今日の日本国の政治制度は、幾重にも張り巡らされたガードによって、既得権益の塊とも言える政治家サイドをガードしています。これらの厚いガード壁は、国民にとりましては、国民の権利としての参政権の行使を阻む高いハードルとなるのですが、もう一つ、日本国の民主主義を損ねている阻害要因として挙げるとしますと、それは、政界における宗教団体、並びに、イデオロギー団体の存在です。
目下、日本国の政治は、自民党が頭一つ抜きん出ているとはいえ(同優位性も今後とも維持できるかどうかは分からない・・・)、多くの政党が乱立している状態にあります。これほどまでに数多くの政党が存在しているのですから、国民の選択の幅は広く、いずれかの政党を介して民意も政治に反映される思われがちです。しかしながら、何れの政党を見ましても、宗教色やイデオロギー色が全くない政党は殆ど存在していません。
国民政党を装ってきた与党自民党でさえ、統一教会との関係が、国民が想像していた以上に根深いことが判明しています。公明党に至っては、明らかに政教分離を定める憲法に違反しているにも拘わらず、違憲判決が出されていない現状をよいこととして政権与党の座に居座っています(国土交通相のポストを長期に亘り独占し、利権を握っている・・・)。そして、今日、多くの国民から反感を買っているグローバリズムも、宗教の一種とも言えなくもありません。菅義偉政権下にあって策定されたムーン・ショット計画などを見ましても、カルト的要素に満ちています。
その一方で、野党側にありましても、共産党や社民党をはじめ、その多くは特定のイデオロギーの信奉者であり、これを実践してきた活動家が集まる集団です。左翼思想に共鳴して職場や学校において組織に加入した人々が大半を占めており、その視線は、自らが信じるイデオロギーが示す“理想社会”の実現に向けられています。維新の会などの右派とされる政党を見ましても、その政治信条は、一般の国民に対して必ずしもオープンであるとは言い難いのです。
宗教集団にしましても、イデオロギー集団にしましても、これらの集団のメンバーは、国民にあっては極少数の人々です。言い方を変えますと、特定の宗教やイデオロギーに染まっている人々の私的な集まりであり、思考における特異性や偏向を特徴とする集団なのです(政治権力を握ると、その周囲には、政治的な利権や利益で繋がっている人々も群がるようになる・・・)。これでは、政治と国民一般の民意がかけ離れてしまうのは当然であり、政治サイドと国民との間には精神的な隔たりが出来てしまいます。政党政治の現状は、政治権力が一部の宗教・思想集団によって独占あるいは寡占され、政界は、一般国民が心理的にも近寄れない場所となってしまうのです。‘世界観’を共有していないのですから。
特定の宗教や思想集団に加わらなくては政治家になれない、あるいは、‘踏み絵’を踏まされるとしますと、一体、誰が政治家になろうとするでしょうか。子供達に対する‘将来なりたい職業’の中に、政治家が全くランキングに上がってこない理由も、政治家の世襲化とも相まって、政界の閉鎖性にあるとも言えましょう。
国民のための政治を目指すためには、先ずもって、政治の脱宗教・脱イデオロギーに取り組むべきなのではないでしょうか。国民が自らを益する政策を実現し得る場となってこそ、政治は、本来の存在意義に回帰してゆくのではないかと思うのです。
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