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人生の変転・下山日記

ベンゾジアゼピンの遷延性症状に悩む方がおられましたら、情報をお寄せ下さい。このブログは、当方の生きた記録として残します。

自死への妨害?

2014-12-08 18:34:23 | 日記

挿話的に書いておく。休職以降、「これは駄目だわ」と思って自死について真剣に考え、計画を巡らそうとしたことが何回かある。

自死自体、本当は考えたくない。死ぬのは怖いし、畳の上できちんと死にたい。しかし、八方塞がりだと思い詰めたら、考えがそっちの方向に向かう。

些細なことだが、自死を考えるその都度ちょっとした自死を妨げようとするハプニングが起こる。

7/25 (金) 夕方に、そんなことを考えるなとばかりにトイレの便座が割れて、DIYの店にいろいろと回る羽目となった。苦笑した。

8/5(火) そういうことができる場所がないかと思って、そぞろ歩いていたら「理研の副センター長が自殺した」というニュースが飛び込み、気がそっちに行き、まだ死ぬなということかと思った。

8/16(土) 携帯でそういうサイトを祖父母の仏壇の横で見ていたら、携帯の電源が切れて、充電し、リセットを押しても入らなくなった。2日後に何もなかったかのように普通に電源が入るようになった。

12/8 (月) 車のバッテリーが上がった。寒さのためかも知れないが・・・。

残り少なくても、ちゃんと命の使い道があるからそれまで生きていなさいというお告げなのかもしれない。


残念な確信

2014-12-08 18:03:22 | 日記

自宅、机周りの片付けを始めた。健常であれば「うーん、必要」ということでため込むものたちである。

不要とみなして片っ端から捨てていく、さびしい片付けであるが、身体が動く限り作業している方が気が紛れる。

癌や不治の病と診断されたわけでないのに、なぜブログに「死ぬ死ぬ」と書いているのだろうと思う人が多数であろう。

身体を替わってもらうことは適わないが、私になってくれれば分かる。そう言われても信じられないだろうが。

希望を見出す方向で考えるのが人間の常だろう。しかし、自分の場合は例外的に違う。今少しの時間がそれを証明するだろう。

死ぬことを念じている訳ではなく、もう衰弱しているのを体感しているのだ。

寝たきりでない、まだ身体も動く、身の回りの片付けをするにあたり段取りもできる。でも、残り少ないのだ。


あきらめられる

2014-12-08 10:18:34 | 日記

自分自身が駄目だと感じているのと同様に、周囲にも「ああ、こいつはもう無理だなぁ」という空気が満ちてきていることが分かる。

世の中の流れは速い、皆自分のことで精一杯である。いろいろな心情を書き連ねても「この人、頭おかしくなっている」ということで一蹴だろうな。時間が経てば経つほど。

体調や症状進行を正確に分析して、社会への復帰は難しいと思う。

もう、努力してもどうなるものではなく、なるようにしかならないのであれば静かにひっそりと過ごしてゆくべきなのだろう。

毎日、毎時間、身体がどうなってゆくか察しはつくが、実際にそうなるとつらいものがある。人に訴えたいのも正直ある。静かにひっそりとということも難しい。

 


寝息

2014-12-08 03:29:26 | 日記
家族の寝息を枕にして覚醒している我が身、既に半年意のままにならず

紺屋の白袴

2014-12-08 03:17:41 | 日記
意気がって毒の恐ろしさを飯のタネにしていて、その実、服毒していた滑稽さ。年の瀬、人生の瀬の未明に想う。駆り立てる耳鳴り。