朝から雨で、変わらない耳鳴りの強さ、指の強いねばつき、背中から腰の筋痙攣等、無数の症状、違和感で憂鬱な日中を過ごした。京都の保険金殺人で使用された青酸カリが手元にあれば、すぐに服毒したと思う。自分のことだけ考えれば独りよがりなことをやってしまうだろうと思う。希死念慮ではなくて、この気持ちは人間としての当然の権利、現状を分析するにに当然の感情の流れであることを分かってほしい。文章の隅々から理性は保たれていることを賢察してほしい。死について軽はずみに書くなどということは健常なときには一番避けていたし、考えもしなかった。
夕方からお世話になっている人と駅前で飲んだ。半分くらいは現状の悲運を考えずに済んだ。上記の死への願望も正直に話した。99.9%の人がそんなことなんて考えない。しかし、そんな状況に追い込まれている人間もいることを分かってもらいたい。
帰りは霧の中、徒歩で帰った。足取りが物理的に重い、筋力が相当落ちてきている。これからも信じられない現象が続いていく。どのように心を整理することができるだろうか?
若い時期にストレスなどがあって、何かのきっかけ(交通事故、諍い等)でこころのクリニックを受診するとする。30歳やそこらでは、それまでにせいぜい、内科、整形外科、耳鼻科、眼科くらいの受診歴しかない。行ったら、面談とせいぜい血液検査程度で、拍子抜けする。他科でもらえるように、薬はないの?ということになる。ここが人生の大きな転機になる可能性がある。お土産として薬を要求する、処方される、飲む、慣れる、この過程が一番危ない、私のように取り返しがつかなくなる。子どもや夫、妻が勝手に受診するかもしれない、けれど、注意をめぐらして処方を続けないようにする。本当に薬が必要な人はいるが、大多数の人は服用不要、もしくは短期間限定で十分だ。
社会にこのような取り返しのつかない危険がぱっくり口を開けて待っている。他科の薬も、自身で調べて飲むようにしてほしい。人任せにしない学習か自衛しかない、医者は製薬メーカーの資料程度の知識しかない可能性が十分にある。危ない、本当に危ないから、自分のようになってからでは遅い。