写真は、私の奈良での「つなね」における住居の窓からの風景である。実は、私は2005年の3月に奈良女子大学を63歳の定年で退職した。その記念の会で「一住一切、二住二彩、そして・・」という話をしたのだが、その「二住」とは、「二つ目の住居」という意味で、この住居のことである。今、この住居の窓の前に座って、この文章を書いている。緑が見えているが、これは「つなね」の中庭である。「つなね」というのは23軒でつくった所謂「コーポラティブ住宅地」の名前である。その命名者は奈良女子大学で万葉集の研究などをされている坂本信幸教授である。日本書紀に出てくる名称で、柱と梁を緊縛する「つた」類であり、緊縛の後、長く垂らして「いやさか」を願ったと言う。横文字の多い中で、誠に奈良らしい名前である。
ところで、私は、住居の窓から緑、とりわけ樹木のそれが見えることが重要と考えている。樹木の緑がきちんとあるということは、足元に豊かな大地、養いの水があることであり、空に太陽が輝き、空気が流れ、鳥や虫も飛んでくることである。それらは、とりもなおさず豊かな環境があるということを意味している。私は「つなね」が出来上がった5年ほど前に色紙に「つながりを なお熱を込め 願う家」と「つ、な、ね」を折り込んだ575を書いたが、作者名として「環史人窓」と書いたのである。心はけっして「監視人窓」ではなく、「環境と歴史と人々とをつなぐ窓」ということである。今日は、子供たちが見えないが、緑と共に元気な子供たちを見ながら過去を振り返るのは、私のひそかな楽しみなのである。
ところで、私は、住居の窓から緑、とりわけ樹木のそれが見えることが重要と考えている。樹木の緑がきちんとあるということは、足元に豊かな大地、養いの水があることであり、空に太陽が輝き、空気が流れ、鳥や虫も飛んでくることである。それらは、とりもなおさず豊かな環境があるということを意味している。私は「つなね」が出来上がった5年ほど前に色紙に「つながりを なお熱を込め 願う家」と「つ、な、ね」を折り込んだ575を書いたが、作者名として「環史人窓」と書いたのである。心はけっして「監視人窓」ではなく、「環境と歴史と人々とをつなぐ窓」ということである。今日は、子供たちが見えないが、緑と共に元気な子供たちを見ながら過去を振り返るのは、私のひそかな楽しみなのである。