■打越正行,2005年3月19日,『〈暴走族〉をめぐる統制と抵抗』広島国際学院大学現代社会学研究科2004年度修士論文.(全168頁)
概要
本稿は,〈暴走族〉を対象に現代社会における統制と抵抗の諸相を記述し,その記述の分析を試みたものである.先行研究には対抗的な若者文化を扱ったものがあるが,そこでは若者文化が社会や文化の枠組みを変革するか,再生産に過ぎないか,ということが議論されてきたといえる.主に教育社会学では再生産が重視され,カルチュラル・スタディーズなどでは抵抗に注目されてきた.本稿では,そのような対立を,敗者のやり方としての〈ブリコラージュ〉に注目することで乗り越えようと試みた.
まず,現在の〈暴走族〉少年への統制の諸相を記述した.そこでは〈暴走族〉文化は暴力的で排他的な様式と表象され,それをもとに〈暴走族〉の存在を〈街〉から排除するよう働きかけられる.そして,その過程では排除の働きかけに加えて,排除を正当化し強化する仕組みができあがる.なぜなら,そこで行われる排除は,具体的行為から恐怖を感じて排除するのではなく,自分ではない第3者が〈暴走族〉を恐そうなものと表象し,それが〈暴走族〉全体を表象することで,排除が行われるからである.よって,そこで行われる排除は,非交渉的に行われるので排除する行為主体は不明確になる.また,それによって彼らへの学校や就労の条件もより厳しいものとなる.それは,近代学校/家族の変容過程で形成されてきた保護の対象としての〈子供〉が,〈暴走族〉に限定すれば,排除の対象へと変容しつつあることを指摘した.〈暴走族〉をめぐる排除は,近代学校や家族をへることによって,明確な外部への排除ではなく,支配的なるものの周縁への排除,すなわち〈内部への排除〉であることを示した.
次にそのような統制に対する〈暴走族〉少年の抵抗の諸相を記述した.そこで〈暴走族〉少年は圧倒的に無力な存在となる.しかし,統制に対する根源的に受動的な性格から,〈暴走族〉の抵抗を見出した.まず〈暴走族〉少年たちの存在証明の営みから〈見えない〉抵抗を提示した.この抵抗は,〈暴走族〉少年が一旦圧倒的な屈服感を受けとりはするものの,その後になんとか快楽あるものにしようとする営みのことである.それは,独自のモノや言葉を持たない〈暴走族〉少年が,支配的なるものをなんとか流用する営みであることから〈ブリコラージュ〉として,具体的に〈街〉における存在証明の営みから生じる〈暴走族〉アイデンティティの構築と維持のされ方に注目して分析を試みた.
続いて,〈暴走族〉による〈見える〉抵抗を記述し,その意義を考察した.直接的な抗議や条例の是非をめぐる裁判が,〈暴走族〉内部や自己にとってどのような意義があるのかを考察した.〈見える〉抵抗は,他者の支配する場所で闘わざるをえないがゆえに圧倒的,合理的に敗れるが,それらの直接行動は,〈暴走族〉内部や本人にとって〈伝説〉として記憶され,再び直接行動へと方向付ける.そして,その直接行動こそが,〈見えない〉抵抗においても極限において支えるものであると指摘した.
キーワード:〈暴走族〉,〈地続き〉の場所,統制/抵抗,ブリコラージュ
Control and Resistance: In the case of the "Boso-zoku"