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たのしいゲーム

たのしいゲーム

街 プレイするには。

2014年05月07日 15時00分00秒 | 街 サウンドノベル
ここまで、街を紹介しまして、プレイしてもらいたいです。

現在、街をプレイするには、セガサターン版、プレイステーション版、PSP版、iモード版になります。

一番プレイ環境がすぐ揃えることが出来るのはPSP版かなと思います。

セガサターン版は、完全版といってもいいぐらいのもので、プレイステーション版で削られているものもきちんと収録されています。

PSP版に、追加シナリオもありますので、シナリオをすべて知りたい人には、PSP版がいいとおもいます。

筆者的に、セガサターン版をやって、PSP版で追加シナリオを保管するというのが、おすすめです。

セガサターン版をやるときには、本体内蔵電池でやる場合、セーブが消え易いので注意してください。

iモード版は、主人公が削られて、6人の主人公なので気をつけてください。

ここで、解像度という難敵が現れます。

街を制作していた時期は、テレビはブラウン管全盛で、ゲームのハードもセガサターン、プレイステーションのころです。
実写取り込みの背景なので、その時期のカメラで撮っています。

なので、現在のハイビジョン、フルハイビジョンでやるとつらいと感じる人がいると思います。
筆者は、PSP版をやるのもちょっとつらかったです。

高解像度版にリメイクを期待したいですが、実写の手直しは、お金もかかると思いますし、販売しても、売り上げはあまり見込めないこともあると思うので、難しいと思います。

名作といわれますが、リメイクが難しい『街』ですが、時間が経つと、PSPもプレイ出来る環境がなくなるので、やるなら今のうちです・・・。

街 サイドストーリー9

2014年05月06日 17時00分00秒 | 街 サウンドノベル
[3]AM4:00 渋谷駅、ハチ公前



目を開けると、男が一人、瀬山のそばに屈み込んでいた。

暗くて、顔はよく分からない。

「アルバイトだ」

男は、そう呟いた。

(できないよ)

反射的に、瀬山はそう考えていた。

(浪人、だからな)

(いろいろと、忙しいんだ)

「ここを、縛ってくれ。キツく、ガチガチに」

「…」

男は、瀬山の無言の抗議を無視して、紐と、そして、自分の左手を差し出した。

(──左、手?)

(何、考えてんだ)

いろいろと疑問が浮かんだが、考えるのも、断るのも億劫だったので、言われた通りに、男の左手を、キツく、ガチガチに縛ってやることにした。

男は、満足した様子で、千円札を瀬山に手渡すと、ゆっくりと立ち去った。

(──忙しいんだ)

(これ以上、困らせないでくれ)

瀬山は寝ぼけ眼で、男の後ろ姿を見送った。



それから、また、眠った。



[4]AM7:30 渋谷駅、ハチ公前



次に目が覚めた時は、朝になっていた。



瀬山は、まず、自分の体調を確認した。

頭は痛くない。

体も、ダルくない。

寝過ぎた後の気怠さ、のようなものがあるが、大したことはない。

(ひょっとすると、俺は、酒に強いのかもしれん)



ふと、周囲を見ると、待ち合わせ場所のメッカ、ハチ公前のこと、朝も早くから、チラホラと人が集まり始めていた。

それらの人々は、路上に座り込んでいる瀬山と視線を合わせないように、と、必死に努力していた。

瀬山は、その光景を、ほほえましく感じていた。

(せめてもの、お手伝いをしよう)

(俺がここに居ちゃあ、迷惑なんだろ?)

(──だったら、是非もない)



瀬山は、全身のバネで一気に立ち上がると、握っていた千円札を、何の抵抗もなくポケットに入れた。

(!?)

ポケットに入れると同時に、ピアスの感触に気がついて、慌ててそれらを引っこ抜いた。ピアス。

それと、手の中の、千円札。

(?)

(──どこから出てきたんだ?)

少しの間考えていたが、考えるほど、取るに足りない小さな問題のように思われて、二つをポケットに押し込んでしまった。



歩き出しながら、ポン、と、景気よくポケットを叩く。

──ポケットの中には、ビスケットが一つ、一度、叩くと、ビスケットは二つ!

古い歌を、思い出していた。

ポン、と叩く度に、ビスケットが増えていく、魔法のポケットの歌。

幼稚園の頃、ピアノの音に合わせて、皆で夢中になって歌った、歌。

──髄分後になって、その歌の正体が、

「ポケットの中に入っているビスケットを、叩いて割って粉々にしているだけの歌」

だと知ってしまった時、瀬山は、ひどくがっかりしたものだった。



[5]AM11:10 渋谷、スクランブル交差点



四日間も予備校をサボって、ついには模試まですっぽかしてしまった。



「…」

信号が完全に青になるまで、瀬山は動こうとしなかった。

何人かのせっかちな人間が、まだ赤だというのに歩き出している。

(忙しそうだね?)

瀬山は、彼等をあざ笑った。



瀬山高広は、浪人生である。

予備校をサボり、模試をサボり、受験勉強を怠った、罪深き浪人生である。



瀬山は、横断歩道を渡りきって、二、三歩進んでから、くるりと向きを変えて、再び信号が青になるのを待って、並んだ。



──瀬山は、今、世界で一番、暇を持て余していた。



[6]PM0:30 渋谷駅、ハチ公前



瀬山は、のんびりと、ハチ公前に戻ってきた。

(──人が、多いな)

(ああ、そうか、今日は、日曜日、か)

「…」

ここにいる人の大半は、これから休日を楽しもう、という人たちだろう。

それにも関わらず、皆、そろって忙しそうに見えた。

──そして、活き活きとしていた。



瀬山が、この場所で、ほのかと会ってから、四日が過ぎていた。

あれから、いろいろな事があった。

(もし、あの時からやり直せるなら)

瀬山は、思う。

(やり直すことができるなら──)

虚ろに彷徨う視線は、やがて、ある一点で止まった。

(!?)

瀬山は驚いて、目をカッと見開き、口をポカンと開けて、ついでに鼻の穴をボワンと拡げた。

──『浅見ほのか』!

彼女が、そこにいた。



雑踏に紛れてしまう前に、瀬山は無我夢中で、その姿を追っていた。

『浅見ほのか』!

あるいは、カオルか。それとも、秋山薫なのか。

(それは…どうでもいい!)

瀬山は、走った。

浅見ほのかであり、カオルであり、秋山薫でもある、彼女を、追いかける。

その決断に、迷いは、なかった。

「ほのか一!」

ごく自然に、声が出ていた。

その声にギョッとした通行人が、瀬山を見て、慌てて目をそらした。

「オーイ、ほのかー!」

瀬山は、それらすべてに気づかない様子で、一心に、ほのかの名前を呼び続けた。



[7]PM2:40 教会前通り



「オーイ、ほのかー!」

瀬山は、ただひたすら、ほのかの姿が消えた方向に走った。

と、教会から、若い男が出てきた。

「あ…」

──パチンコ男だった。

男は、瀬山の姿を見て、

「大変だな、お互い」

ポツリ、と声をかけてくれた。

瀬山は、友人と話す口調で、

「いや、これからだよ」

とだけ、答えた。

「ま、がんばれ」

「きみもね」

何でもないやり取り。

ひどく無意味な会話。

それらすべてが、瀬山には心地好かった。

「…」

瀬山は、ほのかを追って走り出す。

「全部終わったら、ケリをつけようぜ!!」

男の声が、そんな瀬山を追いかけてきた。



[8]PM3:00 道玄坂



「あッ…」

瀬山の前で、道が二つに分かれていた。

(せめて三つだったら、迷わず真っ直ぐ行ったものを!)

──根拠は、ない。



瀬山は、コインで決めることにした。

ポケットを探ると、十円玉が出てくる。

珍しい、昭和「六十四」年の十円玉だから、間違って使わないようにと、避けておいた物だった。

(表が出たら、右。裏が出たら、左)

十円玉を人差し指に乗せて、親指で弾く。

十円玉は、キィィンッ、と快い響きを残して、大空に舞う…

──予定だったが、瀬山がトスに失敗したため、二、三回ゆるゆると回転しただけで、手の甲に落ちてきてしまった。

「…」

──平等院、鳳凰堂。

(あれ、これは、表だっけ、裏だっけ)

肝心な時に、ど忘れしていた。

瀬山は、十円玉をポケットに捩じ込むと、右に曲がった。

(えい、面倒だ)

(大した問題じゃない)



どうして、右の道を選んだか?

風が、呼んだ気がしたから。

──なんて、他人には、口が裂けても、言えなかった。



[9]PM7:40 渋谷、スクランブル交差点



結局、ほのかの姿は見失ってしまったが、瀬山の心は晴れ晴れとしていた。

(まだまだ、これからさ)

日曜日の、午後。

渋谷の街は、賑やかだった。



不意に、死んでしまった旧友のことが思い出されて、胸が痛んだ。

(彼は、もういない)

(そして、俺は、ここに居る)

(偶然に偶然が重なって、奇跡みたいな確率で、今、この場に立っている)

瀬山は、大きく息を吐いた。

(──全く、奇妙なことだ)



「…」

信号は、まだ赤だったが、瀬山は誰よりも早く、足を踏み出していた。

一歩。

二歩目が地に着くか着かないかのタイミングで、信号が青に変わって、周りの人間がドッと移動を開始した。

(──よしっ!)

瀬山は、小さくガッツポーズを決めてから、横断歩道の白い部分だけを踏むようにして、向こう岸まで渡りきった。



今、瀬山の手には、五円玉が握られている。

瀬山は、ほのかと初めてデートした日に、これに関するクイズを出題した。

──五円玉に隠れている、農業、工業、水産業、を表すモノ。

いろいろと事情があって、この問題の答えを、ほのかに伝えることができなかった。

でも、それでいいと思っている。

(次に会った時に、教えればいいんだから)



瀬山は、五円玉を渋谷のネオンにかざした。

そして、五円玉の穴を囲む形で刻まれている、「歯車」の絵を指でなぞった。

(──次に会った時に、教えればいいんだから)

不思議なことに、この「五円玉」と「歯車」という絆がある限り、ほのかとは、また、

何度でも会える、と確信していた。

勿論、根拠は、ない。

(五円が取り持つ、二人の間)

(これが本当の、五円の御──)

その先は、言わないことにした。

例え心の声でも、それを口にしてしまうと、何だか、人類として敗北してしまいそうな気がしたからである。



その時、渋谷の空に、無数の花火が上がって、消えた。



瀬山は、歩みを止めて、その花火を見ていた。

皆、口々に何か言いながら、空を指差している。

(!)

「うわぁ…」

瀬山は、子供のように無邪気な声を上げた。

上げてから、パッと口を抑えて、

(ガキっぽい!)

と、自分の行いを恥じた。

瀬山は、耳まで真っ赤になって、両手で顔を覆った。



──そして、指の隙間から、チラチラと左右を確認すると、もう一度、空を見上げた。

その仕種は、世界中で一人しかいない、瀬山高広、彼、独自(unique)のものであった。



『Unique』(完)


街 サイドストーリー8

2014年05月06日 16時00分00秒 | 街 サウンドノベル
肩を荒々しくつかまれて、飛び上がらんばかりに驚いた瀬山は、振り返って、ほのかの姿を見出だし、

「どうしてあなたがここに?」

という顔になった。

しかし、すぐさま作戦実行フェイズに突入し、自分ではドスの効いた声だと思っている声を搾りだす。

「ほのかっ!」

――呼び捨てである。

だが、アドレナリン分泌状態の瀬山は、その事に気づかない。

そして、瀬山が本格的に身構えるより早く、ほのかの唇が動いた。

「――瀬山、高広っ!」

「は、はいっ」

予期せぬ逆襲だった。

ほのかの口から飛び出した、フルネームの一喝には、親しみのカケラもこもっていない。

間の抜けた返事をしたからって、誰が瀬山を責められようか。

「てめェ、どういうつもりなんだっ」

「へ」

「…ほのかのことだよ。どういうつもりか、訊いてんだっ」

――ほのかと言えば、あなたでしょう。

という、基本的な疑問も、瀬山は思いつかなかった。

「ほのかの奴もチャラチャラといい迷惑だが――瀬山高広、問題はお前だ!

ほのかの周りをウロチョロしやがって、目障りなんだよっ!」

(!?)

あっ、と思う間もなく、ほのかに胸倉をつかまれていた。

その力の込め方に、容赦はない。

「何を…」

「――勘違いするなよ、瀬山高広」

(どうでもいいけど、フルネームで呼ぶのは、やめてくんないかな)

瀬山は、本当にどうでもいいことを、虚ろな意識の中で思った。

「オレは、てめェのことなんか認めてねぇ」

そこまで言ってから、ほのかの声が急に小さくなった。

(?)

「ただ、ほのかの奴が…」

瀬山の胸倉をつかむ手が、緩んだ。

「…」

瀬山は、一言、やっと一言目呟いた。

――最悪の一言を。

「ほのか…」

次の瞬間には、瀬山は、地面に投げ出されていた。

「オレはほのかじゃねぇ、カオルだ!」

ほのかは、地面に転がった瀬山に、さらに二、三発のケリを入れてから、

「死んじまえっ!」

そう叫ぶと、あっという間に走り去ってしまった。

その後ろ姿を見ながら、瀬山はゆっくりと上体を起こした。

「…」

道行く人は、皆そそくさと、惨劇の現場を去っていく。

「…」

そんな人々を横目で見ながら、瀬山の頭は、明鏡止水の如く冴え渡っていた。

(あの女性、『カオル』と名乗った…)

『カオル』。

『秋山薫』!

(――つながった!)

瀬山の頭の中で、今まで見たこと聞いたこと、あらゆるすべての情報が、粉々に分解され、必要な部分だけを集められて再構成されて、一つの「結論」を導き出した。

(浅見ほのかと、『カオル』は、双子の姉妹だ――)



優しくて、大人しいほのかと、気性が荒く、乱暴なカオル。

二人は、仲の良い、双子の姉妹である。

ある日、ほのかは一人の男性(瀬山のこと)に、デートを申し込まれる。

しかし、ウブで奥手なほのかは、経験豊富で場慣れしているカオルにピンチヒッターを頼み、「相手の男が、どんな人間か調べてほしい」と言うのだ。

カオルは渋々、相手の男に会う。

話しをしてみると、男は非常に理知的で、気さくな性格を兼ね揃えた人格者(つまり、瀬山のことだ)だった。

ほのかと付き合うのに、申し分はない。

そう思った時、カオルの胸に新たな感情が沸き起こった。

――ここからは推測になるが、カオルは、ほのかに対して、姉妹愛よりもう少し強い感情を抱いていた、と思われる。

このままでは、最愛のほのかを、この男に奪われてしまう。

そう危惧したカオルは、矢も楯もたまらず、男に平手打ちを喰らわして逃げた。



(そうすると、昨日の『秋山薫』は、――やはり、ほのかだったんだろう)

カオルは、瀬山に平手打ちをくれた後、ほのかに「瀬山高広はとんでもない男だから、今度どこかで会っても知らん振りしろ」とでも吹き込んだのだ。

そして、ほのかはそれを実行した。

咄嗟に『秋山薫』を名乗り、知らん振りして、瀬山の前を通り過ぎた。



(俺と一緒に雨宿りしたのは、ほのかではなく、カオルだった)

あの場所で、瀬山と会ったカオルは、仕方なくほのかのふりをしていたが、最後には本性を出して、憎い瀬山を蹴っとばして、逃げた。



(それから、今の出来事、か)

瀬山を見掛けて、カッとなり、激しい口論の末、ハンマーのようなもの――は持ってなかったが、とにかく暴行に及んだ…。



――完璧なシナリオだった。瀬山は、フッと溜め息をついた。

この数日間、双子の姉妹に、いいように踊らされてしまった。

だがもう、芝居は終わり、幕は降りた。

憐れなピエロは、ただ、去るのみだ。

瀬山は、土を払って起き上がると、くるり、と踵を返した。

十月の風が、身に染みた。

――目の前に、『秋山薫』が立っていた。

「…大丈夫ですか?」

(!?)

瀬山は、秋山薫の姿を瞳に映しながら、音を出さずに。

「ガチョーン」と、呟いていた。



2・AM8:10 渋谷、スクランブル交差点



瀬山は、『秋山薫』と並んで歩いていた。



「――昨日は、失礼しました」

「いえ…」

それで、会話が止まる。



信号が、青になった。

「…」

(カオルが去った後、入れ違いに『薫』さんがやって来た――)

(鉄壁のアリバイとは言えないが)

「…」

瀬山は、隣りにいる薫を、失礼にならない程度に観察した。

(彼女は、カオルではない)

(俺にだって、人を見る目はあるはずだ)

では、「薫は浅見ほのかか」というと、それも違う気がした。

(演技なんかじゃ、ない。

――この人は、本当に俺の事を、知らないんだ)

(これで演技だとすれば、ピューリッツア賞もんだな)

――慣れない横文字を使うと、時々こういうトラブルを起こすのだが、心の声のこと、当然、誰も、何も、言わない。

「…」

(秋山薫は、ほのかとも、カオルとも関係がない)

(――別人だ)

認めるしかなかった。

先程の、恥ずかしい推理を捨てたわけではなかったが、認めるしかなかった。



別の問題が浮上していた。

(浅見ほのか、カオル、秋山薫――この渋谷の街に、同じ顔を持つ人間が、三人いる?)



薫と別れるきっかけを失ったまま、結局、横断歩道を渡りきってしまった。

「じゃあ、ここで…」

珍しく、瀬山が切り出す。

「はい。…あの」

「え?」

「私は、何があったかは存じませんけど

――元気、出してくださいね」

(!)

薫は、見ず知らずの他人である瀬山に、気持ちのいい笑顔を見せた。

瀬山は、嬉しかった。

「ありがとう」

薫は、その言葉に軽く頭を下げると、雑踏の中へと、消えた。

「――ありがとう」



[3]PM1:00 デパート店内



依然として謎は残っていた。

ふらり、とデパートに入ったのは、ベンチにでも腰かけてゆっくり考えたかったからだが、殆どのベンチが既に占領されていた。

そもそも、客の入りに対して、ベンチの数が少ない、と感じる。

(デパートとは、人をタダで座らせない所のことだ――誰が言ったんだっけ?)

勿論、喫茶店やレストランに入れば、ゆっくり座れる。

瀬山は、財布を引っくり返して、中身を確認した。

(!)

ゴロン、という感じで、五百円玉が顔を出した。

五百円玉。

何だか、久し振りに見た気がする。

出回っている数が少ないのか、五百円玉というのは、一回手離すと、向こう何ヶ月間かはお目にかかれないようなイメージがある。

「…」

瀬山は、五百円玉に限らず、金を手離すのが急に惜しくなった。

(何が何でも、タダで座ってやる!)

瀬山は、そう心に誓うと、力強い足取りで歩き続けた。



目的もなく、あっちの売り場、こっちの売り場と渡り歩く。

その間、思考はフル回転していた。

(薫さんは、ほのかとも、カオルとも関係がない)

(そうすると、分からないのは、ほのかとカオルのつながりだが…)

薫の存在がはっきりしたので、「双子説」は、もう使えない気がした。

そうなると、残るのは…

「…」

しかし、その考えは、瀬山が今まで、意識して思考の外に追い出してきたものだ。

(――二重人格?)



二重人格。

テレビや小説では、嫌というほど見てきたシチュエーションだ。

しかし瀬山は、現実に「それ」を体験するなんて、信じられなかった。

(カオルは、ほのかの、もう一つの人格?)

(説明はつくけど…)

一応の決着をつけてそれでよし、とするのは良くない傾向だ。

だが、良くない傾向でも何でも、当事者としては、とにかく結論が欲しい。

「…」

「いらっしゃいませ」

「…」

「いらっしゃいませ」

「…」

「いらっしゃいませ」

(?)

やけに店員に声をかけられるな、と、ふと立ち止まって、瀬山は自分が婦人服売り場に足を踏み入れていたことに気がついた。

当然、下着だって置いてある。

――店員の目が、分かりやすすぎる「何か」を語っていた。

(!)

瀬山はアワをくって、しかし足取りはあくまでも堂々と、エスカレーターへと続く道を探し求めた。



[4]PM 6:00 109前



デパートを何軒かハシゴしているうちに、すっかり暗くなっていた。



ほのかの謎について、一回「二重人格ではないか」と思ってしまうと、もうそこから思考が続かなかった。

(シャレになんねーぞ!)

「…」

ほのかの事を考える。

まだ、熱は冷めていない。

だから、余計に困るのだ。

(恋わずらいなんて、他人に相談できるわけない)

(まして…)

その先は、考えるのを止めた。



ポツ、ポツと雨が降ってきた。

雨は豪雨となり、雷まで呼んだ。

(踏んだり、蹴ったりだな)

昨日も、雨が降った。

そして、ほのかに会った。

お喋りをしていたら、「彼女の人格が入れ換わって」、ケリを入れられた。



(――二重人格!)

(俺に、どうしろってんだ!)

「エイ、くそったれ!」

「エイ、くそったれ!」

ガラス戸に拳をぶつける。

(?)

――声に、エコーがかかったみたいだった。

「あ…」

エコーではなかった。

目の前に、あのパチンコ男が立っている。

何故か、瀬山と同じように、ビショ濡れだった。

――その哀れな姿を見て、瀬山は思った。

(こいつには、こいつなりの――悩みが、あるんだろう)

「ぷっ」

そう考えたら、妙に可笑しくなって、吹き出してしまった。

何が可笑しいのか分からないが、たまらなく可笑しかった。

「…」

男は、無言でこっちをにらんだ。

(やるか?)

瀬山は、グッとにらみ返した。



[5]PM6:40 パチンコタワー店内



瀬山と男は並んでプリペイドカードを購入して、並んで座り、並んでカードを投入し、並んで玉を買った。

(徹底的に負かせてやるよ!)

「…」

「よおおし!リーチリーチ!…来たーッ!」

パチンコ男は、随分と景気がいいようだった。

「…」

対して、瀬山はどうもツイていない。

男は、大当たりに次ぐ大当たりで、玉が山とあふれている。

「…」

瀬山は、風前の灯だった。

(!)

だが、玉が尽きかけた時、ようやくリーチがかかった。

(よし、まだまだァ!)

こちらの様子を、男は、余裕の表情で見ている。

――デジタルが、そろった。

(よっしゃ一っ!)

「…あ…」

当たりは来た。

しかし、それと同時に、玉が尽きてしまった。

大当たりが来たのに、レバーを回しても、玉が出ない。

これでは、意味がない。

「チッ!」

露骨に舌打ちをしてしまった。

それくらい、悔しかった。

とてつもなく、悔しかった。

――隣りの男が、自分の台の玉をひと掴みして、黙って、瀬山の台に流し込んでくれた。

(!?)

瀬山は驚いて、男の顔を見た。

「あの…」

瀬山は、頭を下げた。

男は、ただ、ニヤリと笑った。

瀬山のパチンコ台は、今や完全に息を吹き返している。

暫くの間、瀬山も、男も、大当たりの音を鳴り響かせた。



(ん?)

隣りに座っている女の子が、困惑した表情を浮かべていた。

先の瀬山と同じで、大当たりが来たところで、玉が尽きてしまったらしい。

(さて、どうしたものか?)

(――是非もない)

瀬山は、男にしてもらったように、女の子の台に自分の台の玉を流し込んであげた。

その様子を、隣りの男が、じっと見ている。

「…」

どちらともなく、フッと笑った。



女の子の台もまた息を吹き返し、たちまち玉があふれ出していた。

「すいません。ありがとうございます」

女の子の声に、軽く手を挙げて応える。

それから、男を見て、

(今日は、どっちが勝ちでもいい)

と、思った。



[6]PM8:00 瀬山家



瀬山は帰宅してすぐに、加藤に電話を入れた。

そして、昨日のことを、謝った。

――そんな、気にしないでくれ。

加藤は心底驚いた様子で、

――こっちこそ、いろいろと忙しい時に電話したりして、悪かった。

と、逆に謝ってきた。

お互いに自分の非を認めて、詫び合うかたちで、通話は終わった。



自分の部屋に向かう途中、加藤の言葉を思い出していた。

――いろいろと忙しい時に…

その言葉に、揶楡が込められていた気がしたのは、考え過ぎだろうか。

(どっちだっていいさ)

瀬山は、部屋に着くなり、ベットに倒れ込んだ。

(――どっちだって、いいさ)




10月14日(土)



[1]AM6:00 瀬山家



枕元の時計を見ると、六時を少しまわっていた。

(――六時)

受験生にとっては、特別早い目覚めでもない。

「…」

今、見た夢のことを考えていた。

――確かに覚えていたはずなのに、まるで思い出せない。

「…」

瀬山は、勢いよく毛布をはねのけると、カーテンを引いて、朝の景色を眺めた。

(夢の内容を覚えていたからって、何のメリットがあるでもないし)

「…」

机に目をやると、整然と積み重ねられた参考書が見えた。

(今日は、ちゃんと予備校に行こう)

浪人なのだから、それが当たり前だった。

しかし、三日もサボってしまうと、勉強をしようという意欲が今一つ起こらない。

(――コインで決めよう)

瀬山は、机の一番上の引き出しにしまってある、外国の貨幣のことを思い出していた。

仕事の都合で海外を飛び回っている父親から、もらったものだ。

(表だったら、行く。裏だったら、サボる)

「…」

(?)

――どういうわけか、コインは、今日に限って見つからなかった。

(あああ、どいつも、こいつもっ!)

(そろいも、そろって、舐めやがって!)

瀬山は、憤懣やるかたない、という様子で、引き出しを、力任せにこじ開けた。

ゴトン。

引き出しは、鈍い音を出して、あっさりと外れてしまった。



二十分ぐらい辛抱強く探したが、結局見つからなかった。

瀬山は、引き出しを元の位置に戻すと、コイントスを諦めて、自分の意志で、今日これからのことを決めた。



[2]AM10:00 渋谷、スクランブル交差点



瀬山は、街を歩いていた。

――これで、四日連続で予備校をサボったことになる。

四日も学校をサボって、街でブラブラするなんて、瀬山の小・中・高校生活十二年間を含めても、初めての経験だった。



[3]AM10:20 渋谷釈、ハチ公前



また、ハチ公前に来ていた。

(ほのかに、もう一度会えるだろうか)

(――会えるわけがない)

いくらなんでも、そう都合よくはいくまい。

(でも、ほのかに、会わねばならない。

あるいは、カオル、と名乗る女性に。

そして、すべての謎を解き明かす)

「やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい」、そんなフレーズが、頭にあった。

(だけど、やって後悔するより、やらないで後悔した方が…)

――気が、楽なんだよなあ。

瀬山は、そう付け加えた。

そういう物の考え方が、瀬山を「二浪」という立場に追いやったことを、自分でも薄々と勘づいていた。



チラチラと、道行く人を見る。

皆、忙しそうだ。

(俺だって、忙しいんだ)

しかし、大多数の人から見れば、今の瀬山は、単なる閑人だ。

それを自覚しているから、瀬山は余計にやりきれない思いにさせられるのだ。

知らず、うつむいてしまう。

「…」

――時間だけが、じりじりと過ぎていった。



[4]PM1:00 歩道



すれ違う人が、皆、振り返ってこっちを見ている気がした。

(浪人生なのに、遊び歩いている、だらしのない人間だと思われている?)

そんなわけがない。

だが、思い込みは、際限なく、瀬山を責めたてた。

(俺は、本当は、暇じゃない!

やらなきゃいけない事も、やりたい事も、山のようにある!)

具体的に言うと何だろうか。

今は、受験勉強だ。

「…」

瀬山は、絶望的な気分で空を仰いだ。

渋谷の空は、今日もいい天気だった。



すべては一瞬の出来事だった。



瀬山の右、ほんのわずかの距離に、突如として車が現れたのだ。

車は、ガクン、と派手に体を揺すって、急停止した。

(!?)

瀬山の反応は、大分、遅かった。



――お互いの不注意だった。

瀬山は、脇から飛び出してきた車に、気づかなかった。

車は、左右を確認せず歩いていた瀬山に、気づくのが遅かった。

駐車場から出できたばかりの車が、速度を出していなかったことと、ドライバーの反応が速かったことが、最悪の事態を回避していた。

――瀬山は、何もできなかった。

「…」

瀬山は、チラ、と車の方を見た。

そして、努めて冷静に、できる限り悠然とした足取りで、車の前を横切った。



実際には十メートルと離れていなかったが、瀬山が「現場から遠ざかった」と認識した瞬間、体中から、ドッと、嫌な汗が吹き出した。



瀬山は、今し方起こったことを、控え目な表現で思い出していた。

(車に、轢かれかけた)

それから、もう少し具体的に考えた。

(死ぬところだった…)



――急に恐くなった。



瀬山は、走った。

受験勉強で、すっかりナマった体に鞭打って、不格好に走った。

(人間は、あっさり死ぬ)

走りながら、瀬山は、数日前にトラックに撥ねられて死んだ、旧友の事を思い出していた。

大人しくて、目立たなかった旧友の、顔を思い出していた。

(――何で、死んだんだ!)

瀬山は、今、初めて、彼の死を、理不尽なものだと感じていた。

(死ぬことはなかった!)

人は、あっさり、死ぬ。

人間はどこから来て、どこへ行こうとしているのか――なんて、悠長に言っていられないほど凄いスピードで、死んでしまう。

喜びも、哀しみも、悩みも、憂いも、恋をしたことも、一瞬で虚しく散ってしまう。

(嫌だ!)

(そんなの、嫌だ!)

瀬山は走った。

ただ、切実に、

(生きたい)

と、思った。



[5]PM2:40 歩道



何かの本で読んだことがある。

「アポーツ」――意味のある偶然、という訳だった。

瀬山は、ずっと、ほのかの事を思っていたから、走り疲れて立ち止まった時、道の向こう側にほのかの姿を発見しても、あまり驚かなかった。

会えて当然のような気すらしていた。



ほのかを見る。

胸の奥からこみあげる、抑えきれない衝動。

瀬山は、両手をメガホンにして、彼女の名を呼んだ。

「ほ」

しかし、その名は、最後まで呼ばれることなく、唐突に、とぎれた。

――ほのかが、見知らぬ男と話しをしていたからである。

「ほ…ほ…」

(ホーヤレ・ホー)

(こっちの水は、あ一まいぞっ♪と、きたもんだ)

壊れている場合ではない。

瀬山は素早く自分を取り戻すと、街路樹の影に身を潜めた。

「…」

(ほのか?)

(それに、あの男は?)

(何を話しているんだ?)

分からない事が多すぎて、何から悩んだらいいか、分からない。

取り敢えず、二人の様子から、会話の内容を推し量ることにした。

様子からして、

様子から…、

──会話の内容は、さっぱり分からない。

ほのかは怒っているようにも、親しげに話しをしているようにも見えた。

「…」

瀬山は、固唾を飲んで、二人の動向を見守っていた。



その一瞬は、速やかに、穏やかに、何の前触れもなく、訪れた。

ほのかが、男にもたれかかる。

(!?)

ほのかと、謎の男が、天下の往来で、しっかりと抱き合っていた。

「あッ…」

ほのかと、謎の男は、まだ離れない。

いや、すでに「謎の男」ではない。

男は、ほのかの恋

(言うな!)



瀬山の前で、世界が鳴動した。

大地の鼓動が、瀬山の心を激しく揺さぶった。

(!)

隣りにいた太めの女の子が、何か嫌なことでもあったのか、瀬山を力一杯つきとばして、走り去っていった。

「…」

瀬山は、そのまま尻もちをついた。



[6]PM3:30 街



瀬山は、朦朧とした意識で、街を彷徨っていた。

(ほのかが、男と、抱き合っていた)

その客観的事実から導き出される答えは、── 一つ。

「…」

瀬山は必死だった。例え、無茶なこじつけでも、何とかして「それ」とは別の答えを探さねばならなかった。恋する瀬山は、とにかく必死だった。

(考えろ!)

「…」

(探せばきっとあるはずだ。「それ」以外の答えが!)

「…」

(考えろ、考えろ!お前の頭は、何の為にある?今、使わないで、何とする?そら、ツノ出せ、ヤリ出せ、目玉出せ!)

瀬山は、かなり虚ろな意識で、街を彷徨っていた。



[7]PM4:00 街



ガックリと肩を落として、トボトボと歩く。

典型的な「敗残者」のポーズで歩き回っていると、どんどん惨めな気持ちになってきた。

瀬山は、下ばかり見て歩いていた。じっと地面を眺めていると、実に色々な物が落ちていることに気がつく。

ペチャンコになった、スチール缶。

ファーストフードのストローと、紙コップ。

毛糸の靴下の、片一方。

食べかけの、コンビニ弁当。

端っこが欠けた、百円ライター。

スナック菓子の袋。

オーナーに見捨てられた、トレーディングカード。

そして、たくさんの人に踏まれて泥まみれになった一円玉。

「…」

瀬山は、反射的に屈みこんでそれを拾うと、ポケットの中に捩じ込んだ。

──ふと、思った。

(一円玉を造るのには、一円以上かかると聞く)

(また、ものの本に因れば、道に落ちている一円玉を拾うために屈むと、一円分以上のカロリーを消費してしまうので、丸損だと言う)瀬山は、ポケットの中の一円玉をぎゅっと握り締めて、「彼ら」に問う。

──ならば、一円玉よ。お前は、一体、何のためにここに在る?

「…」

(──アホくさ)

(たかが一円玉じゃねーか)

瀬山は、また、歩き出した。



[8]PM5:00 公園通り



恋する瀬山は、ほのかの事を、まだ諦めていなかった。

己のすべてを掛けて、「ほのかと男が抱き合っていた理由」を探していた。

しかも、その理由とは、「それ」以外のものでなくてはならない。

(「それ」以外の可能性に関する考察、その一)

その一。

その一。

その一…。

──さっぱり思いつかない。

やはり、どう考えても、あれは

(違うっ!)

瀬山は、大きく頭を振って、「それ」を否定した。

(断じて、否!)

受験生らしく、ドイツ語混じりで、否定した。

(絶対に、何か、あるはずだ)

(「それ」を認めるわけにはいかない!)

──しかし、彼の頭脳は、答えを導き出せないまま、「オマチクダサイ、オマチクダ

サイ」を繰り返すばかりである。停滞した思考に、ついにスクリーン・セイバーが掛かるか、と思われた瞬間、

「…カオルのヤツぅ」

その「力ある一言」が、瀬山を既存空間に引き戻していた。

(!?)

ハッ、と顔を上げると、シャージを着た女が、見上げるような大男と話しをしている。

「カオルよ!カオルのせいよ」

「オッス、小粋な会話の後は、飲むッス、カクテルを飲むッス」

「チクショウ!聞いてる?カオルのせいでわたしはチョーひどい目にあったのよ!」

「オッス、飲むッス。ムードあるバーで飲むッス」

「くっそーっ、親切なフリして、アノ女、人の男、盗みやがって!」

「そうッス、自分、盗むッス、やっぱ、キミの心を盗む、ジャン、であります」

「ちがうわよ。カオルよ、秋山薫の話をしてるのよ、ちゃんと聞いてんのっ」

瀬山は、危うく、あっと声を上げるところだった。

『秋山薫』。

その名は、

──今の今まで、すっかり忘れていた名前だった。

(あの女)

瀬山は、女と大男の後を追った。

深く考えずに、追った。

(秋山薫を、知っている?)

七五調で独白して、二人を追った。

(やっと掴んだ手掛かりを、逃がすわけにはいかないな)

ほのか絡みの情報は、どんなモノでも構わないから、手に入れる必要があった。

どんな小さなモノだって、やがて芽が出て、花が咲く。

──瀬山は、今ひとつスッキリしない頭を抱えて、二人の後を追って走った。



[9]PM5:40 HUB店内



瀬山は二人の後を追って店に入った。

二人のそばに陣取って、会話に耳を傾ける。

「…」

「ううっ、カオルはね、カオルはね、わたしのようちゃんをとったのよ」

「オッス。ステキな夜ッスね」

女は大男にグチをこぼしている。

──わたしのようちゃんをとったのよ。

「…」

瀬山とて、伊達に年を重ねているわけではないから、その言葉の意味は分かる。

(あの、薫さんが、ねえ。人は、見掛けによらんなぁ)

チラ、と女の方を見て、その心中を慮ってみる。

「…」

様々なエピソードが浮かんだが、今は馬に蹴られている場合ではないので、会話に意識を戻した。

「カオルはねえ、やさしくって、親切で、礼儀正しくて、アタマ良くて」

「二人のために、カンパイ、ジャン、ッス、であります」

「ちがうわよ。汚いのよ!アイツはね!」

「オッス、ウッソー、マジマジ、ジャン、であります」

「二重人格なのよ!」

(!?)

その衝撃は、瀬山の全身を駆け抜けた。

(ほのか・カオル・薫)

脳裡に、この数日間で関わりすぎるほど関わった三つの名前が浮かぶ。

──二重人格なのよ!

(ほのか・カオル・薫)

その三つの名のうち、『カオル』と『薫』が、丸で括られて一つになった。

(な、な)

「何だってえ!?」

瀬山は、自分の立場も忘れて、二人の会話に飛び込んでいた。

「い、いいかげんなことをいうな!じゃあ、薫さんがカオルだというのか」

「ひょひょひょ。なーにいってんのよ」

女は酔っているのか、闖入者たる瀬山に全く怯まず、むしろ御機嫌な様子で、言葉を続けた。

「カオルは、カオルに決まっているでしょう」

「え?ええ?ちょっと待ってくれ」瀬山は、もう一度よく考えるために、自分の席に戻りかけたが、女が喋り続けそうだったので、その場に止まった。

「だいたいね」

「…」

「カオルは最初から狙ってたのよ」

「な、何を」

「むはっ、むはっ、げほげほ」

女が、ピザを喉に詰まらせて、目を白黒させた。

「おい、カオルは何を狙っていたっていうんだ」

「ちょっと待ってよ。コレを食べてから」

女は瀬山を遮ると、テーブルに山と並べられた料理に手をつけた。



正確に十分で、それらはカケラも無くなった。

「ぷはーっ。はー、何とかヒトゴコチついたわ…」

「…すげえ」

瀬山は、女の健啖ぶりに素直に感心した。

「で、何のハナシだっけ」

「薫だよ」

女も、瀬山も、切り換えが速い。

「キミは秋山薫について何か知ってるのか?」

「ふん。よーく知ってるわよ」

女は素っ気なく言った。

「そうッス。勉強したッス。研究したッス。ナンパのことなら、やっぱさァ、お任せ、ジャン、であります」

瀬山は、包み隠さず「邪魔だなあ」という意味のこもった視線を大男に送ってから、女に向き直った。

「頼む。薫のこと、もっとくわしく教えてくれないか」

「ふ一ん。そんで」

「え?」

「アンタ何なのよ。アンタ、カオルの何?彼氏?恋人?」

どういうわけか、即答ができなかった。

「…どっちでもない」

「だったら片思いでしょ」

女は、瀬山が造った「間」を、違う意味に取ったようだった。

「あのコはやめた方がイイわよ」

「どうして?」

「フン。あんな女、サイテーよ」

「な、なぜだい!?」

「うらとおもてをもってるからよ!」

(!)

瀬山は、ビクッと体を震わせた。

女が突然大声を出した事と、その内容に驚いたのである。

「優しいカオして近づいてきてさ。ちょっと気を許したらドロボウネコよ」

「ドロボウネコ!それはどういうことだ!」

「そんなのいいたくないわよ!」

力任せに叩きつけられたグラスが、ドン、と音を立てた。

「オッス、自分は知っているッスよ!」

「え?」

「何だって」

瀬山は、期待を込めて、大男を見た。

「ドロボウネコとは、ドロボウをするネコのことッス」

「…」

「とにかく、サイテーの女よ、アイツは」

女は大して動じてない様子で、再びグチる。

「そうッス。美子さんの前ではどんな女も負けるッス、見劣りするッス、貫禄が違う

ッス」

「…チョットそれどういう意味?」

「オイ待てよ。キミらの話は全然分からない」

瀬山は次第にイライラしてきた。

「うるさいわね」

それが伝染したのか、女も不機嫌になって、

「さっきからカオルカオルって、アイツは二重人格なの。態度がコロコロ変わるの。

わかる?そういうヤツなのよ」

それだけ言うと、瀬山の答えを期待するでもなく、プイ、と横を向いてしまった。

──二重人格。態度がコロコロ変わる。

(だが、それは、秋山薫とは関係がないことだ。…まさか)

「まさか」

瀬山は、思いついた事を、即座に言葉にした。

「キミはほのかと彼女をカンちがいしてるんじゃないだろうね」

「ほのか?誰よそれ」

逆に訊かれて、ぐっと詰まる。

──誰よそれ。

(誰だろう)

この女は、ほのかの事を本当に知らないらしい。

しかし、考えてみれば、瀬山とて、ほのかしを「識って」いるわけではないのだ。

「…彼女に、薫に、ソックリな人さ」

その言葉足らずの説明に、女は最初、目を瞬せていたが、やがてプッと吹き出した。

「ぷぷぷぷふふふ。ふ一ん、へー、そお。じゃあ、生き別れの姉妹かしら、ね」

「…」

「双子だったんだカオルちゃんてば」

「…」

「…なんて信じると思うの!」瀬山は一言も言い返せず、黙って聞いていた。

「…しかし」

「双子だの三つ子だのが、そうそういてたまるもんですかっ」

「オッス!違いますっ!双子ではありませんっ!」

「え?」

「オッス!五つ子であります」

「ええ?」

瀬山と女は、大男の言葉に、はしたない声を上げて動揺した。

「そ、それなのに自分は…自分は弱虫であります」

大男は巨体を震わせて、泣きじゃくった。

「…何だコイツ。泣き上戸か?」

瀬山は女に尋ねたが、あっさり無視されてしまい、再び沈黙した。

「うおおおおん。許して下さい、ハル子サン」

「わたしは美子だよ…冗談じゃないわよ。さっきから…まったくう」

「…」

瀬山は、大男の存在を空間ごと切り離してから、改めて女に問い質した。

「なあ、さっきの話の続きは」

「だいたいね、あんたがいけないのよ」

いつの間にか、怒りの矛先は瀬山に向けられている。

「迷惑なのよ」

「何っ、どういうことだ」

「あんたカオルの彼氏のクセしてシッカリしないから、いけないんじゃない!」

瀬山はここに来てやっと、女がひどい誤解をしていることを悟った。

「いや、俺は彼氏とかそういうんじゃなくて…」

「関係ないわよ…あんたのせいで…」

「…」

「ようちゃんが…ようちゃんが…」

女は、喋りながらも、料理を口に運んでいる。

「うおおお、自分はいったいどうしたらいいんすか?」

大男が、瀬山にいきなり、もたれかかってきた。

「自分には荷が重いッス」

「…重い、ですって!」

今度は、女が叫んだ。

「そ一よ、ど一せ重いわよ。うぐぐ、悪かったわね。もっと重くなってやるわよ。

うひーん」

「うおおおん、自分は弱虫ッス、意気地ナシッス。イクジなんてできそうにないッス」

「うひーん」

──大騒ぎになってしまった。

「うわ」

瀬山は、自分が今、とんでもない所に居ることを、認識した。

(何だ、コイツら!?)

瀬山は一刻も早く、この場から撤収する必要性を感じていた。

「あ、俺、ちょっと…えと、向こうに知り合いが…」

念のため言い訳をしてから、急いで席を立ち、店の奥の方に速やかに退去する。

──二人は、その言葉を聞いちゃいないようだったが、それこそ、瀬山の知ったことじゃなかった。



[10]PM7:00 HUB店内、



バーカウンター



──女との会話は、瀬山に有意義なことを、何ももたらさなかった。

それどころか、秋山薫のことまで加わって、余計に謎が深まっているみたいだった。

(…泥沼)

何だか、疲れるだけ疲れた、という感じだ。

瀬山は、この店に来たことを、激しく後悔していた。



フラフラとカウンターに吸い寄せられるように歩いて行った。

──そして、そこで、「パチンコ男」に出会った。

「…」

瀬山は、ごく自然に、男の隣りに腰を下ろしていた。

「今日は来なかったな」

男は、さりげなく切り出してきた。

(忙しかったんだ!)

「…」

瀬山は答えず、むっつりと押し黙る。

「逃げたのか」

(違う!)

(忙しくて、パチンコどころじゃ、なかったんだよ!)

「行ったさ」

──瀬山は、心とは裏腹に、すんなりと嘘を吐いていた。

「そっちこそ」

「オレは、三十分で三万円」

「こっちはもっとだ」

「口だけじゃないのか」

「そっちこそ」

「…」

パチンコ男は、それっきり何も訊いてこなかったので、瀬山は少しホッとしていた。

男が、バーボンを飲み干す。

瀬山も、手にしたグラスを、空にした。

「…」

また、にらみ合う。

間を置かず、

「ビール!」

男が、大声で注文した。

「ビール!」瀬山だって、負けてはいられない。

(こいつには負けたくない)

(──せめて、こいつに、だけは、負けたくない!)

ジョッキが出された。

二人の手が同時に伸びて、同時にビールを空けた。

「ぷはっ。…お代わり!」

「お代わり!」

今度は、瀬山の方が早い。

実のところ、瀬山は、それほど酒に慣れているわけではなかった。

それにも関わらず、こんな、飲み比べまがいのことをしている。

──その理由は、見つけられなかった。



ビールが空になった。

(大学に入ったら、コンパとかいろいろあるだろうからって、皆でビールを買い込んで、こっそり呑んだ)

瀬山の脳裡に、高校時代の思い出が浮かんだ。

──これぐらいは、慣れておかなきゃな。

(一番大人ぶっていた加藤は、缶ビール一本で真っ赤になって、脱落した)

「…」

ウイスキーが空になった。

(大学に入ったから──、皆、酒に付き合わされているんだろうか)

「…」

バーボンが空になった。

(俺は浪人生だ。だから、予備校に行かなきゃならんのに、それをサボって、ここで、こうして酒を呑んでいる)

(──大学生でも、ないくせに)

「…」

ジンが空になった。

(大学生)

(久し振りに会った友人たちは、全員、大学生になっていた)

──居酒屋とかなら、サークルの先輩との付き合いで、よく行くよ。

いつも、同じカクテルしか注文しないけど。

(そう言ったのは、誰だ)

(──ああ、木村だ。一浪して、志望校に入ったんだよな。ははは、おめでとうっ!)

「…」

ウォッカが、空になった。

(そうだ、奴は、付き合いでどうのこうのと言ってたな)

──付き合い、で、カクテル、を、注文。

「…」

ズブロッカが空になった。

(そうやって、あいつは、あいつらは…、──俺の目の前で、一人前の人間を気取りやがるっ!)

(それで、大人にでもなったつもりかよ!)

「…れ、るらら、れれ」

「ろまれ、ひゃんとしゃべれよ、られれ」

お互い、呂律が回らなくなってきた。

(連中は大学生で、俺は、浪人生)

──大学に入ったら、コンパ、付き合い、ビール、サークル、同じカクテル。浪人。ほのか、浅見ほのか、大学生、大学生、大学生…。

「…」

瀬山は、出される酒を、飲み続けた。

「…ら、もりょ、らもりゃ、ろもりゃり」

「…らもりゅ、もりゃ、もりゃ…」

二人は、完全に正体を無くしていたが、それでも、出される酒を飲み続けた。

(ほのか…)

──ほのかと、男が、瀬山の前で、抱き合った。

「…うぷっ」

思考が跳んだ刹那、瀬山はこらえきれない吐き気を感じて、力なく床に滑り落ちていた。よろめきつつも、最後の力をふりしぼって、トイレに向かう。

「…うはは」

パチンコ男の下卑た笑い声が、背中に降り注いだ。

(負けた)

トイレに入って、便器の前に屈み込むと、瀬山は、吐いた。

(──負けた)

不意に泣き出しそうになって、ぐっとこらえた。

どうして泣きそうになったか。

どうして、こらえてしまったのか。

──瀬山自身にも、分からなかった。



[11]PM7:50 HUB店内、トイレ



アルコールはすっかり吐いてしまったはずなのに、瀬山の頭はスッキリしなかった。

「…うーん」

これほど酒を飲んだのは初めてだった。

(眠りたい)

まず、そう思った。

(でも、いつまでも起きていられそうだ)

瀬山は、矛盾する二つの感覚を抱えて、

「これが音に聴く、二日酔いか」とも考えたが、頭痛がするとか、そういう感じではなかったので、「違う」と判断した。

(とにかく、出よう)

足元が若干フラついたが、許容範囲だったので、気にせずトイレから出ようとした。



その時、瀬山はピアスを見た。

(!?)

目の前に、ピアスがあった。

正確に言うと、どことなくヤバい雰囲気の男が、ピアスを手に取って眺めていたのだが、瀬山はピアスしか見えていなかった。

(──つながった!)

瀬山は、朦朧とする意識の中で、快哉を上げていた。

(あれは、ほのかだ)

(あのピアスは、ほのかのものだっ!)

何故、瀬山が、そのような緒論に至ったかは、永遠に分からない。

ただ、瀬山は、自分の行動に、絶対の自信を持って、男に近づいていった。

「そ、それッ…!」

男が、振り向く。

瀬山は、恐れず、ためらいもせず、男にとびかかり、ピアスに手をかけた。

「かッ、返せ!そのピアスと、ほのかを返せ!」

(取り返す。取り返してみせる)

(そのピアスと──!)



男の放った一撃は、瀬山を容易に叩きのめしていた。



瀬山は、無言で、トイレの床に倒れ込んだ。



最後に残った感覚が、ポケットの中に何かを入れられた、と瀬山に伝えた。

「やるよ…お前さんへのプレゼントだ」

そんな声が、遠くで聞こえた。

(何を、くれるの?)

答える者は、もう、いなくなっていた。











10月15日(日)



1.AM2:00 街



気がつくと、日付が変わっていた。



トイレで眠っているところをバーテンに叩き起こされて、フラフラと店を出たのは、零時を少し過ぎた頃だったか。



瀬山は、夜の街を、いい気分で歩いていた。



どうも、途中で、お巡りさんに声をかけられた記憶がある。

「もスもス。キミ、大丈夫かね」

「…」

(えーっと、何て答えたっけ?)

──はあ一い、大・丈・夫、でぇ一すっ!

(…そう答えた気がするが)



ふと、ポケットをまさぐる。

(?)

(これは、何だ?)

ポケットの中に、ピアスが入っていた。

いつ、入れたのか、思い出せない。

手に取ってじっくりと観察をした後、

(まあ、いいか)

あまり深く考えずに、ピアスをポケットに戻した。

──ポケットの中には、ビスケットが一つ!

瀬山は、古い歌を、思い出していた。



[2]AM3:30 渋谷駅、ハチ公前



瀬山は、ハチ公前に辿り着いていた。



獣が、自分の住処に戻るが如く、瀬山は、本能と脊髄反射だけで、ここにやって来ていた。



(ハチ公前に、来た)

そう認識すると同時に、瀬山は、言い様のない眠気に襲われていた。

──眠気。

安堵感。

慈愛。

充実感。

(ああ、そういうことか──)

目には見えない、それらの温かいものに包まれて、瀬山は一瞬だけ、すべてを理解した。それらが消失すると、再び、単純な欲求が首をもたげてきた。

(眠りたい)

瀬山は、一時、常識も、恥も、外聞も忘れて、路上にへたりこんだ。

そして、眠った。




街 サイドストーリー7

2014年05月06日 15時00分00秒 | 街 サウンドノベル
瀬山 高広 「Unique」

作者名 S.S

10月11日(水)



[0]



昨日、友達が、死んだ。

横断歩道を、青信号で、渡っていて、それで、横から突っ込んできたトラックに撥ねられたのだ。

――なかなか、ユニークな死に方だった。



[1]AM10:00 渋谷、スクランブル交差点



瀬山高広は学生である。

この前、古本を売った時、書類の「職業」の欄に「学生」と書いた。

嘘は言っていない。

予備校生は学割が使えるのだ。

だから、嘘ではない。

しかし、瀬山は、「学生」と記入する際に、わずかにためらった。

予備校生は学生のうちに入るのだろうか、と、不安に思っだからではない。

見栄で「大学生」と書こうとして、思いとどまったのである。



瀬山高広、二十歳。

今年、二度目の予備校生活を送る、浪人生。

――彼は、大学生に、憧れていた。



「…」

信号は、まだ青に変わっていなかったが、瀬山はパッと歩き出した。

何人かが、それにつられて歩き出す。

一歩。

二歩目が地に着く前に、信号は青に変わった。

(――いいタイミングだ)

車の信号が赤に変わった時から、心の中でカウントダウンを開始して、こちらが青になる直前に、他の誰よりも早く踏み出す。

瀬山は、その一瞬が、好きだった。

このささやかな趣味のことは、勿論、瀬山だけの秘密である。

まして、この行為を「ロケット・ダッシュ」と命名しているだなんて、口が裂けても他人には言えなかった。



瀬山高広は浪人生である。

予備校の授業はあるし、次の日曜日には――いや、今の時期は、次の日曜日も、と言った方が正しいが、模擬試験がある。

そして、年を越せば、彼にとって三回目の、センター試験が待っている。

「年を越せば、センター試験」

瀬山は、その表現を好んだ。

決して、

「あと三ヶ月後には、センター試験」

とは、考えないようにしていた。



その、切羽詰まった浪人生は、予備校をサボって、街をブラブラしていた。

理由は、無い。

強いて言えば、「現実逃避」という、例のヤツか。

――現実逃避。

それにしても、と瀬山は思う。

教科書や本では、皆一様に、「テスト前に限って遊んでしまう」を例に挙げるが、これ以外に、「現実逃避」の具体例は無いのだろうか?



瀬山の高校時代の級友の岩田が、トラックに撥ねられて死んだことは、昨日の夜、自宅にかかってきた電話で知った。

正直、瀬山は、死んだ岩田と、それほど親しい間柄ではなかった。

だから、ということでもないが、彼が「死んだ」と告げられても、瀬山はそれほど衝撃を受けなかった。

――で、告別式、どうする?

電話をかけてきた、加藤の声が少し震えていた気がしたが、それは多分、瀬山の先入観だろう。

「悪ィ、俺は――模試があるから…」

そう言って、告別式への参加を拒否する。自分は冷淡だ、という思いは殆ど無かった。

――そうか、分かった。

加藤は短くそう言うと、

――頑張れよ。

と付け加えて、電話を切った。

(あいつはストレートで私大に入ったから、今は、二年、か)

「頑張れよ」に、憐れみが込められていると感じたのは、瀬山の被害妄想だろうか。



「模試があるから」そう言って誘いを断った瀬山は、今、街にいる。



[2]AM10:10 渋谷駅、ハチ公前



駅に足を向けたのは、意図してのことではない。



ハチ公前には、相変わらず、カップルが氾濫していた。

中には、明らかに中・高校生風のカップルもいる。

(こいつら、学校はどうしたんだ?)

自分のことは棚に上げて、瀬山は思った。

「――よく行く喫茶店があるんだ。そこで話そう」

瀬山の横を、高校生のカップルが通り過ぎていく。

(あの制服――)

(緑山学院高校か)

他ならぬ、瀬山の母校の制服である。

当然、見覚えがあった。



二人の姿が見えなくなってから、さっきの男の言葉を思い出していた。

――よく行く喫茶店があるんだ。

(あの細かい気配りが、モテる奴とそうでない奴を、決定的に隔てるんだろうな)

(…俺には、無理だ)

自分には、きっと、ああいう器用な真似はできまい、と思う。

そして、知らぬ間に、相手の心は自分から遠く離れているのだ。

今だ体験したことのない恋の行方をシミュレートしてみて、ああ、俺は何てダメな奴なんだ、と、一人落ち込む、瀬山であった。



それは、いきなりのことだった。

瀬山の目の前、ほんの数メートル先に、「彼女」が歩いていたのだ。

彼女。

『浅見ほのか』!

彼女が立って、歩いて、その場に居て、息をしているということすべてが、瀬山にとって新鮮だった。



『浅見ほのか』!

その衝撃は、瀬山のすべてを駆け巡った。



『浅見ほのか』!

それは、瀬山が必死になって探り、やっと調べ上げた名前だった。



彼女に会って以来。

あの日、予備校へ向かう電車の中で、本を読んでいた彼女を一目見て以来、瀬山は彼女のことを知ろうと躍起になった。

同じ時間の電車に乗れば、大体、会うことができる。

最初にそれを確認した。

彼女の友人らしき人物が一緒に乗り込んでくると、会話に耳を傾けた。

それは、「耳をそばだてる」のレベルを超越して、「耳の神経に全身全霊を込める」だった。

「サークル」と「コンパ」が出てきたので、素性は簡単に判明した。

そして、それからが大変だった。

会話の中に、一向に「名前」が出てこないのである。

瀬山は、会話というのは、相手の名前を使わなくても十分に成立することを、この時初めて知った。――思い知らされた。

マンガやドラマのように、

「ねえ、○○くん」

「なんだい、△△ちゃん」

と、「誰が」「誰に」話しかけているのか分かりやすい会話は、現実には存在しないのだ。

考えてみれば、二人称ですら、会話では滅多に使わない。

まして三人称なんて言語道断だ。

瀬山は、変なところで、現実の厳しさを知ってしまった。

だから、彼女の友人が発した『ほのか』というのも、第三者の名前だと、危うく聞き逃すところだった。

そうしなかったのは、『ほのか』のところで、彼女が小さく反応したからだ。

『ほのか』さんの相方――瀬山にとって救世主――は、その後、『ほのか』を二回繰り返してから、駄目押しに「じゃ、またね、ほのか」と言って、電車を降りていった。

おかげで、完全に謎は解けた。

比較的珍しい名前だったのも、瀬山に味方した、と言える。

これで、「みっちゃん」とか愛称で呼ばれていたら、瀬山はもう少し長く、悶々と苦しんでいただろう。



名字の方は、それに輪をかけて、探るのが大変だった。

彼女のことを名字で呼ぶとしたら、「男の知り合い」である。

幸か不幸か、彼女の側にいるのは女性ばかりだった。

一度、彼女に携帯がかかってきたことがあった。

しかし、

「ハイ、ハイ。――今、電車の中なので」

プツッ、終わり、である。

(もしもし、こちら口口です、とか言ってくれよ!)

無茶な注文であった。



だから、駅で降りた時、彼女が携帯を取り出して、

「もしもし。浅見です。

――ええ、すいません。バイト、遅れるかもしれません。…ハイ」

と言い出したのは、もっけの幸いと言う他なかった。

ひょっとすると、一生分の運を、ここで使い果たしたかもしれない。



「女子大生」の、『浅見』『ほのか』!

瀬山が、やっとの思いで素性を探った、その彼女が目の前にいる。

(あ…)

「…」

だが、声をかけるのはためらわれた。

(これじゃ、まるで、彼女をつけまわしているみたいじゃないか)

客観的には、事実その通りなのだが、

瀬山はまだ、「変質者」になるほど、自制心を失っていなかった。

若干語弊があるが、要するに度胸がなかったのだ。

だから、声をかけるのはやめて、黙って後を追うことにした。

その辺の矛盾に気づく余裕は、今の瀬山には、ない。



彼女が歩く。

瀬山も歩く。

彼女が時計を見る。

瀬山は歩く。

彼女が立ち止まった。

――瀬山は、通り越してしまった。

彼女の存在を背中に感じながら、

(!)

瀬山はつまずいて、派手に転んだ。

「あッ!」

彼女が声を上げた。

瀬山は、あ、どころではなかった。

(これじゃ俺は、まるっきり馬鹿じゃないか!)

ダンッ、と手をついて、腕立て伏せの要領で起き上がり、ガッ、と力強く地を蹴って、素晴らしいダッシュでその場を後にしようとした瀬山だったが、鼻の穴に違和感を感じて、足を止めた。

(鼻血!?)



憧れのほのかが、こちらを見ていた。

「あの…」

「え、あ、あの…」

お互いにかけるべき言葉を失った男女が、ただ、見詰め合ったまま、時間だけが過ぎていく。

言葉が、何になるというのだ?

「…」

男は、血に染まった人差し指で、鼻孔を圧迫して天を仰ぎ、遅まきながら事情を察した女が、慌ててバッグを探って、おずおずとティッシュを差し出した。



[3]AM10:50 宮下公園、ベンチ



瀬山は、ベンチに座って、放心していた。

ほのかに礼を言って、逃げるように立ち去って、ここにいる。

立ち去る以外、彼に何ができただろうか。

あるいは、ほのかの肩に手を乗せて、こう言うのだ。

「ありがとう。ところで、こうなったのも何かの縁です。

お礼と言っては何ですが、コーヒーの一杯でもおごらせてくれませんか?

旨いコーヒーを飲ませる店を知っていますよ」

(…鼻にティッシュをつめて、か?)

第一、瀬山はこの辺りの喫茶店を網羅しているわけではないし、それ以前にコーヒーは苦手だった。

いや、そんなことを考えても、詮なきことだ。

瀬山は、逃げて、ここに来てしまったのだ。

(もう会うこともあるまい)

ほのかにとって、瀬山は「鼻血男」なのだ。

(――もう、会うことも、あるまい)

瀬山は力なく立ち上がって、トボトボと歩き出した。

(メシ、どうするか)

取り敢えず、身近な問題に目を向けて、気を紛らわす。

――こういうのも、「現実逃避」というのだろうか?



[4]PM0:30 遊歩道



「会いたい時にあなたはいない」

とは、美しき恋の悩みだが、

「会いたくないのに会う人がいる」

というのは、多くの人にとって、日常生活に大きく関わってくる、わりと深刻な問題である。

瀬山にとって、その再会は、正にそれであった。

「あッ…」

浅見ほのかは、何かの仕事中のようだった。

もし、瀬山がもう五分早く、あるいは遅く、昼食を終えていたら、この再会はなかっただろう。

しかし、二人は、再び、出会ってしまった。



ほのかは自転車を降りると、

「お体、大丈夫ですか」

と訊いてきた。

(!)

しょっぱなから、瀬山はひるんだ。

(何となく、会話が続かない気がする)

気ばかり焦る。

(何か、何か言うんだ。…言え!)

「おかげさまで、鼻血は、すぐ止まりました。――えっと…お仕事中ですか?」

「ええ、バイトです。今、本を届けている最中です」

会話は、急速に終わりに近づいている。

ほのかが再び自転車にまたがり、あわや、と思われた、その時だった。

「さっきは、本当にありがとうございました。何かお礼をさせてください。

お礼と言っても、その――。

夕食、ご一緒にいかがですか?」

ごく自然に言葉が出てきた。

ほのかは、驚いた顔をしている。

当然だ。

(俺だって、信じられないんだからな)

ほのかは、微笑んで、

「そんなに気を使わないでください。それに、ごめんなさい。夜は予定が入ってしまっていて――」

それを聴いて、瀬山が露骨にがっかりしたからだろう、

「よろしかったら、喫茶店で、お話しをしませんか」

そう、付け加えてくれた。

「よろしいんですか?」

「喜んで。――五時、ぐらいなら」

「場所は、ここ、でいいですか」

瀬山は、今、出できたばかりのビルを指差した。

喫茶店があることは、確認済みだ。

「はい」

ほのかは、快諾してくれた。

瀬山は、踊り出したい気分になった。

しかし、同時にある不安が胸をよぎった。

「あの、俺、僕のこと、変な奴だと思われたでしょう。いきなり、こんな事を…」

自分で言って初めて、

(これは…ナンパだ!)

と気づいた。

「…まあ、驚いたのは事実ですけど」

「瀬山です」

「え?」

ほのかの言葉は、瀬山の疑問でもあった。

「瀬山高広、と言います」

(何だ。いきなり何を言い出すんだ?)

(これじゃ、ますます変な人だ…)

そう思わないでもなかったが、どうしても言わずにはいられなかった。

ほのかはキョトン、としてから、笑った。

「私は、浅見ほのかです」

それでは、と言い残し、ほのかは去った。



後には、直立不動の瀬山が残った。



[5]PM2:00 書店



瀬山は、やや覚束ない足取りで、たまたま目にした書店に、立ち寄っていた。

だらしない顔をして、本を見て回る。

(全く)

(天にも昇る気分、とは、このことだ)

瀬山は、今、すべての物に対して、優しくなれる気がしていた。

気分がやたらと大きくなっていたので、普段なら手にしようともしない、手にしたとしてもビビッて棚に戻してしまうような高価な本を買うことにした。(そう言えば、浅見さんは、本屋でバイトをしていた風だったけど)

自分の姿に、ほのかの姿を重ねてみる。

(浅見さんも、こうして、本を手に取っているに違いない)

何とかいう外国の小説を手にとって、

ホーッと溜め息をつく、ほのかの姿が思われる。

――彼女が本を手にするとすれば、それは書棚を整理するためだと思うが、瀬山は、その考えを「却下」している。

ほのかは、難しそうな本を手にとって、表紙の文字を指でなぞるような女性でなくてはならないのだ。



レジに向かい、バイトらしき女の子に本を渡す。

「毎度ありがとうございます、ぜんぶで三六五〇キロになります」

「え、キロ…?」

「あ…イエ、えっと、三六五〇円です」

「あーよかった。本を目方で買わされるのかと思った」

そんな、たわいのないやりとりが、いちいち楽しかった。

この時は気づかなかったが、瀬山は、百円余分に、お釣りをもらっていた。

もし、その事に気づいていたら、「正義と真実の人」と化している今の瀬山のこと、一も二もなく、お金を返していただろう。

それくらい、気分が良かった。



書店を出る際、軍服を着た変な男とすれ違った。

男は、瀬山の妙に自信に満ち溢れた歩調に気圧されたのか、道を開けてくれた。



[6]PM5:00 アンカフェ店内



ほのかは、時間通りにやってきた。

すっぽかされる心配はしていなかった。

(俺にだって、人を見る目はあるつもりだ)



問題は他のことだ。

――浅見さんを、退屈させたらどうしよう。



数分後。

案ずるより何とやらで、瀬山とほのかは少しずつ打ち解けていた。

そのうち、話題は、大学でのサークル活動のことに移った。

「瀬山さんは、何をなさっておいでですか」

瀬山は、その質問に、お見合いみたいだな、と思いつつ、ごく自然に答えた。「いえ、俺は浪人です。

お恥ずかしい話ですが、二浪目でして。

もう、いい加減、自分が嫌になってきますよ」

一気に言ってから、ハッと気づいた。

ほのかの目が、「非礼を詫びる」と訴えている。

(まずいっ!)

「すみません、気にしないでください」

意識して明るく言い放ち、話題をそらそうとする。

「予備校での生活も、慣れれば楽しいもんですよ」



(――しまったなあ)

瀬山は、重大なミスを犯してしまった。

本音を言うと、瀬山は「浪人」という地位にある自分が、嫌いだった。

自分が、世間一般には「無職」とされる、「浪人」なる立場であることを認めるのが、たまらなく嫌だった。

だから、「私は浪人です」と人に語る時の瀬山は、知らず卑屈な態度をとってしまうのだ。

行き過ぎた自己卑下は、自分も、他人も、不快にさせるだけで、百害あって一利ない類いのものだ。

そんな事は、分かっている。

分かっていても、どうにもならないのだ。

(でも、よりによって、こんな時まで!)

(私は二浪だ、なんて言ったら、一気に真っ暗になるに決まってんじゃねーか!あんな言い方したら、なおさらだ! ああ、それを、俺の馬鹿、馬鹿、バカ!)

瀬山は、さりげなく、ほのかの大学の事を尋ねた。

彼にしては、機転が効いた方である。

しかし、ほのかは、それについて二言三言述べただけで口をつぐんでしまった。(まあ、よっぽどのアホでも無い限り、浪人やってる人の前で、自分の大学について語ったりせんわなあ)

「…」

瀬山は、困った。

そして、賭けにでることにした。

「浅見さんは、現役ですか」

こうなったら、自ら飛び込むしかない。

「ええ、そうです」

ほのかはちょっとうつむいて、

――それっきり、黙ってしまった。

(!)

(うわっ、大・失・敗)

と、感心している場合ではない。

(何とかしなきゃ)

(如之何、如之何)

瀬山は、困った。

受験生らしく、漢文を引用して困った。



その時、ンッ、チャリリッ、リーン!

(!)

すぐそばで、財布の中身を床にぶちまける、景気のいい音が鳴り響いた。

そちらを見ると、カップルが、落とした金を慌てて拾い集めている。

ほのかがパッと席を立って、その作業を手伝った。

瀬山も、それに続く。

ボランティア二人を含む四人は、暫く、床に這いつくばって、金を拾い集めた。



カップルは、瀬山たちに何度も礼を言って、店を出ていった。



「お金を見てて思い出したんですけど」

瀬山は、唐突にそう切り出すと、自分の財布から五円玉を取り出して、テーブルの上に乗せた。

「こんな話、御存知ですか?

五円玉には、農業、工業、水産業、を表すモノが隠れているんです。

それぞれ、どれだか分かりますか?」

「えっ?」

ほのかは、純粋に、その話に興味を持った様子で、五円玉を手に取って、ためつ、すがめつ、観察を始めた。

(――よしっ!)

(流れが、変わった)

瀬山は、今のこの状況に大満足していた。

――デートの最中の話題としては、五本の指に入ってしまうほど、最低の話題だということに、気がついていないらしい。

瀬山は、意外と、精神的にタフだった。



「―― 一つしか分かりません」

ほのかが、五円玉を瀬山の方に返しながら、呟いた。

瀬山は、クイズの出題者特有の微笑みを浮かべて、先を促す。

ほのかの指は、五円玉の特徴ともいうべき、稲穂の絵の部分を差していた。

(まあ、これは誰にでも分かるわなあ)

「一つは、この、麦ですよね?」

「ええ、その通り――」

(!)

(げっ!?)

瀬山の背筋に、冷たい物が走った。

――この、麦・麦・麦、ですよね?

(うー…!)

(ああ、つっこむべきか、無視するべきか、それが、問題だ)

瀬山の心は、葛藤していた。

相反する二つの感情が、これでもかってぐらい、激しくぶつかり合っていた。

これが、世に言うところの、「実るほど、こうべを垂れる、稲穂かな事件」である。

数秒の俊巡の結果、瀬山は勇気を出して、「農業は確かに、これ一一、です。

水産業は、ちょっとズルいですよ」

――スルーすることにしたようだ。

瀬山は、何事も無かったかのように、

「五円」という字の周辺の横線を、トントンと指差した。

「これが、海を意味するんです」

「…知りませんでした」

ほのかが、あまりにも素直に感心してくれたので、瀬山は完全に調子づいた。

「最後の一つは、もっと見事ですよ」

そう言うと、瀬山は、指を「海」から離して、スッと移動させた。

自分の指に、ほのかの視線が集中していることに、少なからずドキドキする。

と、ほのかの注意が、五円玉から離れた。

(?)

何だろう、と、顔を上げると、ほのかがうつむいている。

そして、

――いきなりの平手打ちを、瀬山の左頬に喰らわせた。

(!?)

口の中に血の味が――拡がるようなことはなかったが、左の頬が熱く火照るのを感じて、即座に状況を把握した。

(ビンタされたらしい)

だが、理由が分からない。

「あの…えっと…」

次の言葉を探しているうちに、ほのかはパッとタバコを取り出すと、火をつけて吸い始めた。

瀬山は、リアクションに困った。

「ほのか、さん?」

反応があった。

ほのかは、乱雑にタバコをもみ消すと、

「オレはほのかじゃねえ、カオルだ!」

店中に響き渡る声で怒鳴ると、サッと荷物をまとめて、大股で店を出ていってしまった。

「俺…何かマズイことでも…」

(言ったかなあ)

瀬山は無人となった席に問い掛けた。



[7]PM18:00 パチンコタワー店内



訳が分からなかった。

「最近の子は想像力が貧困で」と言うけれど、今まで楽しげに会話していた女性が、何の脈絡もなくビンタをかましてきて、

タバコを吸って、怒鳴って去っていく、

――などと想像できる人はいるのだろうか。

「…」

分からない。

全く、訳が分からない。

ついでに言うと、何の脈絡もなく、ここでこうしてパチンコに興じる自分も、結構不思議だった。

「…」

先程の出来事を思い起こしながら、

つれづれなるままに、パチンコ玉を弾き、

流れ落ちていく玉を無心に眺めていると、

諸行無常の理を悟りそうになった。

(いかん)

(達観するには、まだ若い)

――それに、パチンコ屋で解脱、というのも情ない話だ。

「…」

パチンコに集中はできなかったが、どうやら勝っているようだった。

瀬山は、止まることなく落ち続けるパチンコ玉を見ながら、ほのかのことを考えていた。

(どうしてだ)

考えてみた。

――分からなかった。

「…」

左頬が、痛かった。

「よくそれでくるよなあ」

その声で我に返る。

レバーから手が離れて、玉が止まった。

隣りの台の男が、こっちを見ている。

瀬山は、男を一瞥した。

(俺と同じか、少し上ぐらいか…)

――大学生。

「…」

瀬山は、むしょうに、その男をからかってやりたくなった。

「コホン…フフ、最近開発しましてね」

さりげなく、相手の受け皿を見る。

(ふ、ふん?)

「余裕」と「勝ち」の笑みが、正直にこぼれた。

隣りの男はムッとした様子で二千円分のプリペイドカードを購入した。

「リーチ!」

隣りの男がわざとらしく声をあげた。

「…」

こっちは、やや形勢不利になってきた。

「ヨーシ、またリーチ!」

――こっちは、リーチすら、かからない。

(畜生め、こんなところで、負けるかよ!)

いらんところで、必殺の闘志を燃やしたが、ツキに見離されたか、二十分後には、玉が尽きてしまった。

見ると、相手も玉が切れている。

「…」

瀬山と男は、同時に照れ笑いをして、そのまま台を後にした。



[8]PM8:00 渋谷駅、ハチ公前



(いるわけがない)

それは分かっていた。

よしんば、ここにいたとして、探せるわけがない。

分かっていたけれど、それでも瀬山は、ほのかの姿を求めて、ここに来ていた。



三十分、ねばった。

――奇跡は、起こらなかった。



[9]PM9:30 瀬山家



家に帰ってくると、脱力感と眠気が同時に襲ってきた。

ベッドに倒れ込みながら、ふと、昨日死んだ友人の事を思った。

(一寸先は闇、か)

おそらく、自分は失恋したのだろう。

――悲しくはなかった。

ただ、途方もなく疲れていた。

その日は、そのまま眠ってしまった。











10月12日(木)



[1]AM8:00 渋谷駅、ハチ公前



次の日も、瀬山は予備校をサボった。

渋谷駅までやってきたのは、浅見ほのかに、せめてもう一度会いたかったからである。

昨日、あんな形で別れてしまった彼女。

――瀬山の脳裡に、あの時の一シーンが鮮明に蘇ってくる。



平手打ち。

呆然とする自分の顔。

バッグをつかみ、荒々しく立ち去る、ほのかの後ろ姿。

頬を抑えている自分。



自分自身のことなのに、第三者の目から見たような映像が浮かび、消える。

様子だけを見れば、立派なケンカ別れだ。

そして、瀬山は、

(――未練がましく彼女につきまとう、しつこい男、か)



二日連続で予備校をサボるのは気がひけた。

自分は、受験生なのだ。

予備校の授業もあれば模試もあるし、年が明ければセンターだってある。

(理屈ではわかってるんだけどな)

だが、自分はここにいる。

ここに来れば、また会える気がした。

正確には、ここしか思いつかなかった。

(神様!)

瀬山は、神に祈った。

(もう一度、せめてもう一度だけでいいんです。

彼女に会わせてください。

一目見るだけで構いません。

願いを聞いてくれたら、もう予備校をサボったりしません。

親孝行もします。タバコもやめます。

勉強に集中します。

大学にだって、受かります)

最後の方は違う祈りになっていたが、とにかく、瀬山は祈った。

――浅見ほのかが、横をすり抜けていった。

(!?)

ワンテンポ遅れて、後ろを振り向く。

あの後ろ姿――。

(何だ、今のは?)

(まさか、いや、間違い、ない)

あまりの出来事に、動きを止め、呼吸まで止めていた。

スッと息を吐く。

「…」

(――最後に、一目会えただけで、良しとしよう)

瀬山は、込み上げる思いをグッと押し戻してから、右足を軸に、理想的なターンで踵を返した。

そして、

――真っ直ぐ、ほのかを追いかけた。

(彼女がいる)

(彼女が、歩いている!)

ほのかとの距離は、見る間に縮んでいく。

瀬山は、

(謝ろう)

と、思った。

その結果、どうなるか。

――笑われるか、怒られるか、無視されるか、それとも再び平手打ちを喰らうか。

どのような結果になろうと、まず、謝ろう、と思った。

ほのかに追いつき、肩に軽く触れる。

(!)

思った以上に華奢な体に、ドキッとさせられた。

彼女が、振り向く。

ほのかの顔が、瀬山と向かい合った。

「…どこかでお会いしました?」

(え)

その一言は、瀬山の思考にフリーズをかけた。

「…ほのかさん」

「私は、秋山薫です」

(!?)

「え…あ…すみません…人違いでした」

咄嵯に言葉が出てきたのは、我ながら大したものだと思った。

『秋山薫』と名乗った女性は、瀬山に会釈すると、そのままの足取りで遠ざかっていった。



――笑われるか、怒られるか、無視されるか、それとも再び平手打ちを喰らうか。

(人、違い)

瀬山は、最近の若者の想像力の貧困さを嘆いた。



[2]AM10:00 代々木公園、ベンチ



瀬山は、ベンチに腰掛けて、放心していた。



すべてのものが『嘘』に見えた。

(都会の雲は、澱んで見える)

晴れた空に浮かんだ雲は、デン、と居座って、ポジションを変えようとしない。



あの後、ほのかの、あるいは『秋山薫』の姿を求めて彷徨ったが、徒労に終わった。



ハチ公前の悲劇を、思い出していた。

(――あれは、間違いなく、ほのかさんだった)

背中が痛くなったので、ベンチから身を乗り出した。

(しかし、彼女は『秋山薫』と名乗った)

アキヤマカオル。

この音に、何か引っ掛かるものを感じたが、無視することにした。

「…」

(ひょっとして、浅見ほのかに、からかわれているんじゃ…?)

認めたくなかったが、その可能性もあった。

良く似た人間が二人、渋谷の街を歩いていると考えるより、ずっと自然だった。

(だが、何のために?)

(無論、俺を追い払うためだ)

(!)

物凄い速さで、何だか正解っぽい答えを導き出してしまった瀬山は、即座にその答えを打ち消した。

(場所を変えるか)

立ち上がりかけて、ふと、足下を見ると、いつの間にやら、鳩が群がっている。

(――何も持ってないよ?)

瀬山は、鳩に見せつけるように大きく腕を広げてから、小動物相手にジェスチャーを披露している自分がアホらしくなり、そそくさとベンチを後にした。

瀬山が歩き出しても、鳩は逃げようとしなかった。



[3]PM0:50 パチンコタワー店内



瀬山は、無意識の内に、昨日と同じパチンコ屋に立ち寄っていた。

(昼食を摂ろうと思っていたのに、どうして俺はここにいるんだ?)

それは、誰にも分からない。



ケースを抱えて、フラフラと歩く。

と、正面から来た男に、肩をぶつけてしまった。

「すいません」

「スイマセン」

「…あ」

ぶつかった相手は、昨日、隣りに座っていた、あの男だった。

瀬山と男は、暫く顔を見合わせて、再び隣り合った席に腰を下ろした。

(これも運命、ということか)

瀬山は、口に出しては決して言えないようなセリフを、心の中で一人つぶやくと、玉を打ち始めた。



二千円が、瞬く間に消えた。

(今日は、この男を、ケチョンケチョンにのしてやらねばならない)

大いなる使命感が、瀬山をして、もう二千円分のプリペイドカードを購入させた。

「リーチ」

隣りの男が小さく声を上げた。

(させるかよっ!)

瀬山も、リーチがかかっている。

そのうち、来るべくして大当たりが来た。

隣りを見ると、やはり大当たりが来ている。

「ヨシッ…!」

男が、ガッツポーズを決めた。

瀬山は、ただ、不敵に笑った。

暫く打ち続けていると、男がチラチラと時計を気にし始めて、やがて、ドル箱に玉を落として立ち上がる素振りをみせた。

「…」

気勢を削がれて、瀬山も立ち上がった。



二人は並んで景品場へ向かった。

まず、男が、ジェットカウンターで玉を数えた。

(二一七三個…)

どうだ、と言わんばかりの男を尻目に、今度は瀬山が数える。

「…二一七五!」

「くっ…!」

「…」

「…」

(大・圧・勝)

(わっはっは)

瀬山は、遠慮なく笑った。

「クソォ、次は見ていろ」

男は背を向けると、駆け足で去っていった。

(勝った!)

瀬山の気分は、晴れ晴れとしていた。



[4]PM4:00 松濤町、お大臣屋敷



瀬山は、再び鬱々とした気分で歩いていた。



見渡すかぎり、「デカい」としか形容できないお屋敷が立ち並ぶ通りを、力なく、歩いていた。



お腹が空いてきた。

昼食を摂らなかったのが、今頃効いてきたらしい。

腹に手を当てると、キュルルルル、という世にも情ない音と、微かな振動が伝わってきて、瀬山を余計に惨めな思いにさせた。



ゆっくりと腹をさすってから、顔を上げて、空を見た。

そして、やにわに、視線を落とした。

(空腹。

大きな家と、立派な門。

青い空。

そして、自分…)

――上り坂が、やけにつらかった。



「ラララン・ランコ・ランコリン♪」

(!)

(何だあ?)

ふと目をやると、男が一人、軽快なステップを踏んで、坂を上っていく。

よくやるよ、とか、気味が悪い、といった、マイナスの感情は感じなかった。

何故か、

(うらやましい)

と、思った。

「ラララン・ランコ・ランコリン♪」

男も、怪しいメロディーも、やがて遠ざかっていった。

(これからどうするか)

今から予備校に行くか、家に帰るか、もう少しブラつくか、それとも――。

(!?)

『浅見ほのか』だった。



ほのかが、坂を下ってくる。

恋愛小説だったら、ここで、

(幻覚か?)

と、我が目を疑うところだが、瀬山は長年の経験(?)から、幻覚というものはそうそう見えるものではないと知っていたので、反応は速かった。

(間違い、ない)

――そう言って、朝は間違えた。

その事が、瀬山の行動を注意深く、

「あの、ほのかさん?」

──させなかった、全く。これっぽちも。

ほのか、あるいは、『秋山薫』は、最初、戸惑っていたようだったが、すぐに微笑むと、

「今日は」

と、頭を下げた。

「ほのかさん、ですよね」

「?…はい」

「良かった」

(――良かった)

瀬山は、心に掛かっていた靄が、スーッと晴れていくのを感じた。

空は、曇ってきた。

雨まで降ってきた。

「あ」

雨は、ひどくなっていく。

「あそこで、庇をお借りしましょう」

ほのかは、そう言うと、急いで坂を下りて、屋敷の庇の下に身を隠した。

そして、疾く疾くと、瀬山を手招きした。

(どうする?)

(――是非もない)

「ラ・ラッタ、コラッタ、バケラッタ♪」

瀬山は、あっちこっちに迷惑をかける歌を歌いながら、ほのかの元へと走った。



「雨、止みますかねえ」

瀬山の隣り、その体温を感じるほどすぐ近くに、ほのかがいる。

それなのに、くだらない会話をしてしまう自分がもどかしかった。

(さて、どうするか)

可能な限りさりげなく、昨日の態度の急変について、話をもっていかなくてはならない。

いろいろと思案していると、ほのかが口を開いた。

「昨日は、どうもありがとうございました」

「え?ああ、いえ…」

(うまい具合に、先方から切り出してくれたか…)

「今度はもっとゆっくりお話しがしたいですね」

「…ええ」

(違う)

(――何かが、違う)

瀬山は調子が狂ったが、

(まあ、こういうものかも知れない)

そう思い、慎重に機会を伺った。

彼女には、彼女なりの段取りがあろう。

それに、憧れのほのかと話しをしているのだ。

(駆け引きなんて、無粋な真似が、できようか)

そう思っているうちに、話題は次に移り、しばらくすると、お互い、昨日よりもっと打ち解けて、気楽に話せるようになっていた。



瀬山は、ほのかがよく笑う女性だと知った。

また、その笑顔はいかにも屈託がなく、瀬山の心をつかんだ。

昨日のことは、すっかり忘れていた。

瀬山にとって、夢のような時間が流れた。



いつの間にか雨は止んでいた。

ちょっと会話が途切れたので、瀬山は間を持たせるために、庇から出た。

そして、大袈裟に腕を広げて、雨が止んだことを確認した。

「雨、止みましたね」

ほのかの方に向き直ると、

――腹を抑えて、うずくまった。

(!?)

一瞬、本気で、呼吸が止まった。

目の前には、こちらに真っ直ぐにつきだされた足――ほのかの、足がある。

まさか、と思うが。

(――蹴られたらしい)

「…」

ほのかは、瀬山を見下ろすと、無言で、かつ、自信に満ちた足取りで、坂を下りていった。

(どうして)

瀬山は、腹を抑えたまま、ガックリと膝をついた。

(…どうして)

額にうっすらと汗がにじんだ。

涙も、あふれてきた。

瀬山の後ろを、自転車が通り過ぎていった。



[5]PM6:40 パチンコタワー店内



瀬山は、また、パチンコ屋に来ていた。

一日の内に、二度もパチンコ屋に入るなんて、初めての経験だった。

「…」

隣りには誰もいない。

例のパチンコ男がいるかも、と思っていたが、いなかった。

(あいつも、忙しいんだろう)

瀬山は、パチンコ男の容貌を思い描いた。

(――大学生みたいだったからな)

大学生。

瀬山の友達がなれて、自分はなれないもの。

ほのかも、大学生だ。

自分は、浪人だ。

――浪人。

(お武家さんに使ってた言葉が、入試に失敗した奴のことを指すようになったのは、いつごろからだろう)

(「浪人」っつうと、不精髭を生やしてて、不機嫌な面で爪楊枝をくわえていて、ゾンビみたいな顔色で、視線が虚ろで、フラフラ歩いてて、やせこけていて…)

「…」

(――ピッタリだ)

と、思った。



「ゴ説明イタシましょう」

「…」

「浪人とは、古代、本籍地を離れ、他国を流浪した民の事で、元々は『浮浪人』の意味があります。

中・近世に入って、主家を去り、封録を失った武士――つまり、お殿様に仕えていない、フリーのお侍さんの事を指すようになりました。

『浪士』とも言います」

「…」

「また、『牢人』とも書き、これは、『牢籠人』を省略したものです。

牢がオリを意味して、籠はそのままカゴのことですから、『牢籠』にはそのものズバリ、閉じ込めることや、困ることなどの意味があり、あまりいい言葉ではありません」

「…」

「浪人は、フラフラしている人のこと、牢人は、苦しんでいる人のこと。

どちらにしても、つらい身分ですね。

以上、浪人に関するウンチクでした」



「――ん?」

さらりと聞き流していたが、一瞬、店内にニュースのようなものが流れた気がした。

(ラジオが混線でもしたか?)

(ま、いいか)

瀬山は、あまり気にしないことにして、パチンコ玉をはじき続けた。



何も考えたくなかった。

特に、ほのかのことは、努めて考えないようにしていた。

「…」

本当に何も考えなかったので、気がついたら、玉が切れていた。

――今回の成果は、チョコレート一枚だけだった。



[6]PM8:10 コンビニ『生活彩家』店内



コンビニに立ち寄った時には、八時をまわっていた。

今日の夕食は、ここで見繕うことにした。

ジュースでもお菓子でも何でもいいから、腹に入れたかった。

「…」

瀬山は、こういうところのお弁当は嫌いだったので、パンにすることにした。

パンのコーナーで適当に選び、ふと、何気なく外を見る。

(!?)

――『浅見ほのか』だった。

彼女が、外を歩いている。

(あ、あ、あ?)

慌てて、出口へと向かう。

手に、パンを持っていることを思い出して、引き返す。

(う一…!)

瀬山は完全にパニック状態になって、暫くの間、パンと外とを交互に眺めていたが、やがて、「パンを元の位置に戻せばいい」と気がついて、急いで棚に戻した。

――つもりだったが、目測を誤ってしまった。

哀れなカツサンドが一つ、棚からこぼれて、重力の導くままに、地面へと落下した。

一瞬の、沈黙。

…そして、襲いくる、運命。

ベシャッ。

(!)

辺りに響くその音色は、カツサンドの存在意義(レゾン=デートル)を否定するのに、充分であった。

「…」

店員が、あからさまに怒りの形相でこっちを見ている。

(…ど畜生っ!)

瀬山は、地面に落ちたカツサンドを拾い上げると、無言で店員につきつけた。

「ください。…早くっ!」

一気にまくしたてる。

店員は、瀬山の方をなるべく見ないようにして、黙ってレジを打ち始めた。

「…210円になります」

瀬山は、財布の中から百円玉を取り出した。

続いて、二枚目の百円玉を取り出す。

しかし、財布から取り出したそれは、五十円玉だった。

「あれ?」

もう一枚、取り出す。

五十円。

「…あれ?」

取り出す。

――また、五十円。

「うがぁっ!」

(あああっ、もうっ!)

(何だって、この国の五十円と百円は、同じ色してやがんだっ!?)

瀬山は、本気で腹を立てていた。

五十円玉に穴が開いていようと、百円玉より一回り小さかろうと、そんな微々たる違いは、焦っている人間には何の役にも立たなかったようだ。

――四枚目でやっと、百円玉がヒットした。

「ピンゴォォッ!」瀬山は、最初の百円とそれと、新たに取り出した十円を店員に渡した。

「…」

店員は、瀬山が握っている三枚の五十円玉に目をやって、何かを言いたそうにした。

「…ありがとうございました」

しかし、何も、言わなかった。

大人に対して、「それ」を口にするのは、あまりにも残酷だったからであろう。

「…」

店員は、猛然と飛び出していく瀬山の後ろ姿を見送って、人知れず溜め息をついた。



[7]PM9:40 瀬山家



結局、ほのかを見失ってしまった。

がっかりして、家に帰ってくると、丁度、友人――加藤から電話がかかってきたところだった。

――すごかったぞ。

加藤は、開口一番、そう言った。

――小山の奴がさ。

もう、すごいの何のって、ワンワン泣いちゃってさ。

女子が数人がかりで、やっとなだめたんだけど、そしたらさ…。

瀬山は、今、そういう話を聞きたい気分ではなかったので、適当に相槌を打って、「報告」を聞き流していた。

そのうち、加藤は、それとなく雰囲気を察したのか、

――いや、まあ。…そういうことで。

と、曖昧な言葉を残して、早々に電話を切ってしまった。



「…」

(怒っただろうか)

受話器を置くと、瀬山は急に不安になってきた。

中学からの付き合いで、親友と呼べる仲の加藤を、ぞんざいに扱ってしまったことに、多少の罪悪感を覚えていた。

(もう二度と、加藤から電話はかかってこないかもしれない)

(でも、葬式の事も、その裏話も、今は、聞きたくない)

「…」

死んだ、岩田について、思い出していた。

大人しくて、目立たない奴だった。

(確か、あいつも現役で入ってたな)

(――どこの大学か、までは知らないけど)

「…」

参考書を開いて、すぐ閉じた。

そして、眠った。

夢は、見なかった。




10月22日(金)



[1]AM7:40 渋谷駅、ハチ公前



瀬山は、また予備校をサボった。

この場に立っているのは、彼にとって「意地」である。

今日の瀬山は、いつもとは一味違った。

(ほのかさんに会ったら――)

今回は、二手、三手先まで、キチンと考えてある。

(正面から、問い詰めてやる!)

――それが、瀬山の作戦である。

瀬山にピンタを喰らわし、ケリを入れて去っていったほのかに、今までの行動の説明を求める。

(回りくどいことは、一切無し、だ)

ほのかを見つけたら、肩をつかんで振り向かせて、一言、

「どういうつもりなんですか」

だ。しかも、

一、決して怒らず、

一、決して声を荒立てず、

一、感情を抑えて、静かで、重みのある、

無機質な、渋い声で、一言一言、

丁寧に。

と、いうところまで考えてある。

これらのプランは、ほのかが現れなかった場合、すべてオシャカなのだが、そこまで想像する余裕は、瀬山にはない。

(どこだ、――どこから来る?)

今や、瀬山は、「対空監視!怠るなっ!」の世界にドッブリと漬かっていた。

右から左へ。続いて、左から右へ。油断無く視線を走らせる。

(どこにいるっ!浅見ほのかっ!)

ついに心の声は、敬称略になった。

(俺は、あなたに…)

「後ろだよ」

――とは、言わなかったが、瀬山の探し求めていた人物は、瀬山の後方、六時の方向から急接近してきた。

回避運動は、間に合わない。

(!?)









街 サイドストーリー6

2014年05月05日 19時00分00秒 | 街 サウンドノベル
 10月15日、日曜日 AM10:00 九郎の自宅



今朝は7時に起きて、代々木公園へ行かずに旅立つ支度をしていた。

昨晩は何時まで飲んでいたかよく覚えていないし、帰ってきた道順も曖昧だった。

(やれやれ、すっかり呑んでしまったな)

九郎は酒に強く、昨日どれだけ呑んだか覚えてもいないのに、二日酔いになることもなく今朝はすっきりと目が覚めた。

……酒を呑むと、脳が麻痺するらしい。

閉じ込めていた過去の記憶が蘇ることもあるとか。

そして、酔いから覚めると、またその記憶の扉は閉ざされてしまう。

泣き上戸とか笑い上戸とか、そんな昔の記憶が蘇って悲しくなったり可笑しくなったりするらしい。

……ま、酔っている本人には分からないのだが。

九郎はあらかた家の片付けがすんでいた。

持っていく物も特に無く、もっぱら家を開けるための準備のほうが時間がかかった。

もう日が高くなっている。

今日の夜8時に渋谷駅に行かねばならない。

……といっても、約束の時間まで少し時間がある。

そういえば、連絡しなければならない処があった。

九郎は電話の前に行くと、ダイヤルを回した。

何回かの呼び出し音の後、

『……ただいまその番号は、電源が切られているか、電波の届かない処にあります』

と、アナウンスが聞こえた。

(何だ……かからぬのか)

九郎は日曜日の携帯電話にかけていた。

今、日曜日はあの金曜日に会っていて、携帯電話のスイッチは切られていた。

九郎は受話器を置き、やることもないのでテレビをつけた。

おもしろくもないバラエティー番組がやっていた。

チャンネルを回し、特におもしろい番組が無いのでテレビを消した。

九郎は寝室へ行き、パソコンの電源を入れた。

パソコン通信の知り合いにもメールを送っておかねばなるまい。

コンピュータが立ち上がり、通信ソフトを起動させた。

『猫八さんへ。

  拙者はしばらく旅に出るで御座るよ。

  いつ帰ってこられるか分かりませぬが、修業の旅で御座る。

  後はよろしく頼みましたぞ。                  黒豹』

いつもの侍口調の文体で書き込むと、九郎はしばらくインターネットで色々なホームページを見回った。

コンピュータゲームのサイトを中心に、酒、将棋、碁、動物など、面白いもの、ためになるものから、ただのペット自慢のようなホームページを見ながら、九郎は思った。

(ワシは『隻眼の麒麟』の息子に会って、どうするのだろう?)

あの時は済まなかったといって詫びるのか、もう殺し屋を送り込むのをやめろと嚇すのか。

(……それとも、この首を差し出すだろうか?)

九郎は左手で首筋を触った。

首を刎ねられるのは、どんな感覚だろう。

かつて、数え切れぬほどの首を刎ねてきたが、いつ自分も首を飛ばされるかと思って怯えながら仕事を続けていたことを思い出した。

結局、自分も死を恐れる弱い人間だったのだろうか。

そう、自分は死を恐れていることに気づいた。

しかし……人と同じように弱い人間だったものの、人よりも少しだけ、強かったのだろう。

だから生きてこられた。

強者には弱者たれ、弱者には強者たれ。

中国での生活から学んだことだった。

(……ワシはすでに、この世には不要な人間かな)

九郎はふと思った。

家族はいない。生きる目標もない。

「隻眼の麒麟」に首をやってもいいか……と思った。

(ワシが死んでも……)

この世界に影響はなかろう。

九郎は思った。

(……中国に住もうかな?)

山奥で修業して生きるのもいい。

自分に悟りは開けようか。

五台山の修業場には、今も修行に明け暮れる若者がいるだろうか。

自然と一体となって余生を過ごすのも悪くない。

……全てが揃い、何もない街、渋谷。

しかし人々に喜怒哀楽はある。

日々がドラマで、また上辺だけの日々。

正しく生きるということは、法律に従って生きることではない。

法律など人間が決めたこと。

人間を作った存在が神だとするならば、神は人間に何をやらせようとしたのだろう。

それを見つけたい。

人の中にあってはそれを見つけることは出来ないのではないだろうか。

本当の正義とは何か。

人類が生き残ること。

否。

自分だけが子孫を残し、生き残ること。

優秀なものだけが生き残ればいい。

それが進化の掟。

滅びた生き物は、滅ぼした生き物より劣っていただけのこと。

そして、人間の法律は、進化の妨げでしかない。

が……自然とは、何かが減れば、連鎖的に他のものも減る。しかし時を経れば、また復元する。

しかるに、人の破壊したものは、復元することは出来ない。

自然の復元能力を越える破壊が起きれば、やがて破壊したものさえも滅ぶのである。

それが、進化の行き着く先なのだろうか。

否。

……人間には理性がある。今ようやく破壊に歯止めをかけ始めた。

それもまた進化なのだ。偉大なる自然は、復元を試みている。

人は結局、自然の上で生きているのだ。

それに今もって気づかない人間が多すぎる。

が……九郎にはどうでも良かった。

旧時代の人間に、人の行く先など興味はなかった。

(……余生を好きに過ごせれば、それでいいさ)

さよう。九郎にはそれで良かった。

例え気功で不老不死になろうとも、首を刎ねられればそれまでである。

九郎は昔、血にまみれて過ごした中国で、何を思うだろう?

九郎自身には、見当もつかなかった。



 AM10:10



ジリリリリ……ジリリリリ……

電話が鳴った。

九郎は受話器をとった。

『チンチコール、木曜日、わたしよ』

日曜日だった。

「なにかね?」

さきほど電話したときは繋がらなかったが、今度は向こうからかけてきた。

『指令を与えるわ、木曜日』

「なに、今から?!」

『日曜日には絶対服従』

「ウ、ウム……しかし」

『なんです?』

「今日は出かけねばならん。そしてしばらく戻ってこられん」

『まあ……なぜ?』

「ウム……昔の知り合いの処へ行かねばならん」

『まあ、そう……でも、指令はやってもらいます』

「……簡単なヤツなら」

『ええ。宮下公園へ行って。指令はあなたの家の郵便受けに』

「そうか……分かった」

まだ昼にもなっていない。九郎は日曜日に別れを言い、電話を切った。



 AM11:30 宮下公園



九郎は軽く昼食を取ってから、宮下公園へやってきた。

「ありがとうございます。宮下公園へおいでいただいたのですね」

変な格好の少女を無視し、九郎は中へ入った。

相変わらずホームレスの城がいくつも建っている。

今、主人は不在だろう。ホームレスは昼間、仕事に出ている。

九郎はベンチに座っている脅迫の相手を見つけた。

約束の時間は正午だから、随分と早いお着きだ。

西野龍夫、28歳。靴屋。

長身、やせ型で、長髪をうなじで束ねている。

この男、なんでも希少な靴を高値で売りつけているとか。

それだけではない。

買った人間に「なんとかマックスハンター」とかいうチンピラを仕向け、靴を強奪させている。彼曰く、「取り返している」らしい。

それが犯罪になるかは知らないが(というか、なるだろう)、人道を外れた行為であることは確かだ。

それを暴露されれば彼が困るのは言うまでもない。

九郎は西野に近づき、言った。

「こんにちは、西野くん」

彼はビクリとし、九郎を見た。

「ア……アンタが日曜日さんかい?」

卑屈そうな目で見上げ、言った。

「ワシは日曜日の代理で来た者だ」

九郎は西野に立つよう促した。

「ここでは商談がやりづらかろう。場所を変えよう」



 AM11:50 とある喫茶店



九郎と西野は、近くの喫茶店に入った。

「レモンティーでいいかね?」

西野は少しイヤそうな顔をしたが、頷いた。

「ではレモンティーを二つ」

ウェイターに言い、九郎は西野を正視した。

西野は目を逸らした。

「ルール1。商談中は相手を見る」

九郎は言った。

西野は顔を上げ、

「あの……商談って……」

「買っていただきたい物がある」

九郎は片眉を上げて言った。

西野はポカンとした顔でこちらを見ている。

九郎は懐から写真を出した。

靴の写真だった。

西野はそれを見て言った。

「レアマックス、95年8月モデル」

「……とても希少な物だね。コレを君の店ではいくらで売るかね?」

「15万くらいかな……」

西野は別段ためらう様子もなく言った。

「とても高いね。……そしてコレを買う者もいる」

「ああ、だから売るのさ」

「売る方も売る方だが、買う方も買う方という訳だね?」

「その通り」

西野は言った。

「……買って欲しいモンって、コレか?」

コレとは、写真に写っている靴のことを指す。

「……まあ、話には続きがある。こっちの写真を見たまえ」

九郎の出した写真には、髪を染めた派手な格好の若者たちから、さきほどの写真の靴を受け取る西野の姿がある。

日付も入っている。

「コレは何だと思う?」

九郎は問うた。

西野は少し怪訝な表情になって言った。

「この写真がどうしたって?」

少し声が上ずっている。この男、プレッシャーに弱いらしい。

「こちらを見なさい」

九郎は次の写真を出した。

先ほどの写真のチーマー達が、件のレアマックスを履いている若者を襲い、靴を奪っているところだった。

日付は先ほどの写真と同じだ。

「君が店で15万で売った靴を、このチーマー達に奪わせて『取り返している』ところだ」

九郎は言った。

「……な、何を根拠に。コレだけじゃ証拠は不足だ」

もうその発言で西野は罪を認めているようなものだが、確かにこれだけでは、チーマーが奪った靴を、それを知らない西野が買い取っている図、とも言える。

しかし、九郎もとどめの一枚を持っている。

「コレで最後」

九郎は写真を出した。

西野が、先ほどの写真でチーマーにレアマックスを奪われていた若者に、同じ靴を売っているところだった。

もちろん日付は同じである。

奪われた靴の代わりをすぐ買えるほどの額ではないし、彼は別の靴を履いている。

どう考えても、この写真が最初で、靴を受け取る西野の写真が最後だった。

「……西野くん、コレを街中にバラまかれたくないだろう」

九郎は優しく言った。

「……ああ、分かったよ、俺の負けだ。で、ソレをいくらで売るって?」

「君がこのレアマックスで稼いだ額、22回、330万」

「そんな、75万、5回しかやってねえよ!」

「今のも録音したぞ。コレで言い逃れ出来ぬな?」

「うっ……」

西野はガックリと肩を落とした。

「本当は75万で済むところなのだが……まあ、色をつけて500万にしておこう」

「そんな無茶な!」

西野は死にそうな顔で九郎を見た。もともと彼は青白かったが。

「払えるかね?」

弱者の前では強者を演じるものである。九郎は彼が払えないことを見越して言った。

「……まあ、我々の組織も鬼ではない。まけてやろう」

「本当か?」

「ウム、1万円」

「……え?」

「ただし、我々の組織に入ってもらう」

九郎が言うと、西野はすぐさま、

「入る、入るよ! なっ、だから、その写真くれよ」

そう言って1万円を出した。

随分とアッサリ承諾したものである。

(彼は疑うことを知らぬのか?)

九郎は少し拍子抜けだったが、一応規則にのっとり、

「ま、まあ、慌てるな。君には3つの選択が……まあいいか。これで君は七曜会の土曜日だ」

「えっ、土曜……」

「誓え、『日曜日には絶対服従』。繰り返しなさい」

「に、日曜日には絶対服従……」

西野は写真をそそくさとしまい、席を立った。

「まあ、土曜日くん。追い追い、本物の日曜日から連絡が行くだろう。それじゃ、チンチコール」

「えっ、チンチ……」

「チンチコール」

「チ……チンチコール」

西野はそもなな出ていこうとしたが、慌てて戻ってきた。

「ネガ!……ネガは?!」

「それも日曜日から聞けよう。それじゃあな」

九郎は、もう質問には答えぬという意図も込め、レモンティーを啜った。

あまり上等な紅茶ではなかった。

西野……改め、土曜日は、少しその場にいたが、店を出ていった。

九郎は西野を見て、

(彼とワシは違うな……)

と思った。

彼は自分の言葉にいちいち疑うことをしなかった。

全てを単純に解釈し、単純に反応した。

彼が靴を売り始めたきっかけは何だったのだろう。

レア物を扱う店は儲かると単純に思い込んで始めたのだろうし、売ったものを「取り返す」という行為は、魔が差した、といったところか。

人間は、一度悪事がうまくいくと味を占める。

だれだって楽をして儲けたい。

彼の落ち度は、靴を売って取り返してまた売るということに単純に味を占め、「いつかバレるかも……」ということをあまり考えずに悪事を重ねたことにあろう。

本当に狡猾な悪党は、バレぬように用意周到な伏線を張るものだ。

九郎の場合、中国で殺し屋をやってきたが、自分を守って人を殺すためにいつでも訓練していたし、出来るだけ自身の手掛かりは残さぬように生きてきたつもりだ。

伐にだけ、自分の生きざまを教えてしまったが、それは彼を信頼し、また信頼されていると思ったからで、もし伐が本当は自分の敵だったとしたら、九郎は今ごろ首を刎ねられて、どこかのマフィアの首領の部屋でオブジェにされていたろう。

が、九郎は西野のような人間を見て、自分が一段上にいるという考え方はしない。

(なぜなら、ワシも同じ人間であり、いつでもミスをせぬよう気を配ることは出来ないからだ)

九郎と西野の差は、その「失敗の可能性」に気を配るか否かの差なのである。



 PM4:00 九郎の自宅



九郎は、あらかた家の中を片付け終えた。

しかし、またこの家に戻ってくるつもりでいた。

今日、一度は中国の山奥で隠棲しようか、などと考えもしたが、日本にも未練はあった。

九郎は孫の行く先が気になっていた。

昨日会った孫は、5歳になっていた。

彼女は今後、どんな人生を歩むことになろうか。

自分と同じような、血生臭い人生にはおそらくならないだろうが、この日本には邪悪なものが数多くある。そしてその逆のものもある。

孫が今後、それらにどう影響され、どのような生き方を選ぶのか。

自分にその正しい選択を教えることはおそらく出来ないし、孫の生き方に自分が口出しすることからして間違っている。

ならばせめて、見守ることはしよう。そして機会があれば、自分なりの生き方も教えることが出来るかも知れぬ。

人間には様々なタイプがある。

タイプ……と大別することが出来ないほどあるのだ。

その人の生き方で、その人なりの性格が形成され、以後の人生を決める。

誰かのコピーを作ることなど出来はしない。

例えば、自分が幼少時代に遡ったとして、現在に至ったとき、果たして同じ生き方をしていようか。

幼い孫が生きていく上で、これからどのような染まり方をして、どう自分の色を出すのかは、本人次第である。

(……日本へはすぐ戻ってくる。ワシには見届けねばならないものがある)

九郎はパスポートと現金、気に入りの使い慣れたステッキを持って家を出た。

(さて……行くか)

九郎は渋谷駅へ向かって歩き出した。



 PM7:50 渋谷駅前



「日本の中華料理屋は、清潔だが、少し物足りないな」

「……ウム、それに高いしな」

九郎と伐は繁華街から出てきた。

食事をとってきたのだ。

「杏仁豆腐はパック詰めのヤツだし、やっぱり横浜の中華街の店の方が旨いかな?」

「いや……中華街でもパックの代物を食わす処が多いと聞く」

「そうか……ところで電車は何時だ?」

「山手線なら5分に一本は来るさ」

「そうか……なら、いいや」

九郎と伐は駅方面へ歩き出した。



 PM8:00



駅前に着いた。

切符売り場は混んでいる。

九郎たちは適当に並んだ。

その時だった。

……ドン!

……ドン! パラララ……

「?!」

人々は同時に空を見上げた。

「何事か……」

と思って見ると、花火が上がっていた。

「花火だ……」

伐が言った。

「……なぜだ?」

「さあ……」

九郎は季節外れの花火の理由など知らない。

が、そんなことはどうでも良かった。

遠く、長い旅がこれから始まる。

その花火は、九郎にとって、はなむけの大砲であった。



九郎と伐は、改札口を抜け、人込みの中に消えていった。





  虎の見た夢 完