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人生の変転・下山日記

ベンゾジアゼピンの遷延性症状に悩む方がおられましたら、情報をお寄せ下さい。このブログは、当方の生きた記録として残します。

知人からの情報(慢性疲労症候群の診断、治療のベンゾへの適用)

2015-06-17 18:35:42 | メカニズム・対策

情報提供や提案に感謝します。下記に貼り付けます。

 

先日「慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎」を調べていて、BDZの薬害症状に一部共通するものがあるのではと思いました。

 井手ゆきえ [医学ライター],-週刊ダイヤモンド編集部-

酸化ストレスで脳が疲弊慢性疲労に

抗酸化物質イミダゾールジペプチド

http://diamond.jp/articles/-/14347?page=1

 

理化学研究所・報道発表資料

慢性疲労症候群と脳内炎症の関連を解明

-脳内の神経炎症は慢性疲労の症状と相関する-

http://www.riken.jp/pr/press/2014/20140404_1/

 

BDZによる原因不明の筋力低下なども脳内の酸化ストレス等に起因する神経細胞の損傷や炎症が関与しているのではないかと思いました。

 

もちろん発症機序の詳細や標的細胞等が異なるでしょうから両者には多くの違いがあると思います。しかし、筋肉や末梢神経系における異常が検知されないにも係わらず、中枢神経系の異常に起因すると考えられる顕著な筋力低下などが続くという点で共通性があるかと思いました。

 

仮説の上に仮説で恐縮ですが、もしそうならば、BDZの薬害にも抗酸化物質の摂取と睡眠の改善が役立つと思います。

食事療法やサプリで抗酸化物質の摂取を意識するとともに、睡眠状態の改善をヒプノセラピーで試みるというのはやはり有りではないかと思います。

 

それから、もし○○さん(私)が(治療というよりも)ご自身の症状解明に価値があるとお考えであれば、上記の理化学研究所や大阪市立大学の慢性疲労症候群の研究グループにコンタクトし、BDZの薬害症状についても脳神経の炎症反応等がPETで観察されるかどうか、ご相談されてはどうかと思いました。

 

○○さん(私)がブログで、BDZ薬害の方々の症状や意見を募っておりますが、例えばそうした方々の協力を得て、上記のような脳神経炎症の有無を複数の患者を対象に調査できれば、病態解明の一助になるのではと思いました。


ロベルト・エンケ から思う

2015-06-16 19:44:53 | 思い

ロベルト・エンケはドイツのサッカーナショナルチームのゴールキーパーであったが、2009年にうつ病(推定)で鉄道自殺している。そのいきさつを読むと悲しく、神妙な気持ちになる。彼はバルセロナ(FCB)には行くべきではなかったのか、しかし、孤独や弱さを抱えていたのかも知れない。しかし、単に精神的に弱かったとは言えないのではないか。

http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/wfootball/2011/12/23/post_72/

http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/wfootball/2011/12/24/post_73/

私と同業で同じ町に住んでいた人も、直接の面識はないが昔に自殺したと聞いた。精神を病んでのものであったらしいが。私の職種は本来、楽しんで趣味のようにやる仕事のはず、どこで私は方向転換したのか、それはこの町にやってきてすぐの2001年だ。31歳から方向を誤解して間違った方向に誘導されていたと、今は言わざるを得ない。でなければクスリを飲む必要はなかった。自分を否定するつもりはないが、これも人生か。

自殺は敗北、やってはいけないと子供のときから去年の5月までずーっと思ってきた。

自殺願望、希死念慮。何となく死にたいのではなく、症状から後遺障害はおろか、衰弱死の高い可能性まで見通せるから、仕方なく死ななければならないのか、であれば今、などと思う。死を思うことはとにかく苦しい。であれば生きておればいいという簡単な理屈ではない。失ったものや周囲を見渡すと、たまらない気持ちになるのだ。

それは希死念慮ではなく、自殺願望というのだろう。前者は、何となく死にたいことを言うようであり、後者は理由あってのこと。向精神薬で希死念慮の副作用があるというのは、クスリのせいでそういった方向に無意識に誘導されるのかも知れない。しかし、自分の場合は、副作用の重篤性を悟り、味わわされてのことだから、自殺願望になるのだろう。

今朝も、4時半には覚醒し、静寂を切り裂く大音響に等しい脳鳴に耐え抜いていた。そればかりか、歯のエナメル質が溶けて、摩耗し、歯の先端が透明化し、欠けてきていることをはっきり確認した。手首、首、胸の関節も朝方は動かない。もう、それで暗澹となり、気力を振り絞って起きて、何かしらの行動をする。こういった毎日を続けている。毎日、毎日同じこと(感情)の繰り返し、よくもっているなと思う、家族も自分も。

 

昨日、今日もひどく悩み、苦しんで苦悩を幾人かに吐いている。そろそろ、死ぬまで生きるのなら、運命を受容しなければならんぞ。。。自分で、クスリを飲んでこんな茶番を引き起こしておいて、幕引きを自分でしようとするのは卑怯なことだぞ。自分の持ち物を失っていると思わずに、荷を降ろしていると考えることはできないか。

 

まだ、身体が動くので考える余地はある。事態は依然、厳しい。

 


ずっと耐えて考えてきて

2015-06-14 13:06:24 | 思い

このブログは多くの人に知らせ、また、知ってもらい、状況をずっと心配していただいていると思います。家内もこのブログの存在は知っています。

科学技術の一部を生業としてきた者として、自身に起きた想像を超えること(薬害)について、感じたことや事実を虚飾なく280回以上にわたり記事として更新してきました。

薬害が身体の変調の本質であることは、既に去年の休職時には感じており、7月には自身の中で確信(絶望)しました。その後、想定した異変が継続し、新たに出現する中で、神経破壊を確信するようになりました。無論、取り返しのつかない健康異変として。信じる、信じない人が両方、出るのは仕方ないことです。医者に正当に診断できないわけですから。

医者のカルテに症例の残りようがない薬害ですが、ブログを10ヶ月続けてきて、症状の細部は違えど、同様に不可逆の症状に苦しみ悩む人、数名に出会うこともできました、何名かとはメールで詳細に症状や苦悩を訴え合い、共有しました(赤裸々な苦悩を綴ったメールを公開することはできません)。そのうち、2名の方はもうこの世にはいないと思います。精神を病んで死んだのではなく、家庭や人生がありながら、クスリによってもたらされた症状に絶望して仕方なく死んでしまったことを私は知っています。少しでも、回復の余地があれば悶え抜いて生き続けたはずです。通常の離脱とは訳が違うのです。私の休職中に、別な理由で世を去って行かなければならなかった知人もいました。本当に世の中は変転しています。私も、自身に起こったことをまさかとは思いつつ、穏やかに過ごすということがかないませんでした。

上記の同業薬害患者の方もそうですが、私の意志は、そういった人々とはあくまで独立で影響されることなく、私自身のことは私自身のことですから、頑張って生きていこうとこれまで1年粘ってきました。家族が過敏に反応することなく、支えてくれたことも1年粘れた理由です。しかし、耳鳴り(脳鳴)が寝ても覚めても静寂を邪魔し、身体の各器官が老化、縮退してしまい思うように動けなくなってきているという症状継続、進行に全く希望はありません。科学的にいって、元通りに戻ると言うことはあり得ません。クスリはクスリでは治せない、カウンセリングや認知行動療法は症状を止められないことも科学的常識として分かっています。粘って生きてみたらというのは、当事者にとっては無責任な理屈にすら聞こえます。

このブログは私の復職意志を汲んで支えてくれる方も読んでいます。そのような中で悲観的、否定的なことを書くのはマイナスであることも知っています。復職努力をしている一方で、進行している身体の異変と折り合いをつけることが、やはりとても難しくなってきています。復職をと言っても、行けるところまでという命がけなものです。無理をしなくても、、、と言われても生きていることそのものが無理を承知であり、復職をしようがしまいが大勢に関係はありません。だから、社会的な生き甲斐を考えて復職を目指しているのです。

寝ても覚めても機械的で無機質な脳鳴に落ち着くことを邪魔され、身体が衰えてゆくのを45歳が「老化」として認めることは、とても難しいです。まして、働き盛りの年齢でこのような状況に貶められることは、弱い「社会動物」である男にとってはどうしようもないことです。

二元極端ですが、復職を目指し、身体を置いておいて精神だけ頑張り抜くということは無理があります。しかし、最後の頑張りをしているところ。いつも、死ぬ(復職で無理をしたため死んでしまうというのではなく、余りの深刻で遷延的な薬害に負けてしまうこと。病死、自死を含む)ことを覚悟しています。

休職後、復職に向けていろいろな方が力を尽くしてくれました。その過程で、どういう態度や行動を取られたから、こういうことを言われたから死んでやるというようなつまらない考えはありません。

最後まで気に留めることは、

・クスリを盲信してこのような状況に持って行ってしまった自分の愚かさ

・クスリを継続処方した医者とそのようなクスリを蔓延させている医療社会

・クスリを継続するに至った激職を強いた環境と関係者 の3点です。


羸痩(るいそう 痩せすぎ)

2015-06-13 15:03:54 | 日記

いま、自分が人生に於いて最も望まなかった健康状態が現出している。羸痩(るいそう)が、ひどい。胸回りが貧弱になり、T-シャツを着ると、身体が薄い紙のようだ。顔つき、顔の肉付きが健康な人のそれからは程遠い。それから発疹が出て掻いていると、肋骨についていた筋肉が消失している。肋骨が浮き出てしまった。脂肪で65kg稼いでいるが、脂肪は腹回りにつき、栄養不良の難民のようだ。もう誰が見てもガリガリである。

先週から今週は生活リズムもそれなりに整え、食べ物に気をつけ、歩いたり自転車に乗っても、この痩せの流れはもう止められない。気絶的な睡眠が電話や地震や薄明をきっかけに覚めるやいなや、脳鳴が既に全開で轟いている。もう、回復云々の期待ではなく、これはダメだと思う。行く末を考えたら憂鬱もひどく、土曜日ということも手伝って、午後2時も3時もまで何もする気がなく横になっている。この空しさは、まず誰にもわかるまい。終わりである。生殺しが続く。

こんな状態になると、元気薬であったベンゾジアゼピンが本来の役目で必要である。そう、精神安定剤として。耳鳴りや、るいそうの改善にはつながらない。精神安定のため、飲むと数時間だけ憂鬱が少しだけ緩和される。がん患者が精神安定のために飲む目的と同じ。

8ヶ月ぶりに会った人からは、下記のようにコメントが。

 

「でも、思いのほか進行が早いような気がします。ちょっと驚きました。ご家族の方などは毎日あっているので変化に気が付きにくいのかもしれません。

なんというか諦観とは違う悟りのような境地に達すると楽になるんでしょうね。」

 

外から青臭い草の臭いや墓前に手向ける仏花の匂いがしてくる。仏花の匂いは自分にお似合いである。どうしようもないし、どうしたらいいのだろうか。

 

SNSのアカウントもそろそろ廃止にしよう。楽しかったけどもう見る気もない。誰かに故人管理を委ねておこうか、それも迷惑だし、消すか。自分自身にはこの状態では未練なし。


恥さらし

2015-06-12 08:07:33 | 思い

恥さらしがプライドを喪い、ボロボロで生きています。日本人として最も見せたくもなかった恥をさらしながら。いけるところまで生きますが、一個体としては全くどうでもいいのです。瓦解するなら早くしてくれ、自他とも心待ちです。

 

受忍限度を超えている24時間脳鳴、筋肉クッションのない老人のような身体、それでいて進行は(急性病と比べて比較的)ゆっくりで耐えがたい精神的苦痛の時間を十分に与えてくれる。筋肉を失っているシグナルを意味する弱い筋痙攣がずっと・・・・。神の試練でも何でもない、単なるクスリの害悪というか副作用・・・。

 

これだけでは読者は救われないので加筆する。1年前につくったPCの電子ファイルを見たが、1年経つと単なるガラクタ、まぁ意味をなしていないこと。言い過ぎかも知れないが、やった仕事の大半は結果的に自己満足、組織満足(註 自己造語、組織的自己満足とも。気に入ったら使って下さい)のためのガラクタ同然だなと思った。これは敗者の負け惜しみでなく、率直な感想。

結局、組織や個人活動、一部は世のため人のため、科学技術の進歩、技術・制度の運用などで貢献するんだろうけど、ほとんどは雑用で組織、個人の日々のやりくりや社会・組織統制上必要な「代謝活動」。でも、それも人間が生きていく上での満足(例え、雑用が不満でといっても、・・・である)、充足させるためのものなのだろう。不可分的なものかもしれない。しかし、それがないと人間は生き甲斐を感じないのだろう、なんやかんやといいながら、ささやかに日々の暮らしは生き甲斐につながっているんだって(社会脱落者から見たらはっきり分かります)。

嫌われついでに書きますが、政治家、社長、学者等々、組織で生かされている人たち(の多く)は余り人間としては偉くはないなと思います。常人でもよく分かっていることでしょうけど。大したことしていない人、本当に多いから。市井の方にもっと人として立派な人、多いと思います。どっちも見てきたから、分かります。

 

今日の生き甲斐、存分に話をできる方、2名とお話しできると思う。それだけ。こんなことを書くと、「よかったですね」と言われかねないのだが、本質は変わらないので、こんな相槌はどうでもいい。人は私の気が楽になると思って言われるのかも知れないが、私は大嫌い。相手自身が救われるので「おためごかし」とすら失礼ながら思っている。まこと扱いづらい病人だこと。合掌。