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トリックスター Ⅸ






 それは傷ついた顔に腐臭を纏わせたその姿には酷く不釣合いで、既に異形に近い。だからその表情に驚いて、最初マーキュリーが何を言っているのかヴィーナスには理解できなかった。
「今回の件、あなたも加担していたんでしょう、ヴィーナス」
「なっ・・・」
 マーキュリーはただ混乱するヴィーナスに当然のように言う。
 知っていたと、グルだと、どうして言えるのか。今、真実を聞いて、ヴィーナス自身も心が軋んでいると言うのに。
「・・・どうして」
「どうして?」
「どうして・・・」
 ヴィーナスは微かに震える声を隠さずに言った。アルテミスの件だけでも十分マーキュリーの指摘は残酷だと感じていたのに、どうして、こんなことを。
 命まで賭けて、マーキュリーと一緒にあの場にいたのに。一つ間違えれば、二人とも死んでいた、あの場に一緒にいたのに。
「・・・言ってる意味が分からないわ、マーキュリー」
「分からないはずないわ」
 今までどんなに心を開いてくれなくても、あの場で確かに自分を守ろうとしてくれたし、彼女自身の意思も見えた。そんな時間を共有することで、少しだけ、仲間だと思える瞬間があったのに。
 彼女は全くそんなことを感じず、ただ、持ち前の知性で目の前に起こった現実を分析していただけで。そして今、こんな言葉を吐き出している。
「・・・でも!あたしはあの場でっ・・・あなたと一緒に戦って、あんな目に遭ってたのよ!?アルテミスがこの件に関わってたことだって、今知って・・・」
「そうでしょうね。知っていたらアルテミスをこんなことに関わらせるような真似を・・・あなたはしなかったでしょうから」
「だったら・・・!」
「でも、あなたは知ってた」
「・・・だから・・・!」
「どう考えても試されているのは私だけだったわ」
 静と動。ヴィーナスが激しく言及すればするほどに、マーキュリーは水のようにそれを受け流していく。どこまでも淡々とした口調で、先ほどの笑みはもう消え失せ、凍りついたような無表情が浮かんでいただけで。
 マーキュリーの声はどこまでも淀みがない。暗く赤い右目がヴィーナスを射抜くように見つめていた。
 穿つような、赤い、目。
 だがその無表情さゆえに、マーキュリーの言葉にはヴィーナスを抉るような響きがあった。
「あの星自体は確かに良く出来ていた。だけどそのからくりは、戦い方や頭脳を試すために作ったものとしてはあまりにお粗末だった。実力を測るならもっと別のやり方があったはず」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あの場では、あなたが私の枷になるためだけの存在だったんでしょう」
 どこまでも、マーキュリーの言動に、心が抉られる。頭の血管が切れそうなほどの感情が脳に渦巻き、オーバーヒートを起こしそうになる。
 それでもマーキュリーは言葉を告ぐ。
「一度目は離れろと言ったけど、結局は離れなかった私に、二度目にあなたはただ逃げろと言った。地質調査の任務でありながら・・・アクシデントで逃げるにしても最低限地質調査のサンプルを取らせようとするはずなのに」
「・・・それ、は」
「戦闘が任務になるって最初から分かってたみたいに私に戦闘の時に取るべき行動をさせようとした・・・あなたが本当にリーダーなら、本来の任務を忘れてあんなことを言うはずがない」
 だからヴィーナスは大きく息を吸い目を細め、自分に言い聞かせるように静かな声を出した。
「・・・なるほどね」
 それは意図せずとも別人のような声色だった。ヴィーナスはあきらめるように両手を上げ、大きく息をついたが、表情は不敵だ。微かな薄ら笑いすら浮かべ目を細めた。
「そんなことで分かっちゃうんだ」
 それは肯定の証。
 もう、見苦しい真似はしたくなかった。
「あなたの言う通りよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あたしの任務は、確かにあなたの『地質調査』に同行すること。そして、あなたの動向を見届けること」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 ヴィーナスは挑発するような口調でマーキュリーを一瞥した。視線はマーキュリーに変わらないほど冷酷極まりないもので。
「勿論、何が起こるかは全く知らなかったけどね。あたしが何か知ってたら、あたしの行動から綻びが出るでしょうから」
 メイン・コンピュータルームでのやりとり。提出した書類をチェックされたときのこと。わざとのミスは勿論、自分でも気付いていないところまで一瞬で見抜かれてしまった。
 それだけの洞察力がある彼女だから、どれだけ些細な言動からマーキュリーに秘密が伝わってしまうとも限らないから。だから、ただマーキュリーを試すと言う事実以外敢えて何も知らないままあの場に行った。少しでも非協力的な態度を見せればそこから綻びが出てしまうから。
 マーキュリーが少しでも自分を見捨てるような真似を見せれば、盾にするような真似をすれば自分が本当に死んでしまうかもしれないから。だから必死で攻略法を自分からも探した。命を懸けていたから。マーキュリーの枷になるために命を捨てなければいけなくなるかもしれなかったから。それが任務だったから。
 ヴィーナスは何も知らなかったのだ。たったひとつだけ、地質調査の名目上でマーキュリーに『何かが起こる』こと以外は、本当に何も。
「だからびっくりしたわよアルテミスまで関わってたことに」
 それでも、不用意に、あの時逃げろとただ一言言ってしまった。地質調査はお題目にすぎないと知っていなければ言えない一言だった。
「・・・でしょうね。あなたは、パートナーを大切にする人だもの」
 マーキュリーは静かに顔を伏せる。その頭脳の中に蠢く感情が今どんなものであるのか、ヴィーナスには全く予想がつかない。からくりを全て読み解いたことに喜びを感じているのか、試されたことに憤りを覚えているのか。どちらも違う気がする。
 ―まさか、哀しいなんてことはないだろうが。
「・・・マーキュリー」
 そこでクイーンがマーキュリーに緩やかに詰め寄る。俯いたままのマーキュリーの頬に手を滑らせ顔を向けさせる。
「あなたの戦士としての能力と心構えを見せていただきました」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「何か、言いたいことはありますか」
「・・・もし、聞いていただけるのであれば」
「?」
「私たちの次にこの星に来る守護神たち・・・マーズとジュピターにはこのようなことをしないで欲しいのです」
 ヴィーナスはそこで、初めてマーキュリーの言葉に微かに棘のようなものが混じっているのを聞いた。
 だが、そんなものをクイーンに対して。あのマーキュリーが。
「守護神をお試しになるのは当然のことです。それでも・・・仲間が目の前で傷つくことは戦士である以上どうしようもないことですが、出来れば避けたいものです」
「・・・分かりました」
 クイーンはそこで、ようやくはっきり微笑みを向けた。マーキュリーはそれを正面から見、微かに目を細める。その眼差しは、ヴィーナスは自分に向けられるものによく似ていると気付いた。そして、客観的に見て初めてそれが敵意や嫌悪と言ったマイナスの感情がこもったものではないことも。
 あれは、眩しいものを見るときの、瞳。
「あなたの頭脳はわが王国に不可欠であると同時に、脅威にもなりうるのです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「知性だけならアルテミスもいますし、コンピュータもある・・・やがて生まれてくる私のプリンセスにつく猫も充分な知性を以って側仕えをしてくれるでしょう・・・それでも、確かに知の戦士は必要なのです。しかし戦いの場でいかなる行動を取るかということは、決して頭脳や理屈だけで片付かないことであることを、思いのほか知らない者が多い」
 クイーンは膨らんだ腹部を愛しげに見つめる。やがて生まれる、四守護神が命を賭して守る、そのプリンセスを。
「だから、あなたを試すような真似をさせてもらいました―頭ではない、心のほうを」
 そしてクイーンはマーキュリーの頬に手を添えたまま、目線を合わせるように膝をつく。
「あなたに向けた大変な無礼をどうか許してください。そして王国のため、これから生まれる私の娘のために、どうか力を尽くしてください―プリンセス・マーキュリー」
 マーキュリーは答えない。ただ、眠るような穏やかさで目を閉じた。次の瞬間、微かにマーキュリーの体が煌くように光に包まれる。
 その光は一瞬で、マーキュリーの姿は医療用の衣服からプリンセスのドレスにその姿を変えていた。青く流れるようなその姿は、ヴィーナスのドレスとは違う、水星のプリンセスのもの。だがヴィーナスが驚いたのはその姿でなはなかった。
 腕に生気が戻り、肩や瞼の傷が塞がっていた。最初から傷などなかったような白い肌が息づいていく。
 そして前髪が膨らむように浮き上がり、汚れ一つない額に浮き上がるのは、青い―水星の紋章。
 僅か数秒浮かんだそれは消える瞬間弾けるように青い石を埋めたティアラに姿を変えた。そしてマーキュリーの姿はドレスから汚れない青と白の戦士のコスチュームに変わった。そこでマーキュリーは眠りから覚めるように緩やかに目を開く。戦士としての真の目覚めを思わせるその姿に、ヴィーナスの心臓は微かに不規則な音を立てた。
 だがマーキュリーは目を完全に開くことはなく、戦士のコスチュームを保つ体力がないのか、一瞬で再び医療用のみすぼらしい衣服に戻ってしまった。そしてそのまま意識を失ったのか、後ろ向きに倒れこんだ。ヴィーナスはその背中を受け止める。
 上から覗き込んだその顔には血色が戻り、傷も塞がっていた。だが全く意識が無いようで、もうびくともしなかった。
「・・・マーキュリー」
 それでも、一瞬だけ見えたマーキュリーの右目は、確かに―青かった。
「・・・ヴィーナス」
「・・・はい」
「ご苦労様でした。アルテミスも・・・同意の上とはいえ結果的にあなたたちを利用するような真似をして申し訳ないと思っています」
 クイーンの声にヴィーナスはマーキュリーから離れようとするが、目線でそれをやんわりと制された。
「彼女を・・・マーキュリーをしばらく休ませてあげなさい」
 そう言うクイーンの表情にも微かに疲れが見えた。マーキュリーを戦士として認めると同時に、マーキュリーの傷を癒したのは確かにクイーンの銀水晶の力で。それはクイーンの体にも負担は大きいものだっただろう。
 そう思っていたが、クイーンは突然、何か簡単な用事を思い出したような気軽さでヴィーナスに尋ねた。
「・・・あと、ヴィーナス」
「何でしょう?」
「あなたはあの場でマーキュリーに一人で逃げろと言いましたね」
「・・・はい」
「マーキュリーが嫌いですか?」
「はい?」
 何故そのように聞かれるかヴィーナスには分からなかった。
 結果としてその言葉がマーキュリーに付け入られた原因だが、決して自分の行動が間違っていたとは思わない。事実、あそこでマーキュリーが逃げればもうその先を監視する必要はなくなるのだから。
 クイーンの口ぶりからすれば、マーキュリーはあそこでヴィーナスを置いて逃げていれば、もしかしたら彼女は戦士として認められてはいなかったのかもしれない。敢えて何も知らず任務に身を投じたヴィーナスには知りようがないことだが。
 もうヴィーナスが何を思おうが、マーキュリーはこれから永い時を共に過ごす同志なのだ。
「予想以上ですよ、マーキュリーは。石が落ちていないだけで見抜かれてしまうなんて流石に予想外でしたし」
「はい?」
「知性を試すものではなかったので、星そのもののからくりは然程複雑ではありませんが・・・それより、奇妙だと思いませんか。自分だけが試されていることにも、あなたや、アルテミスが関わっていることにまで気づいていて、それでも彼女は自分よりあなたの安全を確保しようとしていた」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「そして最後の一撃をあなたに任せた」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「単に頭がいいわけではないみたいですね」
 結局マーキュリーはヴィーナスを見捨てることなく、その上で任務を達成したわけで。そういう意味では、試されていた心とかいうものは、マーキュリーはきちんと持ち合わせていたわけで。
 だが、あの場にいたヴィーナスは思う。マーキュリーはあそこで仲間として共に生きて帰ろうとしていたわけではなかった。どこまでもヴィーナスの命と任務のみに焦点を合わせ、結果として自分の命が必要になってくる、と言うような歪な価値観を垣間見せていた。
「・・・さぁ。ただの変人なのかもしれないですよ」
 月に試されていることを知っていて、それでいてひたすらヴィーナスの盾になろうとしていた。それは一体どういう感情から来たのか。人の心の扱いに長けているヴィーナスにもそれは良く掴めなかった。
「それはそれで面白いでしょう。知性の戦士はまともでは務まりません」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ヴィーナス」
「・・・・はい」
「あなたたちはどこか似ていますね。二人とも口では任務を優先と言いながら、変なところで情を見せて、でも自分の理屈だけは押し通す」
「・・・はい?」
「戦いのパートナーとしては相性があまりにも悪い。でも、一緒にいるときっと面白いことが見えてきますよ。ヴィーナス、あなたにも」
 クイーンは笑顔だったが、その言葉はヴィーナスの言葉に一滴何かを落とした。
 ヴィーナスにとってマーキュリーは『仲間』で。だが周囲に振りまく愛の女神然とした態度は通じないし、かといってアルテミスのように心開けるような存在でもない。どのように扱えばいいのか、分からない。
 彼女のことが、嫌いだった。それでもあの場で戦って、どういう思考回路をしているのかを見届けたかった気持ちは否定できない。
 彼女は、油断できない存在で。
 今度こそ、クイーンは静かに立ち上がるとそのまま音もなくヴィーナスとマーキュリーに背を向けた。
「・・・あなたが好きと言えない人は珍しいですね」
「はいっ!?」
 ヴィーナスは素っ頓狂な声を上げたが、クイーンはそのまま去っていく。アルテミスは一瞬だけヴィーナスに目を向けると、そのまま顔を伏せ、クイーンの後ろに控えるようについて行った。

 クイーンの言葉はヴィーナスの心に棘のように残った。
 後に残されたヴィーナスはマーキュリーの顔を再び覗きこむ。無表情で昏々と眠るマーキュリーの右目から、一筋だけ涙が流れていた。

 そして足もとには、血に汚れ黒ずんだリボンが落ちていた。
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