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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

”にくい貴方”問題

2006-06-15 21:10:37 | いわゆる日記

 わが青春時代にナンシー・シナトラの歌った「にくい貴方」が最近、テレビのCMで流れていますね。「の歌った」って書きましたが、彼女の歌ったものがそのまま使われているのか、それとも最近、誰かにカヴァーされていて、それが使われているのかも分からない。うっかり懐かしがっていいのやらどうやら分からない。

 まあ、ナンシー・シナトラといえば、豪華な水着姿で音楽雑誌のグラビアを飾って、乾ききった我々の思春期の日々に潤いを与えてくれた人、という存在であって、歌声の特徴とか覚えておりゃせんのよね。その後もずっと聞き続けたって訳でもなし。という事情もあるにしても、本人かどうかの区別ぐらい、ついてもよさそうなものをなあ。

 で、今、テレビから例の忘れがたきベースソロを伴い、流れているものをナンシー自身のものと。ちょっと待て。今、それに関して検索してみた結果、あれはナンシー自身の歌声ではなく、ハワイ育ちの日本人歌手があのCM用に新たに吹き込んだものと判明しました。

 あ、なんだ、やっぱりそうだったのか。本物じゃないんだ。と分かった途端、書く気を失くした。と言うか、何を書く気だったのか忘れてしまった。さらに、と言うか。この文章を書いている
、その目の前のテレビがある番組のBGMとして、あの歌のフル・ヴァージンを流したんだが、そうして全体を聴いてみると、ナンシー・シナトラの歌とは似ても似つかないものと感じられる。

 この辺、不思議だと思うなあ。何も事情を知らずに、ただCMで流れているのを聞き流していた時点では、あの歌を歌っているのがナンシー・シナトラ本人なのか、誰かによるカヴァーなのか、どちらとも言い切る自信がなかったのに。事情を知り、フル・ヴァージョンを聞いた今では、見分けがつかなかった自分が信じられない気分。

 ブラインド・フォールド・テストと言うんですかね、情報なしに誰かのアドリブを聞かせてミュージシャンを当てさせる遊びなんかがジャズの世界にはあったりする。いや、テレビのお笑い番組において、目隠しして食べ物を口に押し込み、それが何なのかを当てさせるなんて座興も珍しいものではない。それなどを見ていると、「そんなバカな」と言いたいくらい人は事象の認知においてマヌケ振りを発揮する。

 今回のこの件を、それらとも考え合わせて”我々は何を聞いているのだろう?”なんて考え直してみるのも一興だろう。今回の「にくい貴方」事件でも、多くの人が、「あれはナンシー自身の歌ったものなのか」なんて問い合わせたそうだし、区別がつかなかったかってのファン、私一人じゃなかったのですね、やっぱり。

 目の前のCDの音、きっちりすべての音を聞いているつもりで、実は何も分かっちゃいないのかも知れないのであります。




病床、一人旅

2006-06-13 23:41:04 | いわゆる日記


 あー、天候不順のせいでしょうか、風邪引いちゃったよ。喉が痛くなったり熱が出たり。おかげでここの更新も滞っております。

 以前、ブルースギター弾きの吾妻光良が、風邪で発熱状態にある際のステージにおけるギター・ソロの考察、みたいな事を書いていたんだが、ここはもうヤケだから病床におけるワールドミュージック。つーか、なんの文章にもなっていなかったらすみません。

 上の吾妻の文章にもあったけど、そのそも体調悪い際に音楽はあんまり必要ではありません。静かに寝かせといてくれよ~ってなものですな。それでも何も聞こえていないのは寂しいんで、とりあえず取り出したのがハワイアン関係。これならあんまり体力衰えた身には堪えないだろうし。

 つーか。笑ってしまいますねえ。そもそもワールドミュージックのファンと言うだけでも世間を狭くしているのに、その好みの中心にあるのがタンゴとかハワイアンってのは、どうしようもないんじゃないか。普通のワールドミュージックファンは、そんなの聴かないし。これじゃ二重のゲットーみたいなものでね。んん、まあしょうがないんだけど。

 で、取り出したのがゴンチチの二人組みが選曲したとかのスラックキー・ギターのコンピレイション、”ゴンチチ・レコメンズ・スラック・キー・ギター”です。これなどはのどかな演奏が収められていて、病身の昼寝の共にはちょうどよいですな。アコースティック・ギターがのどかに古きハワイの調べを奏でて行きます。よく聞けば結構複雑なテクニックを使ってるんだが、だれていれば聞き流してしまえる。

 ここでもう一枚のスラックキー・ギターのコンピレイションを思い出しました。”ハワイアン・スラック・キー・ギター・マスターズ vol.2 ”
 これも、結構定番の一枚みたいですが、アメリカ人の編集ということで、ゴンチチ編集盤に比べると、12弦ギターがやかましく鳴り渡ったり。おなじみボブ・ブロズマンがドブロを弾きまくる曲があったりで、ずいぶんギラギラした出来上がりとなっております。どっちがハワイの本質を捉えているのか知りませんが。

 そういえば、この間の”ミュージックフェア”にアラン・トゥーサンが出たみたいだよな。見逃しちゃったけど。あ、すみません、テレビ番組の話ですが。

 先に、ワールドミュージックのファン、とか書いたけど、その状態に踏み込む寸前でよく聞いていたのが彼、トゥーサンの”サザンナイト”ってアルバムだった。元々はルーツ志向のアメリカンロックを愛好していたんだけどね、私は。それが、その辺のミュージシャン連中が南部志向を強め、ニューオリンズの街の魔力などを垣間見せてくれたり、そんなこんなで、ニューオリンズの向こうに広がるカリブ海には、どんな音楽があるんだろうな、さらにその先には?とか、興味は広がっていったんだよなあ。それが祝福か呪いだったかは、まあ、考えようですがね。

 そんなわけで。ニューオリンズの街と、そこに生きるミュージシャンは、私がワールドミュージックの大海に泳ぎ出る母港みたいな感覚がある。で、トゥーサンも、かの地のある面を代表するようなミュージシャンである訳で。

 まあでも、出る番組が”ミュージックフェアー”ですからね、そんな現地直送のドロドロを演ずる筈もなし、まあ、見逃したのをそれほど後悔することもないかな。
 という訳で、何もまとまっていませんが、そろそろ寝といたほうが無事みたいなんで、これで。



追悼・大橋節夫氏

2006-06-10 02:53:52 | 太平洋地域


 日本のハワイアン・ミュージックの大御所、大橋節夫氏が亡くなりましたね。で、追悼文を書いてみようとしてるんだけど、私、あんまりこの人知らないんですわ、実は。

 大橋氏を思い出すとき、まず浮かんでくるのは、その削いだみたいな痩身です。アロハ着てね、ウクレレ持ってニッコリと笑っているんだけど、スッと痩せている。なんか、カミソリみたいな切れ味を感じさせる痩せかたって言い方も相当におかしいけど、まあ、そんな、この人を怒らせたらちょっと怖いぞ、みたいな感じをそこはかとなく漂わせた痩身。

 カントリー界の大御所、ジミー時田氏なんかにも、そういうものを感じたな。若き日の内田裕也氏なんかもその仲間に入れても良いかも知れない。あの辺の世代の、”洋楽”に取り付かれちゃった日本人特有の痩せかた。なんて言い方、成立するのかどうか知らないけど、私にはそのようなものとして見えている。

 こんな内容の追悼文じゃしょうがないな。

 大橋節夫氏には、独特の”日本風ハワイアン”のオリジナル曲があった。一番有名なのは「幸せはここに」か。「月夜の渚と君と僕」ってのも、そうだったっけか。
 「赤いレイ」って小品がありましてね。なにげない、で、ちょっと切ない、夏の終わりの浜辺を、鼻歌で歌いながら歩いてみたくなるようないい感じの歌でね。この歌は好きですね、私。
 



ボサノバに テンションかけるか 演歌の心

2006-06-09 03:29:04 | 南アメリカ


 安易に、かつ、あんまりセンス良くも無く、2流の割にはお洒落ぶった流行り歌のアレンジに登用されているのなど聞くと、ボサノバなるリズム、日本人の感性の非力な部分に似合いの軟弱物件なのかなあと、わが若き日、思い切りウンザリさせられたものである。

 おい、ドラマーよ!な~にをしたり顔で上品ぶってドラムのフチをコツコツ叩いているのだ。お前は何をやりたくて太鼓叩きになったのだ、軟弱者めが!などとボサノバの存在そのものにも、大いに因縁をつけさせてもらったものだ。

 今、時を経て音楽ファンとしての経験も積み、かの音楽の奥深さ、恐ろしさなども、それなりに見えてきているつもりである。例えば今、目の前にある斯道の大家、ジョアン・ジルベルトのCD、これは日本編集なのかな、「ジョアン・ジルベルトの伝説」なる物件。

 1950年代から始まって、デビュー当時のジルベルトのレコーディングを集めたものだが、なんとも玄妙というか、所詮、他民族には理解の叶わぬ深遠なる文化の所産なんだなと溜息をつかされるような作品が目白押しである。どれも、実に短い。ほとんどが2分足らずの演奏時間。絶妙なるギターとさりげない歌いぶり。

 サラッと歌ってスッと退場するそのありようは、まるで俳句か何かの世界を髣髴とさせる。分かりやすい表現をしているように見せておきながら、勘所を掴もうとするとスルリと逃げていってしまう。
 
 その一方で、私はジョアン・ジルベルトに関する、ある音楽ライターのこんな文章を読んだ事がある。あ、もちろん、日本の音楽ライターね。いわく、

 「ヘッドホンを付けて、フル・ボリュームでジルベルトのギターを聴いてごらんよ。ボサノバ・ギターがレッド・ツェッペリンにも負けないほどのテンションを秘めている事が分かるだろう」

 ・・・。そんな不自然な実験をする気もないが、なんでボサノバに、ハード・ロック並みのテンションを求めなければならないのか。聴く音楽を間違えているだろう、それは。何もそこまで無理してまでボサノバを聴くこともあるまい。

 やっぱりボサノバと日本人が関わると、恥ずかしい事になってしまうなあ、冒頭に述べた安易な流用も含めて。

 異民族が洗練と退廃の果てに生み出した、言ってしまえば異形の音楽を、表面の口当たりの良さだけ拾ってきて都合の良いように使う。真髄を捉えたような顔をしたくなると、場違いな価値観を無理やりに当てはめてみたりする。もしかしてボサノバ、恥をかく結果になること必至なので、うっかり近付かない方が無事な代物と心得るべきかも知れない。まあ、この文章も含めて。




ラテン東京!

2006-06-07 04:54:07 | いわゆる日記


 昭和30年代、日本は空前のラテン音楽ブームにあった。町のいたるところで、ラテンのヒット曲が流れていたものである。

 そのブームは、プレスリーが、ベンチャーズが、ビートルズがやって来ても終わらなかった。
 事は音楽のみでなく、全日本人が骨がらみラテン文化に魅せられてしまったのである。

 サラリーマンはラテン鬚を生やし、ソンブレロをかぶって会社へ向かい、女性たちは当たり前のようにフラメンコを習った。

 あまりの国民の熱中振りに、ついに政府も国民にラテン名での戸籍登録を認めざるを得なくなった。フランチェスコ中村やセルジオエンドリコ高橋といった戸籍上の本名を持つ、純日本人が大量発生したのである。

 かって一種の国技とまで言われたプロ野球は人気薄ゆえに廃止され、そのトップ球団だったジャイアンツのフランチャイズ、後楽園球場の跡地に数万人収容の”東京ドーム”なる巨大な闘牛場が作られた。

 湘南にドライブに来た若者たちは「湘南海岸の風景って、なんかメキシコ湾に似てるよね」と笑顔を見せる。
 そしてついに悪乗りした日本人は、霞ヶ関に官庁街としてサグラダ・ファミリア教会のまがい物を、本家より早めに完成させてしまったのだ。

 その日、日本は国際的にも”ラテン系の国”と公認をされる事となった。ブエノス・ノーチェス東京!ソラメンテ・ウナ・ベス。



BGMが合いませんが

2006-06-06 02:52:29 | 音楽論など


 日曜日の夕刻、テレビの料理番組において。
 その土地土地の家庭料理を紹介するコーナーで、BGMにR&B歌手、ベン・E・キングのヒット曲である「スタンド・バイ・ミー」が使われているのが、なんか納得できないと言うか落ち着かない気分にさせられてしまう。

 例えば、土地の漁師の間に伝わる料理を紹介なんて場面で、それは使われるのだ。
 オカアチャンたちが港の一隅に集まり、新鮮な海の幸を利用した鍋料理なんかを作っている。野菜が刻まれ、魚介が鍋に放り込まれる。鍋を囲んだ皆の笑顔。
 そんなのどかな光景のバックに、かのR&Bのスタンダード曲が当たり前のように毎週、流されているのだが、なんとも不釣合いに思える。

 スタンド・バイ・ミーといえば、一つのコード進行の繰り返しのうちにシンプルなメロディを繰り返し繰り返し歌い上げて行き、聞く者を陶酔方向に持って行く、いかにもルーツたるゴスペル音楽の響きを大きく残した、ある意味、アメリカ黒人の非常にドメスティックなポップスと言える。

 なんでそれが、日本の土地土地の庶民の暮らしのぬくもりを伝える番組のBGMに毎週決まって流されるのか。違和感を感じて仕方が無いのだが。
 民族音楽研究の大家、故・小泉文夫氏も再三、この種の違和感について書いていた。例えば時代劇のバックに、ヨーロッパのクラシック音楽のための楽器主体で奏でられる西洋風の音楽がBGMとして鳴り響くのはいかがなものか、と。

 提示される画面に流れる民族の血と西洋音楽は、いかにもそぐわないではないか。なぜそんな無神経な事をして平気でいられるのか。気持ち悪くないか、ええ?

 今回の”スタンド・バイ・ミー”の件に関して裏事情を想像するに、外国の映画か何かで、野外で料理など作る場面でこの曲が流れる、そんなシーンがあったのではないか。そして番組製作者は、映画を見た者同士の了解事項として、同じように野外で料理に興ずるシーンにスタンド・バイ・ミーを平気で流してしまっている、と。そしてその映画を見ていない私は、そのBGMに大いに違和感を抱いてしまった、と。

 でも、番組制作を何度か繰り返すうちに違和感を感じ始めてもよさそうな気がするんだがなあ。上のように裏事情を想定しても、やっぱり変だと思うよ、土地の自慢のナントカ汁と”スタンド・バイ・ミー”の組み合わせは。自分で気持ち悪くないか、出来上がった番組のリプレイを見て。番組制作者よ。

 この種のこと、安易にどこでも行われているけど、音楽の国境を敢えて超える作業と、単なる無神経とは違うと思うなあ、うん。なんて事をいくら書いても「そんなの、普通にどこでもあることじゃん?なにをグダグダいってるんだよ?」なんて反応しか返ってこないんだけど。



電獣ヴァヴェリ

2006-06-04 03:36:43 | いわゆる日記


 ”電獣ヴァヴェリ”フレドリック・ブラウン著

 宇宙の果てからやって来た、電気そのものを食用にする、目に見えない生物。彼らが、人類の発する電気のすべてを発電するそばから食べてしまうので、人類は電気製品普及以前の生活に、無理やり引き戻されてしまう。

 で、人類はパニックになる・・・という話ではないのだ。電気のある生活を奪われた人々は、テレビやラジオをはじめとした騒々しい近代生活から開放され、沈黙のすばらしさを再認識し、あるいは読書に、あるいは自転車愛好にと、古きよき人生の楽しみを取り戻してゆく、といった話だ。

 現実を考えれば、そんな風にはならないだろう。電気なしに、ここまで膨れ上がってしまった人類の生活を、支えきれるものではない。我々の日々は、崩壊に向けて崩れ落ちてゆくだろう。が、これは、1960年代に人類の行く末を儚んで書かれた、後ろ向きの心優しいファンタジィなのだ。

 友人に誘われ、アマチュアバンド(もちろん、電気楽器は無しだ)への参加を決めた主人公が古いフルートを取り出し、「ソフトな、哀調をおびた短調の小曲」を試しに吹いてみるラストの澄んだ叙情が、たまらなく愛しい。

(短編集・「天使と宇宙船(創元文庫)」所収)





ハワイの地霊、歌う

2006-06-03 01:42:35 | 太平洋地域


 ”FACING FUTURE” by ISRAEL KAMAKAWIWO'OLE

 風にひらひら舞うような可憐なメロディを裏声混じりのハワイアン独特の歌唱法で歌われて「そのディープな歌声が」なんて批評をしたくなるのも、この人くらいのものかも知れない。深く土に根ざした美しい歌声が、天高くどこまでも舞い上がって行く。

 ともかく、その体型が凄い。上に掲げたCDのジャケ写真をごらんいただきたいが、ほとんど縦横同じ寸法の真四角のシルエット。ここまで太れば、そりゃ、歌もディープになるでしょう、理屈になっていないが。
 その巨体でちっちゃなウクレレを抱えて歌う姿は、まるでギャグ。聞こえてくる音楽は素晴らしいものであるが、もちろん。

 結局彼はこの超肥満体ゆえの無理が体にたたり、38年の短い生涯しか送れない事になるのだが、残された音源を聞くたび、まったく惜しい事をしたと言うより無いのである。

 今日化された伝承歌と、ハワイアン化されたジャズやその他のポップスの混在。古きハワイの文化の現代化がまったく自然に行なえてしまう人だった。先に述べたごとく、実にディープな手さばきを持って。

 自らが属するハワイの原住民族の伝統を強力に意識した音楽活動を行なった人物でもあった。
 1993年に発売されたセカンド・アルバム”Facing Future”に収められている ”Hawai'i 78”は、奪われたハワイ民族の血と地の神についての歌で、ハワイ主権復興運動について考え始める、良いきっかけになるだろう。

 日本の相撲界で活躍するハワイ出身の力士たちをテーマにした歌、「楽園の雷」というヒット曲が彼にはあり、それに対するジョーク半分の評価が行なわれているのが、ちょっと残念な気がする。というか、その程度しか彼が聞かれていない現実が淋し過ぎるのであるが。

 Facing Future のジャケに記された Israel の言葉を、最後に挙げておく。

 ~~~~~

Facing backwards I see the past
Our nation gained, our nation lost
Our sovereignty gone
Our lands gone
All traded for the promise of progress
What would they say.....
What can we say?
Facing future I see hope
Hope that we will survive
Hope that we will prosper
Hope that once again we will reap the blessings of this magical land
For without hope I cannot live
Remember the past but do not dwell there
Face the future where all our hopes stand

 ~~~~~




ナポリの大道芸

2006-06-02 03:41:37 | ヨーロッパ


”A Pusteggia” by NANDO CITARELLA

 副題に”Neapolitan Street Music”とあり。イタリアはナポリの街路芸人の音楽を今日によみがえらせたアルバムのようだ。

 演者は、ナポリのトラディショナル・ミュージック界の第一人者たち。内ジャケに収録された彼らのまとった伝統的衣装が、収められた音楽の”只者で無さ”を強力に証言している。ある者は権力者に扮し、ある者は色男に扮し、誰も皮肉たっぷりなポーズをとって。

 太陽の恵みをその内に豊富に秘めた南国のメロディが、かの地特有といっていいのか、朗々たる歌声によって歌い上げられ、風刺と諧謔に満ち溢れた毒が、猥雑きわまる歌い口で吐き散らかされる。

 打ち鳴らされる南イタリア独特の大型タンバリンによるタランテッラのリズムが聞く者の血を騒がせ、昔日のナポリの町の喧騒が鮮やかに目の前に浮かんでくる。

 このようなスタイルは、よほど普遍的に存在していたのだろうか。ヴィスコンティの映画、「ベニスに死す」に登場して、皮肉な警句を連発して主人公を悩ませた道化の歌手の一行などを連想せずにはいられない。

 ナポリという町が伝統的に持つ”濃さ”が強烈に匂う一枚となっている。
 



藤原義江と捕鯨の歌

2006-05-31 05:26:07 | その他の日本の音楽


 あるSP盤研究家の方のブログを読んで、藤原義江の「出船の港」が捕鯨船の歌だと言うことを知り、あっそうだったのかといまさらながらに驚いた次第で。
 なんて書いても、この歌や、そもそも藤原義江なんて歌手を知っている人が今やどれくらい残っているのやらと心配になってきますが、まあ、このまま行くよりしょうがない(笑)

 ~~~~~

ドンとドンとドンと 波のり越して
一挺二挺三挺 八挺櫓で飛ばしゃ
サッとあがった 鯨の汐の
汐のあちらで 朝日はおどる

エッサエッサエッサ 押し切る腕は
見事黒がね その黒がねを
波はためそと ドンと突きあたる
ドンとドンとドンと ドンと突きあたる

風に帆綱を キリリと締めて
梶を廻せば 舳先はおどる
おどる舳先に 身を投げかけりゃ
夢は出船の 港へ戻る

(時雨音羽作詞・中山晋平作曲/昭和3年)

 ~~~~~

 なるほどなあ、こうして歌詞を改めて検証してみれば、どうみたって勇壮な捕鯨の歌です。子供の頃、もうその時点で十分懐メロだったこの曲を聴いた時には、そのあまり馴染みのないクラシックの歌唱法と「どんとどんとどんと」なんて奇矯とも感ぜられる歌いだしの歌詞の響きとで、「妙な歌だなあ」としか感じられなかったんだけど。

 藤原義江といえば、戦前の浅草オペラ出身で、欧米でも人気を博し、帰国してからも藤原歌劇団など、日本のオペラの振興に尽くした人気テノール歌手ですね。その彼の大当たりの一枚がこれ、「出船の港」と言う次第で。

 などと言っているけれど、もちろん彼のこと、詳しくなんて知りません。手元にある藤原義江の音源だって、戦前のタンゴを集めたCDセットの中の何曲しかない。本来、クラシック歌手の彼を、それだけであれこれ言うわけにも行かないんだけど。
 その歌いっぷりというのも、いまや聞かれないタイプの、オヤジくさいなんて言っちゃ失礼だな、強力に”父性”を感じさせるものであります。

 捕鯨を規制しようとする動きは、とうに国際的な潮流として固定してしまったかに見えます。
 この動き、もともとは60年代、折から凄惨を極めつつあったベトナムにおける戦役から、各国市民たちのヒューマニスティックな視線をかわすためにアメリカが戦略的行動として煽ったのが起こりと聞くにつけても、また、保護されて増え過ぎた鯨たちの食餌の大量捕食により、生態系がすでに狂いつつあると聞くにつけても、納得できない思いを押さえられないのでありますが。

 ここで唐突に昨日の記事への続きとなりますが、どうですかね、日本国民の皆さん、この「出船の港」を新しい日本の国歌として推奨したいんだが、私は。いや、本気で。