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トリックスター Ⅷ






 膨らんだ腹の重さを感じさせない静かさで、侍女をつけることもなく、ただ一人、真っ直ぐヴィーナスとマーキュリーに向かって歩み寄ってくる。足元にアルテミスが控えるように歩いてくる。ヴィーナスはそこでクイーンは彼が連れてきたのだと気づいた。
 ヴィーナスとマーキュリーはその場でクイーンの方を向くと揃って片膝をついた。
 やがて二人の前で女王の足が止まる。アルテミスが黙ってヴィーナスの膝元に寄り、じゃれるように頬をすり寄せた。だが、それでも膝をつき顔を伏せたままの二人に柔らかい口調で言葉が降ってきた。
「顔を上げなさい」
 その言葉にヴィーナスははっきりと顔を上げるが、マーキュリーは傷が気になるのか、微かに首の角度をずらすにとどまった。だが、特に隠そうとする様子もまた見せなかった。
「ヴィーナス、マーキュリー、ご苦労様でした」
「・・・はい」
「・・・それで、マーキュリー、調査の結果は出ましたか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 マーキュリーはそこで音もなく静かに立ち上がる。そして既にほどけかけている左腕の包帯の端を無造作に払った。
 後は重力に従いくるくると落ちていく包帯と袖の狭間から、蝋のように真白い腕が現れていく。氷で強引に覆われていたそこは今も何の治療も施しておらず、既に凍傷で壊死を起こしかけ、微かに腐臭すら漂わせていた。ヴィーナスは横目に見ながら息を飲む。
 だがヴィーナスの目を奪ったのは腕全体ではない。先ほど自分が踏みつけた手の甲に開いた風穴。実際に向こう側が見えるほどに開いたそこは、皮膚と肉が砕けた骨に突き破られ、変色して浮き上がっていた。傷口から放射状に得体の知れない筋が幾十にも浮き広がっている。まるで生気のないその部分はグロテスクなマネキンのようだった。
 これはあの時、マーキュリーが正体不明の敵―ヴィーナスが見たものは、大地から直接ドリルのようなものが突き出していたのだが、それで自らの掌を貫かせて氷付けにしていたときのもの。あのとき彼女の手にはポケコンが握られていたが、ポケコンでは受け止められず掌ごとぶち抜いていた。そして地面と繋がっていたそれをヴィーナスはチェーンで切断したのだ。
 そんな彼女の掌が今、風穴が開いている、と言う事実は、腕に埋まっていたものを抜いたと言うこと。そしてコンピュータ・ルームにいたのは、それを調べるため。
 だから誰にも触らせず治療も受けず、今この場にマーキュリーはいたのだろう。
 だが調査と言っても実際は現地で戦闘。マーキュリーは現地でポケコンを叩く暇すらなかったと言うのに―片手にチェーン、もう片手でゴーグルを押さえていて、足に力も入らず自分からはしがみつけなかったヴィーナスを背負って両手が塞がっていたから。
 だからヴィーナスを下ろした後マーキュリーはポケコンを使うことが出来た。だからどこから攻撃が来ることもあの場で分かって、受け止めることが出来た。
 だがマーキュリーがあくまでも調査と言い張るのなら、あの場で腕をぶち抜かせたことも、氷で腕をギプスのように覆ったことも、全て意図して。
「・・・よろしい。では、結果を聞きましょうか」
 クイーンの穏やかな笑顔と共に柔らかい声が降ってくる。マーキュリーの傷を特に驚くでも労うでもなく、ただ好ましい返事を期待しているのだろう。そしてヴィーナスはマーキュリーがどのような受け答えをするのかはらはらしながら待った。
「・・・あの星は、確かにクイーンが期待されているようなものも、月に仇なすようなものもありませんでした。あのまま地球に落としても問題ないでしょう」
「そうですか」
「落とすことで地球の発展を促すことも充分に可能だと思います。復興に関する技術の面でもそうですが、あの星そのものが地球側から見ても充分調査に値するもので構成されていますから」
「・・・ええ」
「ただ」
 マーキュリーはそこでようやく顔を上げた。意図していたのか前髪が揺れ、微かに右目にかかった。青い影に薄らいだ赤は、却って暗く不気味な印象すら与えたが。
「あの星は意思を持っていました」
「・・・・・・・・・・?」
 そこでクイーンが微かに表情を変える。
 ここから先は、ヴィーナスですら知らない。ポケコンもゴーグルも使えずに、ただ目の前に起こった状況を判断するだけで、マーキュリーのその頭の中で一体あの場で何が起こっていたのかが解明できたのか。ヴィーナスは精神を集中させマーキュリーの言葉を待った。
「どういうことです?」
「あの星には異物を排除する意思がありました。いえ―私とヴィーナスを排除する意思の下に作られたと言った方が正しいのかもしれない」
 マーキュリーの言葉はどこまでも淡々としている。クイーンの表情も変わらず穏やかな笑顔のままだ。ヴィーナスの頭は俄かにショートした。
 それでは、まるで―
「何故そのように思ったのです?」
「クイーンはあれを、やがて地球の重力に捉えられる星の欠片と仰られましたが、破片で私たちが動き回れる大きさなら、星そのものの存在を事前に察知出来ていてもおかしくないはずです。そして今の月の技術なら、現地に行かずともある程度の調査は可能なはず」
「・・・ええ。でも、それだけでは」
「確かにそれだけだと、コンピュータのデータをすり抜けたような特殊なケースも否定できません。でも、実際にあの場で地面に立ってすぐに気付きました。あの星は人工・・・月の技術で作ったものです」
 そこでヴィーナスは自分の耳を疑う。確かにマーキュリーの言葉には綻びがないが、だからといって確信を持ってあの場所が人工のものだった、などと。
 あの星の剥き出しの岩の感覚も、纏う大気も、一面の星明りも、どれもおかしいなどとは思えなかった。あの感覚は本物だったと言うのに。
「マーキュリー、どういうこと!?」
「最初からおかしかったわ。砕けた星の欠片だと言うのに、小石どころか砂粒一つ落ちていなかった」
 ヴィーナスはマーキュリーの言葉を聞き記憶を巡らせていく。
 確かに、最初、地質調査をしたマーキュリーから離れたとき、時間潰しに蹴飛ばす石ころすら落ちていなかったのだ。そして戦いの中、マーキュリーの、汚れのない青と純白のコスチュームに血が散り映えていた―あれだけ動いていたはずなのに、砂煙すら立っていなかったからコスチュームは全く汚れていなかった。
 ただ、剥き出しの岩が。不自然なまでに自然さを装った岩肌がそこにあっただけで。
「その時点でおかしいとは思っていました。砂粒一つまとっていないのですから。実際岩を覗き込んでみて、精巧ですが人工物だと思いました」
「なるほど」
 クイーンはマーキュリーの言葉を驚きもしなければ否定もしない。マーキュリーはマーキュリーで言葉に感情は篭っていない。
「そしてそんなものを作る技術があるのは無論月だけです」
「つまり、マーキュリー、あなたはこの地質調査は月側が仕組んだものだったと言いたいわけですね?」
「・・・恐れながら」
 マーキュリーはそこで自らの左手を右手で物のように持ち上げ掌を開く。もう自分ではほとんど動かすことも出来ないようだった。風穴の開いた掌は、かつて何かが埋まっていた証だ。
 ヴィーナスは息を飲む。
 あのとき、確かにヴィーナスは命懸けだった。あの場で気を抜けば死ぬと思っていた。だから必死でどうやって生き残るかを考え、敵の正体を、倒し方を考えていた。マーキュリーもそうだと思っていた。はずだったのに。
 彼女はあの場で自分と同じく戦いながら、自分とは全く違うところを見ていた。
「・・・そして、今、確認のためあの地の破片を調べようとしたんです。私の腕に埋まっていたものですが・・・確かに月の技術の粋で作られたものなんです。岩を模した・・・あの星の全てが、私たちを倒すためにだけ作られていた機械仕掛けの星なんです」
「・・・では、ほかにも窺いましょうか」
 クイーンは微かに肩をすくめると、マーキュリーの言葉を否定も肯定もせず笑顔は崩さないままにマーキュリーの左手に触れた。その仕草はあまりにも静かなもので。
「あなたがこの腕に埋まっていたものを調べるのに、メイン・コンピュータルームでなく、こんな末端の部屋に入ったのは何故です?」
「・・・メイン・コンピュータルームはこの王国のデータがほとんど入っています。そして普段私が入り浸っていますから。つまり、逆に私がほかの場所にある端末に触れる可能性は低いんです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「だから恐らくは末端の機械にロックをかけ、メインコンピュータからのアクセスを制限しデータを隠しながら、尚且つ私の月の中の動きを監視しながらあの星を作っていたのではないかと思ったので。実際、今探してみたらデータが見つかりました」
「・・・そうですか」
「そして」
 そこでマーキュリーは膝を曲げしゃがみこみヴィーナスの方を向く。その表情は穏やかで。鳥肌が立つ程に穏やかで。
 そのままマーキュリーは目線を落とし、静かに右手を伸ばした。ヴィーナスの膝元に擦り寄るアルテミスに。
「あれを作ったのはあなたね?」
「・・・っ!」
 ヴィーナスは瞬間的にマーキュリーとアルテミスに立ちふさがるようにヒール音を響かせ膝を立てた。これ以上マーキュリーの言葉を聞いていると心がどうにかなってしまいそうだった。そして何より自分のパートナーであるアルテミスにそんな言葉を吐き出したマーキュリーが信じられなくて。
「マーキュリー!それ以上でたらめなことを言ったら・・・!」
「ヴィーナス!よせ!」
 そこでそれまで黙っていたアルテミスがヴィーナスを制し、影から出るように這い出してきた。アルテミスはうなだれたように顔を伏せたままだが、マーキュリーの霞んだ目からは額の三日月だけははっきり見えていた。
 ―月。
「・・・すまない」
「アルテミス!」
 ヴィーナスは呆然とマーキュリーとアルテミスを交互に見たが、互いにただ無表情に沈黙するのみだった。マーキュリーは静かに指先でアルテミスの喉を撫でる。
ごろりと音がした。
「・・・マーキュリー。どうして、分かったんだい」
「あなたが普段からよくメイン・コンピュータルームに出入りしていたから。あれは私を監視するのと、万一でも私にデータを見つけられないように両方から何重にもロックをかけていたんじゃないかって」
「・・・ああ、その通りだ」
「そもそも、この月で今、そんな技術があるのは私かあなただけだろうし・・・私たちに攻撃を仕掛けてきたのもあなたね」
「・・・ああ」
「マーキュリー!」
 ヴィーナスは今度こそ、マーキュリーに向かい、先ほどとは違う本気の殺意を向けたが、それもアルテミスにたしなめられた。
 ヴィーナスはアルテミスにマーキュリーの言葉を否定して欲しかった。だがアルテミスは目の前の現実を淡々と受け止めるように静かな声を出した。
「それも、どうして分かったんだい」
「機械仕掛けでも、機械的に攻撃を仕掛けてくるにはあまりにも・・・最初の、ヴィーナスの一発目を骨や筋を傷つけなかったのはあなたの配慮ね。あと、私のゴーグルを壊してから、攻撃は、ずっと私の前方から、下の角度から、私の頭付近を狙っていた・・・だから分かった」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「パートナーを、傷つけたくなかったのね」
「・・・・・・・・・っ」
 ヴィーナスはまた息を飲んだ。
 確かに最初のヴィーナスの足を貫いた一発目に比べ、後の攻撃は常にマーキュリーの前方から頭部付近を狙ったもので。
 もし、マーキュリーの言うとおりならそれは、ヴィーナスに致命的な攻撃を当てる可能性を減らすためだ。マーキュリーの背負われたヴィーナスは必然的に背中ががら空きになる上に、マーキュリーの足に技を当てるともう二人とも逃げることが出来なくなる。そして胴体付近だと、当たり所によってはマーキュリーと同時にヴィーナスを貫いてしまう可能性も否定できないからだ。
 頭や肩なら。
 あの触手は、マーキュリーの掌の骨を砕きはしたものの、そこで動きを止めて捉えられた。ヴィーナスの足だって、骨や筋を傷つけなかったからこそ貫くことが出来た。
 だから肉を貫くことは出来ても二人分の頭や骨を完全に貫くほどのパワーはないのだ。だから。少しでもヴィーナスに致命傷を負わせる可能性を減らすため、しかし疑わしき隙を見せないよう、当てる場所が初めから決まっていた最初の二発を除きマーキュリーの身体能力で辛うじてかわせる早さでひたすら前方から頭部を狙った。
 マーキュリーの顔に当てたのはヴィーナスがマーキュリーの顔を覗き込んだ瞬間。ヴィーナスはマーキュリーが自分の顔をかばうためだと思っていたものはそれも、ゴーグルを狙った一発で。なまじマーキュリーがヴィーナスを守ろうとする意思を見せたから、目をも抉ってしまっただけに過ぎない。双方にとって致命的なミスだった。
 だが、それも確かに月の、アルテミスが持つ技術。
 それが結果としてマーキュリーに付け入る隙を見せた。
「・・・すまない。マーキュリー、僕は・・・」
「・・・アルテミス。あなたは・・・本当に、いい子だわ」
 マーキュリーは再びアルテミスの喉を柔らかく撫でた。猫を愛でるただそれだけのその姿は、穏やかでどこか歪だった。
 クイーンは何も言わないが、アルテミスが認めたと言うことは、マーキュリーが考えていたことに間違いはないだろう。あれだけの手がかりで、彼女は、これだけのことを。
 ヴィーナスが失格だと思っていたはずの、知性の戦士の頭脳。
 ―ならば。
 マーキュリーは再びクイーンの方を向き膝をつくと、顔を伏せ感情のない口調で呟くように言った。
「・・・つまり、今回の件、クイーンは私をお試しになった、と言うことで間違いはありませんか」
「・・・ええ、その通りです。マーキュリー」
 ヴィーナスは、ただ、驚いていた。今回のからくり、アルテミスが作った自分たちを排除するためだけの星。だが、あそこで、マーキュリーの手の骨が砕けたところで、既にマーキュリーは全てを見抜いてそれが終焉でもあったのだ。
 ただの地質調査であるはずが、こんな裏が。
 だが、まだ、何かおかしい。ヴィーナスの胸に何かが凝っている―マーキュリーに。
「・・・私たち、でなく、私って言った・・・?」
「・・・ええ」
 呆然とするヴィーナスの隣で、マーキュリーが緩やかに顔を上げヴィーナスの方を向く。目を細め、微かに、ほんの微かに口角が上がったマーキュリーのその表情は、確かに、氷が溶けたようにほころんでいた。
「あなたもグルでしょう?」
 その時、ヴィーナスは初めてマーキュリーが微笑むのを見た。
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