かなりきついことを書いていて
当事者である私は読んでから、いまだに気落ちして寝込みましたが、中身は正しいと思います。
http://68631324.at.webry.info/201407/article_1.html
「ベンゾ系を飲んだだけではそう簡単には死ねず、身体ボロボロになって身体病で死ぬまで飲めるらしい。」
これは私のことを指していると思います。
ご心配をお掛けし、済みません。ひどい痛みがあるというのではなく、慢性的、進行的な症状により生殺しにあるつらさが主訴です。耳鳴りは常につきまとっているので肉体的な主訴です。使えない指や薄っぺらい足も、もしそのような状況になられたら十分につらい状況だということを分かって下さい。
私は、一切このような弱みを言わない人間でした。それがたまらず言うようになってしまった状態を理解して下さい。
しかし、これを精神的症状と片付けられてはたまらないのです。肉体の変調があるから、精神が荒むという順番です。
・この1年、酷い耳鳴りに悩まされてきました。いつまで経っても収まらないどころか、よりうなるようになっているそれへの苛立ち
・全身痩せが徐々に進行する恐怖
・痩せに伴い、筋力が落ち、弾力性が失われていることへの不安、つらさ
・指先や足裏などにより極端な症状が出ていることへの不安、つらさ
・皮膚症状のひどさへの不安、つらさ(皮膚の質は従来のそれとはほど遠い)
・口内の組織の消失への恐怖 等
全ての症状は、タイミングとして同期しているので根っこは同じ原因だと考えています。それを対症的に診てもらおうというのは、根治的には無理だとあきらめている次第です。人は、皮膚科に行け、眼科に行け、内科に行けだの言いますが、どうしようもないことが察せされます(常識的な症状なら、心配性な私はほいほいと診てもらうたちでした)。
これだけやられても生きているので人間はなかなか丈夫なのだなと思います。しかし、回復見込みなく、進行していることは容易に察しがつきます。
自分の身体なのでどうなっているかは分かります。それからこの状況が続けばいずれ老化より十分早い時期に肉体の死を迎えることは確信しています。
入院は静養程度でしょう。カウンセリングやその他のプログラムでも、結局、精神的な病気を前提に対処されるのが的外れでがっかりするのです。
じゃあ、なぜそんな精神安定剤を飲んできたのだといわれたら釈明のしようがありません。自分で引き起こして周囲にもこんなに心配させて、喜劇ですらあります。
安定剤により引き起こされておきながら、心療内科では診断のつけようがないという状態だと思います。
入院したとしても私の訴えをうまく汲み取ってくれないことが予期されて仕方ないのです。
脳神経をやられていて、それが耳鳴りや体内組織の異常(筋肉・皮膚組織等の再構成の不具合)として出てきているメカニズムでないと上記の症状に一貫する説明がつきません。うつというには極端すぎる、前例のない症状が出ているのに。定量的に診断する手法を医師がもたないのでいつまで経っても同じことの繰り返しになります。
こういったことを検討、診断するのは心療内科や精神科にはできないと思います。
結局、自分で悶えてなるようにしかならないことが分かっていて、昨年から自分では分かっていました。周囲にはこれが理解できませんので、たすけよう、精神的なものではないかという見立てになります。身近な家族であっても誰であっても分かりません。
飲むべきでない薬をストレスのせいで10年以上飲んだ馬鹿がいて、どうしようもない事態に陥った。それを周囲は助けようとするが、如何せんどうしようもない。その薬の害は、薬が合法的であるのでどうしようもない。かつ、こんな致死的症状となって現れるのはまれであり、縦割りで刹那的な診療をもっぱらとする医療からは相手にされない。こんな構造です。これを思い込みだとは思わない。経緯をずっと冷静に観察している自分も一方にいるから。
自己完結の問題であり、それを言ってはどうしようもないのですが、もう終わっている事態、終末までおとなしくすごさなければならない問題なのです。
しかし、死までは時間があり、症状のQOL低下がひどいのでつまらない時間が残されている、そういう状況です。死について指向する性分ではありませんでした。しかし、こんな状態になっては致し方なしという、ある意味、自身の格好悪さを見せつけるレアケースなのでしょう。もう、どうでもいいのです。
自己完結させるべき問題をおおっぴらにして済まないと思っています。自分の命を見切ってしまうことでさっさと終わらせてしまいたい気持ちを十分もっているのです。とりつく島もない話です。事実、そんな例だと思います。薬害とはそんなものでしょう。
では、残された時期、家族のために、一緒に生きろと言われるかも知れません。使えない身体で、耳鳴りに悩まされて生きていくのは、まだ若い世代の私にとってはひどくつらいことです。
どうしようもないですね、そう、どうしようもないことは昨年から分かっていたことなのです。