション前の
写真がバックに写し出された。
黒のポロシャツの襟を立ててるきりっとした若い織田くん。
「センザイ写真です。この頃は襟立てるの はやってたんだ」
岩田さんがまたボケる。「洗剤の写真ですか?」(笑うしかない)
「いや、宣伝材料って言って事務所の片隅で撮ったんです。
こんなんがいますからどうですかって時に使うんです。
僕もよく知らないけど」
(よく知らないってとこがなんか素人っぽくて良かった)
【 どつきあい? 】
湘爆のオーディション、石川晃という一役だけで7万人が応募した
すごい難関を突破した時の余りにも有名な逸話。
2人1組で演技をするが相手役の江口と言う役は心優しい男で
自分からどついたりするキャラじゃない。
原作好きの織田くんは知っていた。
なのにどついてきたので「何すんだ」ってことでどつき返した。
織田くんのポリシーは
「自分からは手を出さないが、出されたら3倍返し」
そこでまた岩田さんのゆるいボケ「どつきあい。漫才ですか?」
(ははは、笑うしかない)
この頃は芝居の基礎も何もない。
ただこの役(石川晃)が好きだということだけ。
相手役の男は人物設定を知らないと思った。
その時点で自分の中では「こいつ要らない」「却下」
と監督になってましたと(笑)
【 順風じゃない 】
ファーストコンサート「逆風」ツアーの時の写真がバックに。
「まった襟立ててシャツインだ」(笑)
「東ラブ」直後で順風なのになんでこんなタイトルなの?
とよく聞かれたという。
当時は女性主役のドラマしかなかった。
TVは女性しか見ないというリサーチのもと、保奈美ちゃんや
W浅野が出る女性が見たいと思うようなドラマ全盛だった。
(保奈美ちゃん に反応。タカさんの奥さんだし。)
男子校で育ってるから(出た!男子校タイプ)
こういうの苦手で。
女の子と2人ってないし・・・あいや多少あるけど・・・
ここですかさず岩田さんの「あんまり見つからないですね」(爆笑)
まあ要するに自分は小さい頃見た「探偵物語」のような男が主役の
ドラマに影響を受けてるという話に繋がるのですが・・・。
自分には王子様なんてできない。
カンチがいっぱいいっぱいだ。
「プリティウーマンみたいのも1回くらいはいいけど」
その頃は女性向けドラマが王道だったので
時代を変えよう!と思った。
そういう逆風にむかうことでエネルギーが沸いてきた。
「東ラブ」の脚本が変更になってついていけなくなった
逸話ですが、「演技の引き出しがなくてストーリーに
ついて行けなくなった」と昔より謙虚な言い回しに
なってるなあと思いました。
【 変なヤツ 】
ここで何故か有名な皮カバンの逸話登場。
これは熱く語りましたよ。
中高一貫校で中学時代は革カバンだったのが
高校から布カバンになった。>「日能研」みたいなカッコ悪い。
(この例えは可笑しかった。中学進学専門の塾「日能研」
に織田くんは通ったのかな?一貫校だからないと思うけど)
何故まだ使えるのに変えなきゃいけないのか?
裏がみえた。金儲けだ!と (これはかなりしっかり者だわ)
だから皆が変えてもひとり皮カバンを使い続けた。
先生に注意されたけど「正論で返してた」
この部分は岩田さん「ほー正論で」みたいな反応でした。
そのうちあいつは変だから放っとこうとなり
注意もされなくなったが皮カバン派が徐々に増えてきたと。
自分の性格を印象付けるエピソードとして的確ですが
岩田さんによって進行の都合上引き戻される織田くん。
「話が脱線してきた」と。
【 俺たちは抵抗勢力だ! 】
ここでバックに「踊る」の名シーン「現場で起きてるんだ」の
写真が写し出される。
今や王道になったけど実は男が主役という実験枠だった。
これが成功しなきゃ後々の男優に恨まれると
そこまで背負ってたことを明かす。
フジの王道じゃないチームで・・・・
あ、今日フジの方来てるんですよねと会場を見渡す。
共同TVとの仕事で外人部隊。
月9枠じゃないとお金のかけ方も違うし、なにより弁当が安い(爆)
(って若手の芸人みたいなこと言って。生活感が出ててGoo~よ)
その時のチームの人たちは戦友のような気持ちで
「俺たちは抵抗勢力だ」ってバリバリ反骨精神でやってた。
岩田さんさっきのエピソードをうまく繋げてくれました。
「皮カバン仲間ですね」と。
その岩田さん「今度は寒いのを」
バックにホワイトアウトの写真が写し出されました。
織田くん 「なんか叫んでるなあ。吉岡!かな?
その辺は皆さんのほうが詳しいからなあ。
あ、ジャンパーが緑だからまだ最初の方のシーンだな」
(この独り言というか説明を聞いてて、あ~この作品への
思い入れは今でも薄れてないんだなあと嬉しくなりました。)
「ジャンパーがグリーンだったのは踊るの次だったから
なんですよ。で、次第に変えていくって言う設定」
(へぇ~ そっか、やはりこういう所にもリンクかけてたのか)
織田くん 「あ、明日はマイナス30度のところへ行くんですよ」
岩田さん 会場を見て「付いてきちゃうよ」
織田くん 「余計なこと言っちゃった。 行きませんっ」(今更)
岩田さん 「鼻がグシュグシュしてるけど花粉症?」
織田くん 「あ~もうそろそろ、いえ泣いてるんですよ」
岩田さん 「脱線ばかりしてる」
一旦休憩
【 自殺を考えたのは怪我が原因ではないんですよね 】
という岩田さんの問いかけがあって
人間関係で深い孤独を味わった経験に至ります。
まずはテニスを始めた動機から丁寧に話が進みます。
小学校の頃から野球やラグビーなど団体競技をやっていた。
ある時準備もない状態でピッチャーを任され打たれて負けた。
誰も責めない。
個人の責任ではないということをスポーツマンは知っているから。
団体競技の良い点が自分にとっては甘えに繋がると思った。
(逆境に身を置きたい方なんだなあ・・・・と再確認)
それで個人競技のテニス部に入部したと。
テニスは華やかにみえるが試合中にコーチと話してはいけない
という物凄く厳しく孤独な競技だってことみなさん知ってましたか?
と会場に問いかける織田くん。
(知りませんでした、私は)
岩田さん「有望な選手だったんでしょ」
織田くん 臆することなく自信を持って
「スポーツはできました。 バカみたいにやってました。」
しかし当時の練習は今では考えられない
根性主義みたいなもので膝をこわした。
でもそれを言って代表からはずされたくないから
いい方の足でかばいながらも練習づけ。
そのうち重症化しこのままでは歩けなくなると医師に告げられた。
部活の仲間達はそっとしてあげようという優しさだった
のかもしれないが、腫れ物にさわるような空気になってきた。
「もともと突っ張ってたし・・・」と織田くんが話そうとした時、
絶妙のタイミングでまた岩田さんの突っ込みが入りました。
「今も突っ張ってるじゃないですか」(笑)
そこでその頃の突っ張り具合が半端じゃないことの説明に。
2~3年はおやじと口きかなかったしおふくろに対しても
メシを当然つくってくれるもの、家政婦のように思ってたと。
(うちも男子2人いるので父と息子の微妙な時期はわかります)
そんな時期なので親にも兄貴にも誰にも相談できなかった。
部活の奴らは仲間であり、代表に選ばれるかどうかの
ライバルでもあるのでもちろん言えない。
部活ではこんなエピソードも。
部員同志は仲が良かったり悪かったり。
ある時テニスシューズを燃やされた。
誰だか見当がついたので呼び出して彼のジャージを
燃やしちゃったそうです。(う~~ん激しい)
俺は隠れてはやらない。
相手の目の前で正々堂々とやったと誇らしげ(苦笑)
でもその時パンチくらったそうです(笑)
男の子の青春物語ですなあ・・・。
まあそんなこんなで突っ張ってるから弱みはみせられない、
誰にも相談できない、しない、で精神的に追い詰められ
深い孤独と寂しさを味わい
「やめたろっかな」(人生を)と。
【 何故自由が丘? 】
その時これまでとはまったく違う生き方をしてやろうと思った。
岩田さん「自由が丘辺りで遊ぶようになった? 酒・たばこ・・・
もう時効だけど、27年たっても○○みたいなことになる」(笑)
織田くん「殺人事件に時効があるのおかしいでしょう・・・
また脱線した」(笑)
何故自由が丘なのか?の問いに
当時横浜から流れてきたマスターがいて
制服でも未成年NGなことを大目にみてくれた。
「学生の時って暇だから・・・」の話の途中、会場は「???」状態。
不安になったのか「学生って暇でしょ?」と会場に問うが「シーン」
「みなさんマジメですね」(笑)
「朝学校行って出席取ったらあとはフリーだから(爆笑)
学校抜け出して遊びに行く。
夏なんか日焼けして帰ってきたりして」(笑)←これは特上のネタ!
自由が丘のマスターのところではクーラー効いた中で
甲子園出場の自校の試合を応援してたそうで。
(そのへんは可愛いやね)
雀荘とパチンコ往復のエピソード。
「学生だからお金がない。でも暇でしょ?」と
またまたヒンシュク気味な空気など気にもせず
「必死になると出るものです」とパチンコで稼いで
雀荘に投資する青春の思い出を楽しそうに語ってました。
そう、そんな遊び仲間から親友悪友ができた。
テニス一筋の関係ではないいろんな好み、価値観の集まり。
流行の服のブランドや遊びの話ができる
大人の社会に近い仲間ができた。
年上、年下、女性の友人も増え今も付き合っている。
一旦休憩 今日は午後からシフトです。行ってきま~す
『脱線者』が贈る
今生きるためのメッセージ
~俳優・織田裕二、自らを語る~
http://www.asahi-culture.co.jp/
まず大まかな感想ですが、
講座と銘打ってるけど楽しいトークショーでした。
ステージには小さなテーブルとそれを囲む椅子が2脚。
その後ろには「脱線者」の表紙を大きくした立て看板が置いてありました。
私の席は11列目。
ネットで結構早めに申し込んだのに
翌朝固定電話と携帯で2時間かけ通してやっと繋がった
まゆさんより後ろの席でした。
聞けば彼女は銀行振り込みの方が早いというアドバイスを
電話受付担当者から貰ったそうで。いいなあ。
私はと言えば午後からの出かけるついでに郵便局から昼前に振込み。
この差は痛かった。
せっかく申し込み順という世にも公平な条件だったのに(苦笑)
そんなこんなで織田くんの細部までじっくり見ることは
できませんでしたが、相変わらずの男前でした。(にやっ)
【 今日はざっくばらんに 編 】
ほぼ定刻2時に朝日新書編集長岩田一平さんと織田くん登場。
拍手と歓声と手振りで会場は一気にヒートUP。
にこやかに会場を見渡す織田くん。
濃い目のブルージーンズに黒のブーツ。
黒のジャケットに黒のVネックのインナー。
ジャケットの腕には機能性溢れる感じの時計が
袖に備え付けられたデザインだったようです。
岩田さんは大阪の熱狂ぶりに少し驚いた感じ。
織田くんは昨年のコンサートから椿キャンペーンなどで
ほぼ毎週大阪には来ていたことや
もうすぐ建て替えになるフェスティバルホールの音響がいいなどの
話から始まりました。
取材に来ているスチールの方のためにと
「右見て」「「左見て」と岩田さんの指示通り顔を向ける織田くん。
あ~芸能人だなあと改めて思う瞬間でした。
現在「脱線者」の販売部数9万部だそうです。
岩田さんの「あと1万部でベストセラーですよ」に
「みなさん、あした200冊ずつ買ってください」(会場どっかーん)
(500人の会場だから掛け算したら10万!計算はやっ!)
岩田さん「前回は岩合さんと動物や自然の話でしたが
今日はカルチャーセンターなので本に沿って・・・」
すかさず織田くんも「ですよ。」「ですよ。」
ざっくばらんに行きましょう。
【 織田くん撮影 こちらに向かって来るチータ 】
そばに4頭の子がいてその子たちを守ろうとしてこちらに
向かってきている状況の迫力ある画像がバックスクリーンに。
サファリパークなどにあるガードされた車ではなかったので
とても怖かったそうです。
あれ?やっぱり今日も自然や動物の話になるの?
いえ、私は好きだからいいけど さっき、
今日は違うコンセプトでって言ってたのに (笑)と思ってると
岩田さんも何か気付いたようで
テーブルの上の紙をアチコチしながら背を丸めて
近づいて「老眼でよく見えないんだけど」(笑)と
話を本に沿って立て直そうとなさってました。
【 何故「自殺」を考えたことを書こうと思ったか 】
最近のデータで小中学生の6割が生き返れると思ってることを
知り、怖いと思った。動物の生き死にに出会ってないんじゃないか。
僕が子どもの頃は遊びで虫をいじくり倒していた。
死ぬと目を背けたくなるような姿がそこにある。
命はリセットできない。
死はきれいなものじゃないことを伝えたかった。
「富士の樹海に行きゃいい?」
織田くんが本に書いたことを岩田さんがピックアップする。
これを受けての織田くんの返しが可笑しかった。
「行き過ぎた発言でした。政治家にはなれない」(会場どっかーん)
【 カブト虫やってる? 】
子どもに命の尊さ、動物の生き死にを教えるためには
車で1時間も行けば山があるだろうからお父さんは自然の中で
虫でも取ってカッコイイとこ演出して・・・
と話してるところへ絶妙のタイミングで
岩田さん「カブト虫を・・・?」
織田くん照れながら「今はやってませ~ん。学校の裏が山で
というか山の中に学校があって虫がいっぱい取れて・・・」
岩田さん「で、そーゆーことこの前までやってた?」(笑)
【 1~2歳の織田くん お母さんと一緒 】
バックスクリーンに赤いものを身につけた可愛い織田くん(笑)
写真の右上のほうに黄色いセーターを着た女性が!
うっすら写ってる程度ですがお母様初公開です。
岩田さん「美人ですねえ」
織田くんとても嬉しそうに「美人です。料理もおいしい」
それから後ろに時代を感じさせる大きなTVが写ってる写真。
オヤジが電気系で・・・と。ご自慢のテレビなのでしょうか。
次はご実家の愛車をバックに
石段にちょこんと座る3~4歳の織田くん。
【 あんま可愛くない 】
どれも可愛いですねと紹介する岩田さんが
「次はあんま可愛くない」(笑)
バックスクリーンに映し出された4歳頃の織田くんは
幼くして凛々しく反骨精神の片鱗を感じさせる愛想のない表情。
(にらんでいるとまではいかないけどそれに近い感じ)
「写真を撮られるのが嫌いでカメラ目線のはほとんどない。
学校の集合写真でも一人だけそっぽ向いてたりする中、
これは唯一カメラ目線です。僕は1番好きです。」
(はい、私もこういうの好きです)
ここで岩田さんがアエラの撮影の時、
「カメラマンの坂田さんが眼力があると言ってた」ことを話されました。
一旦休憩 次は自殺を考えた経緯について
正に織田晴れ。
テンションは益々アゲアゲ。
息子には大阪行きの主旨を、夫には「いつもの関係」と告げそれ以上尋問なし。
3920ドッグタグと椿色のハート型ペンダントを身に付けいざ出発!同じのぞみの別車両にはまゆさんも乗車。
新大阪で関東組のトンキーさんジャガーくん、そしてまゆさんと合流し会場に。
その前に、朝日ビル地下のレストランでランチしたが照り焼きチキンが旨かったあ。
いい色に照りが付き皮目はカリッカリ。それでいて中はジューシーでした。
満足満足で会場のリサイタルホールに到着。序章はここまで。
以上広島に帰る新幹線車中から携帯投稿でした。19:20