昨日は、家人が娘を空港まで送っていった。娘ひとりだけ実家に帰省させた。その間、一人で自宅で過ごした。寒い雨の日であり、さびしいというか切ないというか、なさけないというか多量の感情の波に揺られ、揉まれていた。
25日に神経内科医に気持ちが落ち着かないのならということで、漢方の抑肝散と抗てんかん薬(多用途で使うらしい)のデパケンR(200 mg)を処方された。デパケンについて抵抗感を言ったら「もう、どうこういう段階ではないでしょう」という意味のことを言われた。しかし、飲んでいなかった。抑肝散は飲んでいる。昨日、デパケンRも飲んでみた(朝、夜)。効くことは効く、余り神経質にさせないような効果はある。薬は切れ時が問題で、6-7時間くらいの効用なので朝飲むと夕方が厳しい時間帯である。
向精神薬は一回、飲み出すとドツボにはまるので絶対に継続は止めた方がいいです。飲む必要のない人がほとんどなのですから。自分がそうだった。デパケンR、これから飲んだ方がいいのだろうか?もう、年単位が無理で月単位だろうと思っているので飲んでもいいのだろう。向精神薬にやられ、最後まで向精神薬か・・・。
人差し指をかばっている(温存している)ので軽く右手で箸をもつことはまだかなう。しかし、他の指の痩せが進行している。逆向きに折り曲げられたらあっけなく折れそうだ。キータッチはやはり少し痛い。信じられない現象である。口内も歯が空き空きであり、気持ち悪い。歯肉侵蝕も信じられない現象である。顔が溶けているのだから。故障信号(耳鳴り)がそれを象徴する。死ぬまでこの嫌な音と共にしなければならない。再度書くが、治癒することはなく、進行、侵蝕あるのみである。医師でなくてもわかる。四肢のみでなく、顔、腸、交感神経、多岐に及んでいるのだから。
昨日の夕方は動悸や胸苦しさが強く、そろそろやばいかなと思った。まだ、多重に段々と進行するのだろうが。その意味では、入院はもう少し(症状が酷くなった)先なのかとも考えたりする。死期とは一体、いつなのだろうかと真剣に考える。筋量が落ちて、恒常性が失われてきているが、まだまだなのかも知れない。現在、致命傷になるのは転倒、転落の事故である。しかし、積み木崩しのように脆くも死ぬ可能性(何らかの脳や内臓への負担に係る発作)も孕むとは思う。指が使えない、歩けないということはQOL上、致命的であるが、命を奪うことではない。咀嚼を失うこともしかり、流動食で代用できる。
負の感情の波に襲われる際には耐えるしかない。症状の不安がある場合は、症状と正面から対峙することしかない。人様やかつての自分のことを思って負の感情を抱く際には、現在からこれからのことだけを考えるようにしている。しかし、安定した思考状態には落ち着けず、毎日大波をかぶってはおぼれている状態である。
おまじないのごとく、「家族が幸せになれるように」と祈るのみである。祈るとは、非科学的なことであるが。「幸せ」というのは経済的幸福ではなく、精神的幸福の方である。そっちの方が人生には大切だと今、この状況で思う。
子供のことを考えるにあたり、「俺なしでも意志の強い子が育つはず」と考えを仕向けるようにしている。
将来に対して全くどうしようもない自分と、これからさらに重篤化する身体の症状と。身体が厳しい状態のときは、症状と真っ向から対峙し、過去の自分を懐かしみ今の自分を顧みることは辛いので一切止めようとしている。
年賀状は全く書いていないです(手書き不可能なので・・・)。ほとんど家族が使った。
着席して小一時間書いていると、動悸がしてくる。本質的に重要な筋肉が失われている証拠かとも思う。