goo blog サービス終了のお知らせ 

人生の変転・下山日記

ベンゾジアゼピンの遷延性症状に悩む方がおられましたら、情報をお寄せ下さい。このブログは、当方の生きた記録として残します。

朗らかに

2014-12-26 08:45:47 | 日記

おはようございます。昨日で少し、気持ちを切り替えました。

一日一日、衰弱の進行が確かに感じられるのですが、とても苦しいことに変わりはないのですが、

家族と一緒になるべく朗らかに過ごしてゆきたいと思います。

どのように人生を生きてきたかを示す局面でもあります。

コミュニケーションを歓迎します(このような立場の人間と生きて話をする機会はなかなかないですよ)。よろしくお願いします。


メメントモリ

2014-12-25 21:37:11 | 日記

メメントモリ 死を忘れるな ということである。

死は怖い。私も常に苦悩し、6ヶ月暗闇に生きてきた。全身の衰弱、筋減少を経て、死が遠くないことを悟っている。

世俗の楽しみに執着もある。昨日も苦悩をして、家内に自死したいといって困らせていた。カードはもっている。

生への執着が背景にあるのは言うまでもない、だから自死したいとアピールする。

感情の起伏は仕方ないが、死への準備をおろそかにはできないなと思う。これは健常であってもそうである。

死をどう迎えるかと言うことは、どう生きてきたかの総決算である。44歳にして早すぎる、準備不足だと思いながら、そのときが本当に来てしまった。12月に入っての覚悟である。

これからも肉体の苦悩が待ち受けている。どう乗り越えるか、騒ぎ立ててパニックになるか。

私はカトリックではないが、小さい頃からカトリックがつくったラジオ番組「太陽の微笑み」を早朝に聴いて、勉強をしていたことを思い出す。

メメントモリはそこで取り上げられていた。死ぬ間際まで唱えたい、メメントモリ。


不思議

2014-12-25 16:52:57 | 日記
明日、明後日は何とか生きているが、1年後は絶対いないという感覚、不思議である。今日のことを親に連絡した。

大学病院神経内科受診

2014-12-25 14:44:04 | 日記

午前中に家内の付き添いで受診した。紹介状が心療内科なのでやはりバイアスはかかった。医者は医者を尊重するし、かかりつけ医(同大学出)が予約をするに当たって、どんな連絡を取っていたものかも分からない。

実際、待合時も具合が悪く、ソファーに重力で押さえつけられるようにぐったりしていた。

診察時にメモを用意し、渡した(目を通されなかった)。筋萎縮を訴えて、足や上半身を見せたのだが、医師の見立ての「筋萎縮」とは違うと言われた。「異常なし、普通ですけど」ああ、また、いつもと同じかとまずはがっかりした。

これまで私が使っていた「筋萎縮」という言葉は「筋減少」か「筋消失」に置き換えた方がよいと思った。すなわち、医師が使う「筋萎縮」はALSのような手が曲がったり、部位特異的に特徴的な筋肉の形状変化が起こるという意味である。医者は以前の私の肉付きを知らないし、普通ですといわれても仕方ない。そこで足のぐにゃぐにゃや指の痛みを訴えるのだが、医者は触りもしなかった。診断と言っても万全ではない、いい加減な部分もある。足や手の反射は正常であった。

筋消失がどのようなメカニズムで生じているのか分からないが、ALSとはやはり全く異なるようである。CK値も低かったので、やはりメカニズムが違うようである。短期なのだが、静かに筋肉を消してゆく。半年のうちにストレスも相当掛かったので、そのせいでそう感じるのではないかということまで言われた。しかし、今日は食い下がった。ここで切られたら、もう医療機関の伝手が終わりなので。

ベンゾの長期影響も力説したが、医師の30年の経験でそのようなことはないと。律儀で無知な服薬とストレスで何十万人に一人がこのようになってもおかしくはない、疫学的には引っかからない可能性もある、慢性影響は多様だと、何度も食い下がると、向こうもだいぶ目線を下げてきた。長く飲んだらどうなるかは分からないねと。こちらがALSやCKその他、これまで勉強したことを述べたので「聡明」とまで言ってくれた。しかし、それで症状が改善するわけでもなく、紹介先との関係から精神病棟に入院するかとも言われたのだが。私の見た目から、辛そうだと分かるとは何度も言ってくれた。

もし、この状態で死んだら、先生、ベンゾジアゼピンとストレスはこんなにも怖いんですということを認めて下さいと言うと、形式的だと思うが、頷いていた。

検査や入院調整など、だいぶ時間(全て込みで小一時間)を取って骨を折ってはくれた。初見のつれなさからいえば、だいぶマシに対応してくれたなと思う、お礼を言っておいた。

年末年始のベッド空きはない。26日に筋電図検査をしてくれるが、その後の受診は年明け8日である。それまで(自死しなくても)生きられるかどうかこの体調の勾配では自信がない。身体の内圧というか重力感が半端なく強いので。8日は脳機能核医学検査(SPECT)で血流を調べる予定。2-3万かかる。これで大学病院の神経内科を最後の主戦場にできるかと思う。ここまで来たらこれでいい。

8日に生きていて、動けない状況であれば這ってでも行って、以降の入院を相談する。そうなれば死に場所を定めたようなもの。大部屋でいい。精神科と連携されるのは仕方ない。

いずれにせよ、壮絶な闘いになることは避けられない。指の神経痛や抜歯については、入院していなければ、個別に対処していくしかない。医学の限界と自分の症状の理解の難しさを今日も再確認した。朝書いたように、身体が干からびるプロセスであることは間違いない。

家に帰り、家内と非常時の対応等について話をした。何かあればタクシーででも病院に行く。

年末年始、さびしいのでメールでも電話でも面会でも相手してやって下さい。面会は自宅になる可能性もあります。


干からびるプロセス

2014-12-25 07:50:18 | 日記
もうはっきり悟りました。全身の筋肉を失い、干からびるプロセスにあると。