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人生の変転・下山日記

ベンゾジアゼピンの遷延性症状に悩む方がおられましたら、情報をお寄せ下さい。このブログは、当方の生きた記録として残します。

陰膳

2014-12-17 14:36:14 | 日記

飲み会で騒ぐのが好きでした。親交のあった方は、私が死んで飲み会とかをする際に、湿っぽくない範囲で、席の片隅にお猪口に入った一献の酒と突き出し程度で結構ですので準備いただければ嬉しいです。お見守りいたします。  

死ぬときまでは死にませんが。


戦友

2014-12-17 13:58:32 | 日記

今日は、遠方から時間を取ってきてくれた20歳離れた、「戦友」と呼べる人(おこがましい表現だが)と3時間近く、一緒にいることができた。科学の素養も確かで、私の身体への分析について、実際に身体をみてもらい納得し評価してくれた。もう、どうしようもないことを冷静に評価してくれる人である。ゆえに、話していて安心感がある。他の人も心配してくれて、その趣旨の助言や支援をしてくれるのでとてもありがたいのだが、もう終末をどうするかといったことで助言をくれる方の方が自分にとっては心地よい。無念と感謝の涙を流しました。感無量ということになりますか。今生の別れとなっても満足である、それくらいの面会だった。

その意味では、午後に掛けて会った知人も同様の助言をくれた。ここでも泣いた。腹蔵なくお喋りができるのはいいな、病気の状態じゃなくてそうできるのが一番よかったが。

かかとの肉を失い、背筋を失い、常に前側に力を入れていないと、後ろに倒れる。身体のどこかが絶えず、細かく痙攣している。タイプや箸を持つ際に、常に人差し指を避けるようになった。歯肉減少でずっと気持ちが悪い。積み木のピースをひとつずつ、確実に抜かれていっている感覚である。どこかで瓦解するだろう。

今日は風が強く寒い。温かい病院に入って、朝から好きに酒を飲みながら(この期に及んだら、肝臓より他にガタが来るのは間違いないので飲むこともゆるされるはずだ)、人の往来等に気を散らせながらその日を待つというのがベストなのだが。

 


何度も繰り返します

2014-12-17 07:11:50 | 日記

私の体調の行く末は決まったようなものであり、薬の圧倒的な力の前にはなすすべがありません。

精神を強く保ってとか、皆が心配している旨の助言はありがたいですが、何の効力もありません。死んだ方がましだと何度も書いているのは、薬によって頭がおかしくなったせいではなく、この身体の異常の方向性が分かるために、そして正気でいるがために、どうしてもそう考えざるを得ない自然な感情です。

ここまで書いても理解できない人には理解できません。それで結構です。

 

繰り返しますが、私は30歳そこそこで職場が変わり、誰もが感じるようにストレスを感じ、休日にぼんやりしたことがそもそも、心療科を受診し服薬をしたきっかけです。

そこで受診し、服薬したことがまず最初の過ちです。薬のリスクを考えず、服薬を一過性にしなかったことが。

そのあと、10年以上にも及ぶ服薬は、うつ病や気分障害といった病気のせいではなく、仕事人間で多くの仕事が降りてきて、また自分で仕事をつくろうとし、手元にあったベンゾジアゼピンをサプリとして生真面目に飲んできてしまった結果、このようなことになったのです。副作用が見かけ上、出なかったことも服薬継続の一因となりました。

精神力が弱かったとは思っていません。しかし、少し緊張をするところがあってベンゾジアゼピンはそれを和らげるはたらきがあり、私の場合、10年以上もその効果が実感できました。これが服薬継続の理由です。

いろいろ仕事をうける素養は大学生時分からあったことも確かです。それもそんな薬があって、副作用を知らなければ、仕事のためにいいなこれはということで飲み続けた理由の一つになります。

神経内科を受診しようが、治療の施しようはありません、脳神経系に生じた損傷が導く末路は分かったようなものです。医者よりもよく推理できています。

それを冷静に書き留めても、一方で耳鳴りや不眠、筋萎縮の症状が加速しているので苦悶しています。苦悶の様子をみて、人は私のことを精神病ではないかと類推します。

毎日が、人とのコミュニケーションがこのことのエンドレスの繰り返しです。好奇の人々が参入してくると、さらに説明する量が増えます。無意味です。

病人なのになぜこのような説明責任を負わなければならないのでしょう。苦笑します。


薬害は安楽死が必要

2014-12-16 14:57:48 | 日記
4時間、強い耳鳴りと衰弱で伏せたまま。耐えているだけ。よくならないのは、死への行進なのはもう明らかです。薬害には安楽死が必要です。

真実と周囲の理解のギャップ(12/16における過渡的現象)

2014-12-16 08:42:15 | 日記

大した話を書きません。

自分だけが分かっていることとして、もう足の裏の歩行に堪えうる弾力性をもつ筋肉がほとんど消えてしまったような状況にあります。

機械でいうならずっとアラーム音が鳴っている状態だと思います。

歩けます、階段は上れますが、気を抜くとよろける状況です。

こんな状況ですが、神経内科の診療は25日です。それまでに歩行困難になったら救急車を呼ぶでしょう。でも、緊急性のある症状ではなく、納得ずくでの退縮によるせいですが。

周囲に訴えても、自分の身体のことだし、外見をみただけでは分かりにくいから、こちらからもう異変を訴えることもしていません。

どうなるか真実と今後の方向性は察しがついている。なのに、入院し、病床で寝たきりになる状態ではない(見抜ける医者であれば既に検査の段階には来ていますが)。

そんな、最後の段階への過渡期を今日、迎えています。

22日や24日の約束を取り付けて正直、大丈夫なのかという気がしています。常人にはまったく理解不能な話と受け取られるでしょうが。

筋肉が減りました。もう本当にまずい状況ですね。耳鳴りや手のねばつきも変わっていませんし、指の退縮もひどくなっています。ただ、精神だけがあきらめをある程度、感じることのできる状態。

何とも表現しにくいですが、想像できる察しのよい方は私の状況を想像可能でしょう。

お約束している方との約束を反故にしたくないですが、あとは身体にきいてくれという状況です。