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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ラ・ゴロンドリーナ

2006-09-07 04:11:04 | 南アメリカ


 私の家の駐車場の天井、そのど真ん中に毎年、ツバメが巣を作るようになったのはいつ頃からだろうか。私が免許を取って運転を始めた頃は、もうすでに見慣れた風景になっていた記憶がある。

 連中は気をつけてみていると、どこの家の軒先でも、ともかく作るときはど真ん中に巣を作る。そのような場所を選ぶことによって受けるリスクなど、まるで考慮していないようだが、どのような本能が命じる行為なのか。
 ともかく連中は毎年の初夏、ふと気がつくと駐車場の天井に巣を作っていて、出そうとした車のフロントガラスにウンコなどを無礼にも落としてきて、そして我々は季節の移ろいを知るのである。

 ツバメの去来を歌ったメキシコ民謡、”ラ・ゴロンドリーナ”をはじめて聞いたのはサム・ペキンパー監督の映画”ワイルド・バンチ”の中でだった。砂漠の乾いた嵐と銃の硝煙と血の匂いに満ちたあの映画で、ひとときの楽園幻想と言った風情で描かれていたメキシコ人たちの村。そこから殺戮の現場へと旅立つガンマンたちを送る音楽として、”ラ・ゴロンドリーナ”は演奏されていた。

 いかにもスペイン文化圏のイナカの民衆音楽と言った風情の、古い舞曲の優雅なリズムを伴なって。調律の怪しい金管楽器の、やや間の抜けた響きをバックに、その美しいメロディを、砂漠の只中の緑の村の村人たちは調子外れの声を張り上げて歌っていた。

 もちろん、歌のタイトルなど映画の初見時に知りはしなかった。その後に別の用件で手に入れた、ナナ・ムスクーリのアルバムに入っていた、これはずいぶん小奇麗な演奏と歌唱になってしまった”ラ・ゴロンドリーナ”を聞き、おっとこれは、あの映画で使われていたあの曲ではないかと気がついた次第で。

 それが、ふと飛来し、やがて飛び去るツバメになぞらえて、遠方へ旅立つ親しい人を送るために歌われるともその際に知り、なるほど、だから映画ではあの旅立ちのシーンに使われていたのだなと納得したのだった。

 メキシコの、このジャンルのメロディは。いや、このジャンルと言っても意味が伝わるまいが、メキシコの大地が育んだメロディには、想い溢れて胸を切り裂きそうになってふと零れ落ちた、そんなタグイの切ない一滴が確かにある。(かって漫画家の永島慎司は、それを「奴らは孤独を楽しんでいやがる」と表現した)

 地の底から芽を出し、やがて天高くへ果てしなく登って行く、そんな憧れがいっぱいに詰まったメロディ。
 それらからは、去り行く人への惜別の思いというよりは、自分もまた一羽のツバメとなって地のくびきを離れてどこまでも飛んで行きたい、そのような願いをむしろ感じて仕方がないのだ。

 夏の終わりのこの季節、我が駐車場のど真ん中にある日、乾いた土の塊が落ちているのを見る事がある。初夏にツバメたちが彼らの子を育んだ、その巣の名残が今ごろになって干からびて落ちて来るのである。
 そしてまた来年、彼らは飛来し、同じ場所に巣を作る。代々、同じ家系(?)のツバメたちがやって来ているのか、そんな事はもちろん、こちらには分からないのだが。


ピーター・スケラーンの”男性自身”

2006-09-06 04:22:20 | 60~70年代音楽


 ”Peter Skellern ”

 ピ-タ-・スケラ-ンという歌手がいる。もっと正確に言えば、主に70年代に活躍したイギリスのシンガ-・ソングライタ-。一般には単なるポップな歌手としか認識されていず、その存在、あまり重くは見られていない。(というか、まったく知られていないヒト、というべきかも知れないが)レコ-ドコレクタ-ズ誌の増刊として出された「英国ロックの深い森」なる書をひもといてみても、たった1ペ-ジを費やしての紹介文しか載っていない。

 まあ、知名度から言ってその程度で満足すべきなのかも、だが、納得できないのは、彼を語るにおいて最重要作品といえる「ホ-ルディング・マイ・オウン」について一言も言及されていない事だ。

 このアルバム、甘ったるいポップス歌手と思われがちな彼が、その「変化球ロッカ-」としての隠れた資質を全開させた隠れた名盤なのである。
 かってアナログ盤時代に「男性自身」なるタイトルで日本盤も出たこの作品、浜辺で、海水パンツを流された男が恥ずかしそうに股間を抑えるジャケットのイラストが暗示するとおりの、なんと珍しい「艶笑ロック」アルバムなのだ。

 「彼女はアスタ-であるものを失ってしまったのです。それはなにしろ若い女性にとっては大切なものでしたので、皆は大騒ぎ。それを奪ったのは彼女の家の運転手でしょうか、それとも庭番の男でしょうか?さまざまな男たちに疑いがかかりました。が、やがて彼女は思い出したのです。それを机の中に入れたまま忘れていた事を。これは、アスタ-で、あるものを無くしたと思い込んだ女の子の物語です」

 こんな、意味ありげな歌詞を持つ歌ばかりが、キンクスのマスウェル・ヒルビリ-ズや、初期のニルソンあたりを連想させるノスタルジックな、かつブラックユ-モアの雰囲気仄かに漂うサウンドを伴って歌い次がれてゆく。その、気取りすました人間社会に向けた皮肉な視線が実に痛快だ。

 このような洒落た、そして背後に「ロックの気骨」を濃厚に感じさせるアルバムを発表しているからこそ、スケラ-ンが、いくら「単なるポップ」なアルバムを連発しようと、私は彼を最後の一線で信ずる気になれるのだが・・・
 スケラ-ンのために、そしてまだ未発達の「ロックの下半身」のために(?)、「男性自身」の、詳細な日本語訳詞付きのCD化再発を強く望むものである。
 


反オーディオ主義的音楽生活

2006-09-05 02:15:11 | いわゆる日記


「音にもうるさい音楽ファン」なんて人々がいて。と言うか、そっちの方がもしかしたら普通なのかも知れないが、どうも私は、昔ながらの音楽ファンながら「いわゆる音の良し悪し」って、ほとんど分からない。持っている”音を聞く装置”は、CDラジカセとカーステレオだけだが、それで十分満足しているし。でも、ほんとにみんな、”音質”って分かっているんだろうか?よく、だれそれの新譜は音がいいとか何とか言う会話がなされているが。

 また、そんな私が不思議に思っているのは、オーディオ・マニア向けの雑誌の方が音楽マニア向けの雑誌より、ずっと作りが立派で価格も高い事。オーデイオ・マニアの方が音楽マニアより金持ちであるのは確かなんだろうが、オーディオ・マニアっていわゆる音楽マニアなんだろうか?どうも、あの種の雑誌を手に取ってみても、”同じ人種”の感触が伝わってこないのだが。
 オーディオ・マニアが聴く音楽と言うのも、クラシックとかマニアなジャズとか、その方向であるようで。金持ちに対するやっかみ半分、「オーディオに凝る人は、聞くことで他人に差をつけやすい音楽を好む傾向がある」なんて憎まれ口など叩いてみたくなるが。

 などと妙な話を始めてしまったのも、若かりし頃、私は、それまで普通のオーディオで聞いていた愛聴盤を、ひょんなきっかけでカセットに入れ、ふと安いラジカセで聞いてみたら、その音の方が好もしかった、という体験があるのだ。つまり、チープな筈のラジオの再生音の方が快く聞こえた。それでいい、と言うのではなくて、その方が良かったんだ。厚ぼったいオーディオの音より、小さくまとまった(?)ラジオの音のほうが好もしく思えた。
 以来私は、高価なオーディオセットに背を向け、ラジカセお供にラジオ音主義者を貫いているのだが。良い音が分からない、と言うよりオーディオ的”良い音”より、ラジオの音が好きと主張すべきか。

 かなり前の話になるのだが、あれは技術畑の人だったかなあ、評論畑の人だったかなあ、とにかくオーディオ関係の偉い人が、その種の雑誌でコメントをしていた。「20万以下のオーディオなんて”ラジオ”ですよね、話にならない」とか。いかにも”ラジオの音”を軽蔑しきった、と言うかコメントする価値もない、みたいなニュアンスで。だいぶん前の話なんで、”20万”ていうのは”当時の価格で”だが。

 このコメントから考えるに、私の音質の嗜好は、オーディオ業界の”良い音追及”の価値体系からは無視されている。けどなあ、ラジオの音で音楽を楽しみたい人間もいるんだよ、確かに。音響の専門家には、ラジオ的な音ってのは一段劣ったもの、次善のもの、という認識しかないようだが。
 私のような趣向の者を相手に、「あくまでも”ラジオとしてのすばらしい音”を出すための高級再生装置」など開発して見る気はないのか?まあ、あまりにも少数派相手で、商売にならないかも知れないが。

 「オーケストラなど、広大な音の迫力を楽しみたい人は、高価なオーディオを欲するだろう」なんて意見もあるが、ロックと言うかポップスの世界にも”オーケストラの迫力”に相当する分厚い音世界で魅了する物件があって、これが言わずと知れたフィル・スペクター・サウンド。あれなんか広大な音像で迫る訳だが、もともとはラジオ用の音、しかも基本的にはモノラルの世界である。いくら迫力が欲しいからって、あれを高価なオーディオで聞く奴は・・・
 いや、いるか?いるかも知れん(笑)まあしかし、そりゃやっぱり退廃のタグイでしょうなあ。社会的地位を得てマイホーム・パパぶりを発揮する、かっての不良少年、高価なオーディオを購入、みたいな図。

 オーディオに凝る館でもあるらしい”ジャズ喫茶”なるものには私も青春時代、大分通ったが、とにかく自分の持っていない、とうぶん買えそうにないレコードが聞きたかったからであって、店のオーディオの音に興味を持ったことはなかった。店の機械は優先順位としては店のコーヒーの味以下(笑)むしろ、「なんでそんなにでかい音でレコードかけるのかなあ。うるせえなあ」とかさえ思っていたわけで、まあ徹頭徹尾、オーディオ趣味とは縁のない性格ですわ。
 
 さあ、こんな孤立無援のラジオ音主義者の、明日はどっちだ?

 

ケイジャンの遠き雄叫び

2006-09-04 03:39:40 | 北アメリカ


 ”Doug Kershaw ”

 かって、アメリカのルーツ系のロックを聞いていた頃、”ケイジャン”というのはある種妖しげな法力を持った言葉だった。カントリー・ロックのハザマに納められた”ケイジャン風な演奏”という奴。それはなにやら妖しげな魅力を持って響き渡り、気になってならぬものだった。

 その正体は定かには分からぬものの、キコキコと鳴り渡るバイオリンやまったりとしたアコーディオンの響き、そしてときおり聞こえる素っ頓狂な叫び声、などなど。それはアメリカの土俗の奥深くに鎮座まします秘密の一つに触れた気分にさせてくれるに十分なものだった。

 なにやら本物はフランス語で歌われるらしい。アメリカ南部のルイジアナ州がケイジャン・ミュージックの本場で、そこはもともと”ルイの国”というくらいでフランス領の土地であり、独立時のアメリカに売却されたのである。そしてケイジャンはどうやら、残された”フランス系アメリカ人”たちのローカルポップスといっていいものらしい。

 など分かってくると、こちらの不思議大好きの異文化への興味もいや増し、だが当時は本物のケイジャン・ミュージックに触れる機会もなく、”カントリー志向のロック連中の演奏するケイジャン風”を楽しむしかなったのだが。

 そんな時期に登場したのが、本物のケイジャン・ピープルである、このダグ・カーショウなる男のヒット作、”ルイジアナマン”だった。
 これまでの、アルバムに一曲だけ薬味程度の扱いで収められているのではない、頭から尻尾までびっしりケイジャンが詰まっているアルバムなのだ、なんとめでたいことであろうか。

 そして飛び出してきたサウンドも、こちらの期待を大いに満たしてくれる奇怪にして素っ頓狂な土俗色濃いローカルポップだった。ダグの奏でるバイオリンは、期待にたがわぬ不気味なキコキコ音の連発であり、そのボーカルは、いかにも謎に満ちた異郷から響いてくるような、異様な野太い雄叫びだった。

 音楽的には、ようするにえげつないほどディープで重たいカントリーロックであり、シンプル過ぎるコード進行の繰り返しが逆に妖しい土俗色を演出し、ドタドタとまったく洗練されないドラムスのビートに変なもの好きの血は騒いだ。

 なによりダグのルックスが良い。名前は忘れたがメル・ブルックスの”ヤング・フランケンシュタイン”で気色の悪い城守りを演じた俳優、あれに似てるんだよ。異相のミュージシャン好きの当方としては、それだけで嬉しくなってしまう。

 残念なことに、ダグの音楽をそれから継続して聴く機会もなく。というのは残念と言うよりきっちり彼の音楽を追いかけなかったこちらの怠慢というべきなのかも知れないが、いや、その後、彼の盤など簡単に手に入る状況はあったのかどうか。

 ともあれ、私としては彼のアルバムに次に出会うのは、ある輸入レコード店の店頭で偶然にであり、そこの経営者は、初めてダグの音楽を聴いた頃には大学で机を並べて学んでいた関係だったのだから、それは長い月日が流れた。そして聴いてみたダグの演奏は、残念ながら70年代の、あの高揚はなく、すっかり薄味になってしまっていたのだが。

 そこでもう一度、ダグの70年代のアルバム、あの”ルイジアナマン”を取り出して聴いてみる。やはり良い。そいつは土から取り出したばかりの泥の付いた野菜を「さあ食え」と鼻先に突きつけられるくらいの存在感を帯びており、彼以外のケイジャンミュージックを普通に聴けるようになった今でも、相当のあつかましさをもって屹立する個性的音楽なのである。


 

国境線を越える時

2006-09-02 04:27:50 | 北アメリカ


 昨日、”フレディ・フェンダーの”なんて書いたけど、むしろそのフェンダーから話をはじめるべきだったかも。社会的弱者のコミュニティに機能する大衆音楽シーンにおいては、女性歌手はひたすら力強く、男性歌手はひたすら弱々しい歌声を響かせる傾向があるって話ですが。その、ヘナヘナ声の帝王の一人について。

 アメリカに、テックス・メックスという音楽がありまして。文字通りといいますか、アメリカのテキサス州と南のメキシコ、この国境線上に両国の文化が激突、とか言うよりむしろぼんやりといい加減に交じり合って出来上がっている混血音楽であります。子供の頃に好きだった”西部劇映画”において、賞金稼ぎに追われたお尋ね者が国境線を越える、そんな舞台に非常に似つかわしい音楽であります。

 そのテックス・メックスなる音楽を代表する歌手、フレディ・フェンダーも、メキシコとの国境近くにあるテキサスのサン・ベニートという街に生まれたラテン系の血筋のものだそうで。芸名のフェンダーがギターのメイカー名の”フェンダー”に起因するなんて、まさにテックス・メックスらしいB級っぽい逸話で、嬉しくなります。

 60年代に「Wasted Days and Wasted Nights」なる大ヒット曲を出したものの、その後、ドラッグ所持で逮捕されるなど、国境線上における怪しげな大衆音楽のヒーローらしい(?)エピソードを挟みつつ、75年、名バラード・ナンバー、「Before the Next Teardrop Falls」で、歌手としての地位を確立します。

 彼のヒット曲で特徴的なのが、一曲の中に英語詞とスペイン語詞が同居するあたり。1コーラス目を英語で、2コーラス目をスペイン語で歌い、最後に英語詞に戻って歌い終えるのが定番のようで。つまりは両方の言葉を使用する人々の間で営業している歌手である事の証明でありますな。

 この、英語からスペイン語に切り替わる瞬間に一瞬漂う妖しさがたまりません。
 先に述べた”国境線のお尋ね者”に象徴される、それまでの所業のすべてが”チャラ”となって消滅してしまう、法律やら人々の記憶やらの途切れるところとしての国境線。ほの暗い運命の先に差す、奇妙な”自由”の光。

 そのようなトワイライト・ゾーンの深部にどっぷりと身を沈め、切々と、まさに涙の雫が滴り落ちるような感傷を込めつつ、英語スペイン語ゴタマゼ状態で歌い上げるバラード。そこに漂う妖しげな祝祭の響きに、不思議に血が騒いでたまらない。
 今日もフレディ・フェンダーの、なにやら頼りない歌声に、安物のワインとか、その種のもので乾杯したいサボテン&砂漠幻想の夜が来るのであります。




神野美伽

2006-09-01 02:01:34 | その他の日本の音楽


 神野美伽が誕生パーティー、なんて記事を見つけたんで下のほうに引用しておきますが。

 神野といえばそれなりに巨乳な女で、若い頃には演歌歌手には珍しく水着姿を披露してくれて、孤独な青春の日々には、それなりの心の慰めとなったものでした。顔がどうとか、そんなことを言う人は許しませんよ、あなた。
 今の若手女性演歌歌手も、この辺のサービスを心がければ斜陽といわれる演歌界も。ま、どうなるやら知りませんが。

 で、彼女の歌は、と言うと、まあこうしてキイを叩いていても曲目一つ浮かんでこないありさまです。せっかく彼女に好意的なものを感じているものが、いやまあ、たとえそれが単なるスケベ魂からだったとしてもですね、せっかくそのような者がいるのに、その辺にアピールすることをもっと考えたらいいのに、要領悪いなあ、スタッフも。

 なんか彼女、漁師歌を歌っておりましたねえ。大漁旗とでかい和太鼓をバックに従え、”ど~んと寄せる波しぶきはオイラの心意気~♪”ってな、いや、こんな詞だったかどうか知りませんよ、なんかこんなような歌を歌っていたのが印象に残っている。

 あの種のドッカンと豪快に歌い上げる演歌ってものは、男が歌ってもそれほどインパクトはなくて、むしろ女性の得意分野って気がします。この辺の構造ってどうなっているのか、不思議です。

 ちょっと思い出したのが、中村とうよう氏がテックスメックス歌手のフレディ・フェンダーについての文章で述べていた、「絶えず圧迫されながら生きている少数民族の大衆歌謡シーンにおいては、男性歌手はひたすら弱々しい歌声で、逆に女性歌手は力強い歌声でを売り物とする傾向がある」なんて説。

 これを、わが演歌の世界にも敷衍出来ませんかねえ。民族丸ごとに対する社会的圧迫と、女性歌手のパワフル化との相関関係。その辺を突っ込んで行くと、演歌という音楽ジャンルが秘めている、その存在の根に意外な形で触れる事が出来るのではないか、などと妄想したりしているんですが。あっと、”在日少数民族”の方面の話題ではなくですね、日本人丸ごとの問題として考えているんですが。

 それにしても、女性はひたすら力強く、男はひたすら女々しくって構造は芸能の場でよく見かけます。この辺も面白いなあ。

 ~~~~~

○神野美伽が誕生パーティー
(日刊スポーツ - 08月28日 20:41)
 30日に41歳の誕生日を迎える歌手神野美伽が28日、都内のレストランで暑気払いと誕生日を兼ねたパーティーを開いた。神野は「今年の夏はコンサートをかなり頑張りました。40代は女性、歌手としてきれいにバランスが取れる時期なので、これからを大切にしたい」と話した。夫の荒木とよひさ氏(62)が作詞した新曲「日本の男」も好調な売れ行きで「大みそかに歌いたい」と紅白出場に意欲を見せた。




フレンチ・カリビアンの輝き

2006-08-30 02:21:39 | 南アメリカ


  ”LE MEILLEUR ”by MALAVOI

 ラジオの番組でタモリが「フランス語のラテンていうのがあるんだねえ」なんていっているのを聞いたことがあって、あれは”オールナイトニッポン”だったろうから、それはそれは大昔の話だなあ。やっぱり1980年代のことだろうか。

 タモリが言っていたのはハイチやマルチニークなど、かってフランスを宗主国としていた、フランス語を公用語とするカリブ圏の国々の音楽のことで、当時はそのようなものの日本盤が出ていたのだなあ。今となっては信じられないような話だが。当時、ワールドミュージックはそのレベルくらい力があって、またフレンチ・カリビアン・ミュージックのシーン自体もまた、盛り上がっていたということなのだろう。

 コンパス、なんてのはその音楽自体のジャンル名だったか、それとも中心となるリズム名だったか。かって出た日本盤の、そのアーティスト名とともに、現時点ではその詳細、情けないことに忘却のかなたに行ってしまっている。

 その後に紹介されることとなったアフリカ音楽の洪水の前に関心が「ちょっと横へ置いておいて」状態のまま、そのまま忘れ去られてしまうこととなったのだった。他のワールドミュージック・ファンも同じかなあ?きちんとその後もフォローしていた人っているのかしら?

 そのような状況にあっても、ずっとその名を忘れずに、心の隅に引っかかっていたいくつかのアーティストのうちの一つが、このマラヴォワだ。カリブ海の片隅、マルチニークから現れた、飛び切り粋なバンドだった。

 彼らの音楽の原型は、あのキューバのお洒落なサウンド、フルートとバイオリンをフィーチュアしたチャランゴにあるのだろう。パーカッション群のパワフルな響きと思索的なピアノの響きが織り成すリズムのさざなみに乗って、複数のバイオリンの涼やかなハーモニーが、まるで真夏の昼下がり、ひととき吹き抜けて行く涼風みたいな手触りで聞こえてくる。これは数あるラテン音楽の中でもダンディ度の相当に高い代物だった。

 前面に立つのがバイオリンの艶やかなアンサンブルである事から、リズム隊がかなり高揚したカリブの息吹を弾ませても、どこか室内楽的な瀟洒な出来上がりの音楽になった。そしてまた、バイオリンやピアノのソロとなると、かなりの思索的手触りさえ感じさせたものだった。

 熱帯の音楽の特徴的な、聴いていて思わず体が動き出してしまう躍動感を持ちながらも、芯に不思議にシンと静まり返った哀感が控えていて、その陰影が忘れられない。マルチニークという土地への興味をいやがうえにも掻き立てる。

 この盤は、マラヴォワが国際的成功を収め、パリでの大掛かりな公演なども行った、その当時の、いわば最盛期の音源が収められている。名曲、名演のテンコ盛りである。
 マラヴォワとマルチニークの音楽が光り輝いていた時代の遺産。今、聞き返してもゾクゾクさせるものがある。またこんな高揚の時がカリブの島々に訪れる事を期待したい。信じたい。楽しみにしている。


 

鼻をなくした小象物語・批判

2006-08-29 04:01:43 | その他の評論

 この土曜日から日曜日にかけて放映された、毎年夏恒例の”24時間テレビ”の批判を書こうとしたんだけど、以前、別の場所に発表したあの文章を読んでもらうほうが早いなと思い出し、下にコピペしたものであります。そのような事情を踏まえたうえでお読みいただければ幸いです。

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 「感動ドキュメント’05・鼻をなくした小象物語・命の奇跡をアフリカに追う!」批判

 怠惰に正月休みを送る者にとってテレビはこの上なき慰め。とは言うものの、正月のテレビって、これがつまらないんだよなあ。2時間特別枠とか3時間特別枠とか、やたら時間は長いが内容はダレダレのものばかりで、面白くも何ともない。そんな、長時間枠をわざわざとって放送するんだから、テレビ局も力を入れて作っているんだろうし、というか、そもそもわざわざつまらない番組を作ろうとするわけはない。面白くしようと意図して、それがことごとくズタボロってのは、まずいんではないか。いまさら、テレビの世界に過大な期待なんか、そりゃしていないが。

 とか何とか言いつつ正月4日に見た、というかテレビを付けっぱなしにしていたら偶然始まってしまった番組が、「感動ドキュメント’05・鼻をなくした小象物語・命の奇跡をアフリカに追う!」(TBS)なる代物であったのだ。

 いやまあ、私はアフリカ方面の文物には心惹かれるものがあるんで、初めは楽しんでみていたんですよ。初めのうちは。怪我によってなのか、それとも生まれつきの奇形なのか、象の象たるにもっとも特徴的な長い鼻が失われてしまっている小象の物語。水一つ飲むのにも苦戦する彼(だか彼女だか知らないが)は、はたして過酷な自然の只中で、無事に生きて行けるのであろうか?

 撮影スタッフは、偶然に発見されたその小象の成長の記録をカメラに収めるべく、たびたびアフリカの地に赴くのである。が、何度目かのアフリカ訪問で、その小象の姿を見失ってしまう。スタッフはいくつもの象の群れを追い、目撃者を求めてアフリカの地をさ迷う。今は乾季だが、むしろ雨季に来た方が捜索には効果的なのではないかとの土地の古老の助言に従い、いったん日本に引き上げ、日を置いてから再度アフリカを訪れさえする。と。このあたりに至って、なんかこりゃ変だぞと思わずにはおれなくなって来たのである、私は。

 この群れに、あの鼻のない小象はいなかった。我々は別の群れを求めて草原を走った。こちらの群れにもいない。やっと、あの鼻のない小僧の母親である、耳の一部に特徴ある怪我の痕を持つ象がいる群れを見つけた。が、その群れにも、あの小象はいなかった。一体、どこに行ってしまったのだろう?とナレーターは、弱き者を思いやる憂いの影差す口調で捜索行を伝えるのであるが、おい、ちょっと待ってくれ、その鼻のない小象さえ無事に成長出来れば、世界は万事オッケーなのか?

 この群れにも小象はいなかった、の一言で切り捨てられる象の群れだって、この世の楽園に住んでいるわけでもあるまい。アフリカの地に、彼等象を含む野生動物の影が年々薄くなって行っているとは、普通に聞かれる”憂慮される事態”なのではないか。とか言うさらに前に、彼等、”普通の象の群れ”だって、敬意を持って接すべき生命たちなのではないのか。

 結局お前らは。お前らってのは、小象を追う撮影スタッフやら、番組をそもそも企画したテレビ局を指すのだが、ヒューマニズムを気取って”感動ドキュメント”とか作っているお前らは結局、”あるべき鼻がない”という、その小象の”タレント性”に用があるだけではないか。”可哀相な象”を画面に出せば頭の悪い視聴者の同情を引けて視聴率を稼げるだろうという、それだけの都合でたびたびアフリカに出かける、その費用だって安いものではないだろう。もし本気で、生き残ること自体が、多くは人間の干渉によりますます過酷になっている草原の暮らしを憂慮するなら、その金をもう少し効果的に使う道だってあったはずではないか。

 長時間番組を批判していたくせに無駄な長文をグタグタ並べてしまった私だが、要するに言いたいことは、”善人面してんじゃねーよ、バーカ!”なのでありました。うん、そういうことなんだ。



新国歌など

2006-08-27 23:22:37 | 音楽論など


 なんか朝日新聞に”第二の国歌を作ろう”なんて提案の投書が載ったようですね。原文は末尾に掲げておきますが。
 で、国歌がどうの、という話になると良く出てきて、そして気色悪いなあと私は思わずにいられない発言があるのです。それは、

 「”君が代”の歌詞に出てくる”君”は天皇を指すといわれているが、そうとは限らないのではないか。”君”は恋人のことだったりするかも知れない。そう、”君が代”はラブソングなのだ」

 とかいう、発言者ご本人はたいそう気の効いた考えの表明とお考えらしい一言。

 バカタレが。国家が国民に向かってラブソングをあてがい、「さあ歌え」なんて迫ってくるはずがないじゃないか。”君”は天皇だよ。あの歌が”国歌”である限りは、それ以外の意味になりようがない。

 そう言うのをおためごかしというんだ。子供の機嫌をとって嫌いなピーマン食べさせるのと同じ小細工で国歌を納得させようなんて。「さあ、これを食べてしまえば、お皿のカニさんの絵が出てくるよ~。食べてみなよ~カニさんが出てくるよ」なんてね。

 ウヨクのヒトも腹が立たないのかね、いやしくも国歌をラブソング扱いし、その主人公の座から、神子御一人を引き摺り下ろして。そんな考えに腹は立たないのか。国賊とは思わんのかね、そんな”君が代ラブソング解釈”を標榜する奴らを。

 歌詞の話が出たところで、参考のためにフランス国歌の歌詞・日本語訳を”ウィキペディア”より持って来ましたんで下にコピペします。

 ~~~

フランス共和国国歌「ラ・マルセイエーズ」 “ LA MARSEILLAISE ”
作詞・作曲:ルジェ・ド・リール

いざ進め 祖国の子らよ
栄光の日は やって来た
我らに対し 暴君の
血塗られた軍旗は 掲げられた
血塗られた軍旗は 掲げられた
聞こえるか 戦場で
蠢いているのを 獰猛な兵士どもが
奴らはやってくる 汝らの元に
喉を掻ききるため 汝らの女子供の

武器を取れ 市民らよ
組織せよ 汝らの軍隊を
いざ進もう! いざ進もう!
汚れた血が
我らの田畑を満たすまで

 ~~~

 えらい事であります。喉を掻き切るの、汚れた血が田畑を満たすのと。こんなのを学校の入学式とかで幼い子供たちに斉唱させてるんだから、考えてみればものすごいよな。でもまあ、外国の国歌なんて、こんなのが多そうだよなあ。

 と、とりとめもない話をしております私ですが、ここで私なりの新国歌への提言をしておきたい。それは、「国歌は、歌詞無しでメロディのみ」というものです。

 まあ要するに”北の国から”の主題歌みたいに”ああ~あああああ~♪”とか、国民そろって歌おうってんですけど。メロディだけ与えるから、各自、それなりの思いを込めて歌いなさい、という事でいいんじゃないですかね。

 そうすれば気色悪い新解釈とか入り込む余地が無くなるし、万が一、国体がガラッと変わっても、もともと歌そのものには意味がないんだから、国歌論議なんかしなくてすむでしょう。いや、粋なもんだと思うんですがねえ。

 で、下が話の出元であります、朝日新聞に載った投書の原文です。

 ~~~~~
 
夏休みも残りわずかとなり、始業式が近づいてきました。寒冷地ではすでに授業が始まった学校もあるのでしょうか。
 こうした学校行事の時期がくるたび、「君が代」「日の丸」の問題が話題になります。
 20世紀以降、諸外国の多くが国旗を制定し、国際行事の際に国歌を歌うことが定着しました。特に五輪やサッカーワールドカップなど国際的なスポーツ大会が普及に一役買いました。
 とりわけ国歌は、チームのイメージを世に知らしめ、選手の愛国心や闘争心を高揚させる役割を果たしてきました。
 そういう意味では、日本の国歌とされる「君が代」は特殊な存在です。
 歌詞は、「古今和歌集」に「読み人知らず」として載っている和歌「わが君は千世に八千世にさざれ石の巌(いわお)となりて苔(こけ)のむすまで」が基になっています。「わが君は」を「君が代は」と変えたもので、明治期以降は天皇をたたえる歌とされてきました。
 これが戦後もそのまま採用されました。歌詞も曲調も古めかしく、天皇中心的です。米国やフランスの国歌と比べると、諸行事に使うには、日本の国歌はさえない印象をもつ人が特に若者たちに多いようです。戦後生まれの世代は、チームや個人をたたえる場面で天皇をたたえる国歌を歌われても、なかなかピンと来ないのでしょう。
 米国では、始業や終業時間に生徒が国旗に向かって右手を左胸に当て、国歌を斉唱する学校もあるそうです。これほど国歌を愛する国民性ですが、実はこのほかに、第二の国歌のような「America the Beautiful」という歌もあります。第2次世界大戦前によく歌われていたようです。
 そこで私は提唱したいのです。国内外の大きなスポーツ試合の時に、優勝チームや個人を表彰するのにふさわしい第二の国歌を、ぜひ日本全国から公募してほしいのです。
 公式行事には古典的な「君が代」でもいいでしょうが、若者が参加する華やかな国民行事には、「君が代」に代わる斬新な第二の国歌を全国民で歌いたいと思います。心を高揚させ、正義と友情と平和をたたえるようなもう一つの国歌を。
 私も当選は期待せずに、作詞作曲に挑戦したい気持ちでいっぱいです。たくさんの日本人が、その日を待っているに違いないと私は思うのです。
 (http://www.be.asahi.com/20060826/W25/20060817TBEH0017A.html )




ガスリーが歌えば

2006-08-26 03:58:47 | 音楽論など


 先日のロシアにおける旅客機墜落のニュースに関する、何人かの人たちのWeb日記を読んできたら、その種の事件のたびにテレビなどでアナウンサーによってコメントされる「日本人の乗客はいませんでした」って一言の表現に不満を漏らす人が若干おられるようですな。

 つまり、「乗客に日本人はいませんでしたって、日本人が無事なら他の国の人はどうでも良いのか?我々は同じ人間、地球市民じゃないか」ってのが言い分のようで。しかもどうやらモトネタは、イエローモンキーなる日本のロックバンドの連中の歌の文句らしい。下のような内容だそうで。

 THE YELLOW MONKEY 『JAM』より引用

 >外国で飛行機が堕ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
 >乗客に日本人は居ませんでした
 >いませんでした いませんでした
 >僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう

 あのさあ、それは、ヒューマニズムがどうって問題と違うよ。
 「日本人の乗客はいませんでした」と知らせておかないと、知り合いがその方面に旅行に行ってる人が心配するでしょ。問いあわせが殺到するでしょ。だからそんな人々に、前もって日本人の乗客がいなかった事実を教えてあげてる。それが、そんなに罪悪なのかね。

 結局、お手軽な偽善者ごっこなんですね。ちょっと気の効いた、他人とは一味違ったヒューマニストを簡単に気取れるんだよね、それ。ロックバンドの歌の尻馬に乗り、そう言っておけば自分の腹は痛まないし、すでに「同じ人類じゃないか」って結論も出ているんで、自分ば何も頭は使わなくても、なんか賢げな心優しいナイーブな人格を気取れる。

 うさんくさい話ですよね、これって。それにこの、”安易に他人の尻馬に乗って善人面する”って精神、怖いと思うよ。いざ、となった時にはね。
 で、そんなお手軽な善人ごっこのタネをまく、今はそんなことしかやってないのかと思うと、なんだかうら寂しい気分になってくるけど。ロックって、そんなものだったのかい?

 ここで私は、アメリカの社会派フォークの開祖ウッディ・ガスリーが歌った、もう一つの”飛行機に乗って名前を失った人々”に関する歌など思い出さずにはおれません。”Deportees ”と言う歌です。
 歌の主人公は、国のご都合主義により、先祖代々住んでいた土地をゆえなく追われ棄民となった人々です。


 Good-bye to my Juan, good-bye Rosalita
 Adios mis amigos, Jesus y Maris
 You won't have a name when you ride the big air-plane
 And all they will call you will be deportees.


 現実を前に、ただウジウジと”良心的なナイーブな若者”を演ずることに心を砕いてばかりいるかに見える日本のロックバンドの歌詞と比べると、その毅然たる姿勢に、粛然たる気持ちにさせられます。