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打越正行の研究室 UCHIKOSHI Masayuki's laboratory

このブログでは、広島と沖縄で暴走族・ヤンキーの若者を対象とした参与観察調査をしてきた打越正行の研究を紹介しています。

沖縄のヤンキーの若者と地元――建設業と製造業の違いに着目して

2020年05月29日 09時13分36秒 | 書いたもの(DL不可)


■打越正行、2020年5月29日、「沖縄のヤンキーの若者と地元――建設業と製造業の違いに着目して」日本平和学会編『平和研究(「沖縄問題」の本質)』54号: 71-90.(全224ページ、ISBN:978-4-657-20009-9、2420円)


原稿概要

 本稿は、沖縄の周辺層にあるヤンキーの若者たちが地元を介して建設業に就く移行過程を対象とする。そして、その過程は本土の周辺層の若者が、家庭や学校を基盤として工場労働者となる移行過程とは質的に異なるものであること、その差異は、沖縄の基幹産業である建設業と、本土社会の分厚い製造業の間にある分断によるものであるということについて述べる。

 製造業も建設業も、ともに3K(きつい、汚い、危険)のブルーカラー労働に区分される。しかし、働き方やそこで形成される人間関係のあり方、そして世界の見え方や将来展望などにおいて、両者は大きく異なる。

 戦後の日本社会は、分厚いブルーカラー層、なかでも大手の製造業が先導し、それを下請け企業が支える形で、日本的経営と日本型福祉の体制がとられてきた。規律訓練型の教育を施す学校は、工場における働き方に適合的な労働者を養成した。本土における周辺層の若者たちは、親和的な関係にある学校から工場への移行が比較的スムーズに展開された。

 他方、沖縄の産業構造は、製造業の比率が少ない。それは沖縄戦で焼け野原になったこと、占領政府下のインフラ整備で周辺労働力が中小の建設業に組み込まれざるをえなかったなどの理由による。また見込み生産方式である製造業と比べて、受注生産方式の建設業は、発注者の動向に依存せざるを得ない。そのため景気に左右される不安定な業界である。それに加えて沖縄の建設会社は本土の大手ゼネコンの下請けである中小零細企業がその中心である。沖縄の建設会社は、このような不安定な状況を地元の後輩たちを雇用することで乗り切ろうとした。この過程でつくられたのが、地元の「しーじゃ」[先輩]と「うっとぅ」[後輩]の社会関係であり文化であった。

 本土社会では学校が職業分配機能を担い、家庭や企業が福祉的機能を担った。しかしそのような機能をはたす学校や家庭は、沖縄のヤンキーの若者たちが建設業に移行する過程ではほとんど機能しない。そのような彼らの移行過程を補完したのが地元であった。このような構造や歴史の制約を受ける形で、沖縄の建設業に就く若者たちは固有の社会関係のあり方やそこでの文化を形成してきた。つまり沖縄の建設業で働く人びとは、「復帰」した後も学校や家庭、企業による日本的経営や日本型福祉の外部を生きてきた。その実際について、沖縄のヤンキーの若者たちを対象とした調査に基づきながら描き出すことで、現在も沖縄が抱え続けている経済的脆弱性という問題の構造を析出していく。

 

著書紹介
 日本の平和研究の原点の一つである「沖縄問題」。課題は「平和と自立」の実現とされ、これまでも「平和」については日米安保体制と米軍基地、「自立」については政治制度の変更を視野に入れて議論されてきた。本号では、政治・憲法・歴史・社会学それぞれの視点で「自立」が問われ、日米軍事戦略、沖縄被爆者をテーマにし「平和」が語られる。先人が残してきた研究の蓄積と同様に、「沖縄問題」をめぐる平和研究のマイルストーンとなるであろう一冊。

 

早稲田大学出版部


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書評(琉球新報、我部政明)

 


Yankee youth and local communities in Okinawa: A focus on differences between the construction and manufacturing industries

UCHIKOSHI Masayuki

In Japan, Yankee refers to a cultural group of underclass youths. This paper explores the process by which Yankee youth enter the construction industry through local communities on the periphery of Okinawan society. I argue that, because of family and social connections, this process qualitatively differs from that of Yankee youth working in the manufacturing industry on the periphery of mainland Japanese society. Differences arise from the division between the construction industry, which is the key industry in Okinawa, and the manufacturing industry, which has a stronger foothold in mainland Japan.

After World War II, Japanese management styles and welfare systems were established by the majority blue-collar class. Specifically, they were led by large manufacturing companies and supported by subcontractors. Mainland Yankee youth enjoyed a relatively smooth transition from school to factory employment because of the close relationship between them.

In Okinawa, manufacturing plays a smaller role in the industrial structure, and construction companies are generally small- and medium-sized businesses that subcontract from large general contractors. These companies have sought to survive in an unstable environment by employing their juniors from the local community. Through this process, a culture and social relationship between local seniors, "shiijya, " and juniors, "uttu, " has emerged.

On the mainland, schools perform an employment distribution function and families and companies perform a welfare function. However, in the process of Yankee youth transitioning into the construction industry, schools and families no longer perform these functions. Amid systemic and historical constraints, those who pursue employment in the construction industry have developed unique social relationships and culture.

The social relationships sustaining cultural reproduction within the construction industry are distinct from those on the mainland. This qualitative difference occurs outside the cultural reproduction of the mainland's blue-collar class, which is sustained by company, school, and family. Neglecting to address this unjust situation and these unjust relationships, and continuing to appropriate that relationship back to its source, leads to continuing structural discrimination.


「パチプロから公務員へ――ある大学生の職業選択」、「那覇への船旅――ひと晩限りの話をきく」

2020年04月20日 12時02分15秒 | 書いたもの(DL不可)


■打越正行、2020年4月20日、「パチプロから公務員へ――ある大学生の職業選択」、「那覇への船旅――ひと晩限りの話をきく」有田亘・松井広志編著(有田亘・松井広志・妹尾麻美・上原健太郎・阿部卓也・高橋志行・木村絵里子・ケイン樹里安・鈴木恵美・打越正行著)『いろいろあるコミュニケーションの社会学 Ver. 2.0』北樹出版、120-123, 124-127(全176ページ、ISBN: 978-4-7793-0625-9、2090円)


 新しい社会学の教科書で2章ほど担当しました。
 1本目の「那覇への船旅――ひと晩限りの話をきく」(30章)は、船旅で出会った人たちのひと晩限りの人生談です。人間がたしかにいるということ、そこに生業があったということを船旅で出会った沖永良部のおじさんと、釜山に通うアジュンマ(あばちゃん)との出会いから描きました。
 2本目の「パチプロから公務員へ――ある大学生の職業選択」(31章)は、パチプロから公務員を志望するにいたった大学生について取り上げました。パチプロとはどんな仕事で、そこから公務員をめざすにいたった大学生の理にかなった職業選択について描きました。

以下は、目次です。

初版はしがき

第Ⅰ部 レクチャー編
 第1章 いろいろあるメディア、いろいろあるコミュニケーション
 第2章 勉強のしかたもコミュニケーション
 第3章 親しい人とつながり続ける私たち
 第4章 運動部の学生にとっての大学生活とは? 
 第5章 「見せる」のではなく「見る」ためのロリータファッション
 第6章 ゆるキャラとは何か?
 第7章 ビデオゲームに暴力的影響はあるのかないのか?
 第8章 ゲームとesports
 第9章 バンクシーの落書きはアリかナシか
 第10章 廃墟に行ってみることの意味
 第11章 「草食(系)男子」って本当にいるの?
 第12章 家族は仲良くなければいけないのか
 第13章 「好き」を仕事にする
 第14章 サブリミナル効果が実在しないとわかってからの顛末
 第15章 それでもファンはアイドルを求める
 第16章 ハーフタレントとグローバルな「あるある話」
 第17章 ディズニーは「夢」を描く
 第18章 カウンターナレッジの強力効果
 第19章 消費社会とモノの現在
 第20章 すすんで監視するアンバランスな私たち

第Ⅱ部 実践編
 第21章 レポートで自分の意見を述べる
 第22章 図書館をもっと使いこなす
 第23章 実態を知るためのデータや資料:公的統計を活用しよう
 第24章 ゲームのあやふやな前提:大富豪、プロ野球制度、ミニマムノック
 第25章 お弁当になることができないゆるキャラ
 第26章 ミュージアムの展示を調べる
 第27章 ウィキペディアを書いてみる
 第28章 写真で調査してみる:フォト・エスノグラフィをよさこいで
 第29章 地元の友人に話を聞いてみる
 第30章 見知らぬ人からひと晩かぎりの話を聞く:那覇への船旅
 第31章 他者の合理性を理解する:パチプロから公務員へ
 第32章 あいまいなテーマをはっきりとさせる

第Ⅲ部 卒論サムネイル


北樹出版

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ヤンキーと地元――解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち

2019年03月25日 00時08分50秒 | 書いたもの(DL不可)

 

■打越正行,2019年3月25日,『ヤンキーと地元――解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち』筑摩書房.(全304ページ、ISBN:4480864652、1980円)


「ここにあるのは「優しい沖縄」ではなく、地元社会の過酷な掟である。パシリから始まり、10年という歳月をかけた、驚愕のエスノグラフィー。」 岸政彦(社会学者)

「生まれ故郷が嫌いだと吐き捨てるように言った、沖縄の若者。その出会いを原点に、沖縄での調査が始まった。生きていくために建設業や性風俗業、ヤミ仕事に就いた若者たち。10年以上にわたって、かれらとつき合ってきた社会学者の、かつてない記録の誕生!」


書籍紹介
 『ヤンキーと地元』は、沖縄の暴走族、ヤンキーだった男の子と女の子たちの10年間の記録です。彼・彼女らは、解体屋となり、また風俗経営やヤミ仕事、そして主婦となりました。本書は彼・彼女らが地元を中心に生活をつくりあげ、そこで日々格闘する様子をあますことなく書きました。2007年に出会って10年以上つき合ってくれている若者が、下世話な話題で盛り上がったり、日々イラつき、時には弱気になり、殴り殴られ、そして互いに思いやり、逆に裏切り、そんでもってそれでも前を向いて生きてきたということを書きました。私は彼・彼女らを心から尊敬しています。彼・彼女らの行為や言葉はいまだにわからないことだらけですが、10年も追いかけていると、時どき部分的に理解できることがありました。本書を通じて読者にそれがひとつでも伝わればうれしいです。ぜひ手に取って読んでください。


■目次

※ 詳細については、下記のアマゾンページを参照してください。

はじめに

第一章 暴走族少年らとの出会い
第二章 地元の建築会社
第三章 性風俗店を経営する
第四章 地元を見切る
第五章 アジトの仲間、そして家族
おわりに

 


筑摩書房

 ※ 試し読みはこちらから

アマゾン

紀伊国屋書店

TSUTAYA

RAKUTENブックス

 

■新聞

『産経新聞』(書評、2019.4.14)

『沖縄タイムス』(書評:與那覇里子、2019.4.20)

『琉球新報』(書評:石岡丈昇、2019.4.21)

『朝日新聞』(書評:武田砂鉄、2019.4.29)

『週刊読書人』(書評:廣末登、2019.5.3)

『琉球新報』(取材:藤井誠二、撮影:ジャン松元、2019.5.3)

『沖縄タイムス』(取材:與那覇里子、2019.5.12-13)

『南海日々新聞』など(書評:新城和博、2019.5.17) 

『中国新聞』など(書評:片岡義博、2019.5.19)

『毎日新聞』(書評、2019.5.26)

『中日新聞』(執筆:打越正行、2019.5.31)

『図書新聞』(紹介:石原俊、2019.7.20)

『図書新聞』(書評:田仲康博、2019.7.27)

『朝日新聞』「ひと」(取材・撮影:木村司、2019.8.19)

『琉球新報』「2019 年末回願」(執筆:宮城一春、2019.12.20)
『沖縄タイムス』「年末回願 2019」(執筆:筒井陽一、2019.12.27)

 

■雑誌

『ちくま』(紹介:藤井誠二、No.577)

『中央公論』(撮影:深谷慎平、6月号)

『週刊文春』(書評:磯部涼、5月23日号) 

『週刊現代』(書評:野村進、5月25日号)

『こころ』(書評:栗下直也、Vol. 49)

『小説すばる』(紹介:栗原裕一郎、7月号)

『オキナワグラフ』(7月号)

『週刊朝日』(紹介:内山菜生子、8月2日号)

『週刊女性』(取材:渋井哲也、8月13日号)

『東京人』(紹介:五十嵐太郎、No.415)

『週刊現代』(紹介:末井昭、9月7日号) 

『VOGUE』(紹介:千葉雅也、11月号)

『モモト』(取材:伊波春奈、40号)

『教職研修』(評者:妹尾昌俊、2月号)

『IMADR通信』(紹介:伊波園子、201号)

『みすず』(紹介:増田聡、689号)

『香川大学国文研究』(紹介:渡邊史郎、44号)

『大原社会問題研究所雑誌』(書評:杉田真衣、747号)

 

■ブログ、web記事など

琉球朝日放送「Qプラス」(2019年5月10日放送)

RBCiラジオ「RBCiラジオスペシャル」(2019年6月10日放送) 

FM沖縄「プレミアムテラス」(2019年7月7日、14日放送)

TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」(2020年1月15日放送)

文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」(2020年12月8日放送)

 

■トークイベント

くじらブックス(上間陽子、2019年4月24日)

 沖縄タイムス(2019年5月6日)

 琉球放送「THE NEWS」(2019年4月26日放送)

ロフトプラスワンWEST(岸政彦、2019年5月3日)

ジュンク堂書店那覇店(石川竜一、2019年7月13日)

くじらブックス(新城和博、2020年2月8日)


ライフコースからの排除――沖縄のヤンキー、建設業の男性と暴力

2019年03月01日 08時32分54秒 | 書いたもの(DL不可)

■打越正行、2019年3月1日、「ライフコースからの排除――沖縄のヤンキー、建設業の男性と暴力」『現代思想(引退・卒業・定年)』青土社、89-97.(全246ページ、ISBN:9784791713783、1540円)

概要
 沖縄のヤンキー、建設業の男性たちの生活と仕事の基盤は地元である。その地元には強烈な上下関係があり、また頻繁に暴力がふるわれる。本稿は参与観察調査を通じて、そのような暴力を地元の文脈から描くことを目的とする。
 彼らは、学校や就労世界、地域といった社会的空間から排除されている。また彼らは、学校、就職、世帯持ちといった標準的なライフコースから、そして暴走族、建設業、親方といったもうひとつのライフコースからさえも排除されている。それは社会的時間からの排除である。このように空間と時間から排除された状況を彼らは生きており、それは些細なことでいつ暴力が生じてもおかしくない閉塞した状況である。

青土社

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朝日新聞今月の3点(森千香子さん)

 


接待する建設業者/口説き落とすヤミ業者――沖縄のヤンキーの若者と地元・仕事・キャバクラ

2018年12月31日 15時36分21秒 | 書いたもの(DL不可)


■打越正行、2018年12月31日、「接待する建設業者/口説き落とすヤミ業者――沖縄のヤンキーの若者と地元・仕事・キャバクラ」川端浩平・安藤丈将編著(川端浩平・安藤丈将・轡田竜蔵・芦田裕介・打越正行・白石壮一郎・稲津秀樹・大橋史恵著)『サイレント・マジョリティとは誰か――フィールドから学ぶ地域社会学』ナカニシヤ出版、63-86.(全197ページ、ISBN: 978-4779512964、2530円)


概要
 本稿は、沖縄のヤンキーの若者にとっての地元が、彼らの就く仕事や身体技法を強力に方向づけていることについて述べる。ここで取り上げる沖縄のヤンキーの若者とは、建設業とヤミ仕事(違法就労)に就く男性である。彼らにとって、地元の社会関係は相互扶助の「ゆいまーる」とはほど遠いものである。彼らは、地元の暴走族を経て、地元で働き、そして遊ぶ。彼らは、それぞれの地元に吸いつけられ、また離散させられる。その点で、彼らにとっての地元は「磁場」である。以下では具体的に2つの地区のヤンキーの若者が仕事に就く過程に注目し、そこで地元が磁場となっていることについて述べる。
 一つは、ヤンキーの若者の多くが、地元の暴走族を通じて、地元の建設業で働くT地区である。そこでは先輩と後輩の集団的な作法が重視され、それにあった身体技法を習得する。そしてその身体技法ゆえに地元により吸い付けられる。
 もう一つは、ヤンキーの若者の多くが、地元の暴走族を通じて、地元のヤミ業者で働くM地区である。そこでは個人で生きていく能力が重視され、それにあった身体技法を習得する。そしてその身体技法ゆえに、地元から離れていく。
 このように対照的な経過をたどるそれぞれの地区のヤンキーの若者たちにとって、地元は強力な磁場として存在する。彼らが若者文化のなかで生き、仕事に就き、それにあった身体技法を身につける過程を通じて、地元は彼らを吸いつけ、そして離散させている。

以下は、目次です。


はじめに:水上バイクで現れた英雄(ヒーロー)
序 章(川端浩平)
第一章 サイレント・マジョリティを思考すること:広島二〇-三〇代調査から(轡田竜蔵)
第二章 等身大の地域社会:「地域活性化」がみえなくするもの(芦田裕介)
第三章 接待する建設業者/口説き落とすヤミ業者:沖縄のヤンキーの若者と地元・仕事・キャバクラ(打越正行)
第四章 Uターン専業漁師の引退への段階:人口減少地で年をとること(白石壮一郎)
第五章 〈原発被災地〉から「復興」を学び直す:福島の朝鮮学校コミュニティ(川端浩平)
第六章 濁流を聞く/危機を知る:「差別の川」のサウンド・スケープを歩く(稲津秀樹)
第七章 「寄る辺のなさ」を越える:中国の都市社会に生きる農村女性たち(大橋史恵)
第八章 「土」からの変革を求めて:菜園村生活館からみえる香港(安藤丈将)


ナカニシヤ出版

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暴走族のパシリになる――「分厚い記述」から「隙のある調査者による記述」へ

2016年07月25日 16時53分33秒 | 書いたもの(DL不可)

■打越正行、2016年7月25日、「暴走族のパシリになる――『分厚い記述』から『隙のある調査者による記述』へ」前田拓也・秋谷直矩・朴沙羅・木下衆編著『最強の社会調査入門――これから質的調査をはじめる人のために』ナカニシヤ出版、86-99.(全246ページ、ISBN-10: 4779510791、2530円)



概要
 参与観察における「調査者の隙」について、その意義を確認することが本稿の目的である。参与観察では、C・ギアツが民族誌の記述の方法として提唱した「分厚い記述」に象徴されるように、できるだけ長く調査を続け、また調査対象者とより深いラポールを形成することが、調査対象社会や対象者の文脈を読み解く際に重視されてきたといえる。一方、ここで注目するのは調査者が調査対象社会や対象者とのやりとりに巻き込まれるか否かといった基準である。この両者の出会い方こそが、調査の文脈を読み解くために重要である。それらの文脈をまるで一つのデータのように把握するのではなく、ある状況や相互行為に常に位置付けながら理解する必要がある。そして、その理解のためには調査者がそれらの文脈に直接に巻き込まれる余地としての「隙」が欠かせないことを指摘した。

目次
 はじめに――この本を手に取ってくれた方へ
 第Ⅰ部 聞いてみる
  1 昔の(盛ってる)話を聞きにいく――よく知っている人の体験談を調査するときは(朴 沙羅)
  2 仲間内の「あるある」を聞きにいく――個人的な経験から社会調査を始める方法(矢吹康夫)
  3 私のインタビュー戦略――現在の生活を理解するインタビュー調査(デブナール・ミロシュ)
  4 キーパーソンを見つける――どうやって雪だるまを転がすか(鶴田幸恵)
 第Ⅱ部 やってみる
  5 「わたし」を書く――障害者の介助を「やってみる」(前田拓也)
  6 「ホステス」をやってみた――コウモリ的フィールドワーカーのススメ(松田さおり)
  7 <失敗>にまなぶ、<失敗>をまなぶ――調査前日、眠れない夜のために(有本尚央)
  8 暴走族のパシリになる――「分厚い記述」から「隙のある調査者による記述」へ(打越正行)
 第Ⅲ部 行ってみる
  9 フィールドノートをとる――記録すること、省略すること(木下 衆)
  10 学校の中の調査者――問い合わせから学校の中ですごすまで(團 康晃)
  11 好きなもの研究の方法――あるいは問いの立て方、磨き方(東 園子)
  12 刑務所で「ブルー」になる――「不自由」なフィールドワークは「不可能」ではない(平井秀幸)
  13 仕事場のやり取りを見る――「いつもこんなかんじでやっている」と「いつもと違う」(秋谷直矩)
 第Ⅳ部 読んでみる
  14 「ほとんど全部」を読む――メディア資料を「ちゃんと」選び、分析する(牧野智和)
  15 判決文を「読む」――「素人でいる」ことから始める社会調査(小宮友根)
  16 読む経験を「読む」――社会学者の自明性を疑う調査の方法(酒井信一郎)
 おわりに――社会学をするってどういうこと?
 索引 



オリジナルホームページ

ナカニシヤ出版

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インタビュー記事

書評(京都大学生活協同組合)


沖縄の下層若者と〈地元〉の社会学――下層労働の再生産と下層若者文化の再編

2016年04月21日 17時06分12秒 | 書いたもの(DL不可)

■打越正行,2016年4月21日,「沖縄の下層若者と〈地元〉の社会学――下層労働の再生産と下層若者文化の再編」首都大学東京大学院人文科学研究科提出博士論文(人博90号、博士:社会学).(全192頁)

概要

 本稿では,沖縄の下層の若者の仕事と生活について考察した.彼らは〈地元〉で生まれて、生活する。そして彼らの多くは、建築業,性風俗業,違法就業で働く。それらの仕事は,2000年代に入って,それぞれの業界で厳しさを増していた.それによって、彼らの生活も厳しくなった。先輩から後輩への容赦ない暴力や略奪は,年を重ねても終わる見通しがない.なぜ沖縄の下層若者は,仕事と生活の面で過酷さをます〈地元〉に残り続けるのか.これが本稿の中心課題である.

 彼らが残る〈地元〉は、暴力的な強いつながりでがんじがらめになるという「集団化」と,移動が制限されるという「固定化」を特徴とする.そこでは、暴力や職業選択の不自由さがある。それにもかかわらず,彼らは〈地元〉に残る。その理由にせまるために、〈地元〉を「下層若者が相互に全人格的に関わる社会の基盤」と定義した。この定義にもとづいて、以下の2つの仮説を実証した.

 仮説1は,「〈地元〉を通じて,下層労働の再生産は展開される」である.沖縄の下層の若者はさまざまな資源をえるために〈地元〉に集まる.それと同時に、彼らは〈地元〉に拘束される.〈地元〉の相互に全人格なつながりによって、彼らは下層労働に適合的な働き方を身につける.〈地元〉は彼らの生活世界であると同時に,苛酷な下層労働への供給源となっていた.

 仮説2は,「〈地元〉を通じて,下層若者文化は再編される」である.彼らの生き方としての文化には、暴力や略奪が含まれる。下層労働世界が過酷になるなか、彼らの文化もその影響を受ける。暴力や略奪は、その対象が広がり、終わる見通しがたたない。それによって、彼らの生活はますます過酷になるが、そこでは関係が途絶えたり、彼らのやり方そのものが壊れたりすることはなかった。むしろ、よりつながりはより強まり、暴力を用いてでも関係を維持しようとされていた。そのように暴力を用いることで維持される関係は,より小規模の集団となり,そこでは将来に対する見通しをもつことが困難となっていた.

 本稿の中心課題「なぜ沖縄の下層若者は,仕事と生活の面で過酷さをます〈地元〉に居続けるのか」に対する結論を述べる.〈地元〉という相互に全人格的に関わりあう社会の基盤の存在が下層若者の仕事と生活を成り立たせてきた。よって仕事と生活が過酷さを増したとしても,仕事を変えたり生活の基盤となる人間関係を変えたりするのではなく,〈地元〉を基盤とする全人格的なつながりの中で過酷な状況に対処しようとする戦術がとられた.なぜなら、彼らの労働も生活も明日の見通しが立たないが、この地元の社会関係だけが彼らの人生を見通す柱となったためである。それは暴力や略奪を含みながらも、ただひとつ相対的に安定した基盤であった。このような社会の基盤があることによって、彼らは地元に残り、地元で働き、そして地元で生活を営むのである。

キーワード
 下層若者,〈地元〉,暴力,時間感覚,沖縄,参与観察,生活史,暴走族,ヤンキー,建築業,性風俗業,違法就労


Underclass Youth in Okinawa and “Hometown” Sociology:
Underclass Labor Reproduction and Reorganization of the Culture of Underclass Youth

UCHIKOSHI, MASAYUKI
Institute on Social Theory and Dynamics

Abstract

In this paper, I consider and discuss work and lifestyle among underclass youth in Okinawa, and why, in spite of harsh conditions, these youth remain in their hometowns. They are born in and live their entire lives in the same town. Many work in construction, as adult entertainment establishment or illegally. Work in each of these areas has become increasingly difficult to do since 2000. Accordingly, so have the lives of these youths. The younger workers have little hope of seeing an end to the relentless violence and predatory behavior perpetrated upon them by older employees, even with the passage of time. The core topic of this paper is the reason for social underclass youth in Okinawa to remain in their hometowns, with increasingly harsh conditions in work and daily life.

The hometowns in which they grow up and remain are characterized by the strong ties that are the result of collectivization, as well as limited movement, or “immobilization.” As a result, there is frequent territorial violence and a lack of freedom in selecting an occupation. In spite of this, they remain in their hometowns. To find a reason for this, I have defined “hometown” as “a foundation for a society in which people mutually and holistically interact.” The following two hypotheses are based upon this definition.

Hypothesis 1: Underclass labor reproduction develops from within the hometown. Youth from this class in Okinawa gather in their hometowns to obtain a variety of resources getting information or job; at the same time, however, they are restrained in many ways by this very hometown. Through the mutually holistic ties of the hometown, they develop a workstyle that is conducive to the production of underclass labor. The hometown is both their world and a source of supply for underclass labor.

Hypothesis 2: Underclass youth culture is reorganized through the hometown. Their culture as a way of life includes violence and predatory behavior. The harshness of underclass labor also impacts their culture. This behavior targets progressively more people, seemingly endlessly. Although their lives become increasingly harsh, relationships neither end nor does their way of life itself fall apart. On the contrary, ties become stronger and intense, sometimes even violent, attempts are made to maintain relationships. In relationships so maintained, groups become smaller and prospects for the future more limited.

In conclusion, young Okinawans of an underclass remain in hometowns despite increasingly harsh conditions in both work and daily life because of the existence of the hometown as a foundation for a society of mutual, holistic interaction, in which they establish their lives and work. Accordingly, even if the harshness of their work, and daily life’s conditions, have increased, these youths do not change their work, or the interpersonal relationships that underpin their lives. Their strategy is instead to cope with the harshness amidst the holistic ties of their community. In fact, it appears that the reason they choose to remain in their hometowns is the consistency and continuity of working and living among the same interpersonal relationships.


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暴力を飼い慣らす――沖縄の下層若者の生活実践から

2015年08月22日 08時23分48秒 | 書いたもの(DL不可)

■打越正行,2015年8月,「暴力を飼い慣らす――沖縄の下層若者の生活実践から」日本生活指導学会編『生活指導研究』32: 13-23.

概要
 暴力を回避するためには暴力について知ることが欠かせない。本稿はそのような視点に立ち、まずは沖縄の下層若者が営む生活実践、なかでも特に暴力実践のメカニズムを詳細に描き出した民族誌である。それをもとに、生活指導研究の論点と課題を提示することが本稿の課題である。

キーワード:

The Taming of Violences: Through Life Practice of Okinawan Underclass Youth

UCHIKOSHI Masayuki

Abstract

Key Words

日本生活指導学会


沖縄的共同体の外部に生きる――ヤンキー若者たちの生活世界

2014年05月10日 11時55分56秒 | 書いたもの(DL不可)


■打越正行,2014年5月10日,「沖縄的共同体の外部に生きる――ヤンキー若者たちの生活世界」谷富夫・安藤由美・野入直美編著『持続と変容の沖縄社会――沖縄的なるものの現在』ミネルヴァ書房、108-131.(全304ページ、ISBN-10: 4623070344、4950円)


概要

 本章は,かつて暴走族で活動し,現在建築作業員として働くヤンキーの若者たちのモノグラフを中心に構成される.以下で詳述するように,彼らは沖縄的生活様式を身につけず,沖縄的共同体の外部に生きる若者たちである.彼らの生活と視角から,「沖縄的なるもの」の葛藤を考察する手がかりを提示することが本章の目的である.

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ミネルヴァ書房

目次
はじめに
第1章 沖縄的なるものを検証する(谷 富夫)
第2章 本土移住と沖縄再適応(野入直美)
第3章 成人期への移行とUターン(安藤由美)
第4章 ウチナーンチュの生活世界(二階堂裕子)
第5章 沖縄大卒者のローカル・トラック(上原健太郎)
第6章 沖縄的共同体の外部に生きる(打越正行)
第7章 琉球華僑(八尾祥平)
第8章 本土出身者の移住をめぐる選択と葛藤(須藤直子)
第9章 沖縄ハンセン病者の排除と移動(中村文哉)
第10章 名護市辺野古と米軍基地(熊本博之)
第11章 軍民境界都市としてのコザ(山孝史)
第12章 戦後沖縄都市の形成と展開(波平勇夫)
第13章 西表島戦後開拓集落の地域形成(越智正樹)

書評(新城和博さん)

書評(嘉目克彦さん)

書評(杉本久未子さん)


建築業から風俗営業へ――沖縄のある若者の生活史と〈地元〉つながり

2013年03月20日 22時08分18秒 | 書いたもの(DL不可)

■打越正行,2013年3月20日,「建築業から風俗営業へ――沖縄のある若者の生活史と〈地元〉つながり」日本解放社会学会編『解放社会学研究』洛北出版,26: 35-58.

概要

 本稿は、ある沖縄の若者の生活史にもとづいて、不安定な就労形態にある職業選択と社会関係資本をめぐる解釈枠組を再考することを主な目的とする。彼には親からの経済資本はほぼ継承されておらず、社会関係資本としての地元つながりが土台として存在する。ここで土台とは、彼が具体的にどのような手段で生計を立てているのか、その生活を営むために欠かせない基盤をさしている。その事実によって、家族や学校、正規雇用などの安定した労働世界に土台を持つことを前提とする、あるいはそこに土台を持つことを是とした先行研究や既存の行政支援の在り方に再考をせまりたい。その作業を通じて、家族や学校、安定した労働世界によらない暴走族や無認可マッサージ店といった合法的世界の外部に土台を据えた社会化のあり方を逸脱的とみなすことなく、むしろそれをもとに既存の家族、学校、安定した労働世界の社会化のありようを批判的に考察する。

キーワード:下層若者、沖縄、〈地元〉

欧文概要
From Construction Worker to Management of Sex Trade Shop: Life History of Okinawan Youth and Jimoto Connection

(作成中)

Keywords: underclass youth, Okinawa, jimoto

洛北出版


〈暴走族〉をめぐる統制と抵抗

2005年03月19日 13時53分34秒 | 書いたもの(DL不可)

■打越正行,2005年3月19日,『〈暴走族〉をめぐる統制と抵抗』広島国際学院大学現代社会学研究科2004年度修士論文.(全168頁)

概要

 本稿は,〈暴走族〉を対象に現代社会における統制と抵抗の諸相を記述し,その記述の分析を試みたものである.先行研究には対抗的な若者文化を扱ったものがあるが,そこでは若者文化が社会や文化の枠組みを変革するか,再生産に過ぎないか,ということが議論されてきたといえる.主に教育社会学では再生産が重視され,カルチュラル・スタディーズなどでは抵抗に注目されてきた.本稿では,そのような対立を,敗者のやり方としての〈ブリコラージュ〉に注目することで乗り越えようと試みた.

 まず,現在の〈暴走族〉少年への統制の諸相を記述した.そこでは〈暴走族〉文化は暴力的で排他的な様式と表象され,それをもとに〈暴走族〉の存在を〈街〉から排除するよう働きかけられる.そして,その過程では排除の働きかけに加えて,排除を正当化し強化する仕組みができあがる.なぜなら,そこで行われる排除は,具体的行為から恐怖を感じて排除するのではなく,自分ではない第3者が〈暴走族〉を恐そうなものと表象し,それが〈暴走族〉全体を表象することで,排除が行われるからである.よって,そこで行われる排除は,非交渉的に行われるので排除する行為主体は不明確になる.また,それによって彼らへの学校や就労の条件もより厳しいものとなる.それは,近代学校/家族の変容過程で形成されてきた保護の対象としての〈子供〉が,〈暴走族〉に限定すれば,排除の対象へと変容しつつあることを指摘した.〈暴走族〉をめぐる排除は,近代学校や家族をへることによって,明確な外部への排除ではなく,支配的なるものの周縁への排除,すなわち〈内部への排除〉であることを示した.

 次にそのような統制に対する〈暴走族〉少年の抵抗の諸相を記述した.そこで〈暴走族〉少年は圧倒的に無力な存在となる.しかし,統制に対する根源的に受動的な性格から,〈暴走族〉の抵抗を見出した.まず〈暴走族〉少年たちの存在証明の営みから〈見えない〉抵抗を提示した.この抵抗は,〈暴走族〉少年が一旦圧倒的な屈服感を受けとりはするものの,その後になんとか快楽あるものにしようとする営みのことである.それは,独自のモノや言葉を持たない〈暴走族〉少年が,支配的なるものをなんとか流用する営みであることから〈ブリコラージュ〉として,具体的に〈街〉における存在証明の営みから生じる〈暴走族〉アイデンティティの構築と維持のされ方に注目して分析を試みた.
 続いて,〈暴走族〉による〈見える〉抵抗を記述し,その意義を考察した.直接的な抗議や条例の是非をめぐる裁判が,〈暴走族〉内部や自己にとってどのような意義があるのかを考察した.〈見える〉抵抗は,他者の支配する場所で闘わざるをえないがゆえに圧倒的,合理的に敗れるが,それらの直接行動は,〈暴走族〉内部や本人にとって〈伝説〉として記憶され,再び直接行動へと方向付ける.そして,その直接行動こそが,〈見えない〉抵抗においても極限において支えるものであると指摘した.

キーワード:〈暴走族〉,〈地続き〉の場所,統制/抵抗,ブリコラージュ

Control and Resistance: In the case of the "Boso-zoku"