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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ワン・ストリング・ブルース

2006-05-11 03:05:04 | 北アメリカ


 ”One String Blues”by EDDIE "ONE STRING" JONES

 1メートルほどの長さの板切れ。その両端に釘を一本ずつ打ち付ける。両者の間に一本の弦を張り渡す。弦は、正規のギターの弦のようにも、たんなる針金のようにも見える。板の片側に、なにかの空き缶を一つ、くくりつける。これは弦の音を共鳴させる増幅器としての意味があるのだろう。

 演奏者は弦を張った板に向かって座り、左手に空になったウィスキーの小瓶を、スチール・ギターの奏法の要領で弦に押し当て、音程の調節をする。右手には小型のしゃもじのような、おそらくは金属製のヘラを握り、そいつを弦に叩きつけるようにして奏する。

 説明に問題があり、よくお分かりいただけなかったかもしれないが、これが今回の主人公、エディ・ジョーンズの使用楽器、”ワン・ストリング・ギター”である。

 この、どう考えても手作りの楽器から打ち出される音塊は、当然の事ながら非常にプリミティヴなものである。普通のギターによるブルース演奏をギクシャクと模したような、ブルージーな、どす黒いフレーズが溢れ出る。それにかぶる、エディ・ジョーンズの枯れ切ったシャウト。

 とても1960年の録音とは思えない、素朴過ぎる音楽である。音の響きから言えば、さらに半世紀前の録音であっても、いやそのほうが納得しやすいだろう。奴隷制度初期の古きアメリカをさらに遡り、もうすぐそこ、エディの音楽の向こうに彼らの故郷、アフリカの岸辺が見えてくる。

 彼の”一弦ギター”から生み出されるのが、”普通”のブルースギター弾きたちが愛好するフレーズを模したものであること、エディのレパートリーが、”ベタ”といっていいほどブルースのスタンダードや黒人民謡からの引用であることから、エディが手作りの一弦ブルースギター弾きに徹したのは、かなり意識的な行為だったのでは?との仮説を立てることも可能なのだが・・・この骨がらみのイナたさ、”作り”じゃとても出せないだろうね。



”メンバーズ・オンリー”の今は

2006-05-09 02:28:44 | 北アメリカ


 盤がどこかにもぐりこんでしまったので、うろ覚えの英語歌詞のいい加減な和訳で申し訳ないが。大物ブルース・シンガー、ボビー”ブルー”ブランドの80年代の優しく美しいバラード、”メンバーズ・オンリー”である。

 ”メンバーズ・オンリー。これはプライベートなパーティなんだ。文無しでも気にするな。小切手帳なんか持って来るなよ。お前の壊れたハートだけあればいいんだ。今夜はメンバーズ・オンリーなんだから。
 お前は女に振られたのか。そこのあんた、あんたの前の男はそんなにひどい奴だったのか。そりゃ人生にはいろいろ辛い事もあるよなあ。今夜はそんな、寂しくって哀しくってたまらない奴のためのパーティなんだ。メンバーズ・オンリーなんだよ。
 おふくろさんにもオヤジさんにも声をかけてくれ。そいつが黒人だろうと白人だろうとアジア人だろうとインディアンだろうとかまわない。今夜は哀しいハートのためのパーティー。メンバーズ・オンリーなんだよ”
 
 本来、金持ちしか入れてやらない会員制クラブの入り口に掲げられているはずの”メンバーズ・オンリー”の語を、まるで逆の意味で使っているのが素晴らしかった。
 人間の生まれながらに持つ哀しさ寂しさ、その前では、”レッドであろうとイエローであろうと、ブラックであろうとホワイトであろうと”同じことと、黒人の側から手を差し伸べるブランドの、ディープな歌唱に酔ったものだった。

 お話変わって。この間の選挙におけるコイズミ党の、彼ら自身も驚きの大勝利の原因に関してある人がこのように分析していた。
 「もう人々は、権力を持つ人に疑いを持ったり反発を感じたりするのに疲れてしまい、コイズミに一票を投ずる事によって、コイズミの側に、つまりは”勝ち組”の一員に迎え入れられた幻想に陥ったのではないか」と。
 ある意味、”コイズミへの一票”は、深い深い絶望の表現だったとも言えるわけだろう。

 アメリカの黒人は。おっと。昨今では、この”黒人”と言う言い方自体が問題があるという事になっているらしい。”アフロ=アメリカン”と言わねばならないという。”ブラック・ユーモア”なる言い回しも、「忌むべき色としての黒のイメージを演出する」として”黒人”の側から非難の的ともなるそうな。

 私が音楽に夢中になり始めた頃、ファンクの始祖、ジェイムス・ブラウンは強力なリズムに乗せて「俺は黒い、それが誇りだ」とシャウトしていた。黒人たちの掲げた旗には、”ブラック・イズ・ビューティフル”と書かれていた。
 が、時の流れの中で、「我々は黒い、それが誇りだ。黒は美しい」という主張はいつか、「我々を忌むべきイメージの”黒”で呼ぶな」へと堕ちてしまった。

 今夜も世界中は、”寂しくって哀しくってどうしようもない奴”で溢れそうなのに、ブランドのパーティには閑古鳥が鳴いている、そんな気がしてならない。そのような場にいるのは、どう考えたって、”勝ち組”幻想をぶち壊す事にしかならないわけだから。

 


大塚愛盗作問題?(笑)

2006-05-08 03:12:46 | いわゆる日記


 ちょっと笑っちゃったんだけどさあ。

 さっき、大塚愛のファンの集まる掲示板を覗いてたんだけど、そこで、大塚愛の歌が盗作だらけだとかなんとか、そんな話題が出ていたわけです。あの曲の元ネタはこの曲で、などなど、それに関するネタ元一覧表みたいなのを作って書き込んでいる奴とか出てきて。

 まあ、面白いからその議論を見ていったんです。執拗に盗作だ盗作だといいつのる方も、そんなことをその場で言ってみたからどうなるものじゃなし、アレなんですが、大塚愛を擁護する側も、なんか凄かったぞ。

 「ファンなら、そんなことで文句いってんじゃねーよ。ファンじゃないならここへ来るな」「訴えられて作曲者の名義が変わって初めてパクりだろう?そうなってから文句言えよな」と、なにがなんだかよく分からない応戦振りで、変なもの好きな私としてはもう、嬉しくって仕方ありませんな。

 そのうち、中学生の女の子(と、表示ではなっていた)がこう抗弁しましたね、「そもそも、そのパクりだって歌、本当に愛ちゃんが作ったの?そんなの分からないじゃないの。パクりだってんなら、その歌を本当に作った人に文句言ったら?」

 そ、そりゃないぜ・・・いちおう大塚愛って、シンガー・ソングライターって触れ込みになっているんですがね。自作自演歌手。その基本のところを「そんな事は分からないぞ」とぶち壊すような”弁護”をされて、大塚愛本人はありがたいかなあ?

 私は腹抱えて笑っちゃったのでありました。あ、おかしくなかったらすみません。私は非常に笑えたんですが。





”Too Young”が街角に流れて

2006-05-07 00:33:52 | 北アメリカ


 今日の夕方、書店で立ち読みをしていたら、BGMにナット・キング・コールの”トゥ・ヤング”がかかった。といってもオリジナルの、1950年代のキング・コールのものではなくて、誰やらのカバー曲だったのだが。

 バックの音はそれほど今日化されていず、オリジナルのニュアンスを生かしたものだったが、肝心のボーカルは、キング・コールの奥行きの深々とした歌唱とは似ても似つかぬ薄味であり、がっくりさせられた。
 あれは日本人のものか、外国人としたら、白人によるものかな・・・ともかく、あのようなものがまかり間違ってヒットしてしまったりせぬ事を祈りたい。

 自分の偏愛する現時点ではマイナーの存在の音楽が、何かのきっかけで広くたくさんの人々にも聞かれるようになる、それを好む人もそうでない人もいるだろうが・・・と言うかそれは、その音楽の個性にもよるだろうな。

 私の場合で言えば、同じ偏愛する音楽でも、例えばナイジェリアのイスラム系民俗ダンス・ミュージック、フジやアパラなんて音楽がわが国の一般音楽ファンにも愛好され、町に普通に流れるなんて事になったら痛快だろうなと想像はする。

 が、キング・コールのように自分の遠い記憶の一番柔らかいところに眠っているような音楽を変にいじられるのは不愉快で、出来損ないの薄味のカバーなんか流布されるのはなおさら我慢ならない。撃滅したいと心から思う。

 この曲の歌詞、まだ若過ぎるとの理由でその恋の成就を周囲に反対された恋人同士の歌、と理解していたのだが、あるジャズ・ボーカル好きの人に、そうではない、もっと複雑な歌なのだと教えられた。いわく・・・

 確かにそのような事情で恋が成就しなかった若いカップルが主役の歌なのだが、歌の時制はそのずっと後のこと。結ばれぬままに別々の人生を送った二人が、人生の終わり近くに再会する。そして、誓い合う。今こそ、私たちは私たちの恋を成就させよう。だってもう私たちは、どんな意味でも、もう若くはないのだから、と。”too young”とは、そのような意味だと。

 この解釈があっているのか、歌詞もろくに覚えていず、英語力も定かではない自分としてはなんとも言えず、はあ、そういうものですかと拝聴するだけだったのだが、そうだとすれば、なかなかに苦く、それでいてかみ締めれば奥歯のさらに奥だけで感じ取れるようなかすかな甘美さがあり、ますます深い。

 そういえばこの曲、何度聴いたか分からないくらいなのに、歌詞と言ったら出だしの”they say to tell us we are too young”と、最後の一行、”we are not too young at all”しか覚えていないなあ。ただもう、キング・コールの甘い、でも甘過ぎない歌声と、美しいストリングスの響きに聞き惚れるばかりで。

 まったく、その人の解説した通りの歌詞内容とするとこの歌、今の私の年齢の者にとって、むしろただ事でないものになってくるんだよなあ。いや、ただ事ではないったって、私に洒落た恋の古傷とか、そんなものはありゃしないんだが。




1969年最後の酔っ払い

2006-05-06 01:44:30 | 60~70年代音楽


 「フーテンブルース」って知らねーかな。昔、何とか言う女優が歌ってたんだよ。

”な~んだ~ってどうだっていいじゃないか その日暮らしのフーテンに
 な~んで明日など あるものか~♪”

 ってんだけどね。昔って?だから60年代末期。モーニングブルースってのもあったよなあ。

”嫌だよモ~ニン 朝が来るまで タバコに巻かれて 
 お酒も醒めて寒いばかりさ
 退屈な 足を組みながら 恋なんて 
 軽いゲームのように 終わりにしたいのさ~♪”

 これも何とかって女優が歌ってたよなあ。ヒットしたのかって?しやしねーよ。いやまあ、どうだって良いんだけど、なんか歌いたい気分になってさ。勝手に歌え?いやだから、そこんところしか覚えちゃいねーのさ。

 あーあ・・・嫌だよモ~ニン♪・・・ってねえ。あれから35年も6年も経つんだよなあ。嫌だよモ~ニン♪ってねえ。うん。

 あと、あれだよな、フラワーズの「ラストチャンス」も聞かせろってんだよな。

”君の瞳を 見つめていると これが最後の
 ラストチャンス ラストチャンス♪”

 ってねえ。どうしたかねえ、麻生ルミは。



怪楽器ガルドン

2006-05-03 22:14:23 | ヨーロッパ


 ええと、とりあえず上の写真をご覧ください。ハンガリーの民俗楽器でガルドンと言うんですが、チェロの古い形かなあ、とか普通は思いますね。とりあえずバイオリン系の擦弦楽器として、弓で弾いてメロディを奏でるためのものと想像されます。

 ところがこれが打楽器だってんだから恐れ入ってしまう。弦が4本張ってありまして、チェロだったら弓を当てやすいように山形に弦を張るはずなんですが、これは平らに張ってある。なおかつ、4本とも同じ太さの弦で、同じ音に調弦されている。メロディ演奏の機能は、ほとんどないのであります。

 で、右手に持っている太鼓のバチみたいなもので、平らに並べられた弦を叩いてリズムを叩き出す。右手は弦にあてがってミュートしてみたり、指で弦を引っ掛けて鳴らし、左手の打ち出すリズムにアクセントを加えたりする。扱いは完全に打楽器です。

 妙な楽器もあったものだと思いますねえ。もともとは普通にチェロだったんでしょう。そいつをある日、打楽器代わりに叩いてみたら面白い音がするってんで、そのまま弦楽器系打楽器(?)としての立場が成立してしまった。

 まあ、そんな楽器としての生き方(?)もあるんだろうけど、打楽器になってしまったら少しは見かけも機能も、もう少し打楽器然とした方向に変化してもよさそうな気がしますけどね、何百年かの間に。それがいまだに、いかにもチェロ然とした姿をキープしているのが、またなんとも不思議な気がします。なんか、心ならずも打楽器にされてしまった”元チェロ”の怨念漂う、みたいなね。

 と言うか、我々が当たり前のものとして慣れ親しんでいるいろいろな楽器も、もしかしたらこのような妙な来歴があったりするのかも知れませんなあ。




アフリカの石琴

2006-05-02 03:05:04 | アフリカ

 「カビイェ族のアンサンブルと石琴(フランス盤CD・オコラ)」

 えーと、”石琴”で検索をかけても、サヌカイトとかいう古代日本の楽器のようなそうでもないようなものの記事しか出てこないなあ。そいつじゃないほう、アフリカの石琴の話をしたいんで、演奏中の写真の一つも欲しいところなんだが。

 もう20年位前になってしまうのか、中村とうよう氏が主宰された「アフリカ音楽を聴く会」でレコードを聴き、これは一本取られたなと思わされたのがリソフォン、石琴だった。
 地面に共鳴用の穴を掘り、その周りに大小の石を並べる。そいつを両手に握った、やはり石ころで叩きまくると言う”楽器”である。言ってみれば地球そのものを楽器にしてしまうのであって、その発想の豪快さに感心したのだった。

 レコードのジャケ写真の演奏風景を見せられた時には、完全にパーカッション的な展開を想像したのだけれど、意外にも豊富なメロディも聞かせてくれた。
 ガチガチとリズムを叩き出すばかりではなく、右手に握った石と左手に握った石が、それぞれ、まるでピアノの右手と左手の関係のごとく、カラフルなメロディを対応させる形で音楽を織り成している。素晴らしいものだった。

 それにしても。探してみたアフリカの石琴ではなく、日本のサヌカイトの記事や映像ばかり検索に引っかかった、その八つ当たりで言うのではないが、アフリカの石琴があんなにもダイナミックに生命のリズムを刻んで見せた、というかそもそもいまだ現役の楽器であると言うのに、わが国の石琴、なんだかパワーないじゃないか。

 神秘の楽器サヌカイトのなんのといわくありげな触れ込みで、もっともらしい顔した演奏者が現れて、”チ~ン”とか音を立てると、聴衆一同、まるで全員、悟りでも開きにかかったかのような様子でそれに聞き入る、なんて図を見ると、なんだかなあ、と。
 古代においてそのような演奏が成されていたとする根拠、別にないんでしょ?なんか、胡散臭いよなあ。

 そんな訳で、あの日聞かせてもらったアフリカの石琴を思い切り聞けるアルバムでもないものかと探しているんだけど、上に掲げたCDのように、石琴の演奏「も」聴けるものしか今のところ見つかっていなくて、残念です。

 ところで、この楽器の来日ライブとかいったら、どうなるんだろうね?日本の地面じゃ音が違う、なんていって。かといって、アフリカから地面を運んで来るわけにも行かないよねえ、それは。




オートハープの祈り

2006-04-30 05:10:12 | 北アメリカ


 (演奏者・Bryan Bowers)

 オートハープ。アメリカ合衆国白人民謡の故郷と言ってしまっていいと思うんだけど、アパラチア山系に見受けられる民族楽器である。四十数本の弦を持ち、机の上に置いたり腕に抱えたりして演奏が出来る簡易ハープ。

 和音演奏のためのバーが付いていて、それを押さえれば、とりあえず和音演奏が出来てしまうので、非常に簡単な楽器ともいえるのだが、ひとたびメロディを奏でようとすれば至難の楽器に姿を変えるという不思議な代物。わが国では”フォークグループ、「五つの赤い風船」のヒット曲、「遠い世界に」で使われた”との説明が一番早いか。

 中欧に、映画”第三の男”のテーマ音楽演奏で知られるチターなる楽器があるが、あの楽器のハープ様部分だけ取り出して和音バーを取り付けたみたいに見える。実際、アパラチア山系で、そのようにして生まれた楽器なのではないか。

 爽やかで可憐な和音の響きが身上のこの楽器、私が始めてであったのは、60年代に活躍したアメリカの民謡系ロックバンド(?)、”ラビン・スプーンフル”が使用していたのを見て、であった。リーダーのジョンが抱きかかえた竪琴みたいな楽器が発する”シャラーン”てな和音が印象的だった。

 その時以来、いつか自分も演奏してみたいと考えているのだが、いまだ、楽器を入手していない。買う気になれば国産で2万円台からあるのだが、40本近くの弦のチューニングと言うのはいかにも面倒くさそうで、それが理由に手が出せずにいる。

 今、目の前にあるオートハープのCD数枚。いずれも、Bryan Bowers なるミュージシャンによるアルバムである。オートハープの演奏を思い切り聴きたい、オートハープを主戦武器としている演奏者はいないのかと捜し求めて、とりあえず出会ったのが、このBryan Bowers だった。

 取り上げられている曲はいかにもアパラチアというか、ヨーロッパより新大陸にもたらされた当時の民謡の姿をとどめる、素朴なオールドタイムものがメインである。”スコットランド”などの地域名を含む曲が散見されるところを見ると、演奏者のルーツがあのあたりなのか。

 そのハザマに、亡くなったシンガー・ソングライター、フィービ・スノウを偲ぶ曲などを忍び込ませているあたり、Bowers のいるポジションが想像される。おそらく、フォークブームに沸きかえっていた60年代のニューヨークはグリニッジ・ビレッジの、芸術好きなリベラルの若者たちの年老いた生き残りなのであろう、彼は。

 そもそもが素朴な楽器であるオートハープの、ほとんど弾き語りが中心のアルバムばかりである。地味である。演奏者の Bowers は、確かに達者な腕の持ち主と認められるのだが、しょせん、オートハープ自体がオモチャに近い楽器ゆえ、華麗なテクニックと言う印象には成り難い。どこまでも素朴、純朴な響きは、続けて聞いて行くと、ヨーロッパから新大陸にやって来たばかりの移民たちのささやかな祈りの音楽の印象が強くなってくる。

 例えば”レッド・リバー・バレィ”なんてコマーシャルなお茶の間ソングまでが、不思議に宗教色を帯びて聞こえてきたり。
 いや、実際、遠い昔にアパラチア山系に生きた人々のささやかな祈りや願いが、この素朴な楽器の響きの中に音魂として染み込んでしまっているのではないか。そんな気もしてくるのである。




コミュニケーションの不可能性について(最終回)

2006-04-29 01:32:13 | 音楽論など

 (前回より続く)

 以下は、ある掲示板において行なわれた不毛なる論争の記録です。もう、その掲示板が閉鎖されてしまった今、不毛は不毛なりに記録を保存しておきたく思い、ここに再録する次第です。
 A氏が論争相手、B氏が掲示板管理者です。

 ~~~~~~~~~~

275 議論が成立しない理由 A - 2005/05/21 10:42 -

270のBさんの誠意あるお答えの中で「前向きにどんどん議論して」という言葉が最後にありますが,議論が成立するテーマになっていないのではないでしょうか。
 ここでクリティークの方法が有効であるか否かが問われていないからです。マリーナ号さんが言っているのは好むか好まないかだからです。好むか好まないかのレベルでは議論になりえません。いかにBさんが誠意をこめて例を出して説明しても,このレベルでは「たとえそれが有効であっても,私は好まない」で終ることが可能だからです。
 私が何度もしかたがないと言うのはここなのです。ひとりの個人の好きか嫌いかが,ボードのような公の場所で議論になりえるわけがないのです。好きです,嫌いです,ということは表明できても,そのひと一人の好き嫌いは誰が決定することでもなく,その個人に帰属するものでしかないからです。
 「私は好みません」が結語ならば,それはしかたのないことで議論の余地はありません。私は非難などいたしておりません。ただただしかたのないことだ,と繰り返しているのみです。世の中は「私は好みません」に,お願いですから好きになってください,と頭を下げる人たちばかりではないということです。

 ウェブマスターにこの話題の打切りを提案いたします。

277 中締めということで B - 2005/05/21 23:19 -
労働歌などについて、みなさんの書き込みありがとうございます。おかげで、いろんな角度から、音楽と社会について眺めて見る機会を持つことができました。

いったんこの話はおしまいにしたいと思いますが、その前に274でマリーナ号さんがおっしゃってることについて、ひとことだけ私見を補足させてください。

Aさんはマリーナ号さんの書き込みを読んで、推測を含めて 意見を書かれたんだと思います。そういうことは、対話や議論では普通のことというより、それなくしては、話は進みませんね。

ぼくは話があまり得意なほうではないので、よけいそうなのかもしれませんが、自分のことだけでなく、人の話や文章の限界についても、あれこれ思うことが少なくありません。
相手の言葉が相手の思いをどれだけ正確に伝えているのか、どれだけズレているのかを推測した上で、返事をするようにしています。それがあたっていることも、外れていることもあるのは、この掲示板をごらんになってる方はおわかりになると思います。

書き言葉でやりとりする場合は、文字から受ける印象もばかになりませんね。仕事で自分では何気ない気持ちで書いたことが、人を傷つけていたというような失敗もくりかえしてきました。逆のことも、もちろんありました。

それでも人と話したり、こういう掲示板で意見をやりとりしたりするのは、ぼくの中に基本的に人を信じたいというような気持ちがあるからだと思います。おめでたい? おめでたくったってかまわない、というのがぼくの姿勢です。

Aさんのまとめ方は、マリーナ号さんの意見を正確に理解したものではなかったかもしれません。マリーナ号さんは、そのAさんの文に対して「悪意ある中傷」という印象を持たれたようですが、ぼくはAさんの文章を読んだときに、議論を進めたいという気持ちは感じても、中傷とは感じられませんでした。個人的に存じ上げているAさんのオヤジぽい言い方だなとは思いましたが(すみません、Aさん)。

マリーナ号さんが

「・・・どうも皆さんは。うまい言い回しが思いつけないのですが、音楽の聖性とでも言うのかな、絶対性というのかな、そのようなものを信じておられるようなんで、ちょっと意外でした。」

の中で「うまい言い回しが思いつけない」と書かれていたのもぼくがここで書いているのと同じようなことを感じていらっしゃるからでしょう。たぶん。そして、ここでマリーナ号さんが「音楽の聖性とでも言うのかな」と書かれていたのも、マリーナ号さん推測というか、まとめ方ですよね。

ぼくもいろんな機会に、自分の意見を人から要約されて、「あれ、おれって、そんなこと考えてたっけ」と思うことがよくありますが、多少の誤解は、ブレーキ・ペダルの「遊び」のようなものとして織り込んで、修正できる方向めざして話を進めるようにしています。理由は簡単。そのほうが楽しいからです。理想どおりにいかないこともしばしばですが、こういう掲示板を作った以上は、ここでもそうできたらいいなというのがぼくのささやかな願いです。

ともあれ、みなさん、これからもよろしくお願いします。

280 納得は出来ません マリーナ号 - 2005/05/22 03:49 -

A殿

>ウェブマスターにこの話題の打切りを提案いたします。

ずいぶん、自分ばかりに都合のよい事をいいますね。都合が悪くなったからBさんに助けを求めて逃げ出しますか。

私は、書き込み274において、議論など要求してはおりません。好き嫌いといった話もしておりません。
言いもしなかったことがあなたによって言ったことにされてしまっている、その件に関して問うているのです。
いつ私がそのようなことを言ったのか、事実関係の証明をしてくださいと言っているのです。クリティークのなんたるかなどとは無関係に、事務的に処理が可能なことでしょう。
言ったか言わないか、言ったとしたらそれはいずこにあるのか。物理的に証明が可能な事でしょう。

話をすりかえるのはやめてください。問題を打ち切りたいなら、書き込み274の私の問いに答えてからにしていただきましょう。

Bさんへ

>Aさんはマリーナ号さんの書き込みを読んで、推測を含めて
>意見を書かれたんだと思います
>Aさんのまとめ方は、マリーナ号さんの意見を正確に理解したものではなかったかもしれません

その可能性さえA氏は認めようとせず、書き込み275において話のすりかえに終始しているのですから。これではA氏の”言い逃げ”となり、このままの状態での”仲締め”は、私にとって極めて不公平なものとなる、という事実を、どうかご理解ください。

そうそう、Bさんは今回、こう述べておられます。

>ここでマリーナ号さんが「音楽の聖性とでも言うのかな」と
>書かれていたのも、マリーナ号さんの推測というか、まとめ方ですよね

その件に関し、私は書き込み258において、

>私の表現が不快でしたでしょうか。申し訳ありません。

と、謝罪をしております。A氏は今回、その程度のこともしておりませんよね。その事実を置き去りにして、”中締め”をされるのでしょうか。

281 条件 マリーナ号 - 2005/05/22 04:13 -

Bさんへ

書き込み(280)を削除せずにこのまま残す、という条件を飲んでいただけるのでしたら、中締めに応じさせていただくことにします。

282 回答は投稿271でいたしております。 A - 2005/05/22 18:29 -

もう一度よくお読みください。
私のメールアドレスは公開してありますので,私個人へのメッセージは直接そちらに送ってください。

283 このボードの方針 B - 2005/05/22 22:18 -

マリーナ号さん。

規制ぎらいなので、この掲示板の書き込みは、みなさんの良識にまつ、ということでやってきました。
あまり容量の大きい写真とか、まったく関係なさそうなものは断りなく削除することがありますが、今回の一連の議論はもちろんそれにはあたりません。

これからも情報や感想や意見や質問のやりとりに役立てば幸いです。

284 残払い マリーナ号 - 2005/05/23 00:13 -

Bさんへ

恐縮です。ご迷惑をおかけし、申し訳ありません。

A殿

”投稿271”が回答になっているとは到底思えません。”中締め後”ですので、これ以上は述べませんが。
メールを差し上げることもありません。掲示板上で起こった事を、影の談合で決着をつけるのは筋違いと考えますので。

 ~~~~~~~~~~

 以上であります。ここで私が何か付け加えるのは不公平になるので、このまま記事の後ろに黙して立つこととします。
 あえて一言だけ感想を述べれば、「有名人二人相手にして私も頑張ったなあ、と言いたいところだが、ちょっと私は人が良過ぎたかもしれない」ってなところでしょうか。




コミュニケーションの不可能性について(第3回)

2006-04-28 01:18:23 | 音楽論など

 (前回より続く)

 以下は、ある掲示板において行なわれた不毛なる論争の記録です。もう、その掲示板が閉鎖されてしまった今、不毛は不毛なりに記録を保存しておきたく思い、ここに再録する次第です。
 A氏が論争相手、B氏が掲示板管理者です。

 ~~~~~~~~~~

270 音楽ともろもろ A - 2005/05/20 22:46 -

ここ数日仕事がたてこんでいて、返事できなくてすみませんでした。

Aさん、マリーナ号さん、ぼくの間で微妙に言葉の使い方がズレてきているよ
うな気がします。

マリーナ号さんが

「音楽は革命や運動に”使える”から素晴らしいなんて結論はごめんだ!音楽は音楽だから素晴らしいんだ!」と、要するに言いたかったのかも知れません

とおっしゃっているのは、ぼくもまったくそのとおりだと思います。

そしてAさんは「音楽は革命や運動に”使える”から素晴らしい」と一般化しておっしゃってるわけではなくて、みずからの体験も思い出しつつ、魅力的な音楽で、しかも運動の現場で気持ちを支えてくれる音楽があるとおっしゃっているのだと、ぼくは理解しています。

そのあたり、おふたりのやりとりが、すこしすれ違って感じられます。


マリーナ号さんは別の言い方で次のように書いておられますね。

「”革命”やら”運動”やらに絡めて音楽が語られるのを好みません。」

これは、歴史的事件の中で音楽が流れたりうたわれたりした事実を伝えることを拒むものではなく、それを音楽の評価基準にするな、ということですよね。

ぼくはたとえば仕事で「リリー・マルレーン」という歌を説明しろといわれたら、第二次世界大戦のときに、こんなふうにうたわれたと戦争に「からめて」説明するでしょう。

でも、だからこの曲は素晴らしいというつもりはぼくにはありませんし、歌自体にぼくはあまり思いいれがありません。 この歌に支えられた人もいれば、まるで関心のなかった人もいるでしょう。しかしこの歌に支えられたという人がいれば、ぼくにそれを否定できる権利もありません。とにかく「リリー・マルレーン」はいずれの側からも愛された歌として語り継がれていると、ぼくは書くでしょう。



そうして書いた記事を読んで、だからこの歌は素晴らしいと、飛躍して思う人がいるかもしれない。でも、そこまでいくとやはりその人の誤解だとぼくは思います。

しかしぼくが客観的に説明したつもりでも、誤解する人が多ければ、それがこの歌に、それ以上の意味を与えてしまうかもしれない。

そういう可能性も危惧して、マリーナ号さんは、


「”革命”やら”運動”やらに絡めて音楽が語られるのを好みません。」

とおっしゃっているのかもしれませんが。
そういう意味では、原稿を書くことについて、いろいろ考えさせていただきました。

こういう話は、なかなかする機会がないので、この掲示板で前向きにどんどん議論していただくのは、ぼくは大歓迎です。

271 ユシチェンコもクリップに出ていた A - 2005/05/21 01:01 -

 というわけで,今年のユーロヴィジョンはちょっと楽しいことになりそうです。後日報告いたします。

 今日は気温が24度まで上がったことと,イローナちゃんが10週連続1位を続けていることと

(注・この先の一部の書き込みは、論争と直接関係がないと思われますので、中略とさせていただきます。引用者・マリーナ号)

 マリーナ号さんへは同じことしかくり返せませんが,それはそれでしかたのないことだ,としか申し上げられません。たとえどのような形であなたの前に提出されても(まさにあなたが望むように歴史背景も事件も取り去った粗の音楽原型で提出されても),あなたが労働運動歌,抵抗歌,反戦歌,革命歌を愛することになる可能性はゼロなのです。ご自分がお書きになったことに自覚的でありましょう。あなたは反戦歌の意味を逆に取ることなどいとも簡単である,反戦歌の意味を無化するだけでなく凶暴な好戦歌になりうるのだ,ということを証明したくて,いろいろ珍しい例を挙げられたではないですか。これはあなたがこの種の音楽に対して持っている敵意であり,アレルギーです。だから私はこれはこれでしかたがないと申し上げるのです。

274 これを”しかたない”で済まされたらたまらないので マリーナ号 - 2005/05/21 02:42 -

Aさま
あなたの私に対する書き込みへの”誤解”と言う解釈は、あまりにあなたに好意的過ぎるようですので撤回、改めて発言させていただきます。

あなたは、書き込みNo.259において、私の発言内容に対し、

>苦手で嫌いな音楽というのは誰でも持っているではないですか。
>それを許容してあげられないのはなぜなんでしょうか。

>俺にとってダメな音楽はダメなんだぞお,と言い続けるのは

などと決め付け、数々の批判を行っておられますが、それらの発言は、私にはまったく行った覚えのないものです。 いつ、私が「ダメな音楽はダメなんだぞ」等の発言をしたのでしょうか?これは事実の捻じ曲げによる、悪意ある中傷としか受け取れません。非常に迷惑です。

あなたが非難しておられるような発言を、私がいつ、どのようにしたのか、具体的に指摘していただきたく思います。それが出来ないのであれば、私に対し事実の捏造を認め正式の謝罪をしていただきたく思います。以上、要求します。

追伸。
私は、あなたが言うように反戦歌や抵抗歌を憎んでなどいません。好きな歌さえあります。 ただ、「それが反戦や抵抗をテーマとした歌だから、あるいは政治活動に使われた歌だから、優れているのだ」といった価値観を振り回す、そのような行為を嫌悪しているのです。

(Bさん、皆さん、引きずって、不愉快な思いをさせてしまってすみません。非難されるのは別にかまいませんが、言ってもいないことを言った事にされてしまうのは、私の人権に関わりますんで)


 ~~~~~~~

 (以下、次回に続く)