以下は、9月に知り合いとやり取りをした際のメール文です。とてもいいことを書いていただいています。私自身は、精神を患ったとは今も思っていないです。しかし、心療科に何も知らず、ふらふらと行ってしまったこと、その後、服薬継続を家族に知らせず、大丈夫と思って一人で飲んでいたことが性格的な、大人になりきれていなかったことかなと思います。交通事故だけでなく、あらゆるリスクを広く学習させ、あらゆる角度から自身のやっていることを顧みるようにする習慣づけをさせる、大事なことを家族内で話す、こういったことが日本人にはまだ足りないのではないかと考察します。ためになる文章ですので、一部変更の上、転載させていただきます。
(以下)
お返事、ありがとうございました。お話しいただいて、ありがとうございます。
奮闘されている様子、よくわかりました。
○○(私)が、どれほどのお仕事をされていたかは、傍から見ていてもよくわかりました。
反対に、一体、いつ休みを取られているのだろうかとそんな風にも思っていました。
○○(私)が薬物依存症だとお考えであるのなら、そうなのではないかと思います。
依存症をなくす方法をずっと考えてこられたとは思いますが、その考え方もまた、ある意味でストレスに拍車をかけておられませんか。つまり、自分は依存症なので、それをなくそう、なくそう、でもなくせない、というジレンマに陥るからです。
中略
そうそう簡単に依存症は治らない、ひょっとしたら一生治らないかもしれない、と思います。そう思うと絶望的な気分にもなり、諦めたくもなるのです。しかしながら、友達に精神科の先生がいるのですが、彼から、何度となく言われたことが、そこまでストイックになる必要はないと言うことなのです。昔はフロイトのいうように、過去の問題となったことを再現し、それを現代で克服するような手法をとっていたけれど、それは日本人にあわないのだそうです。何故なら、自我を確立できているような人なら精神を煩うようなことにはならず、それ以前に、日本人は甘えの構造のあるように、80%は自我の確立は出来ていないと言われていました。なので、他の良い部分を見つけて、そっちを伸ばしていく方が、結果的にはよくなる場合が多いと。
殆どの人は、何らかに依存しているものであって、反対に、一つのことに依存しすぎるから問題になるのではないか、もっと拡散して依存すればよい、自然に、山に、海に、どんどん他のものに依存すれば良い、そうすれば、一つのチャンネルが壊れても、他で代用できるという説です。薬であれば、違う薬に代用しつつ治していけるような気がします。
○○(私)が言われているのは、離脱症状のことですよね。何もかも急に止めるのは、それは自分に対し、過酷ではないかと思います。お医者さんは何でも病名を付けたがりますが、本当はそれはあまり関係ない。症状をよくすることを考えるのが一番ですよね。人って、少しでも良い兆しが見えたら、やる気も出てくるのですが、全然改善されなければ、本当に自暴自棄になってしまう。
○○(私)はかなりストイックでしょう。
中略
違う見方をすれば、ストイックな人は自分に厳しいぶん、自省するから、もっと頑張ってしまうし、それを受け入れて、成長することが多いからですが、得てして不器用な人が多いと思う。言い換えればそのぶん、誠実で、信頼できるということなんですが。
全然関係ないかもしれませんが、内田樹が、身体知のことを話されたとき、男性の多くが、頭でまず考えるので、動けなくなるのだ、と。自我が縮小して、自分のできることは何かといったら、手だけは動かせる、足だけは動かせる、となって、他の部分は仮死状態になっている。人間のような多細胞生物は、すべての部分が知らず知らずのうちに連動しているので、それをすべて動かしてやると、身体が柔らかくなってくる、身体が柔らかくなると頭も柔らかくなる。それだけ連動している、と言われていました。こういったことも取り入れつつ、くれぐれもご自身を責めても問題は解決しないので、反対に、もう少しご自身の身体を労ってあげてくださいね。