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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

政治の脱宗教&脱イデオロギーを急ぐべき

2025年10月01日 08時51分26秒 | 統治制度論
 今日の日本国の政治制度は、幾重にも張り巡らされたガードによって、既得権益の塊とも言える政治家サイドをガードしています。これらの厚いガード壁は、国民にとりましては、国民の権利としての参政権の行使を阻む高いハードルとなるのですが、もう一つ、日本国の民主主義を損ねている阻害要因として挙げるとしますと、それは、政界における宗教団体、並びに、イデオロギー団体の存在です。

 目下、日本国の政治は、自民党が頭一つ抜きん出ているとはいえ(同優位性も今後とも維持できるかどうかは分からない・・・)、多くの政党が乱立している状態にあります。これほどまでに数多くの政党が存在しているのですから、国民の選択の幅は広く、いずれかの政党を介して民意も政治に反映される思われがちです。しかしながら、何れの政党を見ましても、宗教色やイデオロギー色が全くない政党は殆ど存在していません。

 国民政党を装ってきた与党自民党でさえ、統一教会との関係が、国民が想像していた以上に根深いことが判明しています。公明党に至っては、明らかに政教分離を定める憲法に違反しているにも拘わらず、違憲判決が出されていない現状をよいこととして政権与党の座に居座っています(国土交通相のポストを長期に亘り独占し、利権を握っている・・・)。そして、今日、多くの国民から反感を買っているグローバリズムも、宗教の一種とも言えなくもありません。菅義偉政権下にあって策定されたムーン・ショット計画などを見ましても、カルト的要素に満ちています。

 その一方で、野党側にありましても、共産党や社民党をはじめ、その多くは特定のイデオロギーの信奉者であり、これを実践してきた活動家が集まる集団です。左翼思想に共鳴して職場や学校において組織に加入した人々が大半を占めており、その視線は、自らが信じるイデオロギーが示す“理想社会”の実現に向けられています。維新の会などの右派とされる政党を見ましても、その政治信条は、一般の国民に対して必ずしもオープンであるとは言い難いのです。

 宗教集団にしましても、イデオロギー集団にしましても、これらの集団のメンバーは、国民にあっては極少数の人々です。言い方を変えますと、特定の宗教やイデオロギーに染まっている人々の私的な集まりであり、思考における特異性や偏向を特徴とする集団なのです(政治権力を握ると、その周囲には、政治的な利権や利益で繋がっている人々も群がるようになる・・・)。これでは、政治と国民一般の民意がかけ離れてしまうのは当然であり、政治サイドと国民との間には精神的な隔たりが出来てしまいます。政党政治の現状は、政治権力が一部の宗教・思想集団によって独占あるいは寡占され、政界は、一般国民が心理的にも近寄れない場所となってしまうのです。‘世界観’を共有していないのですから。

 特定の宗教や思想集団に加わらなくては政治家になれない、あるいは、‘踏み絵’を踏まされるとしますと、一体、誰が政治家になろうとするでしょうか。子供達に対する‘将来なりたい職業’の中に、政治家が全くランキングに上がってこない理由も、政治家の世襲化とも相まって、政界の閉鎖性にあるとも言えましょう。

 国民のための政治を目指すためには、先ずもって、政治の脱宗教・脱イデオロギーに取り組むべきなのではないでしょうか。国民が自らを益する政策を実現し得る場となってこそ、政治は、本来の存在意義に回帰してゆくのではないかと思うのです。


*ブログサービスの終了に伴い、本日をもちまして、Gooブログへの投稿は最後となりました。開設以来、長らくの間ご訪問くださりました方々には、深く感謝申し上げたいと思います。まことにありがとうございました。明日よりは、「万国時事周覧」の同名にて開設しております‘はてなブログ’にて記事を書いてまいります。URLは、https://kuranishi-masako.hatenadiary.jp/でございます。なお、今後の記事の投稿につきましては、土日のみならず、祝日もお休みをいただきたく存じます。今後とも、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

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小泉政権誕生?―政治制度改革を考えるべき時

2025年09月30日 12時08分45秒 | 日本政治
 事実上、日本国の首相が決定される日は、自民党総裁選挙が実施される10月4日までの数日を残すばかりとなりました。総裁選挙の情勢につきましては、テレビ朝日「報道ステーション」によれば、小泉進次郎候補が高市早苗候補や林芳正候補を大差で引き離して独走態勢にあるそうです。同報道に対しては、番組の視聴者のみならず、ネット等を介して同情報に触れた一般の国民から疑問の声が上がっており、マスメディアによる世論操作も疑われています。仮に小泉政権が誕生すれば、日本国の民主主義の形骸化は、‘こここれに極まれり’となりましょう。

 もっとも、首相の人選における民意との乖離は、今に始まったわけではなく、日本国の歴史にあって国民の多数が支持する人物が首相の椅子に座ったことは殆どない、といっても過言ではないことでしょう。それもそのはず、現行の日本国憲法の下でさえ、日本国の首相ポストは、‘国民’から何重にも‘ガード’されているのが現状にあるからです。

 第一のガードは、現行の議院内閣制です。日本国憲法では、内閣総理大臣については国会の両院の決議による指名とされますので、大統領制のように国民が選挙によって直接に選ぶわけではないからです。議院内閣制を採る限り、国民と首相との関係は間接とならざるを得ないのです。

 第二のガードは、国会両院の選挙制度にあります。第一のガードに関しては、国会議院選挙によって民意が反映されるとする反論もあることでしょう。実際に、憲法では、首相の指名は、優越権を有する衆議院の議院選挙後に最初に招集された国会にて行なわれるとされています。しかしながら、何れ議院の選挙制度も、首相を選出するために設計されているわけではありません。しかも、衆議院議員選挙で導入されている小選挙区を除き(二大政党制の場合には、事実上の首相選出の選挙ともなる・・・)、比例代表制を含めて大選挙区が多数を占めますので、首相選出に際しての民意の反映度は著しく下がってしまうのです。

 また、第二のガードには、さらに国民に対して阻害的な効果を持つ様々な仕組みが設けられています。国会議員レベルでは300万円ともされる供託金は、財産による制限選挙として機能していますし、選挙に要する巨額の資金も、一般国民にとりましては高いハードルである一方で、政治サイドからしますと国民から自らを守るガードと言えましょう。また、マスメディアが選挙に与える影響力も侮れず、特定の候補者のみが当選するシナリオが予め準備されてしまうのです。

 以上に制度上の主たるガードを挙げましたが、最大のガードとなるのは、政党政治の仕組みにあるのかもしれません。何故ならば、日本国の首相は、国会の両院の指名でもなく、実質的には政権与党内部における党首選挙によって決定されてしまうからです。このことは、世論のみならず、上述した議会議院選挙の結果をも完全に無視して、政党の内部的人事事項として党首、否、首相を決めるこができることを意味します。この状態は、ありとあらゆる魔が入り込むに十分な余地となります。そして、国民から隔離され、ガードされたこの政党という空間こそ、政治家達の派閥や個人的な関係のみならず、グローバリストのマネー・パワーが十二分に暗躍する場とも言えましょう。政党とは、かつては国民と政治との間の距離を縮め、組織をもって繋ぐ民主的な役割を担っていましたが、今や、国民から‘政界’をガードし、民主主義を損ねる要因となっていると言わざるを得ないのです。

 仮に現状を放置しますと、日本国は、もはや民主主義国家とは言い難くなり、主権をも失う状況に至ることは当然に予測されます。小泉候補を始め、政治家は、常々既得権益の破壊や構造改革を訴えていますが、真に改革すべきは、政治家の既得権をガードしている現行の政治制度なのではないでしょうか。首相公選制やリコール制度の導入、あるいは、首相権限の整理・縮小など、改善方法には数限りがありません。国民こそ、未来を見据え、政治改革を考えるべきではないかと思うのです。

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小泉候補の想定外の歴史的役割とは

2025年09月29日 11時56分50秒 | 日本政治
 与党である自民党の総裁選挙は、首相の辞任や解散総選挙がない限り、今後、次回衆議院議院選挙が実施されるまでの凡そ3年以上に亘って、日本国の首相を務めることとなります。議院内閣制を採用しているため、日本国民は直接的に首相を選ぶことができませんので、民意と著しく離れた政権が誕生する可能性は決して低くはありません。マスメディアは、しきりに小泉進次郎候補を推しているようなのですが、その背景として推測されている有力な説は、グーバリストからの‘首相指名’です。日本国において、より一層グローバル政策を推進させるには、最適な人物として目されているようなのです。

 一国を外から操ろうとすれば、自らの‘操り人形’とすべき人物は、自らで考える思考力に乏しく、‘操り手’であるマネー・パワーに対して従順であることが要件となります。何故ならば、‘操り人形’が自分自身の考えを持ってしまうと、命令や指令とは別の政策を採ろうとしたり、‘操り手’に対して反抗するかも知れないからです。

 こうした‘操り人形’としての適性からしますと、小泉候補に白羽の矢が立てられるのは理解に難くないのですが、国民の側からしますと、最悪の候補者と言うことにもなってしまいます。日本国民の大多数は、思考力が高く賢明であり、日本国民に対して誠実であり、かつ、重い責任を自覚している候補者を求めているからです。内外において首相の人選の要件が180度違うのですから、世論とマスメディアの評価が真逆となるのも当然のことなのです。

 かくして、自民党総裁選挙は、グローバリストが日本国の政治に介入する場ともなっているのですが、小泉候補が躓くとしますと、それは、‘操り人形’としての要件が‘裏目’に出てしまった時なのかもしれません。思考力の乏しさは、物事を深く考えないことを意味します。つまり、ぽろりと本音や真実を語ってしまうかもしれないのです。実際に、小泉候補は、‘これまでの政治は国民の声を聞いていなかった’とする主旨の言葉を漏らしています。国民の歓心を買うための発言なのでしょうが、同発言は、同候補を含めて日本国の政治家の実態を暴露してしまったに等しくなります。‘国民の代表’という民主主義国家の建前を忘れて、正直にグローバリストの手先に堕してしまった政治家の姿を語ってしまったのですから。同氏の素直さ、否、浅慮が、グローバリストにとりましては徒となっているのです。

 そして、今般、選挙戦略の一環として同陣営がニコニコ動画への「ステマ」コメントの投稿を依頼したことが発覚し、同一件の責任を取る形で総裁選からの撤退を求める声も上がっています。自らの直接的な関与は否定しつつも、同候補は、「ステマ」コメントの依頼事態は事実とし、一般コメントを装った世論誘導という手法の存在を公に認めました。このことは、自民党総裁選挙のみならず、様々な場面で、世論誘導を目的としたステマ作戦が行なわれている実態を認めたことにもなります。ステマ作戦の実行はグローバリストからの指南によるものなのでしょうから、同勢力は、自らの手の内を明かされてしまうことにもなったのです。今後は、マスメディアのプロパガンダと同様に、国民の多くは、不自然なコメント群はステマと見なし、易々とは誘導されなくなることでしょう。

 このように考えますと、日本国の歴史における小泉候補の役割とは、グローバリストが意図したものとは違い、図らずも傀儡化した日本国の政界の実態を暴き、国民に重大なリスクを知らせることであったと言えるかもしれません(もっとも、グローバリストは、‘操り人形役’をより怜悧で計算高いなサイコパス・タイプに乗り換えるかも知れない・・・)。ステマ事件を機に同候補が総裁選から降りるのかどうかは分かりませんが、それがいかに不正に満ちた汚いものであれ、少なくとも政治の裏側が見えるようになった点においては、一般の日本国民にとりましては、不幸中の幸いであったように思うのです。

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はてなブログへのお引っ越しのお知らせ

2025年09月27日 11時53分30秒 | その他
 Gooブログの終了に伴い、本ブログ「万国時事周覧」もお引っ越しすることとなりました。お引っ越し先は、はてなブログとなります。既に、はてなブログに同名のページを開設しておりますので、10月1日以降は、同ブログにご訪問くださいましたならば、大変、うれしく存じます。URLは、https://kuranishi-masako.hatenadiary.jp/となります。

 拙い記事ではございますが、今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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シャインマスカット栽培権NZ供与問題が示唆するグローバリスト政府の問題

2025年09月26日 11時17分31秒 | 国際経済
 マスメディアの報道によりますと、来るべき自民党の総裁選挙では、小泉進次郎候補が多くの党員の支持を集め、優勢な状況にあるそうです。しかしながらその一方で、国民の多くは、小泉政権の誕生を必ずしも歓迎しているわけではありません。むしろ、前回の総裁選挙と同様に、小泉純一郎政権、すなわち、グローバリスト政権の再来を危惧していると言えましょう。

 小泉候補のグローバル路線は、農林水産大臣の職にありましても顕著に観察されます。本日も、同農水相が、日本国にあって農業・食品産業技術総合研究機構が30年かけて開発されたシャインマスカットの栽培権を、二ユージーランドに供与しようとしたところ、生産地である山梨県の長崎幸太郎知事が方針の撤回を要請したとするニュースが報じられていました。小泉農水相もさすがに強行突破はせず、‘産地の理解を得ずして供与することはない’と返答していますが、同記事を配信したロイター社の記者の質問に応える形で、農水相の担当者は、理解が得られるよう、今後、産地に対して説明していくとしていますので、ライセンス供与の方針は維持されるようです。

 同記事の内容で注目すべきは、出発点にあって、日本国の農林水産省に対するニュージーランドの民間企業からの相談があった点です。つまり、海外の事業者がシャインマスカットの栽培ライセンスの供与を求めたことが、本件の発端なのです。このことは、日本国政府が、日本国内の生産者や地方自治体に諮ることも、意見を述べる機会を与えることもなく、海外事業者からの要望に応えてしまう現状を示しています。同一件からも、日本国政府の、いわば‘海外ファースト’の現実が見えてくるのです。

 トランプ関税に際しての日米関税交渉にあっても、政府は、国民に十分な情報を与えることも、国民的な議論に付すことも、ましてや国民の声を聞くこともせず、独断で自国に不利な条件で合意してしまいました。アメリカとの関税交渉という表舞台での出来事であり、全国民が利害関係者となるために注目を浴び、また、批判もされることとなったのですが、これは氷山の一角であり、より目立たない一部の事業や産業に限定した省庁レベルでの案件であれば、海外事業者等に対する優先的な利権供与等は日常茶飯事なのでしょう。

 外国人問題の悪化も、新自由主義者の指南の下で日本国政府がグローバルな人材派遣業の一端を担うことによって生じた問題とも言えるのですが、政府がグローバリストの‘出先機関’となりますと、海外企業の‘御用聞き’の立場となってしまいます。因みに、ニュージーランド政府は、新たな中央銀行の総裁として、スウェーデン中央銀行の第1副総裁を務めていたアンナ・ブレマン氏を指名しています。女性初の中銀総裁として報じられていますが、スウェーデン人、すなわち、ニュージーランド国籍を有しない外国人であることに驚かされます。二ユージーランド政府の説明に寄りますと、「世界規模での検索の結果、300人の候補者が特定」され、同氏が選ばれたとされていますが、同採用方針からしますと、国籍はもはや関係ないようです(AIがデータを検索して選定?)。

 国籍不問ともなりますと、新総裁がニュージーランドの国民のために金融政策を行なうのかどうか疑問のあるところなのですが(グローバリストの利益に奉仕するのでは・・・)、日本国でも、グローバリスト政府ともなれば、やがて日銀総裁に外国人が就任する、即ち、直接にグローバリストが送り込まれてくるかもしれません(間接支配から直接支配へ・・・)。植民地主義と紙一重であるグローバリズムの真の姿は、時計の針が進むと共によりくっきりと国民の前に現われてきているのではないかと思うのです。

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日本人の国民性は陰湿すぎるのか?

2025年09月25日 11時58分54秒 | 社会
 ‘国民性’とは、正確に捉えたり、的確に評価することは難しいものです。その理由は、国民の一人一人の性格は違いますし、評価する側も、一人、あるいは、一部の国民の観察結果から結論を導き出してしまっているかもしれないからです。とは申しますものの、社会というものが人々の思考傾向に影響を与えているとしますと、国民性とは、全てではないにせよ(先祖から受け継がれるDNAも脳の思考回路や性格に影響を与える所与の要因かも知れない・・・)、その国の歴史を通して培われてきた社会の在り方を、その国の国民の思考や行動パターンの一般的な傾向として表現していると言えましょう。

 国民性が‘社会の鏡’であるとしますと、ウェブ上のGOETHE誌に掲載されている日本人の国民性に関する記事は衝撃的です。何故ならば、記事のタイトルは、「日本人だけが他人を潰したがる? 学術実験で見えた“陰湿すぎる国民性”」とあるのですから。学術的な研究の結果、日本人は、「スパイト行動」が顕著に強いことが判明したというのです。スパイト行動とは、学術的には「自分の利益が減っても相手を陥れようとする行為」を意味するそうです。

 日本人を陰湿過ぎると結論づけた同研究結果は、ゲーム実験によるものです。同実験は、日本、アメリカ、中国の三カ国の‘国民’を対象として実施されました。ゲームの具体的な内容は、「公共財に投資をすると自分はその利益を得られる一方、公共財であることから相手にも利益があるという状況」を設定し、被験者に投資の是非を判断するというものです。同ゲームの結果、他の二カ国の‘国民’よりも、日本人は、他者の利益になるくらいならば(‘タダ乗り’)、自らには利益とならなくとも投資しない、とする判断が多かったことになります。この結果に基づいて、日本経済の低迷の原因を、技術革新を感情的な批判によって潰し、成功者を妬む日本人の国民性にあると指摘しているのです。

 同結果が正しければ、日本国は、足の引っ張り合いが常態化し、出る杭も打たれることを怖れて自ら出ようとしない社会、すなわち、全体からすれば自滅社会ということになるのですが、この結論は、急ぎすぎているようにも思えます。そもそも、被験者の数、年齢、性別、職業、所得水準、居住地など、実験に参加した被験者の詳細が不明です。しかも、国民性の実験でありながら、被験者が、その国の‘国民’であるのかも分かりません。アメリカは、元より多民族国家ですし、中国も、南北をはじめ出身地による違いが顕著です。日本人でさえ、戦後は外国人人口の増加により、被験者が必ずしも民族的に‘日本人’であるとは判断できない状況にあります。つまり、‘国民性’として評価し得るだけの、三カ国の被験者の属性や要件が揃えられているのか不明なのです(例えば、高齢者、男性、社会人のグループと、若者、女性、学生のグルプープを比較しても‘国民性’の比較として一般化できない・・・)。

 また、日本人は、「相手がタダ乗りするのは許せないという感覚」が強いとしていますが、この見解にも別の解釈があり得ます。それは、日本人は、受益と負担に関する公平意識が強い、という解釈です。むしろ、公平性を無視してタダ乗りを許す国民性こそ問題である、という見方もできましょう(日本人が開発した革新的な技術を、中国が‘タダ乗り’して量産している現状もある・・・)。今日、在留資格を得た少なくない中国人が、日本国の公的医療保険制度に‘タダ乗り’しているという問題は、中国人の国民性に起因しているとする理解も成り立つからです。また、アメリカでは、富裕層が寄付や慈善活動に熱心な一方で、労働意欲を失った人々が多数出現し、格差社会が固定化されてしまうのも、タダ乗りへの寛容さに因るのかも知れません。

 さらに同記事は、日本人のテクノロジーに対する不信感へと飛躍してゆきます。これは、米国のエデルマン社による調査結果の紹介なのですが、テクノロジーが利益をもたらすにも拘わらず、それを信じようとしない日本人の傾向を、日本人の成功者に対する嫉妬心として説明しているのです。しかしながら、日本人のテクノロジーへの不信感は、テクノロジーの悪用に対する警戒心として捉えることもできます。ITによって監視社会となってしまった中国の現状や先端的なバイオテクノロジーを用いたコロナワクチンのリスク等を目にすれば、テクノロジーに対して無条件に信頼を寄せる方が余程危険ですらあります。

 以上に、陰湿どころか、‘陰湿過ぎる’とまで言い切った同記事に対して疑問を投げかけたのですが、本記事は、陰湿に同研究の足を引っ張ろうとしたのではありません。個々人のアイディアや才能、あるいは、負担(投資を含めて)などが、多くの人々に利益がもたらされるような社会を築くことは、日本人のみならず、すべての諸国の国民の共通課題でもあります。疑問に満ちた実験結果をもって日本人陰湿論を説くよりも(おそらく、これを’陰湿’な虐めとして受け止めて、心穏やかではいられなくなる日本人も少なくないのでは・・・)、どのようにしたら、人々の負担と利益が調和する社会が出来るのか、具体的な提言を行なった方が、遥かに有益であったと思うのです。

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グローバル・ガバナンスと民族自決権

2025年09月24日 11時16分24秒 | 国際政治
 ここ一ヶ月の間に、中国の習近平国家主席は、国際社会に向けて‘グローバル・ガバナンス’に関する自らの見解を明らかにしたようです。一つは、天津で開催された上海協力機構(SCO)首脳会議での発言であり、もう一つは、「抗日戦争勝利80周年記念式典」の軍事パレードに際しての演説です。そもそも、‘グローバル・ガバナンス’という言葉を使っていることに同国の帝国主義的な世界観、否、背後に潜むグローバリストの存在が滲み出ているのですが、実態はどうあれ、自らが主導する「グローバル・ガバナンス・イニシアティブ」は、‘主権の平等、国際的な法の支配、多国間主義等の原則に基礎を置くものである’と述べたとされます。

 これらの原則を踏みにじってきた中国の行動を考慮しますと、余りの真逆ぶりに唖然とさせられるのですが、仮に、国際社会において民族自決権という民族集団としての権利が失われたとすれば、この習主席が掲げた基本的な三つの原則は、中国の実態と必ずしも一致しないわけではありません。何故ならば、全ての国家にあって主権を中国が握り、中国が自らを正当化する国際法を制定すれば、三つ目の多国間主義も、‘中国の支配下にある国家群’の並列性の維持に過ぎなくなるからです。もちろん、中国を‘グローバリスト’に置き換えれば、まさしく‘グローバル・ガバナンス’ということになりましょう。

 さて、少なくとも日本国の現状を見る限り、このシナリオは、絵空事ではないように思えます。日本国政府の‘悪代官ぶり’は、今や板に付いています。そして、今日、イギリス、フランス、ドイツ等で起きている激しい移民反対のデモや反政府暴動なども、突き詰めて考えてみますと、民族自決権、並びに、それが含意する民主主義をサイレントに侵害するグローバリズムに対する拒絶反応、あるいは、祖国喪失の危機感の現れとして捉えることもできましょう。今日、全世界で見られる現象は、過激な極右でも、衆愚のポピュリズムでもなく、自然な国民感情としてのナショナリズムとして理解した方が、余程、国民の抱く危機感を的確に表現しているように思えます。

 国家という地理的な枠組みだけは残されても、居住する民族、即ち国民が入れ替わり、主権も失われ、政府は‘グローバル・ガバメント’の末端機関に過ぎなくなるとしますと、国民は、この‘未来’を歓迎するのでしょうか。保守政党は、常々、先の戦争で国家に殉じた方々の御霊に哀悼の意を捧げ、自らの命をもって祖国を護ろうとした揺るぎない愛国心を讃えていますが、マネー・パワーに籠絡され、グローバリズムの名をもって自国を易々と明け渡してしまうのでは、戦死された方々の御魂も浮かばれないことでしょう(パフォーマンスで靖国神社や慰霊碑に参拝しても、逆に罰が当たるのではないかと思ってしまう・・・)。

 マネー、サービス、人までが、何らの障害もなく国境を越えて自由移動する世界を理想とするグローバリズムは、実のところ、民族自決権とは両立しません。マネーが自由に移動すればグローバリストのマネーパワーに配され、サービスが自由に移動すればグローバル企業による独占や寡占が出現し(画一化・・・)、そして、人が自由に移動すれば、多くの諸国にあって人口大国の民族がやがてはマジョリティーとなることでしょう。中国は、これら三者の優位性において既に‘勝者’の地位を約束されているようなものです

 中国とグローバリストとの関係は、どこか、かつてのモンゴル帝国とその指南役ともなったユダヤ・イスラム商人との関係を思い起こさせます(後者は、征服地の住民を奴隷として売り払っていた・・・)。現代の国民国家体系とは、各々の民族に独立国家を有する権利を認める民族自決を原則としており、この原則が崩れますと、当然に、国際社会もその根底から不安定化します。同国際体系の動揺と崩壊は、グローバリストにとりましてはグローバル・ガバナンス、即ち、‘世界政府’への道となるのでしょうが、日本国を含めて大多数の諸国の国民が先ずもって確認すべきは、グローバリズムとは、危険思想であると言うことなのではないでしょうか。

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対中政策の凄まじいダブル・スタンダード

2025年09月23日 11時43分29秒 | 日本政治
 日本国政府は、近年、中国の軍事的脅威を根拠として、防衛費の増額に乗り出しています。かねてより習近平国家主席は台湾の武力併合を公言して憚らず、同首席の決断次第では、明日にでも台湾有事が起きても不思議はないような雰囲気を醸し出しています。NATOとの協力強化も対ロシアよりも対中対策の一環としての意味合いが濃く、日本国政府の方針は対中脅威論を基本としています。

 日本国内には在日米軍基地が設けられていることもあり、台湾侵攻を前にして中国が、日本国に対しても工作活動を仕掛けてくることは疑いようもありません。アメリカの台湾防衛戦略にも、前線であれ、後方であれ、既に自衛隊の軍事支援が組み込まれていますので、中国にとりましては米軍のみならず自衛隊も敵軍であり、日本国も‘敵国’となるのでしょう。日本国は、中国から直接的な攻撃を受けるリスクに晒されていると言えましょう。

 中国の軍事戦略からしますと、米軍基地や自衛隊基地周辺の土地の取得は、同盟軍側の軍事活動の妨害や傍聴等を目的としているのでしょうし、昨今、問題視されている中国人による水源や農地取得面積の増加も、あるいは有事に際しての日本国民に対する‘兵糧攻め’の準備であるのかも知れません。もちろん、一般の中国人移住者や事業者を装った、所謂‘スパイ’や‘工作員’というものも、密かに多数送り込まれていることでしょう。有事にあって相手国の戦闘能力を低下させる、あるいは、敗北に導く方法は、内部崩壊を仕掛けるのは常套手段です。第一次世界大戦にあって、キール港の水兵の反乱を機にドイツ帝国が瓦解し、戦局にあっては有利に情勢にありながら敗戦国となったように(同世界大戦での主たる戦場はフランスであった・・・)。

 中国脅威論が事実であれば、日本国政府は、中国人に対しては、それが観光目的であれ、日本国内での居住であれ、入国制限を設けるはずです。ところが、外国人問題への対応を見る限り、日本国政府の対中脅威論は、途端にトーンダウンしていまいます。今般、ようやく見直すこととなった在留資格の緩和も、中国人を呼び込むための政策としか見えませんし、中国人による農地を含む土地や不動産の取得等も放置状態でした。自民党総裁選挙に立候補している茂木敏充前幹事長が外国人問題への対応のために視察した先も、クルド人問題が深刻化している埼玉県の川口市です。クルド人が日本国の安全保障上の脅威となる可能性は殆どありませんが、中国人の場合には、全国レベルの問題ですし、桁違いの人口パワーとマネー・パワーがありますので、有事平時共にそのリスクは計り知れません。しかも、中国人問題については、マスメディアやSNS等でも規制がかかっている節もあるのです。

 日本国政府の態度は、右手で拳を振り上げながら、左手では手招きをしているようなものです。真逆の政策が同時に遂行されているのですから、国民の政府に対する不信感は募るばかりです。この凄まじいダブル・スタンダードぶりは、同盟国であるアメリカの要請に応える一方で、中国、並びに、グローバリストのマネー・パワーにも屈している、日和見主義とも言うべき、今日の日本国政府の姿でもあります。否、実のところは、両者は裏では結託しており、米中対立の演出によって、自らの利益となるように日本国を上手に利用しているのかも知れません。
 
 日本国政府の中国に対する‘ちぐはぐさ’は、日本国の主権喪失の危機の現れでもあります。日本国は国民主権の国ですので、主権喪失とは、民主主義の形骸化をも意味することになりましょう。二枚舌に騙されたり、自滅に誘導されることなく、日本国の独立性を保つためには、先ずは日本国民の多くが知性と洞察力を磨き、政界の現実を見据えることこそ肝要なのではないかと思うのです。

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在留資格の要件に憲法の学習を

2025年09月22日 11時38分11秒 | 日本政治
 外国人人口の急激な増加は、日本社会に多大なる影響を与えているにも拘わらず、自民党の総裁選挙の様子を見る限り、選挙の争点にはなりそうにもありません。先の参議院議員選挙では、最も有権者の関心を集めた争点であっただけに、外国人問題に対する国民世論との温度差は明白です。自民党の消極姿勢は、低下傾向にある自民党の支持率をさらに下げてしまう要因ともなるのですが、おそらく、同党は、国民の声を聞かずとも、政権を維持できるものと判断しているからなのでしょう。グローバリストのマネー・パワーが後ろ盾にありますし、内外の中国パワーの支持も受けていることでしょう(両パワーは、おそらく原点を辿れば同根では・・・)。

 唯一、対処の兆しが見えてきたのは、経営・管理ビザ等の在留資格の要件の厳格化なのですが、資産規模の大幅な引き上げや日本語の習得を要件に加えたとしても、諸外国と比較すれば、決して厳格な要件とは言えないようです。そして、もう一つ、高い規制効果が発揮し得る要件として加えるべきは、日本国憲法の学習ではないかと思うのです。

 日本国内にあって最大の人口規模を誇るのは、中国籍の人々です。日本国内の不動産や農地の購入、転売ヤーやマフィアのダミー企業の経営、さらには、中国経済ネットワークの形成と言った諸問題の大半は、日本国の在留資格を有するこれらの合法的な中国籍の事業者が引き起こしているのですが(この点からすれば、不法移民の取締を徹底しても、問題は解決しない・・・)、中国人人口の増加は、治安の悪化や経済的支配に限るものではなく、政治的なリスクもあります。それは、中国が、共産党一党独裁体制の国であるという点です。

 中国人による日本移住が加速化した理由としては、中国の富裕層が日本国を避難先にしているとする有力な説があります。同説に耳を傾けますと、これらの中国の人々は、母国の共産党一党独裁体制を嫌い、‘自由’で‘民主的’な国である日本国に逃げてきた人々のように聞えてきます。反体制派の人々が海外に亡命したり、逃避したりする事例は珍しくありませんので、‘共産主義体制に批判的な故に日本国に逃げてきた人々’というイメージで捉えられてしまうのです。

 しかしながら、この政治的な逃亡者としての在日中国人のイメージは、実態と一致するのでしょうか。確かに、数%の人々は、それが‘隠れ’であれ、中国の現体制に反対する自由主義者や民主主義者であるのかも知れません。しかしながら、中国という国を観察していますと、実態が、全く逆である可能性の方が高いように思えます。それは、共産党一党独裁体制の恩恵を十分に享受している体制派であるからこそ、中国国内において経済的利益を享受し、さらには、よりよい生活を求めて、治安良好でインフラ等が整備された日本国に移住しているという可能性です(多少贅沢な生活を送っても、他の一般の中国人から反感を持たれることもない・・・)。

 そもそも、自らに有利であるとする確信なくして、中国が、自国民を海外に大量に移住させるはずもありません。反体制派の人々が存在するとすれば、ITを駆使した国民監視網を使って厳重なる監視下に置いていることでしょう。自宅軟禁されているか、何れかの収容所に押し込められているかも知れません。言い換えますと、日本国に移住してきている人々は、比較的自由な行動が許されている特別の人々であり、むしろ、中国共産党や現体制に対する忠誠心において高く評価されている人々とも言えましょう。もしくは、中国政府が進めている‘海外植民計画’において、‘入植者’として選ばれた人々なのでしょう。

 また、中国の急速なる経済成長において富裕層となったのは、主として特権的な地位にあり、私的に利権を握った中国共産党員でしたので、日本国に移住してきた中国人の大半も、中国共産党員もしくはその親族や家族であるとも推測されます。そして、仮に、本国から逃げているとすれば、習近平独裁体制にあって図らずも‘政敵’となってしまったため(‘汚職撲滅運動’の標的になった人々・・・)、自らの資産を海外に逃す資産防衛という動機を持つ共産党員か、あるいは、国民の反発から共産主義体制が崩壊した場合に備えて、財産募集を回避するために予め資産を海外に移したい党の上層部ということになりましょう。もしくは、強い政治的な動機はなくとも、手軽に入手し得る‘セカンド・ハウス’として日本国を利用したい特権的な富裕層なのかもしれません。

 何れにしましても、中国人による日本国への移住は、自由や民主主義を求めた結果ではなく、あくまでも中国や自己の利益のためなのであって、日本国は、体よく利用されているだけなのでしょう。しかも、14億ともされる人口パワーを考慮すれば、日本国の乗っ取りも夢ではなく、逆に、日本国が共産化されてしまうリスクも杞憂とも言えなくなってきます。

 こうしたチャイナ・リスクからしますと、先ずもって、何れの種類の資格であれ、日本国において在留資格を得ようとする外国人に対しては、国家体制としての民主主義並びに国民の自由と権利の保障を定めた日本国憲法の学習を義務付けるべきです。国民ではありませんので、参政権は認められませんが、日本国に住む以上、その国の国家体制について十分な知識を持ち、それを理解することは、住民としての必要不可欠な条件となりましょう。果たして、自由民主党総裁選挙にあって、こうしたハードルを高くする案を公約として掲げる候補者は出現するのでしょうか。

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自民党総裁選挙でも注目される外国人問題

2025年09月19日 11時18分45秒 | 日本政治
 急激な外国人人口の増加を受けて、日本国内でも、外国人問題がついに政治上の重要課題として意識されるようになりました。アメリカをはじめ、既に人種や民族間の差別、格差、摩擦、対立が社会問題として深刻化している諸国では、こうしたセンシティブな問題に対して、リベラル派の人々は、主として‘ヘイトスピーチ’という手法をもって対応してきました。この手法は、マイノリティーとなる人々に対する批判や懸念の声を、問答無用で差別発言として糾弾するという手法です。ヘイトスピーチは、フランスではかなり厳しい法規制も行なわれており、フランス革命以来の国是とされた表現の自由との間に軋轢も生じています。

 外国人問題とは、‘人の移動’がもたらす問題です。人とは、‘社会的な動物’とも称されてきたように、分散集住を形態とする人類は、そのそれぞれが社会の形成をして生きてきました。完全なる‘個人’として割り切れるものではなく、‘個人の自由の問題’に留まらないのです。この側面は、コミュニケーションの手段である言語を見れば一目瞭然です。こうした人の特性としての社会性や政治性は、移民人口の増加が政治問題を引き起こす必然性を説明しています。自らの社会にあって、全く別の言語、文化、習慣、価値観などを持つ人々が住むようになれば、これまで通りの平穏な生活を送ることはできなくなるからです。無反応な人は殆ど存在しないのではないでしょうか。言い換えますと、ヘイトスピーチをもって人々の声を封じようとする人々は、人としての自然な不安感の表明を頭から否定しているのです。

 また、‘人の移動’は、移住先の国にとりまして、必ずしも‘安全’であったわけでもありません(むしろ、歴史的には、国境は厳重に管理されてきた・・・)。今日におけるその最悪の事例はパレスチナ問題であり、イスラエルが国策として勧めたパレスチナ領への一方的な入植活動は、結局、軍事侵攻やジェノサイドに帰結しています(ユダヤ人の入植は、軍事力を使わずとも平和的な活動であるとは言い難い・・・)。ウクライナ戦争を見ましても、東部にあって多数を占めていたロシア系住民との間の民族紛争に端を発していますので、民族の混住は、戦争を引き起こす主要な原因の一つでもあるのです。こうした民族間の問題は、個々人の人格や性格などとは全く無関係です。双方共に、善人もいれば悪人もいるわけですから、リスクを訴える声を‘ヘイトスピーチ’と決めつける人々は、一般の国民からの防衛や安全保障上の懸念の声をかき消そうとしているとしか思えないのです。

 しかも、日本国では、リベラル政党のみならず、保守政党の看板を掲げてきた自民党が率先して移民受入政策を推進しているところに問題の深刻さがあります。保守政党の手前、ヘイトスピーチという言葉を使わなくも、‘絶対善’としての多文化共生主義の押しつけも、国民の社会的並びに政治的な意見を心理的に封じるという意味において、同様の効果を持ちます。諸外国の事例を知らないはずもありませんので、‘確信犯’を疑われてしまうのも当然のことです。

 如何なる善人であっても、自らの社会の安全が脅かされ、防衛や安全保障上の危機が目前に迫れば、政府に対して対策を求めるのは当然の反応であり、国民の権利ですらあります。‘悪人’というレッテル張りを怖れるばかりに黙っていたところ、実際に、治安の悪化や国権の乗っ取りが起きてしまった場合、国民には自らを救済する手段は殆ど残されなくなるのですから。仮に、国民の不安が的中する事態ともなれば、与野党の政治家をはじめ、言論封鎖作戦を実践してきた人々こそ、リスクを知りながら無責任にも国民を裏切った‘悪人’ということになりましょう。自民党の総裁選挙にあって、果たして各候補者は、外国人問題について、どのような政策方針を示すのでしょうか。全国民が注目するところなのではないかと思うのです。

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日本国政府には外交権がない?

2025年09月18日 12時43分32秒 | 日本政治
 本日、日本国政府が、パレスチナ国の国家承認を見送ったとするニュースを目にしました。これまで、同盟国でアメリカがイスラエル支持一辺倒であったにも拘わらず、日本国は、中東政策では同国と距離を置いてきました。また、先立つ9月12日に開かれた国連総会でも、アメリカやイスラエルが反対していた二国家共存を支持する決議案に賛成していますので、今回の見送りの判断は、まことに残念であると共に、日本国の外交、否、主権国家としての独立性が損なわれている実態をまざまざと見せつけてもいます。

 そもそも、1947年11月に国連総会で成立したパレスチナ分割決議(国連総会決議181号Ⅱ)の内容からしまして、パレスチナ国の仮承認は済んでいるという見方もできます。何故ならば、同決議案では、将来におけるイスラエルとパレスチナの両者が独立国家を建設することで合意しており、同決議が成立している以上、パレスチナを国家として承認することは国連加盟国の義務でもあるからです。このため、既に146もの諸国がパレスチナを国家として承認しており、ようやく国家承認に向けて動き始めたイギリス、フランス、カナダ等の諸国のほうが余程少数派なのです(未承認国は、イスラエルやアメリカを含めた47カ国・・・)。つまり、中東戦争の混乱の中で独立国家としての体制を整えるのが遅れただけであり、パレスチナ国は、当初から独立国家となる権利を有しているのです。
 
 仮に、パレスチナを国家として承認しないとなりますと、国連決議違反と言うことにもなるのですが、この態度は、独立国家としてのイスラエルの法的立場をも危うくすることでしょう。国連加盟国であっても、上述した国連総会決議に反してパレスチナに対して国家承認を拒否することができるのであれば、イスラエルに対しても、同様の態度で臨むことができることとなるからです。ガザ地区では今なおもイスラエルが軍事作戦を展開しており、9月16日には、これをジェノサイドと認定する国連の報告書が提出されています。住民に対する残虐行為が続いているのですから、重大なる国際法違反を根拠としてイスラエルの国家承認を取り消す国が現れてもおかしくはないのです。

 法のみならず、人道や道理に照らしましても、国家として承認すべきではないのはむしろイスラエルであって、パレスチナ国ではないはずです。この点に鑑みますと、日本国政府は、人の道に外れていますし、国際社会における法の支配の確立を訴えていながら、自ら国連決議に反する行動をとっているのですから、自己矛盾を来しているとも言えましょう。

 そして、パレスチナ国の承認を見送った日本国政府の背景に、アメリカのみならずイスラエル、即ちユダヤ系勢力の存在があるとしますと、日本国政府の自国民に対する無慈悲さは、イスラエルのガザ地区住民に対する残酷さと重なってきます。今や、日本国の外交権は、なきに等しいのではないかと思うのです。

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グローバリズムは‘支配’と共にやって来る

2025年09月17日 12時22分30秒 | 国際経済
 グローバリズムに対する懐疑論は、正当なる根拠がないわけではありません。世界経済フォーラムの存在一つをとりましても、その脅威は明白です。一時は主要国の首脳や閣僚まで顔を揃えていたのですから。そして、このグローバリストのフロント組織の実在性は、グローバリズムというものが、単なる経済学上の理論の問題ではないことを示しているのです。
 
 グローバリズムの原点とも言える自由貿易主義を理論的に正当化しようとしたのは、デヴィッド・リカードであるとされます。国家間の人口や規模の大小、産業構成の違い、為替相場の影響など、複雑かつ様々な差異に満ちた現実を無視すれば、一先ずはリカードの比較優位説は正しいようにも見えてきます。少なくとも、リカードのモデルには‘政治’は登場しておらず、それ故に、自然科学における法則に近い純粋理論として捉えられてきたからなのでしょう。

 その一方で、グローバリズムは、自由貿易主義から派生した自由貿易主義の拡大版、あるいは、バージョンアップ版として見なされがちですが、両者は、全くの別物と言っても過言ではありません。否、グローバリズムは、自由貿易主義の衣を上手に纏うことで、それが隠し持っている‘政治性’、否、覇権主義とも言うべき‘支配への野望’に気付かれないようにしているとも言えましょう。そもそも、全世界の諸国の政府を市場開放の方向に動かさなければグローバリズムは実現しないところに、疑いようもない政治性があります。そしてもう一つ、注目すべきは、グローバリズムにあっては、規模の経済が強力に働くと共に、財のみならず、資本(マネー)、サービス(事業者)そして労働力の自由移動が求められる点です。

 国境を越えた資本移動の自由化は、当然に、資本力に勝るグローバリストが、全世界の経済に対して支配力を及ぼす道を開くこととなります。表向きの口実は、資本不足の諸国に対して経済成長を促すために資本を提供するということなのでしょうが、結局のところ、受入側の諸国の経済は、提供側のマネー・パワーによってコントロールされてしまいます。起業に際しての資金提供、企業買収、株式取得などの際の様々なルートを通して、経済支配が深化してしまうのです。日本国を見ても、グローバリズムの時代とは、日本企業の多くが独立性を失うと共に、中国企業をはじめ外資系企業に‘切り売り’された時代でもありました。

 サービスの移動自由化、すなわち、海外企業に対する営業の開放も、自国市場がグローバリズムの勝者に席巻されてしまう契機となります。情報通信の分野では、今や国内にあっても米中の巨大テック企業が独占的な地位を築いています。情報通信は、インフラ的な要素が強い分野ですので、基盤部分を外資系に抑えられてしまいますと、日本社会全体がグローバル企業に依存せざるを得なくなるのです。また、昨今、日本国内で深刻化している外国人問題も、日本国政府が、経営・管理ビザや起業ビザ等の在留資格の要件を緩和したことも一因と言えましょう。外国であっても、自由に事業を営むことができるのですから。

 そして、これらに労働力の移動自由化が加われば、何れの諸国も、日常生活にも影響を与えるほどの急激な社会変化に見舞われます。イギリスやフランスでは、目下、大規模な移民反対デモや暴動が起きており、ドイツででも移民反対を主張する「ドイツのための選択肢(AfD)」が国民からの支持を集めています。治安の悪化や社会的軋轢への対処を求める声が上がる一方で、グローバリストの傀儡に堕している政府も多く、国民の声を無視する政府と国民との間に軋轢や緊張を高めているのです。日本国内でも、ついに同現象の兆候が見られるようになりました。その一方で、グローバリストの視点からしますと、移民政策の積極的な推進は、国家を内部から破壊して人類全体を支配するには好都合なのでしょう。

 グローバリズムは、‘支配’とともにやって来ます。財のみが国境を越えて自由に移動する自由貿易の段階では、国内の劣位産業が淘汰され、自国産業に甚大なマイナス影響が及ぶことはあっても、外部勢力に支配されることはありません。ところが、資本、サービス、労働力の移動の自由化を目指すグローバリズムには、規模に優り、マネー・パワーを握るグローバリストに支配されてしまうリスクが必然的に伴うのです。言い換えますと、グローバリズムとは、本国の事業者達が現地に乗り込んでプランテーションや鉱山等の経営に勤しんだ植民地主義に限りなく近いと言えましょう。ブローバリズム礼賛者は、上述してきたグローバリズムの実像に対して、一体、どのように弁明するのでしょうか。

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グローバリズムからの脱却は不可能なのか?

2025年09月16日 11時32分02秒 | 日本政治
 今日、グローバリズムは、重大なる転換点に差し掛かっているように思えます。日本国を含め、世界各国の状況を見渡しますと、至るところでグローバリズムの綻びが目立ってきています。‘潮目が変わった’とも言えるのですが、グローバリズムを信奉してきた人々にとりましては、この現実は受け入れ難いようです。そこで、グローバリズム衰退論に対して真っ先に唱えられているのが、‘鎖国不可能論’です。

 日本国はエネルギー資源に乏しく、石油や天然ガス等を大量に輸入しなければならず、グローバリズムから抜けようとすれば、先ずもってエネルギー問題に直面するというものです。エネルギー不足をカバーしようとすれば、これまで以上に全国各地に太陽光パネルを敷き詰めなければならず、環境破壊が進む上に現実的ではないというのです。確かに、エネルギー資源につきましては、日本国は、不利な立場にあります。しかしながら、‘絶対に不可能’と言い切れるのでしょうか。

 太陽光パネルの大半が中国や韓国からの輸入品であり、地球環境問題と共に誕生したグローバリズムの申し子ですので、脱グローバリズムであれば、輸入依存の太陽光発電ではなく、国内で生産できる国産電源に切り替えるべきと言えましょう。そして、ここで鍵を握るのが、国産可能な発電テクノロジーの開発です。長期的には核融合などが有力視されていますが、地熱発電や潮力発電など、日本国の地理的条件に適した自然エネルギー技術も既に実用化されています。海水に浸かるために腐食による耐久性がデメリットとされているものの、日本国は新素材分野において先端的な研究を行なっていますので、こうしたデメリットは技術力で乗り越えることもできましょう。

 原子力発電につきましても、グローバリズムから離脱すれば、原料となるウランの海外からの輸入が途絶えるという問題があります。しかしながら、この問題も、海水からウランを抽出できる技術が既に開発されていますので、四方を広大な海に囲まれている日本国は有利です。一旦は断念した高速増殖炉の開発を再開するという選択肢もありましょうし(むしろ、諸外国にあって、同技術の開発は継続されている・・・)、放射性廃棄物をエネルギー資源とする新たな再利用方法を開発するという方向性もありましょう。

 何れにしましても、今日の科学技術のレベルからしますと、技術力によってエネルギー問題を克服することは不可能ではありません。加えて、エネルギー資源の採掘技術が向上すれば、日本国の領域、並びに、EEZ内において眠っている石油や天然ガス等も利用できるようになります。今日、アメリカが天然ガスの輸出大国となれたのも、地下深くに眠るシェールガスの採掘が技術的に可能となったからです。日本海側の海底には、良質のメタンハイドレートが大量に埋蔵されていますし、尖閣諸島周辺海域や東シナ海にも豊富な石油や天然ガス田があるはずです(もっとも、既に中間線付近で中国が採掘活動を始めているとされ、日本国側の資源が吸い取られている可能性も・・・)。

 かつて民主党政権時代に、仕分け作業が行なわれた際に、スーパーコンピュータや宇宙探索機のハヤブサの開発予算が削られたにも拘わらず、その後、驚くべき成果を挙げた事例があります。人とは、追い詰められ状態にあってこそ、モチベーションが上がって予想外の力を発揮するということもあります。最初から不可能として諦めるよりも、不可能であるからこそチャレンジしようとする精神の方が、余程、未来を開くのではないかと思うのです(つづく)。

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中国籍事業者和牛不正輸出事件に見るリスク

2025年09月15日 11時53分44秒 | 日本政治
 先日、中国籍の事業者が冷凍和牛の不正輸出の廉で逮捕されたとするニュースが報じられました。事件の概要は、30トンの冷凍和牛をカンボジア向けと偽って香港に輸出したというものであり、関税法並びに家畜伝染病予防法に違反に当たるそうです。この事件、今日、日本国が抱える様々な問題を浮き彫りにしています。

 同中国籍事業者が輸出先を偽装した動機は、香港向けの輸出の場合には、農林水産省動物検疫所から輸出検疫証明書の交付を受ける必要があったからなそうです。つまり、カンボジア向けの輸出にはこうした煩雑な手続を要しないため、輸出先を偽装すれば、手間もコストも削減できたのです。今般の事件は、栃木県宇都宮市の事業者によりますが、同様の事件は全国各地で起きており、過去には福岡県や兵庫県でも中国籍の事業者が逮捕されています。

 同事件から分かることは、日本産の農産物輸出に対しては、量的な輸出規制は行なわれていない現状です。それどころか、日本国政府は、さらなる輸出促進に勤しんでいるのが現状です。仮に、輸出先を偽らず、検疫等の手続を済ませていたならば、何らの問題もなく輸出されたことでしょう。実際に、2024年の時点では、牛肉輸出量1万トン、輸出額648億円にのぼり、10年前の凡そ8倍に達しているそうです。「和牛ブーム」もあり、海外富裕層の向けの輸出は好調のようです。

 この事件は、第一に、グローバル化推進政策によって、日本国の農業が‘世界市場’に組み込まれつつある現実を現わしています。つまり、国内の高品質高価格のブランド農産物は、海外の富裕層向けに生産され、一般の日本国民は、安価な輸入食品を購入するという構図です。同現象は、和牛に限らず、今や、様々な農水産物にも及んでいます。日本人の主食であったお米にも同様の変化が起きており、日本国政府はブランド米の輸出を後押しする一方で、米市場の開放に舵を切ろうとしているように見えます。このままグローバル化を続けますと、日本国の食糧自給率は低下の一途を辿り、食糧安全保障もさらに遠のくことでしょう。中国人による農地取得が増えれば、やがて、中国人農家⇒中国人貿易事業者⇒中国市場⇒中国人富裕層という流通の流れが出来上がるかもしれません。

 第二の問題点は、国内における中国人貿易事業者の増加です。これは、経営・管理ビザや起業ビザ等の在留資格の要件緩和と無縁ではなく、農水産物の輸出量に見られる急激な増加も、在留資格を取得した中国籍の事業者が関わっているからなのでしょう。お米にもこの疑いがあり、今般の米価高騰に際して、日本国政府が輸出規制は行なわれた形跡もありません。となりますと、中国人転売ヤーが高値で買い取ったお米の大半は、既に海外に輸出されている可能性も否定はできなくなります。政府が、外国人事業者による農産物輸出の実態を把握しているのかどうかも、怪しい限りなのです。

 そして、第三の問題点として挙げられることは、日本国の検疫体制です。何故ならば、この事件は、日本国政府が、輸出先の国が指定したレベルに従って検査を実施している実態を明らかにしているからです。海外では、日本産農産物や食品の安全性が高いとして人気があるとする報道がありますが、この評価は、輸入国政府が、日本国政府に対して厳しい安全基準の充足を求めた結果ということになります。その一方で、日本国の農産物が海外の安全基準の壁に阻まれて輸出できないケースも報じられています。同情報からしますと、日本国のみが、‘検疫自主権’を‘自主的’に放棄しているとも推察されます。

 農水産物とは、国民の命を支える食の問題です。農産物や食料品の輸出につきましては、国内の需給バランスや価格への影響を考慮し、適切な規制を設けるべきなのではないでしょうか(国内価格高騰の局面での輸出はあり得ない・・・)。一端、日本国の農水産業がグローバルな分業体制組み込まれ、日本産の農産物が、先物市場等での投機の対象ともなる国際商品化されますと、そこから抜け出すことは難しくなります。何れにしましても、あらゆる面において日本国は、グローバリズムというものを根本的に見直す時期に来ているのはないかと思うのです。

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移民送り出し国の責任を問うべきでは?

2025年09月12日 11時28分40秒 | 日本政治
 日本国内では、目下、外国人問題が多くの国民の関心を集めています。その発端は、国民を無視した自公政権による移民受入政策への転換にあるのですが、外国人人口の増加において懸念されている事態の一つが、治安の悪化です。先の参議院議院選挙にあっても、マスメディア側の外国人による犯罪の増加はフェイクであるとする反論に対して、少なくない国民は、同主張こそフェイクではないか、と疑ったはずです。実際に、外国人犯罪が報じられてきたのですから。犯罪や違法行為ではなくとも、日常にあって外国人による悪質なマナー違反や一般の日本国民に対する傲慢な態度を目にした国民も少なくないのです。

 しかも、マスメディア側が、あらゆるデータを繰り出して治安悪化説を否定しても、誰もが否定できない事実があります。それは、外国人の出身国における治安レベルの低さや犯罪に対する意識の希薄さです。実際に、日本国内にあって最大の人口比率となった中国人を見ますと、その出身国である中国の治安は、決して良好とは言えません。人身売買や臓器密売など、おぞましい犯罪報告が中国から伝わってきます。中国では、犯罪の防止や監視等を根拠として最先端のITを駆使した国民監視網を構築したとされながらも、何故か、犯罪は野放し状態のようなのです。その理由として指摘されている有力説が、国家レベルであれ、地方レベルであれ、政府、あるいは、中国共産党と犯罪組織との癒着や関与です。バックに権力が控えているのですから、この種の犯罪は取り締まりようもないのです。

  こうした出身国の犯罪容認体質は、一般の日本国民が治安の悪化を憂慮する正当なる根拠となります。実際に、アメリカやEUからの指摘で表面化した名古屋における中国企業によるフェンタニルの原料の密輸は、その象徴的な事件であると言えましょう。日本国内で設立された中国系の企業「FIRSKY株式会社」が、強力な作用を持つ合成麻薬であるフェンタニルの対米輸出拠点となっていたとする事件です。政府、あるいは、中国共産党の容認なくしてかくも大胆で組織的な活動が行なわれるはずもなく、国家ぐるみの国際犯罪である疑いは濃厚です。先日も、アメリカの捜査当局が、上海からメキシコの麻薬組織「シナロア・カルテル」に密輸出しようとしていた300トンの覚醒剤の原料を押収したと発表しています。他国に害を与える犯罪を取り締まろうとしない中国は、いわば自らが犯罪輸出国家、あるいは、国際犯罪支援国家と言っても過言ではないのです。

 日本国内における治安の悪化に対する警戒感や不安は、国内での外国人が関与した事件のみならず、外国人の出身国にもあります。俯瞰しますと、在留外国人の増加によって日本国が、外国の国際犯罪網に組み込まれてしまう危険性は相当に高いと言えましょう。本来であれば、日本国政府が海外からの犯罪者の流入や国際組織の広がりについては水際で阻止すると共に、出身国の政府に対しても、日本国への渡航を禁止するよう求めるべきなのですが、こうした動きは一切見られません。政府もようやく方向を転換しましたが、これまでは在留資格の要件緩和など‘外国人熱烈歓迎’一色であったのです。

 外国人には、出身国の対人主権が及びます。このことは、外国人に関して何らかの問題が発生した際には、出身国の政府も責任を負うべきことを意味します。常々、外国人問題については、受け入れ国のみに重い負担がかかり、外国人犯罪者等の強制送還にしても、受け入れ国の予算をもって実施されています。現状にあっては、送り出し国は、‘知らん顔’なのです。その背景には、人口過剰に直面している国や外貨不足に悩む国による‘移民奨励政策’にあり、アフリカ・ホームタウン問題の背景としても指摘されています。

 外国人問題は、一国の国内問題として扱うのではなく、国際問題として対応すべきなのではないでしょうか。国内で発生した外国人犯罪等の被害や強制送還に要する費用を含めて、送り出し国の責任を重くすれば、外国人問題の緩和には役立つはずです。そして、その過程で送り出し国の実情が国民の前に明らかとなれば、自ずと、外国人の受入制限や規制強化に正当な根拠があることも分かってくるのではないかと思うのです。

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