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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ニューオリンズにいられたら

2006-07-19 03:58:12 | 北アメリカ


 テレビを見ていたら偶然、中島美嘉によるニューオリンズに関する番組が始まった。彼女のニューオリンズ・ネタの新曲絡みの番組なのだろう。まあ、そのようなものにそれほどの期待をするわけにも行かないが、事が我が音楽の都、ニューオリンズとなれば知らない顔をしてもいられない。

 想像通り、番組冒頭から、例のニューオリンズを襲った水害の爪跡が紹介される。ニューオリンズに関し、私には嫌な空気だなと思われるものがあって、つまりこのように、”水害にあった悲劇の街”としての面が”ニュース種”としてクローズアップされてしまう事により、本来のニューオリンズが持つ、ホンワカといい加減な音楽の町としての本質がどこかに追いやられてしまうのではないか、と言うこと。

 冗談の嫌いな、深刻な顔して深刻な話をするのが大好きなヒトビトが「ニューオリンズをいかに語るか」を決めるようになってしまうのは嫌だなあ、と言う話である。
 「ニューオリンズを救いたい」とか、”24時テレビ”風に煮込まれた音楽の都なんて御免だねえ。とかいっても、”正義”は水害を語るあっちにあるんで、こちらは黙るしかない・・・ほら、こうなるのが嫌なんだよ。

 このテレビ番組の作りだって、中島とアラン・トゥーサンとの”ハリケーンやらサッチモに関するお話”など交わすのを見せられるより、一曲でも多くのニューオリンズの音楽を聞かせてくれるのがテレビに出来る一番の”音楽の都の愛し方”だと思うんだがね。

 どうしても映像屋さんってのは出演者に座り込んで話し込ませるのが好きなんである。音楽ビデオなんかでも酷いのがあるでしょう、音楽の演奏場面を途中でぶった切ってインタビューを押し込んだりするんだ。

 初期のトム・ウエイツに、”Wish,I Was in Neworleans”という歌があって、あれは好きな歌だなあ。
 音楽の町の安い飲み屋街に紅い灯青い灯がともり、そこをそぞろ歩く胸の高鳴りがうまく歌いこまれてされていると思う。正確には、そんな場所でいい加減な仲間と酔いどれる時間への憧憬が歌われているのだが。酔っ払うたびに聞きたくなり歌いたくなるんだが、さすがに洋楽カラオケにはないだろうなあ。



フラビリーな海辺で

2006-07-18 04:21:40 | 太平洋地域


 そのうち、「フラビリー・サウンドが来ている」なんて事になるかどうかといえば、それはどうか。ポップスの歴史のうちに、そんなジャンルが存在したかどうかも当てにはならず、ただ、”ハワイのフラダンスとアメリカのヒルビリー、二つあわせてフラビリー”などとジャンル名の銘打たれた、マーティ・ロビンス名義の1960年代制作のアルバムが2枚残るのみ。

 マーティ・ロビンスといえば、「白いスポーツコート」の大ヒットで古いポップス・ファンにもなじみの深いカントリー歌手である。彼が、自身のテレビ番組で競演したのがきっかけで親交を持つようになったハワイアンのミュージシャン、ジェリー・バードの協力の下に作り上げた、まあ要するにカントリーのミュージシャンによるハワイアンごっこ、とでもういうべきものが、この”フラビリー・サウンド”なのである。

 確かにアメリカのカントリー・ミュージックとハワイアン音楽は、一見似たようなものではある。シンプルなコード進行と民謡調のメロディ、そしてスチールギターの使用などなど。
 その共通点に寄りかかり、一発正面突破を図って成立させたような音楽ともいえよう、フラビリー。

 と言ってももちろん別種の音楽ではあるのであって、普通ハワイアンでは使用されないペダル・スチールギターが奏でるハワイアン風のリフは、時に妙なものであったりするし、快調なアップテンポの曲など、「無神経であつかましいアメリカ人、ハワイ音楽を蹂躙」と副題をつけたくなるような瞬間もないではない。

 が、おおむね、主人公ロビンスのハワイ音楽への親愛の情が伝わってきて快い出来のナンバーが並んでいる。多文化に無関心なアメリカ人には珍しく、懸命にハワイ語に挑んだ曲などは、なかなか感動的でもある。

 このあたり、協力者のジェリー・バードとマーティの友情がよほどのものだったのではと推察されるのである。実際、二人の友情の証として製作された側面もあるのではと想像などしてしまう。

 ハワイの音楽が受けそうなのでやってみよう、との製作意図がもちろん優先なのであろうが、音楽の根底に、気の置けない友人と音楽をゆったり楽しむロビンスの姿が見える。このアルバムのためにいくつかの印象的な曲を書き下ろしたジェリー・バードの、笑みを浮かべてロビンスを見守る気配が伝わってくる。

 ポップスの歴史の、奇妙なタイムラグの中のひとときの陽だまりみたいな音楽、フラビリーに祝福を、というところで。



マコウを知りませんか?

2006-07-17 03:06:44 | いわゆる日記


 マコウ、という女性シンガ-・ソングライタ-をご存じありませんか?80年代、例の中島みゆきなんかを輩出したヤマハのポップス・コンテストの第25回に優勝し、デビュ-した歌手なんですが。

 「コウ」は、確か「香」と書きましたね。「マ」が思い出せない。「磨」だったかなあ、まさか「魔」じゃないだろうけど。とにかく、そんな感じのややこしい字だった。
 デビュ-曲は「冬の華」と言いましたかね、中島みゆきをもうちょっと演歌くさくしたような曲でした。

 印象に残っているのが、レコ-ド会社が打ち出した彼女の売り込み方法。「いっさい取材はお断り」ってんだから驚いた。
 まあ、昔「私はテレビには出ません」とかいって突っ張るのがイコ-ル、ア-ティストっぽかった時代とかもありましたからね。その一種。いや、それにかこつけて、奇をてらって話題を呼ぼうとしたってのが本音じゃないですかね。で、テレビではどうだったのか、記憶が定かではないんだけど、ラジオでは大量のスポット広告を打ってましたね。その広告の洪水と「取材は受けないんだそうだ」なんて、無理やり作り上げた「神話」で、大衆を動かそうと意図したのでしょうね。

 けどこの企画には、やはり無理があったようで。もう一つ盛り上がりに欠けたようでしたね、楽曲の動きは。人気にさっぱり火がつかない。
 だってね、テレビにもでなけりゃあ、雑誌の取材にも応じないでは、話題になりようがないでしょ、それは。ちょっと企画が無茶だったよ、最初から。

 問題のラジオのスポット広告も初めの内は余裕が感じられたんだけど、しばらくすると「マコウの冬の華、売り尽くすまで売ります!」なんて、なんだか悲壮感の漂う(笑)コピ-付きで打たれるようになっていった。
 レコ-ド会社が狸の皮算用した、「売れるはずの枚数」と実売数が、どれほどの開きがあったのか知りたいものです。無理だろうけど。まあいずれにせよ、「大ヒット曲」には程遠い結果が出てしまったのは確かでしょう。

 で、結局、ヤマハのコンテスト優勝の栄光を背にした新人シンガ-・ソングライタ-、マコウは、レコ-ド会社の大プッシュにもかかわらず、スタ-になることなく時の流れに押し流され、忘れられてしまった訳です。

 レコ-ド会社が策に溺れすぎたってのもあるだろうし、それだけメディア露出を制限したとしても、なおかつ大衆を引きつけうる魅力が彼女の歌にはある、との過信もあったのだろうけど。

 とにかく私は、初めに書いたように、彼女の芸名の正式な漢字表記も覚えていないし、その「冬の華」なる曲のメロディも覚えていない。ただ、「妙な売られ方をしたおかげで売れ損なった女がいたっけなあ」との記憶、これは、ひょっとしたら一生忘れないかも知れんのです。




マンボ王の憂鬱

2006-07-15 03:34:24 | 南アメリカ


 何年か前にNHKでオンエアされた「世紀を刻んだ歌」という音楽に関するドキュメンタリーのシリーズがあった。

 オンエアの際、最も印象に残ったのは「チェコ動乱とビートルズの歌」なる、例の”プラハの春”弾圧と、当時のチェコの人々の心を代弁したと言われる、チェコ人の女性歌手によるビートルズ・カヴァー物語だったのだが、時間が経つにつれ気になってくるのが「マンボ王」ペレス・プラードのライフ・ストーリーなのだった。

 チェコ編の、いかにも時代や政治と対峙した歌、みたいな、五木寛之の小説風に(?)出来上がっている感じのドラマよりも、何の悩みもなさそうに「ウー、アッ!」と上機嫌でショービジネスの世界に君臨していたペレス・プラードが、実は内心、抱えていた屈託、そんなものが気になってきたのだ。

 要するに彼は、「世界に通用するキューバ音楽」を創造し、巷間に大々的に流布させる事に成功した代わりに、「故郷としてのキューバ」を喪失してしまった人なのだ。

 マンボ・ブームを起こし、世界中で愛されながら、故国キューバでは「あいつの音楽はキューバとは関係がないよ」といわれてしまう。音楽の形や味わいを、他の世界の人々好みに変えてしまった、との批判もあるだろうし、「あいつは故国を捨てた」との蔑みもあったようだ。

 なにしろ、彼の音楽の人気が上がり始めるのと比例するようにキューバとアメリカの関係は悪化し、しかも、というかもちろん、というか、彼は故国キューバに身を捨てて忠誠を尽くしたわけではない。彼は革命家ではなく音楽家だったのだ。バンドマンだったのだ。芸人だったのだ。自分の音楽を受け入れてくれる場があれば、どこへなりと出かけて行くのだ。それが生き方なのだ。

 そんな彼の、アメリカでは「辛気臭いお経のようだ」と酷評され失敗作とされているあるメロディが、キューバでは、かの革命の闘士、チェ・ゲバラを悼むメロディとして人々に認知されている、というのも皮肉というか音楽の奥深さを感じさせるエピソードである。

 あの番組、ビデオにとっておけば良かったなあ。と反省する今日この頃。
 



シド・バレットが亡くなったそうですね

2006-07-14 03:13:15 | 60~70年代音楽


 シド・バレット。現役で活動していた期間より”伝説”だった時間のほうが長かった人ですね。それがとうとう本当に伝説になってしまった。

 バレットやピンクフロイドの音楽にはあんまり縁のなかった私にとっての、例えばブライアン・ジョーンズみたいな存在なのかなあ。まあ、ブライアンに較べれば自己の作品も残してくれたし、忘れ去られもしなかったし、シドはいくらかマシな人でした、なんて比較も意味ないか。

 彼にしか見えなかった人生の深遠を覗き込み、それについて語ってくれた、そんな人というのが共通しているのではないかと。

 そのような人たちには”幸福な現世”とか、用意されていないんですね。一瞬の輝きを残して行ってしまう。帰ってこない。我々凡夫はただ、その後姿を見送るしかないんでしょうね。合掌。

 


なあ、ジダンよ

2006-07-13 01:52:50 | いわゆる日記


 サッカー話で恐縮ですが、ワールドカップが終わっても、まだ尾を引いていますね。決勝戦においてイタリアの選手相手に行われたフランス代表選手・ジダンの頭突き問題。

 原因は頭突きを食らったイタリア選手・マセラッティの人種差別発言にある、なんて説も出て、「あれは許されるべきだ」みたいなおかしな方向に論が誘導されている感じで気持ちが悪いですね。何者の意図が反映されているのか知らないが。

 読唇術でマセラッティが何を言っていたか読み取ったとか、FIFAが真相を追究とか言われているけど、それじゃ、その結果によっては、「ああ、そんな事言われたんなら暴力ふるっても仕方ないや」なんて結論を出そうっていうの?

 どんな暴言が成されたとしても、それで”暴力”を正しかったことにしてしまうなんて、絶対におかしいでしょう。

 暴力を振るったのが無名の選手だったら。こんな扱い、されるだろうか?

 ジダンが偉大な選手だったから、”聖人”として祭り上げたほうが営業的(?)に好都合だから、最後の汚点も無かった事にしようなんて薄汚い策略、このまま、まかり通ってしまうんでしょうか。

 おかしい。それは絶対におかしい。

 たとえ間違っていようが、偉いもの、大きなもの、権力を持ったものには無条件ですり寄る、そんな昨今の流行のものの考え方がここでも生きている、そんな感じもしますね、ニュースに接する人たちの反応を見ていると。それも不気味です。

 ついでにチームの血筋に関して。ワールドミュージック・ファンとしては、”ブラックな御フランス”のメンバーが、本来の祖国の旗の下でW杯に食い込んできてくれたらと思わずにおれません。そんな光景を見たいと願う。

 ジダンも、民族の誇りを語るなら、なぜアルジェリア代表を率いてフランス代表と戦わないんだと小一時間、問い詰めたい気分です。 「君はアフリカから来た薄汚い土人だけど、良きフランス人として振舞うのを覚えれば人間扱いしてやってもいいよ」なんて事を言われて(フランスの、異人種・異文化政策の基本姿勢)その気になって、いったい何が手に入るというのか。金か。金なのか、ジダン?



ミャンマーの水かけ祭り

2006-07-12 02:16:28 | アジア


 「ミャンマーの水かけ祭りを祝う音楽」これが、私が始めて聞いたミャンマーのポップスの内容でした。それ以前に、かの地の民俗音楽や、あるいは軍政に抗議する歌を集めたフォークロック調の音楽などには接していたのですが、ミャンマーの一般大衆が日常、楽しんで聞いている音楽とはどんなものかは、そのカセットではじめて知った次第。

 ミャンマーの音楽に関しては、利用させてもらっている通販レコード店のカタログに、「やや調子はずれの歌声もチャーミング」と紹介された翌月、「申し訳ありません。専門家に聞きましたら、ミャンマーの音楽の音階からすると、あの歌い方で調子は外れていないそうです」と訂正が入ったのが印象に残っている。
 それくらい、ミャンマーの音楽は難物である、ということですねえ。ミャンマー音楽を演奏する際、ピアノの調弦も変えてしまわないと演奏不能、とか、ともかくこちらが馴染んでいる音楽理論とは、大分外れて存在しているのが、ミャンマーの音楽のようで。

 まあ、深奥な音楽世界を抱えるインドと、これまた大衆音楽の宝庫と言えるタイ、この両国に挟まれ、かつ北上すると、これも豊かな民俗音楽層を秘めた中国は雲南省(確か、現在の中国の国歌を作ったのも、この地方出身者だった)が控えている、こんなロケーションの国に面白い音楽が生まれない筈もなしですが。

 水かけ祭りとは、ミャンマー暦の新年に先立って行われる伝統行事。”古いことを洗い流して良い年を招く”という意味があるようです。今回、話題に選んだ”祝・水かけ祭り”のカセットは、なんとも甘美な、音楽神・弁天様を想起させる女性のアナウンスで始まり、先行きまったく読めない不思議な構造の、でも決して尖らない、丸っこい、まるで天上の音楽みたいな極楽サウンドが連発される、天然プログレとでも言ったらいいんですかねえ、どう文章化したらいいのやらお手上げの音楽版・タイガーバウムガーデンみたいなしろものでした。

 水かけ祭りってのは、それを聞く限りでは静かな、優雅な仏教のお祭りって感じだったんですが、ニュースで見た実物は、道行く人々が互いにワイルドに水をぶっ掛け合う、ダイナミックなものでした。装飾された車で街を回り、あるいは水かけのための大きな屋台をしつらえの、大騒ぎ。それ以外にも、仏像を洗ったり両親や老人の髪を洗ったり寺の掃除をしたりといった、より内向きな行事も、どうやらあるみたいですが。

 このカセットに仰天させられてから幾歳月、ミャンマー・タンズィンとか、ミャンマーの大衆音楽を表す音楽用語は覚えたんですが、いまだ、どう使っていいのかも分からない。何枚CDを聞こうが、ミャンマー音楽は私には謎のままです。
 まあ、大衆音楽の世界にこんな天然迷宮が存在している、それだけでも嬉しいじゃありませんか、という事で、とりあえず納得しておこうか。ミャンマー音楽バンザイ。




ゲルマニアン・ホームシックブルース

2006-07-11 03:00:32 | ヨーロッパ


 ”Exit”by Tangerine Dream
 
 1960年代から活動しているドイツの電子音楽のバンド、タンジェリン・ドリームの1981年度作品です。
 例えばこの間の北朝鮮よりのミサイル発射、なんて事態に出くわすと、ふと思い出してしまうのが、このアルバムなんですね。

 この作品、まだ国土を東西に分断されたままだったドイツの国民が、「次に核戦争が起こるとしたら、その舞台となるのは我々の国だろう」といった恐怖というか重圧を常に心の片隅で感じていた、そんな時代の空気を伝える作品、なんて誰かが言ってましたが、確かにそんな感じ。どうしようもない閉塞感、終末観、恐怖、そんなものがどす黒く封印された重苦しい出来上がりになっています。

 金属音が不安な表情の軋み音を響かせる中、女性のアナウンスが「アジア・・・ヨーロッパ・・・」と、世界の地名を挙げて行くオープニングは、まるで最終戦争で滅びた地名が告げられて行くみたいに聞こえる。
 歪み、蠢く電子音は、モノクロームの風景の中で空に浮かんだ巨大な分厚い鉄板がゆっくりと捻じ曲がって行く奇怪な幻想を喚起します。

 ドイツ民族があのような四角四面の文明を構築することとなったのは、古代においてゲルマン人の土地が、ローマ帝国の栄光が及ばぬ”辺地”であったから、と聞きました。陽光溢れる南の地の、洗練された血と肉の祝祭を遠くに見、凍りついた大地に、ゲルマン人は彼らなりの無骨な文化を刻んだ。ビールのジョッキにさえも、注ぐビールの量の目安となる印を刻むような。

 ならばこの鋼鉄の呟きのようなものが、彼らにとっての血と肉に関わる魂の歌であってもおかしくはないのだなと、このアルバムの終末幻想に立ち会うことで納得して以来、私はそれまで異物としか思えなかった電子音楽の世界を、親しいものと感ずるようになったのでした。




健身球

2006-07-10 01:23:38 | アジア


 これは楽器といえるのかなあ?とりあえずネット楽器店で購入したんだけど・・・まあ、どう考えても健康器具でしょうけどね(笑)

 健身球。ピンポン玉を一回り小さくしたくらいの大きさの、鋳物の玉である。二つペアで使うもののようだ。これを手のひらの中で転がしていると各種のツボが刺激されて健康に良い、という趣旨らしい。私の持っているものは月と太陽だが、他にも龍やらパンダやら、さまざまな浮き彫りの装飾がなされているのが普通だ。

 玉は中空になっているようで、転がすと、どのような仕組みになっているのか、不思議な音がする。あえて文章化すれば、深夜、遠くにある古い大時計が時を告げているような、奇妙に懐かしいガラ~ンガラ~ンという音である。

 いろいろ想像するのだが、音の出る仕組みはいまだ分からない。玉をただ揺すってみても音はせず、転がしたときだけ、音はする。玉の大きさからすると、ずいぶん重みのある音と感ずる。いやそれより、玉のずっと奥から聞こえてくる、その距離感が面白い。

 机の上に転がしてみる。ガラ~ンガラ~ンと古時計の音をさせながら玉は机の隅から隅へ移動する。こんな、言ってみれば隠微な趣向を、片々たる健康器具にも込めずにはおれない”中国4000年の歴史”を思う。

 ガラ~ンと4000年の秘術が。ゴロ~ンと行ったり来たり。




ケニアでGOGO!

2006-07-08 02:53:49 | アフリカ


”BENGA BLAST! ”by DANIEL OWINO MISIANI & SHIRATI BAND


 アフリカはケニアの、ルオ人のポップス、”ベンガ”の第一人者であります、D・O・ミシアーニの代表作を集めた、80年代の録音集であります。

 相変わらずアバウトな知識しかなくて恐縮なんですが、おそらくこの音楽もザイールのルンバ、わが国で”リンガラポップス”と呼ばれるあれからの、大々的な影響下で生まれてきたものかと思われます。コロコロときらびやかに鳴り渡るギターの響きに導かれ、いかにもアフリカらしいしなやかなコーラスが鳴り響く。ハイハットの刻みも軽やかに突撃するドラムスが快い。

 それでも、リンガラポップスと比べると、例えばギターのフレーズのありようなど、ずいぶん違う感じですな。リズムを構築することを中心において構成音を撒き散らして行く感じのコンゴ・ルンバのギターよりも、このベンガ音楽のギターのフレーズは、よりメロディ主導で組みあがっているようです。聞き慣れると、ギターの奏でているメロディを歌おうと思えば歌えるもの。

 その事情もあって、ベンガは、コンゴのルンババンドたちと比べて、より”エレキ・バンド”色が強い。「ほら、これ、アフリカのグループサウンズ」とか、いい加減なことを言って事情を知らない奴をだましてやるのも一興かと思います。(そりゃ、どうだか)

 歌自体のメロディラインも、より歌謡曲的(とは言い過ぎなんだけど、まあ、ご容赦ください)であって、ますます”ヴィクトリア湖畔のグループサウンズ”色を感じてしまう。

 そして、なにより注目したいのがベース・ギターの動きですな。自由奔放、実にファンキーに動き回るそのさまは、それだけ聞いていてもまったく飽きない。不思議なプレイが生まれたものです。これって、ケニアの、というかルオ人の伝統音楽からの、なんらかの影響とかあるんだろうか?不勉強でよく分からないんだけど、こちらのリズム関知中枢の裏筋を舐められる感じで、たまらない快楽。

 ともかく、なんか独特の愛嬌があって憎めない音楽なんですよ、ベンガって。なかなか音も手に入らないんだけど、もっともっと聞いてみたい。関係各所、よろしくお願いしますよ、ほんと。