町の中心にある落ち着いた喫茶店まで、電車と徒歩で出掛けて、町の風情をしんどいながらも味わう共に、午後2時に兼ねてから約束していた知人(女性)と会った。
休職するまでは仕事の関係でお会いしていたのだが、休職後は自分の生き方、こころの行き先についてメール書簡を交わしていた。仕事を通じて私の筆力を高く評価してくれていた方である。
もっと早くから病気以外の交流を進めていたら、働き過ぎを見直してこのようなことにならなかったかも知れないと思う。
病気のことについて話をするだけでなく、周辺にいる人たちの人物譚や自分らしい生き方、人に束縛されない生き方について議論を交わすことができた。
もう死期の近い人間にとってはどうでもいいかもしれない、しかし、説教臭いところがなく、今さらながらしてもいいなと思う話ができた。
・病気については休職初期から症状は悪化しているが、ものの考え方は時間と共に変わってくる(時間薬)。そういった心のありようが推移・進化することは大切なので、またそのようになるので焦らないで事態を見守ることも大切である。
・少年期、青年期に競争的社会や考え方に身を置いてしまったことが、責任感を背負い、自由でしなやかな生き方をさせない方向にもっていったのではないか。
・私が元来、文系的な要素も持ち合わせていることも分かる。これから何ができるかは自分で考えなければならないが、そういったものに身を任せてみては。
・いろいろな情報がつらくて入れないようにしないのは分かるが、入れないようにしようとすると余計につらくなる。受け流すような心持ちにもっていけないか。
・病気はどうなるか分からないが、湯治とか古来から薬などなかった時分からの知恵をいろいろと試すことも一案である。
等々(思い出せば加筆する)
2時間があっという間に過ぎ去った。この町が育んだ人だなという印象をもった。
書籍(茂木健一郎 「生きて死ぬ私」(ちくま文庫))をいただくとともに、帰り際には爪もみをしてくれた。慈愛に満ちたものであった。感謝している。
茂木自身は文理のバランスも取れた人間と思うが、若い時期に著わした彼なりの人生観が分かりやすく書かれている。「生きていれば何かできるわけであり、生きていることが究極の目的である」と書かれた一節は、今後、究極の状況に持って行かれようとしている自分にとっては苦しいが、参考にできる部分である。また、「去っていたものたち」では同級で既に亡くなった人々(生と死の間の壁を越えていった人)の回顧がなされている。
お会いした後にいただいたメールを差し支えない範囲で付す。ありがとうございました。
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こちらこそ、このあいだは貴重な時間を取っていただいて、色々なお話をすることが
できて、私自身は大変喜んでいます。
(中略)
個人的に思うに、確かに、ときには身を任せることもあっていいのかな、と思います。
こちらに来られて良かったと思われるのであれば、しばし心に忠実になられてもよいの
ではないかと。こちらにいらっしゃるのであれば、いつでも話したいと思われるときに、
ご連絡いただければ、都合のつく限りお会いしたいと思っています。
(中略)
このあいだも、お話を聞けて、こちらの話も聞いてもらって、とても充実した時間を共有できて、私は
嬉しかったのです。
(中略)
私としては、○○(当方)が心から信頼できるお医者さんにお会いされていないことが、とても
残念に思いました。症状を理解してもらって、一緒に治療しよう、治そうと思ってくださる
先生が見つかったら、状況もまた変わるのではないかと思っています。
(中略)
いつでも、お誘いいただければ、都合のつく限りと思っています。