goo blog サービス終了のお知らせ 

人生の変転・下山日記

ベンゾジアゼピンの遷延性症状に悩む方がおられましたら、情報をお寄せ下さい。このブログは、当方の生きた記録として残します。

メール書簡のやりとり(いただいた返事)

2014-12-06 14:08:44 | 日記

以下は、9月に知り合いとやり取りをした際のメール文です。とてもいいことを書いていただいています。私自身は、精神を患ったとは今も思っていないです。しかし、心療科に何も知らず、ふらふらと行ってしまったこと、その後、服薬継続を家族に知らせず、大丈夫と思って一人で飲んでいたことが性格的な、大人になりきれていなかったことかなと思います。交通事故だけでなく、あらゆるリスクを広く学習させ、あらゆる角度から自身のやっていることを顧みるようにする習慣づけをさせる、大事なことを家族内で話す、こういったことが日本人にはまだ足りないのではないかと考察します。ためになる文章ですので、一部変更の上、転載させていただきます。

(以下)

お返事、ありがとうございました。お話しいただいて、ありがとうございます。

奮闘されている様子、よくわかりました。

 

○○(私)が、どれほどのお仕事をされていたかは、傍から見ていてもよくわかりました。

反対に、一体、いつ休みを取られているのだろうかとそんな風にも思っていました。

 

○○(私)が薬物依存症だとお考えであるのなら、そうなのではないかと思います。

依存症をなくす方法をずっと考えてこられたとは思いますが、その考え方もまた、ある意味でストレスに拍車をかけておられませんか。つまり、自分は依存症なので、それをなくそう、なくそう、でもなくせない、というジレンマに陥るからです。

中略

そうそう簡単に依存症は治らない、ひょっとしたら一生治らないかもしれない、と思います。そう思うと絶望的な気分にもなり、諦めたくもなるのです。しかしながら、友達に精神科の先生がいるのですが、彼から、何度となく言われたことが、そこまでストイックになる必要はないと言うことなのです。昔はフロイトのいうように、過去の問題となったことを再現し、それを現代で克服するような手法をとっていたけれど、それは日本人にあわないのだそうです。何故なら、自我を確立できているような人なら精神を煩うようなことにはならず、それ以前に、日本人は甘えの構造のあるように、80%は自我の確立は出来ていないと言われていました。なので、他の良い部分を見つけて、そっちを伸ばしていく方が、結果的にはよくなる場合が多いと。

殆どの人は、何らかに依存しているものであって、反対に、一つのことに依存しすぎるから問題になるのではないか、もっと拡散して依存すればよい、自然に、山に、海に、どんどん他のものに依存すれば良い、そうすれば、一つのチャンネルが壊れても、他で代用できるという説です。薬であれば、違う薬に代用しつつ治していけるような気がします。

 

○○(私)が言われているのは、離脱症状のことですよね。何もかも急に止めるのは、それは自分に対し、過酷ではないかと思います。お医者さんは何でも病名を付けたがりますが、本当はそれはあまり関係ない。症状をよくすることを考えるのが一番ですよね。人って、少しでも良い兆しが見えたら、やる気も出てくるのですが、全然改善されなければ、本当に自暴自棄になってしまう。

 

○○(私)はかなりストイックでしょう。

中略

違う見方をすれば、ストイックな人は自分に厳しいぶん、自省するから、もっと頑張ってしまうし、それを受け入れて、成長することが多いからですが、得てして不器用な人が多いと思う。言い換えればそのぶん、誠実で、信頼できるということなんですが。

 

全然関係ないかもしれませんが、内田樹が、身体知のことを話されたとき、男性の多くが、頭でまず考えるので、動けなくなるのだ、と。自我が縮小して、自分のできることは何かといったら、手だけは動かせる、足だけは動かせる、となって、他の部分は仮死状態になっている。人間のような多細胞生物は、すべての部分が知らず知らずのうちに連動しているので、それをすべて動かしてやると、身体が柔らかくなってくる、身体が柔らかくなると頭も柔らかくなる。それだけ連動している、と言われていました。こういったことも取り入れつつ、くれぐれもご自身を責めても問題は解決しないので、反対に、もう少しご自身の身体を労ってあげてくださいね。

 


平時を装う

2014-12-06 13:50:38 | 日記

一旦、再開とあらば、息せき切って書き残している。次々と思いが湧いてくる。

 

家族と平時を装って過ごさなければならないこと。身体の不調は常に家内に漏らしているので、家内もさすがに辛いだろう。

私が出勤せず、既に半年。子供もなぜ、父親がずっと家にいるのか事情はよく分かっているはず。母子でそのような事情の会話をするような主義では家内はない。

先週の日曜日、家内がいない朝に子供に

この先、私はどうなるか分からない、

何かあったら母親を支えるように、

好きなことを将来はしなさい、みんなが助けてくれる、

こころに効く薬は決してのんではいけない、私ものむ必要はなかった

 

まだ物心もついているかどうかわからないのに理解して、泣いてくれた。

私も泣いた。

 

それっきり、その話はしていない。もう、くどくどとする必要はないと思ったし、家内がいる場でその話をすると怒られる。

その後、平静を装ってそれぞれが生活している。こんな思いを家族にだけはさせたくなかった。

手紙でもきちんと書いておきたい、今のうちに。

 

 


全身の筋肉層の薄化(消滅)

2014-12-06 13:00:24 | 日記

2014年12月初旬

もっと早くから肘や膝の骨が剥き出しだなという間隔はあった。定性的な記述で悪いが。

あばら骨、鼻筋、額、後頭部全て筋肉層が極端に薄くなったように感じる。本来、身体を守るため薄くても筋肉層があることは読者も自身の身体で感じることができるはずである。

額が痒く爪で掻くと、とても痛い。骨を直接引っ掻いているような感覚である。後頭部も硬い、これで交通事故、人と衝突するとあっけなく逝ってしまうようなもろさを感じる。

顔は全般的に脂ぎっているが、保湿する筋肉層がなくなったせいかもしれない。指の腹や脚の裏は異常な粘り気や発汗があるが、これも同様で行き場を失った水分や脂分がやむを得ず、排出されているものと推定する。指や足の裏も肉が減っていることは、既に前報で記載したとおりである。膝やふくらはぎにも異常な発汗があり、精神的な緊張性発汗ではないと思う。

全身筋肉維持と関与する脳神経部位の関係について成書があるのなら、おそらくこのような症状も明確に説明できるのだろう。末梢的な症状の断片記載を行った。


バカの壁

2014-12-06 11:50:13 | 日記

もう、一から自分の病気について説明する元気は余りない。ブログも溜まってきたのでそれを参照してもらってから、話をしたいという横着さも出てきた。

もはや事情を理解して話を聞いてくれるという相手の存在が心地よい。いや、あなたの言っていることは違う、私はこう思うというような相手は、最大弱者である自分を前にしてなかなかいないと思うが。

バカの壁は、確かに存在する。話や意図がかみ合わない、かみ合わないことを言うと機嫌を害し始める/または自分の理屈をそれでもずらずらと続ける/意を尽くして工夫して言ったつもりなのにそれでも理解されていない。これらの反応は本当にがっかりする、怒りすら覚える。

そういうことを友人に言うと、「おまえ、大丈夫だよ。そんな感覚をもっているだけ、まだ元気じゃん」と。いや、許容力のない狭量な自分を露呈してしまっているのだ。おそらく、今回の服薬継続の経緯とこの性格はリンクしていると思う。


丹精込めた自分の身体が

2014-12-06 11:30:47 | 日記

私は中学1年くらいまでは、野球は好きでしたが運動はできる方ではありませんでした。水泳も嫌いで、仮病でサボっていました。痩せていて腕が細く、周囲からもよく言われました。

それが嫌で、また、スポーツが徐々に好きになり、中学の体育の授業や課外で少し、陸上をしたり、運動会のマスゲームで張り切ったりということで体力をつけていきました。中3では徒競走も1位になりました。高校もそれなりにスポーツを楽しめました。

大学に入ってからは武道を7、8年間やりました。厳しい道場でしたが、やり甲斐がありました。大会で段別の競技で優勝もしました。国際大会にも2回出ました。身心を鍛えてくれた先生を今でも尊敬し、慕っています。そこで肉体改革というか筋肉がいっぱいつきました。

また、この10年は水泳をずっと続けていました。年間100回以上、プールに通い確実に1時間泳いでいました。昨年はそれにジョギング10キロも組み合わせていました。暇さえあれば身体を動かしていました。筋肉がどのようになっているか見て、触ってずっと把握していました。

なので、今こうなって筋肉がどんどんなくなっていく状況が本当に堪えられません。読者の誰もこのような体験をすることはおそらくないでしょう。理解の及ばないところだと思います。

本当に辛い、丹精込めた自分の身体がこうなってしまうことが。