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人生の変転・下山日記

ベンゾジアゼピンの遷延性症状に悩む方がおられましたら、情報をお寄せ下さい。このブログは、当方の生きた記録として残します。

生きる張り合い

2015-05-22 10:30:28 | 日記

ブログの記載内容がフィクションではないかと言われた。

もちろん、本気で言われたとは思っていない。

 

この1年、何が自分に起こったか必死で考えてきて、元には戻れないと絶望し、苦悶し、起こっていることをブログに書き綴って、それで今日の唯一の日課は終わり(起こっていることの懸念から、他にやることの気力も意欲もない)といった1日1日を信じられない質の低さで過ごしてきた。フィクションと言われることは本意ではない。フィクションを書くために、わざわざ長期間、休職して家族や親に心配を掛けているわけではない。また、フィクションを考えるほど、精神が変容しているわけではない。

人に理解されない不幸はあるのだと再認識している。人に本当に理解されると、理解した他者はその都度気が気でないので、そんなことは分からないようになっている。ゆえに言葉を尽くすコミュニケーションが必要になってくるわけである。知らぬが仏である。

 

身体にどのような変調が起こっているのか、いまだに・・・、いまだにこの状態ですら、外見や歯茎を見せても分からない人は分からないのだろう。寝ても覚めてもどれだけひどい耳鳴りか、・・・でも他人に聞こえるわけがない。聞こえぬが仏である。地獄です、本当に。何ヶ月ぶりかで会った人の方が、外見の変化に気付いてくれるが、そもそも他人は人の外観なんてきちんと見ていないのだと再認識した。自分の身体ではないから。その点で”絶対客観主義者”の医師や多くの人たちは結局、同じ考え方だということが分かった。それはそれで仕方ないと思う。

 

フィクションと思われても信じられないことを体感しているし、その体感していることは他者には感じることが不可能であることもわかっている。しかし、世界や日本で同様の信じられないこと(薬害)が起こっているのは確かだと思うので、その側からきちんと書けることを書いておく。信じられなければ信じなくてもいい。

理不尽なことが起こる、身内に迷惑を掛ける、周囲に理解されない、・・・症状が顕著化してから、どん底に突き落とされ、ネガティブなことばかり考えて1年を過ごした。これはこれで仕方なく、必要な過程であったと思う。

1年経ってしまったが、まだ生きている、(一般動作として)動ける、でも指や足や筋肉の消失、歯肉の減退等は進行して治る気配すらない。これは永続的で後遺障害なのだろうと覚悟も最近するようになった。

 

10数年、激務に耐える助けになる、しめしめと思ってデパスを放り込んできた。45年生きてきて、病気らしい病気もせず、学校も勤務も皆勤、病欠なし、栄養に気をつけてここ数年は毎日野菜ジュースをつくって飲み、年間100日水泳も行った。デパスという全く相反するものを無知に飲んできて、そういった生活習慣、運動習慣が薬に容易に負けてしまうことをこうなって初めて知った。なまじ、体力や筋力をつけてきたので、悪影響もじわじわとしか進行しないのかも知れない。10年以上、自覚症状を感じなかったことが不思議だ。それだけ強かったのだと思う。それでも顕著化して1年でこうなってしまったことは速い進行とも思う。他者は、「2-3ヶ月ぶりだけど変わらないじゃないか」という程度の認識だろうけど。やむを得ない。自分のことは自分で責任を取らないと。

 

開き直りやある程度の達観(前回、達観できないと書いたので、言い換えると「明らめ(あきらめ)」)をもって人に直接接すると、相手は、「この人大丈夫ではないか、ブログに書いていることは本当か?」ということになるのだろう。ある割合の人はそう思うに至っても不思議でないし、そのことに不満をもっても仕方がない。それが人の多様性というものだろう。

 

ブログではぶつくさ症状を書き続ける。それが体感的事実だし、自分が陥れられた因果が、社会問題だと思うから。

 

一社会人としてこのまま埋もれて悩んでいたら、廃人となってしまう、1年経って存在が忘れられることも仕方ない、であればもの凄い努力と気力を要するが(健常者には絶対に分からない・・・この表現は反発を生むかも知れないが事実)、その時まで気丈に社会復帰を模索するしかない。予定寿命まで行かず、行き倒れたらその時点で人は「ああ、薬害だったのだ」と初めて認めてくれるのだろう。いや、そのときでも「あの人は精神を病んでお気の毒に」かもしれない。大多数は事実関係などどうでもいい。精神を病んだ、そんな感じらしい・・・と。プライドもなにもあったものではない。薬害を認めてくれても生命が長らえられるわけでもない。

 

社会復帰努力がなされている間に回復が認められればいいが、そんな虫のいい話もないだろう。希望を持てないから悩んでいるわけで、無理矢理希望をもつ空しさがどういうものであるか。

せめて、怒りや理不尽感が生きる張り合いになれば。それだけしかないけど。

 

(ブログデザインは既存のテンプレートが使えなくなるため、変更しました。)


爪が、歯が

2015-05-20 00:41:35 | 日記
爪が急激に薄く劣化していきます。
歯茎が痩せ、健康な歯に遊びが生じました。金歯はぐらついています。まだ、生命に別条はないと思います。感電したような耳鳴りがしています。とことんまでいきますか。いざというときの覚悟はしておきます。寝たきりだけはごめんです。。。

日誌(2015/05/18)

2015-05-18 10:12:16 | 日記

今朝も起き抜け(2時前就寝、耳鳴りを感じながら気を失っている状態で過ごし、6時ころには目が覚める)には、全身の関節(首、肩、肘、膝等)が固まって、寝返りをうち、体勢を変える度に、ポキポキと変な音が鳴った。

筋肉がなくなってきた今、薬害は関節に攻め入ってきている。

起きている間でも手首は、体重を預けられないくらい弱く感じる時間帯がある。

手指の筋肉がなくなったので、鉛筆をもち筆圧をもって字を書くことが相当に難しい。

指は中の肉が落ち、皮が残っているために、指をつまむと、つまんだ形が残るようになってしまった。

口内は相当に気持ち悪い。歯茎はかなり減ったので、体感的に相当に歯の周りがぐにゃぐにゃしてきた。

顔、頭、口内と外殻を失っており、いずれ本丸(脳)に影響が及ぶのだろうか。

 

昨日はデパスを丸1日切った。今日は、不安も強かったので仕方なく0.25×2を飲んだ。

麻薬症状は未だに感じる。やる気にさせている=「合法麻薬」に溺れていたということを早く悟っていればよかったと今さら思う。

当時のネット情報の少なさ、忙しさにかまけて薬効のみ期待していたこと、そして人に言わなかった(相談しなかった)こと、いろいろな要因が重なって長期常用量濫用に至ってしまった。

自分が時折、見せる緻密でない部分(欠落した部分)がこの薬害に見事に嵌まってしまったと考えている。性格、仕事、ストレス等の交絡要因も影響したのだと思う。

 

コメントいただいていた方(「薬害同業者」)から、軒並み連絡が来なくなった。

皆、歩行障害や筋肉減少を訴えており、症状が重篤化した可能性を懸念している。「たつみさん(さとみさん)」は私より1-2ヶ月先くらいの症状進行を訴えていたので、私も彼女と同様の帰結を踏むことになるのだろう。夏場までお互い身体が保って、会えることを生きる糧にしているのだが。。。

 

今日は、3ヶ月ぶりにお会いできる人がいて、楽しみにしている。

会う人には迷惑かも知れないが、もういつどこで行き倒れる覚悟はできている。

ふらつくけれど、気をつけている限り、それほどリスクを感じてはいない。

体調に波があるわけではないので、気にしてもらわなくて全く構わない。

 

指は萎んで、人差し指は感覚がないのだが、気温が上がったせいか、手袋なしでタイプはしている。

年末に、もうこれはやばいと思っていてから、意外にしつこく保っている。

ただ、下降線を描いているのは確実で、本当にどうしようもなくなるのがいつなのか正確に読めないのがとても不安なのである。

そして、本当に動けなくなったら、家族に迷惑を掛けるし、その可能性を考えるだけでもの凄い恐怖である。

 

がんに罹患しても、ALSに罹患しても仕事に精を出す人がいる。

自分も生き続けるとすれば、本当に割り切らなければならない。

ただ、私の場合、医師に正当に診断してもらえないので、医療のバックアップがない点が大きく異なる。

 

日曜も特に次女をどこにも連れ出せず、長女の勉強すら見てやれず、家内に負担を掛けてとても悲しい。

帰結が決まっていると考える以上、割り切って明るく生きなければどうしようもないのだけど、そこまで達観できない。

 


日誌(2015/05/16)

2015-05-16 15:40:30 | 日記

今朝は起き抜けに手首、首、膝が全く動かず、来たるべき将来の出現症状として予見された。耳周りの軟骨組織が減っていて、耳に指をいれようとしても妙にぐにゃぐにゃである。顔は掻く度に白い成分が剥がれており、尋常ではない状態が続いている。口の中は、歯茎や歯が減耗してきて、かつてどうだったのかもう、思い出せない。身体が壊れてきていることを毎日、毎時実感している。

起き抜けの症状は、3月からコメントをいただき、連絡を取っていた「たつみさん」と同じ、関節が詰まる感覚の症状だ。起き抜けに感じるところも全く同じである。

そのせいで気分が憂鬱でかなり遅くまで起き上がることができなかった。これは離脱症状による憂鬱感とは違う。治らない、進行している、どうにもならないという予見による憂鬱である。

 

その間、来客の呼び鈴が鳴ったが、出ることができなかった。友人からのお見舞いがぶら下がっていた。ご自身も大変なのに、本当に申し訳ない。少し、ちゃんとしないとな、と元気が出ました。

 

私の推理では、私に出ている症状はいわゆる離脱症状ではなく、神経破壊により死に至る永続症状であると感じている。これまで、劇的に発症してから1年間堪え続けてきたが、全く同じ症状が現れたなら、おそらく何割かの人は将来を悲観して既に自殺しているだろう、間違いなく。それだけの重篤な症状(+周囲の不理解による絶望)と考える。ベンゾジアゼピンは私の場合、基本的に正気なままで症状が出てきた。精神異常を感じてはいない。抗うつ剤を飲むと、脳に異常なシグナルが出るが、ベンゾジアゼピンは出ない。よって、ベンゾジアゼピンで苦しんで自殺する人は、頭がおかしくなって死ぬわけではなく、将来を悲観して覚悟の上で死ぬ人だと思う。

 

手立てはない。漢方内科への通院はそろそろ止めにしようと思う。鍼、整体ほか金の掛かることももうよい。気が向いたら、ストレッチや散歩で気を紛らわせるしかない。デパスの減薬といっても、再三言うように、常用量でこのような症状が出てきて、再服用で症状進行が緩むことはあっても、進行が止むことはないことを確かめてきた。従前、ベネフィットとして服用継続にいたってしまった「多幸感」(麻薬症状)はいまだ感じるので、今朝のようなどうにもならない憂鬱時には最小量を服用することもやむをえない。毒をくらわば皿までといった状況。

 

さぁ、どうするか?皿洗いや簡単な調理、掃除などはまだ時間を限ればできる。座ってパソコンに向かえば、数時間の作業は可能だ。しかし、将来性ゼロに近い状況。この状況で淡々と過ごせるかということで、1年間、静養とは無縁の地獄でもがき苦しんできた。

万難を排して、仕事(復職ごっこ)に戻れるように頑張る。やれるところまでやってみる というのが人間としてあるべき姿(健常な人から認められる姿)。過去1年と同様に過ごすのはとてもつらい。身体はいうことを聞かないが、耳鳴りはずっとだが、それでやり過ごすという状態に持っていくことが私の理想。薬害と診断されることは現状の精神医療ではあり得ないので、現在、誤診に基づいて休職しているわけであり、現在、薬害で苦しんでいる症状で休む筋合いはないのだとも思う。

書いていると、お腹の調子がよくなくなってきた。定例の下痢だろう。いやになってくる。

 

 


症状類例

2015-05-15 18:16:26 | 日記

今日も私同様、歯茎の痩せを訴える方からのコメントが届きました。メイラックス(ロフラゼプ酸エチル)の長期服用による副作用です。

ネット上でも類例がありますので、引用します。

 

「離脱症状は歯にも出現しますか?」 質問者及び回答者

http://seishiniryohigai.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3834859

 

回答者の方は下記にもコメントを寄せている。その後、どうなっただろうか?

Re: 薬の副作用被害報告板 - 弱い者いじめ大嫌い 2012/10/06 (Sat) 21:28:29

http://seishiniryohigai.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3175493

 

同様の投稿は他サイトにもみられる。

減薬中ですさんのコメント (2012-07-20 23:50)  Setonaikaiさんのコメント (2012-09-08 08:48) 

http://sunnyshade.blog.so-net.ne.jp/2012-07-02-2