昨日、今日と平城ニュータウン・朱雀、左京の夏祭りだった。私は、今年は、朱雀二丁目にあるコーポラティブ住宅「つなね」の理事長をしているので、その夏祭りには全面的に参加すべき、と思っていたが、4月から「居住地人間」になりきれず「大学人間」を続けているので、昨日の土曜日も大学のオープン・キャンパスでそちらに出かけた。今日は日曜日なので、午後に夏祭りに出かけてみた。小雨なので舞台を使うイベントは全て中止で、自治会役員たちが「ビール宴会」をしていたので「入ってもエンカイ?」と聞いて一緒に一缶飲んで駄弁ってきた。
平城ニュータウンは人が住み始めて35年ほどになるのではないか。私が奈良女子大に勤めだした31年ほど前には既に住み始めていたのは事実である。こういう余所から新たに集まってきた人たちが仲良くなる方法の有力なものが「祭」である。元々それは、農業や商業を一定の空間、村や町でやっている人たちが収穫の喜びを分ち合ったり、暇な時期を利用してやったもので、いずれにせよ一緒に働き住んでいることに基礎がある。ところがニュータウンや団地では、単にたまたま近くに住んだということでしかない人間関係だ。朱雀や左京といった町名も元々平城京のものではあるが、ニュータウンとは何の関係もない。たまたま平城ニュータウンと命名されたため、そういう町名にしようか、となったのだ。平安京の場合は左京、右京は現実に残っているが、平城京では、それらは残っていなかったことにもよる。
たまたまの人間関係、たまたまの町名を住民主体で実質化していくのは今後のことであろう。
藤原 昭・新奈良市長、行政も宜しくね。
平城ニュータウンは人が住み始めて35年ほどになるのではないか。私が奈良女子大に勤めだした31年ほど前には既に住み始めていたのは事実である。こういう余所から新たに集まってきた人たちが仲良くなる方法の有力なものが「祭」である。元々それは、農業や商業を一定の空間、村や町でやっている人たちが収穫の喜びを分ち合ったり、暇な時期を利用してやったもので、いずれにせよ一緒に働き住んでいることに基礎がある。ところがニュータウンや団地では、単にたまたま近くに住んだということでしかない人間関係だ。朱雀や左京といった町名も元々平城京のものではあるが、ニュータウンとは何の関係もない。たまたま平城ニュータウンと命名されたため、そういう町名にしようか、となったのだ。平安京の場合は左京、右京は現実に残っているが、平城京では、それらは残っていなかったことにもよる。
たまたまの人間関係、たまたまの町名を住民主体で実質化していくのは今後のことであろう。
藤原 昭・新奈良市長、行政も宜しくね。