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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

はてなブログに引っ越しました

2025年09月30日 21時41分57秒 | 自分の話&日記

 gooブログもいよいよ新規投稿停止となります。

 このブログは、「はてなブログ」に引っ越しました。

 今後は 尾形修一の紫陽花(あじさい)通信で続けて行きます。(リンク先をクリックすれば、新ブログに移行します。)

 新しく「お気に入り」などに登録して頂ければと思います。

・今日見た青年劇場『わたしは、ダニエル・ブレイク』の記事ははてなブログ(だけ)に投稿しました。そちらで読んでください。

・過去の記事は、基本的に新ブログに移行してあります。ただし、最初の頃の記事など、かなり整理しました。

・ブログ開設以来、今日で5186日。2011年2月に開設以来、15年近く続けているのだから、自分も変われば世の中も変わる。もう意味の薄れた記事もたくさんあるから、この際削除することにしたわけです。それに昔批判した出来事でも、もう忘れてしまった問題、忘れた方がいい問題もあるから、そういう記事は不要と判断しました。

・コメントは一部を除き、ほぼ受け継ぎませんでした。(一部は残してあります。)

・今後も新しい記事は、Facebookへのリンクを続けて行く予定です。

・「ブログ」を取り巻く状況も大きく変わりましたが、自分にとっては「」を書ける場が必要です。何でも良いけど「考えること」を続けて行くことは、加齢が進むなかで非常に大切なこと。ブログに書くためにやってるわけじゃないけど、映画を見たり、本を読んだり、散歩や旅行に行くのも、ブログに書くことが動機になっていることも事実。昔に比べて、時間とともに教育や政治関係の記事が減っていると思うけれど、何とか書いて行きたいと思っています。

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映画『レッド・パージ~今に続く 負の遺産~』、忘れられた戦後史

2025年09月29日 21時45分19秒 | 映画 (新作日本映画)

 『レッド・パージ~今に続く 負の遺産~』というドキュメンタリー映画を池袋のシネマ・ロサで上映している。午前中1回だけなので、行くのも大変。それでも貴重な機会だからと思って出かけてきた。75分ほどの映画で、いくぶん公式的な感じもあるけれど、今まで知らなかった戦後史を考えるきっかけになる。戦後80年、占領期も遠くなったけど、今も「負の遺産」が続いている。

 「レッド・パージ」というのは、ホームページからコピーすれば、「日本共産党員やその支持者であることを理由に、「企業破壊者」などのレッテルを張られ、職場を追われたのがレッド・パージ。戦後の日本で、労働運動が活発だった公務や民間の職場から無法・不当な解雇や免職処分を受けた事件です。」敗戦後の日本では、占領軍による「民主化」が行われたが、世界情勢は次第に米ソ冷戦の激化がはっきりしてきた。占領軍の方針も、1947年頃から「逆コース」と呼ばれるような、日本を「反共の砦」にする方向に転換した。そんな中で、1949年、1950年に大規模な「レッド・パージ」が実施されたのである。

 解雇されたのは約1万人にのぼるとされ、民間企業から解雇されたものは他の会社にも勤めることが出来ず、日々の暮らしにも困った人が多くいる。各新聞社や映画会社でも多数の解雇者が出たが、これはGHQが世論に与える新聞や映画の影響を考えたためだろう。「不当解雇」として裁判に訴えた人もいるが、占領下のマッカーサー指令に基づくものは「GHQの指示による超憲法的な措置で解雇や免職は有効」として正当とされ敗訴した。(1960年、最高裁「中外製薬訴訟」判決)

(「レッド・パージ」を問う裁判)

 僕もレッド・パージのことは知っていたが、占領中のマッカーサー指令によるものであり、ある種「どうしようもないもの」という感じでとらえていた。しかし、今回の映画を見て、必ずしもそうとばかりは言えない事例が多いことを知った。GHQの「指令」によるものばかりでなく、「示唆」(suggestion)に止まったケースがある。それに対し、日本政府や企業経営者が労働組合から共産党の影響を排除するため、占領軍の「威を借りて」踏絵を踏ませたようなケースもあった。レッド・パージの対象者は多くは共産党員や組合役員が多かったが、中には理不尽さを感じて「踏絵」(誓約書)を拒否して幹部でもないのに解雇された人もいるようだ。

 映画では多くの関係者、今は高齢となった解雇者当人も数多く登場し、いかに不当な扱いを受けたかを語っている。「思想の自由」「結社の自由」が憲法に明記されていたにも関わらず、多くの人が単に共産党系というだけで解雇された。これは「憲法の原則」の問題なんだから、共産党関係者以外も関心を持つべきだ。そうじゃないと、権利はどんどん奪われてしまう。

 ところで、占領中はいざ知らず、主権回復後は「公職追放」が解除されたんだから、「レッド・パージ」も解除されるべきだった。占領軍から「戦犯」指定を受けたものでも、占領終了後に国会議員になったものもいる。ただし、そのことを主張するべき共産党がその時は「50年問題」で分裂していた。1949年の総選挙で共産党は一挙に35議席を獲得し、多いに革命機運が高まった。中国の内戦では共産党の勝利が近づいていて、アメリカの危機感も強くなったわけである。そんな時期に(詳しく書くと長くなるから書かないけれど)、日本共産党は分裂して「暴力革命」路線をはっきりさせていた。

 共産党系の労働運動にも「政治主義」的な引き回しが多かったと思う。多くの労働者が共産党系労働運動から離れたのも、単に会社の圧力というだけでもないはずだ。もちろん、レッドパージ時点で解雇を正当化できる法的根拠はなかった。だから「不当解雇」は間違いないのだが、共産党側にも多くの問題があった。レッド・パージの不当性を訴えるのが主眼の映画だけど、戦後左翼陣営の問題点も検証しないといけない。そんなことも感じた映画である。

 この問題は近年になって、弁護士会などの勧告もあり改めて裁判も行われたが従来の判例は変わっていない。政府の対応も変わらないが、戦後史の忘れられた人権問題を見つめることは大切だと痛感した。ホームページを見ると、DVDも販売中。

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『海辺の光景』まで、「親ガチャ」の行方ー安岡章太郎を読む②

2025年09月28日 21時47分33秒 | 本 (日本文学)

 安岡章太郎は1951年に発表した短編『ガラスの靴』が芥川賞候補になって作家として認められた。その時は受賞しなかったが、続けて『宿題』(1952年上期)、『愛玩』(1952年下期)が芥川賞候補となり、『悪い仲間』『陰気な愉しみ』でついに第29回芥川賞(1953年上期)を受賞した。これらの初期作品は今も大きな活字で新潮文庫に生き残っている。安岡章太郎は短編の名手として名高く、村上春樹が高く評価したことでも知られる。すごく読みやすい達意の文章で、短編を読む楽しみを味わえる。

 ただし、私小説だけに同じようなエピソードがあちこちに出て来る。それも戦前の落第生時代の風雲録、軍隊時代の落ちこぼれ体験、戦後の窮迫した一家の家庭不和などばかり。誰かの失敗談、ビンボー苦労などは、最初に読むと面白いんだけど、同じような話が出て来ると、何だろうという気にもなる。1959年に長編『海辺の光景』(野間文芸賞、芸術選奨)を発表するが、これが初期の大傑作。「うみべ」じゃなくて「かいへん」と読ませる。今までに書いてきた親の問題の集大成で、深い感動を呼ぶ。

 『海辺の光景』は前に読んでいて傑作ということは覚えていたが、改めて読んでみて凄いなと感嘆した。まだ60歳ほどの母親が精神を病み、生まれ育った高知の病院に入る。危篤の連絡を受けて主人公は東京から高知へ向かい、高知に住む父と桂浜近くの病院に向かう。そこで過ごした数日間を濃密に描く作品である。匂いや虫、植物の描写、高温多湿の部屋など五感を刺激する文章で母の最期を見つめる。今までに何度も描かれてきた父母の問題がここで一端終わった。(もっとも「父だけ残った」というある種もっと大変な問題は続くけど。)それでも取りあえず「こころを病む母」という「重荷」は終わったわけである。

 いろいろと初期短編を読んでみて、これは何だろうと考えて「親ガチャ」だなと気付いた。もっとも親に虐待されたり、早く亡くなったというわけではない。進学率がずっと低かった戦前において、旧制高校に3度落第しても丁稚奉公にも出されないんだから、経済的にはむしろ恵まれていた。だけど、それも含めて親のあり方が子どもの人生を左右したのである。

 安岡章太郎の父親は帝国陸軍の軍人だった。そう言われると、戦前日本では子どもの憧れであり、皆に自慢できる職業だったように思ってしまう。しかし、父親は普通の軍人ではなく、軍の獣医だったのである。人間の医者だったら戦後も仕事があっただろうに、帝国陸軍崩壊、公職追放とともに父親は無職の役立たずになってしまった。軍医の最高位はそもそも中将で、父の最終的な位は少将だった。戦場で「活躍」する軍人じゃないことで、子どもなりに周囲の人間にはガッカリされたようである。

 そして父は転勤が多かった。父の故郷の高知で生まれたが、2ヶ月で千葉県市川市に移り、続いて香川県善通寺、東京・小岩、また市川と引っ越し、5歳の時に朝鮮の京城(現ソウル)に移った。これでは「ふるさと」意識が生まれない。基本的に「標準語」で成長することになったが、次に小学校3年で青森県弘前に引っ越す。今度は津軽弁が理解出来なかったが、子どもだからいつの間にか慣れてしまった。母親はついに最後まで理解出来ずに、買い物の時は章太郎が「通訳」として付き添ったという。

 小学校5年の時に東京に戻って、今度は青山や目黒の方に住んだようである。東京市立第一中学校(現・九段中等教育学校)に入学した。靖国神社の隣にあって、その体験から名作短編『サアカスの馬』が生まれた。ところで、今度は身についてしまった津軽なまりがどうしても抜けずに級友にうとまれる。いじめられる以前に、言葉が理解されない。また皆の意識も青森県とは違っていて、先生は毎日宿題を出す。それが重大だという意識がなく、いつの間にか宿題もやらず、不登校の生徒になってしまった。

 まあ安岡章太郎の初期短編では、そんな感じに描かれているんだけど、どこまで本当かは疑問もある。それは別にして、親に付いてあっちこっちに行かされた子どもの「悲哀」は伝わってくる。多分誇張もあると思うし、自虐趣味というかことさらに自分を低く描いていると思う。安岡家はもともと高知県の「郷士」階級の出身で、いわば小地主である。長子相続の時代だから、次男の父親は都会の学校に行かされ仕事を探すしかなかった。そのため章太郎も何度失敗しても、親は高等教育を受けさせるのである。

 安岡章太郎が若い頃に勉学に励まず、放浪を繰り返すのは、当時の文学青年に多いことだけど、恐らく自分の生まれた階級に対する「滅びゆく」感覚があると思う。こういう風に自己を否定するような作品をたくさん書いた太宰治も地主階級だった。ロシア文学に出て来る「余計者」みたいな意識があるんだと思う。その分、自虐的、破滅的な言動が多くなる。慶応予科に何とか潜り込んだのも、永井荷風に憧れていたからである。そんな安岡が戦争を何とか生き延びたが、結核で戻る。父は無職になり、母の様子がおかしくなる。いつ生活が破綻するか、自分は一体何者なのか、そういう疑問が「文学」に向かわせたんだと思う。

 デビュー作『ガラスの靴』は清冽な抒情がみなぎる恋愛小説で、10年後に大江健三郎が、30年後に村上春樹が書いたとしてもおなしくない感じ。しかし、明らかに「占領下」でなければ成り立たない条件の恋愛なのである。その後の『悪い仲間』『質屋の女房』も戦前・戦中の青春を見事に定着させている。岩波文庫に『安岡章太郎短編集』(2023)が入り、その中には『走れトマホーク』など中期の作品もあって、全体像が見渡せる。ちょっとこれはという作品もあるが、すべて読みやすい。

 親があって自分があるわけで、いかに両親に左右されたかが初期作品に多い。作家的地位を確立すると、両親の家系を調べることに熱中した。そして最後は友人の遠藤周作を代父としてカトリックに入信した。「親」を自分で選び直したわけである。

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安岡章太郎の戦争小説、「弱兵」の視点ー安岡章太郎を読む①

2025年09月26日 21時45分18秒 | 本 (日本文学)

 安岡章太郎(1920~2013)という作家がいた。生前からそんな人気作家じゃなかったと思うけど、それなりに有名ではあり文庫にもたくさん入っていた。今回読んだのは、『安岡章太郎戦争小説集成』(中公文庫、2018)という本を持ってることを思い出したからである。「第一次戦後派」と呼ばれた梅崎春生を読んだので、続けて5歳年下の安岡章太郎も読んでみるかと思った。

 その後、畢生(ひっせい)の大作『流離譚』を40年以上前に買ったまま読んでなかったので、この際読んでしまおうと思った。なかなか苦労して何とか読み切ったけど、一ヶ月以上安岡章太郎を読んでいる。もういい加減飽きてきたが、勢いが付いた今読まないと読まずに終わるだろうから、頑張っている。重い本を持ち歩いて、それも裸眼で読んでるんだから我ながらエライ。

 安岡章太郎は戦後日本文学史では「第三の新人」と呼ばれている。文芸評論家山本健吉が映画『第三の男』にヒントを得て付けたと言われているが、今では定着している。戦争が終わってすぐに出て来た野間宏、椎名麟三、梅崎春生などが「第一次戦後派」で、青春時代を軍によって奪われた体験が原点にある。梅崎は違うが、政治的に左翼的だった人が多い。敗戦後5~6年ぐらいして評価された新人が「第二次戦後派」で、大岡昇平、堀田善衛、三島由紀夫、安部公房などで、政治的立場はバラバラ。

(安岡章太郎)

 それに対し、戦後10年程度して評価された新人作家を「第三の新人」と呼ぶわけである。大体、遠藤周作、吉行淳之介、安岡章太郎、阿川弘之、庄野潤三、小島信夫などが入るとされている。(三浦朱門、曽野綾子夫妻も入れることがある。)年齢的にギリギリ軍隊経験がある人もいる。第一次、第二次戦後派はヨーロッパ的な大長編小説を指向する人が多かったけど、第三の新人は「私小説」が多く、短編が評価された人が多いというけど、まあ人それぞれで結局それぞれの個性でずいぶん違っていった。

 この人々には右派はいるけど、左派がいないとは言える。しかし、戦争に直面する青春を送った世代だった。もう少しすると、石原慎太郎、開高健、大江健三郎が現れて、戦時下を少年として生きた世代が登場する。それに対し、「第三の新人」の多くは満州事変以後に成長して、過去のプロレタリア文学全盛時代を知らなかった。もう戦争に行って死ぬ運命にあるとしか思わずに大人になって、「弱兵」として右往左往するしかなかった。そのような無様な青春を文学に昇華するのに10年近く必要だった。

 『安岡章太郎戦争小説集成』だけど、巻末付録を除いて280ページほどの中で、180ページほどが『遁走』(1957)という長編で、他に5つの短編が入っている。「集成」というから、これで全部かと思ったら岩波文庫の『安岡章太郎短編集』を読んだら、他にもあった。それはともかく、安岡章太郎の「弱兵」ぶりは極めつきである。旧制高校の試験に何度も失敗し、20歳の徴兵検査の期限が来てしまうから、徴兵逃れの予備校に登録する。そして何とか1941年に慶応大学予科(定員割れしていた)にもぐりこんだが、1944年に学徒動員で陸軍に召集されたのである。そして、「満州国」の一番北部の孫呉というところに送られた。

 主人公の名は変えられているが、ほぼ安岡の実体験が基になってる。常に落伍兵で、何故か射撃だけ上手だったのだが、他には全くみじめなぐらいの兵隊生活である。もちろん「私刑」が横行するのは、日本軍すべてに共通する。体が軍隊を受け付けないのか、とにかく病気がちでほとんど「下痢」している。安岡文学は人間を下から見ていて、その徹底ぶりが凄い。日本の戦争小説は「敵」が出て来ないのが特徴で、この小説にも中国軍は出て来ず、上官が「敵」とも言える。「点と線」しか支配していない日本軍は、「ただそこにいる」のが自己目的化している。ただし、米軍に押される南方軍は別で、安岡の部隊も南方に送られて全滅した。

 それなのに安岡章太郎が生還出来たのは、部隊が移動するその日に病気で倒れてしまったのである。そのまま意識不明のまま病院に運ばれ、いろいろと回されたあげく、終戦直前に肺結核のため除隊、内地送還になったのである。そこまでの右往左往の軍隊生活は笑うに笑えない。『遁走』は一度は読んでおくべき小説だろう。安岡章太郎とはどんな人か、どういう青春を送っていたかなどは、次回に書くことにしたい。こういう小説を読んでいると、今日本中で安岡章太郎を読んでいる人なんているんだろうかと思う。没後10年以上経って、文庫本も数少ない。(さすが遠藤周作はほとんど残っているが。)まあ自分が読んだという証なので。

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『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』(ウェス・アンダーソン監督)を見る

2025年09月25日 21時42分16秒 |  〃  (新作外国映画)

 『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』という映画を見た。ウェス・アンダーソン監督の新作だが、この映画は面白いんだろうか? そんなこと言うなら書かかなくてもいいんだろうけど、この監督にはそんな作品が多い。今までもうっかり書きそびれた映画がある。『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』(2021)という長い名前の不思議な映画も、どうとらえて良いか決めかねて、書く機会を失った。前作『アステロイド・シティ』は書いたから、今度の映画も紹介ておきたい。

 ウェス・アンダーソン(1969~)は自分で脚本を書き、製作も担当するアメリカでは珍しい作家性の強い映画監督である。アメリカでもそういう映画作家が増えてきたけど、僕の見るところポール・トーマス・アンダーソンが一番当たりが良く、ジム・ジャームッシュクエンティン・タランティーノは傑作も多いけど結構外す。そしてウェス・アンダーソンはストライクゾーンを外れる変化球が多いのだが、何か不思議な魅力があってまた見たくなるのである。今回の映画も同じで、不思議な世界に魅せられる。

 いつも何だろうという題名だが、今回も意味不明。ザ・ザ・コルダベニチオ・デル・トロ)は人名である。冷酷で知られる世界的富豪で、常に暗殺の危険にさらされている。1950年のフェニキアである。古代にあった国ではなく、どこかにある架空の国。今回も飛行機に爆弾が仕掛けられ、ついに死亡という報道が世界に流れるが、トウモロコシ畑に墜落して辛くも一命を取り留めた。こうなると死後のことも考えざるを得なくなり、修道院に入れたままの娘リーズルミア・スレアプレトン)を呼び寄せて後継に指名する。リーズルの下に9人の男子がいるのに何故? 彼のすべての妻は彼が殺害したと噂されていて、父を信じて良いのか?

(ザ・ザ・コルダとリーズル)

 ザ・ザ・コルダは「フェニキア計画」(The Phoenician Scheme)という祖国の大開発を進めようとしていて、その資金を求めて旅に出る。世界各国は彼を敵視し、スパイを送り込んでいる。そんな彼がいつもの「ウェス・アンダーソン」組というべきトム・ハンクススカーレット・ヨハンソンマチュー・アマルリックなどを訪ねて行くが、最後の最後に最強の敵である異母弟ヌバル(ベネディクト・カンバーバッチ)が現れる。彼こそリーズルの出生の謎と母親の死の秘密を知る男でもあるらしい。その間に様々なエピソードが語られ短編集というかオムニバスみたいな作りもいつもと同じ。だから何だかストーリーが把握しにくい。

(館での食事)

 いつものように凝りに凝った人工的映像美は見事。彼は大自然ではなく、独自の美意識で作り上げた町や家を映し出す。今回も昔風の邸宅に実際にルノワールなどの名画を並べて撮影したという。そこが演劇や文学ではなく、映像作家であり続ける理由なんだと思う。『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)が一番成功していると思うけど、今回も謎の館に住む謎の富豪という設定が似ている。そこが自分でも表現しにくい魅力なのである。しかし、今回は人間関係が複雑すぎて、やはり失敗作なんじゃないのか。魅力があって書き始めたんだけど、書いてるうちにやっぱりそんな気がしてきた。昨年のカンヌ映画祭では無冠だった。

 最近真利子哲也監督、西島秀俊グイ・ルンメイ主演の『ディア・ストレンジャー』というのを見て、あまりにニューヨークの風景が暗く寂しいので、ここでは書かなかった。『宮本から君へ』以来6年ぶり真利子監督作品。確かに成功してないような気がしたが、今回のウェス・アンダーソン作品とは「暴力」をテーマにすることで共通する。「家族」を再発見していくことでも共通する。ただ真利子作品はヒリヒリするような犯罪映画。一方、『ザ・ザ・コルダのフェニキア計画』はあくまでも人工的な設定なので、作品中にぶっ飛んだ展開が相次いでも怖くはない。そこが違うけど、あまりにも趣味的に凝り過ぎかもしれない。

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『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』、魅惑の全貌に迫る

2025年09月24日 21時41分38秒 |  〃  (新作外国映画)

 『ミシェル・ルグラン 世界を変えた映画音楽家』という映画が公開された。「世界を変えた」は言い過ぎだけど、数々の魅惑のサウンドで世界を魅了した作曲家、ミシェル・ルグラン(1932~2019)の全貌に迫ったドキュメンタリー映画である。ちょっと前にイタリアのエンニオ・モリコーネを扱った映画を紹介したので、ミシェル・ルグランの映画も書いておきたい。

 エンニオ・モリコーネは米国アカデミー賞に5回ノミネートされるも受賞せず、先に名誉賞を受けた後になって、2015年に6回目のノミネート『ヘイトフル・エイト』でやっと受賞した。それに対し、ミシェル・ルグランはまず『シェルブールの雨傘』で作曲賞、編曲賞、歌曲賞の3部門に一人でノミネートされて世界に名をとどろかせた。それをきっかけにハリウッドでも仕事をするようになり、『華麗なる賭け』(1971、「愛のささやき」)で歌曲賞、『おもいでの夏』(1971)、『愛のイエントル』(1983)で作曲賞とアカデミー賞を3度も受賞している。そのぐらい世界では有名だったのである。

 しかし、アメリカでの仕事によって「うつ病」を発症し、長く苦しんだようである。結局フランスに帰って治療して復帰出来たのである。もともとクラシックの勉強を積み、ジャズに出会ってまずジャズ・ピアニストになった。マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンと共演したというから凄い。映画音楽を手掛けるようになったのは、フランスで同世代の若い監督たちによる「ヌーヴェルヴァーグ」が始まったことが大きい。特にゴダール女と男のいる舗道』で映画が判ったと語っている。

(『シェルブールの雨傘』)

 しかし何と言っても、ルグランと言えばジャック・ドゥミとの仕事を思い出す。1964年のカンヌ映画祭グランプリ(最高賞)を獲得した『シェルブールの雨傘』は映画史上の発明だった。ハリウッド製のミュージカルでは、俳優は普通にセリフをしゃべっていて時々歌って踊り出す。(インド映画も同じ。)それに対し、この映画ではすべてのセリフが音楽になっている。そんな映画はそれまでなかった。(もちろん同時代的に知っているわけじゃなく、映画史的知識だけど。)20歳のカトリーヌ・ドヌーヴが16歳の傘屋の娘で、恋人がアルジェリア戦争に行ってしまう。そこにかぶさる哀切な音楽が心にしみ通る。聞けば判る人が多いはず。

 続いて『ロシュフォールの恋人たち』(1967)、『ロバと王女』(1970)とドゥミ監督との協同作業が見事な成果となった。この3作はこの映画の公開を記念して参考上映されている。しかし、僕にはアメリカ映画『おもいでの夏』が忘れられない。年上の女性への少年の憧れにこれほど抒情的に寄り添ったメロディもないだろう。数年前に見直したら、案外「悪ガキ映画」だったのに驚いたけど。そしてバーブラ・ストライサンド監督・主演『愛のイエントル』(1983)が代表作と言われている。そんな映画あったっけ?

(晩年)

 晩年になってオーケストラを指揮して、世界を回るようになった。その様子が幾つもの映像に残されているが、なかなか完璧主義者で口うるさい老人である。しかし、その指揮ぶりが見事なので、皆が心服してしまう。またピアノを弾かせると、年齢を超えた演奏を披露してさすがに天才だと思う。日本にも何度も来ていたことが映像にも出てくるが、一度も行ったことがないというか、そんなコンサートを覚えてない。高かったのかもしれないけど、一度行っておきたかった。全世界で満員だったという。

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アメリカ、急速に進む「全体主義」ーカーク氏暗殺事件後の情勢

2025年09月23日 21時37分37秒 |  〃  (国際問題)

 2025年9月10日に、アメリカで起きた「保守派活動家チャーリー・カーク氏の暗殺事件をきっかけにして、アメリカの「分断」が今までにもまして激しくなっている。トランプ大統領の独断的主張は今までにも見られたが、その「独裁」「独断」はますます進んでいるように思われる。それをどう理解し判断するかはまだ歴史の渦中にあるので全体像が見えない。一応「全体主義」と書いたけれど、多分もっと違う新しい概念が必要なんじゃないかと思う。自分にはまだはっきり判っていないけど。

(左派を一方的に批判するトランプ大統領)

 僕はチャーリー・カーク氏の名を知らなかったけれど、銃撃事件の3日前には日本で参政党の集会に参加していたとか。参政党の神谷代表はドイツの「ドイツのための選択肢」共同代表と8月に会談している。このようにトランプ政権を枢軸として、世界の「極右政党」が結びついているらしいのである。最近佐原徹哉氏(明治大学教授)の『極右インターナショナリズムの時代』という本が評判になっているが、今までの右翼=ナショナリズムという時代は終わって、今や各国に「極右インター支部」が作られていると理解すべきなのかもしれない。(佐原氏の本は高価なので、まだ読む機会がないのだけれど。)

 カーク氏は民間人であるにも関わらず、トランプ大統領は連邦機関に半旗を掲げるように命じ、カーク氏に大統領自由勲章を授与した。9月21日に行われた追悼式典には正副大統領の他、ルビオ国務長官、ヘグセス「戦争省」長官など主要閣僚が参列し、ほぼ国葬なみの扱いである。そこでトランプ大統領は「敵を憎む」と語り「暴力の大部分は左派によるものだ」と決めつけた。

 しかし、6月14日にはミネソタ州メリッサ・ホートマン州下院議員(と夫)が銃撃され死亡する事件が起きている。同一人物によって州上院議員(と妻)も銃撃されたが一命を取り留めた。犯人は射殺されたが、車から中絶医療の提供者や人工妊娠中絶の支持者、ミネソタ州や他州の議員など70人ほどの「殺害リスト」が発見された。従って、この事件は右派によって起こされたと判断出来るが、この事件に対してトランプ氏はティム・ウォルズ知事に対して「時間のムダ」として電話すらしなかった。2025年にアメリカで起きた最悪の政治的殺人は、常識的に考えて州議会の上下議員が襲撃されたこの事件のはずである。

(銃撃されたホートマン議員)

 もちろん政治的立場に限らず、また政治的であるかに関わらず、あらゆる「殺人」は否定されなければならない。だからチャーリー・カーク氏の殺害も非難されるべきなのは当然だ。しかし、アメリカで起きている政治的殺人は「銃規制の必要性」を示している。カーク氏は2022年に「残念ながら、毎年銃による多少の死者が出るというコストは生じるが、それでも神から与えられた(武器所持の権利を認める)憲法修正第2条を保持する価値はある」と語っていた(Wikipediaによる)。憲法は神ではなく人間がつくるものだ。「銃による多少の死者」こそ、「(神に与えられた)生命を人間の決めたルールで奪うもの」だと考えるべきではないか。

 トランプ政権はカーク氏殺害事件をほとんど「ナチス・ドイツの国会議事堂放火事件」のように利用している。だからトランプ氏は事前に事件発生を知っていたのかと一瞬考えてしまったぐらいだが、それはないようだ。(しかし、報道機関や警察発表以前に、トランプ大統領がXに投稿したのは事実である。)僕はこれほど正確な一発の銃撃がシロウトに可能なのかと疑問だったが、ユタ州では幼い頃から銃に親しむのが通常だという。容疑者も親は共和党支持の家庭だそうだから、約200m離れたところから銃撃することも不可能じゃないのかと思う。それにしてもただの若者がこんな殺傷力の強い銃を合法的に所持できるのは異常である。

(2022年5月1日、カーク氏とヴァンス現副大統領)

 今回の事件を通して、僕はJ・D・ヴァンス副大統領トランプ大統領の後継になる可能性が非常に高くなったと考えている。カーク氏は24年選挙戦以前からヴァンス氏の知人であり、トランプ陣営に結びつけた人だったらしい。事件後、カーク氏の遺体は副大統領専用機で運ばれた。一貫してカーク氏につきそい、カーク氏「聖人」化に大きく貢献している。トランプ陣営内で存在感を発揮していて、このままではルビオ国務長官などを抑えて、またトランプ氏が掟破りの三選など考えることなく、ヴァンス氏が大統領に昇格する流れが作られていくのではないか。とにかくアメリカとトランプ政権の行方には目が離せない。

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『お葬式』『タンポポ』ー伊丹十三監督の映画②

2025年09月22日 21時46分53秒 |  〃  (旧作日本映画)

 池袋の新文芸坐で伊丹十三監督作品を上映する企画第2弾。今回は1作目の『お葬式』(1984)と2作目の『タンポポ』を見た。個性的な脇役であり、エッセイストとしても知られた伊丹十三が、突然脚本を書いて自ら監督に乗り出した。それが葬式の映画だというので、誰もが当たらないと踏んで資金に苦労した。結局ATG(アートシアター)で映画化されたが、面白いと評判を呼んで大ヒット、結果的に親会社の東宝が洋画系劇場で拡大公開した。それまでの日本映画にはなかった知的な風刺コメディと評価され、キネマ旬報ベストワン日本アカデミー賞最優秀賞になったわけである。僕も当時見て素晴らしく面白い映画だと感嘆した記憶がある。

 俳優井上侘助(わびすけ=山崎努)と雨宮千鶴子(宮本信子)夫妻がCM撮影で共演していると電話があって、千鶴子の父が急死したという。三河生まれの父だったが、今は夫婦で侘助の別荘に住んでいた。そこで地域にも馴染んでいるから、葬儀も行いたいという。そのため義理の父だが侘助が葬儀の実務にも関わらざるを得なくなる。と言っても夫妻にはマネージャー(財津一郎)がいて何かと手助けするわけだが。そこに三河に住む実兄(大滝秀治)が現れ、何かとうるさく口をはさんでくる。一方、葬儀の具体的手順は葬儀社の海老原(江戸屋猫八)が仕切っていく。母親(菅井きん)は悲しむ余裕もなく、周囲に配慮している。

(葬儀を終えて、山崎努と宮本信子)

 10年ぐらい前にフィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)で見たので、今回で3回目。侘助の愛人が現れたり、親戚や地域の人間関係など人間観察が深い。ただ今見ると不必要なギャグ(家に向かうときのドライブ、突風で香典のお札が飛んで行くなど)が多い気がする。実際に妻・宮本信子の父が亡くなったときの体験が元になっているという。自分が中心となって行う葬儀は両親の場合だろう。僕がこの映画を最初に見たときは、まだ30代で両親とも健在だった。葬儀の裏事情など何も知らず、こういうことになってるんだ的な面白さもあったように思う。今は両親の葬式も終わってるので、葬儀知識的な意味では知ってることばかりである。

 それでも映画『お葬式』が今も価値があるのは、ラスト近くの菅井きん一世一代の大演説があるからだ。ここが泣かせるのである。冒頭で父親は「10代、20代の妾が欲しい」とか妄言を吐いていたけど、母親にはそれなりの思いがあった。今は亡き名優が多数出ているが、中でも大滝秀治は怪演としか言えない存在感を発揮している。三河では実業家として知られているが、親戚の尾藤イサオは顔も見たくないと言う。出棺時に皆の写真を撮りたがるところなど見事な演出。しかし、『Wの悲劇』(澤井信一郎)、『瀬戸内少年野球団』(篠田正浩)、『麻雀放浪記』(和田誠)、『風の谷のナウシカ』(宮崎駿)等を越えていたかは今では疑問だろう。

 『タンポポ』(1985)は「ラーメン・ウェスタン」(マカロニ・ウエスタンならぬ)という怪作。カウボーイ・ハットを常に被っているトラック運転手山崎努が、いじめられている子どもを助ける。夫の死後に宮本信子が一人でやってるラーメン屋の子で、食べてみると味に満足できない。宮本信子にしつこく言い寄る男たちが陣取っていて、大げんかになる。宮本信子は山崎努に好意を持ち、自分のラーメン屋を建て直す手助けを頼む。まあ要するに『シェーン』だなとこの辺りで気付くが、日本映画にかつてないグルメ映画で、見た時はよく評価出来なかった。今になると、美味しいレストランのドキュメンタリー映画など無数にあるけれど。

 いま一つ理解出来ないのが、メイン・ストーリーと別に時々挿入される「食」に関するエッセイ的シーンである。特に若き役所広司黒田福美が演じる「白服の男」の挿話は印象的だけど意味不明。その他、岡田茉莉子、藤田敏八、津川雅彦と原泉、中村伸郎、井川比佐志と三田和代などが出てきて面白いけど、映画全体の構成的には何だろうというシーンが長い。しかし、それを取ってしまって、ラーメン屋再建だけにすれば良いのかと言えば、それも疑問。『タンポポ』というのは、何と宮本信子の名前という設定で、店の名前を来々軒から「タンポポ」に変えるのである。しかし、タンポポなんて名前の女性なんているか?

(宮本信子と山崎努)

 それ以上に問題なのは、結局「スープの味が良くなった」とセリフで言われても、映像ではそれが通じないという本質的問題である。様々な修行をし、スープの出汁の取り方を工夫し、麺の食感も試行錯誤し…、もちろん美味しそうなんだけど、それ以前とどう変わったかは映像では表現が難しい。だから、映像に凝っているように見えて、セリフ頼みになってしまう。その後、この映画はアメリカでカルト・ムーヴィーとなったようだが、そのような怪作的魅力を感じないわけじゃないけど、日本文化の文脈ではやはり「魅力的な失敗作」になると思う。融通無碍な伊丹エッセイの魅力にある種一番近い映画が『タンポポ』なのかもしれない。

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自民党総裁選、誰がなっても「連立拡大」に向かう

2025年09月21日 21時15分23秒 | 政治

 石破首相の辞意表明に伴う自民党総裁選がいよいよ9月22日に告示される。10月4日投開票で、この間は政治ニュースはこればかりになるだろう。しかし、僕はあまり関心がないのである。選ばれた人は「ほぼ確実に次の内閣総理大臣に指名される。与党が衆参両院で過半数を割り込んでいるが、野党がまとまることはあり得ないので、2024年の石破首相選出と同様のプロセスをたどって新総裁が新首相になるんだろう。しかし、それは永遠に決められていることではない。数年後には自民党総裁は「野党第一党党首」の意味になっているかもしれない。早すぎると言われつつも小泉進次郎氏が今回また出馬するのも、そのためだろう。

 立候補予定者として伝えられているのは、いずれも2024年総裁選に出た人ばかりである。昨年の得票順で、高市早苗小泉進次郎林芳正小林鷹之茂木敏充の5氏である。去年の総裁選は過去最高の9人が立候補した。だから今回4人が出ないわけで、その一人はもちろん石破茂首相だが、他の3人は誰かというのはちょっとした記憶力テストかもしれない。上川陽子河野太郎加藤勝信の3人で、昨年の総裁選で下位だった。河野、加藤両氏は小泉氏を支持するらしい。昨年は衆参合わせて367人の議員票があったが、今回は295人になった。70人以上減ってしまったのである。同数の295票を党員票に割り当て、計590票で争うことになる。

 今回あまり関心がないというか、そもそも自民党員じゃないから自民党のトップを決める選挙にあまり意気込む理由がないのだが、特に今回は「誰がなっても変わりない」のである。いや、高市氏と小泉氏では大きく違うだろうというかもしれない。しかし、その違いは限りなく抑える選挙戦になるだろう。突出した政見を掲げて当選しても、衆参で過半数がない以上実現可能性がない。むしろ「野党受けを競う」選挙になりそうで、高市氏の政策も野党が望む経済対策がいっぱい入っている。去年は防災庁は不要と言ってた小林鷹之氏も「準備が進んでいるから今回は反対しない」ということらしく、これじゃ論戦にならないじゃないか。

 経済対策も野党の協力がないと国会を通らないから、自民党総裁選で議論する意味が少ない。むしろ「裏金議員の起用」など党内向けの国民無視の議論が多くなるかもしれない。河野太郎氏は今回立候補しない理由として「小泉進次郎氏は解党的出直しを主張しているが、私がやると本当に解党になりかねないので、今回は小泉氏を支持する」と言っていた。つまり「解党的出直し」というのは「党内融和」と同義語で、「党を大きく分断するようなテーマは取り上げない」ということなのである。

 誰がなっても「連立枠組拡大」を追求することになるだろう。それは「日本維新の会」の可能性が高いと取り沙汰されている。僕もそうなんだろうと思う。そもそも「維新」は大阪の自民党から分裂したわけで、政策的には整合性が高い。維新幹部からも連立容認論が出ている。問題は「選挙区調整」で、連立与党が同じ選挙区で競合するのはおかしいから、「与党統一候補」を立てるのが常識だろう。その点、維新勢力は大阪府に特化していて、要するに「大阪府を維新に割譲する」と決めてしまえば良いのである。

 大阪以外の小選挙区で維新が当選しているのは、京都の前原誠司と滋賀(斉藤アレックス)、広島(空本誠喜)、福岡(村上智信)だけなので、調整はそんなに難しくないと思う。むしろ問題は公明党の反発だろう。24年衆院選では維新が大阪全区に擁立して、公明党が確保していた4人が落選してしまった。長らく「大阪都構想」実現のため、公明党の協力を得るため公明党議員がいる選挙区には維新の候補を立てなかった。府市ともに維新が過半数を確保したことで、公明への配慮を捨ててしまったので、公明党の反発は相当に深いと思わないといけない。その問題はあるが、国民民主党よりは連立交渉は楽だろう。

 まあ、それはともかく、このような「政局解説」記事は賞味期限が短いから、もう止めようかと思った。過去の自民党総裁選なんて、今さら関心がある人もないだろうから、今回ブログ引っ越しに際してほとんど削除してしまった。今回も10月4日に結果が出てしまうと意味がなくなるけど、書くから調べることになる。今回の党員票が295票って、マスコミ報道で聞いていたけど、覚えてなかった。書く必要上調べたので、これで覚えていると思う。書くことで考えをまとめる機会になるから、やはり時々書いて行きたい。なお、石破政権論も書くつもりだったけど、長くなったのでここで止めておきたい。

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貝掛温泉(新潟県)で猛暑疲れを癒やす

2025年09月19日 21時31分54秒 |  〃 (温泉)

 あまりの猛暑続きで、多くの人が疲れが溜まってるはず。僕は今年の夏をブログ整理で費やしてしまったが、そろそろ温泉に行くべき時だ。それも高温の湯じゃなくて、じっくり浸かれる「ぬる湯」が良いなと思う。去年行った栃尾又温泉自在館はすごく良かったけれど、同じ所にまた行くのもなんだから、同じ新潟県にある貝掛温泉にした。読み方は濁らずに「かいかけ」である。「日本秘湯を守る会」会員で、あちこちに秘湯の会提灯が下がってる。上越新幹線越後湯沢駅からバスで25分くらい、バス停から少しあるので送迎を頼んだ。越後湯沢駅から南西方向、苗場プリンスホテル行のバスで、かぐらみつまたスキー場を過ぎた辺りである。

            

 最近は自宅から遠い時は電車で行って、現地で車を借りたりしている。しかし、今回は駅からの距離が近いし、次の日にどこか遊びに行く計画がない(結構行ってるし、雨予報だし…)ので、今回はバスで。テレビの旅番組を見てると、地方の路線バスがどんどん減ってるから、乗って支える必要もある。この路線もバスが減ってしまって、13時10分発を逃すと、次は15時30分になってしまうという。そこで家を9時頃に出て、11時半に越後湯沢に着いた。これも次の新幹線だと駅でお昼を食べる時間が厳しいのである。バス停から送迎車は急坂をどんどん下がる。恐ろしいほど細い橋をギリギリで渡っていくと、山深き国立公園内だった。

    

 建物は庄屋作りで、館内も昔風の作りになっている。昔風の電話もあって、両替機があるから今も使えるんじゃないか。昔の写真も飾ってあるし、あちこちに「秘湯の会」ちょうちんがあって、秘湯ムードが高まる。上記画像の最後はビョークの色紙。貝掛温泉は「目の温泉」として有名で、日本三大目の湯だそうである。(他は福島県の微温湯温泉、箱根の姥子温泉。)ビョークは映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で目が悪い役をやってたから、つい思い出してしまう。まあ(近くでやってる)フジロックフェスティバルに何度も来てるから、その時に誰かが連れてきたんだろう。14時前には宿に入って、すぐにお風呂に行く。

 

 1枚目向こう側が源泉風呂で、37度ぐらいのぬる湯。手前に加温した風呂もある。露天風呂の奥に源泉小屋があるとのことだが、雨が強くて早々に引き上げた。ここのお湯は、ひたすら源泉のぬる湯に浸かるのが作法である。また源泉を眼に当てて洗うと白内障、ドライアイ、眼底出血などに効くという。目をつむって湯に浸かっている老人がいる。頑張って自分も30分以上入っている。いつまでも入れる気がする。体中に気泡が付く珍しいお湯だ。木枕に寝てると浮力が凄い。ナトリウム・カルシウム・塩化物泉で、ヌルい湯に入っていると段々体が温かくなってくる。夜も朝も30分以上入ったから全部で2時間近くお湯に浸かったことになる。

  

 4時前には部屋に戻って、じっくり大相撲を見てから夕食へ。新潟の宿はコメが美味しいし、お酒も良い。日本海の魚も来る。首都圏にいたら秋は新潟の温泉で静養するのがオススメ。ゴマとスリコギが置いてあって、まずゴマすり。そこに玄米がゆをよそう。(写真2枚目)その奥にあるのが、湯沢にある白瀧酒造の「湊屋藤助」で、「上善如水」(じょうぜんみずのごとし)で知られる白滝酒造の初代の名前だそうで、ちょっと上のブランド。さすがにおいしいお酒だった。3枚目はデザートで、「コシヒカリのアイスクリーム」。何と浪花屋のカキの種が上に乗ってる。中には米粒が入っている。まあ、どうかと思ったけど。

  

 昔、苗場山に登ったこともあった。山頂が平で湿原になっているという珍しい山である。上信越高原国立公園に指定されている地区で、駅からそんなに遠くないのに山中の一軒宿だった。温泉力は栃尾又の方が強いような気もしたが、ここは最近「名秘湯」として非常に知られてきている。まあ特に眼病もないので、今まで行ってなかったけど、温泉ファンなら誰でも知ってるような宿である。ホントは新米が安ければ買いたかったが、時期的にまだ早かったらしい。でも涼しい環境で、じっくり湯に浸かり、ゆっくり寝る。まあ今夏の猛暑は度外れだったから連泊したかったなと思った。そして早めに帰って、これを書いてる。

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追悼・ロバート・レッドフォード、大スターから名監督へ

2025年09月17日 21時12分07秒 | 追悼

 (2025年9月17日の)朝刊を見たら、ロバート・レッドフォードが亡くなったと出ていて驚いた。9月16日没、89歳。年齢を考えると訃報は驚きではない。僕が驚いたのは、昨夜来スマホやパソコン、テレビなどを何度も見ていたのに、どこにも報じられていなかったことである。まあアメリカ映画の大スターだったのは70年代、80年代頃のことだから、現役(まあ4、50代ぐらい)の人には心に響くニュースじゃなかったんだろう。しかし、ロバート・レッドフォードは単なる人気スターではなかった。

 1936年生まれで、最初は野球選手を目指していたそうである。コロラド大の特待生だったが、飲酒が見つかって特待資格を失い退学したとWikipediaに出ている。その後ヨーロッパを放浪したりした後で舞台美術を目指し、その後俳優に転向した。舞台や映画の端役でくすぶっていたが、1969年にジョージ・ロイ・ヒル監督『明日に向かって撃て!』のサンダンス・キッド役でブレイクした。スティーヴ・マックイーンとポール・ニューマンで映画化の予定が、マックイーンの都合が悪くなって無名のレッドフォードに回ってきたのである。数年前にポール・ニューマン特集で見直したが、今もなお魅力的な傑作だった。

 それでスターとなって、以後70年代に話題作に相次いで出演した。1973年の『スティング』は『明日に向かって撃て!』と同じジョージ・ロイ・ヒル監督、ポール・ニューマンとのコンビで作られた史上最高の詐欺映画だ。ものすごく面白い映画だが、最近見直したら昔の(詐欺)技術は低かったなあと驚いた。レッドフォードはこの映画でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。何と人生でただ一回の男優賞ノミネートで、結局レッドフォードは演技部門ではアカデミー賞を取れなかったのである。

(『スティング』)

 アメリカの主演男優は、昔から大きく「マッチョ」と「知性派」と「優男」に分れる。もちろん主演者はいくつかの複合要素が必要だけど、しかし、売り方としてはどれかが強調される。ロバート・レッドフォードは、犯罪者を演じても「善玉」を演じる「優男」系で、知的な役も出来るタイプだった。複雑な陰影を持つ演技派向きの役が回ってこなかったのである。70~80年代のアメリカ映画ではダスティン・ホフマンジャック・ニコルソンロバート・デ・ニーロなど極めつけの演技派が活躍していて、素直な善玉のロバート・レッドフォードには不利だったのだ。だけど、70年代のロバート・レッドフォードは最高だったと思う。

(『華麗なるギャツビー』)(『大統領の陰謀』)

 フィッツジェラルドの映画化『華麗なるギャツビー』(1975)は、その空疎な大富豪役がまさにはまり役。『大統領の陰謀』(1976)はニクソン大統領時代のウォーターゲート事件を描く政治ドラマ。ボブ・ウッドワード記者の役をやって、見事だったと記憶する。これらの演技は、50年代だったら少なくともオスカーにノミネートされたと思う。ヴェトナム戦争以後、アメリカでは影のある人物か実在人物そっくりさんが名演技として称賛される時代になったのである。でもロイ・ヒル監督とのコンビの『華麗なるヒコーキ野郎』なんか最高だった。『ナチュラル』『愛と哀しみの果て』なども面白かったし、『追憶』も心に響いた。

(監督作『リバー・ランズ・スルー・イット』)

 演技賞に恵まれなかったレッドフォードだが、何とアカデミー賞監督賞を受賞している。それも監督第一作の『普通の人々』(1980)で取ってしまった。これがまた傷つき傷つけ合う暗い家族崩壊の悲劇で、名作だけど見るのが辛いような映画だった。陰影のないような役ばかり演じてきたレッドフォードだが、本人は陰影だらけのような映画を作りたかったのである。そして自分は出演せずに演出に専念して高く評価された。(アカデミー作品賞も受けている。)その後も折に触れて監督をしていて、『リバー・ランズ・スルー・イット』(1992)、『クイズ・ショウ』(1994)、『モンタナの風に吹かれて』(1998)などは名作だ。

 もう一つ、ロバート・レッドフォードはアメリカ映画界に計り知れない貢献をしている。それはユタ州で行われるサンダンス映画祭の主催である。自分の出世作の役名から取った映画祭で、インディペント映画を対象にしている。そのため大資本ではない、作家性の強い映画がアメリカでも作られるようになった。タランティーノ、ジャームッシュ、ポール・トーマス・アンダーソン、デイミアン・チャゼル…アメリカ映画の中心はいま、サンダンス出身者で占められている。近年では韓国移民の物語『ミナリ』やアカデミー作品賞を取った『コーダ あいのうた』もここでグランプリを取って知られていった。

 政治的には完全にリベラルで、民主党支持をはっきりさせていた。性的マイノリティや先住民の権利などに発言するとともに、ユタ州の牧場に住んで環境活動家としても知られていた。『明日に向かって撃て!』『スティング』の共演者ポール・ニューマンも同じ政治的立場だったが、レッドフォードにはサンダンス映画祭主催でもわかるように、一俳優を越えて活動する指向が強かった。アメリカではリベラルなロマンティック・ヒーローが存在した時代の終わりを象徴する訃報として報道されているようだ。

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映画『遠い山なみの光』、カズオ・イシグロ原作の見事な映画化

2025年09月16日 22時00分39秒 | 映画 (新作日本映画)

 2017年ノーベル文学賞受賞者のカズオ・イシグロのデビュー作、『遠い山なみの光』(A Pale View of Hills)が公開された。一応第一週の興収ランキングは8位に入ったけれど、二週目にはもうランク外になってしまった。石川慶監督は『蜜蜂遠雷』『ある男』で物語性豊かな見事な達成を示した。その再現を期待して見た人も多いと思うが、今回は一見して理解しにくく、謎めいている。宣伝では広瀬すず二階堂ふみ吉田羊共演の女性映画みたいに言っているけど、見てみるとそれはちょっと違った。少し「純文学」的すぎるところが敬遠されているのかと思うが、僕はこれはこれで見事な映画化で石川慶監督の力量を見る思いがした。

 1950年代初期の長崎。つまり原爆投下数年後ということは説明されないけれど、見る時の前提になる。町中の映画館に『生きる』と『サンセット大通り』のポスターがある。黒澤明監督の『生きる』は1952年10月公開、ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』は1951年10月公開だけど、まあ細かい違いにこだわる必要もないだろう。『生きる』は2022年にカズオ・イシグロ自身の脚色によってイギリスでリメイクされたばかりだから、監督から原作者へのオマージュかもしれない。

(広瀬すず=緒方悦子)

 長崎に住む緒方悦子広瀬すず)は団地に住んでいて夫の子を妊娠中。外を見ていじめられている女の子を見つけて助けに行く。それが万里子で、バラックに住んでいる母の佐知子二階堂ふみ)と知り合う。万里子は人となじまない子で、佐知子も苦労している。佐知子は米国人フランクとともにアメリカへ行くんだと語り、女も自分の意思で生きていかなければと言う。悦子は佐知子、万里子と一緒に出かけることで、新しい自分を見つけていく、という過去の物語が描かれるんだけど…。

(二階堂ふみ=佐知子)

 ところで、その悦子の物語は実は約30年後のイギリスで語られている。30年後の悦子吉田羊)は結婚してイギリスに渡り、英国人の夫との間にニキ(カミラ・アイコ)が生まれた。ニキは異父姉景子の死後、ほとんど家に立ち寄らなくなった。父もすでに亡く、悦子は一人には広すぎる家を売り払おうと思っている。ニキは大学を中退してジャーナリストを目指している。グリーナムコモン基地への核兵器配備に反対する女たちの抗議運動(81年末に始まり、82年、83年に最高潮を迎えた)を取材してまとめたばかり。次に被爆した長崎からイギリスに来た母・悦子の「自分史」を取材したいと思ったのである。

(吉田羊=30年後の悦子)

 吉田羊(30年後の悦子)はイギリスで子育てをした役だから、英語のセリフだけという難役を見事にこなしている。その悦子から見た「悦子と佐知子のシスターフッド」を描く物語のように見えて、ニキは母の語りに不自然なものを感じる。そこで「映画ならでは」の工夫で、真相らしきものが示唆されるが、映画は(確か原作も)答えを出さない。生きている二人の女の苦難を語るように見えているが、実は物語の深層には「死者」、亡くなったニキの姉景子と長崎で被爆死した多くの人々が隠されている。チラシに出ているような人気女優の物語ではないのである。そこがちょっと理解しづらいところで、一般受けしにくいのだろう。

(石川慶監督)

 原作者カズオ・イシグロは今回の映画でエグゼクティブプロデューサーを務めているので、映画の解釈は公認のものかと思う。カズオ・イシグロ(1954~)は、1960年まで長崎に住んでいて1960年に父の仕事でイギリスに移り住んだ。幼いときの思い出は消えないだろうが、何しろ6歳までだった。自己形成はイギリスでなされ、ずっと英語で小説を書いている。1作目『遠い山なみの光』と2作目『浮世の画家』が日本を舞台にしているのは、やはり心の奥にある日本の記憶を書きたかったんだろう。ただ本人も認めているように、この2作の日本は全くの想像で創作されたもので、日本人からすればリアリティに欠けていると思う。

 イシグロの小説は2011年に、それまでに書かれた6冊の長編と短編集を読んだ。その時は『女たちの遠い夏』と題してちくま文庫から出ていた原作を読んだ。記事も書いているので読み直してみたら、この作品には★★★の評価をしていた。ブレイク作である3作目の『日の名残り』と6作目の『わたしを離さないで』が★4つである。つまり、デビュー作としてはそれなりの出来と評価したと思うんだけど、詳しい内容はすっかり忘れてしまった。映画を見て、こういう構造だったのかと初めて気付いた。

 石川慶監督(1977~)はポーランドのウッチ映画大学に留学という珍しい経歴を持っている。今までもポーランドの映画人と協力して作って来たが、今回も日本、イギリス、ポーランドの合作になっている。日本映画に分類されるけど、一番最初に東宝や松竹のマークが出てくる映画じゃない。撮影も音楽のポーランドの人で、言語的にも半分は英語。過去の長崎のシーンはセットなので、ロケされたイギリス(ロンドン郊外)の美しさが目に映える。美しい映像と見事に構成されたセリフ、明らかに力作だけど、ヨーロッパ映画だと思って見た方がいいと思う。広瀬すずと二階堂ふみが日本語で語り合うが、それは空想上の日本なのだ。

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ICC(国際刑事裁判所)にノーベル平和賞を!

2025年09月14日 20時23分33秒 |  〃  (国際問題)

 13日に世界陸上(2025年世界陸上競技選手権大会、2025 World Athletics Championships)が開会し、14日は大相撲秋場所が開幕。いつの間にか、9月も半ばじゃないか。2025年も残り3ヶ月半になっている。ここ最近毎年そうなんだけど、6月ぐらいから暑くて猛暑、猛暑と呆れつつ3ヶ月ぐらい「真夏」が続き、少し涼しくなったとホッとすると一年も終わりが近いと驚く。

 ということで、10月第1週の「ノーベル賞ウィーク」も近くなってきた。ノーベル賞有力な日本人なんてマスコミが騒ぐ季節がやってきた。2025年は(例年通りなら)10月6日(月)に始まる一週間に毎日受賞者が発表されるはずだ。最初の3日間が物理学化学生理学・医学の自然科学系3賞(順番は毎年異なる)、9日(木)に文学賞、10日(金)に平和賞になるはずだ。

 今年は何よりノーベル平和賞に注目が集まるだろう。ドナルド・トランプなる人物が公然とノーベル賞を望んでいるという。えっ、マジ? 自分は何よりノーベル平和賞に遠い人物だと自覚し、むしろそのことを誇っているのかと思っていた。しかし、まあ「自覚」なんてものには縁がない人だ。自分では「吾輩は(ディールによって)世界に平和をもたらす」と信じているんだろう。

 しかし、まあ今年のトランプ受賞はなさそうだと観測されている。現実問題として、「就任一週間で終わる」はずのウクライナガザの戦闘がますます先鋭化して続いているんだから当然だろう。すでに戦争状態が終わっていたアルメニアとアゼルバイジャンの講和をあっせんしたぐらいじゃ、明らかに弱いのである。そもそも「ディール」でもたらされた「平和」は「真の平和」とは呼べない。それに今は人権擁護や地球環境問題への貢献で、ノーベル平和賞を受賞した人も多い。トランプ大統領が国内で行っている政策は「平和賞」に敵対するものだ。それぐらい本人だって判っていると思っていたんだけど。

(ハーグの国際刑事裁判所)

 僕に何の権限もないので、こういうことを書いても全く意味がないんだけど、それでも一応書いておきたい。2025年のノーベル平和賞は国際刑事裁判所(ICC=International Criminal Court)に授与すべきである。他にも長く活動している平和運動、人権運動、環境保護運動などがあるだろう。僕が知っているものだけでなく、世界では多くの人々による無数の平和の種まきがある。

 それでも今年に限っては、国際刑事裁判所に授与すべきだ。国連によって採択された規程によって設立された機関であるにも関わらず、国連安保理常任理事国(米中ロである)が参加せず、公然と妨害している。そんなヒドイことがあるだろうか。言うまでもなく、ICCは現在プーチンネタニヤフに逮捕状を出している。(ハマス幹部にも出している。)フィリピン前大統領のドゥテルテに関しては身柄の引き渡しが実現した。これほど有効な活動を行っている公的な人権擁護機関が他にあるだろうか?

 ノーベル平和賞はノルウェー国会が指名する5人の委員による「ノルウェー・ノーベル委員会」が選定する。ノルウェー政府そのものではないけれど、そういうことをトランプが理解しているかどうか。ノルウェーの財務相に直接電話したという話があった。トランプはノルウェー政府に圧力を掛ければノーベル賞を取れると思い込んでいるかもしれない。

 トランプに授与しないとノルウェーに高関税を掛けるかもしれない。だからトランプに授与しようというノルウェー関係者はいないと思う。しかし、「トランプに授与せず、(トランプが制裁を科している)ICCへ授与する」のは挑発になるからやめておこうという「政治的配慮」が働く可能性はゼロじゃないと思う。ノルウェーが決めることだが、なかなか大変だろう。

(赤根智子所長)(赤根所長の著書)

 よく知られているように、現在のICC所長は日本の赤根智子氏が務めている。今年赤根氏は『戦争犯罪と闘う 国際刑事裁判所は屈しない』(文春新書)を出した。読んでないけど、大事な活動だと思っている。日本にノーベル賞受賞にふさわしい科学者が何人もいる。文学賞候補もいる。だが今一番「ノーベル賞に近い日本人」は、本人じゃないけどICCの赤根氏じゃないかと思う。アメリカに臆せず、ICCを日本が支持する必要がある。トランプがムチャしたら、ノルウェー産海産物をもっと食べて支援しよう。

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《男と女 -クロニクルズ-》(クロード・ルルーシュ監督)を見る

2025年09月13日 21時29分53秒 |  〃  (旧作外国映画)

 最近テレビ番組で「音楽のプロ&音大生が選んだ」という映画音楽ベスト20をやってた。別にお遊びなんだからことさら目くじら立てる気はないが、それがジョン・ウィリアムズの映画ばかり。他にもミュージカルやアニメが多く、ヨーロッパ映画は『ニュー・シネマ・パラダイス』のエンニオ・モリコーネしか選ばれていない。そういう時代なのかと思いつつも寂しいな。

 僕が映画を見始めた頃は、ヨーロッパで活躍した作曲家がアメリカに招かれて大活躍していた。例えばフェリーニ映画で有名なニーノ・ロータの『ゴッドファーザー』、あるいは『シェルブールの雨傘』のミシェル・ルグランの『おもいでの夏』、『男と女』のフランシス・レイの『ある愛の詩』など。「マカロニ・ウェスタン」で有名になったエンニオ・モリコーネもその一人。特に『ゴッドファーザー』は普通入ると思うけど。そして何より『シェルブールの雨傘』と『男と女』が入ってないのは大疑問。

 それはともかく、その『男と女』を約半世紀ぶりに見直した。クロード・ルルーシュ監督(1937~)の《男と女 -クロニクルズ-》というのを新宿武蔵野館でやっているのである。『男と女』(1966)+短編『ランデヴー』(1976)、『男と女の詩』(1973)、『男と女 人生最良の日々』(2019)の4作を上映している。もっとも『男と女の詩』は『男と女』の映像の自己引用から始まるけど、別の話である。『男と女Ⅱ』(1986)というホントの続編があるのに、どうしてそっちをやらないのか理解出来ない。

 『男と女』(Un homme et une femme)とはまたシンプルな題名で、映画史上でこれに匹敵するのは黒澤明生きる』ぐらいだろう。1966年のカンヌ映画祭最高賞を受賞し、翌年の米国アカデミー賞でも外国語映画賞オリジナル脚本賞を獲得した。日本でもキネマ旬報ベストテン5位に入っている。全世界で大ヒットし、テーマ曲も一世を風靡した。僕は同時代に見た世代じゃないけど、映画音楽はラジオでよくやってたから知ってた。僕の世代なら大体口ずさめると思うし、調べて聞けば誰でも思い当たるはず。一度見れば、フランシス・レイの「ダバダバダ ダバダバダ」という繰り返しが耳から離れないと思う。

(『男と女』、ドーヴィルの海岸で)

 映画史的に「良くも悪くも」大きな影響を与えた映画だと思う。「男と女」をロングショットの美しい映像で映し出し、そこに抒情的なメロディを被せる。その後恋愛映画やCMで定番の手法になって、今では陳腐にしか感じないかもしれないが、そのもっとも完成された達成が『男と女』で、後は皆がマネして最初を忘れている。世界的にはほぼ無名だったクロード・ルルーシュ監督(28歳)と作曲家フランシス・レイ(33歳)が、それを成し遂げたのである。そして今見てもとても魅力的な映像である。

(クロード・ルルーシュ監督)

 成功の理由は、主役にアヌーク・エーメ(1934~2024)とジャン・ルイ・トランティニャン(1930~2022)をキャスティングできたことに尽きる。映像も音楽も見事に美しいが、それもこれも主役の二人が見映えするから成功したのである。二人は演技力もある実力派だが、カーレーサー役のジャン・ルイ・トランティニャンは実にカッコいい。そして映画スクリプター役のアヌーク・エーメは惚れ惚れする美人。昔見た時に世界にはこんな美人がいるのかと驚いた。今度見ても美人だなとは思ったけど、その後僕の好みの方が変わっていった。「ヨーロッパへの憧れ」から「日本回帰」して、庶民的な方が良くなったのである。

 二人はともに悲しい定めで配偶者を失い、子どもをドーヴィル(ノルマンディー)の寄宿学校に入れていた。そこで知り合い、一端は結ばれるが女は亡夫を忘れられなかった。別れて20年、1986年に『男と女Ⅱ』が作られた。女は映画製作者となり自分の恋を映画化しようと考える。男はレーサーとして成功し、パリ・ダカール・リレーに参加するのだが…。という話らしいが、今の話は調べて知ったことで、そんな映画があったのか。86年は中学教員で多忙だったから、存在すら覚えていない。

(『男と女 人生最良の日々』)

 そして何と製作50年を越えた2019年に『男と女 人生最良の日々』が作られた。男は認知症で施設に入るが、昔の思い出に浸っている。息子が女の居場所を探し出し、一度父を訪ねてくれないかと頼む。男は「夢」の世界に生きているが、医者は認知症を装っているんじゃないかと疑っている。昔の映像が随所に引用されていて、またやるの的な困った作品。そして何より老人介護施設が素晴らしすぎて、こんなとこがフランスにあるの? いくらするの? という疑問ばかりが浮かんでくるのだった。

(『男と女の詩』)

 『男と女の詩』(1973)は『男と女』の映像から始まるが、何とそれは刑務所の映画会。娯楽とは言え、こんな恋愛映画を見せられて、皆不満である。強盗で服役中だった男(リノ・ヴァンチュラ)が特赦で出所して家に戻ると、他の男がいて彼は出ていく。マルセイユに行って宝石店を襲う計画を練るが、その隣にある骨董品店の女店主に恋してしまう。女はフランソワーズ・ファビアンという人で、誰か知らないので調べたらエリック・ロメール監督『モード家の一夜』でモードを演じていた人だった。恋の駆け引きと犯罪計画がミックスされてなかなか面白い。ハリウッドでリメイクされ『恋する大泥棒』という映画になった。

 クロード・ルルーシュ監督の映画は「美しい映像とフランシス・レイの音楽だけ」と思って、いっぱい作られた映画も見てないのが多い。実際『愛と哀しみのボレロ』(1981)など幾つかを除き、「ムードだけじゃん」的作品が多かった。今度初めて見た『男と女 人生最良の日々』もとても人様にお見せ出来ないような「昔は良かった」映画。『男と女』はルルーシュの人生において、それほど重大な唯一無二の成功体験だったのである。そして確かに今見ても良く出来てると思う。社会性、政治性皆無のひたすら「美しい恋愛映画」だが、ここまでシンプルな完成度を見せられると、これも映画だなあと思う。

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改築休館前の「原爆の図丸木美術館」を見に行く

2025年09月11日 21時47分23秒 | 東京関東散歩

 埼玉県東松山市にある「原爆の図丸木美術館」に行ってきた。行くのは初めてじゃない。4~5回ぐらいは行ってると思う。卒業生を連れて行ったこともある。だけど、大体5月5日の「開館記念日」に行ったのである。昔はその日が全員無料だったので、財政的にほとんど寄与していない。今度改築が決まって、9月28日(日)をもって長期休館になるから、カンパの意味もあって今の建物をもう一度見ておきたかった。さらに「原爆の図第一部《幽霊》」が15日から貸し出しになって、複製が展示されるという。つまり、ホンモノを見るなら、それまでに行かないと。リニューアルオープンは2027年5月予定なので、元気でいてもう一回見に来よう。

  

 カテゴリーをどうしようかと思った。美術館なんだから「アート」だけど、絵の内容からすれば「社会問題」でもある。でも「東京関東散歩」にした。この前書いた国立ハンセン病資料館もそうだけど、原爆の図丸木美術館も「そういう場所があるということは知ってる」けど、まだ行ったことがない人も結構いるんじゃないかと思う。東京23区東部を基準に考えると、東京都東村山市(ハンセン病資料館)や埼玉県東松山市はちょっと遠い。やっぱり「お出かけ」感がある。だからつい敬遠してしまいがちだが、そこを頑張って出かけて行きたい。都内で映画を見るのもいいけど、どんどん世代も新しくなるんだから、紹介していく必要がある。

(俊)(位里)(スマ)

 館の前に3体の像がある。あれ、前からあったっけ。上記画像で順番に丸木俊(1912~2000)、丸木位里(1901~1995)、丸木スマ(1875~1956)である。丸木スマは位里の母親で、広島で位里など子どもたちを育てた。被爆翌年に夫が亡くなり、その後70歳を越えて絵を描き始めた。身近な題材を素朴に描いて高く評価されたが、なんと1956年に強盗に殺害されてしまう。丸木夫妻は当時オランダ滞在中だった。その時まで「赤松俊子」で活動していた俊は、以後女性画家の思いを引き継ぐとして「丸木俊」を名乗るようになった。ここにはスマさんの絵もたくさん展示されていて、それが大好きという人も多いと思う。

 

 ところで今、丸木夫妻の没年を書いて、そうなのかもう四半世紀以上経っているのかと驚いた。生前を知らない人も多いんだろうなと気付く。美術館は1967年に開館し、その後増築が繰り返された。つまり、ここは夫妻が暮らしていた場所でもあった。本当の母屋は非公開だが、美術館の中に「小高文庫」というアトリエ兼書斎が残されている。松山宿本陣小高家の書庫が寄贈されたものだという。本もいっぱいあって、高木仁三郎著作集が目に付いた。ただ、ここは休憩所でもあるとあったが、冷房がなく誰もいなかった。電機が入ってない扇風機はあったけど。エレベーターもないし、冷房のない展示室も多い。やはり改築の時期だろう。

(第1部《幽霊》)(第2部《火》)

 2階から見て下さいと入口で言われたけど、ついそのまま1階を見てしまった。そもそもの始まり「原爆の図」は2階にあって、写真撮影可。そこで4枚撮ってみた。丸木位里と赤松俊子は1941年に結婚した。それぞれ二人とも出会うまでの画家人生があった。丸木位里は日本画家だったが、プロレタリア運動に参加する前衛的水墨画家だった。赤松俊子は二科展に入選した洋画家で、パラオ島やヤップ島など南洋諸島(当時は日本の委任統治領)を描いた絵などが興味深い。つまり芸術的には「水と油」なのだが、その相克が芸術的に昇華しているのか、それとも「プロバガンダ」的な大衆文化と評するべきだろうか。

(第5部《少年少女》)(第8部《救出》)

 僕にはその評価は今ひとつ決めがたい。何故なら、前にも見てるし、実際に見るまでにもマスコミ等で知っていたから、どうしても既視感が生まれてしまうのだ。さらに広島の原爆投下を描く小説や映画にも接してきたから、絵という静的な表現に今では「衝撃」というより「知ってるよ」と思いがちなのである。ところで今載せた画像をよく見れば判るけれど、これらは「屏風絵」だった。だから正確な長方形にはトリミング出来ない。うっかり忘れていたんだけど、これは「原爆の図屏風」なのである。

 丸木夫妻(画像は美術館のホームページから)は、僕の若い頃に非常に刺激的な存在だった。それは「原爆の図」シリーズの中で、「日本人被害者」を描くことに止まらず、「米兵捕虜の死」や韓国・朝鮮人被爆者を描く「からす」などを描いたからである。さらに「南京大虐殺の図」(1975)、「アウシュビッツの図」(1977)、「水俣の図」(1980)、「沖縄戦の図」(1984)と書き続けていった。これらの絵も展示されているが、撮影不可。(美術館のホームページで見られる。)この歩みはまさに自分が近代日本史を学んでいた時期に重なる。「加害をどう考えるか」という意味で、今も色あせない鋭いメッセージを発していたのである。

(丸木スマ「梅が咲く」)(川を望む)

 僕はそのような「メッセージ性」は大切だと思うんだけど、正直言ってどの絵を見ても同じじゃないか的な感想も持ってしまう。問題意識は先鋭化したが、画風はパターン化したとも言えるのではないか。その意味ではむしろ時間が経っても魅力的なのはスマさんの絵だろう。ここではホームページから一つ挙げておくが、気付かされることが多い。なお、裏に都幾川(ときがわ)が流れている。記憶ではすぐそばのように思っていたが、美術館は高台にあって結構遠い。昔下りて行って石切りをしたと思う。別に「昔生徒と行ったところ再訪プロジェクト」じゃなかったんだけど、思い出したことも間違いない。

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