昨日は娘の誕生日だった。生きていてよかったと思う。また、こんな状態で申し訳ないことを家内に伝えた。いてくれるだけでいいのよ、と言ってくれた。申し訳なさで、涙が出た。最近、特に涙もろくなっている。それゆえに、不可逆なこの運命を悔しく思う。
今朝のマッサンでも涙した。もう、泣けるところで泣いておきたいと思う。泣いてもすっきりしないが。
昨日は娘の誕生日だった。生きていてよかったと思う。また、こんな状態で申し訳ないことを家内に伝えた。いてくれるだけでいいのよ、と言ってくれた。申し訳なさで、涙が出た。最近、特に涙もろくなっている。それゆえに、不可逆なこの運命を悔しく思う。
今朝のマッサンでも涙した。もう、泣けるところで泣いておきたいと思う。泣いてもすっきりしないが。
誰かに会ってコミュニケーションをしようとすることがその日を生き抜くモチベーションとなる。なるべく話を理解できる多くの人と会話しておきたいと思うが、体調(気分)の変動が大きい、天候も関わっている。故障機はずっと揺れと降下を繰り返している。そしてボディからいろいろな部品が抜け始めたような状況である。
もし、私に何かあり、後で「減薬のミス」と言われたら、家族や親の心が千々に乱れるので、今回の件が不可逆である確信を持つに至った経緯を書き残しておきたい。
減薬により、影響の厳しさが多少和らいだのかも知れないが、方向性は決まっていたと思う。
デパス(2012年からソラナックス併用、常用量)の服薬の効果(あてにしてきた気分高揚効果)は、どうも昨夏から秋あたりで切れていたようである。プラシボではなかったと思うが、2001年からよく長く続けられたと思う。副作用の感受性が鈍かったことを自認する。2008年にはしばらく切ったりしていたのだが、特に離脱作用は感じなかった。昨夏から秋まで副作用についてはおおまかに見かけ上、感じなかった。このことが服薬を長くしてしまった(サプリ扱いしてしまった)一因である。
昨夏から、仕事の完遂感というか充実感が薄れるようになっていった。仕事を果たす瞬発力はあったのだが、何か自分の中で調子が悪いなという印象があり、それが実際の仕事のところどころに見え隠れするようになった。昨年の6月、8月、10月、11月と今になってあのときはおかしかったと思う節がある。忘年会でも人にあたってしまった。12月に実家に帰省しなかったのも、今年1月に出張先から家庭に連絡を取らなかったのも、出張先で倒れ込むように寝ていたのも、予兆というか症状であろう。車内で捜し物を狂ったようにしたこともあった。身体の不調の前に、精神的な憔悴感が出ていたし、感情、思考に異常が出ていたと思う。今年5月に決定的になる前に、常用量依存と呼ばれる現象が出ていたことになる。
思えば、結婚直後から、期せずして服薬を悪魔に魅入られたように続けてしまい、仕事もしてきてしまった。時間があればきちんと書きたいが、服薬と仕事がスパイラルのように紡がれていったことも確かである。土日も仕事をしなければならない環境であったが、自身が家庭を顧みず、いわば義務というか当然という形で仕事場に出掛けていったのは、デパスやソラナックスに既に捕捉されてしまっていたのだと思う。服用開始の2001年から4-5年間は副作用を感じていなかったが、今思えば、身体的にも顔のシミや僅かな歯肉退縮(医師でも認識できない)はその後からあったと思われる。昨日も家内と話をしたが、ここ数年はやはり薬の影響が出ていたねということになる。長期にわたり影響が出ていたと今となっては感じられることから、宿命論に帰さなければならない(気付いたとき、ああ、これはもう駄目だなと思った)と思っている理由である。
今年1月にはベンゾジアゼピンの離脱があることをネット上で気付いていた。しまったと思ったが、慢性不眠は出ていないのでまだ大丈夫だと思っていた。しかし、試しにソラナックスを抜くと、不眠になったこともあった。2月、3月と耳鳴りも生じ、慢性蕁麻疹も生じてきた。3月、帰省したが、ものすごい空しさというか楽しめない自分を感じていた。既に勝負が決していた気がする。4月、打ち合わせを仕切れないときが2回あった(他者からは特に変だと思われていなかったようだが)。5月の家族旅行は全く楽しめず、運転だけで必死であった。車内で家内に不調を訴えていた。5月中旬、集まりがあったが、声がかれて司会が難しかった。その頃には、周りに調子が悪いということを吹聴している状態になった。そして自身のしてきた仕事の自信を失っていった。
5月21日 心療内科で上記のような訴えをして抗鬱剤(ジェイゾロフト)を処方され、その夜飲んでから、耳鳴りが大きくなり、完全に不眠が確立してしまった。耳鳴りで不眠を引き起こすという単純なことではなく、交感神経が完全に昂進してしまったという状況に陥った。ここが悪化の勾配を大きくした転換点にはなる。同時に、肌のツヤハリを失った。日焼けをしたら異常なシミができて全く治らなくなってしまった。自律神経支配だと思われる腸の調子はそれから悪い状態で一定となった。5月の時点で短パンを履いて、何となく痩せたなということにも気付いていたので痩せはもう少し前に始まっていたのかも知れない。
それからの身体の痩せ(筋萎縮)、不眠、耳鳴り、自律神経失調状態が継続、悪化の一途を辿るようになった。減薬は5月からするようにしたが、上述のように既に年単位、少なくとも月単位で以前からその兆候が現れていたことになる。
いろいろな離脱症状のサイト、ブログに入って、自身の症状と比較し、問い合わせをしても、ぴったり当てはまる、いわゆるシャンビリといった離脱症状と一致するものがない。自分の症状は命まで取られる重篤なものではないかという疑念が膨らんでいった、そして疑念は確信に近いものに変わり、今やこの状態になっている。
いい意味でも悪い意味でも直感力は自分の身上である。5月の変調で、自身の意思(治りたい)とは別のところで「ああ、これはもう駄目だ」と直感した。それからは周囲に理解をしてもらう努力を払わねばならなくなった。うつ病と思われている方々が当時はほとんどだったと思う。症状が重複する(不眠、耳鳴り)ので仕方ないし、自身の落ち込み(症状が不可逆だという自身の身体を分析しての判断に基づく落胆)とうつによる落胆も一緒くたにされてしまうのも仕方なかった。そこで区別してもらえる唯一の手段が、自身が正気で理性的であるか、この一点だけである。
ベンゾ薬はきつい、今はそう言える。デパス(後発服用のソラナックスがどう影響したかはわからない)単体でこうなってしまう。
他に精神薬の服薬は一切していないし、他の薬の服薬も風邪薬、抗生剤程度を一時的にである。遺伝的疾患はない、体力に自信はあった。ゆえに、デパスの単独影響+ストレスの複合作用で致死作用があるのだという人体実験を14年間してきてしまったのである。
昨夜は、筋肉を失った脱力感、重力感でテレビを座ってみる、食事を取ることも苦痛だった。動悸、胸苦しさも恒常化しつつある。
指の肉を失っているため、反らすとそのまま折れるのではないかという恐怖がある。食事をする際は、人差し指を徹底して避けるようになった。それから、首の痩せも普通でない。転倒や事故であっけなくいく可能性がある(それでいいのだが)。毎日、異変を感じることばかりで、横になって目をつぶっているほか安住できることはない、そこでも耳鳴りに襲われる。人工的な薬の害は、容赦ない。老化の苦痛どころではないことを体感している。それから、寒いのか、筋肉がないためなのか震えがいつも出る。そして、歯、この不快感と不安感はどうしようもない。
入浴して体温を上げるほか、体感がましになる瞬間がない。入浴自体が、痩せた自分の身体を見ること、指が十分使えず、思うように身体や頭を洗えないことでとても面倒である。
個人的な思いを書けば、死は怖いが、今の苦痛がこれからの序章に過ぎないとすれば、早々に命を奪って、薬害の病魔にお引き取り願いたい。
中枢神経の重要な組織が壊滅しているものと思われるが、人体が想定し得ないダメージと思われ、手のつけようがないと思われる。どのような残酷な症状が出てくるか、想像に余りある。
介護や緩和医療といった手段の限界を超えた状況になることを考えると、末梢の残酷な諸症状が出るうちに、死んだ方がましである。
穏やかに過ごしたいが、異常な身体症状はそうさせてくれない。
日常の健常な時間の流れは自分には堪えられない、とてももどかしい。
こうなってしまってはこちらから親に電話をすることができない。
相当に憔悴させていることはよく分かっている。ものを送るという連絡でいつも電話を掛けてくれる。
申し訳なく思う。秋は会話にならず、実情を訴えるこちらと、ちゃんと食べ物を食べて気分転換をしてという親のメッセージとがすれ違って痛々しかった。
こちらも仕事上、物事ははっきり言うようになっているので都度、心にグサリと刃の切っ先を刺したのではないだろうか。悪かった。。。
今日は電話上では、仕方ないものは仕方ないからねなどと開き直って明るく言った分だけ、救われる意味のことを言っていた。
心は痛む、でもどうしようもない。心から済まないなと思う。治りたいのは自分が一番ではあるが・・・・。
親とは、理屈抜きの愛をくれる存在だと思う。今、自分が子供にしてやれていないが・・・。