浦添美術館から北東方向へ約4Km、米軍普天間飛行場の南西に隣接した宜野湾市の森川公園へ行きました。
森川公園には琉球三山分立時代の中山王察度の生誕にまつわる「はごろも伝説」があることを知り訪れたものです。

駐車場から進んで行くと右手に「森の川」、その左手奥に「西森御嶽」の石塀が見えます。
更に「西森御嶽」の左手には戦争戦没者の慰霊碑「森川之塔」がそびえていました。

石垣で整備された「森の川」です。
右手の道を進むと正面左奥に見える拝所へとつながっています。
深い森、草に覆われた石垣を見ていると普天間飛行場に隣接していることを忘れてしまいそうです。
■「森の川」の案内板があったので転記します。
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沖縄県名勝 宜野湾市 森の川
1967(昭和42)年4月11日指定
2000(平成12)年5月19日追加指定
名勝「森の川」は天女が降臨し沐浴したという「羽衣伝説」の舞台となったところです。「球陽」などの古文書によると、天女は奥間大観なるものと結婚し、一男一女を授かり、のちにその男子は中山王察度になったと記されています。
察度王は1372年に公式に初めて中国明と外交を開いた人物として知られています。
泉の東隣には村の聖地であるウガンヌカタがあり、そこに立つ石碑(西森碑記)に、泉は1725年に向氏伊江家の一族により、石積みで建造されたことと、そのいきさつが記されています。
この泉はまた真志喜の重要な泉で、子供が出生したときの産水、正月の若水をとる泉であり、地域の方々との結びつきが深く、大切な場所です。
2003(平成17)年3月設置 沖縄県教育委員会 宜野湾市教育委員会
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森の川の入口に陶板に描かれた「森の川」の絵がありました。
地元の子供が描いた絵でしょうか。
中央の水場では、水を汲む人や、洗い物をするが描かれています。
左手奥には拝所で手を合わせる人も描かれています。

水場には飛び石があり、洗い物などをするのは3~4人が限度のようです。
沖縄の各地にある泉の施設では小さい方だと思いますが、何故か品の良さを感じます。

石垣の穴からきれいな湧水が流れ出ています。
水量が少ないようですが、隣接の広大な土地が飛行場になったためでしょうか。

入口付近から右手にある坂道です。
坂の上には白いユリが咲き始めていました。

ハブか?!
坂道の途中で、茶色い細長いものが目に飛び込んで来ました。
足を止め、よく見ると大きな豆のサヤのようでした。
ちょっと驚かされました。
50cmを超える長さで、ホウオウボクの豆のサヤだったのでしょうか。

道の突き当たりに石の壁で囲まれた拝所がありました。
水場の入口から左手奥に見えた場所です。
石の壁に小さな入口が見えます。

拝所の入口の前から水場を見下ろした写真です。
昔、天女が沐浴をしていたのはこの辺りでしょうか。
「はごろも伝説」では奥間大観が沐浴する天女を見つけ、「はごろも」を隠した上、親切のふりをして天女を家に連れ帰ったそうです。
その後、天女は妻になり、一男一女を授かったそうですが、女の子が家に隠していた「はごろも」を偶然見つけてしまい、天女は「はごろも」を着て天に帰ってしまいました。
同じような「はごろも伝説」は日本各地に伝わっています。
しかし、その後、男の子が成人して察度王となったストーリーは、森の川の「はごろも伝説」の特徴で、王の正統性を天女の血統としてアピールするものだったと思われます。
現代の感覚から見ると、一人で沐浴して天に帰れなくなった不用心な母。羽衣を隠し助けるふりをして天女を妻にしたずる賢い父。これらの話は、あまり自慢できるものではないようにも思われます。

拝所の中を石塀の上から撮ったものです。
水の神様が祀られているのでしょうか。

石塀の中は門のように四角に窪んだ場所があり、ここに向って祈るようです。
私も手を合わせて一礼、ごあいさつをして帰りました。

石塀に囲われた拝所の中から小さな入口方向を撮った写真です。
拝所の中は、意外に広く感じました。
昔ながらの石造りの施設や、周囲の緑に心が癒されました。
森川公園には琉球三山分立時代の中山王察度の生誕にまつわる「はごろも伝説」があることを知り訪れたものです。
駐車場から進んで行くと右手に「森の川」、その左手奥に「西森御嶽」の石塀が見えます。
更に「西森御嶽」の左手には戦争戦没者の慰霊碑「森川之塔」がそびえていました。
石垣で整備された「森の川」です。
右手の道を進むと正面左奥に見える拝所へとつながっています。
深い森、草に覆われた石垣を見ていると普天間飛行場に隣接していることを忘れてしまいそうです。
■「森の川」の案内板があったので転記します。
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沖縄県名勝 宜野湾市 森の川
1967(昭和42)年4月11日指定
2000(平成12)年5月19日追加指定
名勝「森の川」は天女が降臨し沐浴したという「羽衣伝説」の舞台となったところです。「球陽」などの古文書によると、天女は奥間大観なるものと結婚し、一男一女を授かり、のちにその男子は中山王察度になったと記されています。
察度王は1372年に公式に初めて中国明と外交を開いた人物として知られています。
泉の東隣には村の聖地であるウガンヌカタがあり、そこに立つ石碑(西森碑記)に、泉は1725年に向氏伊江家の一族により、石積みで建造されたことと、そのいきさつが記されています。
この泉はまた真志喜の重要な泉で、子供が出生したときの産水、正月の若水をとる泉であり、地域の方々との結びつきが深く、大切な場所です。
2003(平成17)年3月設置 沖縄県教育委員会 宜野湾市教育委員会
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森の川の入口に陶板に描かれた「森の川」の絵がありました。
地元の子供が描いた絵でしょうか。
中央の水場では、水を汲む人や、洗い物をするが描かれています。
左手奥には拝所で手を合わせる人も描かれています。
水場には飛び石があり、洗い物などをするのは3~4人が限度のようです。
沖縄の各地にある泉の施設では小さい方だと思いますが、何故か品の良さを感じます。
石垣の穴からきれいな湧水が流れ出ています。
水量が少ないようですが、隣接の広大な土地が飛行場になったためでしょうか。
入口付近から右手にある坂道です。
坂の上には白いユリが咲き始めていました。
ハブか?!
坂道の途中で、茶色い細長いものが目に飛び込んで来ました。
足を止め、よく見ると大きな豆のサヤのようでした。
ちょっと驚かされました。
50cmを超える長さで、ホウオウボクの豆のサヤだったのでしょうか。
道の突き当たりに石の壁で囲まれた拝所がありました。
水場の入口から左手奥に見えた場所です。
石の壁に小さな入口が見えます。
拝所の入口の前から水場を見下ろした写真です。
昔、天女が沐浴をしていたのはこの辺りでしょうか。
「はごろも伝説」では奥間大観が沐浴する天女を見つけ、「はごろも」を隠した上、親切のふりをして天女を家に連れ帰ったそうです。
その後、天女は妻になり、一男一女を授かったそうですが、女の子が家に隠していた「はごろも」を偶然見つけてしまい、天女は「はごろも」を着て天に帰ってしまいました。
同じような「はごろも伝説」は日本各地に伝わっています。
しかし、その後、男の子が成人して察度王となったストーリーは、森の川の「はごろも伝説」の特徴で、王の正統性を天女の血統としてアピールするものだったと思われます。
現代の感覚から見ると、一人で沐浴して天に帰れなくなった不用心な母。羽衣を隠し助けるふりをして天女を妻にしたずる賢い父。これらの話は、あまり自慢できるものではないようにも思われます。
拝所の中を石塀の上から撮ったものです。
水の神様が祀られているのでしょうか。
石塀の中は門のように四角に窪んだ場所があり、ここに向って祈るようです。
私も手を合わせて一礼、ごあいさつをして帰りました。
石塀に囲われた拝所の中から小さな入口方向を撮った写真です。
拝所の中は、意外に広く感じました。
昔ながらの石造りの施設や、周囲の緑に心が癒されました。