1336年、光厳天皇は尊氏の要請を受けて後伏見天皇の第二皇子・豊仁親王を皇位につけた。 これが光明天皇である。 正式に室町幕府を開いた尊氏は後醍醐天皇と和睦し三種の神器を光明天皇に渡す。 後醍醐天皇の皇子・成良親王が皇太子となったが、後醍醐天皇は京を脱出し渡した三種の神器は偽物であると主張して吉野の山中に南朝を開き、京都の北朝と並立する南北朝の時代に突入する。 南朝は後醍醐天皇の後、後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇と続き、北朝は光明天皇の後、崇光、後光厳、後円融、後小松天皇と続く。 そして後小松天皇のときの両統が合体するまで、後醍醐天皇は尊良親王や恒良親王を新田義貞に奉じさせて、皇子たちを各地に送って北朝方に対抗させようとしたが劣勢を回復することはできずに崩御している。 光厳、光明天皇の後、即位した後醍醐天皇の第9皇子・義良親王は後村上天皇として即位し、各地を転戦する不安定な生涯を送っている。 後村上天皇の第一皇子・寛成親王が長慶天皇として即位したときに足利義満が将軍になっているから、南朝の指導的人物も失い衰退が進んでいる頃である。 しかしこの頃に北朝との和解交渉はないことから、北朝に対するかなりの強硬派であったとされる。 1383年、南朝がもっとも衰えた時期に長慶天皇の譲りを受けて即位したのが、後村上天皇の第二皇子で、後亀山天皇として即位する。 足利義満全盛期であり、ついに義満の和平交渉を受けて南北朝は統一することとなったのである。 そして後亀山天皇は北朝の後小松天皇に譲位し、その後南朝・大覚寺統に皇位が移ることはなかった。
【奈良にある南帝陵】(看板の記載は以下)は南朝・長慶天皇の墓とされる。
「ここ国王神社の境内にある」長慶天皇は、文中2年(1373年)8月御位いを弟の後亀山天皇に譲られ、同年10月まで、紀伊国玉川の宮におられたが、賊徒の襲来を受け大和の天の川村、五色谷行在所へお移りになったところが、ここでも送徒に襲われたので、もはや運命もこれまでと同所の「廻り岩」でご自害なされた。このとき、近侍のものが、ご遺体を水葬に付したところ、数日を経て御首が、下流の十津川村上野地字河津の渕(現在地付近)へ流れつき毎夜水底より、不思議な一条の光を発した。これをみつけた村人が、丁重にこのところへ葬り玉石を安置してお首塚と呼んだ、以上が南帝陵の十津川村における伝説の概略である。しかし歴史上、天皇は弘和2年(1382年)まで在位されていたことになっており大和誌によると、神社が長慶天皇の勅願宮になっていることなどから日時が神社創建のときと混同されて伝えられたと思われる。いずれにしろ村民が600年来長慶帝の在位を確信し、これを奉祀してきたことに、十津川村の特殊性がある。
十津川村では毎年秋には武者行列の祭事が行われる。長慶天皇の首を見つけた村人が手厚く葬った様子を再現。餅を撒いて福を分け合うという。
【御首塚由来】
この地に潜在していた第98代長慶天皇(南朝3代)は、北朝勢に追われて天河郷五色谷で自害された。時に応永元年であったという。廷臣たちが御遺体を水葬にしたところ数日にして河津平の渕に御首が現れ、里人は勅願宮河津国王神社の傍に奉葬した。いつの頃からか御首塚は頭の神様として人々に崇められるようになった。尚長慶天皇は優れた文学者でもあった。
三条治子(西御方)
足利尊氏1305-1358 ┣治仁王1370-1417
┣足利頼子 源資子 ┣貞成親王1372-1456
赤橋登子┃ ┣栄仁親王(伏見宮)1351-1416
三条秀子┃ ┣興信法親王 藤原資子
藤原公子1232-1304 ┣興仁親王( 3崇光天皇 ) 三条厳子┣101称光天皇
┣貴子内親王 西園寺寧子 ┣弥仁親王( 4後光厳天皇 ) ┣6後小松天皇1377-1433
┣姈子内親王 ┣量仁親王(1光厳天皇)1313-1364 ┣緒仁親王(5後円融天皇) 1359-1393
┃ 藤原経子┣豊仁親王(2光明天皇)1321-1380 ┣熈永親王
┏89後深草天皇 ┣胤仁親王(93後伏見天皇)1288-1336 ┣尭仁法親王
┃ ┣熈仁親王(92伏見天皇)1265-1317 ┃ 藤原仲子1339-1427
┃ ┃ ┃┣尊園親王1298-1356 ┣尊道親王1332-1403
┃ ┃ ┃三善衡子 正親町実明女
┃ ┃ ┗━━━━┓
┃藤原愔子1246-1329 ┣富仁親王(95花園天皇)1297-1348
┃ 藤原(洞院)季子 ┣直仁親王1335-1398
┃ 藤原(正親町)実子
┗━(持明院統:足利氏が京都に擁立 北朝)━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃
伊岐致遠女 ┃
源懿子1116-1143 ┣79六条天皇1164-1176 ┃
┣78二条天皇1143-1165 ┃
┏77後白河1127-1192 更衣尾張局 ┃
74鳥羽 ┃ ┣道覚親王1204-1250 藤原立子(東一条院) ┃
┣覚快法┃親王1134-1181 ┃ 修明門院藤原重子┣85仲恭天皇1218-1234┃
紀家子 ┣80代高倉天皇1161-1181┃ ┣84順徳天皇1197-1242 ┃
平滋子┃ ┣高成親王(82代後鳥羽天皇)1180-1239 ┃
┃ ┣守貞親王(後高倉院)1179-1223 ┣83土御門天皇1196-1231 ┃
┃ ┃ ┣86後堀河天皇1212-1234 ┃ ┣88後嵯峨天皇1220-1272 ┃
┃ ┃ ┃┣87四条天皇1231-1242 ┃ 源通子 ┃┣89後深草天皇┛
┃ ┃ ┃藤原竴子1209-1233 ┃ ┃┣90亀山天皇━┓
┃ ┃北白河院・藤原陳子 承明門院源在子 ┃西園寺姞子 ┃
┃ ┃ ┃持明院基家┛ ┣宗尊親王 ┃
┃藤原殖子(七条院) ┃1242-1274 ┃
┣言仁親王トキヒト(81代安徳天皇1178-1185) 平棟子 ┃
徳子1155-1214(建礼門院) ┃
┏━(大覚寺統:吉野朝廷 南朝)━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃平時仲女
┃┣慈道親王1282-1341 嘉喜門院---近衛経忠1302-1352娘
┃┃藤原嬉子1252-1318(今出河院) 不明:南帝皇后
┃┃ ┣- 姈子内親王(1270-1307)後深草皇女(遊義門院) 嘉喜門院?-? ┣海門承朝1374-1443
90亀山天皇1249-1305┣- 阿野廉子1301-1359 (藤原勝子 ) ┣世泰親王
┣世仁親王(後宇多天皇)1267-1324 ┣成良親王 ┣98長慶天皇1343-1394:南帝三代
洞院(藤原)佶子┃┣邦治親王(後二条天皇)1285-1308┣恒良親王 ┣99後亀山天皇1347-1424
1245-1272 ┃堀河(源)基子┃┣- ┣義良親王(後村上)1328-1368:南帝二代
(京極院) ┃(西華門院) ┃藤原(徳大寺)忻子 ┣祥子内親王
┃ ┣邦良親王1300-1326┃
┃ ┣邦省親王1302-1375┃
┃ 藤原(五辻)宗子 ┃
┣尊治親王 (96後醍醐天皇) 1288-1339
┃ ┃ ┃┃┣恒性皇子
藤原忠子 ┣懽子内親王1315-1362 ┃┃┣護良親王1308-1335
┃(光厳上皇妃、宣政門院) ┃┃源師親娘
┏西園寺禧子1303-13333(礼成門院 後醍醐中宮) ┃┣尊良親王1310-1337
┣左大臣公衡1264-1315 ┃┣宗良親王1311-1385
┣太政大臣兼季1281-1339 ┃二条為子
┣西園寺金章子1271-1342伏見天皇中宮)藤原実俊┣世良親王-1330
┣西園寺瑛子1273-1336(亀山天皇後宮) ┃┣静尊法親王?-?
西園寺実兼1249-1322 ┗遊義院一条局
JR嵯峨嵐山駅のすぐ南に位置する長慶天皇・嵯峨東陵 と 長慶天皇皇子承朝王墓




