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人生の変転・下山日記

ベンゾジアゼピンの遷延性症状に悩む方がおられましたら、情報をお寄せ下さい。このブログは、当方の生きた記録として残します。

1/7日誌

2015-01-07 10:45:22 | 日記

今朝は、未明に覚醒後、さらに職場関係の夢を見ていて7時半まで再覚醒しなかった。

夢見心地は決してよくないが、既に職場への執着心が離れかけているので(次の段階への準備をすべく心を整えに掛かっている、だからといって職場の人とコミュニケーションしないわけではない、そんな心境を目指している)、夢で苦悩せず、苦笑した。年末年始を乗り切ったことや、明日から始業で子供が学校に行くこと(休業中、何もしてやれず申し訳ないという心境に陥ることが多々あった)も精神状態に作用しているのだろう。まだ、どう転ぶか分からないが。

夢であるが、私の休職の背景(身体的状況でなく、精神的なストレスの背景)をめぐり、職場の上役方が侃々諤々するというもの。私は、職場の人間関係を察知することに賢かったので、具体的な実在人物やその発言内容まで夢の中で構成できていた。

その議論を、遠出できない私がなぜか都内で、職場に新たに着任した総務系の方(顔も知らない架空の男性)と街を歩きながら、話を聞いているという設定だった。もはや全力で走れない自分が全速力で道を走っていたのは不思議だった。

夢なので意味はない。何の意義もないが、現実にはそんな話が職場でなされているのだろうと思う。そのうちにそんな話もされなくなるだろう。時の流れはそんなもの。

<日誌>

8時過ぎ朝食。現状、比較的落ち着いている。ただ、太ももに筋肉痛のようなハリがあり、屈伸に相当な労力を有する。指の退縮は少し、ペースが遅くなったようでそのすきにPCに向かっている。

筋肉のない足の甲からの放熱がひどく、寒いことは寒いのだが、布団と入浴、そして慣れで何とか凌いでいる。

今日は、父の誕生日である。午前に娘から電話させた。父母は自分の状況を一体どう捉えているのだろう。

12時半昼食。

家内は今日も家事や子供の世話に八面六臂の奮迅ぶりである。感謝の念しかない。徳を積んでいるとしか言いようがない。

子供が楽天的に過ごせているのもせめてもの救いである。

デパス0.25 mgは8時半と2時半に飲む。夕方にしんどい時間帯があった。

注文していた書籍が2冊届く。1冊はざっと目を通す。

18時過ぎ、夕食。

食欲はある。しかし、歩くのが厳しい。

22時に入浴する。以後、就寝。

 

明日の外来での戦略が余り練れていないが、

・初見で相手にされなかった症状(手足口、全身)の重篤度を再度訴える、神経内科が主担当科となるべき旨、相談する。

・デパスほか必要薬の処方を願い出る。

・口腔外科、他科を含めた総合的な診療体制の必要性を申し出る。

・非常時を含む入院受け入れ体制を相談する。いつ、入院すべきか。


足裏

2015-01-06 21:14:48 | 日記
足裏の前足底部分、魚の目ができる部分は皮膚の下が直に骨となってしまいました。触診もできない医者が大学病院の白い巨塔の中にいます。ヤブです。写真は普通に見えますが、何人の方に触ってもらい、異状を感じてもらっています。

1/6日誌

2015-01-06 17:49:34 | 日記

家庭での生活も一日一日が勝負となってきた。日誌を書く。

午後から風が強くなり、嵐のような天候

午前5時半には覚醒 長女風邪気味(午後から内科に行った)

午前8時半朝食 デパス0.25mg服用

午前 病臥

午後0時半 昼食

午後2時半 デパス0.25mg服用

午後 病臥

午後4時半から次女の書き初めの指導:姿勢維持が大変。立ちくらみあり。呼吸も苦しい。

書き初めは、書道の心得があり、健康であればしっかり指導できるのだが。止めはねと縦長半紙の字のバランスに留意するようにマンツーマン指導。

18時まで来たので、食事、入浴、就寝と定期コースを歩むことができる。

18時食事。20時半風呂。22時過ぎには就寝。

就寝だけは取れるようになっている。この状態で不眠焦燥であれば目も当てられない。

オンラインオセロで3段に勝ったので少し、満足。

 

病態:耳鳴りが酷い。口内の歯肉減少が毎日進んでいる。足は関節部分の筋肉減少が目立って体感される。右手人差し指を温存していたので、現在PCに向かうことが可能。

全身くまなく確実にゆっくりと筋肉(筋繊維、脂肪も含んで痩せているのか知れない)が減っている。

食欲はある。乳酸菌飲用により、便通は通常。

立ちくらみは本日、初めて体感。

 

8日の筑波大病院での神経内科医師との面談の戦略を考えねばならない。

死生観や闘病記として読みたい本がある。取り寄せて手でめくれるうちに読んでおきたい。

 


回復へ打つ手なしでどう生きるのか

2015-01-05 13:53:47 | 日記

中枢神経障害でこのままでは身体の自由が奪われます。循環器系は神経系とは別働なので簡単に鼓動は止まりません。

身体の自由が完全に利かなくなるまで時間がまだあります。それから、寝たきりになり、心臓が停止するまでさらに時間の猶予があります。

何らかの急変や発作が起こればこの限りではありません。

身体の筋肉(随意筋)が限りなく減らされていくプロセスを経て、生命がどこで瓦解するかは、症例がありません。世界でも希有と思います。

末梢神経は修復可能ですが、中枢神経は修復不可能です。デパスとストレスで中枢神経系をやってしまいました。

ゆえに、勝負は決しています。希望がない状態で生きるのは拷問です。身体的ストレスが絶えず掛けられており、心理ストレスは想像を絶しています。

ただ、自死を避けて堪えているだけです(私自身、こうなって先が見通せている以上、自死する資格はあると思います。しかし、社会や家族がそれを許しません。)。

毒を食らわば皿までで、自力で耐えることが限界なので、デパスを昨日から再服薬してしまいました。

こうなっては精神バランスを保つため仕方ない措置です。デパスもいつまで効くかは分かりません。

 

将来のない人生を最期まで全うするには、人生観を大きく転換しなければなりません。

それから過去のことに思いをいたすことはとても辛いです。これから先のことと家族の幸せを願うことだけで精一杯です。

人生観云々を考えているうちにも、指や足や口の組織がどんどんなくなっていきます。都度、ストレスにさいなまれます。

入院は時期があると思います。這ってでもトイレに行けなくなったときがそのときでしょう。いつになるでしょうか。病院で完全に理解されるとは思っていません。

早朝の覚醒時に次にどこが悪くなるか、よく分かります。次に異変が起こるのは腕や首です。これらがやられると、入院になる可能性が高いです。

どうしてこうなったかということは、もはや考えていません。薬とストレスの害悪は、人生の意味そのものを破壊してしまっています。今、こうなってしまっていることに私自身、教訓は得られません。単に薬により生体影響が出たことの因果のみです。意味を見出せません。

家族や知人には肉体的、精神的苦痛を訴えます。しかし、結局誰の理解も及ばないところであり、死ぬ権利や機会は自分で選んで勝手に実行してしまうのが自然だと思います。

でも、簡単に死ねません。生物学的な本能のために死ぬのが怖いのです。それから、過去の自分に見切りをつけるということがどうしてもできません。

ゆえに、精神的な安定を得て死ぬまで過ごせないかということを希望するのですが、年末年始もそうであったようにとても苦しい状態が続いています。1日1日が、粗末に辛うじて過ぎていくだけです。

個人的に思うのは、突発的な発作等でその瞬間は怖いですが、病気でできるだけ早く死ねること(自然死)を一番望んでいます。

斃れて7ヶ月に及び、身体が死に向かって段々不調になってゆくのに耐えて、ここまで粘って来た者の考えです。


ついに上肢に違和感

2015-01-05 03:54:03 | 日記
肩口から上肢にかけて力の入らない気だるい違和感が始まる。首筋から頭にかけても変。呼吸も少ししんどい。これらが悪化すれば入院級。