10月に「見舞い」にわざわざ寄ってくれた知人に言われたことがある。
「薬を長く飲まれていらっしゃった。もし治るなら、いつの○○さん(私)に戻ろうとされるのでしょうか?薬を飲み、猛烈に仕事をされていた○○さんは本来の○○さんではないのではないでしょうか?」
薬が性格を変えたとは思っていない、服薬前から物事の考え方には継続性があると思う。ベンゾジアゼピンの処方では発狂しない、常に正気な自分がいる(うつ病で投薬の末、荒れた患者を周りで見てきたことのある知人たちからは、全然あなたは普通じゃないと言われたことが何回もある、そりゃそうだ。うつじゃないのだもの。)、故に離脱では辛いのだと、何かのサイトか本で読んだことがある。ああ、あの医者の本だ。
仕事をいろいろ受けてくるのは実は学生時分からの兆候であり、アルバイト、武道、学生寮の管理、大学の研究室、サークルといろいろと掛け持ちして忙しくする性分であったので。しかし、投薬や医者に掛かろうなどとは思ったことは決してなかった。
職場が変わり、結婚し、少し頑張ってしまった結果、ストレスが生じ、ぼんやりしてしまい、交通事故を起こして心療科の門をくぐってしまった。そして手に入れたエネルギーブースト薬があって、そのリスクに気付いていないので、別目的で長く飲んでしまった、また不幸にして手元にあれば飲んでしまった環境にいたという事実に帰着する。性向はあったのだろうなと内省する。
性向、職場環境、薬リスクへの無知、他の要因が不幸にも重なって、今回の出来事が生じてしまったのだと思う。
いつの私に戻るのでしょうね。斃れる前の状態で、もっと仕事をしないゆとりのある自分が本来なのでしょうね。
しかし、鑑みるに大学のときも「そんなに忙しくしてどうする?」「いつも全速力で凄いと思います。けど、新幹線から降りて車窓の景色を歩いて見て下さい」と言われたこともある。
宿命だったのだろうか。