日本とアメリカの「愛国心」の違いをしみじみ感じた話をします。
私はこれまで十数回アメリカに行っていますが、話は若かりし頃の東アメリカ周遊の旅で、フロリダ・オーランドのディズニーランドに2日間立ち寄ったときのことです。
1日目はディズニーランドを楽しみました。東京・浦安のディズニーランドと寸分違わないパビリオンを観て、なるほどこれもまさしくアメリカだ!と感心しました。
2日目は同じくディズニーランドが運営しているのですが、隣接するEPCOTセンターという巨大な施設を楽しみました。
これは世界の国々が1国1パビリオンとなっていて、全部のパビリオンを回れば世界一周ということになるわけです。もちろん日本のパビリオンもありましたが、規模といい出来のよさといい圧巻は当然ながらアメリカ館でした。
アメリカ館にはいろいろな展示があるのですが、メインは30分ほどの人形ショーでした。
その内容はコロンブスからジョージワシントン、リンカーンと精巧なロボット人形が登場しアメリカ建国のドラマの展開となっており、英語がダメな私も「建国の偉人たちの汗と涙を受け継いで、これからのアメリカはみんなで拓くんだ~!」という熱いメッセージが伝わりました。
会場が明るくなりぞろぞろ退席するのですが、そのとき異様な雰囲気に気づき振り返ったのですが、なんとアメリカ人(たぶん?)みんなが泣いているのです。老人だけでなく、若者、家族みんなが感動のあまり目を真っ赤にして泣いているのです。
その涙は「愛国心」の涙そのものでした。そして「愛国心」をこれほどまでに大切にしていることをひしひしと感じました。
もし日本人に対して日本の建国の歴史を上演するとしたら、たとえば大化の改新、仏教伝来、明治維新・・・・おそらく泣いてしまう日本人はひとりもいないでしょう。
それでは日本人は「愛国心」がないのでしょうか。私はそうではないと思っています。
日本はほぼ大和民族です。日本語が共通言語で、共通の文化で育まれてきました。島国がゆえに他国に征服され統治されたことはありませんでした。
たとえば日本人は親の懐の中にぬくぬくとしている子供のように思います。ずっと懐の暖かさを味わっていればそれが当たり前となってしまい、親のありがたささえも忘れてしまう、それが今の日本人ではないのでしょうか。
しかしその懐から離れなければならなくなったとき、そのとき痛烈に親のありがたさ=「愛国心」を感じるように、「愛国心」はあるのですが当たり前すぎて意識しないだけなのではないのでしょうか。
オバマ氏の大統領就任演説を聞きながら、アメリカの歴史は浅く、それも多様な目的で来た人によって構成されている、たとえば豊かさを求めてきた人たち、一攫千金を夢見てきた人たち、国を追われてきた人たち、奴隷として連れてこられた人たちによって成り立っており、そのため多様な人種、多様な言語、多様な文化が共存している国であることをしみじみ感じました。
それだからこそすべての人が共有できるもの、ひとつとなれるもの、それが「愛国心」ではないのでしょうか。
サブプライム問題で失速したとはいえ、アメリカは経済においても政治や軍事においても、文化やスポーツにおいても世界の他の国を圧倒しています。
その自信と誇りは「愛国心」からくる絆に裏打ちされています。そのためにアメリカ人は何度もなんども「愛国心」を確認し絆を強くしているのではないでしょうか。
この日本で「愛国心」と言えば、右翼的で胡散臭いものとしてのレッテルが貼られます。しかしグローバル化が加速している中、日本人としてのアイデンティテイを真剣に考えるときがきているように思います。
人は自分を愛し、家族を愛し、国を愛することが出来なくて決して幸せになれない。
私はこれまで十数回アメリカに行っていますが、話は若かりし頃の東アメリカ周遊の旅で、フロリダ・オーランドのディズニーランドに2日間立ち寄ったときのことです。
1日目はディズニーランドを楽しみました。東京・浦安のディズニーランドと寸分違わないパビリオンを観て、なるほどこれもまさしくアメリカだ!と感心しました。
2日目は同じくディズニーランドが運営しているのですが、隣接するEPCOTセンターという巨大な施設を楽しみました。
これは世界の国々が1国1パビリオンとなっていて、全部のパビリオンを回れば世界一周ということになるわけです。もちろん日本のパビリオンもありましたが、規模といい出来のよさといい圧巻は当然ながらアメリカ館でした。
アメリカ館にはいろいろな展示があるのですが、メインは30分ほどの人形ショーでした。
その内容はコロンブスからジョージワシントン、リンカーンと精巧なロボット人形が登場しアメリカ建国のドラマの展開となっており、英語がダメな私も「建国の偉人たちの汗と涙を受け継いで、これからのアメリカはみんなで拓くんだ~!」という熱いメッセージが伝わりました。
会場が明るくなりぞろぞろ退席するのですが、そのとき異様な雰囲気に気づき振り返ったのですが、なんとアメリカ人(たぶん?)みんなが泣いているのです。老人だけでなく、若者、家族みんなが感動のあまり目を真っ赤にして泣いているのです。
その涙は「愛国心」の涙そのものでした。そして「愛国心」をこれほどまでに大切にしていることをひしひしと感じました。
もし日本人に対して日本の建国の歴史を上演するとしたら、たとえば大化の改新、仏教伝来、明治維新・・・・おそらく泣いてしまう日本人はひとりもいないでしょう。
それでは日本人は「愛国心」がないのでしょうか。私はそうではないと思っています。
日本はほぼ大和民族です。日本語が共通言語で、共通の文化で育まれてきました。島国がゆえに他国に征服され統治されたことはありませんでした。
たとえば日本人は親の懐の中にぬくぬくとしている子供のように思います。ずっと懐の暖かさを味わっていればそれが当たり前となってしまい、親のありがたささえも忘れてしまう、それが今の日本人ではないのでしょうか。
しかしその懐から離れなければならなくなったとき、そのとき痛烈に親のありがたさ=「愛国心」を感じるように、「愛国心」はあるのですが当たり前すぎて意識しないだけなのではないのでしょうか。
オバマ氏の大統領就任演説を聞きながら、アメリカの歴史は浅く、それも多様な目的で来た人によって構成されている、たとえば豊かさを求めてきた人たち、一攫千金を夢見てきた人たち、国を追われてきた人たち、奴隷として連れてこられた人たちによって成り立っており、そのため多様な人種、多様な言語、多様な文化が共存している国であることをしみじみ感じました。
それだからこそすべての人が共有できるもの、ひとつとなれるもの、それが「愛国心」ではないのでしょうか。
サブプライム問題で失速したとはいえ、アメリカは経済においても政治や軍事においても、文化やスポーツにおいても世界の他の国を圧倒しています。
その自信と誇りは「愛国心」からくる絆に裏打ちされています。そのためにアメリカ人は何度もなんども「愛国心」を確認し絆を強くしているのではないでしょうか。
この日本で「愛国心」と言えば、右翼的で胡散臭いものとしてのレッテルが貼られます。しかしグローバル化が加速している中、日本人としてのアイデンティテイを真剣に考えるときがきているように思います。
人は自分を愛し、家族を愛し、国を愛することが出来なくて決して幸せになれない。