11/11/30 23:53
「・・・マーキュリー!生きてる!?」
「っ・・・じ、を・・・」
「え!?」
「・・・指示を!」
「・・・シャボンスプレー出して!」
マーキュリーはヴィーナスの声に四つん這いになるように体を起こすと、技を放つ。ヴィーナスは視界が利かなくなる前、チェーンを駆使し何とかゴーグルの破片を掠めた。血痕が残るそれは直撃を受けたようだが、まだ半分ほど形はとどめていた。
何とか手元に届いたそれ―左半分、片目だけのものを耳に引っかけてみる。電子的な文字が時折ざらざらと砂嵐のような形になるものの、まだ、完全に機能停止と言うわけではなかった。透過視能力も辛うじて生きている。
ヴィーナスはシャボンスプレーに身を隠しながら考える、マーキュリーが装着していたときゴーグルは先ほど確かに気配では読めない『敵』に反応したはずだ。だからあのとき、マーキュリーの顔を覗き込もうとしたときに、マーキュリーは『危ない』と叫んだ。
そしてマーキュリーの顔を覗き込もうとした自分をかばうために、マーキュリーはゴーグルとティアラの部分で攻撃を受けた。
「はぁっ・・・はぁっ・・・」
足元をよろめかせ肩で息をしながら、それでも何とか立ち上がろうとするマーキュリーの横顔が見える。未だに血は滴ったままだ。額から瞼までぱっくりと傷が開いており、それに流血は視界さえ埋め、右目は開いていない。
ヴィーナスはマーキュリーの腕を掴み自分の方を向かせる。そして足に巻いていたリボンをほどくと、それをマーキュリーの顔に押し付け額に巻く。もうマーキュリーに触れられたくないなどと思っている場合ではなかった。
顔を拭われたマーキュリーは辛うじて目を開けたが、すぐにリボンは血を吸う限界を超えまたじわじわと目の上に滲み出てきた。
マーキュリーの意識はあるようだが、いつまでもシャボンスプレーにまぎれている訳には行かない。攻撃の中休めなのかもしれないが、やはり敵は気配が無く、ゴーグルも反応は示さない。だがそれももうほんの数刻だろう。
―危険すぎる。
ヴィーナスの判断は早かった。
「マーキュリー!離れなさい!」
「・・・え?」
「二人とも死ぬわけには行かないのよ!?足が動くあなただけでもパレスに戻る義務がある!」
マーキュリーはヴィーナスの言葉に一瞬、言葉を失う。それは初めて見た、ヴィーナスのまともなリーダー然だったのか、それとも指令の意味が飲み込めなかったからか。
しかしその沈黙も、一瞬だけのもの。マーキュリーが四守護神としての自覚があるのならば、ましてや知性の戦士であるのならば、ヴィーナスの指令に従わざるを得ない筈だから。ヴィーナスの言葉は、理屈上何よりも正しい。
だから―
「・・・ふざけないで」
ヴィーナスの言葉は正しい、はずだった。
マーキュリーの返事は、肯定でなくてはならなかったのに。
「・・・・・・・何ですって!?ふざけてるのはあなたよ!あなたには、四守護神としての使命があるのよ!」
「そんなのあなたに言われるまでもないわ」
「だったら行きなさい!これは四守護神のリーダー命令よ、逆らえば反逆とみなす!」
「四守護神だからよ!この命は王国を守るためだけにあるわ、でもあなたは四守護神のリーダーであり、プリンセスの影武者なのよ!?その命は私たちと違ってプリンセスの為にある!」
「・・・マーキュリー・・・!?」
「だったら・・・私を盾にしてでもあなたが生きなさい!プリンセス以外のために死ぬなんて・・・私が絶対に許さない!」
「・・・・・・・・・」
「リーダーであるあなたに反逆と言われようが!たとえ命をかけることになったって、死ぬことになったって!」
「・・・っく・・・」
「『四守護神として』あなたは私が守る!これは絶対に譲らない!」
「・・・っこの、石頭!」
ヴィーナスは自分が決して間違ったことを言っているとは思わなかった。だがマーキュリーもまた一切譲る姿勢がなく、こんなことをやっている場合ではないという現実がヴィーナスをさらに苛立たせる。
だが、ふいにマーキュリーが表情を緩めた。血に汚れた顔に、その表情は酷く似合っていない。
「・・・石頭だったから、この程度で済んだわよ」
そしてその言葉を聞いたヴィーナスは引き攣るしかない。
「・・・あ、あなたの冗談は珍しいけど笑えない」
「笑わせるようなことを言った覚えはないわ」
ヴィーナスの言葉を大真面目に、且つばっさりと切り捨てるマーキュリー。どうやら彼女とは根本的に相性が悪いらしいとヴィーナスは心の底から思った。
もう問答は無用であるようだ。
ヴィーナスは苦々しい表情で再びマーキュリーを横から覗き込む。最早頭に巻いたリボンは意味を成さないほど顔は再び真っ赤に染まっていた。ヴィーナスは慌ててリボンをほどきなおすと一旦沁みこんだ血を絞り、目の周辺をふき取り再び血を絞って、未だにぐずぐずと血を垂らす患部にしっかりと巻き付ける。
「・・・心地は?目は見える?」
「・・・かなり圧迫し気温も下げているから、出血はじき止まると思うけど、これから動き回るからもう何回か巻きなおしてもらわなければならないかも・・・右目は駄目だわ・・・左目はぼやけてるけど、どこに何があるかくらいは何とか・・・」
「・・・じゃあゴーグルはあたしがつける。まだ機能は生きてるけど半分しか拾えなかったから・・・片目がろくに見えないのにゴーグルを付けるのは危険すぎる」
「・・・任せるわ」
マーキュリーはヴィーナスに背を向ける。背中に乗れ、と言う意図なのだろう、とヴィーナスは再びマーキュリーの肩に手を乗せた。後頭部は額に巻いたリボンの結び目があり、そこだけ見れば中途半端な位置にリボンを付けているように見えて、場違いながらもヴィーナスは少しだけ頬が緩んだ。
「・・・あなた、赤、似合わないわね」
リボンが似合わない、と言わなかったのはマーキュリーに怪我が似合っていないと言うことも分からせる為の皮肉でもあったのだけど、それを果たしてマーキュリーが理解したのか、ヴィーナスを背負って立ち上がると振り返りもせずに言った。
「あなたも、青、似合ってないわよ」
言うまでも無くそれはゴーグルのこと。それは、ヴィーナスがブレーンの立場を代行することへの皮肉なのか。
「こ、この節穴!この愛の女神に似合わない色なんてあるわけないでしょ」
「似合わないものは似合わない」
そんな、他愛もない会話と共にマーキュリーはヴィーナスを背負いなおす。ヴィーナスは手にチェーンを構え、片目だけのゴーグルの解析結果を見据える。
「あんだけハッタリかまして途中で無理とか言うんじゃないわよ」
「・・・絶対に、離さない」
そこで、砂嵐のように文字が流動していたゴーグルが反応を示す。半分だけなので完全とは行かないようだが、攻撃がどこから来るかの把握くらいの能力は生きている。
霧が、少しずつ薄らいでいく。マーキュリーは戦闘体制を取りながら呟く。
「…さっきの二回の攻撃で分かったことがあるわ。まだ自信はないけれど」
「それは―何?ゴーグルで何か敵の正体が?」
「いいえ、ゴーグル解析を見ている暇はなかった・・・でもゴーグルやポケコンとは関係なく、気配を感じなかったのは確かよ」
「気配・・・でもそういえば、マーキュリー、あたしが攻撃される前に一発目の攻撃に気付いたわよね?あの時は・・・ゴーグルはしてなかったのに?」
「ちょうど真正面で空気が動くのは分かったのよ・・・たまたまそのときあなたの方を見ていたから」
「・・・たまたま?」
―仕事馬鹿の彼女が、地質にかじりつく間に、『たまたま』自分を見ていたというのだろうか?そのことにヴィーナスは微かに違和感を覚えたが、今言及するのはそこではない。
「そのあとゴーグルは攻撃に反応したけれど、それだけ・・・そこから解析している前にゴーグルに攻撃が当たってしまった…だからこれは私の考えだけれど・・・」
そこでヴィーナスの目に移るゴーグルの警戒の表示。曖昧な文字を形作るそれは二人を戦闘に戻らせるには十分だった。
「・・・前!」
「っく・・・!」
マーキュリーは最初こそよろめいたものの、すぐに先ほど同様無作為に走り出す。数コンマ遅れて、二人が先ほどいた場所に目にも留まらぬ速さで何かが動いた。先ほどヴィーナスの足を、マーキュリーの目を潰したのと同様のものである。マーキュリーの薄らぐ目とヴィーナスの視界の悪いゴーグル越しでは『何かが風を切った』くらいにしか捉えられなかったのだが。マーキュリーに巻いたリボンが微かに揺れる。
ひたすらに走るマーキュリーの代わりに周囲を見回しながら、ヴィーナスはチェーンを構える。
「マーキュリー!あなたの分かったことって何なの!?」
「今の攻撃で確信したわ!全ての攻撃は、下から上に向けて私たちを狙ってきている!」
「下から!?」
「つまり、地中からか地を這うような形態で攻撃してきているのよ!恐らくはここの岩に擬態しているか、岩に潜り込む性質を持った何かか・・・」
「っせぇっ!!」
マーキュリーの言葉を遮るようにヴィーナスのチェーンが光の筋になる。それは空を切り、大地に当たりしなった。敵らしきものに当たったと言う手ごたえはなく、砂煙すら立たなかった
「ちっ!」
地面に直接技をぶつけても駄目。やはりどこにいるのかを正確に当てなければ駄目だと舌打ちをしながらヴィーナスはゴーグルを握る。
片方だけ、しかも機能が完全でないゴーグルを、ましてや慣れていないのに戦闘中に動きながら見るのはヴィーナスには却って視界の妨げだった。解析を見ている間は周囲を見回すことが出来なくなる。マーキュリーの視界も覚束ないものなので任せることは出来ない。
ゴーグルがなければ反応することは不可能だがだが、ゴーグル越しでなければどういう形状のものかくらいは判断できたかもしれない。ざらざらと砂嵐のように流動する文字群を見つめつつヴィーナスは唇を噛む。
「っく・・・」
ゴーグルが反応を示す線を一本示すと、マーキュリーの耳元を風が掠める。コスチュームの肩の部分の切れ端と青い髪が数本はらりとヴィーナスの顔の横に散っていった。
「マーキュリー!」
「・・・かすっただけよ・・・!何か・・・見えた!?」
「見えない!ゴーグルでも解析できない!」
マーキュリーは一瞬の逡巡の後、再び無作為に移動を始める。まだ敵の攻撃の法則が見えたらマーキュリーが自分を抱えて無意味に動き回ることも、それにより体力を消耗させることもないだろうとヴィーナスは唇を噛む。動き回っていては額の傷に障る。
「(どうすれば・・・)」
ゴーグルがまだ技が放たれたことに反応できるのはありがたかったが、正体を突き止めるまでは出来ない。自分で考えるしかない。
一発目はヴィーナスの足。二発目はマーキュリーの額。三発目は当たらず、シャボンスプレーが晴れた頃マーキュリーが一歩よろけた分リボンを揺らした。最後の一発はマーキュリーの肩を掠める距離で。
「(どうすればいい・・・!)」
技を放つ時間も等間隔ではないからそこにも法則性はない。
どういう敵であれ、同じパターンで攻撃してきているのならまだ何か繋がりが見えるはずなのに、何を狙っているのかが分からない。
ゴーグルの音に反応するようにマーキュリーが右に一歩進むと、ヴィーナスの耳元で前から風が空を切った。ヴィーナスは指示を出した。
「・・・なら・・・マーキュリー、もう一度シャボンスプレー!」
マーキュリーは返事をせず移動のスピードを落とさないまま技を放つ。視力がおぼつかないマーキュリーにもう一度この技を放たせるのは酷だとヴィーナスは思ったが、背に腹は変えられなかった。
視界が白く染まっていく中、なおもヴィーナスは考えを巡らせる。
「(どこを狙っているの!?偶然当たっただけなの!?)」
最初の一発目と二発目は綺麗に技が当たった。だが当たった箇所は違う。下から上に技を放つという制約の下、足と額に当てるのは、技を放った距離あるいは角度が異なるということになる。
三発目は―リボンが揺れたから二発目同様頭部近くを、四発目は肩、五発目は自分の耳辺りを掠めた。
これから読み取れることは、自分の足に当たった一発目以外は頭部近くを狙っている。
「(意図があって頭部を狙っているとしたら・・・一発目はあたしの足を封じるため・・・でも何でそんなことを・・・)」
シャボンスプレーの効果で周囲の空気は冷えきっている。ヴィーナスはその中でも脂汗をかきながら考える。左足の感覚が痛みのみに支配される。一時的に止血点を圧迫していたものの、それでも傷そのものがなくなったわけではない。ましてやマーキュリーも額から出血している上に、その治療は乱暴なもので彼女は更に絶え間なく動いている。
彼女の限界もそんなに遠くはないはずだ。沈黙の中マーキュリーの足音と呼吸音のみがうるさかった。
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